金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
by dryangle
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自分を生きることに
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自分を苛(さいな)む視線からの解放
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
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前回の話題に続くシリーズっぽい話です。

人間関係への依存というものは、他者を介して自分の欲求
(例えばマズロー風に生理や安全、社会的、自己実現)
満たす・叶える
ということだと考えています。

ややこしいのですが、特定他者を独立尊重した対象として
ではなく
、自分の欲求を満たすために自己同化をした手段
・媒体とする
ことです。

される側は、抵抗や意識によって主体を得る機会や成果が
ない限り、もしくは「する側となって」相手を得ない限り
自分の実在感や効力感を失い(得られずに?)、操り人形
のような空虚感に苦しんだり、心身を病むことに…

その支配・被支配が作動するためには、相互的なある種の
心理プログラムが埋め込まれなければなりません。

それが内在化・内面化された自己監視の視線なのです。

当人の価値判断の選択を許さずに、一方的に賞罰によって
刷り込まれていくそれは、良くも悪くも心の深層において
その人の思考や感情・行動を縛るようになります。

褒章によって得れば、価値への欲として感じられるように
なりますし、(体)罰や喪失の痛みは強迫的なそれやその
代償への執着や拒絶を生むことになります。
欲を抑圧することでも強迫的になることはあり得るとは考えています。

自己同化の負のカラクリは、自分を見張るだけではなくて
自分を批判し、罰し、エスカレートすると、自分を虐める
など自己完結をさせるというところにあります。
(ここでは余談ですが)これに対して他者イジメは、自分のそれと異質か
もしくは抵抗・反抗する相手を支配するために行われます。
実現が不可能だと、相手の存在の抹消まで目的となるのです。


自分苛(いじ)めの多くは、表面的には忠孝や奉仕、努力
や勤勉、謙虚といった美徳の傘に隠されてしまうがために
自分ですら認識・告発しづらい状況に置かれているのです。

自分や他の人の、「この状態を見抜くことはじつはとても
簡単
」です。きっとみなさんにも自覚があるはず。

本人がイキイキと、意欲的に、けっして押しつけがましく
なく
いるのなら、それは主体的に選び取ったあり方です。
主体のあり方のデフォルトは喜びや生きる実感ですから。

そうでないとしたら…

(内外の)他者の視線に依存して自分のあり方を決めたり
それによって自分を規制したり、罰して苦しんでいます。
その上周囲の誰かを縛って、苦しませてしまうことも。

苦労(犠牲や奉仕、被害)をアピールして、相手に自分の
欲求を満たすように要求する
ことを受動攻撃といいます。
当然、相手の心を傷つけたり侵食したりします。

ストップ!自分イジメ!

気づいて(意識して)みるだけで、反応に少しづつ変化が
現れ、自分だけではなく関わる周囲の集合的な精神環境
も変化していく
はずです。

ところで…

最近は少々手垢にまみれたような「気づく」という言葉。

じつは排便や摂食と同様、「他人が代わることのできない」
ことです。
小さくても「気づき」の積み重ねこそが、自分という精神的な
存在実感
を得るための、大切な足掛かりとなり得るのでは
ないでしょうか。

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# by dryangle | 2017-05-12 12:12 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自分を見張る視線からの解放
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「アナタの長所をあげてみてください」

そんな質問をしてみます。

「やさしく、親切なところ」
「勤勉なところ」
「頑張り屋なところ」
「明るいところ」
「気使いができるところ」
「○×が得意なところ」

さらに質問です。

「それは、誰を満足させるためのものですか?」
「自分に対してもそうしてあげていますか?」

「ええっ!?自分に対して…?そうではないですね…」

いつのまにか、自分の存在に対するポジティブな実感が
他者視点という想定にすり替わっていることに気がつきます。

その大前提が変わらないまま、長所を見つけることができず
自らに怒り、失望し、意欲をなくしてしまう人もいます。

それが自分を大切にしていないということ。

親だけでなく社会環境や教育の中で、他者や全体の要求や
基準に叶うことの価値だけが偏重され過ぎた
結果、個々人の
QOL(Quality Of Llife 個人がその人らしく人生に幸福を見出だしているかの指標
がなおざりにされている証の現象のように思います。

他者(親や世間)の視線を内面化するだけで、自分自身の
視線を構築するというバランスに欠けてしまったという見方
もできます。

自分に対する厳しさも、主体的に選び取ったものでなければ
美徳ではなく、自己監視(検閲)の上それに背く(背かれる)
ことで罪悪感や劣等感、被害意識という自己処罰感情を生む
苦のプログラミングと言わざるを得ません。

ムカムカやイライラ、モヤモヤやションボリという感情の裏には
この苦のプログラミングが作動している場合も多いもの。

それが自分が影響力を持つパートナーや子ども、身近な人をも
相互に巻き込んでしまうのです。

その苦に疲れ果てた先に、誰かの*セルフネグレクト(自己放任)
につながっていきます。

自分の心の檻の監視の目を破り、主体的に自分や自分の人生の
喜びや幸福を見つけだし行動することが唯一の手段なのです。

監視(*自己処罰プログラム)のキツイ人には大変な作業ですが
連綿と続くそのプログラムを断つことを、主体的に臨む価値と
腑に落ちた時にこそ、それが軽くなることを実感できるでしょう。

*
ひきこもりや孤独死、汚部屋、ゴミ屋敷などの原因といわれている。
個人的には他者視点の自分(それを圧しつけた他者)と主体である自分との
戦いや葛藤に敗北した(もしくは圧しつけていた他者をいきなり喪失した)
無気力の状態だと考えます。
生活が本人の快適や満足という意欲や目的によるという実感が、成立して
こなかったのかも知れません。

*
労働やお金、人間関係など、特徴的な要素にあって、つい苦労を選んでしまう。
ある種の強迫観念に似た作用によるものだと想像します。
潜在意識(無意識の領域)に隠されているので、まずは気づく(意識領域にあげる)
ことが重要です。


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# by dryangle | 2017-05-10 14:21 | ココロのカラクリ | Comments(0)
潜在印象 ~サンスカーラ~
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サンスカーラはサンスクリット語、パーリ語ではサンカーラという
らしいです。
仏教用語では「行」、ヨガの世界などでは「潜在(残存)印象」と
訳されるこの言葉。
心の働きとして捉えてみるとかなり興味深い奥行きがあります。

現象に対する反応からそれへの働きかけまでの一連の形成を
表し、とりわけ条件づけられて苦を生みだすものを指すそうです。
連綿と続くそれをカルマ(業)と呼ぶのだそうで。

犬がその目に入ることで喜び近づく人と、怖がり逃げ腰になる人。
過去の経験とその記憶による反応の違いです。単発ならまだしも
習性となったそれらの心の反応が次の出来事を制約していくこと
結果としての負の感情を予想して先取りしてしまうことが習慣と
なってしまうと、その積み重ねが人生に対する無力感という認識
や鬱状態を招くことは想像に難くありません。

私自身も経験がありますが、ある出来事をキッカケに「習慣的に」
イヤな感情がわき起こるパターンがありました。

ある時その感情が起きているまさにその瞬間ふと考えたのです。
「この感情はどういった結果として起こっているのだろう?」

私にとってその出来事が「押しつけ」を象徴しており、その度に
自分の気持ちが無視されることへの憤りとそれを出せない悲しさ
恩や見返りを返さなければという重圧を瞬時に味わっていました。
欲を探すとすれば、「私を大切にして欲しい」「成果や見返りを期待しないで欲しい」?

「マインドコントロールみたいだな…」

そう気づいた時には自分でも驚くほど気が軽くなり、どうして
そんなに重苦しく感じていたのか?不思議なほどにキョトンと
してしまいました。まさしく憑き物が落ちたような

多くの人が気楽にアリガタク受け取るだけのその種の出来事に
対する私個人のサンスカーラだったといえるように思います。

論理療法(アルバート・エリス)のABC理論の知識もあるものの
実際にはビリーフに論駁するどころか、まず理論自体を思い出す
余裕もなく^^;

サンスカーラは、論理療法的にはイラショナル・ビリーフによる
A(Activating event)B(Belief)C(Consequence)の展開だと
説明できるのかも知れません。

今となっては「偶然」ほどけたあの感覚こそが大切だと感じます。
個人的には、出来事と不相応な不快な感情に囚われた時には「自分を楽しませない
カース(呪い)」「相手の要求に従うカース」「勤勉カース」などと、敢えて命名
しようとすると抜けやすいです。


長く生きてくると、日常の不快なことの多くは出来事そのものと
いうよりも、むしろ条件づけられた反応(感情)によるもの。

精神のアキレス腱といわれる劣等感や罪悪感、被害者意識なども
典型的なサンスカーラの作用だといえるように感じます。
本人にはリアルな体験であっても、無用な苦を生む仕組みです。

そこを見抜くためにサンスカーラという言葉は重要なキーワード
になるように思いました。

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# by dryangle | 2017-04-23 20:43 | ココロと思想 | Comments(3)
自己疎外の恐ろしさ
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心を理解するためのキーワードなのに、その意味を理解するのに
時間のかかった概念があります。

それは、自己疎外

ヘーゲルや、マルクスという名前が出たとたんにカテ違いかな?
と敬遠したくなるのですが(あ、ここで読むのをヤメナイデw)

一般には、自己の主体性をなくすこと
人の習性や人格が社会関係の中に埋没して主体性を失う結果
自分自身さえもよそよそしい他者となること。…と説明されます。

とはいえ心理分野からの説明を探していくと、ごく個人の体験的
なリアリティが増してくるのです。

自己疎外とは本当の自分を見失った状態のことである。
(心理学者・國分康孝氏)

自己疎外とは、要するに真実の自分ではない自分として
生きていることである。

そういう人は自分の感じ方よりも、いかに他人に優越するか
そして優越によっていかに自分の安全を確保するかが重要に
なってくる。劣等感から人は自己疎外に陥る。
(心理学者-プロフィールより 加藤諦三氏)

じつは私個人的にはもっと消極的で「いかに他人に承認され肯定されるか
それによっていかに自分の安全を確保するか」の方がシックリときます。


他人と接している時に、誰もが自分を作っているという感覚を
経験したことがあるとは思います。

私の場合には、相手の期待像にしっかり自分を合わせるために
相手が自分をどう思うか?という視点からしか、相手のことを
見ていませんでした。

よほどのことがない限り、自分が相手をどう思うか?ということ
について考えたり、感じたりすることがなかったのです。

たとえ焦点が自分であっても、視点は自分にない。

同じように、たとえ焦点が今であっても
過去や未来に関連づけた視点からであって現在ではない。

これが「自分がない」ということなんだ!
ちょっと…というか、かなりのショックでした。

最近はという言葉も使われていますが、この自分軸のなさ

自分のしたいことがわからない。
自分の感情(好き嫌い、喜び)がわからない。
自分のことなのに自己決定・決断ができない。
自分を他人事のように解釈、説明したりする。
ありのままの自分がわからない。という空虚な自己を生み
はては、鬱や不健康な心の状態へとつながっていきます。

疎外とはどんな状況どんな場においても、自分自身に対してさえ
気持ちを楽にできないということだ。いつも「うち」に戻りたい
と思うが、決して「うちにいるようにのんびり」できない。
(精神世界分野の作家 エックハルト・トール氏)

自己充足*という反対の言葉があり、これが自己実現へつながる
とされますが、そこで初めて自分の持つ自己実現という概念が
誤解であった
ことに気づきました。

世間一般(自分以外)に基づく価値尺度や評価に承認、称賛など
を充足させることだと、反対の方向性に考えていたのです^^;

本当にそれが好きで、したいことで、自分らしくあったか?
それは「自分自身を楽しむことであったのか?」そう問うと

体裁の良い成果を得たとしても、真の自己実現とは真逆の方向
に進んでいたように思えてなりません。

死ぬまでに多分まだ間があるうちに気づいてヨカッタ。

一般論や客観的尺度でしか話をしない人も案外多いものですし
今でもかつてのような視点につい振り回されそうになりますが

対象を「私は今」どう思うの?どう感じるの?
その都度、自問をするように意識しています。

不思議と同じ相手もその都度つねに別の新鮮な人であることに
気づいたりします。「今」についてもまた同様です。

自分と和解するということの効果なのでしょうか?^^

自分中心とは、けっして自分勝手ではなく、自分の生き方や生活
について自分自身が決める自己決定のできること。
全然別次元のことなのです。

他人の自己決定が気に入らない人が
、それこそ勝手に自分勝手
やワガママと決めつけて封じる術となったのではないでしょうか?

ここに気づかない限り、どんな心理のノウハウやテクニックも
盲従や客観的効果に囚われて、自己疎外をさらに深めるという
逆効果を生み出しているのです。

*
自己充実という言葉を調べてみると、この他に保育用語でよく使われるそうで
「他者にしつけられるのではなく、自分で覚え高まること」というその言葉の
意味がなにかを強く示唆しているように感じられました。


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# by dryangle | 2017-04-08 20:43 | ココロと思想 | Comments(0)
エナジーヴァンパイアとメサイアコンプレックス
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近頃、メサイアコンプレックス*という言葉が目につくようになり
気になり始めました。

それまではパラノイア(偏執病)の誇大妄想の一環かと認識して
いたのですが、各所の説明を読むとどうも違うようです。

「広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる
自己有用感で補償する人々をも含める(ウィキペディア)」とあり
むしろ共依存を生むマゾヒスティック・コントロールを行う人の
特徴として用いられる言葉となっているようです。

過去エモーショナルブラックメール世話焼き依存など、数々の
記事で心理的脅迫についてふれてきましたが、全く無意識にそれ
を行う人の内面に隠された強迫的なまでに自分の存在価値を渇望
する
ありさまを言い当てているように思います。

自己の存在感や効力感を得たいがために、人の役にたとうとする。

そもそもが「自分のため」で、相手の気持ちは目に入らないので
いわゆる独りよがりの押しつけや、自ら問題を起こし解決する姿
を見せつけるマッチポンプも行われます。

現在とくに問題視されていることに、親子関係において子どもに
世の中への不安や恐れを植えつけ「あなたのためなのよ」という
真綿の支配により無気力にしてしまうパターン、さらにその結果
ひきこもりなどダメになった子どものために尽くすという健気な
親を演じることに自分の価値を見いだすなど相手を食い物にする
深刻なケースが目立ってきています。

救い(役に立ち・面倒を見)たいがために、相手を
救われるべき(できない・弱い・ダメな)人として封じ込める。

昨今自己無価値観という言葉が定着する状況のカラクリなのだと
いえるのかも知れません。
自己卑下という開き直りでその構造に屈する人々を生むことも。

思い起こせば、かつて信仰を持っていた頃の私の心理はまさしく
それだったようだと腑に落ちます。
むしろ親や周囲のその圧力に、救われるより救う立場になろうと
必死
(それが勝ち組?)だったような気がします。

恩着せがましく「こんなにしてあげたでしょ?」と言われること
感謝を要求されることが吐きそうなくらい嫌だった、苦しかった。

自分が不幸であるという感情の抑圧。それが本質だったのです。

本当は自分が救われたかった」のだという自らの内面の偽善に
気づいてしまい耐えられなくなったことが出口の扉を開けました。

そもそも救いを必要とすること自体が、誰かが救済者を演じたい
がために作り出された幻想
だったと知ることになるのです。

苦しむべき要素なんて本当はなんにもないのだから。

*救世主・救済妄想。
 個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態。


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# by dryangle | 2017-04-06 10:46 | ココロと思想 | Comments(0)
”忖度”にまつわるエトセトラ
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年末に今年のキーワードになりそうなほどにいきなり
日の目を見た”忖度(そんたく)”という言葉。

意味はズバリ「他人の気持ちを推し量ること」。

問題の本質は忖度のアルナシというよりも、その忖度
によって「なにが行われたか?」
であるはずですが
ここはあえて”忖度”にひっかかってみようと思います。

というのも、私達日本人の育った文化背景にあっては

他人の気持ちを推し量る(他者が同調の複数人の場合
には「空気を読む」)ことは、もはや必須技能にさえ
なっているからです。

どこかで、親や教育者の期待や要求をいち早く忖度し
応える能力を持った子供と良い子を定義しているのを
見かけました。
落ちこぼれ良い子の私としては、それが保身の大前提
となっていない人が存在するということ自体に今さら
軽いショックを受けたりしています。

同じタイミングで目にしたのが、外発性と内発性という
言葉です。

簡単な説明ですが。外発性は外的な刺激・環境によって
そうなるさま、内発性は外からの働きかけによらず内部
から自然に起こるさま、ということだそうです。

思いやりが純粋な内発性によるものだとすれば、”忖度”
とは、外発性によるものを内発性によることにして体裁
を整える
ことではないか?などと皮肉りたくなります。

なぜ?という理由で、真っ先に思い浮かぶことといえば
コントロールや支配の存在を表ざまから隠すために。

いきなり心の問題に結びつけるようなのですが…^^;

鬱を患う原因は「自分を生きていない、生きられない
ことだと言われます。
もはや依存的・強迫的に忖度によって自己を決めること
しかできなくなってしまったのではないでしょうか?

もともと自分を守るためにと身につけざるを得なかった
術(すべ)が自分を押し殺す、ここにも残酷なカラクリ
があるように思えてならないのです。

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# by dryangle | 2017-03-30 10:28 | ココロと社会 | Comments(0)
「不安依存症(不安中毒)」という発想
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前々から一度整理して書き残しておきたいと思っていたことに
チャレンジしてみようかと思います。
どうかあくまでごく私的・個人的な体験としてお読みください^^
(感覚が符合する方には苦しみの根を外在化できる素材となるかも知れません)

過去に苦しんでいたことに、今となっては全般性不安障害(GAD)
や強迫神経症の一部、パニック障害などと診断されそうな症状が
ありました。

ちょっとしたミスやそれを想像するだけで、不相応の恐怖感
(よく例えていたのが、”高層ビルの屋上の手すりのない縁に
立っていて急に背中を押された瞬間に起こりそうな感覚”です)
がわき起こる。決して”ドキッとする”程度のものではない。

「(玄関や車の)鍵を閉め忘れたんじゃ?」はもちろんのこと
「締め切りを忘れたんじゃ?」「書類にミスがあるんじゃ?」
「大切なことを言い忘れたんじゃ?」「支払いの間違い?」
「この人不機嫌?ワタシのせい?」「誰かに見咎められる?」
…いちいちフリーズ。

森田療法でいう ”はからい(回避のための消極的行動)”に
とりつかれていたこともありました。

「こんな時間にまだ帰宅しない?」「連絡が来ない」などの
家族に関する状況に至っては、聞こえるほどまでに鼓動が
高鳴り、冷や汗タラタラ、過呼吸に、チック症状etc…
まさに発作といえるような状態に陥ります。
(それ自体で「自分が死ぬのではないか?」とは、恐れたことがないのが
不思議なのですが。そういうケースもあるのでしょうか?)


後者については、親への分離不安の名残なのではないか?と
認識できた頃から、少しはラクになってはきていたのですが
トラウマ反応にしては、トリガーが曖昧かつ広範囲で掴めず
予防や危機回避のためにしては、度を越している不安症状。
客観的に一応は恵まれている環境にあって、いちいちオドオド
ビクビク不安に暮らす毎日にウンザリしていました。

そんな私にとって、大きな転換となったのは「これ(不安や強迫)
も依存症だと考えてみたらどうか?
」と思いついた時でした。

とたんに、幼い頃の記憶がズルズルと芋づる式に引き出されて
その時の感情と共に恐ろしいほどストンと理解できたのです。

喜びや楽しみを禁じられてきた。

説明すると長くなりますが、期待するとひどくガッカリさせられ
喜ぶと親が不機嫌になって、嫌みや皮肉をネチネチ浴びせられて
喜んではイケナイ”というメッセージが強烈に焼きついています。

親との関係において、自分の心が味わうことのできたせめてもの
快感
さんざん不安にさせられてからの日常に戻る安堵感

ああ、もう殴られない。DVを受けたた方ならピンとくるであろう
”ようやく嵐が去った” …あのホッとする感じです。

もしかして?

そのクセとなった安堵感を求めて
自ら習慣的に不安感情に耽っている?


仮説としてだけでも、十分に腑に落ちたような気がしました。
(とくに就学前一人で留守番=置き去り?にされる時に、”喜んで自由にふるまっては
イケナイ、心配して大人しく待っていろ”という暗示にも似た思い込みがありました。
少し大きくなったら、遊ばせておくのはモッタイナイと山ほどの家事。)


その後、そのような自分の状態に陥った時に変化がありました。
これも一種の依存症状なのだと、突き放して(距離を置いて)
みることができるようになったのです。

妄想への不安に耽溺しているだけ…ただそれだけのこと。

不安の苦しみや痛みが増す前にそう気づくことで、だんだんと
ラクになり、「あれ?ダイジョウブだ!」ということも増え…

今でもウッカリすると巻き込まれそうになりますが、まったく
不可能のように感じていた、”不安断ち”が叶うことの実感を
得ることができたように思います。

ちなみにコールドターキー*は、喜びや楽しみに目が向くこと
への恐れ
のように思います。
次に待ち受ける課題はそれを乗り切ることでしょうか(泣)

「オラ、こんな親はイヤだ(った)~」

*禁断症状、離脱症状のスラング

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# by dryangle | 2017-03-26 19:37 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「自分殺し」をやめる。
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不本意なことに従うとき
力や多数の圧力に迎合するとき
理不尽なことに屈服するとき
相手に譲ってあきらめるとき

「自分を殺して」という慣用句があります。

それが自分の真の納得や喜びにつながらない場合
そのように「したこと/できなかったこと」よりも
自分の本心を表明しなかったこと、またそれ以前に
自分の本心や意志を自分が認めようとしないこと
自分の心を殺すのです。

シリアスではないごく単純に「どちらが良いか?」
という選択の場面で、あっさり自分を殺すことも
あります。

自分が良いと認識していることが、自分を見せたい
相手の好みや、評価、価値観によるもの
だったり
することがままあるのです。

誰々が
好きそう(嫌いそう)
褒められそう(批判されそう)
羨ましがりそう(馬鹿にしそう)
喜ばれそう(悲しませそう)
誰々と一緒(違う)

○○だと見られそう、オーソドックス、無難そう…

そんな動機が、もし一番の基準であるとしたなら
それはやっぱり、遠回しに自分を殺しています

物だけではなく、考え方や感じ方、行動まで
そのような他者基準が当たり前になってしまい
自分が自分の心をネグレクトし続けている

心の不調に及びます。

もともとは誰かに、自分の気持ちの存在を無視され
否定され(続け)たのかも知れません。
とはいえ、いずれ自分自身が、自分の気持ちを無視し
押し殺すことが
心の致命傷になっていくのです。

心身ともに追い詰めていくことにもなりまねません。

その前に、自分の心の中の他人目線に気づくこと。
その基準よりも、自分の好き/嫌いやしたい/したくない
をしっかり感じること。

「私だって(…したいのに、欲しいのに、我慢してるのに
ガンバっているのに)」「フツウ、ミンナそうしているのに」
というような、心のつぶやきを
"イラッ、ムカッ、モヤっ"というネガティヴな反応を
見逃さないで、丁寧に取り扱ってみてください。
その内圧は押し殺している本心の裏返しなのです。

自分の率直な本音を、まずは選択肢に加えることから
できるように、自分の本心に向き合って、対話をする
勇気を持ってみませんか?

自分の気持ちのあり方や、現実における他者との交渉
やコミュニケーションにも変化が起きるはずです。

心身ともに活きていく^^


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# by dryangle | 2017-03-25 16:20 | ココロの不調 | Comments(0)
世話焼き依存と真綿の支配
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


心の不調や人間関係のトラブルを巡る問題の周辺には
必ずと言っていいほど存在するあるタイプの人がいます。

最近では、おもに(母)親にこのタイプが多いことが理由で
不安症状やさまざまな依存症状、また精神的に自立できない
成人の娘や息子の話題が一般にも聞こえるようになりました。

それは、自分を後回しにして家族や他者のために尽くす
これまでは良き妻、良き母とされてきたロールタイプ

子どもが巣立ち、家族それぞれの役割が変化を遂げた後に
ボランティアやペットの世話など、誰かの役に立つ仕事
得られないと空の巣症候群に陥る世話焼き依存の人です。

言い換えると
誰かに必要とされることに(自分の存在価値を)依存
するようになってしまった人。

この人たちのデフォルトは、今はよく知られるようになった
自己無価値感。つまり相手に奉仕しないと自分は愛されない
認められないという苦しみ、不安感です。

その不安が高じることで、ついには相手の求めていないこと
まで
気を回したり、自己犠牲という媚薬に酔いしれるように
なったりするのです。

人間関係嗜好への依存症の人だといえます。

もともとアルコール依存症関連の言葉が共依存の関係構造の
説明に使われるようになったもので、その世話焼きが相手の
問題や依存を助長したり、その状態を支えてしまう
人のことを
イネーブラーと呼びます。

子育ての場合には、過干渉となることで子どもの意欲の発達や
主体性の獲得などを阻む
ことになりかねません。

なによりありのままの弱くて、未熟で、期待に応えられない
自分ではいけないという自己無価値観がリプリントされます。

他人軸
(による劣等感や罪悪感、及び被害妄想)に左右され
素直な自分を生きられない、操り人形のような自分に苦しむ
ようになることも(実体験)。

他者の期待の中に自分の存在価値を探さなければならない
次の世話焼き依存症予備軍なのです。

『世話好きな人は、単に優しい人なのではない。相手を自分に
依存させ、自分が重要な人物であることを実感したいのだ。』
by アルフレッド・アドラー


これまで、とくに女性に求められてきた役割やあり方の中に
この構造が見え隠れするように感じられてなりません。

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# by dryangle | 2017-03-05 19:39 | ココロの不調 | Comments(0)
~し”づらさ”は、生き”辛さ”
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●

今回は日常の些細なことに目を向けてみましょう。
それは、何気ないふとした「~しづらさ」です。

言い換えると、気がねや遠慮、気後れ、ためらい
そして、とまどい、根拠のない後ろめたさ…
人によってさまざまに異なるでしょうが

例えば、かつての私なら

自分の意見を言いづらい
人前で泣きづらい
フェミニンなものを選びづらい
ある価格以上のものを買いづらい
大皿の料理に手を伸ばしづらい
誰か(家族)がいるとリラックスしづらい
誰かがいるとバスルームを使いづらい
他者に依頼や要求をしづらい
欲しいものを手に入れづらい
重要な人に話しかけづらい
承認がないと物事を先に進めづらい
自分だけで好きなことをしづらい
それらの不自由さを自分で認めづらい

ほんの小さなことから大問題まで、たくさんあるある!
皆さんはいかがでしょうか?
これらを誰か(や自分)のための「やさしさや気づかい」
なのだと、綺麗ごとにすり替えることも
常識や理屈で正当化することもできますが
自分の気持ちは、決してそうではないことを
苦しいような窮屈さを知っている。

それは自分の心の中にある、恐れる誰かの目に見咎められ
射すくめられた時の反応です。

叩かれ慣れた子が、傍らの人が髪をかき上げようと手を
持ち上げるだけでビクッとするという類の条件反射

次の展開で、身体や心の痛みを受けるのではないかという
予期不安ともいえます。

叩かれる、怒鳴られる、咎められる、嘲られる、笑われる
叱られる、嫌みを言われる、不愉快になられる、卑下される

通常、ここまではハッキリと意識にのぼりませんし
実際には大方あり得ない、ナンセンスな場合も多いです。

大元のエピソードの記憶自体は、忘れ去れられ(埋め込まれ)
てしまっているので、のちに状況に合理的な感情として自ら
整理をすることができないまま
にいるのです。
これが「しつけ(内在化)」の手段として使われてきました。

察しの良い方はすでに気づいていらっしゃると思いますが

この~し”づらさ”の多さ・強さ
そのまま生き辛さの度合い」
なのです。

もしそれが自分にとって不都合な反応であるのだとしたら

その都度気づいて、(結果としてどうふるまうかは別にして
意識して自分で選択することができれば、緩めることができます。

ひとづつ丁寧に結び目をほどくように
気づいて、緩めて、ほどいて
ほんの少しづづでも、気楽に
生きやすくなっていってみてはどうでしょうか?

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# by dryangle | 2017-02-24 14:39 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り