Carpe Diem
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ワタシ達は自分というキャラクタ−についても
固定観念を持っているようです。 それは自分というかけがえのない個性の構成要素で ある反面、出来事や他のあり方に対する反応や態度を 一方的に自分に縛り付けるものでもあります。 それが怒りや恐れ、不安、動揺と言った負の反応に 偏る場合には、その感情を誘発する(ために、そう 本人に自覚される?)出来事がついて回ります。 そんな状況に陥り、疲労し、ウンザリしていたら …そして そこから抜け出すための、別の視点を得る決心 がついたら(かなりの勇気がいるので、大抵はギリギリ 追いつめられるまで避け続けます) 自分という幻想に目を凝らしてみませんか? 例えば… ・罪悪感(恥/後ろめたさ/申し訳なさ) ・被害者意識(憎しみ/責める気持ち/復讐心) ・劣等感(優越感/強迫的な向上心) 自分にそれがあると認めることに、強く反発 したくなるものがありませんか? 自分を不幸な状況に縛り付ける理由が 誰かへの復讐心である場合もあります。 「誰が私を不幸にしているの?」 「誰が私をシアワセにできるというの?」 それは感情的な脅迫でもあり、それによって 気を晴らし、自分を保っているようですが 精神的なエネルギーを膨大に消費するだけで 幸福になる効果は一切ありません^^: というより、不運の連鎖が巡ります。 それが幻想だと潔く認めることができたら そして、そこから抜け出すという意識を持てば どんな境遇に遭ったとしても、そこから自分を解放し シアワセという心の状態を選ぶことで (そう、幻想の自分が嫌悪しがちなお気楽さです^^;) 今と未来は、きっと別の状況へとシフトします。 自分というものの可能性はまだまだ無限ですよ^^ コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック) ※また返信や相談を希望される方はコチラへどうぞ^^ アナタも心のお掃除をしませんか?心のゴミ処理場に 大小問わず、ワダカマリを捨てにきてくださいね。 ・私は何ごとでも親の期待通りにできないと罪悪感を感じる。
・私は親の言うことを拒否すると罪悪感を感じる。 ・私は親が喜んでくれないと悲しい。 ・私は自分の望むことをして、それが親を傷つけたら悲しい。 ・私は親から批判されたら腹が立つ。 ・私が親の世話をすることを彼らが期待していたら腹が立つ。 ・親と話をすることなど意味がない。そんなことをしたところで ろくなことはないからだ。 ・親が変わってさえくれれば、私の気分は晴れる。 ・もし彼らがどれほど私を傷つけたかを、わからせることが できたら、彼らも態度を変えるに違いない。 ースーザン・フォワード『毒になる親』からランダムに抜粋 もしかしたら、胸の奥が疼くのを感じるかも知れません。 人によっては、子育てを通じて自分自身と親との関係の 未消化な心の痛みに再び直面しなければならないことが 次々と起こってきます。 それはまた、いつかは消化しなければならない課題として 起きてくるものであり、心の痛みとして反応します。 どんなカタチに変化していても、自分の中に親の愛情を乞う 気持ちがある、あり続ける、ということに気づかされる。 それは子ども時代から続く求めても得られないという 観念の傷をえぐることの繰り返し。 それを理解できた時こそ(時間がかかるかも知れませんが) その思いを潔く断念して、愛情を求める側から与える側へ 真の意味で大人へと成長する時だといえます。 ここでお伝えしたいことのすべてにもなりますが、 前述の本などを参考にして自分を奪還する (いえいえ^^;…健全な大人へと成長する) 試みを歩む上で危険な罠があります。 けっしてそこに踏み入らないためにも その都度、意識する必要のあること 真に対決すべきなのは、実際の親のあり方ではなく 自分の心の中に棲む親(の人格)であること。 それを取り違えると果てしない不毛な苦しみに陥ります。 自分の中の親という幻想を消す。 彼らもまたたんなる一人の人間に過ぎない。 …そして自分も。 すべての役割は幻想です。 それが違和感なく腑に落ちる時は必ずきます。 そうすると、かつての親の、今の誰かの そして自分の まだ自分の方が大切に扱われたい、かまって欲しい 気づかって欲しい、認めて欲しい、というように 無自覚に誰かの気持ちを期待しながら、痛みにかられ 攻撃し、ふてくされ、駄々をこね、嫌みな態度をとる 自分の気持ちにしか焦点が合わない 満たされぬ子どものあり方が理解できてくるのです。 ※内容が重複しますが、こちら6年前のワタシの書いた 愛に飢える人々もよろしかったらぜひ^^ コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック) ※また返信や相談を希望される方はコチラへどうぞ^^ アナタも心のお掃除をしませんか?心のゴミ処理場に 大小問わず、ワダカマリを捨てにきてくださいね。 いまさらカミングアウトでもないですが、今は乗り越えたものの
かつて個人的に苦しんだ心の問題の一つも子離れの障害に なり得るかも知れないと考え、さらに書き加えることにしました。 ごく少数であっても思い当たる方がいるかも知れません。 分離不安障害(Separation Anxiety Disorder ) 子育て情報の中に覚えがある方もいるかと思いますが 一般には赤ちゃんから子ども、せいぜい思春期までの 気持ちの問題として取り扱われています。 来年出る(らしい)改訂版、DSM−5精神障害の診断と統計の手引き第5版 ーアメリカ精神医学会ーでは、その項目が「不安障害」のカテゴリーに 移動するらしく、一般成人への適用が可能になるかもしれません。 自分の経験からすれば、大人の分離不安も大いにアリです。 実感としては、全般性不安障害の(諸々の)症状の一つだと いえるかと思います。 ワタシの場合は、むしろ成人して結婚し大切な人ができた 頃から分離不安を自覚するようになったと思います。 夫は仕事上他国への出張が多かったのですが、電話も通じにくい 途上国に滞在する際にはひどく心配をしたものでした。 最初は「そりゃ、心配だよね。」という程度のことでしたが そのうち毎回出発の日をカウントダウンして怯えるようになり 連絡がこないと、今でいうパニック発作様の状態に陥りました。 …ところが、劇的に緩解したのです。 子どもが生まれ、子育てを始めてから。 今思うと、大切な人が基本はいつでも身近にいるという 状態を得たからだといえそうです。 先に結論を言いますと。その子が成長し、ワタシから離れると いう状況が増え、また同じような不安症状が増してきました^^: ICD−10(国際疾病分類第10版) Separation anxiety disorder of childhood a.強く愛着を持っている人に災難が降りかかるという 非現実的な、現実離れした心配に心を奪われる。 あるいは彼らが去って戻らないだろうという恐れ。 大人なんですけれどね^^; 極端な不幸まで想像(妄想)して怯えてしまうのです。 子どもの自由な活動にも消極的になってしまいがち。 これまでにも様々な自分の心の問題について原因も含め 思い当たりまくりなので、多くの場合において客観的に対処 することができましたが、ツライ、ツライ!! 自分がそういった過程を経てきて、最近とくに思うことは よく子離れできない、過干渉、過保護だと批判される 親御さんの中には、こういった苦しみを誰にも言えずに 抱え込んでいらっしゃる方も多いのではないか?ということ。 多かれ少なかれ、なにかの不安や強迫観念が突き動かして いるのではないでしょうか? それらを癒すのは、(あり方への)批判ではなく (心情への)共感に他なりません。 面白いことに、夫についてはあまり心配にならずに信頼して 放っておけるようになりました(爆) 愛が減ったのではなく、執着が減ったのだと思いたいです^^ 愛着を持った人への執着が強く、それを失うことに激しい 不安がある。 たんに「アタッチメント獲得の失敗が原因」といってしまえば そっけないですが、当人の苦しみは筆舌に尽くしがたいもの。 今度は他に愛着の対象を得るのではなく、まだ残る子どもへの 執着を減らしていこうと意識して模索しています。 コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック) ※また返信や相談を希望される方はコチラへどうぞ^^ アナタも心のお掃除をしませんか?心のゴミ処理場に 大小問わず、ワダカマリを捨てにきてくださいね。 「それが親の愛なんだよ」と言われてしまえば
「そんなものかなぁ?」と一つの落としどころになりがちな 子どもへの想い、コダワリ、干渉 前回は親という役割(アイデンティティ)を失うことへの 抵抗について書かせていただきました。 …が、もっと根本的な部分で苦しんでいる方もいるかも 知れないと思い当たり、前回に続けて書いてみますね。 それは親の役割の手前にある自分というアイデンティティが 傷つけられたり、それを失うかのように感じることへの抵抗です。 その自分には 親自身の自己像や子どものままの(未成熟な)部分 も含まれています。 かつて子どもは親の自分エリアの中に同化していました。 アイデンティティを共有する。例えばそのアイデンティティに 属する誰かが侮辱(もしくは高評価)された時に直接関係のない 自分が、まるで自分のことのように腹を立てたり、喜んだりする …誰もが経験しているのではないでしょうか? その一体感がとりもなおさずつながりでもあります。 成長した我が子をまだまだ自分エリアの中に 抱え込んでいたら? あれやこれやと介入したくなるのは無理もありませんよね。 それは共感できるということではないの? いえ、いえ。 あくまで共感は相手の気持ちに添うこと。 もちろん同じ気持ちであるうちは、そのつながりが親子双方の 関係に良い効果をもたらしますが、もしそれが異なった場合に この場合の一体感では、…当然ながら^^: 大枠である親が自分の気持ちを優先させてしまうのです。 子どもが精神的に自立し始め、親の自分エリアの壁を打ち破る 思春期頃の衝突のカラクリはこの辺りにありそうです。 親の自分(エリア)の壁には、親自身の子どもじみた 欲求、嫉妬心や屁理屈、偏見、根拠のない不安や恐れなども もちろん含まれています。 親自身がその気持ちの中に未解決(未成熟)の問題が多ければ 多いほど、その壁は厚く、強固になりがちです。 それはとりもなおさず、親が自分自身を形づくる根源。 我が子を親(の自分)の枠以上に成長させる。 つまりその壁の外に押し出すためには 親自身が自分と向き合い、その壁を崩す努力と勇気を 強いられることになるわけです。 自己否定の恐怖に直面することにもなり得ますが 自分を肯定した上で、相手も肯定すること そのための折り合いを親子互いが学ぶチャンスでもあります。 (先代が学んでくれていたらなぁ…ちぇ。) 自分に自信があっても、なくても。 親の不愉快は子どもの成長の証(あかし)なのかも知れません。 親を失業ではなく、卒業するために。 親に課せられた卒業試験といえるような気さえします。 あ〜シンド^^; コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック) ※また返信や相談を希望される方はコチラへどうぞ^^ アナタも心のお掃除をしませんか?心のゴミ処理場に 大小問わず、ワダカマリを捨てにきてくださいね。
今個人的にホットなトピックは子離れについてです。
むしろ先輩の方々からご意見やアドヴァイスをいただきたいのですが 足固めとして、以後時々は想いを綴っていきたいと思います。 学業や職業、結婚や妊娠出産・子育てのステージへと 駆け抜けるように進んできたものの、人生の午後*には 次のステージへとスムーズに移行しづらくなってきます。 実感されている方も多いのではないでしょうか? 実際には、我が子の巣立ちまではきっとまだ何年もあるのですが 目に見えて大人への成長が進む中で、それに連れて黙って見守る つまり信頼して任せることの必要性が増してきました。 これが案外ストレスなんですよね^^; すべて背負って守ってあげることの方がラクだったと思うくらい… 最近どこかで「親が子を後追いする」という話を耳にしました。 親の役割を失うことに抵抗するあまり、子の自立を 妨げるまでの干渉をしてしまう、という親の話です (さらには、巣立たない・巣立てない役割を担う子どもとの 共依存関係も指摘されます)。 それほど自分を投じていたという証拠でもありますよね。 あれこれ心配のあまり、つい先回りして世話を焼いてしまうのも 無意識に親の役割を失うことに抵抗しているのかも?と ハタと思い当たり逐次反省の日々です。 ああ、でも。だまって見ているのがジレッタイ! いやいや、自分からなにか言ってくるまで待とう…(爆) わざわざそんな隙を見つけ出してしまう自分が恨めしい〜 まるで働き盛りの失業中のような手持ちブサタ、やるせなさ。 引き継がせたら離れる、これこそ仕事の総仕上げですよね。 自分が請け負っている仕事をいきなり取り上げられたら 失業ですが、成し終えたら卒業。 なんだかとても淋しいような感傷もあるけれど 親子関係から大人同士の関係へ いつか親という仕事を成し終えた!とその卒業を喜べる心境で 我が子の巣立ちを見送りたいと精進中です。 *ユングの言葉。 ミドルエイジ、人生の折り返し地点を過ぎてからの時期を指す。 コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック) ※また返信や相談を希望される方はコチラへどうぞ^^ アナタも心のお掃除をしませんか?心のゴミ処理場に 大小問わず、ワダカマリを捨てにきてくださいね。 以前「脳内では心の痛みも体の痛みと同じ部位で同様に感じている
ということが明らかになった」という記事を目にしました。 怒りは感情のフタ(別の感情を覆ううもの)とはよく言われますが 怒りというのは、覆った感情によって傷ついている つまり心が痛いと叫び訴える反応なのかも知れません。 つまり怒りやすい人は、傷つきやすい人。 相手のふるまいによって、自分の心に抱えた痛みを刺激され 反応して怒りだす。過剰防衛≒攻撃となり、つい自分の痛みを 相手にぶつけてしまう。 結果、傷つけやすい人にもなってしまうわけです。 本人も自己嫌悪に陥り、さらに自分を傷つけるという悪循環も。 こんな人には「あ~、痛いんだな」と一歩退いた視点を持って 怒りで応酬しないように心がけたいものです。 怒りやすい人、つまり防御(自分を守る)気持ちの強い人は 自分がディスカウントされることに対して激しく反応します。 他人から自分がディスカウント(否定/卑下/拒否/無理解)される ことに、どんなにも過敏でこちら側の気持ちを汲む余裕はないほど だということを先に理解しておくといいかと思います。 相手の攻撃(自分へのディスカウント)に同様に反応することで 挑発にのってしまうか、そのまま受け入れて自分が傷ついてしまうか。 それを避けるには、まずその反応に気づいてさらりと流す。 誰もが多かれ少なかれ覚えがある怒り。 中には、そこまで過敏に自分を守る必要性が増すほどに 自分が傷ついてきた人も少なくないようです。 大切な人がそういった場合には、かなり面倒くさいようですが 日頃から「あなたはそのままでいい」というメッセージを 送り続けていくことが大切かも知れません。 もちろん、あなた自身をディスカウントすることのないように^^ コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック) ※また返信や相談を希望される方はコチラへどうぞ^^ アナタも心のお掃除をしませんか?心のゴミ処理場に 大小問わず、ワダカマリを捨てにきてくださいね。 久しぶりにこちらのトピックにレスをしようかと思ったのですが
機を逃してしまいました^^: いまさら書き込むムードでもなさそうなので…こちらで。 どなたかのコメントにもありましたが、日本人の社交では ごく当たり前の謙遜(けんそん)、ワタシも大失敗経験があります。 相手が日本人でもないのに、子どものことを本人の前で ほぼ条件反射的に謙遜してしまったのです。 …未熟。 うっかり子どもの信頼を失いそうになりました。 「私のこと、そういう風に思ってたんだ(涙)?」 当時は言葉の限りを尽くし必死に説明しましたっけ。 日本の社交辞令もこなせるほど成長した今となっては 一つの笑い話ですが。 けっして謙遜の良し悪しの問題ではなく、文化の違い。 と、スッパリ割り切れればそれでいいのですが 問題は心理的にヤッカイな部分にも及ぶこと。 自分や身内の評価を相対的に下げることが 相手をたてるための思いやりであるところの 謙遜はたしかに美徳ともいえます(それを呼び水に、 相手の口から打ち消してもらったり、褒め言葉を 言わせようと仕向けるためのものではありません※)。 けれどその本質から離れ、たんに社交の形式として 求められるうちに、(けっして優越感からではない) 喜びの発露や表現を抑制することがまま起こります。 また自己洗脳ではありませんが、自分への評価が下がり 自己無価値感や劣等感につながることもありそうです。 自分に許せない物事は、他人にも(気持ちが)許せない。 これはもはや鉄則といえるかも。 自分が自分(や身内)の長所や成功を喜ぶ気持ちを ストレートに表現することを、自身に禁じたままで 他人のそれをともに喜べるわけはないですよね。 誰かが、遠慮も悪びれもなく自慢話をする時 きっと心中穏やかにはいられないはずです。 不快だったり、嫉妬したり、腹が立ったり、落ち込んだり ウンザリすることでしょう。 そう感じてしまうのは、自分自身に良い評価を与えることを 押さえ込んできたからか、自己無価値感/劣等感があるから。 そうと見抜くことで、気軽にうけ流せるようになったり ともに喜んであげられるかと思います。 まぁ〜、自分を強く見せようと誇張して相手を牽制したりする。 大げさな自慢話で虚勢を張らなければならないという社交文化 にも疲労させられますが…^^; このパターンにも、根底には自己無価値感/劣等感への怯えが あるのではないでしょうか? 素直な喜びを表現し合い、共感し合えるように なりたいたいものです^^ ※つまり他者からの評価や承認に依存しているということで 自己無価値感/劣等感の強さの表れといえるかも知れません。 客観的には成功している人にも充分あることです。 コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック) ※また返信や相談を希望される方はコチラへどうぞ^^ アナタも心のお掃除をしませんか?心のゴミ処理場に 大小問わず、ワダカマリを捨てにきてくださいね。 前回のイメージについて
補足を… 「私(アイデンティティ)」という突起でできた 隙間を通過させる全体(を含む)の一部には もちろん他のすべての存在の突起も含みます。 突起同士の通過し合いというか、させ合いというか。 仏教に有名な縁起(因縁生起)という思想がありますが そんな関わり合いを想像しています。 最近の精神世界の傾向として、概念もメソッドも どちらかというと唯識論的な展開が多いように 思いますが、たんに他を己の内と意識するだけではなく その関わり合いの関係性をもって対等であると 考える方が個人的にはしっくりきます。 波動の共鳴だという説明も目にしましたが、この辺りは 理屈抜きでも思い当たるのではないでしょうか? カルマや輪廻というのも、いわば因果がその性質による 関係性でループしてしている状態ではないかと。 関係性がシフトすれば自ずと変化するものです。 だからあるといえばあるし、ないといえばない。 かなりこの分野に興味のある方にしか想像しにくい話に なってしまってスミマセン^^; 絵や写真が、実物ではないように 思想は実相そのものにはなり得ません。 ただ「自分を生きる」ということは、あたかも 絵筆で描く、カメラでとらえるようなことなのかも。 なんだか肝心なことがウマク伝えられていないような もどかしさがありますが、まずはアップしてしまいました。 次回は、また現実的な話題に戻ろうかと思います^^ コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック) ※また返信や相談を希望される方はコチラへどうぞ^^ アナタも心のお掃除をしませんか?心のゴミ処理場に 大小問わず、ワダカマリを捨てにきてくださいね。
当たり前過ぎてまったく気がつかない心という色メガネ。
私達はその色メガネを通して物事を受けとめ、解釈しています。 もはやその色メガネこそが自分だと思い込むまでに。 感覚、つまりは自分を揺るがすお話にお付き合いください^^ 例えば、(個人的に)以前は感覚的にまったく理解できなかった 時間は人間が発明したという話 まず時間自体が人間の概念であるということから 理解しなくてはなりません。 近年、時間の概念を持たない人々(ブラジルのAmondawa族) について話題になりました。 彼らは時を表す言葉を持たず、年齢という概念もなく ライフステージや共同体内の地位に応じて名前さえ変わる。 数も4か5までしかなく、抽象的で測定可能な 「もの」としての時間がない。 研究者曰く 事象を時間に埋め込まれたものと見なすのではなく 事象そのものの世界に生きています。 彼らの心に映る世界は一体どんなものなのでしょうか? ワタシ達(多分あなたも)の時間の概念、もはや基本となる感覚は 時間は「過去→現在→未来」に流れるというものです。 だからこそ因果関係にこだわり、過去を悔やみ、未来を憂える。 ところが、これは「創造主が世界をつくった」とするユダヤ・キリスト 教の伝統に沿った時間観であるという話があります。 アビダルマという仏教哲学には時間は「未来から過去に流れる」 という考えが説かれているそうです。 砂時計を想像してみてください。 砂が上(未来)から下(過去)へと流れ落ちていきます。 きゅっと細く狭まった境界の「今」を瞬時にくぐり抜け… こう考えるだけで、現在は過去の産物などではなく、 未来の産物であり、しかも未来というのは固定されたものではなく、 無限の可能性であり、しかもその未来は(過去の因果ではなく) さらに未来の因果によって決まる、ということになる ーウィキペディアより抜粋 不思議な気分になりませんか? 物理科学の世界でも「膨張している宇宙が収縮する時 エントロピーは増大ではなく減少する。その時、 時間の矢は逆に向く」という話がありました。 物理分野は不得手なので^^;言及したくないのですが。 ごく個人的に感じた(「考えた」ではなく)ビジョンからは どれも時間を異なる切り口から解釈しただけでなのではないか? と思います。 あるモヤッとしたナニカ(宇宙でも世界でもいいのですが) の中におけるワタシ達の存在、その認知や感覚のありかたが 砂時計の最高に狭まった部分であるように想像しました。 砂粒くらいの一部分を、そこを通過させることで観て、 感じて、体験する。 本来の「通過させる」働きによって、変化を感じ それが時間や空間の概念となっていった。 荒唐無稽かも知れませんけれど。 その狭まった突端が各々の「私」のように思うのです。 それも例のナニカの一部が突起してできたもの。 とんがるほどにスムーズに通過しにくくなるし ユルんで、ひっこめば、時空を超えた全体が見える。 なにをどの方向にどのように通過させるのか? 意識次第で体験もその評価も変わるのかも知れません。 「流れている」ように感じているのも、じつはたんなる 勘違いのような気がしてなりません^^ コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック) ※また返信や相談を希望される方はコチラへどうぞ^^ アナタも心のお掃除をしませんか?心のゴミ処理場に 大小問わず、ワダカマリを捨てにきてくださいね。
このブログを始めた当初より、自分や他人の怒りや不機嫌について
折にふれて考えてまいりました。 今にいたって怒りのケアが、とりもなおさず心身のケアの 要のキーであるという思いが強くなっています。 このあたりで今一度考え整理することによって、自分の内や相手の 怒りの感情に冷静に向き合うヒントになれば幸いです。 ・怒りは第二感情(感情のフタ) このような考え方は、最近では一般にも知られるようになりました。 怒りというカタチで感じる/表す反応の前に、それによって覆いたい つまり、感じたくない主感情(第一感情)があるということです。 それは、恐れ、屈辱、劣等感、敗北感、不合理感、悲しさ、悔しさ 従属(被支配)感、無効力感、淋しさなどといった心の傷み。 この傷みへの心の抵抗が怒りの感情ともいえるように思います。 裏を返せば、それらの傷みをそのまま受けとめる(認識する)ことさえ できれば、怒りの反応を別の対応に起き換えることができるのでは ないでしょうか? 怒りがわいた時、何にどう反応して、どんな気持ちを認めたくないのか まずは事後の反省から始めてみると、糸口を発見できそうです。 ・記憶の再生 「なぜかカチンとくる」「気が済まない」多くの場合、過去の経験によって 得た感情(の記憶)が再生されている可能性が高いものです。 おもに成長期に親や先生など権威者に対して抱いたワダカマリが 似たシチュエーションや言葉などの再生ボタンによって再現されます。 やたら神経を逆なでするパートナーの物言いがじつは自分の親に似ていた なんてことは、かなりありがちなこと^^; 双方が過去の記憶の再生によって相手を攻撃する代理戦争をしている ことにさえなりかねません。 また自分の感情を我慢して封じ込めた経験の積み重ねが多い人ほど ささいなことに対しても不相応なまでの怒りが現れることがあります。 ・さらにその怒りを封じること(抑圧)による影響 上にもふれましたが、ありのままの感情を認識(そして表現)することを ひたすら抑え込むことで、その場はしのぐことができても弊害が起こります。 情感に鈍くなる反面、怒りの沸点は低くなる(キレやすい)傾向が出てきます。 自分を責める(内向的な)場合は鬱など心を病んだり、さらには自傷行為に及んだり 他者を攻撃する(外向的な)場合は他者の心身への暴力に及ぶこともあります。 以上のような傾向性やタイプはあるものの、その人、その時々、様々。 ・パワーゲームの土俵から降りるメリット 自分の怒りが相手の怒りを呼び、その相手の怒りが自分の怒りに さらなるエネルギーを注ぐ。 ささいなキッカケ(物の言い方など)が大きな衝突に発展することを 私たちは経験的によく知っていますよね? 一時的に勝敗を分けることができても、心に生じた軋轢は取り消せません。 相手との関係を壊すまで続けてしまう前に先に土俵から降りてみませんか? ここで当然のように自分の側に不戦敗(我慢やあきらめ)を強いることをヨシと する人もいますが、それが土俵から降りることでは決してありません。 潜伏したワダカマリが世代間で受け渡され、次の世代のトラブルとなって 大小さまざまに再生され続けています。 争わないことは勝者も敗者も生み出さない(±0の)こと。 つまり、その時点で心の清算を果たすことだと考えます。 まずは自分の怒りの気持ちを認識・肯定・表現してみてください。 =相手や自分を攻撃することではもちろんありませんよ! 腹をたてているんだな~!アッタマきてるよね。マジ、イラッとしてるわ。 とり合わないことに罪悪感を感じることもあるかも知れませんが 第三者的に(口に出さなくても)呟いてみてください。 自分に対しても、相手に対しても。 その瞬間、怒りの反応に気づく余裕が生まれます。 慣れてくるとそれだけで、怒りが収まって争いが回避できることも。 とくに自分や家族が人間関係や体調不良に悩まされ続けている方 どこかに怒りのマグマが埋もれているかも知れません。 こじれるまでに掘り起こす勇気を持ってみてはいかがでしょうか? ・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ ちなみに(原初の)怒りの解放については、いろいろな手法があります。 今回のトピックは「The Biology of Emotions(感情の生態学)」(英文pdfファイル)を たまたま目にしたことで思いつきました。 Redirecting Self-Therapy (RST)(英文サイト)では、「怒りを向けなおす」 実践的なメソッドも提供されているようですので、興味のある方はどうぞ^^ (個人的には知らず知らず長い時間をかけ、似たプロセスを経たようにも思います) ・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック) ※また返信や相談を希望される方はコチラへどうぞ^^ アナタも心のお掃除をしませんか?心のゴミ処理場に 大小問わず、ワダカマリを捨てにきてくださいね。
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