金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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シアワセの在りか。
以前まで、脳の中で喜怒哀楽といった感情を司るのは
辺縁系(古・旧皮質)だと通りいっぺんに理解していましたが

最近は、本能的な怒りや恐怖といった本能的な感情は
旧皮質。
同じ感情でも、進化の過程で備えるようになった
喜びや悲しみなどの高等な感情は、新皮質
(とくに前頭葉)で生み出されるという説明が目につきます。

この部分は霊長類や一部の哺乳類しか持っていません。

喜びや悲しみなど、とりわけ意義づけや評価によって起こる
感情は別格。…むしろ腑に落ちたような気がします。

小難しい話を脇においても、単純に反応機能としてではなく
意識や人格、思考、自発・柔軟性といった作用が
密接に絡んでいると考えるのが自然ではないでしょうか?

なにを言いたいかというと。

残念ながら、感じ入る/感じ取るという気持ち
たんに快楽ではないシアワセを感じる能力
当たり前にあるものではなく(実感している方も多いでしょうが)、

その感覚・能力を切り拓くモノ。

そんな風に意識して、シアワセの宿るスペース
自分の中に広げていけたらいいなぁ…と考える昨今です。

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by dryangle | 2010-06-17 15:18 | ココロのカラクリ | Comments(5)
Commented by ブルン at 2010-06-19 23:52 x
dryangleさん、お久しぶりです。 今ちょうど、ダニエルギルバートの「幸せはいつもちょっと先にある~期待と妄想の心理学~」という本を読んでいて、シアワセを感じる仕組みについて考えていたところです。 他人がどう見てもシアワセに見えない状況の人でも、本人が自分はシアワセだと思っていたら、シアワセだし、反対に、何不自由なくシアワセそうに見える人でも、不幸な人もいますものね。人間の脳には、きっと何かカラクリがあるはずだと思ったのです。私は自分で実感できる知識が増えるたびに、シアワセになれるのですが、シアワセを感じる仕組みがわかれば、もう怖いものなしになれそうな気がします・・・というふうに、期待して妄想しているからこそ、シアワセってことだったりして。
Commented by dryangle at 2010-06-21 08:24
ブルンさん、お元気ですか?詳しくはないのですが、例えば「悟り」の境地は、左右の脳の意識の統合であるとか、頭頂葉の活動が停止し前頭葉が最大限に活性化することだとか、諸説ありますよね。
ワタシは自分が「思考」の奴隷であると気づきショックを受けて以来、「感性」に意識を向けるようにしています。
その効用なのか、それまで「自分の壁」を乗り越えようとしていたけれど、じつは「自分が壁」であることを感覚的に知ることができたり、新たな視野を得たような気すらします。
思考やその流れをあたかも「自分そのもの」と、誤って認識し続けることがある種の壁と言えるように思います。
「ありのままに感じること」を自分に許すことができた時、自己規定のシアワセにとどまらない幸福感があるのかな?と勝手に想像しています^^。
Commented by 「思考」の奴隷ですか・・・ at 2010-06-21 23:41 x
必要以上に「感性」に振り回されないように「思考」でコントロールできている状態ならば健全だと思うのですが・・・たしかに、幸福感は「感性」によるものであるのが自然なのかもしれませんね。私は考えること自体が楽しいので、「思考」による幸福感でも十分シアワセな気がしてますが、「自分そのもの」ともちょっと違うなという意識はあります。
Commented by dryangle at 2010-06-22 08:59
「思考」することによって充実感や幸福感が生まれるという経験はワタシも実感としてあります。「思考」が悲哀や苦難を回避したり、有意義に過ごすことや喜び・楽しみを得るツールとして役立っている場合ですよね。
つまり「思考」の外側にそのツールの使用者としての「自分」がいるわけです。
この認識が失われると、「思考」にふり回されたり、ついにはあたかも自分自身であるかのように「思考」が「自分」をコントロールするようになってしまいます。
「感性」をコントロールすることが、結果として喜びを減らし、怒りを封じ込め、孤独や絶望感が増すという状態につながっている人も少なからずいるのではないでしょうか?
思考や感性といった活動をする主体としての「自分そのもの」を認識する時、それはちょっとしたコペルニクス的な展開といえるように思います。
Commented by dryangle at 2010-06-23 18:32
ところで後に思いついた余談になりますが…ある深層心理学では
思考―(表層)意識、感情―潜在意識、感覚―無意識といった
それぞれが司るエリア分けがされています。
これがうまく統合されていない(潜在意識の領域に抑圧された感情を抱えている)
ことが、心の不調の原因となると考えられています。
左右の脳の働きの不統合と通じる話なのでしょうか…?^^
ふり回されたくないからこそ、感性の動き、その時々に表れる感情に
意識を向けることが必要かな?と思います。
むしろ人類は扱いにくい感情という働きに意識を向けることを恐れて、
今の脳の使い方や心理の形態を築き上げてきたのではないか?
などと考えたりもしますが。
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