金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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善悪と寛容・非寛容
今回はお伝えしたいことがアタマの中であまりキチンと
まとまっていないのですが…
見切りスタートで書き出してみます。

最近たまたま重なった出来事をキッカケに考えさせられた
テーマです。

他の人の負の部分(行い・考え)
イメージしやすいように、具体的にこれをうそをつくこと
だとしますね。

これに対する考えが、ヒトそれぞれに異なるのは当然だとして。

私は絶対にウソなんてつかない(つけない)
ウソをつこうだなんて信じられない!


私も切羽詰まった時や、咄嗟のウソをついてしまう。
良くないことかも知れないけれど、気持ちはわかる。


とまぁ、このようなコントラストを見せつけられる場面に
やたらと出くわしたわけです。

ワタシ自身それらの負のあり方(上の例えではそのウソ)に
けっして賛同したり共感することはなかったのですが、
前者タイプの人の拒否・拒絶感や反発・攻撃の強さ
ちょっと(いえ、かなり)驚かされました。

善悪で判断すればたしかにヨクナイ。

でも突き放したような、一刀両断の厳しさ
それもあまりヨクナイだろう?と違和感を覚えつつ…

もしかしたら、このタイプの人はまったく同じように自分自身をも
裁き、責めているのではないか?と直感的に思ったのです。

(自他に限らずなにかを)責める気持ちは、怒りはもちろん
恥や罪悪感、恐れや不安となって心の表層に表れるようです。

そんな心の動きに疲労してしまったら

どうして、許せないのだろう?
どうして、理解しようと思えないのだろう?
どうして、瞬時に反感を覚えるのだろう?

ちょっと意識して自分に問いかけてみて下さい。

ささやかなウソから、社会をゆるがす犯罪まで

それに過敏に反応する心の中に、思いもよらない
大きな痛みが隠されていることがあります。

経験から(のみ)感じたことですが
心が健康な人は、ある程度自然な寛容さを持つように
思います。

物事をまずは受け容れてみようと意識することによって
(実際に無理して受け容れることではないです。念のため^^;)
自分の心の強張ってしまった部分に気づかされるのでは
ないでしょうか?

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by dryangle | 2010-06-29 11:13 | 周囲の人との関係 | Comments(8)
Commented by ブルン at 2010-06-30 08:33 x
前回の話ともつながるのですが、前者のウソは絶対許せないタイプに、思考による感情の抑圧を感じます。例えば、表面上は友好的な事を言っていた人が、陰で自分の悪口を言っていること知って傷ついたような経験から、こういうタイプになるのかな? 
Commented by dryangle at 2010-06-30 09:11
たとえばウソが許せないのであれば、やはりウソに傷ついた経験があると想像できます。もしくは「しつけ」の中で厳しく戒められてきたという経緯もあるかも知れませんね(ワタシもテーブルに肘をついて食べている人を見るといまだに多少の嫌悪感があったり^^;)。それにまつわる親の反応によって不快な想いをした経験が根になっていると思います。

そのような物事が増えに増えて、「許せなさ・責める気持ち(コレ自体が不快な感情ですものね)」にがんじがらめになることが「生きづらさ」につながるとはいえないでしょうか?

前者のタイプの方が自分を変えようと『受容』の努力を始めた時に、次に苦しむのが「許せない(受け容れられない)自分を許せない(受け容れられない)」というジレンマだといえるかも知れません。
この場合、許せない自分を「許せる」ことが大切なのです。それでは何も変わってない?いえいえ、「気づいて(意識して)まず自分を許している」という一点が大きな進歩であり、突破口でもあるのです。オセロゲームの角を埋めたようなものです^^。
Commented by ブルン at 2010-06-30 17:58 x
傷ついた経験由来の「許せない」って思いは潜在意識のエリアにある感性によるものですよね。それが意識できるようになると、表層に浮かび上がってきて思考のエリアに移動するのでしょうか。「許せない」自分を意識できるって、思考が感性を支配下においているというのか、寛容であるというか、どっちなんでしょう?
Commented by dryangle at 2010-07-02 09:25
トラウマケアなどのセラピーでは、強く不快な感情を「自覚的に言語化する(新皮質の働きへとつなぐ)・潜在意識⇒顕在意識」ことによって緩和できる、というような説明がされています。
また感情を想起してそのままイメージ化して感じ切って開放するという方法もあります。開放テクニックの多くが言葉(アファメーションなど)やイメージを用いるというのは、やはり同じ構造の手法だといえそうです。
旧脳の感情を生む根っこは、意識の表層にある(自覚できる)ものではないため、予想・予期ができず起こった感情にふり回されることになりますが、予め顕在意識(自覚)の領域につなげるルートを築いておく(気づく・意識できる)ことで気持ちの対処がしやすくなると理解しています。
これは個人的な考えですが、思考など(新皮質)エリアが感情を支配下に置いたり、寛容にしたりというよりは、意識(思考・感情・感覚)エリアの総体が紛れもなく「自分」の座であり、それぞれの働きが環境に即して統合・調和するバランスのとれた状態が理想なのではないでしょうか?
Commented by ブルン at 2010-07-02 23:45 x
続けちゃっていいですか。。。何度もすみません。総体が「自分」の座であり、その働きがバランスのとれた状態とは、どのように「自分」で知ることができるのでしょうか? どんな風になれば、「気づいた」と言って良いのか定義が欲しいです。 例えば、体調も良いし、精神状態も良いし、頭脳も明晰だわ~っなんて自分で感じた時ですか? こんなことを疑問に思うことは、気づいてないってことなんでしょうか?
Commented by dryangle at 2010-07-03 15:17
定義ですか~!なんとかうまく説明したいのですが、いくら言葉を尽くしたとしても、たとえば「自転車の乗り方・逆上がりの仕方」といった以上に表現ができないと思います。
自転車に乗れてしまえば、逆上がりができてしまえば、「できた」ことやその方法は本人が体感できますよね^^;。
「気づく」って、それと似たモノのように思います。ワタシ自身はどこまで「気づく」ことができているのか?定かではないのですが、小さな「コレ!」といった瞬間の積み重ねです。
Commented by ブルン at 2010-07-03 18:44 x
お返事ありがとうございます。 う~ん、なんだか、わかったような、わからないような・・・感じなんですが、とても主観的なものなんですね。結局、本人が気づいたって思い込みさえすればいいのわけで、そんな曖昧なことだったのですね。コペルニクス的だ仰ったので、もっとすごい感覚なのかと勝手に期待してしまいました。
Commented by dryangle at 2010-07-03 23:16
自転車や逆上がりを例にあげましたが、頭や理屈でしか知らないナニカを「体感」して衝撃を受けた経験はありませんか?
「気づき」にもいろいろあるのでしょうが、初めて頭に流れる言葉(思考)だけが「自分」ではないと自覚(体感?)したそれは、ワタシには衝撃でした。
たしかに「主観的な思い込み」と言われれば、その通りかも知れません。
実はワタシも初めて逆上がりができた瞬間の喜びというものを体感したことがない(そう、できないまま^^;)ですから、当然他人のそれは「主観的な思い込み」に過ぎませんよね^^。
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