金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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『人間はとても複雑な生き物である反面
短絡的に物事を把握しようとする。』

どこかで目にして「たしかに…」と同感した言葉ですが
これは脳科学的な認知機能に根拠のある話のようです。

ザックリと言ってしまえば、物事の認知から判断までの
プロセスを省エネのために(!)記憶や情報に照合して
似通ったルートを通し判断に結びつける。

ワタシ達は習性としてほぼ無意識にそれを行っています。  

カテゴライズやラベリング、タイプ分けといったものは
そのために大活躍の整理術だといえますが、その反面で
決めつけや先入観、偏見といった弊害も生み出します。

一方人間の複雑さというのは、結果として得た判断に
対する反応(感じ方)の多様性だといえます。

物事を短絡的に把握(判断)する割には、その内容も
評価も、生じる感情も、対応も人それぞれ。
もちろん似た傾向性というのはありますが、それを
過信すると誤解や摩擦、衝突が起こります。

モノからポリ(均一性から多様性)へ変化のめざましい
昨今、対人関係でもそれぞれのギャップが目に見えて
増したように思います。

個々人の反応(感じ方)の違いについては、その是否を
争うことや一般(共通)化すべきという従来のやり方ではなく
互いとの折り合いのつけ方を学ぶという新時代がきていると
いえるのかも知れません。

基本自己本位のワタシ達には、これがじつにムズカシイ^^:

理性で自分や相手を説き伏せても、気持ちが納得しないという
経験に覚えのある人も多いのではないでしょうか?

それはうまく心(気持ち)を交流させることに
失敗した、スムーズにいかなかったからだといえそうです。

例えれば、逆上がりの運動理論やコツを議論することと
逆上がりの体が浮くカンジや、できないもどかしさといった
体感を伝え共有することは別のものですよね。

どちらも言葉を使うコミュニケーションには変わりありませんが
前者は論理力が必要だとすれば、後者は共感力ともいえる能力
(一説には脳の性別によっても能力差があるそうで)が重要。

気持ちを交流させるためには、後者のスキルがキーとなります。

論の立つ人が、すなわち心惹かれる人とはいかないわけです。

コミュニケーションの場面で、各々この辺りが混乱することで
関係自体の混乱につながってしまうこともしばしばあるようです。

想いを理屈で述べようとしたり、議論が感情的になったり

そのような関わり方はじつは本質では、論理的な到達点というより
むしろ自分の気持ちの到達点(落としどころ?)を、お互いに
求め合っているのではないか?と思えてなりません。

むしろすべてのコミュニケーションにおいて、その裏側にある
この気持ちの求め合い(奪い合い?)や駆け引きの影響が強く
作用しているといえるのかも知れません。

対立の深さは、親和への渇望の強さ

共感力を駆使して、相手と自分の気持ちを交流させる。
互いを満たし合うことを前提としたつながりからは、また違った
そして素敵なコミュニケーションが生まれるのではないでしょうか?


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by dryangle | 2011-02-17 10:00 | 周囲の人との関係 | Comments(5)
Commented by ハル at 2011-02-18 10:19 x
昔の同僚で、「あっ、それわかります!」と頻繁に共感してくれるのだけれど、後に続くコメントで私の真意は伝わっていないと気付き、度々苦笑せざるを得なかったのを思い出しました。
毎日一緒に働いていてもそうなのですから、バックグラウンドも何も知らない人(ネット上の交流)に、自分が伝えたい事を伝えるのはとても難しいと思います。

私は「たぶん、自分はこの人の書いている事を正しく理解できている。」と認識できて、自分も一緒に考えてみたいなと思った時に、コメントを書かせて貰っていますが、スレ主さんからすれば「全くズレていた」という事も充分考えられますね。

子供の頃、ペンパルとか言う文通が流行っていたのですが、普段うるさい事は言わない母が「それだけはダメ!実際に会える人と仲良くしなさい」と許してくれませんでした。母は文学少女でしたがそれだけに、虚構の世界?に浸る事を怖れる気持ちが強かったのかなと今は思います。

ネット上で沢山のことを教えてもらって本当に有難いと思う一方で、自分が生きている事を認めてくれるのは、実際に顔を合わせる人達であって、更に有難い存在なのだと考える私です。






Commented by dryangle at 2011-02-18 11:51
ハルさん、こんにちは^^ 
リアルな会話では、けっこう些細な誤解や勘違いを互いに妥協し(大目にみ)ながら進んでいきますよね。
声のトーンや表情、間合いといった情報量が増えれば、より真意を汲みやすいでしょうし、相手に対する好意があればあるほどスムーズにいくように思います。
このスキルにもそれぞれ能力差があることは否めませんし、人間関係のトラブルの一端にもなっていますが、そうと気づいているだけで展開はまた変わるように思います。

ハルさんのお母さまのおっしゃったことも合理的で、相手のリアリティが薄いほどに、自分の認識を「投影するスクリーン」に仕立て上げてしまいがちです。
それと認識した相手像、伝わってきたことがリアルに近いのか?虚像であるのか?「心でつながる」経験の長けた人ほど、その誤差を調整してうまく反応することができるのかも知れません。
かくいうワタシもこのレスも含めて、もしかしたらやっぱり「ズレているかも」という可能性はつねに感じています。

一方でズレを修正するために。「心を通わせる」という目的を最優先する場合には、時に自分の中の一貫性を破る勇気もいるかと思います。
Commented by dryangle at 2011-02-18 12:58
●(以下の内容に思い当たる方へ)この場を借りて●
今回所々のルートから、最近のある一連のスレッドについてのコメントを求められました。
するどくも「繰り返し」を見抜かれている方もいらっしゃいましたが、
ワタシについても、やはり昨年の今頃に書かせていただいた「コントロール•ドラマ」についての一連の記事(http://dryangle.exblog.jp/10776369/「GAMEs - at the society in epitome」&http://dryangle.exblog.jp/10833897/「鏡に映るヴァンパイア」)あたりの内容と所感が変わっていません。ご再読いただければ、あらためて感じるものもあるかも知れません。
なお基本的に一般論として書いておりますので、もし当事者の方々にとって不快な表現があるとしたら、どうかお許しください。
Commented by ハル at 2011-02-18 17:00 x
dryangleさんの「鏡の中のヴァンパイア」、改めて読ませていただきました。

dryangleさんがおっしゃる、「時に自分の中の一貫性を破る勇気」というのは、相手が咀嚼できるように、シナリオ?を書くというような意味でしょうか?そうだとすると、確かに、カウンセラーならそれが当然の様に求められるのでしょうね。
一般人としては、「よくわからないのでスルーする」か、「貴方の書いている事はよくわかりませんけど・・・」と言いながら関わっていく、という選択になってしまうのでしょうか。

女性は「あそこのカレー、辛かった。」とつぶやいただけで、しばらく話せるが、男性は「何が言いたいのか?」と困る、というオレンジページでの記事を読んだ時、笑ってしまいました。同じ女性でも、「ただ愚痴として聞いて欲しいだけ」か「アドバイスが欲しい」場合がありますよね。私は自分自身、意見を聞きたい時・相手にしかそんな話をしないので、ただ愚痴りたい人には敬遠されていそうです。その事だけでも、コミュニケーションには大きなすれ違いが生まれますね。ましてや”kick me!"の出現の可能性まであると、お手上げです。


Commented by dryangle at 2011-02-19 11:56
>「時に自分の中の一貫性を破る勇気」
ごめんなさい。抽象的な言い方に過ぎましたね。ワタシ自身が咀嚼できていなかったようです^^: 
相手を受け容れるには、たとえば自分の信念のようなものの「枠」というかフィルターのようなものを意識して外した受容体が必要になるかも知れない…と。
おっしゃるように、カウンセラーなど相手の心に「癒しを目的とした」アクセスを行う場合といえますが、通常でも必要な場面に応用できるのではないかと思います。
ゲームを横行させないために。仕掛人や踊る人の「気づき」につながるアプローチ能力を得たいとワタシも思います。

お話にあったカレーの会話のような時は、ワタシは自分のコンディションによって、愚痴だと聞き流したり、ここぞと意見を言ったり、変わります。相手のコンディションとフィットする時には、どちらにせようまく流れるようで、やはり考え方の齟齬よりも「気持ちの齟齬」なのかなぁ?と感じさせられます。
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