金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


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自分の価値って?
みなさんが自分について、強く認識したのは
いつ頃のことでしょうか?

思い出すのは7・8歳の頃だったでしょうか
ふと自分という存在に興味を持ち始め
手にしたメジャーでそれぞれの指の長さから腕、足、顔など
思いつく限りいろいろな部分の長さと太さをを計り
紙に記した記憶があります。

さかのぼる限り、自分という存在に関心を持った
初めての記憶だったように思います。

その頃はまだ、認識した自分(例えば身体のサイズ)に対して
良し悪しや是否などの評価をすることを知りませんでした。

…いつからだろう?それを評価するようになったのは?

自分に気づいてほどなく、外側にそれを
評価する基準があることを知るようになりました。

あの日、メジャーで身体のサイズを計ることに夢中になったように
さまざまな尺度によって、自分(の能力、技能、成果)を計ることに
興じはじめました。

ところがいつしか歴然と他者からの評価の機会の方が増し、優先され
その価値自体(評価を高めること)が、自分の存在の条件だと
思い込むようになってしまったのです。

自分の存在価値を探し、さらに高めようと悩み、もがき、努力し…
時に停滞し、挫折しながらもそうあるべきという
強迫観念がすっかり出来上がっていきました。

そのまま大人としてずいぶん長くやっていると、新たに

その評価の尺度や比重が曖昧、かつ千差万別で
その評価を与える側よりも求める側が絶対的に過剰であること。

「認められたい」が、積極的受け身ともいえる「認めさせたい」にまで
発展し、「認めさせ合う」対立(競争)関係に疲れ果てている人が多いこと。

…などに気づき始めました。

自分の価値とは、そんな逆境の中にあって誰かから自己の存在の
評価や承認を得る(認めさせる?)ための武器に過ぎないのでしょうか?

純粋に自分にとっての自分の価値とは?

それは自分の価値をひたすらに保とうとする強迫観念とは
対極にあるベツモノといえるのかも知れません。

次回は、そのベツモノについてさらに掘り下げてみたいと思います。

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by dryangle | 2011-05-10 09:53 | ココロのカラクリ | Comments(0)
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Illustration by ふわふわ。り