金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


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「私」を身につけた時
以前の話題で、幼い頃に自分を認識し始めた頃の記憶について
書かせていただきましたが、ふと面白いことに気がつきました。

その時期の前までか、重なるような頃に
自分を「私」と呼ぶようになっていたことです。

それまでは、家族や他の人が呼ぶ「◯◯ちゃん」という
三人称を自分に対しても使っていたように思います。

注意こそしてきませんでしたが、我が子も、またそのお友達も
(ニ言語だったので、思えばとくに日本語において)
同じようなプロセスがあったように記憶しています。
セサミストリートのエルモもそんな話し方をしていますよね^^

自分を三人称で扱うことをイリイズム※というそうですが
自分の心と向き合いたい時、つまり自分を客体視したい場合に
個人的に使ってみると効果的なように思います。

「◯◯(自分の名前)さんは、
××であることに抵抗しているんだ〜!」

…前回の話題に沿ってみれば、こんなカンジに。

ちょっと新鮮で不思議な感覚がありませんか?
なかには普段から自分に違和感のある人もいるかも知れません。

そう考えると、子どもの自分に対する人称代名詞の変化は
アイデンティティの確立の序章に当たるような気がします。

それは自我の成長プロセスの開始であると同時に
自我を背負う始まりともいえるのではないでしょうか。

これを逆手にとって、自分を三人称(または二人称)で
表現してみることで、ぜひ「私」を外した感覚を
今一度思い出してみませんか?

それを表現する主体はいったい誰なのでしょう?^^

※ IlleismーIlleism is the act of referring to oneself in the third person instead of the more appropriate first person.
Illeism clear the role of first-person language such as English is "wrong" while often it is an issue as language usage, the name of their children without another adult in several languages such as Thai Some languages may not point to my problem.
Young children in Japan commonly refer to themselves by their own name (a habit probably picked from their elders who would normally refer to them by name, this is due to the normal Japanese way of speaking where referring to another in the third person is considered more polite rather than using the Japanese words for "you", like Omae[3]) though as the children grow older they normally switch over to using first person references. Japanese Idols also may refer to themselves as so to give of the feeling of childlike cuteness.
(ウィキペディアより一部抜粋)

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by dryangle | 2011-10-27 13:18 | ココロのカラクリ | Comments(3)
Commented by CH at 2011-11-03 01:57 x
dryangleさん、

こんにちは。この話しはとても興味深く読みました。
日本には多いのかもしれませんが、私もそういえば家族の中では今でも"私”と使えないのです。自分のこと今までずっと三人称だったので、今でもそうです。はずかしくて、"私”と今更言えないのです。ちょっと考えるヒントになりました。
Commented by dryangle at 2011-11-04 08:26
CHさん、お久しぶりです^^CHさんのお話も考えるヒントとなりそうです。
今アーリーティーンの我が子がごくたまに自分を名前(大抵は愛称)で表現する場合は、ちょっと甘えてくるような時だと思います。赤ちゃん返りしたようなそぶりですね。
こちらの目には、なにか壁を取り払ったような素直なカンジに映るのが不思議です。
Commented by CH at 2011-11-04 23:25 x
dryangleさん、覚えていていただいて光栄です。
今日はこのことをブログに書いてみました。
そういえば、うちの息子もそんなところがあるかもしれないですね。甘えているとき。確かにそうです。
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