金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


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読み逃げ禁止!?の心の奥
今日、こんな記事が目にとまりました。

ワタシも好んで興味ある話題のBLOGを読ませていただきますし
コメントを残すこともキライではないです(わりと交流好き^^)。
MIXIは、グループのメンバーが訪問履歴(足あと)を残していく
システムとはいえ、コメントなどのカキコミを残さないことが失礼
という発想には、正直大変驚きました。

してくれ症候群?の言葉がアタマをかすめましたが
その症状の代表的なものである恩着せ要求(脅迫?)パターン
(これも勝手な名づけなのですが^^;)なのではないでしょうか?

自分の(精神的)欲求を満たす責任を相手に負わせようとする
という自己愛性格の典型的な傾向性のように感じましたが
「失礼」という、さも道義に背くような言い分で自分側の
要求を正当化している(つまり脅迫している)に過ぎません。

誰もが自分の行動を自己決定する独立した人格を持つ
ということが、多分感覚的に理解できないのではないでしょうか?
独立した人格を持つ個人にナニカを求める場合には、本来
依頼・お願いパターン
になりそうなものです。

悲しいことに、このような人々は、まずそもそも自分自身が
自分の行動を自己決定する独立した人格を持つ
という自信や自覚を得ていないようにも思います。
それを育む機会や権利を奪われてきた結果なのかも知れません。

真の自己決定による行動は、それだけで自分を満足させるものです。
それが叶わないために、他の人に自分のしたことをアピールし
見返りを要求する
というような気持ちになるのではないでしょうか?

世間には、この心理が絡み合った社交辞令があふれていますよね。
この恩着せ・要求(脅迫?)パターンに、必死に応えようとして
精神を消耗している人もいます。

疲れる人間関係ですね~(〃´o`)=3

自分の心が望んでいることを正直に選択できる人は
他の人の選択にも寛容になれるでしょうし
その自分で自分の心を満たすことのできる人こそが
他の人の心を満たすための行為を自発的にできるのだと思います。

気持ちを要求し合うのではなく、満たし合う流れ
なんとか向かないものでしょうか?

あ、そこのアナタ。読み逃げしないでくださいね(^|0|^) オーイ!!
冗談ですって…(^∇^)

ご参考までに→神経症的要求
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by dryangle | 2007-03-22 14:20 | 周囲の人との関係 | Comments(2)
Commented by ハル@米 at 2007-03-22 23:00 x
dryangleさん、またお邪魔します。ブログと言うものに関して、自分が感じている事に近いご意見を述べておられるので、「そう、そう・・」と出てきました。自分の周りでブログを開設したといって、案内をくれる人が増えて来ていますが、正直なところ、それを覗いてみて、『えっー!こんな人(考え方)とは知らなかった。(がっかり)』と気付くケースが殆ど。(ある意味、お互い誤解し合っていた現実を知るには有効かもしれませんが。)そして、コメントで、そのブログの主の事をこぞって”抽象的に”賛美しているのが、不気味だと私は感じてしまうのです。”すごーい”とか”かわいーい””憧れます”とか。私の場合大抵は、一度か二度見ただけで、ブログを覗かないばかりか、交際に距離を置く結果となっています。日記を公開しているようなブログ。その日記をどんな人に覗かれるか分からないブログ。かなりの覚悟(器)がいるものだと思うし、常に自分を冷静に見つめる能力を保ち続ける事も必要かと思います。そうでなければ、ネガティブコメントで病気になったり、ヨイショコメントの交換で自分だけの世界にこもったり・・・ということになりそうです。








Commented by dryangle at 2007-03-23 09:56 x
社交辞令の定型句のような言葉は、受け手もそれを感じ取ってしまいそうなものですね。
とはいえ、誰かの御宅に招かれた時に手土産を持参しない罪悪感にも似て、やはり「評価(多くは賞賛)」というプレゼントをしなければ!と思うのでしょうね(素直に真心からの気持ちだという方もいるでしょうが)。手ぶらで来た人はあとで軽蔑されたりもしますから。
こちら側は「なにも持たないで来てね~」と本心で言っているつもりでも、それをタテマエや甚だしくは「要求」と受けとる方もいるようで(^▽^; )...日本の社交文化はムズカシイです。
タテマエを見せ合う交流に慣れてしまうと「人の心とふれ合った」という実感がなく、その心はますます孤独になってしまいそう。
ブログという場所ですら、ヨイショコメントの交換に精を出して交流を図ったつもりで、徒労感だけが残る…という具合になりそうな気がします。
「本音を語り合う」には、便利な場所だと思うんですけどね。

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