金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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"自分"に疲れていません?
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心が極楽に住める方法
変えようとしてもなかなか変わらない性格
ふとしたキッカケでコロコロ変わる気持ち

についてアレコレ知り、想ううちに

心の変化に対するイメージは化学反応のようなモノ
だと感じるようになりました。

人でも芸術でも、物事でも、自分以外のに触れ
ヒトのは良くも悪くも変化する。
もしかすると、八方ふさがりの自分のを変えるためには、
自分以外のに触れることが必要だともいえないでしょうか?

そんなことを考えるたびに、仏教説話の↓長い箸の話をイメージします。

極楽も地獄も全く同じような場所であるという話です。
どちらの世界にもテーブルの上にご馳走が並んでいますが
お箸が異常に長いそうです。
極楽では、席が向かい合ったもの同士が、お互いの長い箸で
食べ物を相手の口に運んでみんなが楽しく満腹になれるのですが
地獄ではだれもが長い箸をつかって相手の席の食べ物を奪おうと
するので、うまく食事が出来ず、皆がいつまでたってもご馳走を前に
お腹をすかせているのです。


この食べ物を、人の心の栄養に置き換えてみると
まさにこの世そのものの感がありませんか?

今、人のが飢えきっている状況は

目の前にいる人の心を満たそうとせずに、我先に奪おうとする
地獄絵図といえるのかも知れません。

この場所を極楽にする方法が見えてきませんか?

※キリスト教関連では長いスプーンの話になっているようです。
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by dryangle | 2007-06-01 20:04 | ココロと思想 | Comments(2)
Commented by ハル@米 at 2007-06-02 08:23 x
「自分以外の心に触れること」・・・実は私も、自分の経験も踏まえて、同じように考えます。もうかなり前の事ですが、ある人に出会ってとってもとっても疲れた事があります。(勿論自分も悪いのですが)それで、「人になるべく会わずに済む」というのを第一条件に仕事を探したりもしました。ひきこもりになれる環境だったら、しばらくそうしていたでしょう。『これって、オカルトっぽいもの?』とさえ感じたほどでした。でも、暫くして落ち着くと、「人に会うことでしか解決しないな」と感じました。(SHさんのサイトでの、dryangleさんのロブスターのお話の引用、とっても共感しました。)子供の頃や若い頃は、かわいがってもらって、面倒を見てもらって、感謝しつつ過ごしつつも、いつまでもそれではいけないんですよね。早い時期に、相手の心を満たす術を身につけた人から順番に本当の意味で幸せになっていくのではないでしょうか?(幸せ=結婚という意味ではないです。)
Commented by dryangle at 2007-06-02 17:55 x
ハルさん、コメントをありがとうございます!
当然ですが「相手の心を満たす術」も生まれながらに備わる能力ではありませんよね。成長過程で周囲の人が(儀礼や見返りのためではなく)相手を想い、ふるまう姿を学ぶのだと思います。「大切にされた」という実感のある人が、誰かを大切にすることを知るのではないでしょうか?
ワタシは誰かの心を満たす術が劣っているなぁと、しょっちゅう自省しています。想いはあっても、具体的に働きかける言葉や行為が浮かばないことが多いのです。それを得るための「体験の少なさ」に思い当たりガクゼンとしましたっけ。
「無知の知」を知ることができただけでも幸いだと感じますが。
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