ごあいさつ
自分を生きることに
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(前回からの続きです)
人の心にダイレクトに作用するものは、表面の行為の種類ではなく その心のあり方なのではないでしょうか? 愛は相手の幸福を願い、相手を癒そうと努めること。 そのためのコミットメントは本人は苦痛を伴いません。 むしろ与えることによって喜びや満足というエネルギーを還元します。 ところが、愛を伴わない犠牲は明らかに抵抗や苦痛を伴います。 意に反していたり、心に余裕のないままに差し出し・持っていかれる痛みです。 結果として、こちら側が得るものへの思惑が外れると憎しみをも生み出します。 相手へと差し出す行為の目に見える部分が同じであっても その関係の成り行きは全く違ったものになっていくのです。 犠牲によって支えられた関係は、やがて必ずなんらかの歪みが起こり 破綻へと向かうものではないでしょうか? 前述の話であれば、木の幸・不幸も、さらにはちびっこのそれも ストーリーの結末は、木の真意によって変わってしまうように思うのです。 あなたと周囲の人との関係は 愛に支えられていますか?それとも犠牲に支えられていますか? *便宜上、愛という言葉を多く使わせていただいていますが 慈愛や仁、charityといった意味合いを意図しています。 また犠牲については、我慢という言葉に置き換えてみても いいかも知れませんね。
by dryangle
| 2007-08-10 03:32
| 周囲の人との関係
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