金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


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心の標準化?
2002年に、日本の小中学校で道徳の副教材として
配布されたこころのノートが議論を呼んでいたこと
を知りました。

自分にとっての価値ある人生とは何なのか?
このような問題には、もちろん正解などはなく
標準的な考え方を受け容れればそれでOK
というものではない
という考え方がある一方で

同じ組織の人たちが 同じ理想や理念を
心に標準化すること 、理解や共感できることが
組織の持続と成長のために最も大切なこと

考える向きもあります。

学校においては、もっと強く子どもたちに
正しい考え方を受け容れさせていくべきだという
考え方が強くなってきているようです。

個人を優先する視点と、集団を優先する視点と
視点が違えば、正しい考え方も違う
これはしごく当然のこと。

とはいえ、多くの人が問題や物事に対して
指標や正しさ・常識といった普遍のモノサシを求め
さ迷っているのが現実です。
自分の信念を他の人に押しつける人もいますね。

標準化されたあり方や押しつけられたあり方に
無理に自分や他の人の心を従わせようとして
心が病んで(傷つけられて)しまう人がいます。

そういった心の傷みに近づき、ふれるたびに
そしてその人なり(他の評価に頼らず)に 
自分の価値を自覚した笑顔に接するたびに

心のあり方に標準や正解はない
と痛感させられる日々です。

…あ、ワタシ達が正解のない問題に向き合うという
教育を受けてこなかったのは確かかも知れません^^;
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by dryangle | 2007-09-12 12:00 | ココロと思想 | Comments(7)
Commented by ハル@jp at 2007-09-13 09:03 x
dryangleさんの意図されるところを読み取っていなかったらすみません。
『もう何十年も、あーでもない、こうでもないとやって来たんだなぁ。』と自分自身のことを振り返ることがあります。
時間や感情の浪費も沢山したな、と思います。(仕方ないですね。)

”心のあり方に標準や正解はない”というのは同感ですが、自分が、そしてひいては社会がより良くなるには、『思いたいように思う』『言いたいように言う』『やりたいようにする』では埒があかないと思うんです。

”正解のない問題に向き合う”との表現と同じかどうかわかりませんが、個人個人にタイムリーな話し合いや意見交換というのが、家庭や学校で実現すれば良いと思います。(精神年齢の差は大きいので集団では限界がありそう)

「・・・しなければならない」事はとても少なく、大抵は「こうした方が良い」だと思うんです。自然にそれを学ぶ機会をもつというのは大切だと思います。









Commented by dryangle at 2007-09-13 10:06
集団(社会)は個人が構成するもの。
個々人が理想の社会を描き、他の人のそれと調整をとりながら目指すという意味で、"心を合わせる"ことは大切だとワタシも考えています。
『思いたいように思う』『言いたいように言う』『やりたいようにする』といった"まず自らの意志を認識・表明できる"という前提の上に、では集団(社会)の(公益)のためには、どう折り合いをつけて(心を合わせて)いったらいいのか?というスキルを、互いに磨いていくことが必要だと思います。
この場合の"心を合わせる"は、感覚をある規格に統一すること(心の標準化)ではなく、状況に応じて互いを考慮した最善(妥協?^^;)を模索するべく向きを合わせることです。
このノウハウのないままに"(個の感覚の)自由化"が進んでしまった結果としての混乱が、今の社会の状態とはいえないでしょうか?
…続きます
Commented by dryangle at 2007-09-13 10:06
…続きです
身近な世間から国際関係まで、一方の感覚の押しつけによって蹂躙や対立が起こってきたように思います。
社会のあり方が、権力や権威による統一ではなく、構成する個々人の"意志や自律"の統合に委ねられる時代が近づいていると考えているのです。…ワタシの個人的な希望かも知れませんが^^;
そのためにも多様性を前提とした上での"心を合わせる能力"を構築することが、共通の課題といえるかも知れません。
ちなみに最近diversity(多様性)という言葉をやたらと目や耳にしています。問題が地球規模に至って、これに向き合うことが課題になっているのでしょうね。
Commented by dryangle at 2007-09-13 10:14
…さらに
ハルさんの「個人個人にタイムリーな話し合いや意見交換というのが、家庭や学校で実現すれば良い」というお考えに同感です。まさに上に書かせていただいたようなスキルアップのために重要なことですよね。
子供ばかりではなく、社会の中でワタシ達大人が率先する姿勢を見せなければ…と思います。
Commented by ハル@jp at 2007-09-14 09:21 x
お返事をありがとうございます。肝心の”こころのノート”を私が知らないので、dryangleさんの意図するところを読みきれないのかもしれません。所謂、感覚の画一化を狙ったもので、考える余地を全く与えないような押し付けがましい内容なのでしょうか?だとするとぞっとしますね。

自らをクリスチャン、或いは仏教徒と表現する人に至っても、”画一化”は全くされていないなぁ・・と常日頃感じているので、人(子ども)がそう容易に”標準的な考え方を受け入れる”とは思えない私です。(昔の)道徳のようなものを頭の片隅において、あとは個人個人の経験に照らし合わせながら”真実”を体得して行く、というのはあながち害があるとは思いません。
考えるきっかけにもなると思います。批判から始まっても良いと思います。(ちなみに、私は世の中に”真実”は存在すると思っています。)




Commented by dryangle at 2007-09-14 10:05
後から読み返してみると、内容が"こころのノート"からイッキに飛躍してしまっていますね^^;話が自分の中だけで進行してしまって、それをきちんと順に言葉でお伝えできないワタシの方の落ち度です。フィードバックをいただくことで、それ(一人相撲)に気がつくことができるのを嬉しく思います。ハル@jpさん、本当に感謝しきりです。

"こころのノート"が「考える余地を全く与えないような押し付けがましい内容」かどうか?は受け手の感覚によって、大きく異なるかと思います。当時は提案者の故・河合隼雄氏と他の心理学者の間などで
大きく議論されたようですが、ネットで検索してみると今も賛否両論
に分かれているようです。ハル@jpさんが「クリスチャン」や「仏教徒」を例としてあげて下さったように、『こころの拠所』として宗教に帰する人も多いかと思います。その「こころの問題」を、『国家』が教育の場で主導するということに強い抵抗を感じる方も多いのだろうと想像します。
…さらに続けることをお許しください^^;
Commented by dryangle at 2007-09-14 10:16
ワタシもどちらかというと民主主義国としての「市民教育」の方に重点を置いて欲しいと願いますが、家庭や社会で「こころが置き去り」になりがちな現状、誰がどのようにその重要な役割を担うか?が大きな課題であることには違いありませんね。

現実には、ハル@jpさんのおっしゃるように「人(子ども)がそう容易に”標準的な考え方を受け入れる”とは思えない」かも知れません。
仏教説話の中にあったような「(苦い)クスリまで受け入れない」状態になるのも問題ですが、考えずに「甘い毒」を受け入れてしまうのは恐ろしいことですね。それが『自分にとって』クスリなのか?毒なのか?、選択できる自由がやはり必要なのだと思います。
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