金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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心の独り立ち
経済(お金の使い方)と異性関係(恋愛&セックス)
これには、個々人の感覚の違いがつぶさにあらわれるように思います。

法律・宗教・道徳・一般常識・社会通念・モラル
家の方針・親の方針…などなど
古来から人はさまざまに、その心と行動を規制するルールを
作ってきました。

そして新たに育つ世代に、そのルールを観念としてしつけます。
時にそれは意識的であったり、無意識であったり。

現代はある程度の範囲については、心まで厳しく規制されることなく
個々人の感覚に委ねられる社会が増えてきましたよね。
それにつれ、物事に対する観念や感覚の幅も人によって多様化
してきました。

ところが。
人によっては、いまだに心まで厳しく規制されているのです。

その根っこが、自分の意志によるコントロールでないとすれば
ある物事に心の内で怖れや不安、罪悪感を抱き、自分にそれを許せない
(または強いる)観念や感覚を持ち続けているのではないでしょうか?
そのような状態を繰り返して生きることは、苦しいに違いありません。
また、その観念による縛りのない人に対して怒りや嫉妬を覚える
こともあるのではないでしょうか?

心から楽しいということがない
ささいな出来事にふれる度にイライラする
度をこす・ハメを外すと不安になる
自分や誰かに、許せないと思うことが多い。

そんなことはありませんか?

心の中はその人の自由な世界

たとえある一定のルールでは好ましいといえないことを考え、想像したとしても
(社会にその概念が存在して、それを知る機会があったということの証明です)
それを自分や他の人に許してあげてもいいように思います。

道徳にしても不道徳にしても、他の人の心まで縛ろうとしたり要求したり
することで、対立や悲劇が起きているのではないでしょうか?

想いは自由

…ただし行動についてはそうとも言い切れませんね。

社会的な規制や縛りが緩んだ時に、その人がどこまで周囲に配慮し、
どう行動するかの選択に、その人となりが如実に現れるのです。

自分の中に培った観念や感覚を知り、それだけにコダワルことなく
自分のため、誰かのために、より良い観念や感覚、そして行動を
自分の意志で、選択できることが独り立ちした精神なのだと
いえるように思います。
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by dryangle | 2007-10-21 16:55 | ココロと思想 | Comments(0)
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