金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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これまでの経験や情報から、心の不調(慢性的な陰鬱さ、怖れや
不安の発作、怒りの感情爆発など)、なにかにふれてわき上がる
罪悪感・劣等感・被害(被責)意識≒損失恐怖?などといった
感情的な苦痛を引き起こす意識から、とっさに逃げようとする
反射的な防御反応が常態化しているということではないか?と
考えるようになりました。

その中でも、とくに罪悪感について。

古今東西、明らかな罪を犯すまでもない人を苦しめてきたものは
他の人の不幸や不運、不機嫌を目の当たりにして、自分の責任や
後めたさを感じさせられる無実の罪悪感です。

その根源は親に認められたいという成長過程に当たり前の欲求が
叶えられない、つまり親の期待や要求に応えられない際に覚えた
依存心が脅かされる苦悩(「見捨てられ不安」という言葉も)。
さらにはこれに親の不機嫌や衝動的な暴力、執拗なハラスメント
といった(身体や精神への)攻撃性のある罰が加わることにより
その贖罪としての感情=罪悪感が強化されて植えつけられます

賞罰は他者を容易にコントロールできるので、ルール・決まりや
礼節の行為の部分だけを守らせるためのしつけや教育に使われる
こともよくあること(癇癪・発散や支配のための手段としても)。
そのために挨拶や高齢者への親切さえも、純粋な思いやりによる
気遣いではなく贖罪プログラムによって(誰かの不機嫌を怖れる)
罪悪感、実際の感覚では漠然とした後ろめたさから、行うように
なってしまうのです。
余談ですが(褒賞による)獲得プログラムによっては、功名を得る快感を動機に
行うようになりがちです。


そのあるなしを比べてみると、たとえばジャンクフード(漫画、
ゲームなど)をたんに家で食べて(常用して)こなかった人は
成長し自ら行動できるようになった後は、機会や興味があれば
もちろん食べてみることもするでしょうが、基本的には望んで
健康的な食習慣を続けていくようです。

一方、親の不機嫌や叱咤などによりそれを一切禁じられてきた
人は、望んでも口にする(それを行う)ことに、抵抗、拒否感、
怖れ=罪悪感が付きまといます。
いわば不快な感情によってそれらを寄せつけないようになって
いるのです(多くはそこに後づけの正当な理由をこじつけて)。
またそれを覚えたら、かえって強く求めるようになってしまう傾向もあります。

もともとは親の否定的な反応で出来上がった観念、いわば結界。

一般的にごく常識的なものから、他者には想像もつかないもの
までその善悪正邪はじつは多種多様です。

親と心の距離を置き適当にあしらう。他人の不機嫌を気にしない。
浪費する。グダグダ怠惰に過ごす。バカ喰いする。
バカ喜び、お祭り騒ぎをする。爆食いする。
エッチなことを考える。自分の好きなことをする。
周囲の意見に耳を貸さない。信仰や信念、戒律を持たない。
年長者にタメ口で話す。
他人に助けてもらう、迷惑をかける。借金をする。
働かない。自分だけが幸せになる。有閑マダムになる(笑)

そこに罪悪感を感じて、それを自分に許せない人がいる。

想像してみてください。
そこに罪悪感を感じない人がいることを。

許せますか?後ろめたくはないですか?
モヤモヤ、ザワザワ、イラっとしませんか?
私はいまだに自分に楽しみや遊びを許し難く、家族がレジャーの提案を
すると、なぜか反射的にイラッ!とします^^;


これまでの人生で、ずっと当たり前に馴染んできた感覚なので
そのモヤモヤや苦しみが限界に達するまでは、わざわざ疑問に
思わぬまま自分に不快感を与え続けます。

けれど、その負荷に耐えきれず下手をするといつか強制終了
なりかねません。精神や人間関係の崩壊につながるのです。
もしくは次の誰かに同じようなプログラムを植えつけ、自分の
要求や期待に応え奉仕してもらう側に転身することになるか…
なぜ自分の苦しみを相手に背負わせるのか?ふと昔の嫁姑問題がアタマをよぎりました。

そのような負の連鎖を断ち切るために、そこから自分と大切な
誰かを解き放つために、これまでの自分の感覚や常識、世界観
にはない、当たり前でない、信じられない(それはきっと自分
にとって嬉しい、ラクな、楽しい、したい)が当たり前の前提
や感覚を選ぶ勇気を持ってみませんか?

とはいえ。

そのためには、モヤモヤ、ザワザワ、イラっ、メンドクサイを
乗り越えていく意識と覚悟が必要です。

その最初のステップが誰かに植えつけられた贖罪プログラムに
気づくこと
それがあるんだとに気づいている(外在化する)こと。

そうして自分の中で再設定・無効化すれば、贖罪のための負の
感情(苦しみ)からとっさに逃げる(感情の硬直、発作や爆発の)
必要がなくなる
のです。

サーカスの象*が鎖を解いて自由になる。
それは自分の絶対無罪を自らが選びとることに他なりません。

*サーカスの象は力の弱い小さな頃から鎖をつけられている。逃げようと暴れるほどに
鎖は足に食い込み、その痛みに耐えきれず逃げることをあきらめる。そのようにして
「逃げることは無理」だという観念が備わってしまったために、成長して鎖を壊す力を
得ても逃げようとはしない。学習性無気力の例え話として心理学ではよく使われる寓話。


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# by dryangle | 2017-08-11 13:53 | ココロのカラクリ | Comments(0)
二重拘束の女王
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ちょっと意味アリゲなタイトルにしてみました。

生きていくこと、その基盤となるファクターがいくつもあります。
衣・食・住、それを支えるための健康、学び、仕事、お金、時間。
それらに関して些細なパターンにもネガティブで感情的な反応
自覚することがあります。

不安、恐れ、義務感、罪悪感、嫌悪感、怒り、許せなさといえる
抵抗です。「気にかかる」という意味では、執着という言葉にも
言い換えられるように思います。

それらのしつこい負のマインドセット(観念、価値観、思い込み)
の大元はどのようにして作られたのか?

意識的・概念的なレベルではなく、さらに深い部分に、いわゆる
深層というエリアにどう植え込まれたのか?

やはり思い出すのは親や養育者との生活全般に起こるエピソード。

気になってしまうのは、ベイトソン*ダブルバインド理論。

メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況
(に置かれると、統合失調症に似た症状を示すようになるという
理論)が思い当たるようで強い関心があります。

ある場面において、言葉と表情、言葉と行為、表情と行為といった
異なる階層によって表現される矛盾したメッセージ。

私的解釈ですが、建て前と本音の矛盾を同時に表すような態度

その瞬間は、当然ですが認識の混乱による思考停止が起こります。
繰り返されることによって、メタの部分の否定的なメッセージと
そこから逃げ出してはいけないという観念を得ることになります。

例えば。幼い頃に他の大人がお菓子(おこづかい)をくれようと
した時、母親はその場では「良かったね」とニコニコしながらも
私には「受け取るなよ(言葉には出さない)」と鋭く睨みつける。
そして受け取ろうものなら、あとからネチネチと叱られます。

その姉である未婚の伯母はなにかをくれる時、ニコニコしながら
私の肘をギュッとつねり「いいか?言うことを聞けよ」と言う。
(こちらが成長してくると、お祝いなどをくれる際には具体的に
「年取ったら面倒を見てよ」と。成人後もつねられました^^;)

誰かを慇懃に褒めながら「すごいね~!(お前はどうだ?)」と
目配せをしてくる。

一事が万事、それが常態。

今思い当たるのは、ある種の洗脳技法のようであるということ。
つまりはしつけ

ストレートな折檻はもとより、これらによって埋め込まれたもの
の影響も無視できないと思います。

喜びや楽しみ、女性らしさや美しさ、立派な仕事、お金を得ること
使うことなどに不合理な抵抗感(前述の不安や罪悪感、嫌悪感)が
わくことで、無意識にそれらを遠ざけてしまっていました。

この家系に不幸な出来事が絶えなかったのは、決して偶然ではない
と今では確信しています。

もっとも、もとは謙遜や婉曲の文化として根づいた

・本音と建て前
・あなたのためだから
・誰々(みんな)がそう言っている
・ほかの人が迷惑する
・ウチの子なんて
・「ぶぶ漬けでもどうどす?」

といった類のコミュニケーションパターンが、他者コントロールや
しつけの手段として転用・誤用・悪用されている気がしてなりません。

ごく個人的な実感として、このようなコミュニケーションパターンを
使いがちなのは女性、つまり母親の方が多いように思います。

ハラスメントより見えづらい他者支配・コントロールの手段です。

*グレゴリー・ベイトソン(1904-1980)
 アメリカの文化人類学、精神医学などの研究者

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# by dryangle | 2017-07-25 15:16 | 親子の関係 | Comments(0)
自責プログラムの反転攻勢
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ネットのニュースなどでホットな話題となっている国会議員の女性の
音声や某女優の映像にふれると…あわやフラッシュバックを起こして
しまうようなトラウマを抱えているのは、けっして自分だけではない
と今は確信しています。

経験のある当事者なら実感のあることだと思いますが「あの状態」に
ある人というのは、なにかに憑りつかれたような発作状態にあります。

可能なら少し冷静に見つめてみると、視線がこちらをすり抜けている
目の色を失っているといった独特な様子に気づくと思います。
暗示や催眠の力が働いているような、脳のある機能の麻痺やホルモン
の過剰分泌による興奮状態にあるような?

感情発作のケミカルなメカニズムは、明らかになっていくでしょうが
それ以前の思考のパターンや(罪悪感、劣等感、被害意識)といった
動機として嫌悪感情をセットされた自責プログラム(強迫観念の構築)
の存在が、ここにもやはりあるのではないかと痛感します。

本来内向きの自己監視プログラムがなにかのキッカケにより過電流で
ショートしたかのように、支配やコントロール可能な他者に向かって
怒りや憎悪、恨み辛みを発散する
最初は単純に自己防衛的な反応と考えて
いましたが、もしかして複製プログラムの起動なのではないか?と考えたりもします。
相手は非言語的な、思考や感情を征服されるような圧迫を受けます
)。

いわば自責プログラムの反転他者攻勢

いうまでもなく、女性に限ったことではありません。
女性のそれはかつて(今も?)「ヒステリー」として片づけられ
男性の方はむしろよくあるパターン(昭和のオヤジなど)として
理由を正当化され、容認しがちであったように感じます。

具体的な内容はそれぞれでしょうが、つねにその心の内側では慢性的
かつ強迫的に(罪悪感、劣等感、被害意識などによって)自分自身を
突き上げ続けてきた
のだと想像すると、その言動を擁護するつもりは
ありませんが本人も地獄に住んでいるに違いないと哀れに思います。

表面の言動への注目や批判ばかりではなく、その奥底や背景の理由を
理解することが必要なのではないでしょうか?

あの状態が、当事者や関係者の枠を越えて多くのまともな人々の目に
れるようになった絶好の機会だともいえるのですから。

まるで反射・自動的に、他者への不寛容さや「許せなさ」がフツフツとわき起こる
あのカンジも同様の心の働きだと思います。


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# by dryangle | 2017-07-11 13:47 | ココロの不調 | Comments(0)
精神の食物連鎖(2)ー心の貧困問題
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前回からの続きです。

○さらに「置き換え」という心理機能が交差すると…

危機的な状況において心の安定を保つための心理メカニズム
防衛(≒適応)機制の一つにある「置き換え」。
受け入れがたい(特定の対象に対して表現が難しい)感情や
欲求を、より受け入れやすい(それを表現しても大丈夫だと
思える)対象に「置き換え」ることです。
例えば怒りの感情であれば、向けるべき相手が強者であると
我慢したのをそれ(ぶつけること)が可能な相手に発散する。
…つまりは八つ当たり

可能な相手とは、つまり自分が影響力を持ち下位と認識する
弱い相手です。

劣等感や満たされなさからくる欲求を、誰かに置き換えたら
過度な期待やプレッシャーとなるようにも思います。

前回の話でふれたような、ネガティブな自己像を持つ人々は
言い換えると心の弱い人
影響力を行使しやすい、即ち下位の相手だと認識されやすい

「置き換え」のターゲットにされやすい人なのです。

八つ当たりの発展形を「いじめ」だととらえると、「いじめ」
のターゲットになりやすい人はたしかにいるといえそうです。
むしろ「対象は誰でもよく標的にしやすい相手」「さしたる
理由もなく」という「いじめ」の構造そのものに当てはまる
のではないでしょうか?

○いい子・いい人の下位性

あえて過激な言い方をするなら、「置き換え」の対象となる
相手の「心の食い荒らし」は、文字通り集団における序列や
心の弱さの程度の階層となって下方へとその影響を濃くして
いく
ように感じています。

いわゆる他者査定による「いい子・いい人」の中には、その
能力に不相応な自信や自己主張のなさ(×謙虚)が目立って
いる場合も多く見受けられます。

実際の地位や立場とは関係なく、いわば精神(的な自立)の
偏差値の低さやそれまでの経験値によって苦しみや負の感情
反応に苛まれているといえるのではないでしょうか?

それがうつなどの心の不調となって表れたり、下層になると
犯罪、さらには自死といった深い闇へと追い詰められていく
ように思えてなりません(「外化」や「置き換え」の内容に
よっても異なるように考えます)。

精神の食物連鎖は自然の摂理なのか?

考えずにはいられないテーマではあります。

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# by dryangle | 2017-06-14 20:00 | ココロと社会 | Comments(0)
精神の食物連鎖(1)ー心の主従関係
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○死ぬより怖い誰かの機嫌

自分の感情的な反応を、長期間根気よく観察し続けていくと
一定の傾向性が見えてきます。

イライラムカムカしたり、ザワザワしたり、不安になったり
ちょいフリーズや軽いパニックを起こしてみたり。

そのパターンは私の場合、時間やお金の浪費・誰かの甘えや
逆に威圧的な態度(コントロール?)・遊び・だらしなさ…
細かくあげるとキリがないのですが、とにかく実感するのは

自分の感情の動きなのに、まるで自らの意に反して
まるで暗示にかけられたか催眠術のようだということ。

個人的に感じるのは、ある鋭い視線に射すくめられてそれに
衝動的に反応する
ような一連の展開です。

あるある心理説明では、この点を潜在意識や無意識、つまり
深層心理(に抑圧、収納された感情)の働きだとされます。

とはいえ個人的には、ほとんどの場合それらに関する失敗や
被害、後悔などの実体験がありません

きっとその原点は母親の視線や介入への怖れや怒りの感情

養育者の怒りや動揺、悲しみ、落胆、軽蔑が、人によっては
死ぬほど(より?)怖かった。

またその働きの目的は自分の心を守るためと説明されますが
それらの感情の効果が「大元の(そのシステム構築の基盤の
コミュニケーション対象である)誰かの機嫌をとる」という
間接目的こそがメインになってしまっているのではないか?
ということです。

自分より他者の機嫌をとる、つまり無防備でリラックスした
自分のままでいることへの抵抗という反応プログラム
本人の感覚において、心身の強い痛みとともに埋め込まれた
ものであればあるほどに過敏で強い反応が常態となります。

動機として漠然と誰かの許しや承認、さらには𠮟咤を必要と
するようになることで、自己決定能力が去勢されていく。

それが自覚のない自己卑下/蔑視による自分像を構築します。

○自己像通りに他人に扱われる?

「外化」という言葉の心理機能とされるものがあります。
その一つは自己に対する感じ方を他者の自分に対する感じ方
だと認識してしまう
という働きです。
自分が自身を嫌っている人は、他人に嫌われていると感じる
というもの。するともとは真意が定かではない他人の言動を
自分を嫌っている現れだと故意に解釈してしまうのです。

その認識、つまりその人の真実においては、他人に嫌われる
自己像、人生ストーリーが完成します。

また自分より他者の機嫌を優先することから、さらにそれを
裏づけるように、相手の理不尽な要求や期待、プレッシャー
はては八つ当たりや受動攻撃までも受け容れてしまうような
不運な展開が待ち受けてしまうのです。

○さらに「置き換え」という心理機能が交差すると…

(次回に続きます)


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# by dryangle | 2017-06-13 18:00 | ココロと社会 | Comments(0)
自分を苛(さいな)む視線からの解放
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前回の話題に続くシリーズっぽい話です。

人間関係への依存というものは、他者を介して自分の欲求
(例えばマズロー風に生理や安全、社会的、自己実現)
満たす・叶える
ということだと考えています。

ややこしいのですが、特定他者を独立尊重した対象として
ではなく
、自分の欲求を満たすために自己同化をした手段
・媒体とする
ことです。

される側は、抵抗や意識によって主体を得る機会や成果が
ない限り、もしくは「する側となって」相手を得ない限り
自分の実在感や効力感を失い(得られずに?)、操り人形
のような空虚感に苦しんだり、心身を病むことに…

その支配・被支配が作動するためには、相互的なある種の
心理プログラムが埋め込まれなければなりません。

それが内在化・内面化された自己監視の視線なのです。

当人の価値判断の選択を許さずに、一方的に賞罰によって
刷り込まれていくそれは、良くも悪くも心の深層において
その人の思考や感情・行動を縛るようになります。

褒章によって得れば、価値への欲として感じられるように
なりますし、(体)罰や喪失の痛みは強迫的なそれやその
代償への執着や拒絶を生むことになります。
欲を抑圧することでも強迫的になることはあり得るとは考えています。

自己同化の負のカラクリは、自分を見張るだけではなくて
自分を批判し、罰し、エスカレートすると、自分を虐める
など自己完結をさせるというところにあります。
(ここでは余談ですが)これに対して他者イジメは、自分のそれと異質か
もしくは抵抗・反抗する相手を支配するために行われます。
実現が不可能だと、相手の存在の抹消まで目的となるのです。


自分苛(いじ)めの多くは、表面的には忠孝や奉仕、努力
や勤勉、謙虚といった美徳の傘に隠されてしまうがために
自分ですら認識・告発しづらい状況に置かれているのです。

自分や他の人の、「この状態を見抜くことはじつはとても
簡単
」です。きっとみなさんにも自覚があるはず。

本人がイキイキと、意欲的に、けっして押しつけがましく
なく
いるのなら、それは主体的に選び取ったあり方です。
主体のあり方のデフォルトは喜びや生きる実感ですから。

そうでないとしたら…

(内外の)他者の視線に依存して自分のあり方を決めたり
それによって自分を規制したり、罰して苦しんでいます。
その上周囲の誰かを縛って、苦しませてしまうことも。

苦労(犠牲や奉仕、被害)をアピールして、相手に自分の
欲求を満たすように要求する
ことを受動攻撃といいます。
当然、相手の心を傷つけたり侵食したりします。

ストップ!自分イジメ!

気づいて(意識して)みるだけで、反応に少しづつ変化が
現れ、自分だけではなく関わる周囲の集合的な精神環境
も変化していく
はずです。

ところで…

最近は少々手垢にまみれたような「気づく」という言葉。

じつは排便や摂食と同様、「他人が代わることのできない」
ことです。
小さくても「気づき」の積み重ねこそが、自分という精神的な
存在実感
を得るための、大切な足掛かりとなり得るのでは
ないでしょうか。

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# by dryangle | 2017-05-12 12:12 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自分を見張る視線からの解放
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「アナタの長所をあげてみてください」

そんな質問をしてみます。

「やさしく、親切なところ」
「勤勉なところ」
「頑張り屋なところ」
「明るいところ」
「気使いができるところ」
「○×が得意なところ」

さらに質問です。

「それは、誰を満足させるためのものですか?」
「自分に対してもそうしてあげていますか?」

「ええっ!?自分に対して…?そうではないですね…」

いつのまにか、自分の存在に対するポジティブな実感が
他者視点という想定にすり替わっていることに気がつきます。

その大前提が変わらないまま、長所を見つけることができず
自らに怒り、失望し、意欲をなくしてしまう人もいます。

それが自分を大切にしていないということ。

親だけでなく社会環境や教育の中で、他者や全体の要求や
基準に叶うことの価値だけが偏重され過ぎた
結果、個々人の
QOL(Quality Of Llife 個人がその人らしく人生に幸福を見出だしているかの指標
がなおざりにされている証の現象のように思います。

他者(親や世間)の視線を内面化するだけで、自分自身の
視線を構築するというバランスに欠けてしまったという見方
もできます。

自分に対する厳しさも、主体的に選び取ったものでなければ
美徳ではなく、自己監視(検閲)の上それに背く(背かれる)
ことで罪悪感や劣等感、被害意識という自己処罰感情を生む
苦のプログラミングと言わざるを得ません。

ムカムカやイライラ、モヤモヤやションボリという感情の裏には
この苦のプログラミングが作動している場合も多いもの。

それが自分が影響力を持つパートナーや子ども、身近な人をも
相互に巻き込んでしまうのです。

その苦に疲れ果てた先に、誰かの*セルフネグレクト(自己放任)
につながっていきます。

自分の心の檻の監視の目を破り、主体的に自分や自分の人生の
喜びや幸福を見つけだし行動することが唯一の手段なのです。

監視(*自己処罰プログラム)のキツイ人には大変な作業ですが
連綿と続くそのプログラムを断つことを、主体的に臨む価値と
腑に落ちた時にこそ、それが軽くなることを実感できるでしょう。

*
ひきこもりや孤独死、汚部屋、ゴミ屋敷などの原因といわれている。
個人的には他者視点の自分(それを圧しつけた他者)と主体である自分との
戦いや葛藤に敗北した(もしくは圧しつけていた他者をいきなり喪失した)
無気力の状態だと考えます。
生活が本人の快適や満足という意欲や目的によるという実感が、成立して
こなかったのかも知れません。

*
労働やお金、人間関係など、特徴的な要素にあって、つい苦労を選んでしまう。
ある種の強迫観念に似た作用によるものだと想像します。
潜在意識(無意識の領域)に隠されているので、まずは気づく(意識領域にあげる)
ことが重要です。


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# by dryangle | 2017-05-10 14:21 | ココロのカラクリ | Comments(0)
潜在印象 ~サンスカーラ~
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
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サンスカーラはサンスクリット語、パーリ語ではサンカーラという
らしいです。
仏教用語では「行」、ヨガの世界などでは「潜在(残存)印象」と
訳されるこの言葉。
心の働きとして捉えてみるとかなり興味深い奥行きがあります。

現象に対する反応からそれへの働きかけまでの一連の形成を
表し、とりわけ条件づけられて苦を生みだすものを指すそうです。
連綿と続くそれをカルマ(業)と呼ぶのだそうで。

犬がその目に入ることで喜び近づく人と、怖がり逃げ腰になる人。
過去の経験とその記憶による反応の違いです。単発ならまだしも
習性となったそれらの心の反応が次の出来事を制約していくこと
結果としての負の感情を予想して先取りしてしまうことが習慣と
なってしまうと、その積み重ねが人生に対する無力感という認識
や鬱状態を招くことは想像に難くありません。

私自身も経験がありますが、ある出来事をキッカケに「習慣的に」
イヤな感情がわき起こるパターンがありました。

ある時その感情が起きているまさにその瞬間ふと考えたのです。
「この感情はどういった結果として起こっているのだろう?」

私にとってその出来事が「押しつけ」を象徴しており、その度に
自分の気持ちが無視されることへの憤りとそれを出せない悲しさ
恩や見返りを返さなければという重圧を瞬時に味わっていました。
欲を探すとすれば、「私を大切にして欲しい」「成果や見返りを期待しないで欲しい」?

「マインドコントロールみたいだな…」

そう気づいた時には自分でも驚くほど気が軽くなり、どうして
そんなに重苦しく感じていたのか?不思議なほどにキョトンと
してしまいました。まさしく憑き物が落ちたような

多くの人が気楽にアリガタク受け取るだけのその種の出来事に
対する私個人のサンスカーラだったといえるように思います。

論理療法(アルバート・エリス)のABC理論の知識もあるものの
実際にはビリーフに論駁するどころか、まず理論自体を思い出す
余裕もなく^^;

サンスカーラは、論理療法的にはイラショナル・ビリーフによる
A(Activating event)B(Belief)C(Consequence)の展開だと
説明できるのかも知れません。

今となっては「偶然」ほどけたあの感覚こそが大切だと感じます。
個人的には、出来事と不相応な不快な感情に囚われた時には「自分を楽しませない
カース(呪い)」「相手の要求に従うカース」「勤勉カース」などと、敢えて命名
しようとすると抜けやすいです。


長く生きてくると、日常の不快なことの多くは出来事そのものと
いうよりも、むしろ条件づけられた反応(感情)によるもの。

精神のアキレス腱といわれる劣等感や罪悪感、被害者意識なども
典型的なサンスカーラの作用だといえるように感じます。
本人にはリアルな体験であっても、無用な苦を生む仕組みです。

そこを見抜くためにサンスカーラという言葉は重要なキーワード
になるように思いました。

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# by dryangle | 2017-04-23 20:43 | ココロと思想 | Comments(3)
自己疎外の恐ろしさ
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心を理解するためのキーワードなのに、その意味を理解するのに
時間のかかった概念があります。

それは、自己疎外

ヘーゲルや、マルクスという名前が出たとたんにカテ違いかな?
と敬遠したくなるのですが(あ、ここで読むのをヤメナイデw)

一般には、自己の主体性をなくすこと
人の習性や人格が社会関係の中に埋没して主体性を失う結果
自分自身さえもよそよそしい他者となること。…と説明されます。

とはいえ心理分野からの説明を探していくと、ごく個人の体験的
なリアリティが増してくるのです。

自己疎外とは本当の自分を見失った状態のことである。
(心理学者・國分康孝氏)

自己疎外とは、要するに真実の自分ではない自分として
生きていることである。

そういう人は自分の感じ方よりも、いかに他人に優越するか
そして優越によっていかに自分の安全を確保するかが重要に
なってくる。劣等感から人は自己疎外に陥る。
(心理学者-プロフィールより 加藤諦三氏)

じつは私個人的にはもっと消極的で「いかに他人に承認され肯定されるか
それによっていかに自分の安全を確保するか」の方がシックリときます。


他人と接している時に、誰もが自分を作っているという感覚を
経験したことがあるとは思います。

私の場合には、相手の期待像にしっかり自分を合わせるために
相手が自分をどう思うか?という視点からしか、相手のことを
見ていませんでした。

よほどのことがない限り、自分が相手をどう思うか?ということ
について考えたり、感じたりすることがなかったのです。

たとえ焦点が自分であっても、視点は自分にない。

同じように、たとえ焦点が今であっても
過去や未来に関連づけた視点からであって現在ではない。

これが「自分がない」ということなんだ!
ちょっと…というか、かなりのショックでした。

最近はという言葉も使われていますが、この自分軸のなさ

自分のしたいことがわからない。
自分の感情(好き嫌い、喜び)がわからない。
自分のことなのに自己決定・決断ができない。
自分を他人事のように解釈、説明したりする。
ありのままの自分がわからない。という空虚な自己を生み
はては、鬱や不健康な心の状態へとつながっていきます。

疎外とはどんな状況どんな場においても、自分自身に対してさえ
気持ちを楽にできないということだ。いつも「うち」に戻りたい
と思うが、決して「うちにいるようにのんびり」できない。
(精神世界分野の作家 エックハルト・トール氏)

自己充足*という反対の言葉があり、これが自己実現へつながる
とされますが、そこで初めて自分の持つ自己実現という概念が
誤解であった
ことに気づきました。

世間一般(自分以外)に基づく価値尺度や評価に承認、称賛など
を充足させることだと、反対の方向性に考えていたのです^^;

本当にそれが好きで、したいことで、自分らしくあったか?
それは「自分自身を楽しむことであったのか?」そう問うと

体裁の良い成果を得たとしても、真の自己実現とは真逆の方向
に進んでいたように思えてなりません。

死ぬまでに多分まだ間があるうちに気づいてヨカッタ。

一般論や客観的尺度でしか話をしない人も案外多いものですし
今でもかつてのような視点につい振り回されそうになりますが

対象を「私は今」どう思うの?どう感じるの?
その都度、自問をするように意識しています。

不思議と同じ相手もその都度つねに別の新鮮な人であることに
気づいたりします。「今」についてもまた同様です。

自分と和解するということの効果なのでしょうか?^^

自分中心とは、けっして自分勝手ではなく、自分の生き方や生活
について自分自身が決める自己決定のできること。
全然別次元のことなのです。

他人の自己決定が気に入らない人が
、それこそ勝手に自分勝手
やワガママと決めつけて封じる術となったのではないでしょうか?

ここに気づかない限り、どんな心理のノウハウやテクニックも
盲従や客観的効果に囚われて、自己疎外をさらに深めるという
逆効果を生み出しているのです。

*
自己充実という言葉を調べてみると、この他に保育用語でよく使われるそうで
「他者にしつけられるのではなく、自分で覚え高まること」というその言葉の
意味がなにかを強く示唆しているように感じられました。


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# by dryangle | 2017-04-08 20:43 | ココロと思想 | Comments(0)
エナジーヴァンパイアとメサイアコンプレックス
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近頃、メサイアコンプレックス*という言葉が目につくようになり
気になり始めました。

それまではパラノイア(偏執病)の誇大妄想の一環かと認識して
いたのですが、各所の説明を読むとどうも違うようです。

「広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる
自己有用感で補償する人々をも含める(ウィキペディア)」とあり
むしろ共依存を生むマゾヒスティック・コントロールを行う人の
特徴として用いられる言葉となっているようです。

過去エモーショナルブラックメール世話焼き依存など、数々の
記事で心理的脅迫についてふれてきましたが、全く無意識にそれ
を行う人の内面に隠された強迫的なまでに自分の存在価値を渇望
する
ありさまを言い当てているように思います。

自己の存在感や効力感を得たいがために、人の役にたとうとする。

そもそもが「自分のため」で、相手の気持ちは目に入らないので
いわゆる独りよがりの押しつけや、自ら問題を起こし解決する姿
を見せつけるマッチポンプも行われます。

現在とくに問題視されていることに、親子関係において子どもに
世の中への不安や恐れを植えつけ「あなたのためなのよ」という
真綿の支配により無気力にしてしまうパターン、さらにその結果
ひきこもりなどダメになった子どものために尽くすという健気な
親を演じることに自分の価値を見いだすなど相手を食い物にする
深刻なケースが目立ってきています。

救い(役に立ち・面倒を見)たいがために、相手を
救われるべき(できない・弱い・ダメな)人として封じ込める。

昨今自己無価値観という言葉が定着する状況のカラクリなのだと
いえるのかも知れません。
自己卑下という開き直りでその構造に屈する人々を生むことも。

思い起こせば、かつて信仰を持っていた頃の私の心理はまさしく
それだったようだと腑に落ちます。
むしろ親や周囲のその圧力に、救われるより救う立場になろうと
必死
(それが勝ち組?)だったような気がします。

恩着せがましく「こんなにしてあげたでしょ?」と言われること
感謝を要求されることが吐きそうなくらい嫌だった、苦しかった。

自分が不幸であるという感情の抑圧。それが本質だったのです。

本当は自分が救われたかった」のだという自らの内面の偽善に
気づいてしまい耐えられなくなったことが出口の扉を開けました。

そもそも救いを必要とすること自体が、誰かが救済者を演じたい
がために作り出された幻想
だったと知ることになるのです。

苦しむべき要素なんて本当はなんにもないのだから。

*救世主・救済妄想。
 個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態。


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# by dryangle | 2017-04-06 10:46 | ココロと思想 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り