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金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
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疲れてしまったら…
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探してみましょう。


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カテゴリ:ココロと社会( 18 )

意識のつながり(しがらみ)
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
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最近、脳のミラーニューロンや網様体賦活系の働きなどに
関する話がなにげなく目に入り読み漁っていたのですが

例えばユングの集合的無意識や共同幻想といった形而上の
意識のつながりや枠組み、階層の存在が脳の働きにおいても
説明できる日が近いのではないかと感じてきました。

電波系はともかく、ビッグデータの解析からはそれぞれの
意識というデバイスが、見えない次元で情報のやり取りを
しているのではないか?
そして今ではインターネットの普及によって、地球規模の
ネットワークを形成しているのではないか?という仮説も
あります。

誰もが、親子や家族といった濃い関係はもちろん所属する
文化や集団にも性格があり、暗黙の制約を実感しますよね。

appleのデバイスならOSはiosというような生来的な制約は
あるでしょうが、OSをインストールすれば基本同じような
働きができるようになります。

母体の中にいる時から、ハードの組み立てと同時に基本OS
(母親のそれと似た)のインストールも始まる
と考えれば
業(カルマ)と呼ばれるものの受け渡しの説明も漠然とは
想像できるように思うのです。

思考はもとより感情的な反応といえば、OSが後天的に自己
プログラミングするセンサー&アラートシステム
と考えると
ちょっと面白いです。私たちはそれを「自分」と感じている。

なにを言いたいかといえば、国や地域、文化や言語の違い
によってその性質やムード(気?)が一変するということ。

生まれてからずっと家や土地、地域、国、言語などそれぞれの
レベルでモノカルチャーから出たことのない場合はなかなか
わかりづらい(理屈だけで理解しにくい)感覚です。

いわゆる価値観、正義や悪といった根源の尺度さえも真反対に
なったりします。

これがつながりとなって、互いの仲間意識や誇りを生むことを
否定するものではありませんが、そのために個々人が個人的な
自由を制約
されたり、さらには外集団に対する排他性や好戦性
を強めるというしがらみとなっている場合も少なくありません。

ある考え方やあり方、行動に、許さなさ後ろめたさを感じる
としたら、必ず誰かの(集団)によるしがらみが存在します

ぜひ一度、自分という意識を意識してみませんか?

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by dryangle | 2016-10-31 14:16 | ココロと社会 | Comments(0)
「ルールだから」?!に愕然!
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ルールだから、傷つけないの?殺さないの?
違法だから罰せられるから、罪を犯さないものなの?


ブログを使わせていただいてなんなのですが…
管理のついでに見かけた Exciteニュースの記事
少年犯罪を犯す子の共通点」に驚愕!しました。

7歳の子がバッタの足をちぎって遊んでいたら何て言う?
という、親への問いかけと指針があったのですが

A: ダメなことだと自分で気づくまで見守る
B: 「パパも子どものころはよくやったよ」と理解を示す
C: 殴ってでもダメなことだと教える

選択肢からしてどうかと思うのですが
その正解が なんと C !!

「社会のルールや規範を身につけさせる」
「殴るかどうかは別で、行動を制止するのが重要」
とのこと。

一見リーズナブルに感じられる答えのようですが
本当にそれだけでいいのでしょうか?

文中にあるように、たしかに社会の規範やルールを学ぶことが
必要になる年齢ではあります。

その前段階として情操教育である、それは自分と一緒の大切な命
であること、私たち人間は常に他の生き物の命を得ることにより
命をつないでいる現実を、その有難さと喜びを、伝える重要性が
抜け落ちて
ないでしょうか?

ちなみに、私はイナゴの佃煮を作るために手足をもぎるのを
手伝った記憶があります^^;


次にあった「バッタはダメで、お花を切るのはなんでいいの?」
という問いへのバッタとお花の命の価値観にも唸ってしまった。

曰く「綺麗なお花は取って飾ってあげれば喜ぶ人がいるかも
しれないけど、バッタの足をちぎっても誰も喜ばないでしょ」

…誰も喜ばないから?

これらが本当に犯罪への抑止力になっていくのだと、考えられて
いるのでしょうか?

むしろ子どもの動機や理由を一切無視して、大人側の正当性のみで
威圧的な叱責や(体)罰を受けることへの不満の怒りの蓄積の方が
恐ろしいように感じます。

決してルール自体を否定するわけではありませんが、それ以前に
どうか人としての心の成長に眼差しを向けることを優先して欲しい。
社会にそのルールが存在することの本質を考えられるように。

自分や他者の気持ちや命に対する情操が先立ってこそ
「してはならないこと」を、主体的に自分に禁ずることが
できるのだと考えるのです。

どうにも心の(必要)ない世界のように感じてやるせなくなりました。

…みなさんはどうお考えですか?

私は犯罪の一因は養育者などによる心の通わない「闇(病み?)教育」にあると考えます。
『闇(病み?)教育』はあったのか?

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by dryangle | 2016-09-13 14:31 | ココロと社会 | Comments(0)
他人軸=承認依存≒下から目線
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とある国、私が子育てを経験した社会環境では
子どもも物心がつく頃には、物事に対して

「好き?嫌い?それともよくわからない?」
「あなたはどうしたい?」
「〜(気持ちの代弁)したいのね?」

というように感想や意見、気持ちを聞かれます。
ウンザリするくらい、しょっちゅうw

日本で私が育った経験では、それがほとんどなく
うっかり口を滑らせて周囲の期待と異なる本音を
言おうものなら

「そんなこと言っては、ダメでしょう」
「あなただけワガママ、自分勝手」

と叱られるのがオチでした。

その良し悪しはともかく、周囲や上位者の要求や
期待に添うように自分の気持ちを決めること
(借り物の理由を動機づけにすること)を
過剰に訓練され内面化することで、自分の気持ちが
わからなくなったり、自分に信頼が持てなくなったり
します


調査*でも明らかなように、日本の若い人たちの
自己評価や満足の低さの原因の一端がこのような
環境にあるのではないでしょうか?

また最近では他人軸(他者中心)ともいわれるあり方
つまり周囲や他者の(視点や価値観、尺度)によって
成される自己定義を即、自分という存在の実感や意義

にすることから、生きづらさを訴える人が多いのも
うなづけます。

他人の意見や動向による裏付けや承認がないと
不安になったり、世間や大勢,専門家,エライ人の
あり方と異なると恐れを感じたり、罪悪感を持つ
いわば下から目線。

古来より生存競争を基本とした力の社会においては
強者の目に見える暴力だけでなく、そういった心の
支配も行われてきました。いわゆる奴隷根性と呼ばれる
心理も、この種のカテゴリーに入ると思います。

そのシステムの中で、上位者の期待に応え、成果を
上げることに成功した人たちが、勝ち組と呼ばれて
共通認識において、上から目線や他者コントロールの
権限を許されるということが現代ヒエラルキーの特性
なのかも知れません。

これは上下関係から出発せざるを得ない親子関係にも
如実に反映され、そのリプリントの場となっています。

まったくの余談ですが。
たまたま日本で見かけたテレビで、ある心療内科/精神科医が
患者の「セカンドオピニオンは必要か?」という趣旨の問いに対して
「ご自分のお気持ちで決めることですから」と、ピシャリとおっしゃっていて
それができれば心を病まないよなぁ…^^;と苦々しく感じました。


先代が社会や個の独立や尊厳を勝ち取った経験を誇る
人達は、子育てにおいても、その人の主体性や意志が
育つように工夫
しているように感じます。

「なにが好き?嫌い?どうしたい?」

子ども達に問いかけ、他者との折り合いの中で自分の
正直な気持ちやあり方を肯定できるようにしてあげたい。

それ以前に、親や大人が自分自身に対してそのように
問いかけ、それを尊重することができるか?

また互いに尊重し合いながら、それぞれ多様な自己を
実現できる社会を肯定、構築できるか?にかかっている
ように思います。

それぞれが精神のインディペンデンスデイを迎えるために。

*内閣府子ども・若者白書から

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by dryangle | 2016-07-14 00:49 | ココロと社会 | Comments(1)
一億総アダルトチルドレン?ー支配依存ー
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ずいぶん昔のこと。「ワタシってアダルトチルドレンなのかも」と
友人に告白した時、その言葉を知る相手はほとんどいませんでした。
毒親という言葉と同様、今ではよく使われるシンボルとなりましたが
よく見かければ見かけるほどに、ある考えが浮かぶようになりました。

「そういう親子関係って、もう文化じゃないの?」

共依存を成立させる前提の一つにイネイブラー(可能にするものの意)*
という概念があります。なんだか覚えのある*その特徴を調べていた時に
気分転換にネットニュースを見ていて目に留まった「オレオレ詐欺」。

「大人の息子の尻拭いのために、よく簡単に大金を渡すものだなぁ…」

と思ったとたん、気がついてビックリ!
なんとそれまでつらつら眺めていたイネイブラーの特徴である

他者の問題の責任を肩代わりする。
過剰に世話焼を焼く。
世話焼きで自己肯定感を高める。
他者の甘えを受け入れるので利用される。

…などと

ピッタリ符号するではありませんか!もはや毎度定番の文句ともいえる
「子を想う母の愛情がゆえ」と美化している場合ではない

よく読んでみると、一昔前までのあるべき「尽くす女性、母親」という
理想モデルがそのまんま書かれているように思います。

親子関係でも、男女の関係でも。もしかして私たち…

支配依存者とそれを支えるイネイブラー(世話焼き依存者)養育をされて
きたのではないだろうか?
上でも下でも役割や立場を押しつけられ、承認欲求を満たされることなく
飢えによって、従順にその役割に固執するという他人軸を生きてしまう。
今や当たり前に「承認」がそのコントロールの手段(アメ)とされていますが^_^;

共依存の人々は、アダルトチルドレン(子どものままの大人の意)という名の
通り、個人的な物事の決定権を他者または内面化した他者が握っている
状態の人であり、主体を生きられない苦しみや他者と互いを過剰に拘束し
それに背く相手にはハラスメントを行い、自分が背くと劣等感や自己嫌悪に
陥るというマインドセットの中にいます。

はては国と国民の関係までも、国民は国の支配を許すイネイブラー
として、機能しているのではないか?と考えるまでにいたって
これも以前知った

人間が型にはめられて使われる状態「魂の植民地化」の、潜在的な
構造となっているのではないかと思ってしまいました。
いや、それこそが「箱」を溶接しているのではないだろうか?とまで。
(「魂の脱植民地化とは何か」 深尾葉子より)

まったく個人的だと思っていた親子関係のトラウマが、今は広く深い背景を
持つ構造の一部なのだと思えてなりません。

*もとは物質依存や行為依存(セカンダリーアディクション)の人の温床となる嗜癖的人間関係
(プライマリーアディクション)において、依存者の世話を焼き責任を肩代わりしてしまう人。

*私も親や他者の支配や暴力、ハラスメントを受け入れてしまうイネイブラーでした。
理屈よりも「そう育てられたという実感」としか言いようがありません。


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by dryangle | 2016-04-22 15:48 | ココロと社会 | Comments(0)
服装とアイデンティティー
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違和感と抵抗感

身体と心の性が一致しない人が、身体通りの服装を強いられる時に
感じるのがこれらの感情。

私は身体と心の性は一致しているですが、多分同様の共感できそうな
違和感と抵抗感を感じてきました。

それは、制服とフォーマルウェア、そして(漠然とした言葉ですが)
オシャレ。とくに日本において。

例えば、お子さんの重要な場面に評判のイトー〇ーカドーにあるような
婦人フォーマルスーツ。冠婚葬祭すべてに使えそうな便利な礼服。
どうしても嫌いヽ(´o`;(注意:個人的な感想です)

どうしてこんなにも強い負の感情を持つのか、考えてみたのも
ごく最近ですが、自分が自分に持つアイデンティティーと一致しないから
というシンプルな理由が思い当たり脱力しました。

子どもの頃から、それらは人間関係の中で管理と従順、主張や比較
(対抗)と同調(守備)の道具
であるのだと認識してしまったからかも
知れません。

少なくとも装うことへの楽しみや喜びというものが、女性にしては
かなり少ない方だと思います。
まずは各々の場面や周囲の人をリスペクトして、浮かないように
気を使うだけ。

が。人生を折り返し、最近はそれすらも苦痛に感じるようになりました。

適応ストレスを実感するということは、それと異なる自分というものを
実感する
ようになったということでしょうか。
服装による自己表現の欲求の方はあまりなかったはずなのに^_^;

ユングの夢分析では、服装はペルソナ(仮面・偽りの自己)を表すことが
知られています。
社会の中で服装は自分を装う必要不可欠なツールだったのですね。
服を装うとはよく言ったものだと思います。

自分を偽らない服装でリラックスしていたいですね。

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by dryangle | 2015-12-02 10:25 | ココロと社会 | Comments(0)
ニートという言葉 ~一億総上から目線?~
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今さら感はありますが、日本ではニートという言葉がよく使われます。

「お隣のお子さん、イイ大学出たのにニートになっちゃったんですって!」

察するに、なんとなく蔑称めいた語感があるような。

大元はイギリスの労働政策における、ある報告書からでてきた言葉で
教育、雇用、職業訓練に参加していない
(not in education, employment or training)
の頭文字を並べたものらしい。

じつは、その言葉には最初から違和感がありました。

(今現在)教育を受けてない、雇用されてない、職業訓練も受けてない
そういった言葉がどうにも、管理的な上から目線によるものだし。

もとは政府の労働政策かぁ、そりゃそうだよね!

…いやいや。

気になったのは、そんな言葉を日本にウケウリするという感覚ばかりでは
なく、その感覚が、言葉が、一般の人々に定着し多用されるようになった
ということです。

いや、違う。

もとからある感覚に名前を与えられ便利に使えるようになったのかも。

考えてみれば、周囲の自由業者(一応芸術家とかラベルを貼られている)は
ある意味みんな立派にニートだ(笑)

受けてないし、されてない。

でも自らの意志で学び、磨き、創り、行動しています。
もちろん自分の意欲により選択したからか、スランプや行き詰まりさえも
なんというか堂々として^^;
協力する人々も別段批判的ではないように感じます。

とはいえ、実際には就業や社会参加への意欲のない人々や引きこもりもいて
本人やその家族の苦悩がネット社会でおびただしく吐露されています。

意欲がない=意欲が枯れてしまった=自発性が去勢されてしまった

政府や国家という文字通りのお上はもとより、人々の心中に埋め込まれた
社会や世間という上からのコントロール目線が殺してしまったのではないか?

そんな考えが頭をよぎりました。

なかには意欲がないどころか、恐怖まで感じるようになってしまった人も。
それは個々人の上から目線が、相互に下位への恐怖を植えつけ勤勉にさせる
文化的な無意識プログラムが原因なのかも知れません
(集合意識の役立たず淘汰システム?)。
今頑張れている人の多くも、それに鼓舞され、強迫的につき動かされている?
とまで考えてしまうのは、かなり穿ち過ぎではあるのかも知れませんが。

個人としての問題は、ニートであることではなく自分で選ぶことのできない
させられる・しなければ感による圧迫と、それに対する抵抗によって
動けなくなってしまっていることではないでしょうか?

上(他者)からのコントロール目線によって行われるもの、こと。
それを見抜き脱することが、自分の感性と意思で選び、動くための
スタートライン。

参政権や少年法適用などの年齢が引き下げられるという流れの一方で
自分が自分を生きるスタートラインは遠ざかっているような気がします。

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by dryangle | 2015-11-05 16:04 | ココロと社会 | Comments(0)
強迫的願望~不安や不満がデフォルト~
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これまでもネガティブモチベーション(負の動機づけ)について
幾度もふれてきました。

おおまかにいえば、それをする(しない)と、困ったことになる
ヒドイ/痛い目に合う、悪いこと/不幸になること(具体的には
暴力、劣等感、恥、疎外感など‥)への恐れや不安が
発想や思考そして行動のベースとなっている
ということです。

物心つかない頃からの養育者や周囲の人の態度や反応によって
また、ありがちなことですがそれらが負の方向への一貫性を持つと
もはや無意識の習性強迫として訓練されていきます。

さらに許せなさや怒りを手段に訓練づけられると、状況に接して
習性の反応として自動的に不安や不快感がわいてくるだけではなく
それに背くことへの許せなさや怒りも習得することになります。
(この発作的な怒りの反応についての説明は前の記事をどうぞ^^)

この問題はその時々の出来事だけにとどまりません。
長いビジョンの展望や選択にも、もちろん大きな影響を及ぼします。
たとえば進学や就職先、恋愛、趣味やレジャー、家族との行事など
生活の全般についても。

客観的には似た生活環境やキャリアを持ちながらも、幸せそうな人と
そうでなさそうな人がいる。

その不思議をよくよく考えてみた時に、明らかに違ったのはその人の
それらを得るためのエネルギーの源になったモチベーションの違い
でした。
夢や創造性・興味や好奇心によって、つまり喜びや満足を得よう
(また他者に与えよう、共有しよう)とするポジティブモチベーション

(正の動機づけ)ベースの人が楽観的でイキイキしているのとは
対照的にそうでない人はいつもなにかに追われピリピリしているのです。

つまり、その人たちが願望と錯覚したものは、強迫的に誰か
(それを内面化した自分自身)に応えるため
のものだったといえます。

これらを区別することは意外にも、じつはとても簡単です。

①そのプロセスと成果の意味、目的と手段が逆転する。
強迫的な願望は成果のみが目的で、手段となるプロセスが我慢や苦行
優位になりがち。充足感を得ることもあるが、迷いが生じやすい。
純粋な願望はプロセス自体に意欲や情熱を感じる。
やることに夢中になり、成果はそれに伴う結果に過ぎない。
(良くも悪くも、双方が途中で逆転することがあります。)

②それが手に入らない、叶わない、失う、手放す、ことになった時
ひどく苦しいか苦しくないか
「ま、仕方ない」と、比較的容易に諦め、方向転換できないのならば
それはきっと強迫的願望とその成果です。

その習性を得る根元の理由が親の愛情や保護への欲求であるために
それが相手や世間の承認に差し替えられてなお、強く執着せざるを
得ません。

その個人なりの純粋な展望や願望を知ることなく、本来の意味での
自己実現への道を絶たれるという悲劇はここから起こるかと思います。
不安や不満を動機に、懸命に努力する人々の構築した社会。

それこそが、発展し成熟した社会が不安で満たされなさの退廃ムード
に陥っている原因なのではないかと感じられてなりません。

あなたの求めるそれはもしかして

純粋な自分の願望ではなく、代理戦争をするための自分を守る盾では
ありませんか?
かつてあきらめたり妥協した物事の中にこそ、本当のあなたを
活かし、表現するものがあるのかも知れません。

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by dryangle | 2015-06-20 10:00 | ココロと社会 | Comments(0)
「よい子」という誤解
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生きづらさや犯罪など、いわゆる『よい子』の問題が
折につけ取り沙汰されます。

この『よい子』という言葉、「親や大人の言うことをよく聞く」
以外に「勉強ができる」「自主的に行動する」などといった
優等生というステレオタイプのイメージを重ねてしまうことで
「自分は違う」と決めつけていないでしょうか?

心を病む『よい子』タイプというのは、他者の期待や要求に
従順に(強迫的なまでに)応える
という人。

それは親や組織の上位者などの特定他者であったり、世間や社会
という一般他者やその価値観・思想であることもしばしばです。

たとえ親や先生に反発して、家族や学校という集団の枠組みから
自由になったとイキがっても、別の(カルトや闇社会であっても)
関係性において、上位者の命令に無批判に忠実に従うというのは
『よい子』タイプの典型だ
といえるわけです。

(心理学的な概念ですが)それが「内なる他者」として自分の中に
取り込まれることによって、実際の相手がいるわけではなくても
頭の中で想像・想定した相手の期待や要求に従うように振舞う。
無視しようとすると恐れや不安といった負の感情に苛まれます
(実際には罪悪感や劣等感、従うための被害者意識ーしてやった、させられた感
さらにカバーのための誇りや優越感として感じられることも)


それは恐れや痛みという負の感情によって条件づけられた
いわば洗脳によるものという証です。

表面の行為では区別がつきませんが、本来気遣いや心配り
協力、支援は主体として行うもの
もちろん自己満足ではなく相手の意図を尊重して。
そこに喜びや温もり、清々しさが伴うのであれば
真意なのだといえるでしょう。
逆にいえば「そうすべき」「そうしなければ(ならない)」という
類の発想は『よい子』の象徴的な発想であるともいえます。

これに気づいた時に、親や社会に反抗する、拒絶する、悪い子
(毒子)になる、というアンチテーゼは洗脳者や同じ性格の関係
から離脱するという意味では役に立ちますが、それだけでは
自分という主体を確立したことにはなりません
むしろこだわり過ぎると、同じレベルの二元性に隷属させられた
まま、やはり破綻に向かってしまいます。

自分で価値観を選びとり、それによって行動すること。

親や社会のそれと共通することがあっても不思議ではありません。
間逆であるのは、それに従う時、従った時に、消耗するのではなく
チカラ、エネルギーが漲るという重要な一点なのです。

あなたはあなたの『よい子(が成長したよい人、よい親)』の
殻を破れていますか?

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by dryangle | 2015-04-12 18:56 | ココロと社会 | Comments(0)
『闇(病み?)教育』はあったのか?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


佐世保のショッキングな事件を知り、同世代の子を持つ親としては
なんともやりきれない気持ちから離れることができません。

いい知れない不安から非合理な出来事を合理的に解釈したいという
欲求
を謙虚に自覚した上で感じたことを綴ってみます。

加害者像についてはサイコパスや反社会性人格障害などといった
言葉が出回っていますが、ラべリングではなく理解の糸口であって
欲しいとつくづく思います。

以前、ヒトラーの親子関係と「魂の殺人」という記事を
書かせていただきました。

あくまで(どちらにせよ)私見なのですが、今回は怒りや憎しみの
エネルギー
という熱の高まりよりも、冷静で淡々とした蓄積した
凍てつき
を感じるような気がします。

反社会的、猟奇的な人格と行為については脳の前頭葉の働きとの
関わり
が知られるようになりました。
先天的な器質もしくは幼少期の損傷といった因子に、生育過程による
形成(不全)という環境要因が加わることによって、そのような人格/
行為者になるのではないかと考えられています。

研究からさまざまな特徴が挙げられますが、それらは他の文献を
参考にしていただくとして、そこに私たちが考える人間らしさがない
ことが不気味な脅威に感じられる最たる点ではないかと思います。

構造に興味を持ちそれを分解して調べたいという知的好奇心は
対象が物であれば、その損失について以外は咎められません。

情緒的な結びつきによって愛着や共感を得ることから生まれる
人間や生き物への特別な認識や感情
これがなければ、相手は物でも、生き物でも、人であれ、すべて
同じ対象物に過ぎないのではないでしょうか。

たんなる自分との関係性による区別しかないのです。

加えて、他者と情緒的なつながりを持つこと自体を従属ととらえる
ような関係性が築かれると、人との交流がすなわちアイデンティティ、
つまり自分の存在感(存在価値)が崩壊させられるような危機
連続となりかねません。
過剰防衛的、さらには容易に攻撃的になるのは道理かと思います。

孤立し偏って肥大化した自己とその崩壊への過敏性。

たんなる憶測に過ぎませんが、器質的な要因は別、または素地として
感情のはけ口という積極的な虐待を経験したというよりも、むしろ
他者との結びつき(またその機会)の断絶や異常な偏向、そこに
意図的なコントロールがあったのでは?と想像します。

これについてもケアなど療育方法が研究されています。

それがもし一部で報道されているような成果至上のエリート教育を
意図したものだとすれば
背筋が凍るような想いがします。

事件の重大性はもとより、そこに至るまでの背景の問題を他人事として
切り離さずに、せめて人間らしく見つめなければならないと感じます。

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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by dryangle | 2014-08-04 11:32 | ココロと社会 | Comments(0)
ハラスメントのハラハラ
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~「ダメ出し」や「迷惑」はハラスメントなのか?~

パワハラ、モラハラ、セクハラ、最近では○○ハラという言葉が
出回るようになりました。

「家事ハラ」という言葉を知り、いわゆる「嫁いびり」の一環?
と思いきや…じつはそうではなく妻から家事をする夫への
「ダメ出し」が家事ハラなのだとか!?

うーん、心当たりもあるような…^^;

さらには「スメルハラスメント」という言葉まであるそうで
(日本のスメハラ、国外でも話題になっていますよ^^;)。

ハラスメントという言葉は、悩ますこと、嫌がらせという
意味に翻訳されます。

もともとその語源に「犬をけしかける」という意味があるといわれる
harassという言葉には、積極的な意図を感じます。

公的な定義となると国や地域、機関でさまざまなようです。
(あくまでざっと読んでみただけですが)

アメリカでは「意図的」「継続的」「体系的」といった言葉が
目立ち、行為について数々具体的に挙げられています。

イギリスでは受け手が望まない行為であり、ハラッサー
(加害者)
の「動機や意図は重要ではない」とされるそうです。

日本では、言葉が俗語として一般化された上で
受け手が不快に感じる/望まないあり方・行為という定義が
拡大解釈され独り歩きし出している印象を受けます。

A:「お前のそのニヤニヤした顔が不愉快なんだよっ!」(不快に感じる)
B:「虫の居所悪いのかな?ま、いっか。」(気にならない)

とっさに思いついた例なのですが、上の状況だとBがハラッサー
なるということなのでしょうか?

もとより意図は立証しにくいものですが、受け手が不快感を
覚える対象や程度も多様で規定しにくいものだと思います。

故意ではないそれが、他人を不快にしたり、迷惑であるという
理由からハラスメントと断罪されることについては、なんだか
モヤモヤすると同時にハラハラしたりもしますね。

人々の被害者意識や加害者意識がハラスメントの意味や言葉の
使い方をむやみに押し広げている気がしてならないのです。

皆さんはどう思われますか?

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by dryangle | 2014-07-17 11:11 | ココロと社会 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り