金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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カテゴリ:ココロと社会( 22 )

強迫的願望~不安や不満がデフォルト~
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
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これまでもネガティブモチベーション(負の動機づけ)について
幾度もふれてきました。

おおまかにいえば、それをする(しない)と、困ったことになる
ヒドイ/痛い目に合う、悪いこと/不幸になること(具体的には
暴力、劣等感、恥、疎外感など‥)への恐れや不安が
発想や思考そして行動のベースとなっている
ということです。

物心つかない頃からの養育者や周囲の人の態度や反応によって
また、ありがちなことですがそれらが負の方向への一貫性を持つと
もはや無意識の習性強迫として訓練されていきます。

さらに許せなさや怒りを手段に訓練づけられると、状況に接して
習性の反応として自動的に不安や不快感がわいてくるだけではなく
それに背くことへの許せなさや怒りも習得することになります。
(この発作的な怒りの反応についての説明は前の記事をどうぞ^^)

この問題はその時々の出来事だけにとどまりません。
長いビジョンの展望や選択にも、もちろん大きな影響を及ぼします。
たとえば進学や就職先、恋愛、趣味やレジャー、家族との行事など
生活の全般についても。

客観的には似た生活環境やキャリアを持ちながらも、幸せそうな人と
そうでなさそうな人がいる。

その不思議をよくよく考えてみた時に、明らかに違ったのはその人の
それらを得るためのエネルギーの源になったモチベーションの違い
でした。
夢や創造性・興味や好奇心によって、つまり喜びや満足を得よう
(また他者に与えよう、共有しよう)とするポジティブモチベーション

(正の動機づけ)ベースの人が楽観的でイキイキしているのとは
対照的にそうでない人はいつもなにかに追われピリピリしているのです。

つまり、その人たちが願望と錯覚したものは、強迫的に誰か
(それを内面化した自分自身)に応えるため
のものだったといえます。

これらを区別することは意外にも、じつはとても簡単です。

①そのプロセスと成果の意味、目的と手段が逆転する。
強迫的な願望は成果のみが目的で、手段となるプロセスが我慢や苦行
優位になりがち。充足感を得ることもあるが、迷いが生じやすい。
純粋な願望はプロセス自体に意欲や情熱を感じる。
やることに夢中になり、成果はそれに伴う結果に過ぎない。
(良くも悪くも、双方が途中で逆転することがあります。)

②それが手に入らない、叶わない、失う、手放す、ことになった時
ひどく苦しいか苦しくないか
「ま、仕方ない」と、比較的容易に諦め、方向転換できないのならば
それはきっと強迫的願望とその成果です。

その習性を得る根元の理由が親の愛情や保護への欲求であるために
それが相手や世間の承認に差し替えられてなお、強く執着せざるを
得ません。

その個人なりの純粋な展望や願望を知ることなく、本来の意味での
自己実現への道を絶たれるという悲劇はここから起こるかと思います。
不安や不満を動機に、懸命に努力する人々の構築した社会。

それこそが、発展し成熟した社会が不安で満たされなさの退廃ムード
に陥っている原因なのではないかと感じられてなりません。

あなたの求めるそれはもしかして

純粋な自分の願望ではなく、代理戦争をするための自分を守る盾では
ありませんか?
かつてあきらめたり妥協した物事の中にこそ、本当のあなたを
活かし、表現するものがあるのかも知れません。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

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by dryangle | 2015-06-20 10:00 | ココロと社会 | Comments(0)
「よい子」という誤解
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生きづらさや犯罪など、いわゆる『よい子』の問題が
折につけ取り沙汰されます。

この『よい子』という言葉、「親や大人の言うことをよく聞く」
以外に「勉強ができる」「自主的に行動する」などといった
優等生というステレオタイプのイメージを重ねてしまうことで
「自分は違う」と決めつけていないでしょうか?

心を病む『よい子』タイプというのは、他者の期待や要求に
従順に(強迫的なまでに)応える
という人。

それは親や組織の上位者などの特定他者であったり、世間や社会
という一般他者やその価値観・思想であることもしばしばです。

たとえ親や先生に反発して、家族や学校という集団の枠組みから
自由になったとイキがっても、別の(カルトや闇社会であっても)
関係性において、上位者の命令に無批判に忠実に従うというのは
『よい子』タイプの典型だ
といえるわけです。

(心理学的な概念ですが)それが「内なる他者」として自分の中に
取り込まれることによって、実際の相手がいるわけではなくても
頭の中で想像・想定した相手の期待や要求に従うように振舞う。
無視しようとすると恐れや不安といった負の感情に苛まれます
(実際には罪悪感や劣等感、従うための被害者意識ーしてやった、させられた感
さらにカバーのための誇りや優越感として感じられることも)


それは恐れや痛みという負の感情によって条件づけられた
いわば洗脳によるものという証です。

表面の行為では区別がつきませんが、本来気遣いや心配り
協力、支援は主体として行うもの
もちろん自己満足ではなく相手の意図を尊重して。
そこに喜びや温もり、清々しさが伴うのであれば
真意なのだといえるでしょう。
逆にいえば「そうすべき」「そうしなければ(ならない)」という
類の発想は『よい子』の象徴的な発想であるともいえます。

これに気づいた時に、親や社会に反抗する、拒絶する、悪い子
(毒子)になる、というアンチテーゼは洗脳者や同じ性格の関係
から離脱するという意味では役に立ちますが、それだけでは
自分という主体を確立したことにはなりません
むしろこだわり過ぎると、同じレベルの二元性に隷属させられた
まま、やはり破綻に向かってしまいます。

自分で価値観を選びとり、それによって行動すること。

親や社会のそれと共通することがあっても不思議ではありません。
間逆であるのは、それに従う時、従った時に、消耗するのではなく
チカラ、エネルギーが漲るという重要な一点なのです。

あなたはあなたの『よい子(が成長したよい人、よい親)』の
殻を破れていますか?

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
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by dryangle | 2015-04-12 18:56 | ココロと社会 | Comments(0)
『闇(病み?)教育』はあったのか?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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佐世保のショッキングな事件を知り、同世代の子を持つ親としては
なんともやりきれない気持ちから離れることができません。

いい知れない不安から非合理な出来事を合理的に解釈したいという
欲求
を謙虚に自覚した上で感じたことを綴ってみます。

加害者像についてはサイコパスや反社会性人格障害などといった
言葉が出回っていますが、ラべリングではなく理解の糸口であって
欲しいとつくづく思います。

以前、ヒトラーの親子関係と「魂の殺人」という記事を
書かせていただきました。

あくまで(どちらにせよ)私見なのですが、今回は怒りや憎しみの
エネルギー
という熱の高まりよりも、冷静で淡々とした蓄積した
凍てつき
を感じるような気がします。

反社会的、猟奇的な人格と行為については脳の前頭葉の働きとの
関わり
が知られるようになりました。
先天的な器質もしくは幼少期の損傷といった因子に、生育過程による
形成(不全)という環境要因が加わることによって、そのような人格/
行為者になるのではないかと考えられています。

研究からさまざまな特徴が挙げられますが、それらは他の文献を
参考にしていただくとして、そこに私たちが考える人間らしさがない
ことが不気味な脅威に感じられる最たる点ではないかと思います。

構造に興味を持ちそれを分解して調べたいという知的好奇心は
対象が物であれば、その損失について以外は咎められません。

情緒的な結びつきによって愛着や共感を得ることから生まれる
人間や生き物への特別な認識や感情
これがなければ、相手は物でも、生き物でも、人であれ、すべて
同じ対象物に過ぎないのではないでしょうか。

たんなる自分との関係性による区別しかないのです。

加えて、他者と情緒的なつながりを持つこと自体を従属ととらえる
ような関係性が築かれると、人との交流がすなわちアイデンティティ、
つまり自分の存在感(存在価値)が崩壊させられるような危機
連続となりかねません。
過剰防衛的、さらには容易に攻撃的になるのは道理かと思います。

孤立し偏って肥大化した自己とその崩壊への過敏性。

たんなる憶測に過ぎませんが、器質的な要因は別、または素地として
感情のはけ口という積極的な虐待を経験したというよりも、むしろ
他者との結びつき(またその機会)の断絶や異常な偏向、そこに
意図的なコントロールがあったのでは?と想像します。

これについてもケアなど療育方法が研究されています。

それがもし一部で報道されているような成果至上のエリート教育を
意図したものだとすれば
背筋が凍るような想いがします。

事件の重大性はもとより、そこに至るまでの背景の問題を他人事として
切り離さずに、せめて人間らしく見つめなければならないと感じます。

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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by dryangle | 2014-08-04 11:32 | ココロと社会 | Comments(0)
ハラスメントのハラハラ
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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~「ダメ出し」や「迷惑」はハラスメントなのか?~

パワハラ、モラハラ、セクハラ、最近では○○ハラという言葉が
出回るようになりました。

「家事ハラ」という言葉を知り、いわゆる「嫁いびり」の一環?
と思いきや…じつはそうではなく妻から家事をする夫への
「ダメ出し」が家事ハラなのだとか!?

うーん、心当たりもあるような…^^;

さらには「スメルハラスメント」という言葉まであるそうで
(日本のスメハラ、国外でも話題になっていますよ^^;)。

ハラスメントという言葉は、悩ますこと、嫌がらせという
意味に翻訳されます。

もともとその語源に「犬をけしかける」という意味があるといわれる
harassという言葉には、積極的な意図を感じます。

公的な定義となると国や地域、機関でさまざまなようです。
(あくまでざっと読んでみただけですが)

アメリカでは「意図的」「継続的」「体系的」といった言葉が
目立ち、行為について数々具体的に挙げられています。

イギリスでは受け手が望まない行為であり、ハラッサー
(加害者)
の「動機や意図は重要ではない」とされるそうです。

日本では、言葉が俗語として一般化された上で
受け手が不快に感じる/望まないあり方・行為という定義が
拡大解釈され独り歩きし出している印象を受けます。

A:「お前のそのニヤニヤした顔が不愉快なんだよっ!」(不快に感じる)
B:「虫の居所悪いのかな?ま、いっか。」(気にならない)

とっさに思いついた例なのですが、上の状況だとBがハラッサー
なるということなのでしょうか?

もとより意図は立証しにくいものですが、受け手が不快感を
覚える対象や程度も多様で規定しにくいものだと思います。

故意ではないそれが、他人を不快にしたり、迷惑であるという
理由からハラスメントと断罪されることについては、なんだか
モヤモヤすると同時にハラハラしたりもしますね。

人々の被害者意識や加害者意識がハラスメントの意味や言葉の
使い方をむやみに押し広げている気がしてならないのです。

皆さんはどう思われますか?

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
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by dryangle | 2014-07-17 11:11 | ココロと社会 | Comments(0)
テラアリエナスバルス病
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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「テラアリエナスバルス病って精神的なものらしいけどわかる?」

そう聞かれた時には、まったくの新出単語で
正直「???」と思いました。

早速ネットで調べてみると、いわゆる2ch用語だそうで。
疎いほうなので当たっているかどうかはわかりませんが

テラ=とても、まったく(単位のテラから膨大さを表現)
アリエナス=あり得なさすぎる
バルス=宮崎アニメ『天空の城ラピュタ』のラピュタ崩壊の呪文
      ラピュタ語で「閉じよ」の意

以上を併せた語感から、―自分の意見が通るまで相手の話や
相手の気持ちを考えずに押しつけてくる病気のことである―
という説明をみつけました。

心の扉をひたすら固く閉ざすことをイメージしてみると
なんだか妙を得たような言葉のような気がします。

コミュニケーションを拒絶されるばかりか、一方的に
意見や要求を押しつけられるというのは大変な苦痛^^;
それが習性的な過剰防御(攻撃)だとしても。

世代によって、またヒエラルキーのあるコミュニティの中では
対話(対等に話をするという意)によって物事を決めるという
スキル自体を持ち合わせてない人も多分にいるようです。
過剰防御(攻撃)は上意下達、つまり命令のスキルなのかも。


それを見抜いているかどうかは定かではありませんが
通用語句に置き換えることで、そのシリアスさから抜け出し
次元を越えた眼差しを持つことの効用が感じられます。

「おこ!」
「激おこぷんぷん丸」

といった言葉を知った時に、怒りを冷めた目線から
コミカルに表現している
な~ウマイな~と感心しました。
(もちろん受け手によってはフザケテル!と感じるでしょうが)
内々で使う、あくまで感情に揺さぶられないようにするため
という点においてはかなり効果的です。

病名など、なにかを特定・規定するようなラべリング自体に
かなり慎重
なのですが、自分の内側のリアリティの次元を
転換する
(それで苦が多少楽になる)というためにそれらが
使えることもあるのかも知れませんね。

もちろん誰かを否定したり、攻撃したりするキメツケの道具
としてその言葉を使うのであれば、同じ穴のムジナの逆効果

誰かから一方的に責め言葉を浴びせられる状況では
「バルス!バルス!バルス!」と念じてみれば
自分の心を守るおまじないにはなりそうかも^^;

とはいえ、心を開いて聞く耳を持つという姿勢は肝要
「開けゴマ!」のニューバージョンも欲しいところです。

自らのテラアリエナスバルス病の予防のために。

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by dryangle | 2014-02-21 08:45 | ココロと社会 | Comments(0)
気が済む?気にならなくなる?
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最近では生きづらさやトラブルの根を、過去や現在の親との関係
中に探すことがずいぶんとポピュラーになったようで、ネット上でも
あちこちアダルトチルドレンの概念や話題を見かけるようになりました。

日本語の掲示板などで親子関係の軋轢の話題に「毒親」という
言葉が、もはやキーワード化しているような印象を受けます
(ちなみに、ワタシ自身もかつて何度も読み話題にもした
スーザン・フォワード著 『毒になる親』が大元のようです)。

他にも回避依存症とされる特徴を持つ親に背負わされた
役割から名づけられたと思われる搾取子、愛玩子という
言葉には自覚とともに大きなインパクトがありました。

例えば、自分が搾取子の典型だったと。

経済的なものばかりか、幼い頃からの家事労働などの労力
そのための時間、果ては成績(成果)など自慢(自信?)の種
同意、援助、自由、感謝、喜び、存在の意義…
まぁ〜ふんだんに搾取されていたわ!

というか、ついには自らそうあるべきと望んで奪われる前に
差し出そうとしていた奉仕子(自作語^^;)といったほうが
フィットするようにも思います。

その後の不具合が愛玩子だった人のそれとまた異なることも
腑に落ちるものがありました。

そうやって、納得しながらしばらく(もはや残骸ともいえる)
痛みを掘り起こし向き合って
その怒りも、悲しさも、辛さもしっかりと感じきることで

そうだったんだ。なるほどね。なんだかスッキリ。でも
今はもう関係ないや。どうでもいい。

いつしかそう思えるようであれば、それらのキーワードや概念は
しっかり気づきや掘り起こしのツールになったといえます。

とはいえ至極当然のことですが、悪感情の気が済まないがために
その言葉や概念がラべリングや非難のための攻撃道具として
使われてしまうことになりかねないことも否めません。
つまりさらなる自分の悪感情や他者との諍いの燃料にしてしまう

それらの言葉や概念は道具として、ナイフのように便利であり
そしてある意味危険なものでもある
のだと痛感しています。

取り扱い注意!!

皮肉にもアダルトチャイルドという子どもに持たせてしまい
むやみにふりかざして自他ともに傷つけまくるケースも続出です。

気の済むようにではなく、気にならなくなるように、しっかりと見据えて
どうか。
その人の ― あなたの中のアダルト(大人の部分)に
手渡してあげてください。


心理学は戦いではなく癒しのツールなのです。

Avoidance-Dependence(Disorder,Syndrome)としては、まとまった情報が得られず^^;
いわゆるAvoidant Personality Disorderの特徴だけとは言い難く、どうも他の
パーソナリティー障害の特徴を併せ持った供依存関連の人格定義だと思います。 
追記● 伊東明氏の「恋愛依存症」という本から広まった言葉らしいです。


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by dryangle | 2013-10-24 12:15 | ココロと社会 | Comments(0)
ネポティズム〜内集団への偏向〜
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この言葉は、社会学で使われるもので「縁故主義」という
意味を持ち、うちわびいき、コネ重視、身内主義といった
ことを表すそうです。

これを集団のアイデンティティという心理的な視点から
考えるとなかなか身近な興味深い話題となります。

国籍や性別、組織、ライフスタイル…

たしかに人は、集団として括(くく)る枠の外よりも
内(自分)の側に属するもののほうが、より良く
優れていると思いたがる
傾向にあるといえます。

個人単位の自己と同様にその自尊意識を守るためなのだと
考えられますが、一方で劣等感を癒すために、外の集団を
自分達のそれより劣るものとして卑しめ、貶める
ことも
起こります。

これがいわゆる差別意識のカラクリであり

内集団の優越/劣等意識が強いほど
他集団への差別意識が強い


という傾向は歴然としているかと思います。

さらに別の傾向性として、個人の自己の劣等感が強いほど
集団のアイデンティティに帰属したがる
ということも
いえるのではないでしょうか?

もちろん共通項が多いほど親近感がわき、結束が強まることで
帰属意識が満たされたり、充実感や安心感を得るというのは
利点には違いありません。

とはいえ、構成する個々人の劣等感や自我意識の弱さによって
その枠を自分を縛る鋳型に、また排他的な鎧(よろい)
化してしまうことには用心しなければならないと強く思います。

反面で同族嫌悪という真逆の感情も存在、影響しています。
これについてはまた別の機会に考えたいですね^^

ネットのコミュニティなどでも、よく(より一層?)見受けられ
あからさまな対立や攻撃(否定、批判、侮蔑、嘲笑など)が
起こっています。

今一度、自分の関わる集団と自身のあり方を意識してみては
いかがでしょうか?

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by dryangle | 2013-03-06 08:39 | ココロと社会 | Comments(0)
「気づかい」の違和感
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他の人の気持ちを察する
周囲を気づかう
遠慮する

日本人の美徳と信じ(こまされ?)て疑わなかった
頃がありました。

ところがこの気づかいが成り立つのには
二つの真逆の動機があるようです。

◯一つは素直に相手のあり方、相手のため。

◯もう一つは自分のあり方、そうあるべき、
それが正しい、そうなくてはならない
よく思われたい、悪く思われたくない
自分中心=自我意識を支えるため。

区別するのはカンタン、後者の場合には
そうしてあげたいという喜びというよりは
そうしないとイケナイような気がします。

これを言い表すのには、気がねいう言葉が
フィットするのではないかと思います。

そうしないと後ろめたい。気が済まない。

自分が気の済むことで得る満足感。
これは受けとる側が押しつけと感じられるもの。
親切の押し売り。

だからこそ反対にしてもらうことを
心から素直に喜べないことも頷けます。
してもらうと心苦しい、気が重い。迷惑をかけた。

これもまた気がねです。

そんなものが蔓延していながら、多くの人はたいてい
気づかいのカタチの部分に注目し評価します。

だからこそ、イイコトのはずなんだけれども
なんだかなぁ…というように、どこか心の負担になって
いるのではないでしょうか?

まぁ「◯◯のために、××のためを思って」というのは
大抵自分の気の済むようにするための大義名分ですね^^:

する方も、してもらう方も気持ちがいい
そんな「気づかい」に満ちた社会こそ
ぜひ誇りに思いたいものです。

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by dryangle | 2012-11-16 12:06 | ココロと社会 | Comments(0)
個人に出来ること〜怒りの理解〜
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いじめ・虐待・モラハラ・DV・傷害・殺人・紛争
個人にしろ、集団にしろ、人の衝突や摩擦のニュースが
どこでも毎日あふれていますよね。

すべてがなんらかの精神的エネルギーが表出
その力を暴走させたもの=暴力だという印象を受けます。

それは怒り

それは自発性が押し殺されたり、自尊心が脅かされる
恐れや、悲しみ、不安、悔しさや、惨めさ、憎しみを
はね除けるための反撃の感情です。

そこに至る前に、どこかに、誰かに自分の弱みをさらけ出し
心情を吐露できればいいのですが。その機会を持てなかった
つまり、漠然と強くなければ、勝たなければならないという
信念(強迫観念?)を持たされた人々は、それを反撃の感情へと
転換して心の内に火薬のように溜め続けます。

多くの場合、暴力は目前の出来事を直接の※トリガー
(引き金)とした反応として行使されます。

そして誰もが気づいていることだと思いますが、その対象は
けっしてもともとの相手ではなく

暴力を行使しやすい対象=目の前の弱そうな人(々)相手

であることが悲劇を一層深刻にしています。

それを受け(続け)る側も、身体は言うまでもなく
自尊感情が脅かされ、傷つけられることになります。

このようなエネルギーは受け渡されていきます。

どこにも心情をと当たる相手がいない本当に弱い(やさしい)
人はついには自分自身にそのはけ口を見出すこともあります。
自傷や自死もその矛先の違いだけで、人を破壊することには
変わりがないのかも知れません。

今とくに感じられるのは、他者の怒りや痛みの事件につけ込み
さまざまな形で自分の怒りを発散させようとしてしまう
人々が多いこと。

義憤もまた怒り

集団の場合には、この怒りのエネルギーや矛先を(自己の気の
発散や利益のために)コントロールして煽動する人間までもが
現れたりするのでそれを見抜く姿勢も大切かと思います。

事件として法的懲罰の対象には、レベル問題という線が引かれますが
これらすべての心理的な構造は同じもののように感じます。

これらの悲劇を減らすためには対処療法的な対策だけではなく
個々人が受け入れられ、弱みや痛みを理解され、受容され、尊重される
(裏を返せば自分や他人の弱みや痛みを理解し、受容し、尊重する)

責めるのではなく、分かち合おうとすることが
キーとなるのではないかと思います。

まさしく慈悲の心ともいえそうですが…^^;
自分にできることとして、その姿勢を保つ努力をしようと思います。

そうあることにより心の自浄作用を持つ社会を築いて
いけるのではないでしょうか?
むしろそうでなければ、今後も人の間の悲劇は起こり続ける
だろうと思います。

正義や理屈ではなく、想いの本質で自分や相手を知ろうとすると
引き寄せ合い、絡まる同質性が見えてきます。


※キッカケ、刺激のメタファー

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by dryangle | 2012-09-20 13:09 | ココロと社会 | Comments(0)
セミナービジネス
えっと、ビジネスセミナーではありませんよ^^;

最近(でもないのですが)、心理や精神分野の情報交換の中で
自己啓発セミナーについての話題や質問をよくいただきます。

米国で1970年代頃に誕生したそうですが、日本にも上陸し
90年前後にはけっこう隆盛だったみたいですね。
昨今は仕事や人間関係の実用ノウハウを超えて、自己の内面の
変革を目指す精神世界系へと発展したものも多いようです。
なかには(悪くはないですが)宗教思想へと誘うものも。

数多あるセミナーの中で目についたのが
セミナービジネスを成功させるセミナー!?
こんなものまで、あるのですね〜!

ワタシ自身はこの種のセミナーにはこれといって関心がなく
その内容も詳しくは知らないのですが、気にかかったことが…

それは、セミナー(資格取得を含め)依存の人が多くいる
のではないか?ということ。

そのような人はもちろん優良な顧客、リピーターになり得ます。
セミナーを繁盛させるには、その依存心を刺激することです。
心を惹き付けるものの多くは、そういう構造があります。

心が軽く、為になるような学びの機会をけっして否定しません。

鵜呑みではなく、さらに大きな外側の観点から見ることのできる
視野を広げる(多様な視点を受け入れる)機会になることこそが
大切なのではないかと思います。

※同調や所属、承認など各種の欲求不満や飢餓感を因とした

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by dryangle | 2011-10-19 14:33 | ココロと社会 | Comments(0)

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