金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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カテゴリ:親子の関係( 30 )

飢える心とその連鎖
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
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季節がら、家族や近い関係の人々とじっくりと過ごす機会や
時間が増えているのではないでしょうか?

家族(親やパートナー、その他の人間関係にも置き換え可)
言動に悩まされたりしていませんか?


ヤッカイな、重たい、冷たい、嫌味な、辛辣な、高圧的な、イジケた
しつこい、押しつけがましい、恩着せがましい、媚びるような
とりあわないような、無視や拒絶をするような…

以前は他でもない「自分の存在を認めてほしい(サビシイ)」という
アピールだと頭では理解(我慢?)して、ほどほどに受けとめたり
聞き流したりすることが最善だと考えていました。

が次第に、耐えがたい嫌悪感に発展し拒否感や反抗心(怒り)が
わくに至り、とことん自分のそれと向き合って考えてみることで
いくつか気づいたことがあります。

まず相手の側に、こちらに対する嫉妬心や対抗心、侮蔑感といった
つまりは悪感情があったということ。
言葉の裏に含んだり、巧みに矛先が違うように見せかけ、結局は
こちらに「批判、否定」というネガティブ攻撃を仕掛けているのです。

とくにそれが親である場合、自分の存在や価値を認めて欲しい
気持ちが下位の存在(子ども)に対しては「自分(親)の権威を保つ」
ことにすり替わり
そのまま相手と「対等になる恐れ」を呼び起こします。
それは自分の存在価値が(感じられ)なくなることへの恐れであり
下位と位置づけた存在(子ども)への批判、否定や、エスカレートすると
なじり、けなし、侮蔑がしつこくなるように思います。
さらにはワタシも経験したような過剰な折檻(虐待?)にまでも…
(もちろん親子で立場が反転する場合もあります)

それは、ある意味でその人の自分に対する甘え
つねに「自分の側が承認されたい(守られたい、重要でいたい)立場」
を保ち続け、それを相手(子ども/親)に要求するというもの。
だからこそ「相手(子ども/親)側の弱さや甘え」をまったく拒絶します。
知りたくない、聞きたくない、応えたくない、共感しないといったことが
起こる説明としてピンとくるのではないでしょうか。

さらに仕組まれた、こちらの側で反応する「罪悪感」に似たような感情。
申し訳ないような、自分が今のままではいけないような、なにかを要求
されているような、相手(親/子どもの期待)に応えなければいけないような…
また比べられ自分が劣っているような「恥」に思わされる気持ちにも
大変不快なモヤモヤ感があるかと思います。

それが漠然としていればいるほど、重苦しさが後々まで残されるように
感じます。

だからこそ、こちらの側も「自分の存在を認めてほしい(サビシイ)」
「心の支えや温かい励ましが欲しい」といった気持ちがつのるのは
必然
自分がそんな気持ちでいっぱいいっぱいだとしたら、相手のそれを
受けとめる余裕なんて持てないのは当然ですよね。

大人になったからといって、周囲の相手の甘えを受け容れられるほどの
心の体力(包容力)が育ってないというのが実情ではないでしょうか。

親の側の「承認や甘えることへの心の飢え」と要求の仕方
悲しくもそれを同じように受け継いだ子の側と
ない者同士が求め合うという葛藤が起こります。

親はかつての子であり、子がまた親となり
世代連鎖するごとにさらに飢えていく心。

メンタリティというのでしょうか、そのようなモチベーションを仕掛けて
自分ばかりか他人を動かしているというカラクリがお互い(社会?)の中に
あるのではないかと思います。

この背景が文化的なものだとしたら、ちょっと…ですよね^^;

こういった関係が煮詰まると、自分を追い詰めてまいってしまうばかりか
相手を追い詰めるか、衝突するかといった展開になるように思います。

それを避けるためには、相手との物理的距離ばかりではなく
その関係性との「気持ちの距離」を置けるようになること
必要ではないかと思います。

いわゆる「負のコミュニケーションパターン」を見抜けるようになること。
こちらの心が重荷や反応で辛い時には、可能な限り相手との接触を
避け、その重荷や反応を自分の内側の抵抗と見据えること。

自分自身も子育てをしながら、子どもの甘えやあり方を受けとめられない
(抵抗を感じる)自分の器の小ささにイヤというほど出くわしました。

だからこそ「親=絶対上位=安心して頼れる甘えられる相手」という
幻想を捨ててみると、自分が親としても謙虚でいられますし
今の世代の「苦しむ子ども達」の実像も見えてくるように感じます。

自分に押しつけられた役割、相手に期待する役割から互いを解放すれば
―少なくとも「そうあろうと意識する」ことさえできれば―相手にも自分にも
少しは気楽に、やさしくなれる、満たし合う関係に近づけるかと思います。

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by dryangle | 2013-08-15 10:00 | 親子の関係 | Comments(0)
親殺し・子殺し
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またまた刺激的なタイトルですみません^^;
あくまで精神的な意味においてのということで。

それが叶わぬ果ての果てに、現実に及ぶこともありますが
本当に必要なことは自分を生かすことなのだと
親も、また(成長した)子の側も気づくことが大切ではないかと
あらためて思います。

誰かのあり方に自分の満足や幸不幸、安心感
その時々の感情までもが大きく左右される。
これはその相手に精神的に依存しているといえます。

もちろん程度問題だといえますが、親子/近親関係においては
それが顕著に表れます。

またそれが他者との関係性に映し出されていくのです。

どちらの側も相手の精神にパラサイトしている限りは
支配(もしくは犠牲)による奉仕(もしくはそれを得ること)を
愛(善、もしくは親孝行)だと勘違い
します。

そういった関係を強いられてきた心が、それと気づかずに
誰かの嫉妬や搾取を恐れてダメダメな自分、不幸なまま
でいることを選んでいることさえあるのです。

それもある意味で、大元は親への忠誠といえるのかも知れません。

もちろん意識の奥底ではその違和感を溜めこんで
膨らませていきます。

関係の上位者は怒りや愚痴、不満、暴言、暴力の人となり
下位者としては、我慢、無気力、鬱、悲しみの人となります
(相手との関係や状況によって異なる気持ちが現れます)。

誰かの精神にパラサイトしているということは、とりもなおさず
その誰かに自分の精神がパラサイトされているということ。

これに気づくことによってその拘束力を無効にすることが
互いに自分の内なる親殺し子殺しになるといえるのでは
ないでしょうか?

ただし、子の側は親殺しのためにエネルギーを使う一方で
親の側はそれを阻むことにエネルギーを使う傾向性がある

かと思います。

より経験や力のある(親や大人の)側がそれに気づくことが
できれば、スムーズに太い絆、信頼関係へと成長するはず。

自分の中の相手を殺すことは、相手を解放すること
それはそのまま=自分を解放すること。
それこそが自分を生かすことなのです。

自分と相手殺しから
自分と相手の成長へ

そんな親殺し・子殺しのプロセスを同じ自分が
子として、親として乗り越えることが大切だと
今さらながら痛感しています。

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by dryangle | 2013-06-10 12:51 | 親子の関係 | Comments(0)
私、本当はどうしたい?
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「するべきこと」や「しなければならないこと」
さらには他人に「してもらいたい/させたいこと」ばかりを
探し出しては、日々追いかけ(られ?)ているけれど
よく考えたら…

あれ?したいことが見つからない

そんなことはありませんか?

もしそうだったら、アナタは多分
親の子の役割を背負い続けています。

ただなんとなくしたいこと、したくないこと
正当な理由や正しさを探してしまうとしたら
それを証明しないといけないと思っていたら

アナタも多分
親の子の役割を背負い続けています。

なにかを期待されたり、頼まれた時に
したいか、したくないかではなく
できるか?できないか?で考え

応じた時には、やらされた感(被害/犠牲の意識)や疲労感
応じられなかった時には、自分への言い訳や罪悪感

どちらにしても不快感に苛まされるとしたら

アナタはきっと
親の子の役割を背負い続けています。

自分のために時間やお金を使うことに気がひける
誰かの後押しや許可が欲しいような気がする

努力したこと、勤勉だったこと、怠けていないこと、
きちんとしてること、無駄遣いしていないことを
誰かにアピールしたい、知ってもらいたい、認めてもらいたい

自分勝手だと誰かに咎められるような気がする

アナタはまぎれもなく
親の子の役割を背負い続けています。

アナタの親が「そうさせたかった」子のあり方
その役割を背負い続けながら必死に生きています。
本当はどんな気持ちでいたいですか?
本当はナニを手に入れたい?
本当はどうしたいですか?

自分の心に直球で投げかけてみてください。

したい、したくないと感じること
理由なんかない。

それをそのまま選択することに
理由なんかいらない。

すべてを自分の意思と責任で引き受ける
自分を生きる大人になろう。

大人になることは、自分を殺すことではなく
本当は自分を生かす(活かす)こと

そうすれば…

爽やかな風が背中を押すようなカンジで
したいことがみえてきますよ^^


※念のために申し添えておきますが、恨みの蓄積、感情の爆発、怒りの発作
 などによる欲求(不満)や衝動的な行為は当然含みません。


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by dryangle | 2012-10-04 13:10 | 親子の関係 | Comments(8)
教育虐待
いつものようにネットサーフィンをしていたら
毎日新聞のサイトに教育虐待という記事を見つけました。

言葉の暴力や体罰を伴うことがなくても、一方的に指示を
与えるプレッシャーを表現したやさしい虐待や親の愚痴
などの心の重荷を背負わせるきれいな虐待という言葉を
少し前に知ったことに加えてこの言葉を目にしたので

「子どもの本来性が押さえつけられている(三番目の記事から)」
ことをただちに虐待と名付けてしまうのも過激ではないかな?
abuseとも語感が違うような…と

虐待という言葉が乱用されている感を覚えながらも
読んでみると、考えさせられる点が多々ありました。

親から過剰な教育を強いられる。親が意のままに子どもを
操ろうとし勉強の成績でしか子どもの存在価値を認めない。

それは時に精神/肉体的な暴力へとエスカレートします。

それらは痛みや怒りの反応/発作症状(≒怒り)とも
いえるかと思いますが、それを誘発するのはやはり恐れや不安。
焦りや罪悪感、劣等感、強迫観念…といった負の感情です。

喜びへの期待から、自己の負の感情の対処へのそれに変わる。

不本意なことを期待されるのは励みではなく重荷になり
そしてすでに重荷以上に過酷な現状があるようです。

子どもの受忍限度を超えて勉強させるのは『教育虐待』になる。
(武田信子教授 前述の記事から)

自分も何かを強いられ、また自らにも強いてきた親にとっては
我が子の受忍限度がどれほどなのか、もとより自分とは違った
受忍限度があると認識すること自体難しいことかも知れません。

これもやはり親の側の不安や痛みの反応

それに気がつかぬまま、狂気にまで走る悲劇

この言葉がたんにレッテルを貼ることではなく
親当人の認識や自覚を促し、その罠に落ちることを防ぐために
役にたつことを願わずにいられません。

多分哲学のauthenticityではなく、spontaneityのニュアンス
だろうと思うのですが、自発性や自然さといった意味を持ちます。
専門家は一般に語感が浸透してない言葉を使いがちですね^^:


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by dryangle | 2012-08-23 14:57 | 親子の関係 | Comments(0)
「親」という幻想
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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・私は何ごとでも親の期待通りにできないと罪悪感を感じる。
・私は親の言うことを拒否すると罪悪感を感じる。
・私は親が喜んでくれないと悲しい。
・私は自分の望むことをして、それが親を傷つけたら悲しい。
・私は親から批判されたら腹が立つ。
・私が親の世話をすることを彼らが期待していたら腹が立つ。
・親と話をすることなど意味がない。そんなことをしたところで
 ろくなことはないからだ。
・親が変わってさえくれれば、私の気分は晴れる。
・もし彼らがどれほど私を傷つけたかを、わからせることが
 できたら、彼らも態度を変えるに違いない。
―スーザン・フォワード『毒になる親』からランダムに抜粋

もしかしたら、胸の奥が疼くのを感じるかも知れません。

人によっては、子育てを通じて自分自身と親との関係の
未消化な心の痛みに再び直面しなければならないことが
次々と起こってきます。

それはまた、いつかは消化しなければならない課題として
起きてくるものであり、心の痛みとして反応します。

どんなカタチに変化していても、自分の中に親の愛情を乞う
気持ちがある、あり続ける、ということに気づかされる。

それは子ども時代から続く求めても得られないという
観念の傷をえぐることの繰り返し。

それを理解できた時こそ(時間がかかるかも知れませんが)
その思いを潔く断念して、愛情を求める側から与える側へ
真の意味で大人へと成熟する時だといえます。

そして、ここでお伝えしたいことのすべてともいえるのが
(前述の本などを参考にして)自分を奪還する
…いえいえ^^; 健全な大人へと成熟する試練に
チャレンジする上で陥りがちな危険な罠があります。

けっしてそこに踏み入らないためにも
その都度、意識する必要のあること

それは

真に対決すべきなのは、実際の親のあり方ではなく
自分の心の中に棲む親(の人格)であること。


それを取り違えると果てしない不毛な苦しみに陥ります。

自分の中の親という幻想を消す。
彼らもまたたんなる一人の人間に過ぎない
…そして自分も。

すべての役割は幻想です。
それが違和感なく腑に落ちる時は必ずきます。

そうすると、かつての親の、今の誰かの
そして自分の

まだ自分の方が大切に扱われたい、かまって欲しい
気づかって欲しい、認めて欲しい、というように
無自覚に誰かの気持ちを期待しながら、痛みにかられ
攻撃し、ふてくされ、駄々をこね、嫌みな態度をとる
自分の気持ちにしか焦点が合わない
満たされぬ子どものあり方が理解できてくるのです。

※内容が重複しますが、こちら6年前のワタシの書いた
愛に飢える人々、さらに1年後の愛の代用品を乞われる苦しみ もよろしかったらぜひ^^


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by dryangle | 2012-05-18 13:12 | 親子の関係 | Comments(0)
母(父)親失業?卒業?【3】
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いまさらカミングアウトでもないですが、今は乗り越えたものの
かつて個人的に苦しんだある心の問題の一つが子離れの障害
なり得るかも知れないと考え、さらに書き加えることにしました。

ごく少数であっても思い当たる方がいるかも知れません。

分離不安障害(Separation Anxiety Disorder )

子育て情報の中に覚えがある方もいるかと思いますが
一般には赤ちゃんから子ども、せいぜい思春期までの
気持ちの問題として取り扱われています。

来年出る(らしい)改訂版、DSM−5精神障害の診断と統計の手引き第5版
ーアメリカ精神医学会ーでは、その項目が「不安障害」のカテゴリーに
移動するらしく、一般成人への適用が可能になるかもしれません。


自分の経験からすれば、大人の分離不安も大いにアリです。

実感としては、全般性不安障害の(諸々の)症状の一つだと
いえるかと思います。

ワタシの場合は、むしろ成人して結婚し大切な人ができた
頃から分離不安を自覚するようになったと思います。

夫は仕事上他国への出張が多かったのですが、電話も通じにくい
途上国に滞在する際にはひどく心配をしたものでした。
最初は「そりゃ、心配だよね。」という程度のことでしたが
そのうち毎回出発の日をカウントダウンして怯えるようになり
連絡がこないと、今でいうパニック発作様の状態に陥りました。

…ところが、劇的に緩解したのです。

子どもが生まれ、子育てを始めてから。

今思うと、大切な人が基本はいつでも身近にいるという
状態を得たからだといえそうです。

先に結論を言いますと。その子が成長し、ワタシから離れると
いう状況が増え、また同じような不安症状が増してきました^^:

ICD−10(国際疾病分類第10版)
Separation anxiety disorder of childhood
a.強く愛着を持っている人に災難が降りかかるという
非現実的な、現実離れした心配に心を奪われる。
あるいは彼らが去って戻らないだろうという恐れ。


大人なんですけれどね^^;
極端な不幸まで想像(妄想)して怯えてしまうのです。

子どもの自由な活動にも消極的になってしまいがち。

これまでにも様々な自分の心の問題について原因も含め
思い当たりまくりなので、多くの場合において客観的に対処
することができましたが、ツライ、ツライ!!

自分がそういった過程を経てきて、最近とくに思うことは
よく子離れできない、過干渉、過保護だと批判される
親御さんの中には、こういった苦しみを誰にも言えずに
抱え込んでいらっしゃる方も多いのではないか?ということ。

多かれ少なかれ、なにかの不安や強迫観念が突き動かして
いるのではないでしょうか?

それらを癒すのは、(あり方への)批判ではなく
(心情への)共感に他なりません。


面白いことに、夫についてはあまり心配にならずに信頼して
放っておけるようになりました(爆)
愛が減ったのではなく、執着が減ったのだと思いたいです^^

愛着を持った人への執着が強く、それを失うことに激しい
不安がある。
たんに「アタッチメント獲得の失敗が原因」といってしまえば
そっけないですが、当人の苦しみは筆舌に尽くしがたいもの。

今度は他に愛着の対象を得るのではなく、まだ残る子どもへの
執着を減らしていこうと意識して模索しています。

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by dryangle | 2012-04-26 12:05 | 親子の関係 | Comments(0)
母(父)親失業?卒業?【2】
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「それが親の愛なんだよ」と言われてしまえば
「そんなものかなぁ?」と一つの落としどころになりがちな

子どもへの想い、コダワリ、干渉

前回は親という役割(アイデンティティ)を失うことへの
抵抗について書かせていただきました。

…が、もっと根本的な部分で苦しんでいる方もいるかも
知れないと思い当たり、前回に続けて書いてみますね。

それは親の役割の手前にある自分というアイデンティティ
傷つけられたり、それを失うかのように感じることへの抵抗です。

その自分には

親自身の自己像や子どものままの(未成熟な)部分

も含まれています。

かつて子どもは親の自分エリアの中に同化していました。

アイデンティティを共有する。例えばそのアイデンティティに
属する誰かが侮辱(もしくは高評価)された時に直接関係のない
自分が、まるで自分のことのように腹を立てたり、喜んだりする
…誰もが経験しているのではないでしょうか?


その一体感がとりもなおさずつながりでもあります。

成長した我が子をまだまだ自分エリアの中に
抱え込んでいたら?

あれやこれやと介入したくなるのは無理もありませんよね。

それは共感できるということではないの?

いえ、いえ。

あくまで共感は相手の気持ちに添うこと

もちろん同じ気持ちであるうちは、そのつながりが親子双方の
関係に良い効果をもたらしますが、もしそれが異なった場合に
この場合の一体感では、…当然ながら^^:

大枠である親が自分の気持ちを優先させてしまうのです。

子どもが精神的に自立し始め、親の自分エリアの壁を打ち破る
思春期頃の衝突のカラクリはこの辺りにありそうです。

親の自分(エリア)の壁には、親自身の子どもじみた
欲求、嫉妬心や屁理屈、偏見、根拠のない不安や恐れなども
もちろん含まれています。

親自身がその気持ちの中に未解決(未成熟)の問題が多ければ
多いほど、その壁は厚く、強固になりがちです。
それはとりもなおさず、親が自分自身を形づくる根源。

我が子を親(の自分)の枠以上に成長させる。

つまりその壁の外に押し出すために
親自身が自分と向き合い、その壁を崩す努力と勇気を
強いられることになるわけです。

自己否定の恐怖に直面することにもなり得ますが
自分を肯定した上で、相手も肯定すること
そのための折り合いを親子互いが学ぶチャンスでもあります。

(先代が学んでくれていたらなぁ…ちぇ。)

自分に自信があっても、なくても。

親の不愉快は子どもの成長の証(あかし)なのかも知れません。

親を失業ではなく、卒業するために。
親に課せられた卒業試験といえるような気さえします。

あ〜シンド^^;

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by dryangle | 2012-04-25 13:29 | 親子の関係 | Comments(0)
母(父)親失業?卒業?【1】
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今個人的にホットなトピックは子離れについてです。

むしろ先輩の方々からご意見やアドヴァイスをいただきたいのですが
足固めとして、以後時々は想いを綴っていきたいと思います。

学業や職業、結婚や妊娠出産・子育てのステージへと
駆け抜けるように進んできたものの、人生の午後*には
次のステージへとスムーズに移行しづらくなってきます。

実感されている方も多いのではないでしょうか?

実際には、我が子の巣立ちまではきっとまだ何年もあるのですが
目に見えて大人への成長が進む中で、それに連れて黙って見守る
つまり信頼して任せることの必要性が増してきました。

これが案外ストレスなんですよね^^;
すべて背負って守ってあげることの方がラクだったと思うくらい…

最近どこかで「親が子を後追いする」という話を耳にしました。
親の役割を失うことに抵抗するあまり、子の自立を
妨げるまでの干渉をしてしまう、という親の話です
(さらには、巣立たない・巣立てない役割を担う子どもとの
共依存関係も指摘されます)。

それほど自分を投じていたという証拠でもありますよね。

あれこれ心配のあまり、つい先回りして世話を焼いてしまうのも
無意識に親の役割を失うことに抵抗しているのかも?と
ハタと思い当たり逐次反省の日々です。

ああ、でも。だまって見ているのがジレッタイ!
いやいや、自分からなにか言ってくるまで待とう…(爆)

わざわざそんな隙を見つけ出してしまう自分が恨めしい〜
まるで働き盛りの失業中のような手持ちブサタ、やるせなさ。

引き継がせたら離れる、これこそ仕事の総仕上げですよね。

自分が請け負っている仕事をいきなり取り上げられたら
失業ですが、成し終えたら卒業


なんだかとても淋しいような感傷もあるけれど
親子関係から大人同士の関係へ

いつか親という仕事を成し終えた!とその卒業を喜べる心境で
我が子の巣立ちを見送りたいと精進中です。

*ユングの言葉。
 ミドルエイジ、人生の折り返し地点を過ぎてからの時期を指す。

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by dryangle | 2012-04-24 12:11 | 親子の関係 | Comments(0)
想いの鎖は「重い」のです。
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あるお母さんのお悩みを伺いました。

その苦しみの核心はお子さんの問題行動。
それを正そうと必死になり、さらに締めつける。
お子さんの問題行動はさらにエスカレートする。

お話から、お母さんの価値観によるレールを敷き過ぎ
押しつけ過ぎ、干渉し過ぎという印象を持ちましたが
そのお母さんにとっては、それが当たり前であり
彼女なりの愛情というエネルギーの注ぎ方
頑なに実行しているに過ぎません。

ふと、なぜかお子さんがその彼女に代わって
不満を爆発させているような気がしました。

元々お母さんの方が、なにかしらの強い不安や不満を
持ち、お子さんに期待することへと追い立てられている。

期待も行き過ぎると呪いと化し
相手のエネルギーを奪ってしまいかねません。

期待が相手にエネルギーを与えるのなら愛情
相手からエネルギーを奪うのなら呪い


自分が満たされていれば、負の期待を持ち得ません。
エネルギーを奪う必要がないのです。

誰かにこうあって欲しいと期待してしまう時
それは自分の中に不満があることの裏返し


まず自分の不満を他人のあり方に依存せず
掘り起こして、癒すことが大切です。

また誰かの想いが重い時

自分で選ぶという決断の必要性があると同時に
自分もまた誰かに期待し過ぎていないか?という
気づきのチャンスだといえるかも知れません。

…ちなみに前述のお母さんは自分の側に向き合う
勇気
がまだ持てないようでした。
それにはきっと強烈な痛みを伴うことが想像されます。

そのお母さんもまた娘として
母親の期待に応え続けてきました。

心の膿を出すため痛みに切り込むことができるのは
本人だけ
その必要性を受け入れることができるまで
待つしかありません。

水を向けながらも、今は多くを語らずに
ただ気持ちに寄り添っていようと思いました。

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by dryangle | 2011-11-16 13:06 | 親子の関係 | Comments(0)
殺伐とした心の風景
ごく個人的な話になりますが…(もしかしたら
ある種のカミングアウトともいえるでしょうか?^^;)

ワタシには喜ぶという実感があまりありません。

一般的な楽しみや、喜び、それ相応の状況にある時には
まるで演じているように、周囲に喜びを表現しているような
気がしています。
明らかに不安や居心地の悪さを覚えたりもします。

自分を喜ばせるということもできず、ごく近い友人に
「何をすると自分が喜ぶ?どうしたら嬉しいもんなの?」と
質問しては、困惑させたりもしましたっけ。
自分なりに考え、たどり着いた答えが
「それを感じる感覚器が(発達して)ない?のだろう」
ということ。

喜びを表明することが感謝なのだとしたら
感謝の気持ちも持ち合わせていないのかも知れない…
などと、ずいぶんと悩みましたっけ。

最近、子は親を救うために「心の病」になるという本の中に
これまで以上に腑に落ちた説明を見つけました。

「普通の」子は、欲求を満たして、自分の存在を確認する。
虐待を受けた子は、欲求を我慢して、自分の存在を確認する。
そして、逆転した存在感は、異なる心理システムを作り出す。

我慢だけが「いる」ことの「手ごたえ」であれば、そこに
「生きる喜び」は生まれない。喜びは自分の欲求を認めてもらい、
満足させてもらって初めて感じるものだから。

―以上、前述の書籍より引用。

虐待についての定義の如何はともかく、いわゆる「普通の」人々は
欲求を満たして、自分という存在(自らのアイデンティティ)を確認
するという説明に衝撃を受けました。

ワタシの存在の「手ごたえ」からは、「生きる喜び」は生まれない!!!
どうりて…

オオゲサな言い方ですが、「生きる喜び」(の実感)を求めては断念
それでもまた乞い求めては断念するという繰り返しでした。

喜びや感謝のない心の風景は殺伐としています。

そこに喜びの果樹園を築くためには、受け容れ難い「普通の」人々の
あり方を、それを映し出してくれる家族や周囲の人々のあり方を、
それでも何度も受け容れ、気づき、自分の心のシステム
変化させていく以外に方法はないのだろうと思います。

これが自分に課せられたライフワークといえるのかも知れません。

まるで心情吐露のような文章を読んでくださってありがとう^^。

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by dryangle | 2010-07-27 08:33 | 親子の関係 | Comments(8)

Illustration by ふわふわ。り