金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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カテゴリ:親子の関係( 30 )

否定された自分―自己のアンチテーゼ
疾風怒濤の時期とも比喩されるのが思春期
そんな思春期只中の我が子と向き合い、少しは経験を
積んだ今になって思うことです。

「どっしり構えて見守り、不安を受けとめてあげる」とは
巷でよく耳にするアドヴァイスではありますが(もちろん、
そうできるのが健全なのでしょうけど)、わかってはいても
子どもよりもむしろ、わき起こる自分(の感情)にふり回されて
ホトホト疲れ果ててしまう場合も多いのではないでしょうか?

子どもの反抗、もしくは抵抗と親の目に映るあり方は
親自身が、その存在を否定して(正して)認めなかった、
時に我慢して封じ込めたかつての自分のあり方

子どもはそれを見事に演じてくれているというのか
親の側が目ざとく暴きだしてしてしまうというのか

わかっていてもいちいちナーバスに反応してしまう
自分を見つめてみると、そこにあるのはこちら側の

否定された、認めてもらえなかった、大切にしてもらえない
こうありたいのに、そうありたくないのに、わかってもらえない

そう思う(思い込む)心の痛み
ふたたび遭遇し、蘇るあの頃の怒りや不安。

そうやって築いてきた自分なりのあり方・テーゼ

親から人格を分離させようとする過程にある子どものあり方は
親の目には、親自身のアンチテーゼを映し出しているように
見えるのではないかと思います。

かつて親との関係によって負った心の痛みが、強いほど、多いほど
子どもによってえぐり出される心の痛みも強いこと、多いこと^^;
(思春期を待たずにあらゆる意味で子どもを征服してしまうことも※)

親はそのあり方を、再び否定するのか?それとも認めるのか?
今一度向き合わなければならない運命なのかも知れません。

痛みを直視できずに、子どものあり方を無下に否定し
押し込めるほどに抵抗の圧力は高まります。
かつての自分同様に屈服させるのか(うまくいくとは限りませんが^^;)。
痛みを乗り越えて、積極的に子どもを認め、折り合っていくのか…

親が、これまでの人生で築いた自分自身の鋳型を
子どものあり方がコントラストになって強く見せつけられる
節目の時期、自分もまたあらためてそれを見直すチャンス
だとさえいえるように思います。

…そう思う自分は、きっと思秋期の只中にあるのでしょう^^。

※虐待や痛ましい事件を引き起こすのも、このあたりのカラクリかと
 個人的には考えています。

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by dryangle | 2010-07-15 09:16 | 親子の関係 | Comments(0)
期待≒要求?―双方を縛りつける鎖
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
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ワタシも身に覚えがありますが、能力や成果は幸福の条件
信じるあまり、その想いを自分や自分の延長である家族や
身近な他人・それを具現するスターやヒーローなどに投影し
期待(未来を過大評価)しがちです。

一方、に分類される人の能力や成果は、羨ましくも
妬ましくも感じるものですよね。

家族、とりわけ子どもは、一番密着した自分の延長といえます。
他者と比較したり、そのあり方・成果にガッカリ…という失望感
自分に対して抱いている(もしくはかつて抱いてきた)感情の
延長線上にあるとはいえないでしょうか?

自分に対しても未来を過大に期待し、叶わない結果に失望を
感じること・さらにはそれを材料に今の自分でいいのだろうか?
疑問を持つことがパターン化してはいませんか?

転じて

今のままのあの子でいいのだろうか…?

どこかで期待というものは、相手との合意のない一方的な約束
という表現を目にしまして、妙に納得したことがあります。

叶わないことに、ガッカリや失望、ついには憤りすら湧くとなると
それはすでに(一方的な)要求といえるのではないでしょうか?

過度な期待(≒合意のない要求)は、双方の足を鎖で縛る
足枷のような気がします。

それを断ち切れば、相手の、そして自分の身が
いえ、心がどれほど軽くなるでしょうか?

「あ~、ワタシまた期待し(過ぎ)てしまってるんだなぁ…」と
その都度、意識できるようになることが大切だと思います。

意識が、重い足枷の鎖を断つハサミとなるのです。

その想いが、相手を支える心のエネルギーとなること。
それが期待の本質だとワタシは考えています。

自分に対しても。我が子に対しても。

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by dryangle | 2010-05-12 09:39 | 親子の関係 | Comments(2)
日本一醜い親への手紙
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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日本一醜い親への手紙(Create Media 角川文庫)

あまりにもショッキングなタイトルを目の当たりにして
素通りすることができませんでした。

ネットで原文・続編の原文が公開されています(した)が
読み進めることがなかなか苦痛でした。
※2016 3月現在 リンク切れとなっています。検索でいらした方にはスミマセン。
追記:2017 2月現在確認のところ コンテンツが変わり、編集されたフリーライターである
今一生さんによる『子育てリストラ宣言』という文章になっているようです。



世間では、愛と憎しみは表裏一体といわれますが

愛を渇望する怒り=憎しみ

なのではないかと、つくづく思います。

その気持ちに気づかないようにやり過ごしても
気づいたがゆえに非難の矛先を研ぎ澄ましても

いつしかその憎しみは親から子へと受け継がれ
その子は親を、または自分の子を、伴侶を、友人知人を
誰かを憎むという連鎖の罠に陥れます。

代わりに無意識に、相手を思い通りにすることによって
愛の代償を得ることを、相手へ(or 相手から)の
愛情と勘違いして必死になる人もいます。

その相手もまた、憎しみの連鎖の罠
引きずり込まれていくのです。

人を呪わば穴二つ

この憎しみの連鎖の罠は、相手と同時に
自分の心を蝕む拷問です。

自分の親もまた、際限なく愛を乞う子どもだったと
深く理解し、『愛への渇望を断念することで憎しみを消す』
という荒行を、その人生に課せられた子ども(成人しても)は
きっととても多く存在します。

愛を渇望する怒り=憎しみ

この心に巣食う伝染病が蔓延しませんように…

親に対する負の感情を意識しようとすることに抵抗
≒拒否感や、罪悪感、恥ずかしさ、責め(られ)るような
気持ちがありませんか?

これらの手紙を目にすることによって、アナタの
心の内の病巣が、その存在を認めて欲しいと
疼(うず)き出すかも知れません。


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by dryangle | 2009-06-18 10:00 | 親子の関係 | Comments(4)
「痛みの記憶」を開放する
精神分析に「(感情)転移‐Transference‐」という言葉があります。

過去自分にとって重要だった人物(多くは両親)に対して持った
感情を他の人(もともとは治療者)に対して向けるようになるという
現象(―ウィキペディアより)だそうです。

勝手な解釈を加えれば、過去の出来事への感情的な反応
(心の痛み)が、その時に未消化のまま封じ込まれ
現在の出来事に触発されてわき起こることだと
いえるのではないでしょうか?

現在起こる問題が、過去の誰か・何かの出来事から
時空を超え移動して再現されている。

今ある夫婦や親子関係、人間関係のトラブルすべてが
前の世代から(悪化し?)継承される代理戦争だと
考える専門家もいます。

この怒りや憎しみの感情を、消すという言葉は当たりませんが
きちんと認識し、開放(他者にぶつけるという意味ではなく)することで
その感情の自動再生を和らげたり、防いでいくことは可能です。

痛みのあまりぶ厚いカサブタで覆ってきた心の傷の膿が
自分が望んでも得られなかった、許されなかった状況やありさま
を得た他の人の姿に刺激されてズキズキ痛み出す

そのような刺激から逃げ回ることが、一つのテですが
その心の内と向き合わない限り、うっかり刺激に
出会うたび、痛みは果てしなく繰り返されます。

キュウクツで生きづらいのは、そのせい。

この膿のありかを知り、そのカサブタに切り込む。
そして膿みを出しきる
当事者にとっては、とても勇気のいるチャレンジです。

誰かを非難し、正すことでは、けっして癒されません。

その怒りや憎しみ、心の痛みを初めて感じたエピソードを思い出し
それが自分のせいではないことや、さらには当時の親の限界を認めて
自分が安心で幸せな子供時代を持てなかったこと
その叶わぬ望みを断念できるまで根気よく続けていく作業。

その心の膿は気持ちの表層に出てきたくて
たまらなかったのではないでしょうか?
今表れる怒りや憎しみの感情は、その膿を出しきり
きちんと傷を癒すことが必要だというタイミング
知らせているように思えてなりません。

後の人生を「転移」ではない、今現在の自分を生きるために。

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by dryangle | 2009-06-16 09:56 | 親子の関係 | Comments(2)
愛を乞う親
ある事件をキッカケに代理ミュンヒハウゼン症候群
という言葉が注目されているようです。

ミュンヒハウゼン症候群は虚偽性障害の一つで、病気を装って
関心や同情をひくというものですが、代理(by Proxy)がつくと
患う者の役割を家族や子どもに負わせる、つまり故意に
病気やケガをさせるという虐待にいたることがあります。

これについての説明や話題は他に譲りますが^^;

心が飢えたまま、満たされないまま家庭を持ち
親となる不幸をあらためて考えさせられました。

冒頭のような極端な事象にならないまでも
ある種の生きがいを満たす役割や手段を
自分の子どもに負わせてしまうことが、俗にいう
子離れできない(干渉する)親だといえます。

また、その役割を背負ったまま自己を分化できずに
つまり自分(自らを分ける)のない人を俗に
親離れできない子・マザコン・ファザコン
といっているのではないでしょうか?

このような親は、子どもの精神的自立の気配を感じると

執拗に責めたてたり(非難)
必要のない世話を焼いたり(押しつけ)
恩着せがましくなったり(脅迫)
同情や理解を求めたり(気持ちを要求する)
急に弱々しくなって頼ってきたり・媚びへつらったり(依存)


それを妨げることに躍起になります。

これが過ぎると。

子どもの側は、過剰に抵抗するようになったり
自覚のないまま生きづらさを感じたり
虚無感や憂鬱を抱え、心を病んでしまうことも。

非行や暴力、摂食障害、ひきこもり、依存症

親どころか、大人になることさえ拒むしかないまでに
弱った人がいます。

役割を背負ったまま、社会人となり結婚して
反抗や要求の対象を、配偶者や我が子に
移行させてしまう
人もいます。

愛を乞う親は、次の世代のより愛を乞う親
産み育てているように思えて切なくなってしまいました。

子離れは子育ての仕上げ

これをしっかり意識した今後にしようと
自戒を込めて、今年最後の書き込みにします。
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by dryangle | 2008-12-26 09:59 | 親子の関係 | Comments(2)
愛情表現?それとも受動攻撃?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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相手のして欲しいことではなく、自分のしたいことをしてあげる人。
それにたいして感謝の気持ちを要求する人。

恩着せがましさというのも、その内の一つかといえますが
これによって罪悪感自分への注目といった
ある一定の感情を相手に要求している人は、自分の内に
不安な心を抱えているといわれています。

相手が自分に感謝をしてくれたり、申し訳ない、そんなにしてくれて
悪いなどといった気持ちが返ってこないと充実感が得られず、不満、
そして不安な気持ちになるのだそうです。

つまり自分の満たされなさを埋めるために、相手になにかを
してあげているのだといえます。

それは自分が注目されたい、つまり自分の価値を認めて欲しい
ということへの渇望とその欲求不満の表れなのではないかと思います。
それによって自分の価値のなさ、もしくは相手から見捨てられてしまう
こと
からの不安をやわらげようとしているのではないでしょうか?

そして…
それを愛情と呼ぶ(信じる)人が世間にはたくさんいるように思います。

心の世界では、これを依存や心理的しがみつき、境界線の侵害などなど
さまざまな概念で説明されていますが、親離れ・子離れには必ず
この種の問題がついて回るように感じています。

親の側の、大人となった子供に対していつまでも権威を保ちたいという
気持ちは子供と対等になることへの怖れでもあるのかも知れません。
ついには、感情的になって脅迫するというような駄々コネレベル
子供の気持ちを要求してくる人もいます。

ワタシ自身も経験したことですが、子供の側にとっての親離れ・自立
このような親の感情にふり回されないようになることだと思います。

親(相手)の行為や発言に、憤慨したり、罪悪感を覚えたり、
不愉快になったり、悲しくなったり、淋しくなったり、落ち込んだり。

それこそが相手の思惑にはまってしまっているということ
なのではないでしょうか?

その都度、親(相手)も不安なんだ・認めてもらいたいんだな~
共感するように心がけてみるといいかも知れません。

DSM(アメリカ精神医学会による分類)にはないものですが、
ICD(WHOによる疾病分類)の中に受動-攻撃性(否定的)
Passive-Aggressive (negativistic)と呼ばれる
※人格障害 (personality disorder) の項目があります。

この受動-攻撃性という言葉の意味について、日本語では
被害者のふりをして他人を非難するというように説明されたり
していますが、実感をなかなかつかみ損ねていました。
今回書かせていただいた(恩をきせて)相手に気持ちを強要する
というあたりは、まさにこのことではないかと感じ始めています。

心を期待される重たさに苦しくなっていませんか?

愛情とは、相手の安心や自信、そして幸福感を願うものなのです。

人格障害とは、人格が著しく偏ることによって社会生活に何らかの
 破綻をきたす障害のこと。
 これを精神疾患とするかどうかにはいまだ議論があり、 また本人は
 自分のパーソナリティが障害だとは感じていない場合が多い。

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by dryangle | 2007-11-28 14:53 | 親子の関係 | Comments(6)
気持ちを要求する気持ち
親子関係について考えるために、ネットでいろいろ検索していたところ
こんなお悩み相談の記事が目にとまりました。

個人的に驚いたのは、そこに寄せられた返答の中に
親に感謝するのは当たり前
礼節がない、恩知らず、人の道に反する
…などと、
辛らつな言葉で同調する意見が多かったことです
(ベストアンサーにも選ばれていますね)。

気持ちを表す行為(儀礼)を教えなかったからだとも
指摘されていますが

その実は、この娘さんの心中は感謝の気持ちが湧くほどに
満たされていなかったように感じます。

表す以前の気持ちがなくても、行為(儀礼)があれば満足
なのでしょうか?

人は行為(儀礼)を教えれば、行為(儀礼)のみを学ぶものです。
教える側にその気持ちがない限り、相手に気持ちは育まれません
このお母さんご自身が、人に物は贈っても気持ちを贈ったことがない
のかも知れませんね。

前に書かせていただいた恩着せ・要求(脅迫?)パターンの一つだと
感じられますが、娘に気持ち(物?)を要求するほどに
その心は寂しく飢えているように思います。

どちらが先に気がついて、真に相手の気持ちを満たすことが
できるのでしょうか?

感謝の気持ち」は、満たされて相手も満たしたいと願うこと。
(気持ちを)要求すること」の対極にある精神的境地だということを…

誰かに気持ち(その代償としてのカタチ)を要求してはいませんか?
自分の中にないからこそ、求めたくなるのです。
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by dryangle | 2007-04-04 01:15 | 親子の関係 | Comments(0)
「ココロの親離れ」できていますか?
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アダルト・チャイルド(チルドレン)。
かなりポピュラーな言葉となりましたね。

ワタシの"極"個人的な解釈としては、「精神的な」自立(巣立ち・親離れ)の
ないまま、大人となってしまったヒトだと考えています。

自分の意志による選択権や責任を得てからも、心のどこかに親やそれを象徴とする
(世間など)視点の観念が自分の自由意志をジャッジしており、背こうとすると
怖れや罪悪感といった感情に支配されるというパターンです。

これが世の中の価値観と符合していて、生きていく上での利害と一致すれば
その観念に疑問を持たないままに済むのでしょう(現実に、儒教の影響の濃い
日本文化には、精神面について親や年長者の観念の「踏襲」に価値を置き
「自立」には背反の意味もありました)。

身近な話に戻せば…

こうある(す)べき自分
こうす(ある)べき物事
こうだと許され(いけ)ないような感覚

いつの間にかできあがった自分の中の観念が「それをよし(悪し)」として
自分に我慢を強いるという選択をさせてはいませんか?

その上に結果が良い方向に向かず、心には不満や不快感を溜め込んでいるものの
またその「観念の縛り」によって、身動きできずに苦しんでいる状態。

「自分はアダルト・チャイルドではないかな?」と感じていらっしゃる方は
そういった状態なのではないかと想像しています。

今後は少しづつ、それまでの自分「らしくないこと」をし始めてみませんか?

例えば、"弱音を吐くこと"に、ネガティブ(イケナイよう)なイメージを持っているのなら
弱音を吐くことを認めてみる(ただし相手を必要とする場合には、相手とその
コンディションを選ばなくてはなりません)。
今まで自分には、身近に弱音をとことん聞いてくれて励ましてくれる人がいなかっただけ。
そう考えてみてはどうでしょうか?

さらには「自分の方は、誰かの弱音をとことんきいてあげられるのだろうか?」と
自問できるようになれば、大きな前進です。そのままご家族やお友達・周囲の人の
「弱音をとことんきいてあげる」努力をされてみればいいのだと思います。
そしてまた周囲の人々もこちらの気持ちを受けとめてくれるようになっていく…という
イイ方向へのスパイラルを描くようになればいいのですよね。

そうすることに大きな抵抗を感じるほどの「自分らしくないこと」。
そこにそれまでのパターンを好転させるヒントが隠されている場合も多くあります。

過去に「作られた自分らしさ」を自分の意志で脱し「自分らしさを選び取る」ことが
精神的自立なのだとワタシは考えています。
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by dryangle | 2007-01-30 10:15 | 親子の関係 | Comments(0)
ココロが渇いていませんか?
明らかな精神・肉体的な暴力によって傷ついた子供時代を
経たヒトは心が飢えています。

そしてもう一つ、表面はそれほど悲惨な状況には見えないとはいえ
他者と信頼し合うことや暖かいコミュニケーションを学び、育む
チャンスを得ることがなかったり、不足してきたヒトは心が乾いています。

他の人々が互いに共感し合う様子や、親密な関係を築いているのを見て
自分のふる舞い方に悩んだり、取り残されたような気分になるのは
また、いつもどこか傍観者のような心持ちがしているのは
自分が素直に感じたことを認められたり、気持ちを分かち合ってもらった
という体験が不足しているからだと考えます。

ワタシも、かつては乾ききって凍りついた心を抱えていました。
嬉しいことや楽しいことはもちろん、周囲が涙するような場面にも
動かない心に、自分は冷たい人間だと思い込んでいました。

仕方がないんです。

これも他の全ての感覚と同様、周囲の環境によって
養われるものなのですから。
愛情や思いやり(共感能力)・やさしさも一種のスキルであると
つくづく感じます。

そして、それらを通して他の人と交流する心地ヨサを知らないという
渇きを心が訴えているのではないでしょうか?

身近な親から、それらを学ぶことができなかったことは悔やまれますが
彼らを恨んだり、許しに努める、といったことから少し発想を換えてみませんか?

今から、自分の心に「自分で」それを育む努力をしてみることです。

辛い時、悲しい時に、気持ちを打ち明け(誰かに本心を見せることに
大きな抵抗があるかも知れません。
最初は演技でも(フリでも^^;)抱きしめてもらう。
相手が吐露した心情を、そのまま言葉にして声をかけてみる
(痛いんだね、悔しいよね。アタマにきてるね~!…などなど)。
些細なことに感動した時に、大切な人を抱きしめてみることから
始めるのもいいかも知れません。

こういった体験を積み重ね、少しづつ育んでいくことなのでは
ないでしょうか?

愛や思いやりを語る人はたくさんいるけれど、実際にそれらを
他の人の心に植えつけることのできる人はなかなかいません。

自分で種を探し、心に埋めて、自分で育むという課題を
背負っているような気さえします。

いつか、この渇きが癒されますように。
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by dryangle | 2006-12-01 11:20 | 親子の関係 | Comments(0)
愛に飢える人々
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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・自己愛不全

「子を持って知る親の恩」とは、よく使われる諺ですが

ワタシの場合は

子を持って知る「(我が)親の愛情のなさ」でした。

親の側には「こんなにもしてあげた」という言い分が
あるのでしょうが、これと「無条件に愛すること」とは
残念ながら全く意味が違うもののようです。

…以下に、ある精神科医の言葉を拝借します。

「人間は誰でも自分自身が執筆する物語の中に生きています。
親の側には自分の物語の中で、精一杯子どもを愛してきたという
ストーリーが成立しています。しかし、子どもの物語の中では、
愛されていないというストーリーが進行していて、
二つのストーリーは段々ズレてしまうのです。

こうしたズレが生じるのは
親の愛が『自分自身の欲望』だからです。

親の側のストーリーには、勉強ができる子、親の言うことを
よく聞く子といった条件が付いています。子どもからすると、
親の期待に応えなければ自分は愛されないと思うわけです。」
(太文字は後から)

…ついには応え続けても真の愛情を感じないままに
やさしさや暖かさを求めて周囲の期待に応え続けようと、自らを蝕む
生きづらい人となってしまう悲劇が待っていたりもします。

自分に正当な評価を与えることすら怖じるような
自己評価の低い人。

その反動で自分の成果を押し売りし
他人に評価を要求する人。

健全な自己愛の発達につまづいてしまった
結果なのではないでしょうか?

・世代連鎖を絶つ

ワタシには
「じつは自分も親同様に冷たい人間なのではないか?」
という恐れに愕然とした時期がありました。

そんな時には
「やさしい人はどうするだろう?暖かい人はどうするだろう?」
「自分は親にどう接して欲しかったのだろう?」と想像して
そうふる舞うようにしてきました。

自分がそうすることで、そうできる人(愛情ある人)が実在する
ことにも気づき、その人々から学ぶことによって
大きな癒しのエネルギーを得たような気がします。

ここまできて、親もまた暖かさや、やさしさに満たされることなく
育った(人生を送った)愛に飢えるヒトだったのだと
ごく自然に同情・共感できるようになりました。

許し癒しになるか?

経験上ですが、許しとはそのような「(自分の)心をほどく
プロセスそのものだと感じています。
許そうと、決心した瞬間に叶うものではありません。

数々の美談も出回っているようですが、現実には相手(親)の態度が
劇的に変わり、関係が良い方向に転じるということは、極めて稀な
奇跡
だと個人的には考えています。

肝心なのは、親に訴えて愛情を引き出す(親を変える)ことではなく
愛情に飢えた自分の心が癒されることなのですよね。

対決すべき相手は、実際の親(のあり方)ではなく
自分の心の中に棲む親(の人格とそれに応えようとする)プログラム


まだまだ怒りに似た感情がすべて消えたわけではないのですが
許しといえる心境に、少しは近づいたような気がしています。

そういった心境は、自分の飢えが満たされたという状態で
初めて訪れるものなのではないでしょうか?
親孝行といった美徳も、自分(の精神)が満たされ
(つまり成長し)てこそ成せるものだと思います。

そもそも持っていないモノは与えられないのですから。

※内容が重複しますが、こちら6年後のワタシの書いた
「親」という幻想
8年近く後の」記事「愛情の科学もぜひどうぞ^^

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by dryangle | 2006-08-04 19:30 | 親子の関係 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り