金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
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カテゴリ:周囲の人との関係( 44 )

他者依存~精神の寄生~
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
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これまでも自分軸や主体性についての話題を試みてきましたが
「自分で決められない」「言いなりになってしまう」側だけが
他者依存ではないことにハタと気づきました。

これをハッキリさせ、気づき、自覚しないことには始まりません。
共依存のもう一方、依存関係を結び、依存させる側のお話です。

表向きはしっかりしていて、自分の意見や決断力もありそうに
見えるもう一方の側の人々。

が、他者に対する支配・コントロール・干渉・献身・期待によって
自己満足を得たり、空虚な自分の埋め合わせをするという他者に
寄生し拠り所とする本質
は、やはり他者依存に他なりません

ブログやSNSでも、満足を読み手のフィードバックに頼るばかりか
それを要求するまでになるというのは依存(関係を求める)体質と
いえます。既読スルーが気になりすぎるのも疑ってみてください。


謝罪や弁解、お説教に挨拶や贈り物といったコミュニケーションさえ
「自分の気の済むために」している人はすべて他者依存です。
見方を変えれば、自分の内なる(子どもや親の)声の要求を満たす
ためともいえるのかも知れませんが。

また相手やその時々によって、依存させる/させられるの立場が交代する
こともままあります。これも同じコインのウラオモテ。

自分の価値観や意志で自分が望むように
選択し、受けとる。

自分の価値観や意志で自分が望むように
選択し、相手に受け取らせる

後者もれっきとした他者依存なのです。

親子関係において、発達初期は親子が自分(自我)を共有しているのは
必要であり当たり前です(この段階から不安定なケースもあります )が
子どものそれが芽生えた時に、それを尊重して分離していけるか
大きな課題となります。

親がこの点につまづき大人になったもの同士が、互いの必要性から親子の
役割を演じることで共依存のパートナー関係が生まれることになります。
また世代連鎖をすることで精神的な負荷が重くなり、ことに相手を満足
させる側(一方的に精神の寄生を受ける側)の精神の侵食の病態

重い心身の病から、果ては自傷/死、他者への事件を引き起こすのでは
ないでしょうか?
自己愛の障害といわれる特徴と重なります。

個人的な経験からいえるのですが、相手に対して過剰な心配をする
いうのも、無力で怯えた自分を相手に投影することから干渉するという
他者依存の一種のように感じられます。

もしくは相手が主体を生きようとする分離への禁断症状かも知れません。
発作的ともいえる心配、不安、寂しさ、怒り、落ち込み、許せなさ
まるでそれがないと生きていられないというような恐怖感

これも経験上ですが、自分が主体を取り戻そうとする時もこの禁断症状に苦しみますT_T
その典型といえる無実の罪悪感は自分への許せなさです。
だからこそ自ら脱し難く、相手が変わっても関係性は繰り返されるのです。


パートナーに対し、子どもに対し、思い当たることはありませんか?

どんな依存症もそこから脱するための第一歩は、自分がそうであると
認識し、自覚する
ことから。

子離れの時期が近づく私自身も子ども依存症の兆候を自覚した時には
ガクゼン!!としましたっけ^_^;
自分の考えや感覚、正しさまで疑うようになりました。

文化的にも生育環境的にも、他者中心・他者依存の傾向が強い自分を
自覚しておかなければと痛感します。

自分は(他者依存せずに)どうしたいのか。
相手は(他者依存せずに)どうしたいのか。

他の誰かや何かに、精神的に寄生することのないように
つねに自分の内に問いかけ続けなければ。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

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by dryangle | 2015-07-24 01:07 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
心のエネルギー 需要と供給
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人間関係に疲れることってありますよね^_^;

季節柄か、最近は近況報告の連絡をよくいただくのですが
正直たまに「面倒くさいな 〜ヽ(´o`;」と少々負担に感じる
ものがあります。

こちらの近況にまるで(もしくは偏った)関心しかないのは
良しとして、まるで確信犯的に自分の期待や意図した応答など
暗に気持ちを要求してくる。
期待する言葉としてはオメデトウ、ヨカッたね、スゴイね、
大変だったね、頑張ったね等…

自分の本心から自発的に出るときには、なんのひっかかりもないです。
それが操作的なアピールで、形式的な社交辞令など「言わされてる感」が
ある時にそんな気持ちになるのかも知れません。

気持ちは他人に支配されるとそのエネルギーを奪われる。

エナジーヴァンパイアやフレネミー、毒親という言葉もありますが
たまに異常なまで操作的に他者に気持ちを要求する人がいます。

嫌いな人ではないし、いつも言ってることはもっともなのだけれど
なぜだかどうしてか、こちらはどっと疲れる^_^;

それは一方的なエネルギー泥棒に遭っている可能性があるから。

その人は、相手(あなた)にはお構いなし、相手 (あなた)に
とって不必要な
、以下のようなことをアピールをしてきませんか?

富や聡明さ/博識、ラベル(優越)
多忙、充実、努力 (有能さ)
苦労や病気 、愚痴 、我慢(可哀相、大変)
他者批判(正当性)
恩着せ (有用性、効力性)
アドバイス、物やすべき事のおしつけ(有用性)
報告、質問(存在感)
威嚇、暴力、説得力(強さ)
相談、弁解、迷い (頼りなさ)
自己否定、卑下、謙遜、拒絶のふり(いじけ)

それによってあなたがついフィードバックしてしまう以下のような
反応が、その人があなたから引き出したいものなのです。

羨望、尊敬、上位に置く、無抵抗(敵対しない)
賞賛、
同情
味方になる
罪悪感、犠牲
感謝、頼りにする
関心、注目、影響される
服従
引き受ける、許可、決断、助力、安心させる、励まし
自己肯定(否定的肯定法)

そこには、その人が埋め合わせようとしている自己の強い存在不安
あるはずです。それは穴埋めのためのエネルギーに他なりません。

劣等感
無能、無価値感
被害者意識
孤立感
無力感
役立たず感
存在感のなさ
弱さ
背負えなさ、自己決定できなさ
自己否定

(愛情飢餓や自己愛の障害による)基本的不安、存在不安を穴埋め
して束の間の喜びに浸れる側とそうしていられるうちは良いのですが
そのためのエネルギーを他人に強要したり、さらには奪い合うという
構図が人と人の関係を表面的で殺伐としたものにしていきます。

なぜか過敏に反応してしまう、さらにこの構図に巻き込まれてしまい
人間関係に消耗
してしまいがちだという場合、特定の相手とは距離を
置くことがまずは大切ですが

自分の中にも同様に、不安や飢餓感による心のエネルギーの需要と
供給のシステムがある
という重大なカラクリに気づくことが肝心です。

気づき、そのようなやり方で他者からのエネルギーを必要としないことに
よってのみ
、自ら心の内にエネルギーを湧かせることができる
のですから。

また誰かの気持ちを要求するアピールには、心をざわつかせることなく
スルーできるようになると思います^_^

話題の「俺(私)通信」や「リア充/頑張ってる/忙しい アピール」に
マウンティング女子(笑)
その煩わしさも、このカラクリが関係しているのではないでしょうか?

土俵から降りる」、自分の中で静かに決断することで穏やかな
気持ちを取り戻しましょう^_^

自分をネガティヴにアピールすることで他者の「そんなことないよ」という
自分への肯定をひきだす方法


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by dryangle | 2015-03-30 11:41 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
自己決定⇔自分勝手・ワガママ
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ワタシの育った家では、食べ物、持ち物、着る物、すること
すべて親が与えた、許可した通り。
子ども側は「自分の好きに」選ぶことが許されないばかりか
それを求めることすら自分勝手・ワガママでした。

今でもこれを子どもの身分では当たり前と考える人もいれば
成長度合いによっては自己決定能力を養う機会を与えていない
考える人もいます。

挙句、自己決定能力の身についていない人が「自分のない人」と
批判されることもあるのですから勝手なものですよね(爆)

自分を優先(大切に)することと自分勝手の違いは何か?
と悩む人は多いようです。

きっとそれは同じことの裏表

錯視の効果によって、一つのボーダー柄のドレスの色が
青黒に見える人もいれば白金に見える人もいます。(時事ネタ

その人が条件づけられた反応、この場合は価値観や観念によって
感じ方や正しさ、許せなさの基準が異なる
ということです。

とくに個よりも集団のアイデンティティーが重要で、同調圧力の
強い日本の社会では、自分の好みや都合を優先させること自体が
自分勝手・ワガママだとされ、それに反すると非常識・迷惑・KY
という烙印
を押されます。

皆がそれを敵視することで、他者を優先しない(自分を優先する)
ことに後ろめたさや気づかい・遠慮の必要性など、無実の罪悪感
を覚えるように刷り込まれていくのです。

他者を自分の都合のいい(自分の価値観や観念に沿う)ように
操作するために、これに漬け込む人もいます。

自分の都合や、好き/嫌い、したい/したくないを優先することに
後ろめたさを感じるとしたら。
また他者の都合や言い分を優先することに素直な納得や喜びを
感じられないとしたら。
それは相手を思いやっているのではなく、従わせられているから

自分の軸、つまり主体性を生きていない
それがまさしく自分を大切にしていないということ。

自分の都合や、好き/嫌い、したい/したくないを優先して
自己決定することは、けっして自分勝手ではありません

自分を大切にできてこそ、他者を真に思いやり大切にできるのです。
相手の主体性とその自己決定を尊重し、またあくまで自分自身の
自己決定によって
それに助力するということです。

気づかいや遠慮は、主体として能動的に行なうからこその美徳

むしろ他者の主体性や自己決定を尊重しないことが、まさに自分勝手
だといえるのではないでしょうか?

自己決定=自分の生き方や生活についてを自由に決めること。

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by dryangle | 2015-03-05 10:21 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
思いやりの真実
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無実の罪悪感(False/Unreasonable Guilt)という言葉をご存知ですか?

●けっして悪いことをしているわけではないはずなのに
自分のために、とくに自分の「楽しみや喜び」のために
自分の気持ちや労力、時間、お金などを使うことに


つまりは ―「親()のために」使わないことに―
は、いずれ別の重要(上位の)他者、伴侶、上司、子ども、組織やグループなど
に入れ替わります。親という言葉でピンとこなければ、差し替えてみてください。


親()を裏切っているような、ガッカリさせるような、良くないような
「自分だけが」というような、申し訳ないような、不安や罪悪感を感じる

●大人ながら、自分の行動を自分で(勝手に?)決定することに
後ろめたさを感じたり、(の)許可や承諾がないと不安になる。

●親()のために、なにかを、しては/しなくてはイケナイような
気持ち
になる。

相手の言外の心情まで察して重たい気分になってしまうのは
心に「内面化された親の声」がプログラミングされているから。

これまで親()や周囲の大人から
あなたのために、こんな状況(や嫌な気持ち)にさせられる」という
パターンでコントロールさ(躾ら)れてきた自動反応なのだといえます。

またいつしか相手の「要求に応えること」が、思いやりや気配りという
概念にすり替えられ
、自分に強要し、圧迫することになっている。
思いやりや気配りが喜びなら、心の負担にはなりませんよね^^
これによって動かされ続けることで、鬱状態になったり、ついには
犠牲になった感や被害者意識の元になっていくのかも?と考えたりもします。


その感じ方に不快感を覚えるならば、いよいよそのコントロールから
「精神的に自立しよう」とする反動の証なのだといえそうです。
感情や反応、行動を自分で選択できるのが成熟したということ。

互いに精神的な支配を受けないという意味で、他者と距離を置くこと
のできる時期にきたのかも知れませんね。

・自分を喜ばせることは悪いことではない。
・誰か()を喜ばせなくてもいい。
・誰か()の不満は本人にしか満たせない。
・私事の選択や決定に誰か()の許可や承諾は不必要
決定を実行するためには理解や了解は必要なことも^^)

人との交流に関しても、それが喜びや楽しみが本質にあるものかどうか?
とその都度自分に問いかけてみる。
また互いにとってそうあるように選び、決めていく

思いやりの本質は罪悪感や正しさ、義務感ではなく、自分が主体的に
(けっして自己満足ではなく)相手を想いやる喜びや楽しみ、つまりは
やさしさなのだと考えます。

人や家族とのつながりが「しがらみではなく信頼に」変わっていきますように^^

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by dryangle | 2014-12-02 13:17 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
人まかせは謙虚ではなく他人軸
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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●誰の価値観を生きるか?

考え方や行動の基準を、自分の価値観や単純な欲求におくことを
自分軸といいます。

これに対して、おもに周囲の状況や世間の価値観/評価、また
他人の意見などに従って決めることを他人軸といいます。
いえ、「決める」というのならばそれもやはり自分軸であり
正確には他者に従って「決まる」のが他人軸といえます。

後者は、日本の文化(とくに女性)では美徳ともされてきましたが
最近は他文化に習い自分軸をしっかり持つ人も増えたことで
個人の内でも、人づきあいにおいても摩擦が起きています。

●本人の意思決定は不要?不作法?

文化的背景もさることながら、他人軸につけ込みコントロールする人
の存在が、過剰に他人軸に生きる人を生みだし続けます。

たとえばそのようなタイプの人を親に持つと、子どもの意志は尊重されず
子どもは親の価値観を投影する、つまりコントロールの対象になります。
自分の意志で自己決定する経験を積むことのできない、当然のことながら
他人軸を生きる人に成長することになります。
過度になると、自分の意志や要求(依頼)を禁じ続けられることによって
それ自体に引け目や罪悪感を持つようにさえなるのです。

本人には自覚もないのですが、この種の人は自分の側に求めることが
ある時には、他者の主導権によって、他者が決断したようにという
体裁を整えることに必死になります。

だって本人の中では自己主張したり、他者に要求(依頼)すること
してはいけないことなのですから。

それが自分と他人の軸のバランスのとれた人にとっては、やたらに
「(他)人まかせ、遠慮がちなのに操作的、本音がわからない」など
付き合い辛いメンドウな人と感じられます。
奮闘しているからこそ、クドクドしつこかったり、重たかったり。

かつての自分もそうだったのだろうと、痛いくらい実感します(爆)

●他人軸は本人もシンドイからこそ

他者や世間の価値観に合わせて生きていくことは、現代はそれが多様化
していることもあり、混乱と苦悩がつきまといます。

それはするべき、しなくてはならないこと(ベキ・ネバ)中心の生き方であり
したいことを押し殺す生き方でもあります。

この歪みを蓄積する人が、(親などから学ぶ形で)同じような自己決定
できない人をコントロールする自己効力感を知ってしまうことで
その成果が喜びとなるようなコントローリングな(他人の意志を
操作しようとする)人
に変貌することになります。

他者への配慮ではなく
自己保全の他者コントロールのために他人軸を使う。


それが他の人を圧迫したり、次世代(子ども)への再構築を行うことに
なるのです。
もしかしたら、これこそが文化なのかも知れませんが^^;

●理想かも知れないけど

とはいえ、個人的は自分軸をふりかざすようなパワーゲームの世界を
欲しているわけではありません。

真に日本文化の美徳といえる(願う?)謙虚さは
互いが自分の意志によって、他者を尊重し協調しようとすること

そのために自分の他人軸偏重と向き合う勇気や、自分軸を吟味する
理性を持ちたいなと思います。

主体的にね^^

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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by dryangle | 2014-10-17 10:01 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
エモーショナルブラックメール
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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人は純粋に「相手のため」を思い何かを提供するだけではなく
「自分のため」に相手の好意や行為を期待してさまざまな
アプローチをすることがありますよね。

連絡をとったり、贈り物をしたり、アドヴァイスをしたり
サービスしたり、叱咤激励したり…

それ自体はことさらに悪いことではありませんが、なかには
たんなる期待の枠を大きく超えて強要をする人がいます。
相手が自分の気持ちや行為を選択する主導権を無視する人です。

あからさまな暴力による強要ではないにしても、この侵害はジワジワと
かつ強力に相手の心に揺さぶりをかけるのです。

「あなたのためなのよ」
「こんなにもしてあげているのに」
「それは我がままよ」
「薄情なんだね」
「~になっても知らないからね」
「~でなければ、~してあげないからね」
「~してあげたんだから、~くらいしなさいよ」
「~するのが当たり前、常識」

これらの人は恐怖心(Fear)、義務感(Obligation)、罪悪感(Guilt)という
文字通り相手にモヤモヤと心の霧を発生させ、その迷いにつけ込んで
自分の要求を飲ませようとすることが常態となっています。

これが、エモ―ショナルブラックメール=心理的脅迫/感情的恐喝
呼ばれるものです。

他にもマゾヒスティック・コントロールという言葉がありますが
とくに自分の払った犠牲を強調し相手の「申し訳ない」という気持ち
罪悪感や義務感を刺激するタイプだといえます。

心理的に健康な人は苦痛に思うことなく、取り合わずにスル―する
ことができますが、そのような人間関係が当たり前に育ってきた人
心の中のプログラムが反応して心の霧が発生します。

この苦痛に耐えかね、なるべく自分の側が譲歩しようとします
自分の意志を主張しようとすると、FOGの心理的苦痛に耐え(続け)
なければなりません。

このような人間関係に苦しんでいるとしたら
まずはそれと見抜くこと

この重苦しいモヤモヤは誰かの心理的な脅迫による
心の霧の苦しみ

その上で、反応的な自己防衛ではなく自分の意志決定による
対応を選ぶということを勇気を持って始めていきませんか?
(ありがちですが、ここで自分の側も同じように心理的な脅迫を身につけ、使わないこと)

最初の難関を突破して、慣れると霧は発生しても選ぶ道が
見えてくる
ようになります。

そのようにして獲得した自分の軸は、きっとFOGランプの働きを
してくれるようになるはずです^^

いつかその霧への動揺がバカバカしいものにすら感じられるまで。

最後に釘を刺しておきますが、心理的脅迫を仕掛けるということは
はなから相手と心を通わせることを放棄するということです。
これがパートナーや親子間で行われることの影響を想像できますか?

参考までに:ウィキペディア Emotional blackmailOut of the FOGA book review of Emotional Blackmail by Susan Forward
『となりの脅迫者』(書籍の紹介・トレーダーズショップ)

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by dryangle | 2014-05-29 14:05 | 周囲の人との関係 | Comments(2)
心の武装解除~対立の構造を崩す~
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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このブログの最初の頃「ヤマアラシになっていませんか?
というトピックを書かせていただきました。
最近になって読み返したのですが、自分の鎧の重さに
疲弊する
人はなお増えているのではないでしょうか?

…という自分もいまだに習性としてのそれを痛感します。

反射的に自己防衛をしてしまうことに意識的でいる
ということがつくづく大切だと思います。

「あ、やっちゃった^^;」と気づくことが第一歩なのです。
その姿勢については、いろいろな方法論がありますが

認知療法で有名なディビッド・D・バーンズ氏の著書にある
批判に対処するための武装解除法」をご存知でしょうか?

・相手の言い分がどんなに不当であっても、その中から
一片の共感できる部分を見つけ出し、積極的に同意する
・相手を攻撃せず、自己弁護をしないようにする。
・勇気をもって真実を認め、真実のみを話す

…ざっとこのような内容だったと思いますが

つきまとうのは、意地や悔しさ、恐れや不安の感情。
それがまったく同じ構造によって相手を批判的、攻撃的
させているのです。

自分にできるのは自分の側のテンションを下げること

自分が武装解除(防御・攻撃しない)することによって
相手のそれを緩めることができます。

それにより対立の構造が崩れていくことで
双方が有益に話を展開できるようになります。

人によって(ワタシに)は難行苦行ですが、見抜くべきものこそは
やはり自分の心の壁なのだと実感するのです。

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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by dryangle | 2014-04-21 08:29 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
謝罪の品格
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「ごめんなさい」の本質―その謝罪は誰のため?

失敗や不正をしてしまった時、どうあるか?
その姿勢にその人の人となりばかりか、幼い頃その人に
養育者がどう接したのか?が丸見えになります。

この時まず反射的に相手を心配する」人と
自分を心配する」人とザックリ分かれます。

とっさに相手の痛みを心配できる人は、口ばかりの
謝罪よりも相手を癒す言葉や行動を選びます。

これに対して、異常なまでに過敏に自分を守る反応
示す人がいます。

この場合、受け手はまったく救いになら(癒され)ない
ばかりか、むしろ不快感が残るのです
個人的な経験からその反応の理由を推察してみました。

絶対に謝らない、逆ギレする人
罵り、体罰、なにかを取り上げられるなど
上位の力による制裁を受けてきた。
「過ちを認める=罰を被る=酷い目にあう」という
前提がある。反抗や攻撃が最大の防御。

一応の謝罪、大半は自己弁護の人
失敗や不当性・不合理を、論理・理屈などを用いて
責められてきた。チマチマ、ネチネチした嫌味。
正当性や法制度の力で対抗しようとする。

降伏、オオゲサな謝罪の人
不機嫌や動揺といった感情的な反応で責められた。
しばらく口をきいてもらえないなどの拒絶。見捨てられる。
自分を明け渡すことで守ろうとする。

それらの傾向性は混合している場合も多いですが
些細なことを理不尽なまでに許してもらえなかったという
経験を積んでいるのはすべてに共通しているようです。
このため、そのような人にとって謝罪(する/しない)ということの
本質は自分を守る道具でしかない
のかも知れません。

こういった人は、他者の過失に対して「されたように」
やはり反応的に呵責する傾向があります。
加害者と被害者が同じレベルで向き合うと泥沼に…^^;

以前話題になったS氏(その名声をまったくもって知りませんでしたが)
の謝罪会見をネットで部分的に見ました。

謝罪会見?弁明会見?宣戦布告会見?
いやはや…

あなたは傷つけてしまった相手の側に意識を向けて
素直に、そして誠実に「ごめんなさい」がいえますか?

…いいえ。ワタシは言えませんでした(涙笑)

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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by dryangle | 2014-04-07 09:50 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
愛の代替え品を乞われる苦しみ
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


やさしさや思いやり、他者からの愛情に飢えた人は
その喜びに似た作用を生むものを求めます
いわば愛の代替え品といったところでしょうか。

それは感謝や承認、そして見返り

自己満足のための積極性というより、欠乏の穴埋め目的ですから
もはや強迫(脅迫?)的にならざるを得ません。

大抵は相手の意向を無視して、行為や金品を押しつけ
明に暗に、さらには自分が犠牲になっていると恩着せがましく
時には不愉快(癇癪)となって罪悪感を抱かせることにより
感謝や承認、そして見返りを要求します。

受けとりながらも、そのような下心を感じさせられるがために
気が重くなったり、素直に感謝できない気持ちになるのは
至極当然。

感謝とは喜びの表明に他ならないのですから。
嬉しい、アリガタイと心から喜んだ時に自然に湧くものこそが
感謝の念なのです。

ところが、素直に感謝できない自分を責める人もまた多く
いるようです。
すでに習性となった罪悪感が発動してしまうのです。

もちろん乞う側もそれは苦しいに違いありませんが
こうなると乞われる側の苦しみも相当なもの。
そして同じカラクリが他者に対しては許せなさという
カタチで発動します。

人の気持ちを受けとらない、感謝(や承認、そして見返りを
与えようと)しないとは大人げない、けしからん!

…それを愛情だと認めさせられ、乞われる側をますます
追い詰めるシステムです。

かつてのワタシも感謝/承認乞食であり
自分の苦しみしか頭にない人間でした。

親の代からの、誰かの感謝や承認、そして見返りによって
自分の存在不安を癒そうとする方法を受け継いでいました。

だからこそ、それが誰の喜びも生み出さないどころか
苦しみの再生産システムであることを痛感しています。

してあげることが、感謝や承認の要求になっていないか?
今でも自問することしきり^^;

「感謝されることが嬉しい」というフレーズをよく耳にしますが
「感謝されなくても嬉しい」というほうがまだマシ。
相手の喜びが心の底から自分の喜びになって

初めて直接喜び(愛)を知る人になれるような気がします。

内容が関連した7年前の過去記事「愛に飢える人々
6年前の過去記事「愛情表現?それとも受動攻撃?」もどうぞ^^


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by dryangle | 2013-07-12 19:02 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
自分中心から脱してみる?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


物事の受け取り方(認知)というものは、個々人の意識と
その時々により、焦点の当て方や、それに対する反応
(わき起こる感情や対処する行動)が異なります。
つまり特定個人の意識というものは、いわゆる主観であり
その時々、その人の「自分」という認識によるものに他なりません。

少々語弊があるかと思いますが…言ってしまえば、個々人が
見たいものを、見たいように、認識そして評価しているのです。

そうなると古今東西の関心事である幸せや不幸については
万人に普遍な一般論、同次元的な尺度で量れるものではない

ということになります。

この次元を超えて成長していけるものこそが、人の意識でもあり
そのような変容こそが人生の醍醐味ではないか?
ある程度年を重ねた今思います。

ところが、なかには(多くは?)自己概念となった認識にこだわり
自分(の評価や心情)にばかり意識の焦点が向き、それによって
描くストーリーに、自分を、周囲の人を縛りつけてしまう場合があります。

これが本人や周囲の人の気持ちの上の幸福へとつながれば
良いのですが、そうでないとしたら…?

自分以外の人の心の目には、現状がどう映りどう感じているのか?
物事の評価に焦点を向けるだけではなく、その心の状態はどうなのか?

他の人の自己認識(自分)を知ろうとすること
認めようとすることが、自分のそれを変容させる
扉の鍵となります。


身近で大切な人の気持ちに寄り添い、共有しようと発想を変えることで
互いに物理的なサポートの幅が広がるだけでなく、双方が「自分」の
寛容性や柔軟性が増すというような「違う次元の」成長に喜びを
実感することもあるのではないでしょうか?

自分(の勘定)中心ではない視点から物事を、大切な人のあり方を
そしてその心をみることを強くお勧めしたいと思います。

幸福や不幸というものは本来
物事のあり方というより、心の状態なのですから^^

自分だけではなく、大切な誰かの幸せ(心の状態)に
意識を向けることができていますか?

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by dryangle | 2013-07-08 09:26 | 周囲の人との関係 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り