金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
by dryangle
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カテゴリ:周囲の人との関係( 44 )

「自分」を見直す
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
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人間関係において自分が関わると、意図したわけでもないのに
なぜかムードが悪くなる、諍いが起きる、心の距離に隔たりを感じる
ニガテな(クセのある・ヤッカイな・面倒くさい)人と思われている。
そんなことで悩んでいませんか?

心に傷や不安、恐れ、怒り、痛みなどを抱え込んでいると
それとは直接関係のない状況でも過剰な反応が触発されます。

自分でもそれと気づかぬうちに…

それがまた相手のネガティヴな反応を引き寄せるので
自然と避けられたり、時には深刻な対立へと発展することも。

認知療法で取り上げる認知のゆがみ(思考のクセ)をヒントに
自分を見直してみると見えてくるものがあるかも知れません。

・おもな思考や態度のクセのパターン

1.主観的、感情的な決めつけ
2.分類思考、ラベリング
3.極端な一般化、ステレオタイプ、ひとくくり
(オトコ/オンナって、◯◯人って)思考
4.破局的(どーせ、どーでも)思考
5.イチゼロ(白黒、二元、善悪、正不正)思考
6.べき、ねば(自分の正義)思考
7.自己関連づけ(自分の問題にする、それって私のせい?)
8.相手の考えの先読み、否定的な予測
9.過大/過小評価
10.一点フォーカスへのこだわり
11.つねに他者評価、批判、否定、嫌悪視点
12.異論、反論は敵対だと受けとる
13.自己の検証を避ける、もしくは自分の是非を決めつける
14.建前の自己卑下、過度な謙遜

13.にあるように、もともと自己の検証に激しい抵抗のある
タイプの人が多いのですが、対話の中でこれらの思考反応が起こった時
(できれば心の内にある段階で)自ら検証できるようになっておくと

そして新たに別の(思考)反応を選択することができるようになると

人間関係に変化の兆しが見えてくるかと思います。

一朝一夕には無理かも知れませんが、まずは心に留めておく
だけでもどうでしょうか?

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by dryangle | 2012-09-07 08:23 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
愛の様相
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あるヒトは愛というものを
なにかをしてもらう・してあげる
カタチであると信じて疑いません。

相手のありのままのあり方には
まるで関心がありません。

それを受け入れ、肯定され、信頼し、見守るという
愛については、自分が受けとったことがないので
理解しようがないのです。

もともと自分には価値がない
信じ込まされた結果、その補償行為として

自分が認められ、自分をたて、自分の気が済むように
関心や労力、お金、成果、物、時間などの提供に励む
ことが最重要だと信じて疑いません。

そしてその見返りとして、それらを提供されることが
自分を満たすことであり、他者に愛されていることだと
いうような新たな誤解を生み出しました。

それらを得ることができない時にはもちろん、時々は
首尾よく得ることができても、一過性の気が済む
(納得する、安堵する、高揚する)ということであり
真に自分を満たすものではないがゆえに
根っこにはいつも足りなさがつきまといます。

もっと、もうちょっと、〜れば、〜たら、あと〜、次は
(自分の心の中のこんな言葉に気づいたらご用心^^)

ついには誰かを責めたり、嫌みを言ったり、罪悪感を刺激
したり、拗ねたり、駄々をこねたりといった感情的な脅迫
使ってそれを強要するまでに至るヒトもいます。

愛はもはや押しつけるもの・奪うものと言った様相です。

アナタは誰かにどんなカタチの愛を
与えていますか?
アナタは誰かにどんなカタチの愛を
求めていますか?

自分には?

愛はきっとどちらでもなく、互いの喜びや平安のために
互いをシェアするもの

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by dryangle | 2012-07-19 13:06 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
「自分だったら?」の落とし穴
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子どもの頃、親や先生など大人から

「自分だったら?」と(相手の立場になって)考えなさい。

と聞かされた方は多いと思います。

またご自分もまたお子さんにそう言われているのでは
ないでしょうか?

ところが、この「自分だったら」という言葉を
本来の思いやりのためのツールではなく、批判のツール
使う方が多いように感じています。

私(自分)だったらこうするのに!
私(自分)だったらこう感じるのに!
私(自分)だったら…

これは相手の立場になって考えているのではなく
まさしく自分の立場になって考えています^^;

気づいたら別の新しい視点に替えてみませんか?
そのためにまずツールとなる言葉を替えてみます。

相手の立場、あり方を

私(自分)がそうする(した)とすれば
どういう理由/気持ちからだろう?

私(自分)がそう感じる(感じた)とすれば
どういう理由/気持ちからだろう?

私(自分)がそうふるまう(ふるまった)としたら
どういう理由/気持ちからだろう?

…と自分に問いかけてみる。

それによって初めて思いやりを元とした理解と良い流れに
つながるアイデアを得ることができるように思います。

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by dryangle | 2012-06-09 11:35 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
怒りっぽい人
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以前「脳内では心の痛みも体の痛みと同じ部位で同様に感じている
ということが明らかになった」という記事を目にしました。

怒りは感情のフタ(別の感情を覆ううもの)とはよく言われますが
怒りというのは、覆った感情によって傷ついている
つまり心が痛いと叫び訴える反応なのかも知れません。

つまり怒りやすい人は、傷つきやすい人。

相手のふるまいによって、自分の心に抱えた痛みを刺激され
反応して怒りだす。過剰防衛≒攻撃となり、つい自分の痛みを
相手にぶつけてしまう。
結果、傷つけやすい人にもなってしまうわけです。

本人も自己嫌悪に陥り、さらに自分を傷つけるという悪循環も。

こんな人には「あ~、痛いんだな」と一歩退いた視点を持って
怒りで応酬しないように心がけたいものです。

怒りやすい人、つまり防御(自分を守る)気持ちの強い人は
自分がディスカウントされることに対して激しく反応します。

他人から自分がディスカウント(否定/卑下/拒否/無理解)される
ことに、どんなにも過敏でこちら側(相手)の気持ちを汲む余裕はない
ほどだということを先に理解しておくといいかと思います。

相手の攻撃(自分へのディスカウント)に同様に反応することで
挑発にのってしまうか、そのまま受け入れて自分が傷ついてしまうか。
それを避けるには、まずその反応に気づいてさらりと流す

誰もが多かれ少なかれ覚えがある怒り

中には、そこまで過敏に自分を守る必要性が増すほどに
自分が傷ついてきた人も少なくないようです。

大切な人がそういった場合には、かなり面倒くさいようですが
日頃から「あなたはそのままでいい」というメッセージを
送り続けていくことが大切かも知れません。

もちろん、あなた自身をディスカウントすることのないように^^

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by dryangle | 2012-04-16 11:17 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
自慢話。どう感じる?
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久しぶりにこちらのトピックにレスをしようかと思ったのですが
機を逃してしまいました^^:
いまさら書き込むムードでもなさそうなので…こちらで。

どなたかのコメントにもありましたが、日本人の社交では
ごく当たり前の謙遜(けんそん)、ワタシも大失敗経験があります。

相手が日本人でもないのに、子どものことを本人の前で
ほぼ条件反射的謙遜してしまったのです。

「そんなに大したことないわよ~(というニュアンス)」
…未熟。

うっかり子どもの信頼を失いそうになりました。

「私のこと、そういう風に思ってたんだ(涙)?」

当時は言葉の限りを尽くし必死に説明しましたっけ。
日本の社交辞令もこなせるほど成長した今となっては
一つの笑い話ですが。

けっして謙遜の良し悪しの問題ではなく、文化の違い

と、スッパリ割り切れればそれでいいのですが
問題は心理的にヤッカイな部分にも及ぶこと。

自分や身内の評価を相対的に下げることが
相手をたてるための思いやりであるところの
謙遜はたしかに美徳ともいえます(それを呼び水に、
相手の口から打ち消してもらったり、褒め言葉を
言わせようと仕向けるためのものではありません※
)。

けれどその本質から離れ、たんに社交の形式として
求められるうちに、(けっして優越感からではない)
喜びの発露や表現を抑制することがまま起こります。
また自己洗脳ではありませんが、自分への評価が下がり
自己無価値感や劣等感につながることもありそうです。

自分に許せない物事は、他人にも(気持ちが)許せない。

これはもはや鉄則といえるかも。

自分が自分(や身内)の長所や成功を喜ぶ気持ちを
ストレートに表現することを、自身に禁じたままで
他人のそれをともに喜べるわけはないですよね。

誰かが、遠慮も悪びれもなく自慢話をする時

きっと心中穏やかにはいられないはずです。
不快だったり、嫉妬したり、腹が立ったり、落ち込んだり
ウンザリすることでしょう。

そう感じてしまうのは、自分自身に良い評価を与えることを
押さえ込んできたからか、自己無価値感/劣等感があるから。

そうと見抜くことで、気軽にうけ流せるようになったり
ともに喜んであげられるかと思います。

まぁ〜、自分を強く見せようと誇張して相手を牽制したりする。
大げさな自慢話で虚勢を張らなければならないという社交文化
にも疲労させられますが…^^;
このパターンにも、根底には自己無価値感/劣等感への怯えが
あるのではないでしょうか?

素直な喜びを表現し合い、共感し合えるように
なりたいたいものです^^

つまり他者からの評価や承認に依存しているということで
自己無価値感/劣等感の強さの表れといえるかも知れません。
客観的には成功している人にも充分あることです。


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by dryangle | 2012-02-28 15:30 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
他人の価値って?
最近、偶然にも何度か違う機会に同じ話を耳(目)にしました。
それだけ心にひっかかったということなのでしょう^^

気になったので調べてみると、それはユダヤ人哲学者の
マルティン・ブーバーでした。

「我‐汝(Ich-Du)」の対話の哲学です。

ちょうど前々回まで自分の価値について考えてきましたので
他人(相手)の価値について考えてみようと思います。

もちろん、これも自分にとっての他人の価値となりますが…

ブーバーは、人間は世界や物事、人など他との関係を持つ時に
二つの態度をとると考えました。

相手を、自己の目的(自分にナニをしてくれるか?)としてのみ
扱う対象とみなす

我‐それ(Ich-Es)」関係の態度 ※参考過去記事「してくれ症候群」

相手を、(他とも関係する)一つの格・存在として認め心の交流を
図る対象と認める

我‐汝(Ich-Du)」関係の態度

実感される方もいるかとは思いますが、我‐それ関係の態度が多く
ヒトをモノとして扱っているかのような出来事も溢れています。

アナタはつねに相手(せめて身近な人々)を、自分と同じように
さまざまに変化する心を持つ、時には傷つき、怯え、守り、責め、喜び、
悲しむリアルな人間として接することができていますか?

ブーバーは、相手との関係によって我(自己)も規定される
考えました。
自己が、他者との関わりにおいてのみ認識できるものだとすれば

我‐それは、つまりこれ‐それと認識される?

…などということを考えてしまいました^^;

その人にとっての他人の価値は、他ならない自分の価値と同じ
だといえるのかも知れません。

誰かに対する態度、それは自分の自分自身への態度を反映している
と考えてみると気づくことも多いのではないでしょうか?

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by dryangle | 2011-06-24 14:15 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
陽光に輝く「元」ヴァンパイア
ちょうど去年の今頃話題にさせていただいた
コントロールドラマ(去年のトピックはこちら
についてのおまけの話です。

コントロール・ドラマを防ぎ、心のエネルギーを
奪い合わないために…

第一にそれと見抜くこと。
ドラマ(ゲーム)から降りること。


役者ではなく、観客の視点を築いてください。

これは相手や問題そのものではなく、自らの胸の内に
フォーカスし、意識の光を当てるものです。

ヴァンパイアは陽光に弱いとされていますが
エナジー•ヴァンパイアもまた然り。

自分の配役を明るみに晒し、役から降りましょう。

その時点から、その関係の中でそれぞれの特質を
長所に転じさせていくことができるのです。

脅迫者(Intimidator)を演じた性質は
その自信や決断力を生かすリーダーの能力に

尋問者(Interrogator)を演じた性質は
物事を研鑽し、他者に教えていく能力に

傍観者(Aloof)を演じた性質は
深く思索し、創造する能力に

被害者(Poor me)を演じた性質は
他者を擁護し、癒し、救済する能力に

内にあったそれら能力を、互いの喜びのために活かす
新たな満たし合う関係性を築いていきませんか?

その暁には、エネルギーの奪い合いを行う殺伐とした光景の
消え失せた安住の地が目の前に広がるに違いありません。        

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by dryangle | 2011-02-24 08:57 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
心をつなげる 得手不得手?
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『人間はとても複雑な生き物である反面
短絡的に物事を把握しようとする。』

どこかで目にして「たしかに…」と同感した言葉ですが
これは脳科学的な認知機能に根拠のある話のようです。

ザックリと言ってしまえば、物事の認知から判断までの
プロセスを省エネのために(!)記憶や情報に照合して
似通ったルートを通し判断に結びつける。

ワタシ達は習性としてほぼ無意識にそれを行っています。  

カテゴライズやラベリング、タイプ分けといったものは
そのために大活躍の整理術だといえますが、その反面で
決めつけや先入観、偏見といった弊害も生み出します。

一方人間の複雑さというのは、結果として得た判断に
対する反応(感じ方)の多様性だといえます。

物事を短絡的に把握(判断)する割には、その内容も
評価も、生じる感情も、対応も人それぞれ。
もちろん似た傾向性というのはありますが、それを
過信すると誤解や摩擦、衝突が起こります。

モノからポリ(均一性から多様性)へ変化のめざましい
昨今、対人関係でもそれぞれのギャップが目に見えて
増したように思います。

個々人の反応(感じ方)の違いについては、その是否を
争うことや一般(共通)化すべきという従来のやり方ではなく
互いとの折り合いのつけ方を学ぶという新時代がきていると
いえるのかも知れません。

基本自己本位のワタシ達には、これがじつにムズカシイ^^:

理性で自分や相手を説き伏せても、気持ちが納得しないという
経験に覚えのある人も多いのではないでしょうか?

それはうまく心(気持ち)を交流させることに
失敗した、スムーズにいかなかったからだといえそうです。

例えれば、逆上がりの運動理論やコツを議論することと
逆上がりの体が浮くカンジや、できないもどかしさといった
体感を伝え共有することは別のものですよね。

どちらも言葉を使うコミュニケーションには変わりありませんが
前者は論理力が必要だとすれば、後者は共感力ともいえる能力
(一説には脳の性別によっても能力差があるそうで)が重要。

気持ちを交流させるためには、後者のスキルがキーとなります。

論の立つ人が、すなわち心惹かれる人とはいかないわけです。

コミュニケーションの場面で、各々この辺りが混乱することで
関係自体の混乱につながってしまうこともしばしばあるようです。

想いを理屈で述べようとしたり、議論が感情的になったり

そのような関わり方はじつは本質では、論理的な到達点というより
むしろ自分の気持ちの到達点(落としどころ?)を、お互いに
求め合っているのではないか?と思えてなりません。

むしろすべてのコミュニケーションにおいて、その裏側にある
この気持ちの求め合い(奪い合い?)や駆け引きの影響が強く
作用しているといえるのかも知れません。

対立の深さは、親和への渇望の強さ

共感力を駆使して、相手と自分の気持ちを交流させる。
互いを満たし合うことを前提としたつながりからは、また違った
そして素敵なコミュニケーションが生まれるのではないでしょうか?


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by dryangle | 2011-02-17 10:00 | 周囲の人との関係 | Comments(5)
今年もヨロシク。
あけましておめでとうございます。
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すべては、つねにたくさんの岐路を
選び進む流れの中にいます。
たとえその意識が停滞を選んでいるにしても…。

過去や未来の想定を心配することはできますが
信頼は今にするモノ。

その逆はなかなかムズカシイと思いませんか?

そこからつながる流れは異なる行き先に
結びつくのが道理。

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するとどこかで目にした言葉が
ハッキリと思い起こされました。

大切なのは何を選ぶかではない。
結果に影響を与える力は、その選択をした
理由のほうに存在する。


それが不安や焦り、憤りの勢いによるものではなく

大切な誰か~時には自分自身~(の笑顔)を
信頼して選択したことかどうか?

心にとどめて新しい一年に臨もうと思います。

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by dryangle | 2011-01-06 08:40 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
熱帯魚の「いじめ」
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いじめを苦にした子どもの自殺。
ニュースを耳にするたびにしくしくと心が痛みます。

その度に(子どもだけではなく教師や親といった大人も含む)
社会のストレス噴出の現象(ある意味スケープゴート)として
犠牲になってしまったという印象を受けざるを得ません。
ついには本人までが、自身を手にかけるというカタチで…

以前とあるブログで下のような話を目にしました。

熱帯魚を単一種だけで飼っていると、ヒエラルキー、そして
ついにはいじめが起きるのだそうです。

そしてこのいじめをなくすためには、①広い水槽、②逃げ場を作る、
③異種の魚を混在させる 、という三点セットが効果的なのだそうです。

つまり、ストレスを減らし・それぞれの安全基地があり・同質ではない
が牽制となる。

ひるがえって人の子ども達(だけではありませんが^^;)の日常の現場といえば
時空間から余裕がなくなり・支配や競争からの逃げ場はなく・異質は排除されて
同質集団となり、いじめの起こりやすい効率重視の構造に追い込まれている。

…といった内容です。

いじめの発端となる些細(ささい)な異質。異例。
それは混在することで、多様性になるかと思います
(前段階にセクト化して対立するという過程がありそうですが)。
その段階を経て、ようやく攻撃し、排除することから
受け容れることを学び始めるのでしょうか?

予定調和や空気を読む必要性があるということは、混在にしては
その割合が低すぎるという現状を物語っているのかも知れませんね。

つくづくと、小さな人間関係も社会(世界)の縮図を表しているような気がします。

上の熱帯魚のエピソードからは、この種の問題を変えていくための
大切なヒントを見つけることができるように思います。

目には見えない余裕という生活の質の向上、互いがそれぞれの安全基地となる
存在になり得ること、そして個々が互いの観点やその方向性にも多様性
認め、取り入れる(受け容れる)こと。

…それぞれが自分の心の中の受け容れがたさ(抵抗)と向き合い、
折り合い、乗り越えながら。

アナタの目の前の人のあり方を、批判せず、攻撃せず、軽蔑せずに
受け容れることができていますか?


ネガティブやマイノリティであることへの恐れを乗り越え
小さなやさしさを選択することができますか?
自分に対しても、誰かに対しても…

魚と違い、ヒトは自らを知り、変えることのできる存在なのです。

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by dryangle | 2010-11-18 09:07 | 周囲の人との関係 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り