金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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カテゴリ:周囲の人との関係( 44 )

被責妄想
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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多分野から
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責められていないのに、責められていると感じてしまう。

久しぶりに加藤諦三ホームページを訪れてみると
『いつも「自分」だけ責める人-被責妄想は「うつ」の前兆』(角川書店)
という書籍の紹介欄にある被責妄想という言葉が
アタマにこびりつきました。

これまでこちらのブログでは、許せなさ責める(られる)心、自責・他責
などと表現してきましたが、強迫観念的な意味合いを含んだ感もあり
まずまず的を射た言葉だと思います。

被害妄想ではなく、被責妄想

>相手からいつもなんとなく責められているような気がする。
>相手の機嫌が悪いと、自分が何かしたのかと気になる。
>相手が自分の為に何かを犠牲にすると、愛されているような気になる。

>常に『罪悪感』を抱えて生きている人たちです。

>罪悪感を抱えて生きている人というのは、被責妄想を抱えています。
>責められていないのに、責められているような気がするのは、
>さまにそのせいなのです。

親以外の多くの人の何気ない言葉やふるまいに他意はナイと気づくまで
本当にビクビクと暮らしてきたように思います。
今でも条件反射的に構えてしまうことがありますが
たとえ真意がその通り(自分への責め)であっても動揺せずに
対処できるようになってから、ラクになったと思います。

怒りっぽい・逐一攻撃的な人というのは、元来このような基盤があって
自分を防御するために反応しているといえるのかも知れません。
またそのまま受け容れ続け、自分を責め続けてしまった場合には
心を病んだり鬱になっても無理からぬことだと思います。

>世の中にはオギャーと生まれたときから責められて育っている様な人もいる。
>そうなればいつか、人が責めていなくても責められていると感じてしまう様に
>なってもおかしくない。
(中略)
>そして三十年、四十年、五十年とたてば生きることに疲れるのは当たり前である。

その親もまた、被責妄想を抱えた生きづらさに
苦しんでいる(いた)に違いありません。

自分もまた、(自分を含め)誰も裁かず、責めず、批判せず、攻撃せず
心がけよう~!と心に決めてみると、ついそれをしてしまいがちな
自分がたしかにいることに気づかざるを得ないのです。

心に自縄自縛の想いの毒が回っていませんか?


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by dryangle | 2010-11-02 09:08 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
渡る世間は○ばかり
最近、最終シリーズが始まったという
日本の某有名ドラマ。

少し前、十数年来ご無沙汰して、久しぶりに目にした時
他人への文句ばかりで、聞いていて苦しく
たまらなくなり、見るに耐えられませんでした。

なぜか責められているような気分になってしまって^^;
不思議です。かつてはむしろ好んで見ていたような…?

その理由をつらつら考えてみたのですが、思い当たるのは
以前の自分も同じように、他者に対して批判的・否定的で
対立的に自分を守ろうとする同じ心境にあったから
なのかも知れません。

数々起こるトラブルをじつは内心楽しんでいたり
攻撃的な台詞に同調して、意気揚々としていたように
思いだされます。
 
心境の変化によって、ここまで他者の言動への感じ方が
変わるものかと、我ながら愕然…^^;

また偶然にも、昔ウマが合った友人と久しぶりの再会を
果たしたのですが、彼女の昔ながらの(はず?)の
好戦的な口調にドッと疲れるという経験をしました。
考え方のスタンスは同じはずなのにどうして!?

うーん^^;気持ちの距離が開いてしまったかなぁ?

類は友を呼ぶとは言いますが、気持ちのあり方が
同調したり、共鳴したり、反発したり、弾き飛ばされたり。
それによって、人と人との距離が(心理的にも、物理的にも)
引き寄せられたり、離れたりすることを実感させられました。

神ばかりの世間に住めるかどうかは、自分の心のあり方次第。
そんな想いがアタマをよぎったのでした。

次には彼女の素敵なところに意識がいく自分でありたいです^^。

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by dryangle | 2010-10-18 13:15 | 周囲の人との関係 | Comments(6)
自分の価値を守る反応
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批判がましい。嫌味ったらしい。いつも否定的。拒否感が強い。
つい口に出る愚痴やイジワル。

あのヒトは、(そして時に自分)は
どうしてそんな言い方をしてしまうのだろう?

少々硬い言葉で恐縮ですが、自己無価値感という
言葉をご存知でしょうか?

育った家庭環境やなんらかの事情によって、つねに自分の
ありのままOKだと思えないでいる人が抱える状態だと
いえばいいでしょうか。
一種の強迫観念にも似ていて、そのバランスが崩れると心が
不安定になってしまう場合が多いようです。
経験から、個々人で違う刺激になるツボ(分野)やピンポイントに
反応するというケースも多いように感じます。

時に自信満々であったり、自分の価値観やそれに殉ずることを
ことさらにアピールする人もいますが、それもやはり自信のなさ
(自分に価値がないことへの恐れ)
の表れではないでしょうか?

そのような人にとって(自分自身に求める、もしくは自分自身に許せない)
他人のあり方は即座に自己無価値感の疼きを生み出します。

それは強い許せなさ、怒りにも似た激しい嫉妬心、渇望。

衝動的な痛みゆえに、理由を理解できないままでいるかも知れません。
ある意味、内面では自己への攻撃ともいえます。

周囲の人に反撃しているようにも感じられますが、実際の目的といえば
自分の中で見えない敵(痛み)から自分(の価値)を守る反応(発言)
なのだといえます。

そのカラクリを知らないと、一体どうして?!の反応ですよね^^;

反対にそういった心境が分からない、理解不能というのは
幸せの証だといえるのかも知れません^^

他者の喜び・楽しみを心から喜べるというのは
精神的に成熟・自律している証。

もし、アナタが誰かの(そして自分の)そういう反応に遭遇した時には
不幸にもそうではない(精神的に成熟していない)人の心の痛みを
察する視点でその出来事を見ることができれば、不快になる気持ちも
ほんの少しは和らぐのではないかと思います。

もちろんその度を超えていたり、むやみに周囲(の心)を傷つけてしまう
ような相手とは、(たとえ心理的にでも)距離をおくこと
最善策になるかと思います。

とはいえやむを得ない場合には、以上のことをなるべく理解した上で
肯定してあげる・認めてあげる・安心させてあげる を
心がけて接してさしあげると良いかと思います。
(それが、自分自身の場合であっても^^)

その人にとって、そのような共感的な反応を知る・学ぶ機会が
失われたままだということなのですから…

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by dryangle | 2010-10-04 15:21 | 周囲の人との関係 | Comments(3)
善悪と寛容・非寛容
今回はお伝えしたいことがアタマの中であまりキチンと
まとまっていないのですが…
見切りスタートで書き出してみます。

最近たまたま重なった出来事をキッカケに考えさせられた
テーマです。

他の人の負の部分(行い・考え)
イメージしやすいように、具体的にこれをうそをつくこと
だとしますね。

これに対する考えが、ヒトそれぞれに異なるのは当然だとして。

私は絶対にウソなんてつかない(つけない)
ウソをつこうだなんて信じられない!


私も切羽詰まった時や、咄嗟のウソをついてしまう。
良くないことかも知れないけれど、気持ちはわかる。


とまぁ、このようなコントラストを見せつけられる場面に
やたらと出くわしたわけです。

ワタシ自身それらの負のあり方(上の例えではそのウソ)に
けっして賛同したり共感することはなかったのですが、
前者タイプの人の拒否・拒絶感や反発・攻撃の強さ
ちょっと(いえ、かなり)驚かされました。

善悪で判断すればたしかにヨクナイ。

でも突き放したような、一刀両断の厳しさ
それもあまりヨクナイだろう?と違和感を覚えつつ…

もしかしたら、このタイプの人はまったく同じように自分自身をも
裁き、責めているのではないか?と直感的に思ったのです。

(自他に限らずなにかを)責める気持ちは、怒りはもちろん
恥や罪悪感、恐れや不安となって心の表層に表れるようです。

そんな心の動きに疲労してしまったら

どうして、許せないのだろう?
どうして、理解しようと思えないのだろう?
どうして、瞬時に反感を覚えるのだろう?

ちょっと意識して自分に問いかけてみて下さい。

ささやかなウソから、社会をゆるがす犯罪まで

それに過敏に反応する心の中に、思いもよらない
大きな痛みが隠されていることがあります。

経験から(のみ)感じたことですが
心が健康な人は、ある程度自然な寛容さを持つように
思います。

物事をまずは受け容れてみようと意識することによって
(実際に無理して受け容れることではないです。念のため^^;)
自分の心の強張ってしまった部分に気づかされるのでは
ないでしょうか?

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by dryangle | 2010-06-29 11:13 | 周囲の人との関係 | Comments(8)
H・MELTS 自分も…^^;
前々回、人間関係を損なう法則
話題にさせていただきましたが

その後、自分の発言を意識して(正確には省みて)
みると…

やってます、やってます、やってのけていますっ!^^;

● H (キメツケ)→ 「そういうのは、間違いなく○×だよ~!」
● M (サキヨミ)→ 「それって、○×だということ?」
● E (評価)→ 「きっと、○×ということだよね」
● L (レッテル)→ 「△×って○×なんだよ」
● T (脅し)→ 「△×だと(じゃないと)、○×になっちゃう(ならない)よ」
● S (一義化)→ 流れが変わっているのに、話を蒸し返してしまう。

話の内容が明るく、相手に対する同意や同調であったり
また予定調和的な展開が前提であれば
大方問題にはならなそうですが―

不必要な自己主張や、相手を責める気持ち
反対に自己防衛的な気持ちによって発すると

明らかに対立したり、気まずーいムードになります。

はい、なりました(反省)!

今まさにそんな言葉を口にしながら

おいおい!ナニを言ってんだワタシ!

とハッと気づき、いきなりトーンダウン…したり
もう勢い任せに突っ走ったり(やめられない~止まらない~)。

知識や理解と、その場の思考や行動(発言)との
ギャップを自覚し唖然としました。

...be conscious.

相手と自分の笑顔をイメージしながら
ふさわしい言葉を選べるようになりたいです。

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by dryangle | 2010-03-03 12:36 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
GAMEs - at the society in epitome
やはり人は人との関係の中に自分の存在を見出したい
イキモノなのでしょうか?

人間関係の縮図のようなネットの掲示板には
アリガタイことに学べることが多くあるように思います。

時々あるネット掲示板に参加させていただいているのですが
今思うとワタシも最初は心理的なストローク(※1)を求めて
その掲示板を訪れていたように自覚できます。

ところで、同じようにストロークを求めて書き込む人々の間に
展開するトピックの中には、心理的なゲーム(※2)の罠が
見え隠れします。

人は誰もが本来求める
(自分の存在や価値を認められる)正のストローク
得られずに、心が飢えた末に
(自分の存在や価値を否定される)負のストローク
刺激として求めることを学習していきます(※3)。 

この負のストロークを得るために
さらには自己のスタンス(※4)を維持、または
強化するために(多くは無意識に)
仕掛けられる流れをゲームと呼びます。

よく知られるパターンに
・キック・ミー(Kick Me) どうぞ批判して、攻撃して、辛口歓迎
・さあ,とっちめてやるぞ(Now,I've Got You,You Son of a Bitch)
・仲間割れ(Let's You and Him Fight)
・あなたのせいでこんなになったんだ(See What You Made Me Do)
・ひどいもんだ(Ain't It Awful)
・決裂/大騒ぎ(Uproar)
・あなたを何とかしてあげたいと思っているだけなんだ(I'm Only Trying to Help You)


…などがありますが、見ただけで仕掛けられた成り行きが
想像できるのではないでしょうか?

参加者は、加害者(支配者)、被害者(犠牲者)、救援者(支持者)
の役割を相互(流動的)に演じます(※5)。

これらのゲームは、仕掛けた本人を含め、参加者が
互いの存在や価値をディスカウント(値引き)し合い、報酬として
ネガティブな感情を得ること(ときに感情爆発という発散)を
目的としています。

当然これが過ぎると、心を病んでしまいかねませんし
現実社会では、物理的にも深刻な被害をもたらす可能性のある
危険なコミュニケーションのパターンだともいえます。

このようなゲームの進行を妨げるために

相手に共感し受け止めようと意識する
相手自身の問題であり、相手の選択にゆだねる


というスタンスが大切なのだそうですが

負のストロークを得るために、このようなゲームを
仕掛ける人(※3)の心には、共感や励ましなどといった
正のストロークが、なかなか届きにくいようです。

負のストロークの応酬に、互いが心神疲労してしまわないためにも

この心理ゲームの罠が見えたらゲームを降りる
ネット(そして現実の)社会で人と関わる知恵だといえそうです。

そして、健康的なコミュニケーションに欠かせない
正のストロークを贈り合うように心がけてみませんか?^^

※1 相手の存在や価値を認めるような様々な刺激
※2 交流分析におけるゲーム
   (また他人の注意をひくため、ひまつぶしのためにも行われる。
   自分の意見や価値観を否定されると、過剰反応して攻撃的になる人
   自己正当化欲求や優越欲求の強い人、信仰者や実直な人などが
   Gimmickとしてゲームの罠に陥りやすい。)
※3 とくに「機能不全家庭」では、「親密さ」というコミュニケーションを
   知る術を得ず、代わりにこのゲームが日常化して習得される。
※4 人生の基本的な構え(私はOKである・ない、他人はOKである・ない、など)
※5 スティーブ・カープマン「ゲームの三角図」より



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by dryangle | 2010-02-16 14:21 | 周囲の人との関係 | Comments(8)
その望みは紙一重のベツモノ。
アナタはアナタ自身に、そして誰かに
ナニカを期待していませんか?

そうだったらイイ。
そうでないとイヤ。


この二つ、じつは似て非なるものです。

一方は、そうなればウレシイだろうけれども
そうでなくても気持ちが乱れることはありません。

他方は、強くそうあるべきだと望み
そうでないと憤りがわいたり、心が痛むのです。

どちらも同じ望みだといえそうですが
後者は、それを持つ方も、持たれる方も
気持ちを縛られるという負担が発生します。

その重力が物事を負の方向に引っぱって
しまうことがままあるように思います。

望みというものは、欠如感という苦痛
時間という幻想で先延ばしたものにすぎない。
 

…こんな言葉に出会ってハッとしました。

欠如感は強い要求を生み出します。

その望みが、単純な期待なのか
それとも欠如感による要求なのか?

自分の心に目を向け、きちんと分けて認識しようと
するだけで、とりまく物事や人間関係の流れが
ずっとスムーズになるはずです。

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by dryangle | 2009-11-16 08:51 | 周囲の人との関係 | Comments(2)
思いやり?それとも犠牲?~そのコミットメント~
これは以前書かせていただいたその努力は「報われない」!?
にも通じるお話です。

誰かになにかをしてあげようと頑張ってみても
まったく良い結果を生まないことがあります。

相手を喜ばせることができても、自分の側はなんだか
不快で不満で不愉快な時があります。

それをしないと、罪悪感を感じたり、焦ったり
不安になったり、惨めになったり、責められる気がしたり

それをすることに、責任やプレッシャーを感じたり
損に思えたり、消耗したり、義務感があったり

そんな時、ワタシ達の心の奥底には、必ずどこかに
自分が犠牲になっているという被害者意識があります。

これは、もちろん思いやりとは異なるネガティブな感情。
とはいえ、これが強いほどコミットメントをした感も強くなるので
つい、こういった方向へと努力してしまいがちです。

当然、なかなか自分の気持ちを(そして結局は相手の気持ちも)
ハッピーにできませんよね^^;。

そんな気持ちに気づいたら…?

そこには、過去の不快な体験の記憶に条件反射している
恐れや不安、そして怒りに似た気持ちがあるはず。

それをしないことで、自分にとってどんな不快(不幸)が
起こるのかもう少しじっくりと考えてみてください。

怒られる、拒絶される、軽蔑される、バカにされる、否定される
認めてもらえない、不愉快な顔をされる、悪口・嫌味を言われる
責められる、生きていけなくなる!?…

自分がどんな気持ちを恐れているのか、しっかり見つめてみると
なぜだか不思議と、それらが別にどうでも良くなってきます。

今の自分にとっては乗り越えられることも多いのです。

それが理解できると、犠牲にならずにしてあげる(譲る)ことを
選ぶことができるようになります。

それをしなくても、罪悪感もなく、焦らず、不安にならず
惨めになったりせず、責められるようにも思わず

それをすることに、責任やプレッシャーではなく
やりがいを感じ、得に思えたり、充実したり、張り合いがあったり

思いやりと努力が実を結ぶコミットメントのパターン
このように区別して選択できるのではないでしょうか?

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by dryangle | 2009-05-07 09:19 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
期待 ≒ 翻弄
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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私たちが、感情を波立たせる最大の原因の一つが
互いの了解がないにもかかわらず
勝手に何らかの期待をする
ということ。

こんな言葉を目にして、なるほどなぁ~と考えさせられました。

ワタシ達は、常日ごろ誰かやナニカに役割や働き
明に暗に期待して過ごしています。

とくに暗黙の期待の場合は、ネガティヴな(不安・恐れに
つながる)事柄をコントロールしようとする場合が多いようです。

社会通念や正当性、常識、倫理などを持ち出し、その期待を
当然と押し付けてしまいがちなのですが…。

とはいえ、自分勝手な期待ほど、(無理に強いる以外に)
叶わないことが多い
もの。

以前のトピックにも書きましたが、期待が裏切られた時
失望や悲しみ、憤り、恨みなどの感情によって翻弄され
他者を批判したり、罪悪感が自分を責めたりします。

期待とは、そもそもが自分に都合の良いように運ぶことを願う
自然な気持ちではあるけれど、自分勝手なモノ

これを肝に銘じておくと、期待によって心をかき乱されたり
さらには、他者(や自分)にナニカを強いることになってしまう
というような自分と誰かを苦悩させる展開が避けられるかも
知れません。

子どもへの期待。
夫(妻)への期待。
家族への期待。
友人への期待。
周囲への期待。

…そして自分自身への期待。

もう一度、見直してみませんか?

他者に思いやりを期待してしまう時には
自分自身がおもいやり溢れる人間かどうか?
自問&検証するチャンスでもあります^^

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by dryangle | 2009-03-23 10:51 | 周囲の人との関係 | Comments(4)
求めてしまう・受け入れられない時
今回の話はセオリーよりも、むしろ経験からの実感です。

ナニカ・誰かに激しい怒りや不満、不安を感じた時
相手に対して強く求めることや反対に受け入れられない
(許せない)ことがあるかと思います。

たくさん目にする心の処方箋には、それを直接手放すことや
受け入れる(許す)こと、
また反対に自分から相手に与えること
などが説かれています。

前の場合はなかなか方法がイメージしにくく、後の場合に至っては
激しい苦悩が伴うのではないでしょうか?

そもそも、それができないことに苦しんでいるのですから^^;

当たり前といえば当たり前なのですが…

誰かにナニカを求める時、ナニカを受け入れられない時
自分からナニカを提供できない(もしくは分かち合えない)時、
ナニカを押しつけている時


ここで問題になっているトラブルや相手からいったん目をそらして
自分が誰かに提供できない(誰かと分かち合えない)もの、
押し付けているもの
別に考えてみるのです。

…どんな物事が浮かんできますか?

ぜひぜひ思いつく限り、そして
自分を責めることなく、気づいてみてください

いきなり与えたり、引っ込めたりするのは無理だと思いますが
その作業の中で、比較的簡単な物事から
相手の望む物事を提供したり(分かち合ったり)、
望まない物事を引っ込めたりしていってください

(気持ちではなく、物理的に不可能なことはもちろん無理でいいです^^)

そのままほんの少しづつ、まずは毎日気づいていくだけ。

そのうち、もともと強く求め・受け入れられずに苦しんだ問題が
氷解していくことにも気づくはずです

Good Luck!

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by dryangle | 2009-02-26 13:14 | 周囲の人との関係 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り