金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
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カテゴリ:ココロのカラクリ( 127 )

軸(じく)の話
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
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「他人軸」や「自分軸」
心についての話の中で、この頃よく使われるキーワードです。

「他人軸」でいる人は
・他人との比較を自分がどうあるかの基準にする
・他人の評価(どう思われるか、どう見られるかなど)を
 気にする、気になる
・NOと言えない

意識の上では、もちろん自分の本心との対話を心がけていますし
自分に正直に率直な選択ができていると思っていました。

「自分軸」を大切にしようと。

自分自身も理解しているつもりで、この言葉を使っていましたが
本当の意味で「気づく」というのは、ベツモノだと痛感しました。

なぜなら

自分の心の中の他人軸(他人から視線)に気づき始めたらなんと
今なおそれがデフォルトなのだと思い知ったからです。

新しいアクティビティを決める時など、なにかにつけて
その時々それぞれ別の人々(私の場合)をイメージの中に浮かべ

その人の反応を想像し
その人に説明する言葉を探す

まるでその人がそこにいるような予行演習を、頭の中で自動的に
イメージ
していたのです。

ええ

誰かのプレゼントを選ぶ際にそれを開けた瞬間のその人の反応と
自分が話すやり取りを想像するように…

逐次そのようにして、成り行きやそれにより起こる感情を基準に
自分にGOやダメを出していたのです。
また事後にも頭の中で再生して、チェックすることもしばしば。

なによりもショックなのは、物心ついた頃から当たり前というか
当然のチェック作業として不思議だとも思っていなかった!

私の場合、多くの場合に登場する人物は重要だった他者。
親はもちろん、長い付き合いの友人や憧れている知人。
(これが全ての不特定他者の場合は対人緊張と言えるかも)

しかも、悪いシチュエーションばかりではないのです。

そして粉飾やウソはないにしても、つい見栄えよく、聞こえよく
体裁よく、演出しようとしている
ことに気がついてしまった。
そのせいか、なんとなく言いたくないことがあるということも。
些細な意思決定にさえ、気づくと誰か向けの説明を準備している。

今さらながら…他者前提に添って自分を作っていたのですよね。

141.png141.png141.png

自分の中で気がつかずに、自分の心を縛り負担になっている

「他人軸」コエー!!!!

無人島にいるかのようなありのままの自分でいるのは無理としても
自動的に他者の想像上の反応を基準にしてしまわないように。
他人(ひと)見せ用のみの自分になってしまわないように。

…そんなことを思ったのでした。自覚って大切。
※あくまで個人の感想です(笑)

余談ですが、日本のテレビや雑誌などで「みんなはどう思う?」
「みんなはどうしてる?」という切り口を、やたら目にすると
「みんなって誰なのよ?」とツッコミたくなります^_^;
誰の視点か、誰の考え方・感覚・感情なのかをはっきりと区別
することは大切だと感じます。

それぞれの存在を尊重するために。

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by dryangle | 2017-11-09 16:03 | ココロのカラクリ | Comments(0)
心は言葉を持たない。
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今さらながらの話題ではありますが「(自分の)心と向き合う」。
そのために、具体的にはどんなことをしていますか?

ふと思ったのですが、多くの場合には「考え事をしている」のでは
ないでしょうか?

この考え事も、過去の記憶や今後の成り行きを想起(イメージ)
してみて、その因果関係を常識やモラル・論理的に善悪で判断し
その表現や銘記、伝達のために言葉にしようとしてみたり

それ、心というより頭の作業ですよね。

心は「そう思った」と言葉で表現される
以前に流動し、感じられるもの

頭の中であれこれ考えを巡らせている時に、BGMのように奥底に
流れる感情
というかムードというか、意識してみると身体のある
部分が緊張したり、重かったり、痛みにも似た感覚に気づくかと
思います(もちろん反対に心地いいものもありますが、ここでは
ネガティブなものに限定します)。

そこを確かめるように、それに浸りきってから

悲しかった。
不安だった。
怖かった。
寂しかった。
アタマにきた。
イライラした。
焦った。

言葉(頭)に説明をさせてあげてください。

心の中に消化できない想いがあると、それを表出させるために
キッカケとなる現在や過去のエピソードをひっぱってきます

現在の出来事(問題)は、たんなるトリガーに過ぎない場合も。

ヘンな言い方ですが、出てきた説明に納得がいくと心はスッキリ
します。逆に頭(概念や言葉)で無理やり納得させようとすると
一時は引っ込むこともありますが、トリガーを見つけては何度も
出てこようと繰り返す
ことになります。

劣等感や罪悪感・被害意識は、そのようにして馴染んでしまった
(癖になってしまった)感じ方と考え方のコンビネーションです。
まさに恐れ(幻想)のプログラムといえるものです。

言葉や考え方が概念や一般論となって、自分の本心をさしおいて
台頭してしまっている
状態です。

なので、自分の心と向き合おうとする時には「言葉や考え」には
まず脇に寄ってもらって(どうしようかと「考える」その前に)
不快・不安・不要・不明瞭といった「気持ち(感情やムード)」
にフォーカスしてあげてください。

それを表現(説明)できる言葉を見つけ、心が納得がいくことで
スッキリ消化できるかと思います。

お母さんが幼い子の気持ちを汲み、代弁してあげることによって
その子がスッキリし、安心するように。
その上で心地良くあるために、心に素敵な言葉や明るい考え方を
持たせてあげてください。
感謝や謝罪の言葉など、それが支配や従順の道具として使って(使わされて)きた人には
逆効果になることも。あくまで「心の在り方を基準」にしてくださいね。

心自らは赤ちゃんのまま言葉を持たないピュアな存在なのです。
うまく笑顔にするコツをつかんでみてはどうでしょうか?

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by dryangle | 2017-09-20 15:38 | ココロのカラクリ | Comments(0)
Absolute Innocence -絶対無罪-
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これまでの経験や情報から、心の不調(慢性的な陰鬱さ、怖れや
不安の発作、怒りの感情爆発など)、なにかにふれてわき上がる
罪悪感・劣等感・被害(被責)意識≒損失恐怖?などといった
感情的な苦痛を引き起こす意識から、とっさに逃げようとする
反射的な防御反応が常態化しているということではないか?と
考えるようになりました。

その中でも、とくに罪悪感について。

古今東西、明らかな罪を犯すまでもない人を苦しめてきたものは
他の人の不幸や不運、不機嫌を目の当たりにして、自分の責任や
後めたさを感じさせられる無実の罪悪感です。

その根源は親に認められたいという成長過程に当たり前の欲求が
叶えられない、つまり親の期待や要求に応えられない際に覚えた
依存心が脅かされる苦悩(「見捨てられ不安」という言葉も)。
さらにはこれに親の不機嫌や衝動的な暴力、執拗なハラスメント
といった(身体や精神への)攻撃性のある罰が加わることにより
その贖罪としての感情=罪悪感が強化されて植えつけられます

賞罰は他者を容易にコントロールできるので、ルール・決まりや
礼節の行為の部分だけを守らせるためのしつけや教育に使われる
こともよくあること(癇癪・発散や支配のための手段としても)。
そのために挨拶や高齢者への親切さえも、純粋な思いやりによる
気遣いではなく贖罪プログラムによって(誰かの不機嫌を怖れる)
罪悪感、実際の感覚では漠然とした後ろめたさから、行うように
なってしまうのです。
余談ですが(褒賞による)獲得プログラムによっては、功名を得る快感を動機に
行うようになりがちです。


そのあるなしを比べてみると、たとえばジャンクフード(漫画、
ゲームなど)をたんに家で食べて(常用して)こなかった人は
成長し自ら行動できるようになった後は、機会や興味があれば
もちろん食べてみることもするでしょうが、基本的には望んで
健康的な食習慣を続けていくようです。

一方、親の不機嫌や叱咤などによりそれを一切禁じられてきた
人は、望んでも口にする(それを行う)ことに、抵抗、拒否感、
怖れ=罪悪感が付きまといます。
いわば不快な感情によってそれらを寄せつけないようになって
いるのです(多くはそこに後づけの正当な理由をこじつけて)。
またそれを覚えたら、かえって強く求めるようになってしまう傾向もあります。

もともとは親の否定的な反応で出来上がった観念、いわば結界。

一般的にごく常識的なものから、他者には想像もつかないもの
までその善悪正邪はじつは多種多様です。

親と心の距離を置き適当にあしらう。他人の不機嫌を気にしない。
浪費する。グダグダ怠惰に過ごす。バカ喰いする。
バカ喜び、お祭り騒ぎをする。爆食いする。
エッチなことを考える。自分の好きなことをする。
周囲の意見に耳を貸さない。信仰や信念、戒律を持たない。
年長者にタメ口で話す。
他人に助けてもらう、迷惑をかける。借金をする。
働かない。自分だけが幸せになる。有閑マダムになる(笑)

そこに罪悪感を感じて、それを自分に許せない人がいる。

想像してみてください。
そこに罪悪感を感じない人がいることを。

許せますか?後ろめたくはないですか?
モヤモヤ、ザワザワ、イラっとしませんか?
私はいまだに自分に楽しみや遊びを許し難く、家族がレジャーの提案を
すると、なぜか反射的にイラッ!とします^^;


これまでの人生で、ずっと当たり前に馴染んできた感覚なので
そのモヤモヤや苦しみが限界に達するまでは、わざわざ疑問に
思わぬまま自分に不快感を与え続けます。

けれど、その負荷に耐えきれず下手をするといつか強制終了
なりかねません。精神や人間関係の崩壊につながるのです。
もしくは次の誰かに同じようなプログラムを植えつけ、自分の
要求や期待に応え奉仕してもらう側に転身することになるか…
なぜ自分の苦しみを相手に背負わせるのか?ふと昔の嫁姑問題がアタマをよぎりました。

そのような負の連鎖を断ち切るために、そこから自分と大切な
誰かを解き放つために、これまでの自分の感覚や常識、世界観
にはない、当たり前でない、信じられない(それはきっと自分
にとって嬉しい、ラクな、楽しい、したい)が当たり前の前提
や感覚を選ぶ勇気を持ってみませんか?

とはいえ。

そのためには、モヤモヤ、ザワザワ、イラっ、メンドクサイを
乗り越えていく意識と覚悟が必要です。

その最初のステップが誰かに植えつけられた贖罪プログラムに
気づくこと
それがあるんだとに気づいている(外在化する)こと。

そうして自分の中で再設定・無効化すれば、贖罪のための負の
感情(苦しみ)からとっさに逃げる(感情の硬直、発作や爆発の)
必要がなくなる
のです。

サーカスの象*が鎖を解いて自由になる。
それは自分の絶対無罪を自らが選びとることに他なりません。

*サーカスの象は力の弱い小さな頃から鎖をつけられている。逃げようと暴れるほどに
鎖は足に食い込み、その痛みに耐えきれず逃げることをあきらめる。そのようにして
「逃げることは無理」だという観念が備わってしまったために、成長して鎖を壊す力を
得ても逃げようとはしない。学習性無気力の例え話として心理学ではよく使われる寓話。


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by dryangle | 2017-08-11 13:53 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自分を苛(さいな)む視線からの解放
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前回の話題に続くシリーズっぽい話です。

人間関係への依存というものは、他者を介して自分の欲求
(例えばマズロー風に生理や安全、社会的、自己実現)
満たす・叶える
ということだと考えています。

ややこしいのですが、特定他者を独立尊重した対象として
ではなく
、自分の欲求を満たすために自己同化をした手段
・媒体とする
ことです。

される側は、抵抗や意識によって主体を得る機会や成果が
ない限り、もしくは「する側となって」相手を得ない限り
自分の実在感や効力感を失い(得られずに?)、操り人形
のような空虚感に苦しんだり、心身を病むことに…

その支配・被支配が作動するためには、相互的なある種の
心理プログラムが埋め込まれなければなりません。

それが内在化・内面化された自己監視の視線なのです。

当人の価値判断の選択を許さずに、一方的に賞罰によって
刷り込まれていくそれは、良くも悪くも心の深層において
その人の思考や感情・行動を縛るようになります。

褒章によって得れば、価値への欲として感じられるように
なりますし、(体)罰や喪失の痛みは強迫的なそれやその
代償への執着や拒絶を生むことになります。
欲を抑圧することでも強迫的になることはあり得るとは考えています。

自己同化の負のカラクリは、自分を見張るだけではなくて
自分を批判し、罰し、エスカレートすると、自分を虐める
など自己完結をさせるというところにあります。
(ここでは余談ですが)これに対して他者イジメは、自分のそれと異質か
もしくは抵抗・反抗する相手を支配するために行われます。
実現が不可能だと、相手の存在の抹消まで目的となるのです。


自分苛(いじ)めの多くは、表面的には忠孝や奉仕、努力
や勤勉、謙虚といった美徳の傘に隠されてしまうがために
自分ですら認識・告発しづらい状況に置かれているのです。

自分や他の人の、「この状態を見抜くことはじつはとても
簡単
」です。きっとみなさんにも自覚があるはず。

本人がイキイキと、意欲的に、けっして押しつけがましく
なく
いるのなら、それは主体的に選び取ったあり方です。
主体のあり方のデフォルトは喜びや生きる実感ですから。

そうでないとしたら…

(内外の)他者の視線に依存して自分のあり方を決めたり
それによって自分を規制したり、罰して苦しんでいます。
その上周囲の誰かを縛って、苦しませてしまうことも。

苦労(犠牲や奉仕、被害)をアピールして、相手に自分の
欲求を満たすように要求する
ことを受動攻撃といいます。
当然、相手の心を傷つけたり侵食したりします。

ストップ!自分イジメ!

気づいて(意識して)みるだけで、反応に少しづつ変化が
現れ、自分だけではなく関わる周囲の集合的な精神環境
も変化していく
はずです。

ところで…

最近は少々手垢にまみれたような「気づく」という言葉。

じつは排便や摂食と同様、「他人が代わることのできない」
ことです。
小さくても「気づき」の積み重ねこそが、自分という精神的な
存在実感
を得るための、大切な足掛かりとなり得るのでは
ないでしょうか。

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by dryangle | 2017-05-12 12:12 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自分を見張る視線からの解放
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「アナタの長所をあげてみてください」

そんな質問をしてみます。

「やさしく、親切なところ」
「勤勉なところ」
「頑張り屋なところ」
「明るいところ」
「気使いができるところ」
「○×が得意なところ」

さらに質問です。

「それは、誰を満足させるためのものですか?」
「自分に対してもそうしてあげていますか?」

「ええっ!?自分に対して…?そうではないですね…」

いつのまにか、自分の存在に対するポジティブな実感が
他者視点という想定にすり替わっていることに気がつきます。

その大前提が変わらないまま、長所を見つけることができず
自らに怒り、失望し、意欲をなくしてしまう人もいます。

それが自分を大切にしていないということ。

親だけでなく社会環境や教育の中で、他者や全体の要求や
基準に叶うことの価値だけが偏重され過ぎた
結果、個々人の
QOL(Quality Of Llife 個人がその人らしく人生に幸福を見出だしているかの指標
がなおざりにされている証の現象のように思います。

他者(親や世間)の視線を内面化するだけで、自分自身の
視線を構築するというバランスに欠けてしまったという見方
もできます。

自分に対する厳しさも、主体的に選び取ったものでなければ
美徳ではなく、自己監視(検閲)の上それに背く(背かれる)
ことで罪悪感や劣等感、被害意識という自己処罰感情を生む
苦のプログラミングと言わざるを得ません。

ムカムカやイライラ、モヤモヤやションボリという感情の裏には
この苦のプログラミングが作動している場合も多いもの。

それが自分が影響力を持つパートナーや子ども、身近な人をも
相互に巻き込んでしまうのです。

その苦に疲れ果てた先に、誰かの*セルフネグレクト(自己放任)
につながっていきます。

自分の心の檻の監視の目を破り、主体的に自分や自分の人生の
喜びや幸福を見つけだし行動することが唯一の手段なのです。

監視(*自己処罰プログラム)のキツイ人には大変な作業ですが
連綿と続くそのプログラムを断つことを、主体的に臨む価値と
腑に落ちた時にこそ、それが軽くなることを実感できるでしょう。

*
ひきこもりや孤独死、汚部屋、ゴミ屋敷などの原因といわれている。
個人的には他者視点の自分(それを圧しつけた他者)と主体である自分との
戦いや葛藤に敗北した(もしくは圧しつけていた他者をいきなり喪失した)
無気力の状態だと考えます。
生活が本人の快適や満足という意欲や目的によるという実感が、成立して
こなかったのかも知れません。

*
労働やお金、人間関係など、特徴的な要素にあって、つい苦労を選んでしまう。
ある種の強迫観念に似た作用によるものだと想像します。
潜在意識(無意識の領域)に隠されているので、まずは気づく(意識領域にあげる)
ことが重要です。


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by dryangle | 2017-05-10 14:21 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「不安依存症(不安中毒)」という発想
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前々から一度整理して書き残しておきたいと思っていたことに
チャレンジしてみようかと思います。
どうかあくまでごく私的・個人的な体験としてお読みください^^
(感覚が符合する方には苦しみの根を外在化できる素材となるかも知れません)

過去に苦しんでいたことに、今となっては全般性不安障害(GAD)
や強迫神経症の一部、パニック障害などと診断されそうな症状が
ありました。

ちょっとしたミスやそれを想像するだけで、不相応の恐怖感
(よく例えていたのが、”高層ビルの屋上の手すりのない縁に
立っていて急に背中を押された瞬間に起こりそうな感覚”です)
がわき起こる。決して”ドキッとする”程度のものではない。

「(玄関や車の)鍵を閉め忘れたんじゃ?」はもちろんのこと
「締め切りを忘れたんじゃ?」「書類にミスがあるんじゃ?」
「大切なことを言い忘れたんじゃ?」「支払いの間違い?」
「この人不機嫌?ワタシのせい?」「誰かに見咎められる?」
…いちいちフリーズ。

森田療法でいう ”はからい(回避のための消極的行動)”に
とりつかれていたこともありました。

「こんな時間にまだ帰宅しない?」「連絡が来ない」などの
家族に関する状況に至っては、聞こえるほどまでに鼓動が
高鳴り、冷や汗タラタラ、過呼吸に、チック症状etc…
まさに発作といえるような状態に陥ります。
(それ自体で「自分が死ぬのではないか?」とは、恐れたことがないのが
不思議なのですが。そういうケースもあるのでしょうか?)


後者については、親への分離不安の名残なのではないか?と
認識できた頃から、少しはラクになってはきていたのですが
トラウマ反応にしては、トリガーが曖昧かつ広範囲で掴めず
予防や危機回避のためにしては、度を越している不安症状。
客観的に一応は恵まれている環境にあって、いちいちオドオド
ビクビク不安に暮らす毎日にウンザリしていました。

そんな私にとって、大きな転換となったのは「これ(不安や強迫)
も依存症だと考えてみたらどうか?
」と思いついた時でした。

とたんに、幼い頃の記憶がズルズルと芋づる式に引き出されて
その時の感情と共に恐ろしいほどストンと理解できたのです。

喜びや楽しみを禁じられてきた。

説明すると長くなりますが、期待するとひどくガッカリさせられ
喜ぶと親が不機嫌になって、嫌みや皮肉をネチネチ浴びせられて
喜んではイケナイ”というメッセージが強烈に焼きついています。

親との関係において、自分の心が味わうことのできたせめてもの
快感
さんざん不安にさせられてからの日常に戻る安堵感

ああ、もう殴られない。DVを受けたた方ならピンとくるであろう
”ようやく嵐が去った” …あのホッとする感じです。

もしかして?

そのクセとなった安堵感を求めて
自ら習慣的に不安感情に耽っている?


仮説としてだけでも、十分に腑に落ちたような気がしました。
(とくに就学前一人で留守番=置き去り?にされる時に、”喜んで自由にふるまっては
イケナイ、心配して大人しく待っていろ”という暗示にも似た思い込みがありました。
少し大きくなったら、遊ばせておくのはモッタイナイと山ほどの家事。)


その後、そのような自分の状態に陥った時に変化がありました。
これも一種の依存症状なのだと、突き放して(距離を置いて)
みることができるようになったのです。

妄想への不安に耽溺しているだけ…ただそれだけのこと。

不安の苦しみや痛みが増す前にそう気づくことで、だんだんと
ラクになり、「あれ?ダイジョウブだ!」ということも増え…

今でもウッカリすると巻き込まれそうになりますが、まったく
不可能のように感じていた、”不安断ち”が叶うことの実感を
得ることができたように思います。

ちなみにコールドターキー*は、喜びや楽しみに目が向くこと
への恐れ
のように思います。
次に待ち受ける課題はそれを乗り切ることでしょうか(泣)

「オラ、こんな親はイヤだ(った)~」

*禁断症状、離脱症状のスラング

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by dryangle | 2017-03-26 19:37 | ココロのカラクリ | Comments(2)
~し”づらさ”は、生き”辛さ”
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今回は日常の些細なことに目を向けてみましょう。
それは、何気ないふとした「~しづらさ」です。

言い換えると、気がねや遠慮、気後れ、ためらい
そして、とまどい、根拠のない後ろめたさ…
人によってさまざまに異なるでしょうが

例えば、かつての私なら

自分の意見を言いづらい
人前で泣きづらい
フェミニンなものを選びづらい
ある価格以上のものを買いづらい
大皿の料理に手を伸ばしづらい
誰か(家族)がいるとリラックスしづらい
誰かがいるとバスルームを使いづらい
他者に依頼や要求をしづらい
欲しいものを手に入れづらい
重要な人に話しかけづらい
承認がないと物事を先に進めづらい
自分だけで好きなことをしづらい
それらの不自由さを自分で認めづらい

ほんの小さなことから大問題まで、たくさんあるある!
皆さんはいかがでしょうか?
これらを誰か(や自分)のための「やさしさや気づかい」
なのだと、綺麗ごとにすり替えることも
常識や理屈で正当化することもできますが
自分の気持ちは、決してそうではないことを
苦しいような窮屈さを知っている。

それは自分の心の中にある、恐れる誰かの目に見咎められ
射すくめられた時の反応です。

叩かれ慣れた子が、傍らの人が髪をかき上げようと手を
持ち上げるだけでビクッとするという類の条件反射

次の展開で、身体や心の痛みを受けるのではないかという
予期不安ともいえます。

叩かれる、怒鳴られる、咎められる、嘲られる、笑われる
叱られる、嫌みを言われる、不愉快になられる、卑下される

通常、ここまではハッキリと意識にのぼりませんし
実際には大方あり得ない、ナンセンスな場合も多いです。

大元のエピソードの記憶自体は、忘れ去れられ(埋め込まれ)
てしまっているので、のちに状況に合理的な感情として自ら
整理をすることができないまま
にいるのです。
これが「しつけ(内在化)」の手段として使われてきました。

察しの良い方はすでに気づいていらっしゃると思いますが

この~し”づらさ”の多さ・強さ
そのまま生き辛さの度合い」
なのです。

もしそれが自分にとって不都合な反応であるのだとしたら

その都度気づいて、(結果としてどうふるまうかは別にして
意識して自分で選択することができれば、緩めることができます。

ひとづつ丁寧に結び目をほどくように
気づいて、緩めて、ほどいて
ほんの少しづづでも、気楽に
生きやすくなっていってみてはどうでしょうか?

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by dryangle | 2017-02-24 14:39 | ココロのカラクリ | Comments(0)
精神的依存からの卒業(共生関係を見直すプロセス)
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
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こちらで何度も話題にしてきた共依存という心に原因のある問題と
その言葉はかなり定着してきたように思います
以前の話題では心理的癒着という概念でお話しました)。

別な視点・言葉を使って共生関係とも言われますが、この見方で
考えてみると良くも悪くもこの関係性はそこここに見て取れます。

かねてから無意識のつながりの根拠とされている一つに、関係の
ある二人、もしくはグループが同一個人のようにふるまうという
事象があります。

一人が他者(相手)の主体が権限を持つはずの感情や思考、行為
などを自分ごとのように介入・決定・操作してしてしまう

これは親子関係の初期(子どもの自我が未分化の時期)において
当前のことなのですが、いつまでも子どもの自我・主体を切り離す
(尊重する)ことのないまま、人格が未分化のまま*に、主従関係
が常態になってしまうことで起こります。

直接的なやり取りだけでなく、顔色や空気を読むといった、非言語
コミュニケーションによっても意識の奥に構築されていきます。

不幸な場合*に、そのコントロールと不本意が葛藤することで起こる
神経症的な不安反応罪悪感や恐れ、癇癪や怒り、ショックや落ち込みなど。
親の威圧や発作的な暴力、苦労や奉仕アピールといった支配バリエーションによる
)に
揺さぶられ、ふり回され、結果として屈服してはその反応を強化し
(強迫的になっていき)ます。いずれ精神を病む可能性も高いです。
分離不安症状とも、精神分析でいう固着点への退行症状とも重なるように感じています。

「された」側は自分の感情や思考、行為を代行されてしまうことで
主体である自分(やその気持ち)がわからなくなる
この存在不安の穴埋めの(自己愛の不満を満たす)ため、強迫的に
自分や他人をコントロールする(面倒をみること、みられることに
依存する)相手を作り出すという連鎖が起こります。

つまり相補的に成り立つという意味での共生関係

たとえ親や当事者がいなくなっても、依存プログラム*がそのまま
削除されず(内面化して)残るために、同様の他者とも似たような
関係を繰り返しやすいのです。

ここで本来の自分を育てなおすという発想が生まれます。

(幼児のままでいる役割、もしくは内面化した親の役割に)
乗っ取られたままの自分を、自分で育て、自分として開放する。

心理的離乳や精神的自立というのは、親子関係(つまりは面倒をみる
・みられる役割)を卒業する
ということなのです。

卒業したうえで、思いやりによって必要な時に支え合えるのが成熟

自分の依存性、幼児性(愛情飢餓感、承認欲求や不安や孤独感が強い)
に気がついた(外側から見ることができた)時にこそ、自分解放の
プロセスのスタート。

個人的には、もっと早く苦しい依存プログラムから脱出したかったと
思うのです。
…いや、今でも時々
条件がそろうとつい「乗っ取られる」自分がいますが007.gif

*
母子カプセルとも呼ばれる。双方にとって居心地の良い場合も。
*これが日本文化として良い意味で「うまく」機能していたという考えもあります。
*ある分野ではンナーペアレンツ、インナーマザーの概念。

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by dryangle | 2017-01-16 15:36 | ココロのカラクリ | Comments(1)
引き寄せ合う関係
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「類は友を呼ぶ」ではないですが、人にはみな個性があり
趣味や気の合う合わないによってそれぞれの関係の距離が
近づいたりも遠のいたりもしますよね。

いわば心のアレルギー反応のように現れ、こちらでも度々
話題にする負の気持ちである「劣等感・罪悪感・被害意識
という心のプログラム。

これにも磁石の±のように引き寄せ合う関係があるように
思います。
劣等感の匂いは優越感を示したい相手を引き寄せ、罪悪感
の匂いは正しさを振りかざしたい人、被害者意識の匂いは
責めたい人や偽善の人を集める誘蛾灯のようかと感じます。

磁石と異なるのは、同類が反転して寄ってくるところです。
劣等感を持つ者同士では、いずれどちらかが優越感を示す
ようになり、罪悪感を持つ者同士は一方が正しい人になり
被害意識を持つ同士には責める側が現れてきます。

反転するのは、負のエネルギーの強さの優位な側
(多分そうだと感じる)

重複して持つものでもありますから、順列組み合わせは無限。

さらには。ふさわしい相手がいない時、起こることをネタに
自分自身が自分を軽蔑し嘲り、正しさで縛り責め苛む役割へ
転じたり
もします。甚だしきはそのネタをひき起こすことも。

まったくもって主観に基づいた話で恐縮なのですが、心して
観ていると、けっこう当てはまるように実感します。

もし自分の中に
怒りっぽさや、落ちこみやすさ、傷つきやすさ、心のクセ
傾向性を自覚したら。

そんな気持ちにさせられる原因や自分の正当性を探す前に
それが「劣等感・罪悪感・被害意識」の、何れかによるもの
ではないか?と自問してみてください。
自動反応(スィッチオン)的な心の動きなのではないか?
確かめてみてください。

それがその通りだと知るだけで、引き寄せ合う負の関係や
出来事、それを体現する相手との縁が切れるかと思います。

磁石と違って、すべてがマイナス。
マイナス同士が引き寄せ合い、反転してもなおマイナス。
そんな働きのようです。

あえて言ってみれば、プラス性というのは「自分の意志で
近づいたりも、離れたりも、できることや関係でしょうね。

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by dryangle | 2016-12-18 20:58 | ココロのカラクリ | Comments(0)
屈折した承認欲求(承認依存)
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承認欲求というと通常、褒めてほしい、認めてほしい、評価してほしい
といった類の気持ちだと考えますよね。

もちろんそれは心の健康な人にもあるもので、ヤル気の素にもなります。

ところが、安全欲求と同じレベルで他者の承認が自分の存在理由の
大前提
とまでになってしまうと、時に狂ったように意固地になって
相手・他者のアテンション(注目)を得ようとしてしまうのです。

「カマッテ欲しい」の屈折バージョン

謝って欲しい、感謝して欲しい、悪いと思ってほしい、従って欲しい
大変だと思って欲しい、肯定して欲しい、可哀想だと思って欲しい
叱って(責めて)欲しい、許して欲しい
不幸だと認定して欲しい⁉︎
命令(指示)して欲しい、チヤホヤして欲しい、自分を立ててほしい
目を離さずにいて欲しい、羨ましがって欲しい…キリがありませんが。

それらはつまり、すべて私の価値を認めて欲しいの変形なのです。
これらは養育者とのコミュニケーションパターンが滲み出ます。

ちなみに、私の親もどうでもいいことで怒り狂う時には必ず
「他人は叱ってくれないんだからね。ありがたく思え」と言っていましたっけ。
私には誰にでも自分がけっして悪くなくても謝るクセがありました。

そのパターンが刺激される状況に陥ると、スイッチが入ったように
(妄想の脳内上映が始まり)それを要求する言動に走ってしまいます

感情的脅迫と呼ばれるような、恩着せがましさ、自慢や自己顕示
犠牲や虐げられてるアピール、忙しさや頑張ってるアピール
嫌みや皮肉に嘲笑、マウンティング、さらには号泣や恫喝…
といった振る舞いはド定番です。

罪悪感や劣等感に被害者意識を刺激
し、押しつけのコントロールを
「あなた(誰か)のために」とすり替えるのはもはや常套句

すべて物乞いならぬ気持ち乞い。

ただでさえ希薄な自分の存在価値を確認する裏づけの気持ち乞いです
から、そのエネルギーといったら並大抵ではありません。

「心のエネルギー泥棒」といわれる人もこのタイプです。

同じプログラムを持たない人には、しつこい、ウザイ、クドイと思われ
離れていかれる一方で、反対にそれを持つ同士の間には持ちつ持たれつ
の依存関係
が生まれやすいのです。

自分の中に、相手の中に、それを発見したら
不毛で消耗する関係を断つチャンスです。

自分が自分で根拠もなく、ありのまま、そのまま価値があると思える。

そのように自分の側が変わるだけで、存在価値を奪い合うのではなく
互いに気持ちよく認め合える間柄に人間関係も変わっていきます


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by dryangle | 2016-12-04 20:44 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り