金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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"自分"に疲れていません?
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カテゴリ:ココロのカラクリ( 122 )

それを愛と呼ぶな!(1)
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
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~絆と癒着。表裏一体の恐ろしさ~

前回まで依存と表現してきた心(脳の働き)の様相を
その対象を人間関係に特化して考えてみましょう。

共依存という概念の理解も進んでいますが、ここでは
癒着という言葉を使ってみるとわかりやすいと思います
(仏教的な執着やそれが生み出す煩悩にも共通します)。

傷口や病巣がヘンに癒着した(ひっついちゃった)の癒着

この言葉は心理学においても使われています。
おもにアイデンティティ(自己認識、自分らしさ、自分という
感覚や価値観とそれによる思考や感情的な反応…)の癒着

相手の状況や感情を自分のものとして感じ扱う。

これは子育てにおいては、子どもの自我が未発達な時期に
子どもの愛着(安心できる)対象となり、情緒的に反応し
子どもを育むために機能します。
先に身体は分離したものの、その身体が成長を遂げるまで
精神的には子が自我を確立するまで、親子は良くも悪くも
相互に癒着します。

はなからこの関係を築けない問題を愛着の障害と呼びます。
逆に子どもの成長段階に合わせて、この癒着を切り離して
いくことができない
ことが問題となることもあります。
そこに自分の存在の実感や価値を見出していればなおさら。

毒親と言われるのは、まず愛着関係を拒絶した親ですが
関係を癒着したままに持ち込む親の過干渉なども含みます。
むしろ一般にはこちらの問題の方が多いかも知れません。

親の側の癒着の気持ち(自己同化とも言い換えられます)が
強過ぎる上に、主従(依存)関係を形成してしまうことで

子どもを自分の傀儡にしてしまうのです。
傀儡(かいらい)とは、
あやつり人形。転じて人の手先となって
思いのままに使われる者の意


そこには、自分の過去の挫折体験や達成欲求による期待
自身の劣等感の発散、そのためのダイレクトな支配欲など
根となる原因や程度もさまざまありますが、程度が強いほど
それに反したり、そこから離れようとする相手に対して

許せなさ(心の激痛)を感じ、激しく妨害したり
酷く責めたり、執拗にまとわりつくことになります。


これはストーカー問題など、他人同士でも起こりますよね。
愛着の障害(愛情飢餓)のある人は関係の近い他者に激しく癒着しがちですし、話題の
エナジーヴァンパイア(エネルギー泥棒)は相手の癒着を断てない弱みにつけこみます。


相手(や八つ当たりの対象)を傷つけたり、誰かを死に
追い込むまでにエスカレートする
可能性も否定できません。

…(2)へ続きます。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

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by dryangle | 2016-08-24 14:12 | ココロのカラクリ | Comments(0)
そのヤル気の正体は意欲?依存?
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個人的に、ふと気づいて愕然としたことの中に
「したい」ことと、「しなければいけない」ことの
区別がついていなかったということがあります。

「買い物に行きたい」「買い物に行かなきゃ」
「美容院に行きたい」「美容院に行かなきゃ」
「ご飯食べたい」「ご飯食べなきゃ」
「寝たい、眠い」「寝なきゃ」
「お礼をしたい」「お礼をしなきゃ」
「お盆玉あげたい」「お盆玉あげなきゃ」(時事ネタw)

たんに言葉上の違いと思いきや、じつは心の中の
気持ちにも明らかな違いが存在します。

純粋な欲求や意欲
義務感や自分を急き立てる気持ち

言葉の曖昧さとは対照的に、①の好ましい気持ちと
②の少々不快な気持ちの種類はまったく異なるものです。

私は、①の気持ちで「~したい」というのはなぜだか
どこか気が引けるのか「~しなきゃ」と言ってみたり
一方で②の気持ちでも「~したい」と言っていました。

皆さんも、けっこう曖昧に使ってはいませんか?

この②の不快な気持ちは、いわば強迫に近いものだと
考えています。
その行為(のもたらす結果)に依存している場合
それが叶わない時に起こる不快な感情反応です。

依存の禁断(離脱)症状 ≒ 強迫(観念や感情)

案外多いのが、他者の承認(を得るために内面化した
偽の自己承認に依存している場合で、その達成まで
不快感や焦燥感(罪悪感、劣等感、恥、許せなさ)に
急かされます。

…私のヤル気はもしかして強迫?

言葉使いの曖昧さに気づいた時と同時に、なんと①の
気持ちを忘れかけていることに愕然としたのです。

そして②の気持ち(強迫)が、①の気持ち(意欲)を
だんだんと殺していく?とさえ感じました。

それ以降「~したい」という言葉が出てきたときには
それがワクワクするような意欲なのか、そうでないのか
ハッキリと認識し、言葉を区別するようにしています。

純粋な欲求や意欲を感じることができていますか?
それを「~したい」と区別して表現ができますか?

(通常「強迫」は、報酬とは逆の罰や痛みを怖れる場合の反応ですので
承認を得るための負の条件づけがいちいち仕込まれているのでしょう)

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by dryangle | 2016-08-17 20:32 | ココロのカラクリ | Comments(0)
精神のアキレス腱~Next Generation
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『不幸になりたがる人達(春日武彦)』という本の中で、著者は
精神のアキレス腱は所詮「こだわり・プライド・被害者意識」
だと言っています。

なるほど、そうだな。

…と思う一方で、「そのような親が育てた」子ども世代、つまり
次世代の精神のアキレス腱は微妙に異なるように感じます。

もともとすべてがある種のコダワリであるのだといえますが
ごく個人的な実感からすると、多くの人にとって今心の地雷
といえる踏まれると痛いツボが集約するものは

罪悪感、劣等感(プライドの裏)、被害意識(被責妄想)
だろうと考えます。

刺激されると、自分の中に怖れや怒りといった負の感情が
充満する弱点
です。トラブルの引き金にもなります。
自己愛による防御反応が、依存的というより強迫的になって
いるように感じられるのです。

苦しい気持ちがわいたら、それらのどれかに当てはまるのか
考えてみてください。
もしかして、さも真実に見えるそれにとらわれているのかも?
と自分に問いかけてみてください。

自分自体がアキレス腱だったと気がつくかも知れません。
アキレス腱は柔軟にしておいた方がいいです(笑)

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by dryangle | 2016-06-28 11:41 | ココロのカラクリ | Comments(0)
心の回復を求めて。
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最近は神経心理学と呼ばれるのでしょうか、脳の働きや
それらの不具合といわゆる「病む心」との関係
についての
情報がやたらと気になります。

怖れや不安,怒りなどの不快な感情は、記憶と関連づけられた
外界や自分の思考などの刺激によって発生します。
海馬と扁桃体の連携やそれを制御しようとする前頭前野の働き
などを理解するだけでも、反応に乗っ取られずに済みそうです。

認知療法第3世代の1つといわれるマインドフルネス認知療法
(Mindfulness-based cognitive therapy:MBCT)は
このシステムに働きかけることができるとされており、実際に
脳の検査において肥大した扁桃体が回復したり、海馬の委縮した
細胞が復元するなどの効果がみられたそうです。

身体の痛みをとるためのマインドフルネスストレス低減法(MBSR)
が、もとになっているという点は興味深いです。

…となにやらムズカシソウな話ですが、その方法がなにかといえば
(宗教性のない)瞑想なんですね。
「なるべく考えない*」もしくは「目の前の行為に集中する」という
時間をとることの効果や重要性が科学的に立証されたカタチです。

そういえば、思い煩った時にムショーに掃除したくなる,なにかを
徹底的に磨きたくなる,ひたすら野菜を刻みたくなる,など聞いた
ことはもちろん自分にも覚えがあります。ごく自然に脳を守ろうと
ひいては自分の心を守り回復を図ろうとしているのかも知れません。

今この瞬間にはない「概念として存在する問題」を、たんに対策を
練るのではなく、思考と感情の反応を総動員して深追いしない
ことが精神衛生上大切だといえそうです。

精神力動学的には、新田信也氏の精神分析統合理論のサイト
興味を持ったのですが、「許し許されること」「共感し,されること」の
意味や、これまで漠然と考えていた心の化学変化のイメージが
整理されていて深く知りたくなりました。

人の心を動かすのもまた人の心。

ただ心の回復を求める以前に、その疲れや痛みをきちんと自覚
できるようになる
ことの大切さを感じずにはいられません。

*むしろ頭に浮かんだことを追わずにただ受け流すといった感じでしょうか。
 思考を客観視するコツやある言葉を唱え集中するという方法もあります。

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by dryangle | 2016-06-20 14:57 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自分にしか関心のない人~自己執着~
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自分にしか関心のない人。

言い換えれば、意識の焦点が自分にしか向いていない人。
あらゆることを自分と関連づけてでしか考えられない人。
外界をそのまま「自分の世界観」と同一視している人。

それは傷ついた人であり、苦しみの人です。

最近は「自己愛」という言葉が一般にも使われ、その問題だと
されていますが、この愛という言葉を「執着」と替えてみる方が
的確でより理解しやすいように思います
(実際に仏教で説かれる愛は執着のことであり煩悩です)

それは心の発達段階において、不幸にも(ありのままの)自分を
認めてくれる人に出会えなかった
人です。
(条件や成果なしに)自分は承認されないという自己の存在の
不安に怯え、自分に固執し続け、つねにそれを満たす物事
(認められる、感謝される、褒められる、注目される、特別になる、など)による
自己満足や自己完結を追い求めてしまう。

もちろん愛情飢餓の一つの状態であるともいえますが
それよりも以前に、存在の承認を受けられないことによって
健全な自(我)意識を成長させ、しっかり獲得することができず
人間関係の基礎となる「自分があって他者のそれもある」という
自他の関係の土台が未熟であるといえるように思います。

さらにもう一つ。

その脆弱な自分が恐怖や屈辱に晒された経験による、自己の
過剰防御もまた、自分への執着といえます。
再びそのような目に遭わないように自分(の言動やあり様)を
抜け目なく検閲し、外界や他者を妄想することで恐怖します。

どちらも経験と感性の程度問題であり、人によってその程度も
さまざまです。誰もが「人間だもの」と共感できるレベルから
「ちょっと困った人」、ついには破綻して「他者を脅かす人」*まで。
心の基本構造としては共通するものがあるように思います。

条件や根拠なしの自らの自己承認によって、その苦しみから
抜け出す扉の前に立つことができます。

…気づくことさえできれば。

*自分の内なる世界での自己が限界を超えたり破綻すると
 現実の自分や他者、外界を破滅させようとする。
 
 困った人以上の方は、昨今では「自己愛性パーソナリティ障害
(もしくは「境界性」)と定義や診断をされることも。

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by dryangle | 2016-05-24 12:40 | ココロのカラクリ | Comments(4)
自分脅しのプログラム
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重大な危機に(心理的に)直面するような経験が元となり
特定の物事に対して恐怖感やパニックを起こす恐怖症
いうものがあります。

後にその危機から自分を守るための心理(脳機能)作用
だといえますが、ありがちな「イヤな気持ち」もある意味で
似たようなメカニズムで起こるように思います。

とくに(無実の)罪悪感劣等感 は、高ずるといわゆる
文化依存症候群*になり得る心理作用ではないでしょうか?

これらは他者の期待や要求の水準に達することができない
わき起こる嫌な気持ち。不快な、ときに耐えがたい苦しみです。

基本コンセプトが、「自分の安定、満足や喜び、楽しみは
他者の期待や要求に応えることで得られる
」プログラム。

そうでないとイヤな目に遭う(不安になる)よ。

養育者や教育者が、その期待や要求に子どもが反する
その都度脅したり罰を与えたり、くり替えし不快な気持ちに
させる
ことで組み込まれます。
(※「となりの脅迫者(Emotional Blackmail)」という本に描かれるような関係が
ありきたりのベースになっていることに驚かされます。
前のタイトルは「ブラックメール-他人に心をあやつられない方法
一昨年の記事です→「エモーショナルブラックメール」)

さらには他者の水準というのを、経験から自分の内にとりこみ
予想・演算して逐一自分の在り方を照らし合わせ、動機とする
自責のプログラムとなって、生涯に渡って無意識に作動し続け
達成が叶わない時、折につけて自らを苛みます。

プログラム本体の周囲や次世代への移植も基本コマンドです。

養育者や教育者の達成水準が低いほど、それをクリアして土台とし
本人の意欲によって満足や喜びを求め、行動することへの
切り替えが容易になります。

達成水準が本人の能力を超えていたり、過度な支配やコントロール
によって「自分(を保つ意欲)が殺されてしまう」ことで、本人の
精神が破綻したり、突然過激な拒否反応を起こしたりします
(極端なものは、愛着障害といった下地がある可能性も高そうです)。

これらが、引きこもりや無気力、反対に暴力や反社会的行為といった
さまざまな問題の様相の根にあるように感じます。

日本では皆が口を揃えたように「誰かの役に立つこと」が嬉しい
と言います。そのような価値観を否定するものではありませんが

「他者が受け容れる」ことを大前提とした上で、自分の喜びや
満足を成り立たせなければならないという文化の苦肉の満足
ような気がしてならないのです。

誰かを喜ばせたいというのは、けっして悪いことではありませんが
それが本来誰の喜びであったのか?わからなくなってしまったら
そうでないことに恥や罪悪感、劣等感といったイヤな気持ちが
わく
のであれば要注意ですよ。

*Culture-bound syndrome. ある地域、民族、文化環境において発生しやすい
精神障害を指しますが、横の区分けだけではなく社会や文化の変遷レベルの
段階による垂直的な区分けができるように考えます。

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by dryangle | 2016-03-27 16:53 | ココロのカラクリ | Comments(0)
親なるものへの依存症状
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時に私達を悩ませ、苦しめる
罪悪感、劣等感、被害/敗者/損の意識、恥、自己嫌悪などの
自己処罰の感情

親の延長線上となる、世間や社会の慣習、ルール、権威、宗教
はては境遇や運命に依存(執着)させられ、それらに従わないと

自分の存在(価値)が脅かされる刷り込まれた反応です。
それはそのまま、不安や恐れ、怒り、焦りなどの不快感情。

それに従うことで、利益や許可、承認といった愛に代わるもの
得られるとも信じ込まされています。

誰かの価値観に添い遂げることへの強迫的な欲求

無条件の肯定や愛を与えず※そういった条件づけを行なうことで
従順かつ支配やコントロールを受けやすい人となりかねません。

社会正義のために是とされることが多いですが、複雑に発達した
構造にがんじがらめになり、欺瞞や無気力の人を生むのです。

さらには屈辱や暴力、ネグレクトなどによって卑屈にされた場合
自分や他者を責め苛む気持ちや発作的な感情爆発の根になります。
これらが自他の心身への傷害や不幸な犯罪の背景にあるかといえます。

親、家族、友人、先輩、先生、上役、成果、世間、社会
運命、人生の意味…

漠然と肥大した上位他者からの承認への
渇望とそれを得られないがための存在不安

なにかへの強迫的な欲求の罠にはまり、それが高じるが故の
物質依存に行動依存、関係(共)依存。
本質の苦しみから逃れようとするためにすり替えられる対象。

すべてが親なるものへの依存症の様相に思え、切なくてなりません。

アタッチメントやセーフティベースといった親密他者への信頼感の構築を
イメージしています。


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by dryangle | 2016-02-18 14:46 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自分へのウソを見抜く
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日本の有名なカウンセラーさんのブログにあった
・大人になりたくてなれてしまった人
・大人になりたくてなれなかった人

という話題を興味深く読ませていただきました。
前者・後者の性質やそれが故の苦しみ、解決法など。
(リンクを貼ってもいいのかな?^^;検索で探せます)

勝手ながら、前者・後者の「もどき」と「本物」の違いを
イメージするには
・子どもでいたくていられなかった人
・子どもでいたくていられてしまった人

をつけ加えて考えると、わかりやすいように思います。

つまり、「本物」は
・大人になりたくてなることができた人
・子どもでいたくていることができた人

といえるかと思います。

それは個性であり、自分自身も周囲にも受け容れられる
ありのままの自分という理想(目標?)ともいえます。

もどき」には、「なりたくて・いたくて」の部分に
自分の本意ではなかったというウソがありそうです。
・(本当は)子どもでいたいのに
大人になってしまった/子どもでいられなかった
・(本当は)大人になりたいのに
子どもでいてしまった/大人になれなかった


誰か(おもに親)からの強制であるにしろ、周囲のプレッシャーや
期待によって自らが選び取っているにしろ
本意のままにいる私、(私にとっての)本意のままにいる他人
不本意に従わない私、(私にとっての)不本意に従わない他人

が許せません。ムカつきます。苦しめられます。

つまり、このウソがもどきの苦しみや悩みを生んでいる
といえそうです(また強制されたウソほど認めるには抵抗が強い)

だからネガティヴな気持ちは、自分のウソが暴かれるチャンス
自分の本意を見つけるキッカケになり得るのです。

本物のなりたい・いたい」は、自分を尊重するという気持ちですから
ないものねだりや自他への許せなさを生むはずがないのですね。
それらは強迫的な「頑張り」プログラム発動の動かぬ証拠。

もちろん!?私も大ウソつきで自己去勢していました!

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by dryangle | 2016-01-13 15:21 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自己犠牲的もしくは強迫的頑張りの「どうして?」
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あけましておめでとうございます!
スローペースですが、今年もいろいろ綴っていきたいと思います。
ご感想などいただければ嬉しい限りです。


…それでは、早速前回からの続きです。

~アメ的操作(支配)法の毒。アメは自分をムチ打つ道具に代わる~

以前「褒めて育てる」という言葉がお題目のように流行りましたよね。

それまでの「叱って育てる」ムチ教育による弊害への反動なの
でしょうが、対になる極端にはやはり注意が必要だと感じます。

ムチが子どもを強迫的に従わせるしつけの手段だとしたら
アメは子どもを依存的に従わせるしつけの手段になりかねません。
(報酬性の刺激は腹側被蓋野を経由して側坐核という場所に伝わります。
ここはアルコールや麻薬なども働く場所なのです。)


いい子のパターンにありがちですが、高評価などのアメをもらい続ける
ことに加えて、それ「だけ」しか喜ばれないという条件づけが加わると
それ「だけ」しか、自分の存在価値がない(認められない)と思い込む
ようになります。

すると評価を得られない自分を自分が許せなくなるのです。

この場合、自らが強迫的に、世のため、人のため、親や家族のため
役に立つように、喜ばせるように…をアピールした行動をとることが
一義となります(がゆえに評価の権限のない他者には無関心)

結局は自分で自分をムチ打つという苦しみに帰結するのです。

お気づきでしょうか?ムチもアメも主導権を持つ者(の価値観)中心の
それに従わせるための操作法に他なりません。
つまり同じコイン(従順をしつける目的)の表と裏なのです。

自分の存在価値への無条件の信頼、根拠のない安心感があれば

それが手段としてではなく心からの感謝や喜び、祝福を受けた
それを意欲をもって行うという自発的な動機となりえます。

それが手段としてではなく心からの痛みや悲しみ、苦しみを知る
それを避けるため、助けるために動くという自発的な動機となりえます。

そのためには、無条件に大切にされるという大前提が必要。

教育が、個々人にとって「その主体性を獲得するための援助」となる
ものであって欲しいとそれこそ心から思うのです。

純粋に自発的な意欲や行動、ありのままの自分でいられることの
自由。そこに人の最善や幸福があるのではないでしょうか?

習慣性を持たせその断ち切りを阻害する機能を持つ。
これを含むドーパミン神経系は意欲を司る一方で不安を司る神経系でもある。

このブログで使う「主体」や「主体性」という言葉は、あくまで個人の尊重であり
集団カテゴリや全体主義にすり替えた思想とは明確に区別したいと思います。

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by dryangle | 2016-01-05 17:00 | ココロのカラクリ | Comments(0)
DV・モラハラの「どうして?」
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悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
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~人々の無意識に根づくムチ式他者操作(支配)法~

DV(家庭内暴力)やモラハラ(精神的な暴力)について
普段なにげなく話題にのぼる時、わりと耳にするのが

「どうして言い(やり)返さないんだろうね?」
「どうして逃げないんだろうね?」
「どうして誰かに(助けてと)相談しないんだろうね?」

ということです。

それが当たり前だと言えることが、どれほど幸福なのか
当人は気づいていないのだろうなぁ…と思ったりします。

DVやモラハラの当事者には、正反対の当たり前によって
それらがあり得ない選択肢になっているのです。

これには、加害者と被害者双方に刷り込まれた上下関係、
礼儀や気遣いといった美徳とは真逆の、むしろ弱肉強食と
いえるおぞましい支配と服従の構造があります。
(むしろ美徳や正当性という隠れ蓑をそれと認識している場合が多い)

いったんこの構造が人間関係世界の当たり前となった人は
互いがその囲いの中にいると認識し合った対象者との関係に
おいて
、その共通の感覚により力関係の序列が決定されます。
関係が強く深くなることによって、当事者間に起こる摩擦や衝突の
被害者になるか、加害者になるかが決まるのです。
(フェアな関係は互いの利を模索したり、妥協し合ったりします)

DVもモラハラもいじめも、コントローリングも我が家のルールも
内輪の関係性の中で維持されようとするのはそのためです。

その構造の根っこには、アイデンティティの共有/同化をしている
重要他者(相手)に対し
他者(相手)を満足させなければならない」と


不安(相手の過度な不安や恐れの反応)や
恐れ(相手の怒りや嫌み、体罰や恫喝、言葉の暴力)によって
訓練させられた条件反応となっています。

嫌だと感じる、ノーと言う、抵抗する、自分を優先(大切に)する
という自己尊重の感覚去勢されてしまっているのです。

また新しい人々との出会いの中にあっても、この囲いの同類は
互いに関係を結びやすい
ことが習性だといえます。
(囲いの外の他者に対しては、他人行儀で、慇懃で、低姿勢で人当たりが良かったり
もしますが、ひとたび囲いの内と認識し引き入れると豹変します)


親や親類による支配や暴力・モラハラの中に育った私自身も
温かいホームドラマの場面や周囲の人の一家団欒の話などを
作り物もしくは別世界の出来事と認識していましたが、そうでない
家庭環境にいる時間が長くなった現在、当たり前が逆転して
かつての家庭環境の異常さを認識できるようになりました。

社会の人間関係にあっても、この囲いの匂いや気配を感じる
自ら距離を置くことで、自然にトラブルを避けているように感じます。
初めの頃はその度、怖れや罪悪感に苦しめられていましたが^^;

親子や夫婦関係といった家庭環境だけではなく、教育現場や職場
あらゆる場所で、社会で、明に暗にこのような自己尊重の去勢
意識的にも無意識的にも行われています。
また他者の服従や従順を育む方法として、最近はムチだけでなく
まるで理想的にも見えるアメも多用されてきています
(自己尊重感を利用され不足感に支配されるアメ式についてはまた別の機会に…)

それぞれの囲いの中の上下関係の勝ち組になることだけが
恐れや不足感から逃れる方法なのでしょうか?
はたしてそれが幸福と呼べるのでしょうか?

「どうして?」と真に問える人々、そしてその構造を理解し
ブレイクスルーのできる人々がまた一人増えていくことによって
新しい世界を切り開くことができるように思います。

ワタシも、そしてどうかアナタも。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

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by dryangle | 2015-12-21 15:28 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り