金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
初めていらした方へ… dryangleについて

●過去記事のタイトル別一覧表●

"自分"に疲れていません?
by dryangle
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
Carpe Diem
自分を生きることに
疲れてしまったら…
心のプログラムのバグを
探してみましょう。


NEW!!
ご意見・ご感想・心の荷卸し等々はこちらにどうぞ


生きづらさのセルフヘルプ

by Exite (サークル)

dryangle*心のゴミの処分場
↑心の傷の膿と向き合い
処分しませんか?
(要メンバー登録)



メインサイトです。
dryangleでは…
特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど、多分野から心のメンテナンスに役立つ情報を集めています。


↓アメブロ姉妹ブログ
やわらかこころ塾
作業用ページ(非公開)

イラスト by ふわふわ。り
ブログパーツ
記事ランキング
カテゴリ
最新の記事
最新のコメント
外部リンク
カテゴリ:ココロのカラクリ( 121 )

張り合い?それとも重荷?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


困難な出来事に遭遇した時、人によって
まったく対照的な反応をすることがあります。

家族の存在が張り合いになる人と
その存在が重荷になる人がいます。

それは受け入れようとはりきる人と
反射的に逃げよう・拒もうとする人。

課題ととらえようとするか、問題だと苦しもうとするか
出来事についてではなく、気持ちの方向性です。

どちらが正しいということではけっしてありません。

ただ後者は、他人の期待や必要性のみに反応するばかりで
自分の期待や必要性を満たしてもらった経験(実感)が
ましてや、自分で自分自身を満たすことができたという
経験が乏しい
という傾向性があるように思います。

不幸なことに、その人の周囲の他人はどれだけ応えても
満たされ、喜んでくれるようなことはなかったのです。

それがいつのまにか、慣れ性になってしまうことで
自分の方から他人の期待や必要性を敏感に感じ取り
時にはでっちあげてまで、背負おうとします。

けれど、苦しいばかりでいつまでも光明が見えない。
なぜなら自分の存在価値をそこに置いてしまったから。
そこ←「他人の期待や要求、必要性に応えること」を代入

満たされ、安心や喜びを受けとった経験の多い人は
相手の安心や喜びのために取り組もうとするため
それが張り合い・ヤリガイとなることも多いようです。
評価が目的ではなく、すること自体が喜びなのですから。

もし生活に張り合いがなく、重荷にばかり感じているならば
他人の期待や必要性に縛られ過ぎていないか?
自分の自分自身への期待や必要性は一体なんなのか?
一度チェックしてみてください^^

他人の期待や必要性を、あくまで他人事として
俯瞰してみる勇気を持ってみてはどうでしょうか?

本来、他人の期待や必要性を満たすということは
愛という能動的な選択なのです。
逆に受動的で強迫的なのが、奴隷根性ということなのでしょうね^^;

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

by dryangle | 2014-11-08 10:00 | ココロのカラクリ | Comments(0)
連鎖反応の実体験
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


我が子に恋愛の話を打ち明けられた時
ふと、昔の記憶が蘇りました。

自分も同じように、少し照れながら
身内に打ち明けた時

「どうでもいいから、処女でいなさいよ。
アンタの嫁入り道具はそれしか
ないんだから!」

今、この瞬間もそう。
なんともモヤモヤした不快感に
覆われます。

人生のイベントで
普通(?)なら、喜びを分かち合うことや
自分自身の楽しみ、節目の慶事にさえ
場違いな不快感がわき起こり
とまどう
ことがあります。
当然、マイナーな出来事に及んでは
過剰な恐れと不安でパニック寸前 T_T

具体的な記憶を思い出せるならまだしも
ほとんどは負の感情だけの反応です。
自分で理解できない理不尽なまでの感情

毎日、延々と起こりくる些細なことも
人生のほとんどの出来事に対して。

そのカラクリを見抜いて、ともに喜んだり
時に励ましたり、楽観するようにしたり
(自分自身にも)反応を換えることを
なるべく心がけてはきましたが

敏感な相手に感じとられて、同じように
不快な出来事として記憶に残り、いずれ
負の反応を呼び起こさないか、不安に
思うことがあります。

誰かの不愉快に出会ってしまった時
本来それに傷つく必要はありません。
その人の評価を間に受けることはないです。

不快な痛みを刻んでしまうのは、きっと
自分が「自分は価値がない、運がない」と
そのまま受け入れてしまうから。
無垢な子どもならなおさらです。

あの人の反応も、不快な記憶や価値観の
蓄積
から出ていたのでしょうが…

その蓄積に耐え、他の人や次世代に対して
その場限りの荷下ろしをしないように
反応をその都度意識して、転換させて
生きていくことは、まるで修行のようです(爆)

が!少しでもその連鎖に気づき、理解し
向き合える人が増えていくように
チマチマ綴っていきたいと思います。

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

by dryangle | 2014-10-22 15:58 | ココロのカラクリ | Comments(0)
受けとりたくない~拒絶反応のそのワケ
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


求めているモノを与えられると感謝の気持ちがわきます。
求めていないモノを押しつけられると怒りの気持ちがわきます。

どちらにしても、もし
引き換えになにかを要求されるとしたら…
それは苦痛以外のなにものでもありません。


他ならぬ私事でもありますが、親や親せきなどからの荷物(贈り物)を
負担に感じ、受けとることのストレスを抱える人が少なくないようです。

たとえ欲しかったモノでもなんとなく気が重いという場合
たんに目の前にあるモノの問題ではないかも知れません

それは、その人とこれまで築かれた関係にあります。
何かを(して)くれるというその人の行動のパターンが

・支配(コントロール)のための手段
・自己(の価値観における)満足
・自分を評価、感謝して欲しいという気持ちの要求
・自分を気にして欲しい、見捨てないで欲しいという存在の主張
・「してあげなければ」という独りよがりの責任感や罪悪感
・好意の示し方や求め方の方法をそれしか知らない。

いずれにしても。

こちら側ではなくその人自身の気持ちのためだということを
経験上から熟知していると同時に、代償の必要性の重圧を感じる
それはそのままこちら側の気持ちの負担に他なりません。

してもらった物事の物理的な質量以上に重荷になってしまう。

その人がそもそも自分の気持ちだけにしか関心がなく
こちら側の気持ちは眼中にないということに、悲しみや憤りを
覚えてきたことを再確認し、こらえるエネルギーも必要です。

「押しつけられること全般」に対するアレルギー、拒絶反応に
至ってしまった
人にとっては苦痛以外のなにものでもありません。

その反応に苦しむこと自体が、その人のために仕組まれた
感情のパターンなのですから。

不幸にも、その人を想起させる別の人が(して)くれた物事にも同じように
過剰反応することがあります。
大元のその人のそれに反応するように、義両親・義親族・友人知人などの
他意のない親切を素直に受けとることのできない苦しみ。

受けとるか否か? ―問題はそこにはありません。

道義的な是非を自他に問うことで、さらに苦しんでいる話も耳にします。
まずは関係のパターンを探り、腑に落すことが大切だと思います。

べつに気持ち(やその代償)を返さなくたっていい。
喜びのやりとりならば、気持ちの負荷は無縁なはず。

その物事自体は、どっちだっていいと気楽にいられることが
リラックスした健全な関係なのです^^

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

by dryangle | 2014-09-18 13:14 | ココロのカラクリ | Comments(0)
感情と向き合うコツ
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


まるでニワトリと卵はどちらが先?の例え話のように…

わき起こる感情と認知や思考のパターンとの関係は
どちらがどちらを引き起こすのか?思うことがあります。

元々なにかしらの感情(の根)があってそれを顕在化させる
ために合理的な解釈や考えを後付けする
のではないか?
そんな風に感じることが多々あるように思うのです。

それらの感情を根ごと掘り起こす手法がいくつかありますが
セドナメソッドを活用する方も多いのではないでしょうか?

原初的な欲求に基づいて感情を探っていくという方法は
それはそれでかなりの効果が期待できると思います。

その上で、なお行き詰まり(わだかまった感情)を感じる場合の
個人的に効果のあったコツがあります。

欲求を強迫観念という言葉に翻訳する。

安全欲求→『自分を守らなきゃ』という強迫観念
制御欲求→『ちゃんとやらなきゃ』という強迫観念
承認欲求→『(要求に)応えなきゃ』という強迫観念
分離/同一化の欲求→『一人でやらなきゃ/属さなくちゃ』という強迫観念

そんな風に言葉を変え捉え直してみると、自分を縛っているモノや
それに対する感情的なワダカマリを探り当てやすいように思います。

「ああ、そうだよなぁ~」と、ピン!と腑に落とすことができれば
周辺に埋もれている負の記憶や感情にふり回されることが
だんだんと減ってきます(セドナメソッドでは「解放」と呼ばれます)。

モヤモヤ、イライラ、しょんぼり、ビクビク、ドキドキ…
負の感情に支配されている時

自分の心の中で、どんな気持ち(強迫観念)に縛られているか
じっくり探し当ててみてください^^

過去記事承認欲求?それとも承認強迫?もぜひ!

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

by dryangle | 2014-09-09 09:38 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自分(と思っているモノ)と距離を置いてみる。
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


We are dominated by everything with which our self becomes identified.
(Roberto Assagioli)
私たちは自己が同一化しているすべてのものに支配される。

トランスパーソナル心理学の代表的な心理学者、またバイオシンセシスの
創始者として知られるロベルト・アサジョ―リの言葉です。

思い浮かぶ例としては…例えば「日本人」というアイデンティティ。

自分=日本人=自分までに自分がそれと同一化してしまうと
まったく関係のないところでも日本(人)が侮辱されようものなら
私(自分)が動揺したり、憤ったり、傷ついたり。

まさしく「日本人であること」に支配されてしまうのです。

たしかに日本人のカテゴリーには入るけれど、それは自分の一部に過ぎず
けっして全てではないですよね。
(もちろん時代柄、「ほぼすべて」といった人もいたことでしょう)
ましてや「日本人はすべて自分」ということはあり得ません。

女性であること。母親であること。妻であること。△△という信仰を持つこと。
○○(親や家)の娘であること。××(職業や肩書)であること。
□□(組織や集団)に属していること。

また努力家や苦労人であること。頼りになる人、しっかりした人であること。
反対に、不運な人、なにもかもうまくいかない人であること。
といった自己イメージ

さまざまにあるアイデンティティのどれかに過剰に自己同一化してしまうこと
により、「そうあること」に振り回され、苦悩を生みだすのだとアサジョ―リは
考えたようです。

冒頭の言葉にふれた時、じつは個人的にはけっこうガツンときました。

たしかに私の問題は「そういう私であること」に縛られることから
起きているんだな~!!と。

そして脱同一化(disidentification)こそが、そこから抜け出る方法だと
アサジョ―リは言います。

それは「日本人」の例でいえば

私は日本人であるけれど(というラベルや個性を持つけれど)
私がすべて日本人(ラベルや個性そのもの)であるわけではない。

こんな言葉によって、自分から日本人をペラッと剥いでみる

私は母親であるけれど
私がすべて母親であるわけではない。

(英文では、I have feelings and emotions, but I am not my feelings and emotions.
のようにhaveとamによって区別をつけます。)
ニュアンスが伝わるでしょうか?^^;

日本人を剥いでも、母親を剥いでも、すべて剥ぎ落しても
やっぱり私は今ここにいますよね。

こんな言葉が自分の緊張を解きほぐすための良いツールになるかも
知れません。
行き詰ったら、自分が何に固着しているのかに目を向けてみませんか?

イソップ童話のカラスのようにいろいろな鳥の羽を探して
たくさん身につけてみても…
そんなオシャレもけっして自分の本質ではありません。

I am I, a centre of pure self-consciousness and of will.
本当の私は何者でもない、たんに私という意識そのものなのです。

参考:The Disidentification Exercise

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

by dryangle | 2014-07-04 14:01 | ココロのカラクリ | Comments(0)
三つ子の魂~縛られるか?活かすか?~
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


つくづく実感するのですが、物事に接したりふとした思考によって
わき起きる(とくにネガティヴな)感情はたしかに「今起こる」けれど
過去の痛みにふれ再生されているのではないかということ。

怒りや恐れ、焦りや不安、恥ずかしさ、さらにはパニック

大元のエピソード本体はほぼ認識されずに、感情や
その方向性への思考が反射的にわき起こることの方が
多いといえるのではないでしょうか?

人生の最初の頃に、周囲の世界や他の人をどう認識し
それに対して起きた感情やそれに伴う行動の結果から
得た感情をさらに記憶していく。
人格の材料ともいえるデータベースを蓄積していきます。
むしろこのデータベース本体が個人の人格と呼ばれる
部分なのかも知れませんね。

物事に接して、また普段も今あるべき状態を脳が自動的
(無意識)に記憶の中から検索して、反応
としての感情を
引っ張り出してくる。

このデータベースが作られるのが、成長期だといえますが
とりわけ初期はその重要な土台が形成される時期です。
このことによって「三つ子の魂百まで」といったことわざや
「三歳児神話」といった概念が生まれてきたのでしょう。

現在は働くお母さんたちを縛り、苦しめる足かせとなって
批判されがちな言葉
ですが、これも誰かのあり方を
断罪するのではなく、より良い子育てのために活用できる
ようであって欲しいと思います。

私たち大人が誰かを許せなく責めたり、罪悪感がわいたり
するのもまたそのデータベースによる反応なのですから。

自分を深く知り、その反省を子育てに活かすための自戒として
「三つ子の魂百まで」の言葉を使えたら素敵なことだと思います。

それこそが「三つ子の魂」の呪縛を解き放つということ
なのではないでしょうか?

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

by dryangle | 2014-06-13 10:26 | ココロのカラクリ | Comments(0)
言葉に潜む心の深層
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


For whose own good?

以前、「~させる」という言葉に背反する2つの意味があり
使い手によってその深層に真逆の違いがあるというトピック
書かせていただきました。

不思議なものですが、本人は曖昧に使っているようでいて
受け手は「その本心/意図」を少なからず受けとっています。

相手が「アナタ(誰か)のために」と言っていながら
こちら側はなんだか、うーん。嬉しくない、モヤモヤする。
…なんてことを感じることがありますよね?

それは相手のコントロールを感じるから。

幼少から、そうされるのが当たり前になってしまっている
人は、自分もそうするのが当たり前になっています。

個人的に最近思い出した言葉に「~(し)なさい」があります。

もちろん単純には上位者からの命令形の言葉づかいですが
よくあるのが、下位者(とくに子ども)の求めや自発/意図に対して
けっしてそれを尊重して同意するのではなく、その返答を
許可/命令にすり替える使い方です。
決定権が上位者にある
ことを誇示し、刷り込んでいく
効果があるように思います。

「あっ、これ欲しかったんだ!」
「買いなさいよ(もちろん自分で)」

言葉の使い手の心の内にコントロールの気持ちがさらさらなく
慣用として発しているのかも知れませんが

深層に自分の決定権(干渉)を認めさせる気持ちがあれば
それはそのまま伝わっていきます。

自分で「買い物をする」「ナニカを選択する」「決めて行動する」
そんな時に、なぜか誰かの同意や保証、許可、強制が欲しい
ような気がするのはこのためです。

買い物だけではなく、あらゆる物事や行動についてそれはいえます。

「○×が行くなら」
「○×がイイって言うなら」
「○×がよければ」

「主人に聞いてみないと」
↑これは決定権が他にあることをウマく利用している?(爆)

洗脳というにはオオゲサですが、心配する親心が干渉となり
ゆくゆくは肝心な本人の自由な意思決定の能力やその醍醐味
(生の実感)を奪ってしまう
危険性があるように感じます。

日常のなにげない言葉にも、その使い手の意図があり
間接的にもじわじわ、しかもしっかり受け手に影響している
という現実を感じずにはいられません。

あなたは、気楽に、自由に意思決定ができていますか?
誰かのそれに干渉したり、誰かに関わることを独断で
決めたりはしていませんか?

しばらくの間、自分の言葉や他者の言葉への反応に
注意を払ってみてください^^

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2014-04-02 08:42 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自己肯定感と自己愛を区別する。
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


自尊、最近は自己肯定感や自己信頼感などと
訳されるSelf-esteem(セルフ-エスティーム)

これに対して自己愛のもとの言葉は
Narcissism(ナルシシズム)です。

日本語ではとくに紛らわしく、似通った言葉にも
思われがちなこの2つ。
じぶんなりにその区別の仕方を考えてみました。
(一般的な定義ではありません。あしからず^^;)

ざっくりと区別するキーワードとして思いつくのは
特別であるかどうか?

自己愛は度が過ぎると不健全な心の状態
なります。
それはとりもなおさず自意識過剰だから。

それは平たく説明すると、自分を他者との
コントラスト
によって際立たせる
こと。
つまり自分が「特別であるかどうか?」が
至上命題となるわけです。

この愛には、他との対比という絶対条件に依存
せざるを得ないという宿命的な脆弱性があります。
満たされる時には、その喜びや高揚感は格別ですが
それがままならない時には…

もう一方の自己肯定感根拠に依存しません

「自分という存在はかけがえのない大切な個性」だという
漠然としていても、なお揺らがない「自分の土台」なのです。

これを分けてしまうものは、生育環境(周囲からの条件づけ)に
他なりませんが、これが自分だけではなく他者の愛し方(認め方)
にまで大きな影響を及ぼす
こととなります。

条件付きでしか自分を愛せない人は
条件付きでしか他者や環境、物事を愛せない。

条件付きでしか他者や環境、物事を愛せない人は
条件付きでしか自分を愛せない。

よくある「アナタが愛してるのは、ワタシではなく
結局自分なのよっ!」というキメ台詞の本質
「アナタが愛してるのは、ワタシではなく
結局アナタの条件(に叶うワタシ)なのよっ!」

このあり方は、自分はもとより愛する誰かの心を
苦しめ、追い詰める状態だといえます。

健全な自分の土台は自分で築くこともできます。
その必要性に気づくことができた時から。

築く=気づく ウマイこといってみました(笑)

あなたにとって
自分は特別ではなくても大切な存在ですか?
そして周囲の人は
特別ではなくても大切な存在ですか?

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2014-01-31 09:03 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「影」の威力と効用
どうしても許せない。
激しい嫌悪感がわく。
憤りを感じて仕方がない。
不安や怯えに似た気持ちがわく。
負の衝動に自分を乗っ取られてしまう。

かつて心の痛みや苦しみ、悲しみを経験した時に
予想される同種の体験から、自分(の心)を守ろうと
「こうあるべき」自分のあり方や反応を選びます。

それはそのまま「こうありたくない、そうしたくない」
嫌う/苦手なあり方が規定されていくことでもあります。

動機となる元の経験による痛みが激しければ激しいほど
そのエネルギーは強さを増し、自分(や他者)のあり方への
必要性は異常なまでに強くなり、ついには反射的・衝動的
それと異なる(つまりは気に入らない)相手のあり方を見出し
恐れや憤りを覚え、攻撃したり、抵抗しようとします


周囲に不愉快な、気に入らない、許せない人や物事が
満ち溢れて苦しくなり、いよいよ自分が追い詰められた
果てに…

ようやく他者のあり方にその「影」を映し出す
映写機が自分の心の中にあったことに気づくこと
できるのかも知れません。

誰かやそのあり方、映写機すら排斥する必要はなく

そのスイッチをパチッと切ったら、あら不思議!
…なんでこんなことにコダわっていたのだろう?
目が覚めたように気がラクになるのです。
相変わらず、日々似たような出来事は起こってくるのに。

自分の内に映写機の存在を認めるまでが最難関

なぜなら、それこそが最大の憤りと攻撃と、恐れや不安
つまり抵抗の壁で守られているのですから。

これらを堅持し続けることによって、次世代(我が子)に
同質の映写機をそのまま増設してしまうことはもとより
次世代(我が子)や大切な相手をスクリーンにしてしまい
攻撃する対象、つまりは身内を敵に回してしまうことさえ
起こってくるのです。

またそれを顕在化させたくない気持ちによって、問題を
外側の社会や国家レベルのスクリーンに巧妙にすり替え
(られ)たりもします。

誰かの汚さ、弱さ、醜さ、ヒドさ、狡猾(ズル)さ、惨めさ
不正、不真面目さ、冷たさ、暗さ、非常識、無関心
など…

今それらにガンジガラメになって苦しんでいるとしたら
自分の内側の映写機の存在を認める勇気を持つ
絶好のチャンスなのだと視点を変えてみてはどうでしょうか?

それによって、あなたの映写機に「愛や喜び」を
映し出させていくことができるのですのですから。

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2014-01-23 11:08 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自分という名の信念
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


誰もが、その場や相手に対して(また集団の中で)
ほぼ無意識のうちに、周囲や生育過程の体験で学んだ
それにふさわしい自分を選択して演じます。

意識にないということは、もはや反応として。

私事ですが、思春期には相手によって自分を演じ
分ける自分
に違和感を覚え、許せなくも感じました。
シンドかった~^^;
人によっては、それが不得手がゆえに悩みとなる
こともありますよね。

けれど、それはそれでごく自然なこと。
すべては確立された自分による心の反応
自分の維持と防御のためのシステムなのですから。

とはいえ、いつの間にか周囲に誰もいない
一人の時ですら「あるべき自分(役割)」を
演じ続けるようになります。

これがイキイキとした喜びを生むなら、ともかく
感情・思考・行為のすべてが過敏といえるまでに
「あるべき、すべき、したい、せざるを得ない、など」の
プレッシャーとして通常作動しているとなると
もはや強迫といえるのではないでしょうか?

大海原や星空を見つめ、「自分を脱いだ」刹那の
解放感を知った時から、その状態を忘却し
自分を、役割を、演じ続けることが苦しみの
本源ではないか?
と考えるようになりました。

周囲の出来事がシンドイ
他者とのトラブルがシンドイ
身体がシンドイ
恐れや不安、焦りや憤りがシンドイ
マンネリがシンドイ

もはや信念ともなった自分を演じ続ける人は、やはり
無意識に物事や他者にも一定の反応を期待/強要しがち。

連綿と続くこういった関係性が苦しみを生む出来事の
温床となっているようです。
好きな言葉ではないのですが、こういった連続性を
カルマとも呼ぶのかも知れません。

最近漠然と、そういったすべてをキャラごと手放す
ことが可能(必要?)だと感じています。

そのためには、自動的な反応となった自我の演出に
今その都度、気づいていること
つまりそれと距離を置いた別の視点を得ることが
一つの道かと思います。

今頭に浮かんでいるその思考も自動反応かもよ!
自作自演なのかも知れない?
ぜひそんな風に意識の目を向けてみてください。

夢の中で、眠りから覚めようとするあの感覚です^^

しばらく自分(の考え方、感じ方)と距離を置いてみる。

幻想はそれと見抜くだけでいいのですから。

表面の形式や行為ではなく根底の反応が変われば
結果が変わります。

…あ!、前回の続きじゃなくなってしまった^^;
影(シャドウ)も自我の一部ですが、またあらためて。

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2014-01-17 10:07 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り