金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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カテゴリ:ココロと思想( 40 )

潜在印象 ~サンスカーラ~
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
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サンスカーラはサンスクリット語、パーリ語ではサンカーラという
らしいです。
仏教用語では「行」、ヨガの世界などでは「潜在(残存)印象」と
訳されるこの言葉。
心の働きとして捉えてみるとかなり興味深い奥行きがあります。

現象に対する反応からそれへの働きかけまでの一連の形成を
表し、とりわけ条件づけられて苦を生みだすものを指すそうです。
連綿と続くそれをカルマ(業)と呼ぶのだそうで。

犬がその目に入ることで喜び近づく人と、怖がり逃げ腰になる人。
過去の経験とその記憶による反応の違いです。単発ならまだしも
習性となったそれらの心の反応が次の出来事を制約していくこと
結果としての負の感情を予想して先取りしてしまうことが習慣と
なってしまうと、その積み重ねが人生に対する無力感という認識
や鬱状態を招くことは想像に難くありません。

私自身も経験がありますが、ある出来事をキッカケに「習慣的に」
イヤな感情がわき起こるパターンがありました。

ある時その感情が起きているまさにその瞬間ふと考えたのです。
「この感情はどういった結果として起こっているのだろう?」

私にとってその出来事が「押しつけ」を象徴しており、その度に
自分の気持ちが無視されることへの憤りとそれを出せない悲しさ
恩や見返りを返さなければという重圧を瞬時に味わっていました。
欲を探すとすれば、「私を大切にして欲しい」「成果や見返りを期待しないで欲しい」?

「マインドコントロールみたいだな…」

そう気づいた時には自分でも驚くほど気が軽くなり、どうして
そんなに重苦しく感じていたのか?不思議なほどにキョトンと
してしまいました。まさしく憑き物が落ちたような

多くの人が気楽にアリガタク受け取るだけのその種の出来事に
対する私個人のサンスカーラだったといえるように思います。

論理療法(アルバート・エリス)のABC理論の知識もあるものの
実際にはビリーフに論駁するどころか、まず理論自体を思い出す
余裕もなく^^;

サンスカーラは、論理療法的にはイラショナル・ビリーフによる
A(Activating event)B(Belief)C(Consequence)の展開だと
説明できるのかも知れません。

今となっては「偶然」ほどけたあの感覚こそが大切だと感じます。
個人的には、出来事と不相応な不快な感情に囚われた時には「自分を楽しませない
カース(呪い)」「相手の要求に従うカース」「勤勉カース」などと、敢えて命名
しようとすると抜けやすいです。


長く生きてくると、日常の不快なことの多くは出来事そのものと
いうよりも、むしろ条件づけられた反応(感情)によるもの。

精神のアキレス腱といわれる劣等感や罪悪感、被害者意識なども
典型的なサンスカーラの作用だといえるように感じます。
本人にはリアルな体験であっても、無用な苦を生む仕組みです。

そこを見抜くためにサンスカーラという言葉は重要なキーワード
になるように思いました。

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by dryangle | 2017-04-23 20:43 | ココロと思想 | Comments(3)
自己疎外の恐ろしさ
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心を理解するためのキーワードなのに、その意味を理解するのに
時間のかかった概念があります。

それは、自己疎外

ヘーゲルや、マルクスという名前が出たとたんにカテ違いかな?
と敬遠したくなるのですが(あ、ここで読むのをヤメナイデw)

一般には、自己の主体性をなくすこと
人の習性や人格が社会関係の中に埋没して主体性を失う結果
自分自身さえもよそよそしい他者となること。…と説明されます。

とはいえ心理分野からの説明を探していくと、ごく個人の体験的
なリアリティが増してくるのです。

自己疎外とは本当の自分を見失った状態のことである。
(心理学者・國分康孝氏)

自己疎外とは、要するに真実の自分ではない自分として
生きていることである。

そういう人は自分の感じ方よりも、いかに他人に優越するか
そして優越によっていかに自分の安全を確保するかが重要に
なってくる。劣等感から人は自己疎外に陥る。
(心理学者-プロフィールより 加藤諦三氏)

じつは私個人的にはもっと消極的で「いかに他人に承認され肯定されるか
それによっていかに自分の安全を確保するか」の方がシックリときます。


他人と接している時に、誰もが自分を作っているという感覚を
経験したことがあるとは思います。

私の場合には、相手の期待像にしっかり自分を合わせるために
相手が自分をどう思うか?という視点からしか、相手のことを
見ていませんでした。

よほどのことがない限り、自分が相手をどう思うか?ということ
について考えたり、感じたりすることがなかったのです。

たとえ焦点が自分であっても、視点は自分にない。

同じように、たとえ焦点が今であっても
過去や未来に関連づけた視点からであって現在ではない。

これが「自分がない」ということなんだ!
ちょっと…というか、かなりのショックでした。

最近はという言葉も使われていますが、この自分軸のなさ

自分のしたいことがわからない。
自分の感情(好き嫌い、喜び)がわからない。
自分のことなのに自己決定・決断ができない。
自分を他人事のように解釈、説明したりする。
ありのままの自分がわからない。という空虚な自己を生み
はては、鬱や不健康な心の状態へとつながっていきます。

疎外とはどんな状況どんな場においても、自分自身に対してさえ
気持ちを楽にできないということだ。いつも「うち」に戻りたい
と思うが、決して「うちにいるようにのんびり」できない。
(精神世界分野の作家 エックハルト・トール氏)

自己充足*という反対の言葉があり、これが自己実現へつながる
とされますが、そこで初めて自分の持つ自己実現という概念が
誤解であった
ことに気づきました。

世間一般(自分以外)に基づく価値尺度や評価に承認、称賛など
を充足させることだと、反対の方向性に考えていたのです^^;

本当にそれが好きで、したいことで、自分らしくあったか?
それは「自分自身を楽しむことであったのか?」そう問うと

体裁の良い成果を得たとしても、真の自己実現とは真逆の方向
に進んでいたように思えてなりません。

死ぬまでに多分まだ間があるうちに気づいてヨカッタ。

一般論や客観的尺度でしか話をしない人も案外多いものですし
今でもかつてのような視点につい振り回されそうになりますが

対象を「私は今」どう思うの?どう感じるの?
その都度、自問をするように意識しています。

不思議と同じ相手もその都度つねに別の新鮮な人であることに
気づいたりします。「今」についてもまた同様です。

自分と和解するということの効果なのでしょうか?^^

自分中心とは、けっして自分勝手ではなく、自分の生き方や生活
について自分自身が決める自己決定のできること。
全然別次元のことなのです。

他人の自己決定が気に入らない人が
、それこそ勝手に自分勝手
やワガママと決めつけて封じる術となったのではないでしょうか?

ここに気づかない限り、どんな心理のノウハウやテクニックも
盲従や客観的効果に囚われて、自己疎外をさらに深めるという
逆効果を生み出しているのです。

*
自己充実という言葉を調べてみると、この他に保育用語でよく使われるそうで
「他者にしつけられるのではなく、自分で覚え高まること」というその言葉の
意味がなにかを強く示唆しているように感じられました。


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by dryangle | 2017-04-08 20:43 | ココロと思想 | Comments(1)
エナジーヴァンパイアとメサイアコンプレックス
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近頃、メサイアコンプレックス*という言葉が目につくようになり
気になり始めました。

それまではパラノイア(偏執病)の誇大妄想の一環かと認識して
いたのですが、各所の説明を読むとどうも違うようです。

「広義には基底にある自尊心の低さを他者を助けることからくる
自己有用感で補償する人々をも含める(ウィキペディア)」とあり
むしろ共依存を生むマゾヒスティック・コントロールを行う人の
特徴として用いられる言葉となっているようです。

過去エモーショナルブラックメール世話焼き依存など、数々の
記事で心理的脅迫についてふれてきましたが、全く無意識にそれ
を行う人の内面に隠された強迫的なまでに自分の存在価値を渇望
する
ありさまを言い当てているように思います。

自己の存在感や効力感を得たいがために、人の役にたとうとする。

そもそもが「自分のため」で、相手の気持ちは目に入らないので
いわゆる独りよがりの押しつけや、自ら問題を起こし解決する姿
を見せつけるマッチポンプも行われます。

現在とくに問題視されていることに、親子関係において子どもに
世の中への不安や恐れを植えつけ「あなたのためなのよ」という
真綿の支配により無気力にしてしまうパターン、さらにその結果
ひきこもりなどダメになった子どものために尽くすという健気な
親を演じることに自分の価値を見いだすなど相手を食い物にする
深刻なケースが目立ってきています。

救い(役に立ち・面倒を見)たいがために、相手を
救われるべき(できない・弱い・ダメな)人として封じ込める。

昨今自己無価値観という言葉が定着する状況のカラクリなのだと
いえるのかも知れません。
自己卑下という開き直りでその構造に屈する人々を生むことも。

思い起こせば、かつて信仰を持っていた頃の私の心理はまさしく
それだったようだと腑に落ちます。
むしろ親や周囲のその圧力に、救われるより救う立場になろうと
必死
(それが勝ち組?)だったような気がします。

恩着せがましく「こんなにしてあげたでしょ?」と言われること
感謝を要求されることが吐きそうなくらい嫌だった、苦しかった。

自分が不幸であるという感情の抑圧。それが本質だったのです。

本当は自分が救われたかった」のだという自らの内面の偽善に
気づいてしまい耐えられなくなったことが出口の扉を開けました。

そもそも救いを必要とすること自体が、誰かが救済者を演じたい
がために作り出された幻想
だったと知ることになるのです。

苦しむべき要素なんて本当はなんにもないのだから。

*救世主・救済妄想。
 個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態。


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by dryangle | 2017-04-06 10:46 | ココロと思想 | Comments(0)
新説?「合わせ鏡の法則」
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心の話題では、よく「鏡の法則」なるものを耳に(目に)します。

自分に起こることや問題は、外界や他者という「鏡を通して観る
自分の内面の投影」であるという原則から説明されます。

私ずっと、なぜかこれに未消化な違和感を抱いてきました。

私の方だって鏡なんじゃないの?

だから簡単には、主体となって意志通りに自分を動かせない。
むしろ自分の方が反映(リフレクション)なのではないか?と
実感することがほとんどだったんです。

ある日、偶然ビデオフィードバックの映像を眺めていたところ
インフィニティフィードバック(無限に映し合う合わせ鏡構造)
という言葉がアタマに浮かんで、もしかしたら?と考えました。

「合わせ鏡」なんじゃないか?って。

だからこそ、ポジにしろネガにしろ関係性によってスパイラル
起こってくるのではないか?と。

自分だって鏡なのだから、自分に映る像を自分では変えられない

…じゃぁ?どうしろっていうのよ?

その構造に気がつけば、笑っちゃうくらい単純なことなのですが。

ただ自他の鏡に展開する映像ばかりにフォーカスするのではなく
向き合った合わせ鏡を、いったん外側から見る視点を持つことで

じつは、自分の鏡の向きを変えられることを忘れていた!
ということに気がつくと思います。
そこにこそ、深層の意志や意識のチカラが強く働いていた。

それを忘れ去って、鏡の向きを慣性のまま固着させてしまうことが
執着や依存ともいえるような現象なのかな?と。
自我も、カルマも、防衛機制も、観念も、人生脚本も、強迫も
その慣性のことではないの?と。
自分勝手にチマチマと腑に落ちてきます。

素敵な像を映し出したままならいいのですけれどね。

その向きへの志向性が鏡の傾向性にもなるように思います。
文字通りに。

「今」幸せになる。

幸せな環境が幸せな人を作るのではなく
幸せな人が幸せな環境を得る。

人は他人を救えない。

そんな先人たちの言葉も真実味を帯びてくるのではないでしょうか?

明るいこと、やさしいこと、楽しいこと、嬉しいこと、素敵なことに
心の向きを換えてみませんか?

それができるのは、今ここ、この瞬間、この私の意識だけ。

知る方に伺いたいのですが、Oshoやマイケル・J・ローズのいう「反応と応答の違い」や
ゲリー・ボーネルの「リアクションとレスポンスの違い」にも通じるでしょうか?


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by dryangle | 2016-12-10 10:22 | ココロと思想 | Comments(0)
「ごちそう」アディクション?
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前回の話題のオマケ、というかたんなる思いつき話です。

前述のコへレトの言葉からの抜粋。

あなたの王はわらべであって、その君たちが朝から、ごちそう
を食べる国よ、あなたはわざわいだ。
あなたの王は自主の子であって、その君たちが酔うためでなく
力を得るために、適当な時にごちそうを食べる国よ、あなたは
さいわいだ。(第10章:16,17)

眺めていたら、今度は「ごちそう」にひっかかりました。

この「ごちそう」を報酬系のホルモン(脳内物質)と解釈したら
なんだかとっても面白いのではないかと。

憑りつかれたように、ひたすらになにかを得ようとして
不足を追い回している時、あなたは不幸だ。

本意に従って、自己に酔うためにではなく力を得るために
適時ふさわしい努力をして成果を得る時、あなたは幸せだ。

そんな風に読んでみたら、じつに妙ではないでしょうか?
言葉遊びのようで、お叱りを受けそうな気もしますが…

快感となるホルモンはもちろんのこと、達成や承認という条件が
前提とプログラムされれば、ある意味で努力や困難、問題もまた
依存対象
となり得ます。
また快感自体よりも、前回お話ししたような「求愛行動」として
条件づけられているのかも知れません。

自らを不幸だと思っていたり、不安や不満に煩わされているのなら
なにかに固執(執着)している、その感覚基準そのものが、世間や
誰かに背負わされたものだという可能性はないですか?

不幸も、貧乏性もまた「ごちそう」アディクションかも知れません。
一度深く検証してみるのもアリかと思います。

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by dryangle | 2016-11-29 12:08 | ココロと思想 | Comments(0)
他人軸…の根っこは親への求愛行動?
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暗い時間が長くなるこの季節は巣ごもりしたくなります。
自然と読書の時間が増えるのですが、この頃は宗教や哲学
分野の世界観を人の心の世界に翻して解釈してみる*ことに
面白さを見い出しています。

仏教にはもともと哲学や心理学ともいえそうなディテールが
あります。
渇愛によって生じる苦からの解放を目指すための方法論
である仏教。
その渇愛(愛、執着)はつねに満たされぬ想い(不満足)
であり根本の欲ともされます。
バッサリとハショると「まずはその法則(縁起)を見抜けよ」
という話(如実知見)が基本となります。

以前どこかで、動機の(とくに他者や集団の理不尽なルール
要求や期待に自分を抑えて従う)根底には親への求愛行動
あるのではないか?という話を見かけ、その言葉がやけに心
に突き刺さり頭に廻っていました。仏教の渇愛という言葉と
親から周囲の人、社会へと拡大した重要他者を軸としてその
価値基準や承認に反応・行動してしまうのはある種求愛行動
ではないのか?との考えのイメージが符合したのです。

永遠に満たされることがなく
それが苦(悩)を生み出していく。

いや、ホント、マジで。

そういえば、昔とにかく知識のために「読み倒した」聖書で
異質(今思えば仏教的?)な香りのする文章があったことを
思い出し、探し出してみました。

以下は旧約聖書、コへレトの言葉(伝道の書)から抜粋です。

あなたの王はわらべであって、その君たちが朝から、ごちそう
を食べる国よ、あなたはわざわいだ。
あなたの王は自主の子であって、その君たちが酔うためでなく
力を得るために、適当な時にごちそうを食べる国よ、あなたは
さいわいだ。(第10章:16,17)

この「国」を自身、「王」を自分の心を司るものだと解釈したら
どうでしょう?

ちなみにわらべという言葉のヘブライ語には、あやつり人形や
奴隷の意味もあるそうで、懐柔されている王によって国の災い
が起こるように、懐柔されている心によって自分の世界の苦悩
も起こるのだと考えてみると興味深く感じます。

自主は言葉通りの意味の他に、知恵や神を畏れる心という意味
らしいのですが、自分という存在の奥底の意識やその本心だと
読みとってみるとさらに意味深ではないでしょうか?

今よく耳にするようになった自分軸という感覚。

むやみに探すよりも、他者(やその価値基準)の承認を求める
ものでないかどうか?
を見極め、削っていくと見えてくるかも
知れませんね。

そこには状況や成果に左右されない、今この私の揺らがぬ満足
がありそうです。

…あなたのその「やさしさ」も求愛行動ではないですか?

*
あくまで素人のごく個人的な浅知恵による解釈に過ぎません。

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by dryangle | 2016-11-26 15:05 | ココロと思想 | Comments(0)
心の共振現象?
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心理的な癒着だの、依存だの、イメージとしては理解できるけれども
実際にはどんなメカニズムなのだろう?なぜそれが起こるのだろう?

認知科学的な感じ方のクセなのだという説明は、理解しているつもり
なのですが、似た物事に対してもポジティブな印象を持つ時となぜか
ネガティブな気持ちになる時があるということがあります。
物事や状況、そして自分も当然その時々千差万別だからということで
納得してきたのですが、そこの関係性のメカニズムがつかみきれない。
どうにも釈然としない…なぜ?

気がつくとそんな問いかけを頭の中でグルグルと繰り返していた昨今
たまたま多分中学くらいの物理の実験でやりそうな共振や共鳴の実験
を見かけました。

物体の持つ固有振動数と同じ振動を外部から受けると大きく振動する
現象を共振(音であれば共鳴)という。


???…!!!

心というか、認知や感情の反応の微細なレベルでの現象としては
わりかしそんなカンジ?、もしかしたらエネルギー量子次元の話?
(いや、電波とか波動とかいうジャンルは食わず嫌いなんだよな…^^;)

むしろ。
その個性や性格、性分をその時々変化に共振する固有振動数の種類の
習性パターンだと考えてみたら?

一般には楽しいと思われる状況で、楽しさや喜びを感じられない自分。
それがその振動数を持ち合わせていないから、状況に共振ができない
のだと考えると、妙に腑に落ちたのです。

半面、負の思考傾向や感情の反応の振動数は多彩に持ち合わせている
記憶に刻まれている。

その人その人、これまで出会った人や状況という経験から刻んできた
ものは、それぞれに異なるでしょう。

とくに人と人の心理的な癒着関係ともなると
負の振動数で強く共振し合うことで心の取引関係を結ぶ

これらを変える、絶つための、もしくは共振しないためのアイデアを
考えていきたいと思います。

仏教的には? 因=固有振動数、縁=外部の同じ振動数、果=共振・共鳴
自分の因を変えない限り、縁を切ってもまた似た縁と結び果は変わらない?

…そんなことを思いつくままに書いてみました^^

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by dryangle | 2016-08-30 12:39 | ココロと思想 | Comments(5)
感情的に感情を悪者にしないで。
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一昔前の人たちは、「感情を理性でコントロールできる」ことが
人としてあるべき最善だと言います。
ワタシも、それこそ頭では素直にその通りだろうと考えていました。

このコントロールの意味は抑制というよりも、むしろ封じることであると
されているようにさえ思います。
それによって他者を刺激することなく、社会的なトラブルを減らせる
考えられていたのでしょうか?
昨今では、さも理性的に冷酷なことが行われているようにさえ
思うのですが。

それはさておいて、個人的に子どもの頃から本来自然にあるもの
モノによっては悪者扱いされることにかなりの違和感がありました。

そこで自分なりに思いついた感情についてのイメージがあります。
今回はそれをご披露しようというお話です^^

それは感情は人生(ドラマ)の味つけをする調味料だということ。

基本の感情は4つといわれていますが、さしづめ、喜びは甘さ
悲しみはしょっぱさ、怒りは辛さや苦さ、恐れは酸っぱさや辛さ、
といった
ところでしょうか(テキトーな発想です^^;)。
調味料よろしく身体に循環しその機能にも作用します。

記憶や経験、知識は材料
理性(頭による働き)は調理です。

心の働きは、記憶や経験、知識(材料)を使って、そこから感情
(調味料)も作り出し、蓄え、ともに調理(行動や意味づけ)をして
その人オリジナルの料理(人生ドラマ)を作りだすこと。

調味料を使わないという選択もあり得ますが、心の働きの性質により
調味料も盛んに作られストックされていきます。
これとは対照的に、現代では材料は貪欲にかき集められます。

ジャンジャン調理して食べないと腐るよ(笑)

でも、使い方を間違えると料理が台無しになるのが調味料
不味いモノをさんざん食べすぎたせいか、いっそのこと使うな!という
教えが蔓延し始めました。

それはそれで良さそうなものですが…

人生ドラマがまったく味気のないモノになってしまっていることが
目立ってきました。
さらに悪いことには、溜まった調味料が腐って、爆発し、まったく不本意に
料理にぶちまけちゃって台無しにしてしまっています。

これはもう、そろそろパラダイムシフトの出番ではないでしょうかね?

材料同様に、調味料を、材料とのコンビネーションを活かす
そこにこそ、理性を、調理のテクニックを存分に駆使しては
どうでしょうか?

そのためには、まず調味料の味をしっかり知らなくてはなりません
しっかり本来の味を味わい尽くしてこそ知ることができるのです。


味覚と同様に、大人や人によっては多少の手間ひまがかかるでしょうが
そうすることで、調理が安心して楽しめる作業になることでしょう。

行い手は、もちろん自分のクリアな意識^_^

クリスマスのメインディッシュはなんですか?
さぁて、美味しい料理をしっかり堪能しましょうね。

みなさん、メリークリスマス!
そして、良いお正月をお迎えください^^

…で、来る年もまたヨロシクお願いします。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

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by dryangle | 2014-12-25 14:04 | ココロと思想 | Comments(0)
捨てたらゴメン(^人^)
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


見知らぬ人やフォーマルな場で人と接する時
その場、その人向けの自分を作っている自分に

違和感を感じることはありませんか?

リラックスしている時でさえ、友人や家族にも
無意識に自分を作っているように思います。

じゃ、一人の時は?

時々ふと、こうして心について考えている自分を
保とうとしているんじゃないか?
などと思ったりします。

ワケあり家庭に育った自分
心に傷を持つ自分
さまざまな強迫観念を持つ自分
かつての親族関係に悩む自分
回復しようとしている自分
同じ痛みを持つ人と関り合いたい自分

そういう自分でいる時間が減ってきたことに
最近ハッ!と気がつきました。

そんなキャラを、もはやアイデンティティとして
再生し、持ち続けようとしているのは自分?

もしかしたら…

忘れてたように、こうした話題を綴るサイトやブログを
見向きもしなくなることが、ワタシの、私達の
心の回復なのではないのだろうか?と。

もしうっかり、一連のサイトやブログを捨てて
(放置して)しまったら

ゴメンなさい(^人^)

とはいえ、問題や関心を持つ方々が訪れてくださる限り
今後もあれこれ向き合っていくつもりです^_^

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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by dryangle | 2014-10-13 11:39 | ココロと思想 | Comments(0)
大したことない私的死生観
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


PCや携帯を、自分的には不具合なく長く大事に使っていても
あっという間にソフトが進化し、必要な処理能力やメモリが増え
ついにはアップデートのキャパが追い付かずに新機種への
買い替えを余儀なくされる
ことってありますよね。

そんな時には、私たちの心身の存在も似ているのかも知れないと
つくづく思わされます。

観念や価値観もなるべくアップデートしていかないと、時代に合わずに
動き(生き?)づらくなったりしますし。

それって自分の枠を認識し、つねにその外側へと
意識を押し広げていけるということと同様なのかもしれません。
だとしたら、きっとその可能性は無限。

とはいえ、ハード(身体)の方は時間とともに古くなる一方で(爆)
大事に上手に使っていても、いずれアップデートの不可能な
限界がやってくる


そんな時、なんの抵抗もなく真っ先に新機種に乗り換える人と
今使っているモノへの愛着、もしくは些事の面倒もあってか
なかなか気が進まない人がいます。

正直、ワタシは後者なのですが^^;
ちなみに「決めたら、速攻!」という一面もアリ…

とりあえずOSやソフトの新機能にはなんとかついていって活用
していますが、ハードの衰えを実感させられる今日この頃^^;

「ついてけないかも…」という焦りも感じます。
あ、それは人生の変化の話かな?

そんな風に、IT世界のハード・OS・実用ソフトの概念をリアルな
世界と対比してみると面白くはありますね。

ハードが肉体、CPUは、メモリは記憶、OSは初期環境で、プログラム(ソフト)は思考、感情の働き
そしてそれらを駆使して行う仕事が行為や体験であり、さらには
その積み重ねがその個人の人格や人生と呼ばれるようになる。

では、そもそもITに位置するモノとは?
(神か?宇宙か?概念として認識できないものか?)

うーん…

アップデートも新機種への交換も抵抗があるほど
面倒で苦しむ
ってのは、たしかに心理/真理。

その時が来たら、スパッと新機種に乗り換えたいと思います!
(いや、無理かも?^^;)

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
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by dryangle | 2014-09-24 14:33 | ココロと思想 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り