金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
初めていらした方へ… dryangleについて

●過去記事のタイトル別一覧表●

"自分"に疲れていません?
by dryangle
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
Carpe Diem
自分を生きることに
疲れてしまったら…
心のプログラムのバグを
探してみましょう。


NEW!!
ご意見・ご感想・心の荷卸し等々はこちらにどうぞ


生きづらさのセルフヘルプ

by Exite (サークル)

dryangle*心のゴミの処分場
↑心の傷の膿と向き合い
処分しませんか?
(要メンバー登録)



メインサイトです。
dryangleでは…
特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど、多分野から心のメンテナンスに役立つ情報を集めています。


↓アメブロ姉妹ブログ
やわらかこころ塾
作業用ページ(非公開)

イラスト by ふわふわ。り
ブログパーツ
記事ランキング
カテゴリ
最新の記事
最新のコメント
外部リンク
カテゴリ:ココロと思想( 37 )

我慢はイケナイ
我慢というのは、もともと仏教用語で
煩悩の一つだそうです。

我は、文字通り自(己)意識であり
慢は、慢心(まんしん)つまりおごり高ぶる
思い上がること。

今では一般的に自分自身を抑制し、また耐える
という(良い?)意味あいで使われていますが

それが自分の気が済むようにすることであり
相手(他者)とその利を分かち合うものではない
場合
さらには他者からの承認を求めるための自虐
である場合

それはやはり我意を張るということであり
我慢の本意そのものの状況であるといえます。

「我慢しなさい」

は案外キケンな言葉なのかも知れません。

それは自己満足の欲求か?真に自他のためになるのか?
意識してコミュニケーションをしたいと思います。

我慢をせずに^^

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2012-07-06 08:22 | ココロと思想 | Comments(0)
ごく私的宇宙観ーその2
前回のイメージについて
補足を…

「私(アイデンティティ)」という突起でできた
隙間を通過させる全体(を含む)の一部には
もちろん他のすべての存在の突起も含みます。

突起同士の通過し合いというか、させ合いというか。

仏教に有名な縁起(因縁生起)という思想がありますが
そんな関わり合いを想像しています。

最近の精神世界の傾向として、概念もメソッドも
どちらかというと唯識論的な展開が多いように
思いますが、たんに他を己の内と意識するだけではなく
その関わり合いの関係性をもって対等であると
考える方が個人的にはしっくりきます。
波動の共鳴だという説明も目にしましたが、この辺りは
理屈抜きでも思い当たるのではないでしょうか?

カルマや輪廻というのも、いわば因果がその性質による
関係性でループしてしている状態ではないかと。
関係性がシフトすれば自ずと変化するものです。

だからあるといえばあるし、ないといえばない。

かなりこの分野に興味のある方にしか想像しにくい話に
なってしまってスミマセン^^;

絵や写真が、実物ではないように
思想は実相そのものにはなり得ません。

ただ「自分を生きる」ということは、あたかも
絵筆で描く、カメラでとらえるようなことなのかも。

なんだか肝心なことがウマク伝えられていないような
もどかしさがありますが、まずはアップしてしまいました。
次回は、また現実的な話題に戻ろうかと思います^^

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2012-02-09 14:11 | ココロと思想 | Comments(0)
時間はどっちに流れる?ーごく私的宇宙観
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


当たり前過ぎてまったく気がつかないという色メガネ。
私達はその色メガネを通して物事を受けとめ、解釈しています。
もはやその色メガネこそが自分だと思い込むまでに。

感覚、つまりは自分を揺るがすお話にお付き合いください^^

例えば、(個人的に)以前は感覚的にまったく理解できなかった
時間は人間が発明したという話

まず時間自体が人間の概念であるということから
理解しなくてはなりません。

近年、時間の概念を持たない人々(ブラジルのAmondawa族)
について話題になりました。

彼らは時を表す言葉を持たず、年齢という概念もなく
ライフステージや共同体内の地位に応じて名前さえ変わる。
数も4か5までしかなく、抽象的で測定可能な
「もの」としての時間がない。

研究者曰く

事象を時間に埋め込まれたものと見なすのではなく
事象そのものの世界に生きています。


彼らの心に映る世界は一体どんなものなのでしょうか?

ワタシ達(多分あなたも)の時間の概念、もはや基本となる感覚は
時間は「過去→現在→未来」に流れるというものです。
だからこそ因果関係にこだわり、過去を悔やみ、未来を憂える。

ところが、これは「創造主が世界をつくった」とするユダヤ・キリスト
教の伝統に沿った時間観であるという話があります。

アビダルマという仏教哲学には時間は「未来から過去に流れる」
という考えが説かれているそうです。

砂時計を想像してみてください。
砂が上(未来)から下(過去)へと流れ落ちていきます。
きゅっと細く狭まった境界の「今」を瞬時にくぐり抜け…

こう考えるだけで、現在は過去の産物などではなく、
未来の産物であり、しかも未来というのは固定されたものではなく、
無限の可能性であり、しかもその未来は(過去の因果ではなく)
さらに未来の因果によって決まる、ということになる
ーウィキペディアより抜粋

不思議な気分になりませんか?

物理科学の世界でも「膨張している宇宙が収縮する時
エントロピーは増大ではなく減少する。その時、
時間の矢は逆に向く」という話がありました。

物理分野は不得手なので^^;言及したくないのですが。

ごく個人的に感じた(「考えた」ではなく)ビジョンからは
どれも時間を異なる切り口から解釈しただけでなのではないか?
と思います。

あるモヤッとしたナニカ(宇宙でも世界でもいいのですが)
の中におけるワタシ達の存在、その認知や感覚のありかたが
砂時計の最高に狭まった部分であるように想像しました。

砂粒くらいの一部分を、そこを通過させることで観て、
感じて、体験する。
本来の「通過させる」働きによって、変化を感じ
それが時間や空間の概念となっていった。

荒唐無稽かも知れませんけれど。

その狭まった突端が各々の「私」のように思うのです。
それも例のナニカの一部が突起してできたもの。

とんがるほどにスムーズに通過しにくくなるし
ユルんで、ひっこめば、時空を超えた全体が見える。

なにをどの方向にどのように通過させるのか?

意識次第で体験もその評価も変わるのかも知れません。
「流れている」ように感じているのも、じつはたんなる
勘違いのような気がしてなりません^^

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2012-02-07 11:17 | ココロと思想 | Comments(0)
サンスカーラ
仏教用語にサンスカーラという言葉があります。

これには行為と言う意味があるそうですが、たんなる行いのみではなく
各人の業に(蓄積された思考や感情)の想念による無意識の働きかけや
行動
、さらにその影響(制限)をも含むものだそうです。
*出来事そのものの積み重ねがカルマ/心への刻印がサンスカーラ

認知の癖(思い込み)や主観と言い換えてみると、なにやら心の世界の話と
共通しますが、同種の事柄が別の概念によって表現されているようにも
思います。

仏教では、その思い込みや主観、執着(煩悩?)と現実のあり方のギャップ
からわき起こるを、それらを(見抜き理解することで)滅するための
修行を勧めますが、心の不調を整えるというのも、ある意味で似たような
ことではないでしょうか?

サンスカーラに惑わされることなく、ありのままの世界を認識することで
不必要な煩悩を捨て、苦を滅する。

「自分」という思い込みや主観に気づき、それらのフィルターのない
ありのままの認識を心がける。

その都度、怒りや抵抗感、許せなさ、受入れにくさ、嫌悪感、不安、恐れ、
悲しみ、こだわり、恨み、罪悪感や被害者意識(これ自体が苦?)といった
ネガティヴな気持ちにぶつかり、さらなる葛藤へと誘われていきますが
裏を返せばそれがわき起こる時ほど、自己の思い込みや観念の
実体が顕われていて、とらえやすいということなのかも知れません。 

それに気づくこと。

心理療法には、認知(識)のあり方を正したり、反応としての感情を
解放することで起こらなくする、また神経のシステムを利用して
自動的な反応を換える•回避するなどといった方法論があります。

サンスカーラを乗り越えていくための修行に通じるものが
あるのかも知れませんね。

それに影響されずに、ありのままの世界を見ることができるように
なるのが覚醒(悟り)とされますが、となると多くの人の心は
すでに病んでいるともいえそうな…^^;

もう少し掘り下げて考えていきたい話です。

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2011-08-15 13:36 | ココロと思想 | Comments(0)
ネコ的にはどーよ?!
どんなホリデイシーズンをお過ごしですか?
今年の締めくくりのエピソードを一つ。

愛猫がクリスマスの飾りにジャレついて遊んでいました。
その一つに爪がひっかかったのか、その勢いは全体に波及し
大きな飾りがユッサユッサと揺れ始め…

それまで楽しんでいたネコは、一転してパニックとなり
ピュ~ッと逃げたかと思うと、戻った時にはビクビクと
恐れた目つきでその飾りを見上げていました。

「(愛らしい)バカだなぁ…^^;」と目を細めつつ

きっとその時には、それと戯れていた記憶は消え失せ
なによりも当然「自分が引き起こした」と知る理性は
なにもなく、ただ怯えているんだろうな~、と思ったとたん

ハッ!っと思いました。

d0079187_96420.gif


もしかしたらワタシ達人間も、レベルの違いはあっても能力に
限界があって、知ることのできない道理や因果関係がわからずに
悩み、苦しんでいるのかも知れない!?

あの時のネコを見つめるワタシのような視線で見てみれば
すべてが一目瞭然で、恐れることがないということも
あり得る!?

ワタシを見つめる神の視線は一体どんなものなのだろう?
それを得ることを悟りというのかも知れない。

今愛猫は怯えも恐れもまるで経験したことがないかのように
お腹を出して寝コケテいます。

…平穏そのもの。

とうとうネコまでが師になってしまったか^^;

みなさん、よいお年をお迎えください^^
また来年もお立ち寄りいただけると嬉しいです。

d0079187_962680.gif


コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2010-12-27 09:09 | ココロと思想 | Comments(4)
「考えない」スペースに得る気づき
移ろいゆく感情、ベースとなる痛みや怒りの塊
エナジーヴァンパイアなどといった相互の関係性
抵抗やその反応のしての思考へのアディクション
に対して、それを見つめる別の視点カタリスト
必要性、今ココにあること…など

心のエネルギーのベクトルについて、感じることを
これまで思いつくまま散漫に書き連ねてきましたが
うまく説明&表現、お伝えできないもどかしさに
歯がゆさを重ねてきました。

ところが、つい昨日(!)ネットで偶然目にした
薬によらない統合失調症の治し方という文章の内容に
自分の中に構築してきた概念の説明に近いものを見つけ
今は少し感動的ですらあります。

読んでいただけるとピンとくる方もいるかと思いますが
著者のいうところの、不調和波動や苦玉という言葉は
エックハルト・トールのペインボディやエゴに置き換えることが
できるかと思いますし、臨床の医師である視点からは
いわゆるスピリチュアリティに特化していないからこそ
リアリティを感じることができました。
今ココ(無・忘我)への導入法が、これまで知るものより
実感しやすいと思います。
(もちろん一般の精神医療や心理療法とはまた違いますが^^;※)

ごく個人的には、これまでに知る感情のリリース・テクニックや
トラウマ解消の方法の中でも、もっとも効果が実感できることや
興味のある宗教的な哲学や実践方法などと共通する部分もあり
さらに深く検証してみたいと考えています。

もともと誰にでもある忘我・無我(×夢中?)の瞬間。

ワタシがそれに気づいたのは多分小・中学生の頃でした
(もっと幼い頃は当たり前で気づかなかったのでしょうね)。
現実の重荷や苦しみに胃痛や胃痙攣を起こし、受診した医者に

「あまり、考え過ぎないように」

と言われ、どうしたら考え過ぎないようにできるか?と
さらにひたすら考える始末^^;

ただ、ある時見上げた星空の美しさへの
言葉にできないような(畏敬にも似た)感覚。
つかの間、文字通り我を忘れることができたのです。
それはリラックスした小さな癒しの時間でもありました。

星空や自然の前に自意識は不要だと、知らず知らずに
そして苦し紛れに、自意識から解放される瞬間を
探し当てていたのでしょうか…?

そうした瞬間も、年を重ねて失っていきました。
まるで自分が自分から取り上げるかのように。

時折、機上から眺める天空の濃藍色、夕日や星々に
ささやかな憧憬を感じることはあっても。

このほっこり暖かい安心感を呼び醒まし
ぜひその温もりに包まれてみて下さい。
ウルサイ批難や理屈をしばらくOFFして(笑)

きっとそれは祈りの本質

心の中にホーリースターは探せますか?
クリスマスはもうすぐそこです^^。

d0079187_942060.gif


※発想としては、心的ヴァイタリズム、NLPや認知行動療法の思考中断法
  通ずるといえるかも知れません。

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2010-12-15 09:30 | ココロと思想 | Comments(6)
スピリチュアリティについて
昨今(流行りの!?)スピリチュアルという言葉を自分でも
用いるようになり、この辺りで曖昧なままになっている
定義を自分なりにアタマの中で整理したく思います。

最近、中にはカルト的な様相を呈してきたモノもあるそうで
漠然と一絡げなままにスピリチュアルという言葉を
使うのは誤解を生むような気がしてきました。

というワケで、ワタシがこの言葉を用いる時には
だいたいこんな意味だということを一応ココに示しておきます。

日本で、スピリチュアルという言葉が急速に広まっているようですが
スピリチュアル(ズ)というと、黒人霊歌のイメージが強かったり
スピリチュアリズムというと、心霊的、オカルト的といった
印象を個人的には抱いています。

ワタシが最初にスピリチュアリティという言葉を認識したのは
たしかトランスパーソナル心理学(Transpersonal Psychology )
関連の書物の中だったと思います。

自己実現の人間性心理学(Humanistic Psychology)から
自己超越の概念が発展しました。
人の究極の目的は自我や自己を超えて統合されていくことであり、
それはそのスピリチュアルな(「霊的」とも訳されますが、日本語の
語感としては深い精神性といった)意識を開発していく
という手法によるという考え方だとざっと理解しています。

個人的に超常現象などに至る部分については抵抗がありますし
とはいえ、マインドやハート、フィーリングといった言葉では
表しきれない心のエリアを話題にする時、やはり(深い)精神性
といった語感を持つ言葉は必要だと思います。

なので、これまでスピリチュアルという言葉をオーラや転生、守護霊、
といった概念や世界観を含んだ言葉としては用いてきませんでしたし、
今後もそのつもりはない(その場合とくに説明を加えるようにします)ことを
読者のみなさまも予めご了解くださると齟齬が生じにくいかと思います。

また、この件に関して感じ方やご意見等をいただけるとアリガタイです。

よろしくお願いいたします^^。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

まったくの余談ではありますが、東洋的なというエネルギーについては
ある程度馴染みもありますしイメージがわくように思います。
波動という言葉を知り、安田隆氏の「波動干渉と波動共鳴」という本を
読みました。
これもいわゆる「エネルギー(心理学というよりホリスティック?)系」かと
個人的に勝手に分類しましたが、この辺りももう少し掘り下げて
いつか話題にしてみたいとは思います。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2010-09-21 09:14 | ココロと思想 | Comments(0)
鏡に映るヴァンパイア④
仕掛ける側、仕掛けられる側
ともにコントロール・ドラマを防ぎ、心のエネルギーを
奪い合わないための心得を考えてみたいと思います。

まず第一にそれと見抜くこと

そして自らの態度を反応にまかせず、選択すること。
それはそのままスイッチを自制するということです。

感情のスイッチの自制は一朝一夕には難しいですから
まずは発想・行動のスイッチを切り替えていくように
意識するといいかも知れません。

たとえば…

○そのシナリオから離れる
○ニュートラルな言葉・態度を保つ
○ひたすら受け流す
○しばらく(永遠に?)距離を置く

さらにもう一つ。

これにはこちら側の心の余力を必要としますが
○不本意ではなく、本意で心のエネルギーを提供する

相手の清らかな笑顔を念頭においた接し方を
自分の心に問いかけてみるのです。

(それ自体に激しい抵抗を覚える場合にはまだ時期尚早
さらなるステップが必要だということなのかも知れません。)

相手と自分双方にエネルギーが満ちるようであれば
そこにこそ、真の答えが見つかるのではないでしょうか?

すでにおわかりかも知れませんが、この相手とはたんに
別の誰かだけではなく、物事や出来事自体、そして時には
自分自身
であることをお忘れなきように^^

目の前に現れたヴァンパイアが、まぎれもなく自分の心にある
恐れや怒り・許せなさ・承認への渇望・嫌悪感、そして痛みを
映し出している幻影に過ぎないのだと見抜くことができた時 

―その時アナタの目には、そこにはただ
傷つき苦しむ人間が存在しているだけ

なのだと映ることでしょう。

最後までそれと見抜くこと

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2010-03-19 09:25 | ココロと思想 | Comments(0)
鏡に映るヴァンパイア③
…心のエネルギーが消耗する時。

相手がコントロールの主導権を握り、アナタから
思惑通りの反応(関心・注目・承認・同情・服従)を得て
満足するという発想から、あたかもエネルギーを奪われた
という表現はたしかにピッタリ当てはまるように思います。

とはいえ視点を換えてみると、それは自分の心の内に
(心理的な)抵抗がわき起こることによる、その抵抗
対決するためのエネルギー消費だという見方も
できるのではないでしょうか?

誰かから「このように感じて」と、気持ちを強要される
ことへの心理的な抵抗を自覚できる時。

具体的には、不安になったり、恐怖にかられたり
罪悪感を抱いたり、無力に感じたり、恥だと思ったり…
そして、落ち込んだり、反発したり、無視しようとしたり。

不本意で嫌な気分

ほとんど無意識とはいえ、つい過敏に反応してしまうのは

自分の側にも、相手の意図に符合する感応スイッチ
持ち合わせているからだとはいえないでしょうか?

仕掛けられたコントロール・ドラマを演じることで

自分の中の記憶や経験・知識や情報に沿って
持ち合わせたストーリーを再現し、不安や恐怖
寂しさや悲しみ、さらには不満や怒りを追体験する。

自分の心 + 出来事 ⇒ 嫌な気持ち(抵抗)

だとすれば、そのドラマは、自分自身が(心理的な)抵抗
起こすシナリオを映し出しているといえます。

心のエネルギーを吸い取るヴァンパイアは自分の心のしくみ!?

もちろん、中には確信犯にも近い強力な仕掛け人もいて
そんな人は、コントロール・ドラマの共演者を探し出すことに
長けているようです。スイッチを持つ人を目ざとく見つけて
仕掛けてくることも多々あるかも知れません。

さらには、そのドラマに抗いがたい魅力的を感じ、こだわったり
関わり合いたくなったり、シナリオに同調することで活気が増し
同じヴァンパイアが目覚めるということさえ起こります
(共通のスケープゴートを得た場合にありがちなパターンです)。

この世界を心のエネルギーを奪い合う戦場にしないために

自分の(心理的)抵抗やそのシナリオを知ることで
やたらと自分の心のスイッチを他者に操作させないように
意識することが大切なのではにでしょうか?

…スミマセン。さらに続いちゃいます。

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2010-03-17 12:42 | ココロと思想 | Comments(2)
鏡に映るヴァンパイア②
以前、友人が少々ヤッカイな法的トラブル
巻き込まれたことがありました。

ワタシには、その分野でサポートできる知恵も知識もなく
重苦しい気持ちをほんの少しシェアできればというくらいの
気持ちで話を聞くことになったのですが…

もちろん友人の方も打ち明けて、共感を得ることで
多少気が軽くなることを期待していたのかも知れません。

話の展開は、まさしく文字通り被害者のストーリー

なんとか気を楽にしてもらえたらと励ましの言葉を探すのですが
伝えたいこと・受けとりたいことが互いに噛み合わない

なんとその後、ワタシは自分でも意外に(!?)思うほどの
重い憂鬱な気分にしばらくみまわれてしまったのです^^;

まるで重たい石を飲み込んでしまったかのように…

たしかに心のエネルギーを奪われてしまったかのような
実感がありました。

その時にこそ、まさにエナジー・ヴァンパイアについて
考えさせられたのです。

ネガティブな感情に怯みながら、よくよく考えてみると
そのトラブルは―

誰でも(もちろんワタシも)巻き込まれる可能性がある。
ものすごい驚愕と、恐怖や不安と、そして怒りがわく。
現実問題としては、自分や家族を守るために、回避・防御をしたり
対処したり、争う手だてを得るための強い勇気が必要である。

―といった類のもので、話を聞きながらリアルに感情を味わい

ワタシ自身が、まるで自分を保とうとするかのように
抵抗している
ことに気がついたのです。

共感というより、もはや感応、感情移入といえるのだと
ようやく後になって気がつきました。

また、むしろその不運ぶりをなんとかワタシに認めさせよう
躍起になる友人に対して、ワタシは自分を励まし乗り越えようとする
別方向へと綱引きしていたのですから、疲れますよね。そりゃ^^;
(友人も意に反して疲れたのではないかなぁ…?)

興味深いことに、ワタシも耐えきれず^^;それを夫に話したのですが
仕事上の専門知識もあり、似たケースと関わることもあってか

悔しいほど冷静に、いくつかの対応の仕方を挙げて
「その友達も早くスッキリ解決するといいね!」とニッコリ。

明らかに認識と反応の違いを突きつけられたエピソードでした。

そして、不思議なことにワタシの心もずいぶんと軽くなったのです。

考えてみると、夫のこういった面を物足りなく思いながらも
(もちろん相手の異なる反応に、さらに抵抗を覚える人もいるはず)
ずいぶん救われてきたことにも気がつきました。

さらに次回へ…

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

非公開コメントも大歓迎です!(下の Commentsをクリック)

[PR]

by dryangle | 2010-03-13 14:28 | ココロと思想 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り