金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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"自分"に疲れていません?
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カテゴリ:ココロと思想( 40 )

もしも自分が神様だったら?…大きなことはできないけれど
ある海外ドラマを見ていました。

ほんのり暖かい気持ちになったり、思わず笑ってしまったり
難しい顔になったり、涙をためてみたり…

ふと家具のガラスに映ったクルクルと変化する自分の表情を
見て驚いてしまいました。

そしてこんなコトを考えました。

このドラマの制作者や俳優さんたちに
ワタシの気持ちを変えるチカラがある!?


じゃぁ、ワタシは今まで誰をどんな気持ちに変えたりしてきたのだろう?
誰かを心からの笑顔にしてあげることがあっただろうか…

自分が笑顔になれるようにと、強く祈ったことは果てしなくありましたが

もしも自分が祈られる側だとしたら?

自分が笑顔になれるようにと無意識に祈る人が多くいればいるほど、
祈られる側もその数が多いか、チカラが大きくなければ叶うものでは
ありませんよね。

もしも自分がカミサマだったら?

うーん。

やはり相手を心からの笑顔にしてあげたい
と願うのではないかと思います。

こちら側が「して欲しい」ではないですよね。
だってカミサマなんですから(^∇^)。

大きなことはできないけれど、できることで精一杯
シアワセな気持ちをプレゼントしたいと思います。

パパサンタや、ママサンタが大活躍する季節になりました。

たとえ悟りを啓いたり、全知全能を得ることはできなくても
誰もが、その想いにふれることはできるのではないでしょうか?
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by dryangle | 2007-12-14 15:21 | ココロと思想 | Comments(0)
心の独り立ち
経済(お金の使い方)と異性関係(恋愛&セックス)
これには、個々人の感覚の違いがつぶさにあらわれるように思います。

法律・宗教・道徳・一般常識・社会通念・モラル
家の方針・親の方針…などなど
古来から人はさまざまに、その心と行動を規制するルールを
作ってきました。

そして新たに育つ世代に、そのルールを観念としてしつけます。
時にそれは意識的であったり、無意識であったり。

現代はある程度の範囲については、心まで厳しく規制されることなく
個々人の感覚に委ねられる社会が増えてきましたよね。
それにつれ、物事に対する観念や感覚の幅も人によって多様化
してきました。

ところが。
人によっては、いまだに心まで厳しく規制されているのです。

その根っこが、自分の意志によるコントロールでないとすれば
ある物事に心の内で怖れや不安、罪悪感を抱き、自分にそれを許せない
(または強いる)観念や感覚を持ち続けているのではないでしょうか?
そのような状態を繰り返して生きることは、苦しいに違いありません。
また、その観念による縛りのない人に対して怒りや嫉妬を覚える
こともあるのではないでしょうか?

心から楽しいということがない
ささいな出来事にふれる度にイライラする
度をこす・ハメを外すと不安になる
自分や誰かに、許せないと思うことが多い。

そんなことはありませんか?

心の中はその人の自由な世界

たとえある一定のルールでは好ましいといえないことを考え、想像したとしても
(社会にその概念が存在して、それを知る機会があったということの証明です)
それを自分や他の人に許してあげてもいいように思います。

道徳にしても不道徳にしても、他の人の心まで縛ろうとしたり要求したり
することで、対立や悲劇が起きているのではないでしょうか?

想いは自由

…ただし行動についてはそうとも言い切れませんね。

社会的な規制や縛りが緩んだ時に、その人がどこまで周囲に配慮し、
どう行動するかの選択に、その人となりが如実に現れるのです。

自分の中に培った観念や感覚を知り、それだけにコダワルことなく
自分のため、誰かのために、より良い観念や感覚、そして行動を
自分の意志で、選択できることが独り立ちした精神なのだと
いえるように思います。
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by dryangle | 2007-10-21 16:55 | ココロと思想 | Comments(0)
人生の午後を生きる
このブログを読まれる方の中心は
(多分)子育て世代の女性でしょうか。

心の世界に関心のある方は、ユングの
人生の正午(the meridian of his arc of life)
という言葉を聞いた覚えがあるかも知れません。

精神医・心理学者のC.G.ユングは

人生の正午(40歳あたり)を境とする人生の
前半と後半はその様相がだいぶ異なり

それはあたかも正午をはさんで
日の光と影の方向が逆転することにも似ている


と述べています。

今まで日の当たらなかった部分に光が当たり始め
反対にこれまで当たっていた部分が影を帯びてくる…

それは自己の内面的欲求を深めることであり
(真の)個性化の過程と位置づけたのです。

つまりワタシ達の精神は、なおも発達をし続け
人生の後半には、まさに自分を生きていくのだと
いえるのではないでしょうか。

たしかに正午までは心身ともにあわただしく
自分の内面について考える余裕などなかなかない
ように思います。

そして正午をむかえる頃に、起こる問題などをキッカケに
あらためて自分自身(の心)に向き合う必要性に
迫られるのではないでしょうか?

ワタシ自身もまさにその必要性から
暑っ苦しい昼になりそうですが。^^;
新たな自分のベースを築いている最中のような
気がしています。

午後にはお茶でも飲みながら
自分を満喫するように過ごしていけたらなぁ…
と願いながら。



*追記*
思いがけないほど多くの方が読んでくださっているようです。
ワタシの気持ちの、稚拙なカケラを受けとってくださり
本当にどうもありがとう。

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by dryangle | 2007-10-10 10:47 | ココロと思想 | Comments(2)
アナタの家庭は君主制?共和制?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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多分野から
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躾やルール(規則)に対する考え方は
家庭によってさまざまです。
それは(親や家長の)何が正しいかという
観念や感覚の違いに他なりません。

これをさまざまな国の思想や制度の違いに当てはめて
考えてみると案外面白かったりします。

専制君主制
立憲君主制
寡頭共和制
民主共和制


親(の一方)を君主、子供(と親のもう一方)を国民だと
考えてみてください。

国民が未熟(もしくは愚民?)である場合、賢者による
専制政治や、はじめにルールありきの立憲政治
国の安定を約束するものかもしれません。

これを家庭に当てはめた場合、親が賢者であるか?
そのルールは妥当か?といった内省は
その安定に必要不可欠です。

子供が成長してきて、その権利を主張し始めた時に
どのようなスタイルに移行するか(しないか?)が
大きな課題
となります。

参政権を与えずに、国民に不満がたまれば
内戦や革命が起こることもありますし
その末に独立していくこともあるでしょう。
また独裁者が制圧し、縛りつけてしまうこともあります。

紛争(家庭内の暴力・トラブル)を起こしたり、独立(結婚)
した先でも、また専制君主に君臨する人・される人々は
もれなく圧政に苦しんだ経験を持つ
ように思います。

これは国家レベルも家庭レベルも同様ではないでしょうか。

家庭の中で独裁者が圧制を布(し)いてはいませんか?
アナタの家庭の思想について、ぜひ一度考えてみてください。
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by dryangle | 2007-09-23 14:38 | ココロと思想 | Comments(0)
心の標準化?
2002年に、日本の小中学校で道徳の副教材として
配布されたこころのノートが議論を呼んでいたこと
を知りました。

自分にとっての価値ある人生とは何なのか?
このような問題には、もちろん正解などはなく
標準的な考え方を受け容れればそれでOK
というものではない
という考え方がある一方で

同じ組織の人たちが 同じ理想や理念を
心に標準化すること 、理解や共感できることが
組織の持続と成長のために最も大切なこと

考える向きもあります。

学校においては、もっと強く子どもたちに
正しい考え方を受け容れさせていくべきだという
考え方が強くなってきているようです。

個人を優先する視点と、集団を優先する視点と
視点が違えば、正しい考え方も違う
これはしごく当然のこと。

とはいえ、多くの人が問題や物事に対して
指標や正しさ・常識といった普遍のモノサシを求め
さ迷っているのが現実です。
自分の信念を他の人に押しつける人もいますね。

標準化されたあり方や押しつけられたあり方に
無理に自分や他の人の心を従わせようとして
心が病んで(傷つけられて)しまう人がいます。

そういった心の傷みに近づき、ふれるたびに
そしてその人なり(他の評価に頼らず)に 
自分の価値を自覚した笑顔に接するたびに

心のあり方に標準や正解はない
と痛感させられる日々です。

…あ、ワタシ達が正解のない問題に向き合うという
教育を受けてこなかったのは確かかも知れません^^;
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by dryangle | 2007-09-12 12:00 | ココロと思想 | Comments(7)
誰かの苦しい気持ちに届くように。
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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アナタは、自分の身に起こる出来事や関わる周囲の人々
そして自分の運命というものを憎んでいませんか?

ワタシはそうでした。
運命を憎み「こんなに尽くしているのだからラクにして」と
運命を脅迫していましたっけ。

憎まれ、脅されたら、相手を愛せないのは
運命の側も一緒のようです。

しかも運命(とワタシ達が呼ぶもの)は、
自らの意志を持たないのですから。

意志を持つ自分・こちら側が変わり
運命(それがどんなに過酷でも)に微笑みかけ
愛そうとしない限り
「できない」とあきらめ続ける限り

運命もまた「変われない・できない」という答えを
その人に返し続けるのです。

心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。


ところが、心というモノを手足を動かすように
自在に操るのはなかなか難しいもの。

けれども心こそ、コントロールの仕方を学ばずに
突進したら命に関わるのです。

いったんギアをニュートラルに戻すことに
目を向けてみませんか?

一緒に…
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by dryangle | 2007-08-31 18:52 | ココロと思想 | Comments(0)
心が極楽に住める方法
変えようとしてもなかなか変わらない性格
ふとしたキッカケでコロコロ変わる気持ち

についてアレコレ知り、想ううちに

心の変化に対するイメージは化学反応のようなモノ
だと感じるようになりました。

人でも芸術でも、物事でも、自分以外のに触れ
ヒトのは良くも悪くも変化する。
もしかすると、八方ふさがりの自分のを変えるためには、
自分以外のに触れることが必要だともいえないでしょうか?

そんなことを考えるたびに、仏教説話の↓長い箸の話をイメージします。

極楽も地獄も全く同じような場所であるという話です。
どちらの世界にもテーブルの上にご馳走が並んでいますが
お箸が異常に長いそうです。
極楽では、席が向かい合ったもの同士が、お互いの長い箸で
食べ物を相手の口に運んでみんなが楽しく満腹になれるのですが
地獄ではだれもが長い箸をつかって相手の席の食べ物を奪おうと
するので、うまく食事が出来ず、皆がいつまでたってもご馳走を前に
お腹をすかせているのです。


この食べ物を、人の心の栄養に置き換えてみると
まさにこの世そのものの感がありませんか?

今、人のが飢えきっている状況は

目の前にいる人の心を満たそうとせずに、我先に奪おうとする
地獄絵図といえるのかも知れません。

この場所を極楽にする方法が見えてきませんか?

※キリスト教関連では長いスプーンの話になっているようです。
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by dryangle | 2007-06-01 20:04 | ココロと思想 | Comments(2)
自分と誰かの気持ちを支えられますか?
まだまだ肉体的な飢餓に直面する人々が絶えない現在。
それを満たした人々さえ、さらなる経済(物質)的な豊かさを求める
欲求に悩まされる世界にワタシ達は暮らしています。

欲求には際限がない、とはよく言いますが、ココロの豊かさについても
同様に考えてみると理解しやすいように思います。

マズローの欲求の五段階説はご存知の方も多いかと思いますが
(満たされて次へと欲求の段階が上がっていくというもの)

生理的欲求
安全の欲求
親和の欲求
自我の欲求
自己実現の欲求

これはすべて、当然ですが「求める」心理です。
自己実現が叶うまで、ヒトは求め続けるものなのでしょうか?

ここでは自立という視点でこれらの欲求に目を向けてみましょう。
親和の欲求からは、精神的な充実を得る欲求といえそうですが
自己という認識を確立する「自我の欲求」が叶った時には
その自立を果たしたといえるのではないでしょうか?

ココロの自立とはどんなもの?

ここで「経済(物質)的な自立」がどのようなものであるか
今一度ふり返ってみてください。
生きる糧を自らの力で得ることができ、誰かに求め(依存し)ない
ということですよね?

心も、その安定のための糧を「誰かに求め(依存し)ない」
ということが、精神的自立といえるのではないでしょうか?

愛して欲しい・認めて欲しい・やさしくして欲しい
守って欲しい・受け入れて欲しい・こうして欲しい・ああして欲しい

これまで「くれない症候群」を中心に、満たされなさや、自分の心の安定・
自信、そしてシアワセの根拠を誰かに求め(依存す)る心理について
たびたびふれてきましたが、これらに満たされたことのない段階は

精神的自立を果たしていないとはいえないでしょうか? 

自我を確立せずに、自己実現を叶えようとするがために
不安・不満のタネが尽きないように思います。
経済的に自立していない子供が、億万長者でないことを
嘆くのと、似ているのかも知れませんね。

自分を支え、誰かを支えることができるヒト

この点で自立については、経済(物質)的にも、精神的にも
同じことがいえるように思います。

現在は、精神的にはまだ自立の段階まで満たされていない
ヒトが多いといえるのではないでしょうか?
ココロの貧困時代はまだ去っていないようです。

自立できない人を責めるということではありません。
弱い人だっているでしょう。成長途中の人もいます。

とはいえ、人々が寄りかかり合う関係から、支え合う関係に変った時
世界は変わるような気がしませんか?

心が繁栄する社会が実現することを願ってやみません。
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by dryangle | 2007-05-22 15:38 | ココロと思想 | Comments(0)
心の関係を見つめる時に…
自戒を込めて、ワタシが第三者として人の心の関係を見つめる時に
心がけていることを書き留めてみたいと思います。

それはjudgeにならないということです。

心の世界では、善悪や正邪・正誤などの観念がその人の心の座標
によって大きくズレたり、時には反転することさえあります。

問題のどちらの言い分がリーズナブルであるか?を、第三者の視点や一般論で
評価できたとしても、問題を生み出す心の原因癒すことにはつながりません。

時にはそれらの意見が、本人の気づきを妨げる結果になりかねないこともあります。

そのために、訴えている問題の裏に隠されたその人の本心と、その反応(行動)
の目的
を探すように努めています。
それを具体的に言葉にして、こういうことではないでしょうか?と問うだけです。

その一つ一つから、その人がああ、そうかと思えることで
(もちろん、的外れなこともあるでしょうが)、これまでに認識しなかった
なにかに気づくことを促すように。
そして今の方向性を修正しようと気づくことも、その人の心の癒しとエクササイズ
になるではないかと思います。

また感情的に異論・反論が込み上げるというような、心の抵抗に気づくことでさえ
その心に現状を変化させるための風穴が開くことには違いないように思います。

人に他人は救えない

ワタシはこの言葉に戒められ、そして救われもした経験があります。
誰かが自分の心を救おうと挑むお手伝いができたらいいなぁ…と思っています。
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by dryangle | 2007-03-19 22:13 | ココロと思想 | Comments(0)
「意味づけ」の生き物 …人間
最近、流行りのスピリチュアル。その中に貫かれている思想は

「人生に起こることにはすべて意味がある」

という考え方です。

これに伴って、生まれ変りといった輪廻転生などの話題が
豊富に出回ってきましたが、私たち日本人にはかなり馴染みのある
死生観ではあるのですよね。

インドでは、バラモン教(古代ヒンドゥー教)を土壌にして
仏教(ブッダの教え)が起こったのですが、のちのヒンドゥー教にも色濃い
「輪廻転生(生死が、解脱のない限り永遠にくりかえされる」の思想の影響を
受けざるを得ませんでした(ちなみにヒンドゥー教では、ブッダも神々の一人)。

これがそのまま、小乗仏教(実際にはブッダの行った修行を行う教え)社会の
在家信者による「後生のために功徳を積むというあり方」につながっています。

じつは、ブッダ自身は死語の世界や輪廻転生について、具体的に
説かなかったという通説があります。

ワタシは、ブッダはすでに既存の言葉(通常の人の概念)を超越した世界観を
得ていたのかも知れない…と勝手に想像していますが、龍樹の『空論』など
後世の弟子や僧の解釈によって時空を越えた次元の思想へと変遷していきます。

ご存知の通り、大乗仏教は北伝し中国を経て日本に及びます。

その一部である浄土教は、日本では「念仏によって西方極楽浄土へ往生すること
をねがう」という意味づけがなされ、これが「死後のイメージ」と結びついた
ために(そしてその教えは広く流行しました)、日本人に「生まれ変り(輪廻転生)」
の観念が根付いていることはなんの不思議もないのですよね。

これに対して仏教の中には、わざわざ「現世往生・現世成仏」などという言葉が
生まれ、成仏(解脱)は「(過去・現在・来)世」にこだわるものではない
と説かれていくのですが…。

と、信者でもないのに延々と説明してしまいました^^;

ワタシ個人は、仏教の中の、絶対の価値さえも否定してしまう「空」という
概念をとても気に入っています。

物事になんらかの価値があるとすれば、それは人間の意識が創造したもの。

つまり「意味づけ」ですよね。人間にはそういった能力があるのだと思います。
この「意味づけ」は、生まれてこの方得てきた観念や思想・価値観によって
無意識的・意識的に行われるものですが、これが反対にヒトを縛って苦しめる
こともあり得ます。

これが、普段つらつらと考えている「心のあり様」と妙に符合するので
興味深い限りです。

各信仰の教えから流行のスピリチュアルまで、それぞれの人が、その思想や
世界観によって、自分の人生に「意味づけ」をしていきます。

これによって癒されたり、救われたりする、つまり「心の拠所」となり得ることが
それらの思想や世界観の本来の存在意義なのではないでしょうか?
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by dryangle | 2006-11-28 15:51 | ココロと思想 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り