金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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"自分"に疲れていません?
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「ココロの親離れ」できていますか?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
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アダルト・チャイルド(チルドレン)。
かなりポピュラーな言葉となりましたね。

ワタシの"極"個人的な解釈としては、「精神的な」自立(巣立ち・親離れ)の
ないまま、大人となってしまったヒトだと考えています。

自分の意志による選択権や責任を得てからも、心のどこかに親やそれを象徴とする
(世間など)視点の観念が自分の自由意志をジャッジしており、背こうとすると
怖れや罪悪感といった感情に支配されるというパターンです。

これが世の中の価値観と符合していて、生きていく上での利害と一致すれば
その観念に疑問を持たないままに済むのでしょう(現実に、儒教の影響の濃い
日本文化には、精神面について親や年長者の観念の「踏襲」に価値を置き
「自立」には背反の意味もありました)。

身近な話に戻せば…

こうある(す)べき自分
こうす(ある)べき物事
こうだと許され(いけ)ないような感覚

いつの間にかできあがった自分の中の観念が「それをよし(悪し)」として
自分に我慢を強いるという選択をさせてはいませんか?

その上に結果が良い方向に向かず、心には不満や不快感を溜め込んでいるものの
またその「観念の縛り」によって、身動きできずに苦しんでいる状態。

「自分はアダルト・チャイルドではないかな?」と感じていらっしゃる方は
そういった状態なのではないかと想像しています。

今後は少しづつ、それまでの自分「らしくないこと」をし始めてみませんか?

例えば、"弱音を吐くこと"に、ネガティブ(イケナイよう)なイメージを持っているのなら
弱音を吐くことを認めてみる(ただし相手を必要とする場合には、相手とその
コンディションを選ばなくてはなりません)。
今まで自分には、身近に弱音をとことん聞いてくれて励ましてくれる人がいなかっただけ。
そう考えてみてはどうでしょうか?

さらには「自分の方は、誰かの弱音をとことんきいてあげられるのだろうか?」と
自問できるようになれば、大きな前進です。そのままご家族やお友達・周囲の人の
「弱音をとことんきいてあげる」努力をされてみればいいのだと思います。
そしてまた周囲の人々もこちらの気持ちを受けとめてくれるようになっていく…という
イイ方向へのスパイラルを描くようになればいいのですよね。

そうすることに大きな抵抗を感じるほどの「自分らしくないこと」。
そこにそれまでのパターンを好転させるヒントが隠されている場合も多くあります。

過去に「作られた自分らしさ」を自分の意志で脱し「自分らしさを選び取る」ことが
精神的自立なのだとワタシは考えています。
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by dryangle | 2007-01-30 10:15 | 親子の関係 | Comments(0)
兄弟(姉妹)仲はいいですか?
子供の頃は、その動機や行動のすべてが

親からの承認(肯定)を受けとるためにある

といっても過言ではないかも知れません
(成長すると、これが社会や他の人からの承認への欲求と転じていくのですが)

これが脅かされるという不安を感じることによって
兄弟(姉妹)をライバル(敵)視し始めるように思います。

どこで聞いた(読んだ)のか、ハッキリと思い出せないのですが^^;
非常に仲の良い兄弟(姉妹)に

「兄弟(姉妹)どちらが親に愛(大切に)されていたと思う?」

と問うと、必ず双方が

「自分が一番愛(大切に)されていたと思う」

と答えるというんですね。

ところが、世間では
兄弟(姉妹)の方が自分より可愛がられてた
感じてきた人が案外多いものです。

この辺に重要なキーがあるのではないでしょうか?

こんな心理が出来上がる背景には、必ず親や世間から
兄弟(姉妹)を対照や比較にした評価を経験しています。
平たくいうと、お姉(兄)ちゃんなんだから・年下なんだからという
前提の上でのこうあるべき・こうあっていいというセリフですね。

幼いうちには、発達の過程といえるトラブルやイザコザが
あって当然だと思います。

「仲良くしなさい」という言葉や叱咤は、その時の表面の行動を
コントロールできるだけに過ぎません。

兄弟(姉妹)を愛すべき対象・助け合う家族なのだと、その心根に
しっかり築くためには、私たち親自らが家族のメンバーに対して
心からそう思いそのようにふるまっていく以外にないように感じます。

もう一つ、親を共通の敵として兄弟(姉妹)が結束した仲の良さ
というのがありますが、これはこれで少々哀しい気がしますね。



↑「心のカラクリ」に興味のある方へ…よかったら、お立ち寄りください。 
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by dryangle | 2007-01-25 12:45 | 子育て・教育 | Comments(0)
のめりこんでいませんか?
仕事にのめりこむ、趣味にのめりこむ、恋にのめりこむ、創作にのめりこむ…

このように「のめりこむ」ことって、生きる意味や価値を創り出すもの。
と同時に、困ったことに危険性を持つ「のめりこみ」もあります。

それは「アディクション」、日本語では「嗜癖」と呼ばれています。

お酒やタバコへの「物質アディクション」は、つとに有名ですが、
高揚感を得る行動にのめりこむ「プロセスアディクション」と呼ばれる
一連の嗜癖があります。
これには、ギャンブル、ショッピング、(TVやPC)ゲームのほかに
スポーツ観戦、仕事、掃除、運動にまで及びます。

「害になる行動かどうか?」の判断基準が、「周囲が迷惑に感じるか?」に
よることが多いので、後にあげたモノなどは案外見過ごされがちなのですが
「のめりこみ」のメカニズムはおおよそ似通っているといえます。

このメカニズム。

自分で自分を癒そうとする「自己治療」だと考えると理解しやすそうです。

抱えている問題から逃れるため、なにかに夢中になることで埋め合わせをするための
「自己治療」。そして次第にこの「自己治療」にはまっていき、コントロールがきかなくなる。

自分でコントロールが効かないほどに「のめりこんで」しまうと
それは立派なアディクションです。

本人のコントロールが効くうちには、 その「癒しのパターン」を大切な人や家族で共有できる
イベントや、本人・周囲の人にとって害の少ないもの、むしろ心の糧となるものへと転換して
みることがヨイ展開へとつながるように思います(当然そのヒトの価値観に関わるものですが)。

また日頃から、それぞれの気持ちの不安や不満・負担になっていることを
周囲の人とシェアし合ったり、癒し合えることが大切かも知れませんね。



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by dryangle | 2007-01-22 18:55 | ココロの不調 | Comments(0)
「正しさ」へのこだわり
前回の話とも少々関連していますが…

正しさへのこだわりは、自分の心を守るためのパターンだといえます。

そのヒトの感覚による正しくないことは、過去からの体験により
責められること・罰せられること・償うことに自動的につながって
不愉快な感情や恐怖心、抵抗を呼び起こします。

ワタシにも覚えがありますが、そこから自己回復を図る、いわゆる
自(尊)意識を守るために自分を正当化したり、正しいか否か?
合理的かどうか?につい固執してしまったりするのです。

自分の側の正しくなさにより「責められる・攻撃される」のではないか
という恐れ・イヤな気持ち(実際に責められた経験によってすり込まれた
反応)に突き動かされているからだといえそうです。

これらは罪悪感や劣等感、被害意識(妄想)などと呼べる
不快反応

恐ろしいことに、この不快反応
喜び・楽しさ・幸福・安心・充実といった肯定的な感情を
感じさせなくしてしまいます。

もちろんこの不快反応はとりもなおさず
自己嫌悪や自分を攻撃する気持ちでもあるのです。

自責(自分への攻撃)と他責(相手への攻撃)は、性格による方向性の違いだと
思っていたのですが、「自責に耐えるキャパシティを超えると他責に転ずる」
と考えている専門家もいるようです。

周囲の人に責められることで、自分の中に作り上げられた
周囲の目(もしくは世間)が自分を責め、あふれたエネルギーが周囲を責める
(過度になると暴力に発展します)。それがまた誰か(別なヒトや子供たち)の
不快感情の根となり…
このスパイラル、多くの人が思い当たるのではないでしょうか?

これを癒すためのファクターとして、ちまたでは許しや感謝といった
概念が出回っていますが、この境地に至るにはそれぞれの関係の中にある
さまざまなカラクリに気づき、根気よく向き合う以外にありません。

まず自分を許すことができたら、このスパイラルを止める第一歩
(反省は大切ですが、叱責はベツモノです)。

そして他者の失敗や考え方/感じ方の違いを許してみる。

自分だって「悪くない」。
同じように相手だって「悪くない」。

問題は誰かが責められるべきものではなく協力して改善するもの

お互いに心からそう思えるようになった時に、関係が変わるように思います。

Jan. 25 '13 加筆修正
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by dryangle | 2007-01-18 17:38 | 周囲の人との関係 | Comments(2)
「主導権争い」の戦場を去る
誰かと対立した時に

「これって間違っていますか?」
「○×(誰ソレ)もそう言っています」
「○×(本やTV)でもそう言っていました」
「○×(対立する相手)に理解させたいのです」

このような言い方をするヒト、けっこういますね。

この場合、自分の側の正当性を訴えることで
「自分を守ろう」としているように感じます。
以前にも書かせていただいた「自己防衛」のカタチです。

とはいえ、それが客観(常識)的に「間違っていない」と確信できたところで
自分の「対抗意識を正当性によって満足させるだけ」に過ぎず
相手との関係を良くするための手段にはけっしてなり得ません。

どれだけ「他の人(権威)による裏づけ」を並べ立てても、それは
パワーゲーム(パワーストラテジー)の燃料にしかならないと
ワタシは思います。

パワーゲーム(パワーストラテジー)

双方が自分のやり方で「相手の非を責める」ことに終始する関係です。
この「正しさの争い」で勝ち負けが決定しても、この関係がお互いにとって
幸福なものにならないことは想像がつきますよね。

世間を見渡すと、親子・夫婦関係から民族・国際関係にいたるまで
この関係で満ちているように思われます。

ましてや、家族という本来信頼し合うための関係が、パワーゲームの敵として
存在してしまうとお互いの生きるエネルギーを消耗し合ってしまいますよね。

家庭がパワーゲームの戦場と化してしまったら、まさしくそれは悲劇なのだと思います。

まずは自分がパワーゲームをしている事実に気づき、その戦場を去る。
これが肝心なのではないでしょうか?

この「関係性」の根っこにあるものは、お互いの中にある、これまで育ってきた
環境や経験によって築かれた「観念」そのものだったりしますから、すぐさま
簡単に発想を転換させるというわけにはいかないのが現実です。

そのためにカウンセリングの手法の多くは、親子関係や過去の経験を想い起こし
その都度、埋没していたネガティヴな感情の処理をする作業を地道に行っていきます。

どちらかが深刻なパーソナリティ障害を病んでいるというのでなければ
(一体誰が判断するのかという問題はありますが…^^;)

自分が気づき、自覚し、物事と感情の関連を整理したり、素直に感情を認め
上手く処理をする(それを表現してみる、誰かに共感してもらう)ことによって
ずい分と変わってくるものだと思います。

その上で「主導権争い」を回避する反応のパターンを、お互いに培っていくこと
ができるでしょう。

きっと誰もが心の奥で、相手に対して「自分を理解して寛容に接してもらいたい」
と望んでいるのではないでしょうか?

まず自分から、相手を理解することに努め、相手に寛容に接することによってのみ
それが叶うような気がしてなりません。

誰かと「癒し合う関係」になれたなら、生きるエネルギーを充電できそうですよね。
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by dryangle | 2007-01-17 12:14 | 周囲の人との関係 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り