金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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<   2007年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧

「羨ましさ」の裏側
多分誰もが思い当たる気持ち、羨ましさ
時にその感情がふくらみ、それを想い起こさせる人や物事に接することを
拒むまでになります。

それは誰かと無意識に競争して味わう敗北感の痛みに耐えられなくなるから。

自分の価値と誰かの価値を比べて負けを感じ、自分の価値が低く思えるの
ではないでしょうか。
そして、自分の負け責める気持ちが心の中に起きてくる。
自分を責め、その誰かの弱点を探して責め
これはもう不快感極まりないものですよね^^;

これもじつは愛されたい・認められたい・肯定されたい・やさしくされたい
裏返しの気持ちです。

これまでの経験から他人と対等、もしくは優越しなければ愛されない
いうことを学んでしまった苦しみだといえるように思います。
そしてすべて成果で比較しているあまりにイキイキと自分を生きる魅力
(これがもっとも愛されるファクターなのだと感じますが)を自ら放棄して
しまいがちです。

この不快な循環から脱するには、ほんの少し精神力がいるのですが
まず自分の中の競争心気づくことではないかと思います。
現実には、その誰か(ナニカ)の存在の影響力に自分の感情がふり回されて
いるのですから、この競争から降りてしまおう!と意識するだけで
ずいぶん解放されるのではないでしょうか?

誰かと比べずに自分の価値を認めていく努力が必要かも知れません。
これがなかなか難しいのですけれども。

素直に誰かの優れた部分を認められるようになった時
自分のヨサにも気づくことができるのです。
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by dryangle | 2007-04-27 18:49 | ココロのカラクリ | Comments(6)
愛を知ることは言語を学ぶことに似ている?
愛情(発情ではない)や思いやりといった言葉は誰もが知っています。

ただ言葉の意味や内容を知っていても、その能力
持っていないヒトが、じつは多くいるのではないでしょうか?

自分にヒトを愛せる、思いやれる能力があるか?
この機会に、ぜひ一度考えてみてください。

誰かから愛情思いやりを受け取ったという経験や実感がありますか?
自分よりも相手の心情を守りたいという気持ちや行動がわき起こりますか?

愛する能力は、まるで言語能力と同様に意味を理解できるだけでは
充分だとはいえません。しかも、両者に共通していえることは

その能力のあるヒトに伝授してもらわなければ、育まれない

ということです。

心のふれ合い、友情、愛、思いやり、感謝…などといった言葉や情景に
喜びや暖かい気持ちではなく、シニカルな感情や嫌悪感・重荷に似た気持ち
がわいてしまうとしたら。
他人どころか、自分を幸福にする能力に欠けてしまっているかも知れません。

けっしてその人のせいではなく、学ぶチャンスがなかっただけのこと。
そして、それに気がつくことがチャンスの扉を開きます。

無知の知を知るということは、やはり重要ではないでしょうか?

愛の能力が母国語のように備わっている人がウラヤマシイ今日この頃です。
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by dryangle | 2007-04-23 19:17 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「怒らないしつけ」について③
さらに続きです。

言葉だけを聞くと抵抗を感じるようなしつけ無用論を提唱されている
平井信義氏は、その著書の中で

思いやりや我慢の心は、感情的に叱ることではなく
親が手本となることによって育むことができる
と述べ

・思いやりの心・自発性・社会性・知識をバランスよく育む
という理念を紹介しています。

その氏自身も叱ら(怒ら)ないこと*放縦(ほうしょう)にさせることは
まったく意味の違うことであると先に明らかにされています。
子供への接し方の提案ついては著書に書かれていますが、
ワタシ自身もとくに幼児期までのアタッチメント(愛情・愛着)形成を優先した
子供との関わり方については氏の考え方が大変参考になりました。

人格を育む土壌には愛情という肥料が欠かせないということだと思います。

成長の速度は個々に違いますし、お子さんそれぞれの個性もありますから
大人(親)の側がその都度、接し方を模索することが大切なのではないでしょうか?

以上の話を含めた意味で、ワタシ自身について言えば
怒る(叱る)親でもあり、怒らない(叱らない)親だともいえます。

母親となった時に子供との関係で胸の内に決めたことがあります。

子供を支配しない、子供に仕えない

怒る(叱る)・怒らない(叱らない)という表面的な部分に固執してしまうと
本質を見失うことがあるように思います。

*放縦(ほうしょう)=何の規律もなく勝手にしたいことをすること。また、そのさま。
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by dryangle | 2007-04-18 13:03 | 子育て・教育 | Comments(4)
「怒らないしつけ」について②
前回からの続きです…

意欲を持ってチャレンジしたら失敗してしまった。この時の親の反応の
違いはその子供の意欲や失敗についての価値観を決定します。
親の側が結果のみについて、静かに不快の表現や毅然とした態度を
見せれば、子供は新たに別の結果へと再チャレンジしますが、(感情的に)
分別なく怒ればその行動自体を忌むようになります。
体罰はさらにそれを強化することになります。

物事の善悪を知るどころか、怖れによって行動を規制するだけ
というパターンにつながりかねません。

命に関わるような危険に関わることを危ないと教えるためには?と
思われるかも知れませんが、この時期に命に関わるような危険から
子どもを守るのは大人の役目ではないでしょうか?
またマナーを教えるにあたっては、子ども自身が大人のようなふるまい
興味を持ち始めた時、それがマナーを学ぶに足る成熟を知らせる合図。
なんとか寛容に待ってあげたいものです。

親の側が焦り、せかし、強引にすれば、子供もそのまま学び、応えます。
応えきれないことに感情的に行き詰まり、問題行動をさらにエスカレート
させることもあります。
親子の葛藤が堂々巡りになっているケースも多く目にしました。

しつけは経験による情動と動機の結びつけですから、もともと感情との
結びつきはあって当然だといえます。
感情とともに深く刻み込んだものは、感情的に反応してしまうという
無意識の領域での条件反射ともいえることであり、親自身がそれを持つ場合
無意識の領域での反射の感情的な怒ると理性的な叱るを現実の場面で
意識し区別していくのはかなりの努力が必要でしょう。

怖れによる縛りから、理性によって自分を律することへのしつけのあり方の転換
今まさに怒らない育児が提唱されているのは、この意味における親の側の努力
が必要
ということだとワタシ自身は理解しています。
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by dryangle | 2007-04-18 12:40 | 子育て・教育 | Comments(0)
「怒らないしつけ」について①
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
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育児の話題において、つねに議論の的になる怒らないしつけ

まずは怒ることについてのそれぞれ解釈や感覚の違いに
目を向けてみる必要がありそうです。

親の側のさまざまな反応を、しつけの名のもとに怒ると一からげに
表現されていますが、その中には文字通り怒り(いかり)という感情を
たんに爆発させている
こと(親の側のかんしゃく)もあれば、冷静に
たしなめたり、タイムアウトの方法などを駆使することも怒る
(最近はこれを叱るという言葉で区別するようですが)に含まれています。

この二つをハッキリと区別した上で、ワタシとしては
前者はしつけではなく(勝者の決まった)パワーストラグルであり
後者はしつけのテクニックと呼べるものだと考えています。

まずしつけは、この世の(とくに親の)道理や価値観を子供の中に
観念として再生産
するものです。
それが本当にリーズナブルで必要なものかどうか?
親の側もその観念を検証するくらいに謙虚な態度が必要だと思います。

もちろん、時には感情的になって反応してしまうこともあるでしょう。
たとえ感情的に責めてしまっても、親がそれを反省する姿勢さえあれば
子供にもその反省する姿勢が伝わって(刻まれて)いくのだと思います。

ただ、とくに気にかけておきたいことは…

しつけの理由で、もっとも大切だとされる善悪の区別ですが
(人間関係などの)抽象的な事柄について、それを理解できるのは
脳や精神の発達からいっても一般的には小学校中学年の年齢に及ぶ頃です。

赤ちゃんから幼児期にかけて脳は内側部分から発達し、周囲の事柄と情動
(感情)を結びつけていく基本部分の作業をものすごいスピードで行っていきます。
この頃が好奇心旺盛な時期でもあることは、経験的に知られる通りでして
本人は意欲的にその作業を行っていきます。

この時期に親(周囲)から与えられたメッセージは
この世からのメッセージだといえるほどに重要なのです。
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by dryangle | 2007-04-18 12:11 | 子育て・教育 | Comments(0)
自分と誰かの「ヨワサ」を許せますか?
多くの心理カウンセリングやスピリチュアル関係の情報の中に
許し手放しという言葉を見つけます。

この精神的境地を自分なりにずっと模索してきましたが
まだまだこれといった実感を得ないままでいました。

注意してみると、ヒトが自分自身や誰かとの関係で苦しむ時
そこには必ず責める気持ちが起こっています。

たとえば頑張れ、強くなれ、うまくやれ、勝ち残れ、負けるなという
メッセージを刻み込まれた心は弱さや失敗を許せなくなります

自分や誰かの中にそれを見つけると、許せないような感情が
自然にわきあがってくるのです。

どうしてやさしくしてあげられなかったのだろう?
どうして憎まれ口やイヤミばかり口から出てしまうのだろう?

そんな風に後悔することはありませんか?

人々の心の中で「ヨワサや失敗」が、癒したり、励ましてあげるという
対象から、憎み、許せないモノへとなってきているように感じます。
加速度的に。

自分自身からそのメッセージを変えてみませんか?
そのままでもいい、そういう時だってある、負けたってダイジョウブ

自分に、誰かにそう語りかけることができた時、なにかを許すこということは
そのままで(変わらなくて)も、自分の心は安定していられる
ことだと気がつきます。

それまで抵抗を感じてきた物事に、たとえその物事の方が変化しなくても
大きな影響を受けることなく、自分の心が安定していられるようになること。

これが許し手放しの境地ではないか?と思うようになりました。

立ち向かうのに勇気が必要なのは、物事よりもそれぞれの心に刻まれた
許せなさのような気がします。
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by dryangle | 2007-04-05 23:01 | ココロのカラクリ | Comments(0)
気持ちを要求する気持ち
親子関係について考えるために、ネットでいろいろ検索していたところ
こんなお悩み相談の記事が目にとまりました。

個人的に驚いたのは、そこに寄せられた返答の中に
親に感謝するのは当たり前
礼節がない、恩知らず、人の道に反する
…などと、
辛らつな言葉で同調する意見が多かったことです
(ベストアンサーにも選ばれていますね)。

気持ちを表す行為(儀礼)を教えなかったからだとも
指摘されていますが

その実は、この娘さんの心中は感謝の気持ちが湧くほどに
満たされていなかったように感じます。

表す以前の気持ちがなくても、行為(儀礼)があれば満足
なのでしょうか?

人は行為(儀礼)を教えれば、行為(儀礼)のみを学ぶものです。
教える側にその気持ちがない限り、相手に気持ちは育まれません
このお母さんご自身が、人に物は贈っても気持ちを贈ったことがない
のかも知れませんね。

前に書かせていただいた恩着せ・要求(脅迫?)パターンの一つだと
感じられますが、娘に気持ち(物?)を要求するほどに
その心は寂しく飢えているように思います。

どちらが先に気がついて、真に相手の気持ちを満たすことが
できるのでしょうか?

感謝の気持ち」は、満たされて相手も満たしたいと願うこと。
(気持ちを)要求すること」の対極にある精神的境地だということを…

誰かに気持ち(その代償としてのカタチ)を要求してはいませんか?
自分の中にないからこそ、求めたくなるのです。
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by dryangle | 2007-04-04 01:15 | 親子の関係 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り