金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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"自分"に疲れていません?
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感じ方の違い~心の鏡が映し出すもの~
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
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ある物事に対して、それぞれの人が違う感じ方・受けとめ方をします。
時にその違いの大きさに驚かされることがありますね。

これを説明するために、哲学者は現象学的なアプローチを試みてきましたが
時代を経て、臨床に関わってきた心理学者によって少しはわかりやすい
説明がなされるようになったように思います。

カウンセリングの祖とも呼ばれるロジャースの自己理論

●個人はすべて自分がその中心にあり、絶えず変化する
 経験の世界 ="私的世界"に存在する。

という仮定を基本に構築されていきました。

それは、ある人が経験している世界は客観的な現実ではなく
自分というフィルターを通した世界であるということです。

ワタシはそれをよく心のフィルターという言葉を用いて
説明させていただいています。

この心のフィルターは、経験と自己概念(自分という存在のイメージ)
によって形成されてされます。

この自己概念も経験によって築かれるものですが、その過程で
脅威や不安にさらされる体験に臨んで、心身を守るための防衛として
否認や歪曲という反応が起きるとされています。
反対に、重要な他者(最初は親など、のちには自分自身)から
受け入れられた価値を価値条件として選択するようになるのです。

このように発達した能力がつまり心のフィルターといえるかと思います。

つまり感じ方・受けとめ方は、その人の瞬間瞬間の
自分という存在そのもの

多様性や個性にあふれていて、なんら不思議はありませんね。

とはいえ、この心のフィルターを通して映し出される価値が異なる時
相互に対立を生むことがままあります。

そして、客観的価値・優位性を競って攻撃をし合うようになると
当然争いになります。

また自分の感じ方が、自分を疲れさせている人がいます。
これが過ぎると、心は消耗し疲れ果て、無力になってしまいます。

自分の心が、物事をどんな像に映し出しているのかは
自分自身にしかわかりません

それなのに自分の感じ方(心のフィルターの傾向性)すら、それを
意識したり理解しようとする人は案外少ないのではないでしょうか?

また自分や他の人を責めたり追い詰めてしまう感じ方(の傾向性)
自分自身のあり方や周囲との関係を悪い方向へと導いていきます。

自分の効力の及ぶ(変えることのできる)のは、自分の感じ方だけで
他の人の感じ方や、物事の状況、客観的な価値を直接変えることは
困難至極(不可能?)。

そこで自分の感じ方へと理解の目を向けてみることで
癒しや気づきを得たり、自分なりの価値を見出し、築いていく
チカラがわいてくるように思います。

そして互いがそれぞれの"感じ方の違い"を、理解のスタンス
受けとめる努力をすることによって
対立や争いを意義のあるコミュニケーションへと換えていくことが
できるのではないでしょうか?
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by dryangle | 2008-03-19 08:52 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
しがみつく心~殺してまでも手に入れたい?~
高校の校長先生が元教え子脅迫で逮捕された一件。
ついアレコレと考えさせられました。

人を殺すことは平気だよ

メールで送られたこの言葉には恐怖を覚えますが

そうまでして、つなぎとめておきたかった

元教え子の心

ココから先は、まったく個人的な憶測なのですが

その元教え子の心でさえ、なにか別に深く求めるモノの
代償だったのではないだろうか?と感じます。

それは…

自分という存在を認め、愛し、肯定し、励まし、甘えさせてくれる
現実には、親や配偶者でさえなかなか与え難い心の拠り所

それを当然後進に与える努力をする側にあるべき
(期待される)立場にあった校長先生。

社会でも、学校(職場)でも、そして家庭においても
人格者の役割を担っていたのではないでしょうか?

それが自分の価値を肯定するための大切な要素でありながらも
一方で、心のエネルギーに飢えてしまっていたのかも知れません。

心理分野の依存という言葉がポピュラーになってきましたが
この言葉、しがみつきという表現に置き換えてみると
ピンときやすいように思います。

この根っこは、弱い自己(像)があるといわれています。
(依存する)対象に見捨てられる不安を持つと、いわゆる
※1受動攻撃を仕掛けるそうです。

これはまた感情による脅迫ともいわれています。

これはまるで弱い立場の存在である子どもが
親にその愛を乞うために必死にしがみつき、駄々をコネル
様相だとはいえないでしょうか?

脅迫をしてまでも、失いたくなかった元教え子の心は
彼にとってのイマーゴ(※2idealized parent imago)が
投影された存在だったのかも知れません。

そしていまだかつて、その相手によって真に心を満たされた
という経験がなかったのではないでしょうか?




※1日本語では被害者のふりをして他人を非難する
  いうように説明されています。
※2精神分析用語で、幼い時期に形成され成年時まで
  保持されている親愛する人の理想像

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by dryangle | 2008-03-10 15:06 | ココロの不調 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り