金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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愛を乞う親
ある事件をキッカケに代理ミュンヒハウゼン症候群
という言葉が注目されているようです。

ミュンヒハウゼン症候群は虚偽性障害の一つで、病気を装って
関心や同情をひくというものですが、代理(by Proxy)がつくと
患う者の役割を家族や子どもに負わせる、つまり故意に
病気やケガをさせるという虐待にいたることがあります。

これについての説明や話題は他に譲りますが^^;

心が飢えたまま、満たされないまま家庭を持ち
親となる不幸をあらためて考えさせられました。

冒頭のような極端な事象にならないまでも
ある種の生きがいを満たす役割や手段を
自分の子どもに負わせてしまうことが、俗にいう
子離れできない(干渉する)親だといえます。

また、その役割を背負ったまま自己を分化できずに
つまり自分(自らを分ける)のない人を俗に
親離れできない子・マザコン・ファザコン
といっているのではないでしょうか?

このような親は、子どもの精神的自立の気配を感じると

執拗に責めたてたり(非難)
必要のない世話を焼いたり(押しつけ)
恩着せがましくなったり(脅迫)
同情や理解を求めたり(気持ちを要求する)
急に弱々しくなって頼ってきたり・媚びへつらったり(依存)


それを妨げることに躍起になります。

これが過ぎると。

子どもの側は、過剰に抵抗するようになったり
自覚のないまま生きづらさを感じたり
虚無感や憂鬱を抱え、心を病んでしまうことも。

非行や暴力、摂食障害、ひきこもり、依存症

親どころか、大人になることさえ拒むしかないまでに
弱った人がいます。

役割を背負ったまま、社会人となり結婚して
反抗や要求の対象を、配偶者や我が子に
移行させてしまう
人もいます。

愛を乞う親は、次の世代のより愛を乞う親
産み育てているように思えて切なくなってしまいました。

子離れは子育ての仕上げ

これをしっかり意識した今後にしようと
自戒を込めて、今年最後の書き込みにします。
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by dryangle | 2008-12-26 09:59 | 親子の関係 | Comments(2)
『喜び』を受け入れられますか?
ホリデイ・シーズンも佳境を迎えました。

世のムードはけっしてよくありませんが
子ども達の笑顔が、普段より輝きを増す日々
個人的にめぐらした想いを少々…

今でこそ子ども達や、他の人々の笑顔に
心地良さを覚えることのできるワタシですが

かつては、内心に
自分自身理解のできない不快感
が渦巻いていました。

誰かが喜んでいるとき・誰かを喜ばせようとしたとき
誰かが甘えてきたとき・誰かを甘えさせようとしたとき
誰かが楽しんでいるとき・誰かを楽しませようとしたとき
誰かが気使ってもらっているとき・誰かを気使うとき
誰かがシアワセなとき・誰かのシアワセを望むとき

不安のような、怒りのような、嫉妬のような、憎しみのような
悲しさのような、寂しさのような、悔しさのような


心の抵抗

そして、それは

自分が喜びたいとき
自分が甘えたいとき
自分が楽しみたいとき
自分が気使ってもらいたいとき
自分がシアワセを感じたいとき

罪悪感となって
わき起こる不快感でした。

思い出せば、同じような心のカラクリを持つ親が

喜びを禁じました。
甘えを禁じました。
楽しみを禁じました。
気使ってもらうことを禁じました。

それは…自分にも他人にも
シアワセを禁じるということでした。

ワタシだって

喜びたい。
甘えたい。
楽しみたい。
気使ってもらいたい。
シアワセになりたい。

そう気づいた時。それを自分に許すことができた時。
誰かのそれも素直に受け入れられるように
心の向きが変わり始めたような気がします。

ナニカを受け入れるということは、ナニカを手放すこと。
ナニカを手放すということは、ナニカを受け入れること。

それが許しと呼べるモノなのかも知れません。

その心の飢えは、求めたり奪い合うことではなく
自ら生み出し、分かち合うことで満たされます

誰かのために、自分のために
喜びを生み、分かち合うことができますように…
そしてみなさんも。

Merry Christmas!
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by dryangle | 2008-12-25 08:48 | ココロのカラクリ | Comments(0)
反応で知る刺激の意味
望むモノを得られなかった時
嫌なモノを押しつけられた時

記憶とともに、心と身体の反応の仕方も
プログラムされます。

似た状況や記憶の再現にふれて

恐れや不安、孤独感に落ち込み
またイライラといった焦りや憤り


といった不快な心理的抵抗となって現れる
この痛みの記憶

これを身体の免疫機能になぞらえた
心理的抗体という表現を
目にして、ナルホド!と感心しましたが

心の防御機能が、アレルギーさながらに
過剰反応することが
心の不調だと考えてみると
イメージしやすいかも知れませんね。

(精神治療薬をステロイド剤のように
イメージするのは乱暴に過ぎる?^^;)

その反応を自覚・検証することができれば
(まるでアレルゲンを特定する作業のように)
そのしくみや原因の刺激を知る手がかりに
なるのではないでしょうか?

その不快は、素直に受けとることを恐れたり
疑ったり、拒絶してしまった時
また欲しくないものを不本意に受けとって
しまった(押しつけられた)時

起こるはず。

それは自分が、本当に望んでいる物事
まったく望んでいない物事
に気づき
自分を正直に知る機会でもあるように思います。
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by dryangle | 2008-12-15 08:59 | ココロの不調 | Comments(0)

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