金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
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自分の輪郭(セルフ・イメージ)を見直す①
とある国、とある場所で民族舞踏に誘われました。

ハチャメチャに楽しいリズム、軽快な動き
人々の眩しいくらいの笑顔。

一緒に踊りたい! …と感じた次の瞬間。

恥ずかしい、見られたくない、みっともない、自分らしくない!?

輪に入りたい自分を制止する自分がいます。

???自分が二人いる?

似たような状況を経験したことがありませんか?

スピリチュアルな分野では、いわゆるエゴ・アイデンティティと
大いなる存在とつながる自分の二つの自分の存在が
説かれていますが

ここでは心理学的にやはりエゴ・アイデンティティ
つまり、自分が自分であるがための意味づけである
ラベルに注目してみたいと思います。

長い期間、海外でアルファベットのサインをする生活をし
帰国して、久しぶりに漢字で自分の名前を書く時に
まるで別の人の名前のような気がします。

親しい人にファーストネームで呼ばれることに慣れて
「○○(姓)さん」と呼ばれる時にも、不思議な違和感を
覚えます(恥ずかしながら、会話の中では家族の誰を
指しているのかしばらくピンとこないことも^^;)。

ああ、それってワタシのことなんだよなぁ…

と、あらためて名前もラベルであることに気づくわけです。

アジア人というラベル、女性というラベル、
こういうものが好きで、こういうものがニガテ
体格、容姿、年齢、職業や住む家、着るもの
持ち物、食べるもの、そしてライフスタイルに
自分を同一化(規定)します。

選べるもの・選べないもの、すべてが普段は
当たり前すぎて気がつかない自分

とはいえ。

自分で認識しているラベルと、他の人に映るラベルが
違うことに、心穏やかでいられないことがあります。

自分に求めるラベルと、現実のそれが違うことに
焦りや苛立ちを感じることもあります。

みなさんの自分とは、一体どのようなイメージですか?

アナタはどんな人ですか?

(次回に続きます)

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by dryangle | 2010-05-19 13:30 | ココロのカラクリ | Comments(2)
期待≒要求?―双方を縛りつける鎖
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


ワタシも身に覚えがありますが、能力や成果は幸福の条件
信じるあまり、その想いを自分や自分の延長である家族や
身近な他人・それを具現するスターやヒーローなどに投影し
期待(未来を過大評価)しがちです。

一方、に分類される人の能力や成果は、羨ましくも
妬ましくも感じるものですよね。

家族、とりわけ子どもは、一番密着した自分の延長といえます。
他者と比較したり、そのあり方・成果にガッカリ…という失望感
自分に対して抱いている(もしくはかつて抱いてきた)感情の
延長線上にあるとはいえないでしょうか?

自分に対しても未来を過大に期待し、叶わない結果に失望を
感じること・さらにはそれを材料に今の自分でいいのだろうか?
疑問を持つことがパターン化してはいませんか?

転じて

今のままのあの子でいいのだろうか…?

どこかで期待というものは、相手との合意のない一方的な約束
という表現を目にしまして、妙に納得したことがあります。

叶わないことに、ガッカリや失望、ついには憤りすら湧くとなると
それはすでに(一方的な)要求といえるのではないでしょうか?

過度な期待(≒合意のない要求)は、双方の足を鎖で縛る
足枷のような気がします。

それを断ち切れば、相手の、そして自分の身が
いえ、心がどれほど軽くなるでしょうか?

「あ~、ワタシまた期待し(過ぎ)てしまってるんだなぁ…」と
その都度、意識できるようになることが大切だと思います。

意識が、重い足枷の鎖を断つハサミとなるのです。

その想いが、相手を支える心のエネルギーとなること。
それが期待の本質だとワタシは考えています。

自分に対しても。我が子に対しても。

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by dryangle | 2010-05-12 09:39 | 親子の関係 | Comments(2)

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