金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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"自分"に疲れていません?
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自慢話。どう感じる?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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久しぶりにこちらのトピックにレスをしようかと思ったのですが
機を逃してしまいました^^:
いまさら書き込むムードでもなさそうなので…こちらで。

どなたかのコメントにもありましたが、日本人の社交では
ごく当たり前の謙遜(けんそん)、ワタシも大失敗経験があります。

相手が日本人でもないのに、子どものことを本人の前で
ほぼ条件反射的謙遜してしまったのです。

「そんなに大したことないわよ~(というニュアンス)」
…未熟。

うっかり子どもの信頼を失いそうになりました。

「私のこと、そういう風に思ってたんだ(涙)?」

当時は言葉の限りを尽くし必死に説明しましたっけ。
日本の社交辞令もこなせるほど成長した今となっては
一つの笑い話ですが。

けっして謙遜の良し悪しの問題ではなく、文化の違い

と、スッパリ割り切れればそれでいいのですが
問題は心理的にヤッカイな部分にも及ぶこと。

自分や身内の評価を相対的に下げることが
相手をたてるための思いやりであるところの
謙遜はたしかに美徳ともいえます(それを呼び水に、
相手の口から打ち消してもらったり、褒め言葉を
言わせようと仕向けるためのものではありません※
)。

けれどその本質から離れ、たんに社交の形式として
求められるうちに、(けっして優越感からではない)
喜びの発露や表現を抑制することがまま起こります。
また自己洗脳ではありませんが、自分への評価が下がり
自己無価値感や劣等感につながることもありそうです。

自分に許せない物事は、他人にも(気持ちが)許せない。

これはもはや鉄則といえるかも。

自分が自分(や身内)の長所や成功を喜ぶ気持ちを
ストレートに表現することを、自身に禁じたままで
他人のそれをともに喜べるわけはないですよね。

誰かが、遠慮も悪びれもなく自慢話をする時

きっと心中穏やかにはいられないはずです。
不快だったり、嫉妬したり、腹が立ったり、落ち込んだり
ウンザリすることでしょう。

そう感じてしまうのは、自分自身に良い評価を与えることを
押さえ込んできたからか、自己無価値感/劣等感があるから。

そうと見抜くことで、気軽にうけ流せるようになったり
ともに喜んであげられるかと思います。

まぁ〜、自分を強く見せようと誇張して相手を牽制したりする。
大げさな自慢話で虚勢を張らなければならないという社交文化
にも疲労させられますが…^^;
このパターンにも、根底には自己無価値感/劣等感への怯えが
あるのではないでしょうか?

素直な喜びを表現し合い、共感し合えるように
なりたいたいものです^^

つまり他者からの評価や承認に依存しているということで
自己無価値感/劣等感の強さの表れといえるかも知れません。
客観的には成功している人にも充分あることです。


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by dryangle | 2012-02-28 15:30 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
ごく私的宇宙観ーその2
前回のイメージについて
補足を…

「私(アイデンティティ)」という突起でできた
隙間を通過させる全体(を含む)の一部には
もちろん他のすべての存在の突起も含みます。

突起同士の通過し合いというか、させ合いというか。

仏教に有名な縁起(因縁生起)という思想がありますが
そんな関わり合いを想像しています。

最近の精神世界の傾向として、概念もメソッドも
どちらかというと唯識論的な展開が多いように
思いますが、たんに他を己の内と意識するだけではなく
その関わり合いの関係性をもって対等であると
考える方が個人的にはしっくりきます。
波動の共鳴だという説明も目にしましたが、この辺りは
理屈抜きでも思い当たるのではないでしょうか?

カルマや輪廻というのも、いわば因果がその性質による
関係性でループしてしている状態ではないかと。
関係性がシフトすれば自ずと変化するものです。

だからあるといえばあるし、ないといえばない。

かなりこの分野に興味のある方にしか想像しにくい話に
なってしまってスミマセン^^;

絵や写真が、実物ではないように
思想は実相そのものにはなり得ません。

ただ「自分を生きる」ということは、あたかも
絵筆で描く、カメラでとらえるようなことなのかも。

なんだか肝心なことがウマク伝えられていないような
もどかしさがありますが、まずはアップしてしまいました。
次回は、また現実的な話題に戻ろうかと思います^^

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by dryangle | 2012-02-09 14:11 | ココロと思想 | Comments(0)
時間はどっちに流れる?ーごく私的宇宙観
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
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当たり前過ぎてまったく気がつかないという色メガネ。
私達はその色メガネを通して物事を受けとめ、解釈しています。
もはやその色メガネこそが自分だと思い込むまでに。

感覚、つまりは自分を揺るがすお話にお付き合いください^^

例えば、(個人的に)以前は感覚的にまったく理解できなかった
時間は人間が発明したという話

まず時間自体が人間の概念であるということから
理解しなくてはなりません。

近年、時間の概念を持たない人々(ブラジルのAmondawa族)
について話題になりました。

彼らは時を表す言葉を持たず、年齢という概念もなく
ライフステージや共同体内の地位に応じて名前さえ変わる。
数も4か5までしかなく、抽象的で測定可能な
「もの」としての時間がない。

研究者曰く

事象を時間に埋め込まれたものと見なすのではなく
事象そのものの世界に生きています。


彼らの心に映る世界は一体どんなものなのでしょうか?

ワタシ達(多分あなたも)の時間の概念、もはや基本となる感覚は
時間は「過去→現在→未来」に流れるというものです。
だからこそ因果関係にこだわり、過去を悔やみ、未来を憂える。

ところが、これは「創造主が世界をつくった」とするユダヤ・キリスト
教の伝統に沿った時間観であるという話があります。

アビダルマという仏教哲学には時間は「未来から過去に流れる」
という考えが説かれているそうです。

砂時計を想像してみてください。
砂が上(未来)から下(過去)へと流れ落ちていきます。
きゅっと細く狭まった境界の「今」を瞬時にくぐり抜け…

こう考えるだけで、現在は過去の産物などではなく、
未来の産物であり、しかも未来というのは固定されたものではなく、
無限の可能性であり、しかもその未来は(過去の因果ではなく)
さらに未来の因果によって決まる、ということになる
ーウィキペディアより抜粋

不思議な気分になりませんか?

物理科学の世界でも「膨張している宇宙が収縮する時
エントロピーは増大ではなく減少する。その時、
時間の矢は逆に向く」という話がありました。

物理分野は不得手なので^^;言及したくないのですが。

ごく個人的に感じた(「考えた」ではなく)ビジョンからは
どれも時間を異なる切り口から解釈しただけでなのではないか?
と思います。

あるモヤッとしたナニカ(宇宙でも世界でもいいのですが)
の中におけるワタシ達の存在、その認知や感覚のありかたが
砂時計の最高に狭まった部分であるように想像しました。

砂粒くらいの一部分を、そこを通過させることで観て、
感じて、体験する。
本来の「通過させる」働きによって、変化を感じ
それが時間や空間の概念となっていった。

荒唐無稽かも知れませんけれど。

その狭まった突端が各々の「私」のように思うのです。
それも例のナニカの一部が突起してできたもの。

とんがるほどにスムーズに通過しにくくなるし
ユルんで、ひっこめば、時空を超えた全体が見える。

なにをどの方向にどのように通過させるのか?

意識次第で体験もその評価も変わるのかも知れません。
「流れている」ように感じているのも、じつはたんなる
勘違いのような気がしてなりません^^

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by dryangle | 2012-02-07 11:17 | ココロと思想 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り