金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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"自分"に疲れていません?
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自己肯定感と自己愛を区別する。
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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多分野から
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自尊、最近は自己肯定感や自己信頼感などと
訳されるSelf-esteem(セルフ-エスティーム)

これに対して自己愛のもとの言葉は
Narcissism(ナルシシズム)です。

日本語ではとくに紛らわしく、似通った言葉にも
思われがちなこの2つ。
じぶんなりにその区別の仕方を考えてみました。
(一般的な定義ではありません。あしからず^^;)

ざっくりと区別するキーワードとして思いつくのは
特別であるかどうか?

自己愛は度が過ぎると不健全な心の状態
なります。
それはとりもなおさず自意識過剰だから。

それは平たく説明すると、自分を他者との
コントラスト
によって際立たせる
こと。
つまり自分が「特別であるかどうか?」が
至上命題となるわけです。

この愛には、他との対比という絶対条件に依存
せざるを得ないという宿命的な脆弱性があります。
満たされる時には、その喜びや高揚感は格別ですが
それがままならない時には…

もう一方の自己肯定感根拠に依存しません

「自分という存在はかけがえのない大切な個性」だという
漠然としていても、なお揺らがない「自分の土台」なのです。

これを分けてしまうものは、生育環境(周囲からの条件づけ)に
他なりませんが、これが自分だけではなく他者の愛し方(認め方)
にまで大きな影響を及ぼす
こととなります。

条件付きでしか自分を愛せない人は
条件付きでしか他者や環境、物事を愛せない。

条件付きでしか他者や環境、物事を愛せない人は
条件付きでしか自分を愛せない。

よくある「アナタが愛してるのは、ワタシではなく
結局自分なのよっ!」というキメ台詞の本質
「アナタが愛してるのは、ワタシではなく
結局アナタの条件(に叶うワタシ)なのよっ!」

このあり方は、自分はもとより愛する誰かの心を
苦しめ、追い詰める状態だといえます。

健全な自分の土台は自分で築くこともできます。
その必要性に気づくことができた時から。

築く=気づく ウマイこといってみました(笑)

あなたにとって
自分は特別ではなくても大切な存在ですか?
そして周囲の人は
特別ではなくても大切な存在ですか?

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by dryangle | 2014-01-31 09:03 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「影」の威力と効用
どうしても許せない。
激しい嫌悪感がわく。
憤りを感じて仕方がない。
不安や怯えに似た気持ちがわく。
負の衝動に自分を乗っ取られてしまう。

かつて心の痛みや苦しみ、悲しみを経験した時に
予想される同種の体験から、自分(の心)を守ろうと
「こうあるべき」自分のあり方や反応を選びます。

それはそのまま「こうありたくない、そうしたくない」
嫌う/苦手なあり方が規定されていくことでもあります。

動機となる元の経験による痛みが激しければ激しいほど
そのエネルギーは強さを増し、自分(や他者)のあり方への
必要性は異常なまでに強くなり、ついには反射的・衝動的
それと異なる(つまりは気に入らない)相手のあり方を見出し
恐れや憤りを覚え、攻撃したり、抵抗しようとします


周囲に不愉快な、気に入らない、許せない人や物事が
満ち溢れて苦しくなり、いよいよ自分が追い詰められた
果てに…

ようやく他者のあり方にその「影」を映し出す
映写機が自分の心の中にあったことに気づくこと
できるのかも知れません。

誰かやそのあり方、映写機すら排斥する必要はなく

そのスイッチをパチッと切ったら、あら不思議!
…なんでこんなことにコダわっていたのだろう?
目が覚めたように気がラクになるのです。
相変わらず、日々似たような出来事は起こってくるのに。

自分の内に映写機の存在を認めるまでが最難関

なぜなら、それこそが最大の憤りと攻撃と、恐れや不安
つまり抵抗の壁で守られているのですから。

これらを堅持し続けることによって、次世代(我が子)に
同質の映写機をそのまま増設してしまうことはもとより
次世代(我が子)や大切な相手をスクリーンにしてしまい
攻撃する対象、つまりは身内を敵に回してしまうことさえ
起こってくるのです。

またそれを顕在化させたくない気持ちによって、問題を
外側の社会や国家レベルのスクリーンに巧妙にすり替え
(られ)たりもします。

誰かの汚さ、弱さ、醜さ、ヒドさ、狡猾(ズル)さ、惨めさ
不正、不真面目さ、冷たさ、暗さ、非常識、無関心
など…

今それらにガンジガラメになって苦しんでいるとしたら
自分の内側の映写機の存在を認める勇気を持つ
絶好のチャンスなのだと視点を変えてみてはどうでしょうか?

それによって、あなたの映写機に「愛や喜び」を
映し出させていくことができるのですのですから。

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by dryangle | 2014-01-23 11:08 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自分という名の信念
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


誰もが、その場や相手に対して(また集団の中で)
ほぼ無意識のうちに、周囲や生育過程の体験で学んだ
それにふさわしい自分を選択して演じます。

意識にないということは、もはや反応として。

私事ですが、思春期には相手によって自分を演じ
分ける自分
に違和感を覚え、許せなくも感じました。
シンドかった~^^;
人によっては、それが不得手がゆえに悩みとなる
こともありますよね。

けれど、それはそれでごく自然なこと。
すべては確立された自分による心の反応
自分の維持と防御のためのシステムなのですから。

とはいえ、いつの間にか周囲に誰もいない
一人の時ですら「あるべき自分(役割)」を
演じ続けるようになります。

これがイキイキとした喜びを生むなら、ともかく
感情・思考・行為のすべてが過敏といえるまでに
「あるべき、すべき、したい、せざるを得ない、など」の
プレッシャーとして通常作動しているとなると
もはや強迫といえるのではないでしょうか?

大海原や星空を見つめ、「自分を脱いだ」刹那の
解放感を知った時から、その状態を忘却し
自分を、役割を、演じ続けることが苦しみの
本源ではないか?
と考えるようになりました。

周囲の出来事がシンドイ
他者とのトラブルがシンドイ
身体がシンドイ
恐れや不安、焦りや憤りがシンドイ
マンネリがシンドイ

もはや信念ともなった自分を演じ続ける人は、やはり
無意識に物事や他者にも一定の反応を期待/強要しがち。

連綿と続くこういった関係性が苦しみを生む出来事の
温床となっているようです。
好きな言葉ではないのですが、こういった連続性を
カルマとも呼ぶのかも知れません。

最近漠然と、そういったすべてをキャラごと手放す
ことが可能(必要?)だと感じています。

そのためには、自動的な反応となった自我の演出に
今その都度、気づいていること
つまりそれと距離を置いた別の視点を得ることが
一つの道かと思います。

今頭に浮かんでいるその思考も自動反応かもよ!
自作自演なのかも知れない?
ぜひそんな風に意識の目を向けてみてください。

夢の中で、眠りから覚めようとするあの感覚です^^

しばらく自分(の考え方、感じ方)と距離を置いてみる。

幻想はそれと見抜くだけでいいのですから。

表面の形式や行為ではなく根底の反応が変われば
結果が変わります。

…あ!、前回の続きじゃなくなってしまった^^;
影(シャドウ)も自我の一部ですが、またあらためて。

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by dryangle | 2014-01-17 10:07 | ココロのカラクリ | Comments(0)

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