金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


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心の武装解除~対立の構造を崩す~
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


このブログの最初の頃「ヤマアラシになっていませんか?
というトピックを書かせていただきました。
最近になって読み返したのですが、自分の鎧の重さに
疲弊する
人はなお増えているのではないでしょうか?

…という自分もいまだに習性としてのそれを痛感します。

反射的に自己防衛をしてしまうことに意識的でいる
ということがつくづく大切だと思います。

「あ、やっちゃった^^;」と気づくことが第一歩なのです。
その姿勢については、いろいろな方法論がありますが

認知療法で有名なディビッド・D・バーンズ氏の著書にある
批判に対処するための武装解除法」をご存知でしょうか?

・相手の言い分がどんなに不当であっても、その中から
一片の共感できる部分を見つけ出し、積極的に同意する
・相手を攻撃せず、自己弁護をしないようにする。
・勇気をもって真実を認め、真実のみを話す

…ざっとこのような内容だったと思いますが

つきまとうのは、意地や悔しさ、恐れや不安の感情。
それがまったく同じ構造によって相手を批判的、攻撃的
させているのです。

自分にできるのは自分の側のテンションを下げること

自分が武装解除(防御・攻撃しない)することによって
相手のそれを緩めることができます。

それにより対立の構造が崩れていくことで
双方が有益に話を展開できるようになります。

人によって(ワタシに)は難行苦行ですが、見抜くべきものこそは
やはり自分の心の壁なのだと実感するのです。

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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by dryangle | 2014-04-21 08:29 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
謝罪の品格
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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「ごめんなさい」の本質―その謝罪は誰のため?

失敗や不正をしてしまった時、どうあるか?
その姿勢にその人の人となりばかりか、幼い頃その人に
養育者がどう接したのか?が丸見えになります。

この時まず反射的に相手を心配する」人と
自分を心配する」人とザックリ分かれます。

とっさに相手の痛みを心配できる人は、口ばかりの
謝罪よりも相手を癒す言葉や行動を選びます。

これに対して、異常なまでに過敏に自分を守る反応
示す人がいます。

この場合、受け手はまったく救いになら(癒され)ない
ばかりか、むしろ不快感が残るのです
個人的な経験からその反応の理由を推察してみました。

絶対に謝らない、逆ギレする人
罵り、体罰、なにかを取り上げられるなど
上位の力による制裁を受けてきた。
「過ちを認める=罰を被る=酷い目にあう」という
前提がある。反抗や攻撃が最大の防御。

一応の謝罪、大半は自己弁護の人
失敗や不当性・不合理を、論理・理屈などを用いて
責められてきた。チマチマ、ネチネチした嫌味。
正当性や法制度の力で対抗しようとする。

降伏、オオゲサな謝罪の人
不機嫌や動揺といった感情的な反応で責められた。
しばらく口をきいてもらえないなどの拒絶。見捨てられる。
自分を明け渡すことで守ろうとする。

それらの傾向性は混合している場合も多いですが
些細なことを理不尽なまでに許してもらえなかったという
経験を積んでいるのはすべてに共通しているようです。
このため、そのような人にとって謝罪(する/しない)ということの
本質は自分を守る道具でしかない
のかも知れません。

こういった人は、他者の過失に対して「されたように」
やはり反応的に呵責する傾向があります。
加害者と被害者が同じレベルで向き合うと泥沼に…^^;

以前話題になったS氏(その名声をまったくもって知りませんでしたが)
の謝罪会見をネットで部分的に見ました。

謝罪会見?弁明会見?宣戦布告会見?
いやはや…

あなたは傷つけてしまった相手の側に意識を向けて
素直に、そして誠実に「ごめんなさい」がいえますか?

…いいえ。ワタシは言えませんでした(涙笑)

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by dryangle | 2014-04-07 09:50 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
言葉に潜む心の深層
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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For whose own good?

以前、「~させる」という言葉に背反する2つの意味があり
使い手によってその深層に真逆の違いがあるというトピック
書かせていただきました。

不思議なものですが、本人は曖昧に使っているようでいて
受け手は「その本心/意図」を少なからず受けとっています。

相手が「アナタ(誰か)のために」と言っていながら
こちら側はなんだか、うーん。嬉しくない、モヤモヤする。
…なんてことを感じることがありますよね?

それは相手のコントロールを感じるから。

幼少から、そうされるのが当たり前になってしまっている
人は、自分もそうするのが当たり前になっています。

個人的に最近思い出した言葉に「~(し)なさい」があります。

もちろん単純には上位者からの命令形の言葉づかいですが
よくあるのが、下位者(とくに子ども)の求めや自発/意図に対して
けっしてそれを尊重して同意するのではなく、その返答を
許可/命令にすり替える使い方です。
決定権が上位者にある
ことを誇示し、刷り込んでいく
効果があるように思います。

「あっ、これ欲しかったんだ!」
「買いなさいよ(もちろん自分で)」

言葉の使い手の心の内にコントロールの気持ちがさらさらなく
慣用として発しているのかも知れませんが

深層に自分の決定権(干渉)を認めさせる気持ちがあれば
それはそのまま伝わっていきます。

自分で「買い物をする」「ナニカを選択する」「決めて行動する」
そんな時に、なぜか誰かの同意や保証、許可、強制が欲しい
ような気がするのはこのためです。

買い物だけではなく、あらゆる物事や行動についてそれはいえます。

「○×が行くなら」
「○×がイイって言うなら」
「○×がよければ」

「主人に聞いてみないと」
↑これは決定権が他にあることをウマく利用している?(爆)

洗脳というにはオオゲサですが、心配する親心が干渉となり
ゆくゆくは肝心な本人の自由な意思決定の能力やその醍醐味
(生の実感)を奪ってしまう
危険性があるように感じます。

日常のなにげない言葉にも、その使い手の意図があり
間接的にもじわじわ、しかもしっかり受け手に影響している
という現実を感じずにはいられません。

あなたは、気楽に、自由に意思決定ができていますか?
誰かのそれに干渉したり、誰かに関わることを独断で
決めたりはしていませんか?

しばらくの間、自分の言葉や他者の言葉への反応に
注意を払ってみてください^^

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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by dryangle | 2014-04-02 08:42 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り