金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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"自分"に疲れていません?
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大逆転サヨナラ笑顔?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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じつは時々自分でもどちらが本当かわからなくなるのですが…
話半分、興味半分で想像してみてくださいね^^

今この瞬間
今ここ
今でしょ!

昨今ブームの「今にある」こと。

思考にとらわれることの苦しみに気づき、瞑想などを
始めた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?

この感覚、発想を変えてみると面白いというか
逆転させてしまった時に気づくことがあります
(個人的にはたんなる経験でしたが)。

「今ここ」こそが自分本体で、私という概念や主観
体感の方が部分であると。


そうすると、「今ここ」がどれほど私という部分に乗っ取られ
ふり回されているかを実感します。

「今ここ」目線だと、自分ってけっこうヤッカイ、けれど
気づくとイトオシイものだったりします。

ネットで高校野球の石川大会の決勝戦で0-8の土壇場に臨む
星稜高校の球児の笑顔を知り、まぶしくて惹きつけられたのですが
彼らの奇跡のサヨナラ勝ちは本体が自分を制した感があります。

自分(部分)だったら「(今ここ)その場」できっと笑顔になれない
誰もがそう思ったのではないでしょうか?

でも彼らは笑顔で「(今ここ)その場」に立ちました。

「今ここその場」目線で自分(部分)に微笑みかければ
自分(部分)が笑顔になり、「今ここ」が(当人にとって
笑顔の場になる。

うーん^^; うまく説明できていないようでゴメンナサイ。

苦労というキャラを自分や周囲に背負わせているとシンドイよ
取り寄せ放題の苦労を現実に背負ってしまうよ

そんなカラクリを説明したかったように思います。
またもう少しウマイ説明を考えてみますね。

ぜひ必笑でいきましょう^^

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by dryangle | 2014-07-30 11:46 | ココロと思想 | Comments(0)
ハラスメントのハラハラ
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~「ダメ出し」や「迷惑」はハラスメントなのか?~

パワハラ、モラハラ、セクハラ、最近では○○ハラという言葉が
出回るようになりました。

「家事ハラ」という言葉を知り、いわゆる「嫁いびり」の一環?
と思いきや…じつはそうではなく妻から家事をする夫への
「ダメ出し」が家事ハラなのだとか!?

うーん、心当たりもあるような…^^;

さらには「スメルハラスメント」という言葉まであるそうで
(日本のスメハラ、国外でも話題になっていますよ^^;)。

ハラスメントという言葉は、悩ますこと、嫌がらせという
意味に翻訳されます。

もともとその語源に「犬をけしかける」という意味があるといわれる
harassという言葉には、積極的な意図を感じます。

公的な定義となると国や地域、機関でさまざまなようです。
(あくまでざっと読んでみただけですが)

アメリカでは「意図的」「継続的」「体系的」といった言葉が
目立ち、行為について数々具体的に挙げられています。

イギリスでは受け手が望まない行為であり、ハラッサー
(加害者)
の「動機や意図は重要ではない」とされるそうです。

日本では、言葉が俗語として一般化された上で
受け手が不快に感じる/望まないあり方・行為という定義が
拡大解釈され独り歩きし出している印象を受けます。

A:「お前のそのニヤニヤした顔が不愉快なんだよっ!」(不快に感じる)
B:「虫の居所悪いのかな?ま、いっか。」(気にならない)

とっさに思いついた例なのですが、上の状況だとBがハラッサー
なるということなのでしょうか?

もとより意図は立証しにくいものですが、受け手が不快感を
覚える対象や程度も多様で規定しにくいものだと思います。

故意ではないそれが、他人を不快にしたり、迷惑であるという
理由からハラスメントと断罪されることについては、なんだか
モヤモヤすると同時にハラハラしたりもしますね。

人々の被害者意識や加害者意識がハラスメントの意味や言葉の
使い方をむやみに押し広げている気がしてならないのです。

皆さんはどう思われますか?

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by dryangle | 2014-07-17 11:11 | ココロと社会 | Comments(0)
自分(と思っているモノ)と距離を置いてみる。
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We are dominated by everything with which our self becomes identified.
(Roberto Assagioli)
私たちは自己が同一化しているすべてのものに支配される。

トランスパーソナル心理学の代表的な心理学者、またバイオシンセシスの
創始者として知られるロベルト・アサジョ―リの言葉です。

思い浮かぶ例としては…例えば「日本人」というアイデンティティ。

自分=日本人=自分までに自分がそれと同一化してしまうと
まったく関係のないところでも日本(人)が侮辱されようものなら
私(自分)が動揺したり、憤ったり、傷ついたり。

まさしく「日本人であること」に支配されてしまうのです。

たしかに日本人のカテゴリーには入るけれど、それは自分の一部に過ぎず
けっして全てではないですよね。
(もちろん時代柄、「ほぼすべて」といった人もいたことでしょう)
ましてや「日本人はすべて自分」ということはあり得ません。

女性であること。母親であること。妻であること。△△という信仰を持つこと。
○○(親や家)の娘であること。××(職業や肩書)であること。
□□(組織や集団)に属していること。

また努力家や苦労人であること。頼りになる人、しっかりした人であること。
反対に、不運な人、なにもかもうまくいかない人であること。
といった自己イメージ

さまざまにあるアイデンティティのどれかに過剰に自己同一化してしまうこと
により、「そうあること」に振り回され、苦悩を生みだすのだとアサジョ―リは
考えたようです。

冒頭の言葉にふれた時、じつは個人的にはけっこうガツンときました。

たしかに私の問題は「そういう私であること」に縛られることから
起きているんだな~!!と。

そして脱同一化(disidentification)こそが、そこから抜け出る方法だと
アサジョ―リは言います。

それは「日本人」の例でいえば

私は日本人であるけれど(というラベルや個性を持つけれど)
私がすべて日本人(ラベルや個性そのもの)であるわけではない。

こんな言葉によって、自分から日本人をペラッと剥いでみる

私は母親であるけれど
私がすべて母親であるわけではない。

(英文では、I have feelings and emotions, but I am not my feelings and emotions.
のようにhaveとamによって区別をつけます。)
ニュアンスが伝わるでしょうか?^^;

日本人を剥いでも、母親を剥いでも、すべて剥ぎ落しても
やっぱり私は今ここにいますよね。

こんな言葉が自分の緊張を解きほぐすための良いツールになるかも
知れません。
行き詰ったら、自分が何に固着しているのかに目を向けてみませんか?

イソップ童話のカラスのようにいろいろな鳥の羽を探して
たくさん身につけてみても…
そんなオシャレもけっして自分の本質ではありません。

I am I, a centre of pure self-consciousness and of will.
本当の私は何者でもない、たんに私という意識そのものなのです。

参考:The Disidentification Exercise

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by dryangle | 2014-07-04 14:01 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り