金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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"自分"に疲れていません?
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心の共振現象?
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
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心理的な癒着だの、依存だの、イメージとしては理解できるけれども
実際にはどんなメカニズムなのだろう?なぜそれが起こるのだろう?

認知科学的な感じ方のクセなのだという説明は、理解しているつもり
なのですが、似た物事に対してもポジティブな印象を持つ時となぜか
ネガティブな気持ちになる時があるということがあります。
物事や状況、そして自分も当然その時々千差万別だからということで
納得してきたのですが、そこの関係性のメカニズムがつかみきれない。
どうにも釈然としない…なぜ?

気がつくとそんな問いかけを頭の中でグルグルと繰り返していた昨今
たまたま多分中学くらいの物理の実験でやりそうな共振や共鳴の実験
を見かけました。

物体の持つ固有振動数と同じ振動を外部から受けると大きく振動する
現象を共振(音であれば共鳴)という。


???…!!!

心というか、認知や感情の反応の微細なレベルでの現象としては
わりかしそんなカンジ?、もしかしたらエネルギー量子次元の話?
(いや、電波とか波動とかいうジャンルは食わず嫌いなんだよな…^^;)

むしろ。
その個性や性格、性分をその時々変化に共振する固有振動数の種類の
習性パターンだと考えてみたら?

一般には楽しいと思われる状況で、楽しさや喜びを感じられない自分。
それがその振動数を持ち合わせていないから、状況に共振ができない
のだと考えると、妙に腑に落ちたのです。

半面、負の思考傾向や感情の反応の振動数は多彩に持ち合わせている
記憶に刻まれている。

その人その人、これまで出会った人や状況という経験から刻んできた
ものは、それぞれに異なるでしょう。

とくに人と人の心理的な癒着関係ともなると
負の振動数で強く共振し合うことで心の取引関係を結ぶ

これらを変える、絶つための、もしくは共振しないためのアイデアを
考えていきたいと思います。

仏教的には? 因=固有振動数、縁=外部の同じ振動数、果=共振・共鳴
自分の因を変えない限り、縁を切ってもまた似た縁と結び果は変わらない?

…そんなことを思いつくままに書いてみました^^

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
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by dryangle | 2016-08-30 12:39 | ココロと思想 | Comments(5)
それを愛と呼ぶな!(2)
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~ひっついたものを剥がすのはイタイ!~

…前回からの続きです。

当然ですが、もともと相互にあった癒着を一方的に解消
することは困難です。
子どもの反抗期はそのためにも訪れますが、理解せずに
圧力で支配したり、無視したり、脅迫したり、甘やかしたり
さらには恩を着せたり、弱者や被害者を装ってひっつきます

そうなると前回の話とは反対に、親や誰かの癒着という
エネルギーから離れようと、闇雲にもがく側が自分自身
や誰かを傷つけてしまう
ことが起こります。

恐れや罪悪感に苛まれ、本心を無自覚に封じ込める内に
(親や相手への)過剰適応がその限度を超えてしまう
目に見えるような暴力はもちろん、それさえ叶わないと
なれば、摂食障害や自傷のような自己処罰、体の痛みや
不調(心身症)、肥満、精神疾患、各種の依存症など…
さまざまな問題となって表面化します。

もしそのような心当たりのある方は、自分が誰かの期待や
価値観、信念(こうあるべき)、また劣等感による発散の
ダメ出しを、不本意に、無抵抗に、さらには能力以上に
背負い込んではいないか?
自分が心の中で誰かが牛耳る傀儡として生きていないか?
を考えてみてください
(その誰かがすでに現実に存在しなくなっていてもです)。

自分の心のエリア内において、相手の、何より自分自身の
癒着断ち切るのです。平たくいえば、自分の本音・本心を
探し出し、それを裏切るような我慢をするのをやめる
これだけでも「自分の問題」はかなり軽減するはずです。

社会では、この癒着による押しつけ(しつけ)、またそれに
順応することが、いまだに愛や孝行だと正当化されます。

その想いに応えきることを英雄視する風潮もまだ存在します。
正直、私も他者の癒着を自分の本意達成の励みへと昇華させる
ことのできた人への憧憬を禁じ得ません。
金メダリストや成功者への称賛の意味も、ひとえにそこにあるかと思います
癒着する人は国民とか日本の栄誉とか手柄を自分や皆のモノのように語りますね)。

さらに癒着に絡む負の問題や事件に対して、まだまだその癒着
「子ども(相手)のためを思って」とか「愛しているからこそ」の
行き過ぎなどといった説明がされがちです。

それを愛と呼ぶな!…それを愛だと誤解しないで。

互いが、自分の本意を、自分自身によって生きるようになって
初めて癒着は切り離されます。
その上で、見返りなしに相手の本意を支援しようとする気持ち。

それが本当のならば、その人自身が自分の本意を生きるための
喜びや感謝のエネルギーになるはず
なのです。

子離れや空の巣症候群に苦しむお母さんは、この癒着の問題を構造的に考え
理解してみることを強くオススメします^^
よくあるアドヴァイスの「他に生きがいを見つけましょう」では、さすがに
強い癒着を断つにはチカラ不足のこともありしますから。
絆創膏ではありませんが、イッキに剥がすか、ゆっくりと剥がすか。痛みは
それなりにありますが、不必要なものは剥がすとスッキリしますよ。

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by dryangle | 2016-08-24 14:25 | ココロのカラクリ | Comments(0)
それを愛と呼ぶな!(1)
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~絆と癒着。表裏一体の恐ろしさ~

前回まで依存と表現してきた心(脳の働き)の様相を
その対象を人間関係に特化して考えてみましょう。

共依存という概念の理解も進んでいますが、ここでは
癒着という言葉を使ってみるとわかりやすいと思います
(仏教的な執着やそれが生み出す煩悩にも共通します)。

傷口や病巣がヘンに癒着した(ひっついちゃった)の癒着

この言葉は心理学においても使われています。
おもにアイデンティティ(自己認識、自分らしさ、自分という
感覚や価値観とそれによる思考や感情的な反応…)の癒着

相手の状況や感情を自分のものとして感じ扱う。

これは子育てにおいては、子どもの自我が未発達な時期に
子どもの愛着(安心できる)対象となり、情緒的に反応し
子どもを育むために機能します。
先に身体は分離したものの、その身体が成長を遂げるまで
精神的には子が自我を確立するまで、親子は良くも悪くも
相互に癒着します。

はなからこの関係を築けない問題を愛着の障害と呼びます。
逆に子どもの成長段階に合わせて、この癒着を切り離して
いくことができない
ことが問題となることもあります。
そこに自分の存在の実感や価値を見出していればなおさら。

毒親と言われるのは、まず愛着関係を拒絶した親ですが
関係を癒着したままに持ち込む親の過干渉なども含みます。
むしろ一般にはこちらの問題の方が多いかも知れません。

親の側の癒着の気持ち(自己同化とも言い換えられます)が
強過ぎる上に、主従(依存)関係を形成してしまうことで

子どもを自分の傀儡にしてしまうのです。
傀儡(かいらい)とは、
あやつり人形。転じて人の手先となって
思いのままに使われる者の意


そこには、自分の過去の挫折体験や達成欲求による期待
自身の劣等感の発散、そのためのダイレクトな支配欲など
根となる原因や程度もさまざまありますが、程度が強いほど
それに反したり、そこから離れようとする相手に対して

許せなさ(心の激痛)を感じ、激しく妨害したり
酷く責めたり、執拗にまとわりつくことになります。


これはストーカー問題など、他人同士でも起こりますよね。
愛着の障害(愛情飢餓)のある人は関係の近い他者に激しく癒着しがちですし、話題の
エナジーヴァンパイア(エネルギー泥棒)は相手の癒着を断てない弱みにつけこみます。


相手(や八つ当たりの対象)を傷つけたり、誰かを死に
追い込むまでにエスカレートする
可能性も否定できません。

…(2)へ続きます。

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by dryangle | 2016-08-24 14:12 | ココロのカラクリ | Comments(0)
そのヤル気の正体は意欲?依存?
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個人的に、ふと気づいて愕然としたことの中に
「したい」ことと、「しなければいけない」ことの
区別がついていなかったということがあります。

「買い物に行きたい」「買い物に行かなきゃ」
「美容院に行きたい」「美容院に行かなきゃ」
「ご飯食べたい」「ご飯食べなきゃ」
「寝たい、眠い」「寝なきゃ」
「お礼をしたい」「お礼をしなきゃ」
「お盆玉あげたい」「お盆玉あげなきゃ」(時事ネタw)

たんに言葉上の違いと思いきや、じつは心の中の
気持ちにも明らかな違いが存在します。

純粋な欲求や意欲
義務感や自分を急き立てる気持ち

言葉の曖昧さとは対照的に、①の好ましい気持ちと
②の少々不快な気持ちの種類はまったく異なるものです。

私は、①の気持ちで「~したい」というのはなぜだか
どこか気が引けるのか「~しなきゃ」と言ってみたり
一方で②の気持ちでも「~したい」と言っていました。

皆さんも、けっこう曖昧に使ってはいませんか?

この②の不快な気持ちは、いわば強迫に近いものだと
考えています。
その行為(のもたらす結果)に依存している場合
それが叶わない時に起こる不快な感情反応です。

依存の禁断(離脱)症状 ≒ 強迫(観念や感情)

案外多いのが、他者の承認(を得るために内面化した
偽の自己承認に依存している場合で、その達成まで
不快感や焦燥感(罪悪感、劣等感、恥、許せなさ)に
急かされます。

…私のヤル気はもしかして強迫?

言葉使いの曖昧さに気づいた時と同時に、なんと①の
気持ちを忘れかけていることに愕然としたのです。

そして②の気持ち(強迫)が、①の気持ち(意欲)を
だんだんと殺していく?とさえ感じました。

それ以降「~したい」という言葉が出てきたときには
それがワクワクするような意欲なのか、そうでないのか
ハッキリと認識し、言葉を区別するようにしています。

純粋な欲求や意欲を感じることができていますか?
それを「~したい」と区別して表現ができますか?

(通常「強迫」は、報酬とは逆の罰や痛みを怖れる場合の反応ですので
承認を得るための負の条件づけがいちいち仕込まれているのでしょう)

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by dryangle | 2016-08-17 20:32 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り