金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
by dryangle
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Carpe Diem
自分を生きることに
疲れてしまったら…
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”忖度”にまつわるエトセトラ
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
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年末に今年のキーワードになりそうなほどにいきなり
日の目を見た”忖度(そんたく)”という言葉。

意味はズバリ「他人の気持ちを推し量ること」。

問題の本質は忖度のアルナシというよりも、その忖度
によって「なにが行われたか?」
であるはずですが
ここはあえて”忖度”にひっかかってみようと思います。

というのも、私達日本人の育った文化背景にあっては

他人の気持ちを推し量る(他者が同調の複数人の場合
には「空気を読む」)ことは、もはや必須技能にさえ
なっているからです。

どこかで、親や教育者の期待や要求をいち早く忖度し
応える能力を持った子供と良い子を定義しているのを
見かけました。
落ちこぼれ良い子の私としては、それが保身の大前提
となっていない人が存在するということ自体に今さら
軽いショックを受けたりしています。

同じタイミングで目にしたのが、外発性と内発性という
言葉です。

簡単な説明ですが。外発性は外的な刺激・環境によって
そうなるさま、内発性は外からの働きかけによらず内部
から自然に起こるさま、ということだそうです。

思いやりが純粋な内発性によるものだとすれば、”忖度”
とは、外発性によるものを内発性によることにして体裁
を整える
ことではないか?などと皮肉りたくなります。

なぜ?という理由で、真っ先に思い浮かぶことといえば
コントロールや支配の存在を表ざまから隠すために。

いきなり心の問題に結びつけるようなのですが…^^;

鬱を患う原因は「自分を生きていない、生きられない
ことだと言われます。
もはや依存的・強迫的に忖度によって自己を決めること
しかできなくなってしまったのではないでしょうか?

もともと自分を守るためにと身につけざるを得なかった
術(すべ)が自分を押し殺す、ここにも残酷なカラクリ
があるように思えてならないのです。

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# by dryangle | 2017-03-30 10:28 | ココロと社会 | Comments(0)
「不安依存症(不安中毒)」という発想
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前々から一度整理して書き残しておきたいと思っていたことに
チャレンジしてみようかと思います。
どうかあくまでごく私的・個人的な体験としてお読みください^^
(感覚が符合する方には苦しみの根を外在化できる素材となるかも知れません)

過去に苦しんでいたことに、今となっては全般性不安障害(GAD)
や強迫神経症の一部、パニック障害などと診断されそうな症状が
ありました。

ちょっとしたミスやそれを想像するだけで、不相応の恐怖感
(よく例えていたのが、”高層ビルの屋上の手すりのない縁に
立っていて急に背中を押された瞬間に起こりそうな感覚”です)
がわき起こる。決して”ドキッとする”程度のものではない。

「(玄関や車の)鍵を閉め忘れたんじゃ?」はもちろんのこと
「締め切りを忘れたんじゃ?」「書類にミスがあるんじゃ?」
「大切なことを言い忘れたんじゃ?」「支払いの間違い?」
「この人不機嫌?ワタシのせい?」「誰かに見咎められる?」
…いちいちフリーズ。

森田療法でいう ”はからい(回避のための消極的行動)”に
とりつかれていたこともありました。

「こんな時間にまだ帰宅しない?」「連絡が来ない」などの
家族に関する状況に至っては、聞こえるほどまでに鼓動が
高鳴り、冷や汗タラタラ、過呼吸に、チック症状etc…
まさに発作といえるような状態に陥ります。
(それ自体で「自分が死ぬのではないか?」とは、恐れたことがないのが
不思議なのですが。そういうケースもあるのでしょうか?)


後者については、親への分離不安の名残なのではないか?と
認識できた頃から、少しはラクになってはきていたのですが
トラウマ反応にしては、トリガーが曖昧かつ広範囲で掴めず
予防や危機回避のためにしては、度を越している不安症状。
客観的に一応は恵まれている環境にあって、いちいちオドオド
ビクビク不安に暮らす毎日にウンザリしていました。

そんな私にとって、大きな転換となったのは「これ(不安や強迫)
も依存症だと考えてみたらどうか?
」と思いついた時でした。

とたんに、幼い頃の記憶がズルズルと芋づる式に引き出されて
その時の感情と共に恐ろしいほどストンと理解できたのです。

喜びや楽しみを禁じられてきた。

説明すると長くなりますが、期待するとひどくガッカリさせられ
喜ぶと親が不機嫌になって、嫌みや皮肉をネチネチ浴びせられて
喜んではイケナイ”というメッセージが強烈に焼きついています。

親との関係において、自分の心が味わうことのできたせめてもの
快感
さんざん不安にさせられてからの日常に戻る安堵感

ああ、もう殴られない。DVを受けたた方ならピンとくるであろう
”ようやく嵐が去った” …あのホッとする感じです。

もしかして?

そのクセとなった安堵感を求めて
自ら習慣的に不安感情に耽っている?


仮説としてだけでも、十分に腑に落ちたような気がしました。
(とくに就学前一人で留守番=置き去り?にされる時に、”喜んで自由にふるまっては
イケナイ、心配して大人しく待っていろ”という暗示にも似た思い込みがありました。
少し大きくなったら、遊ばせておくのはモッタイナイと山ほどの家事。)


その後、そのような自分の状態に陥った時に変化がありました。
これも一種の依存症状なのだと、突き放して(距離を置いて)
みることができるようになったのです。

妄想への不安に耽溺しているだけ…ただそれだけのこと。

不安の苦しみや痛みが増す前にそう気づくことで、だんだんと
ラクになり、「あれ?ダイジョウブだ!」ということも増え…

今でもウッカリすると巻き込まれそうになりますが、まったく
不可能のように感じていた、”不安断ち”が叶うことの実感を
得ることができたように思います。

ちなみにコールドターキー*は、喜びや楽しみに目が向くこと
への恐れ
のように思います。
次に待ち受ける課題はそれを乗り切ることでしょうか(泣)

「オラ、こんな親はイヤだ(った)~」

*禁断症状、離脱症状のスラング

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# by dryangle | 2017-03-26 19:37 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「自分殺し」をやめる。
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不本意なことに従うとき
力や多数の圧力に迎合するとき
理不尽なことに屈服するとき
相手に譲ってあきらめるとき

「自分を殺して」という慣用句があります。

それが自分の真の納得や喜びにつながらない場合
そのように「したこと/できなかったこと」よりも
自分の本心を表明しなかったこと、またそれ以前に
自分の本心や意志を自分が認めようとしないこと
自分の心を殺すのです。

シリアスではないごく単純に「どちらが良いか?」
という選択の場面で、あっさり自分を殺すことも
あります。

自分が良いと認識していることが、自分を見せたい
相手の好みや、評価、価値観によるもの
だったり
することがままあるのです。

誰々が
好きそう(嫌いそう)
褒められそう(批判されそう)
羨ましがりそう(馬鹿にしそう)
喜ばれそう(悲しませそう)
誰々と一緒(違う)

○○だと見られそう、オーソドックス、無難そう…

そんな動機が、もし一番の基準であるとしたなら
それはやっぱり、遠回しに自分を殺しています

物だけではなく、考え方や感じ方、行動まで
そのような他者基準が当たり前になってしまい
自分が自分の心をネグレクトし続けている

心の不調に及びます。

もともとは誰かに、自分の気持ちの存在を無視され
否定され(続け)たのかも知れません。
とはいえ、いずれ自分自身が、自分の気持ちを無視し
押し殺すことが
心の致命傷になっていくのです。

心身ともに追い詰めていくことにもなりまねません。

その前に、自分の心の中の他人目線に気づくこと。
その基準よりも、自分の好き/嫌いやしたい/したくない
をしっかり感じること。

「私だって(…したいのに、欲しいのに、我慢してるのに
ガンバっているのに)」「フツウ、ミンナそうしているのに」
というような、心のつぶやきを
"イラッ、ムカッ、モヤっ"というネガティヴな反応を
見逃さないで、丁寧に取り扱ってみてください。
その内圧は押し殺している本心の裏返しなのです。

自分の率直な本音を、まずは選択肢に加えることから
できるように、自分の本心に向き合って、対話をする
勇気を持ってみませんか?

自分の気持ちのあり方や、現実における他者との交渉
やコミュニケーションにも変化が起きるはずです。

心身ともに活きていく^^


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# by dryangle | 2017-03-25 16:20 | ココロの不調 | Comments(0)
世話焼き依存と真綿の支配
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心の不調や人間関係のトラブルを巡る問題の周辺には
必ずと言っていいほど存在するあるタイプの人がいます。

最近では、おもに(母)親にこのタイプが多いことが理由で
不安症状やさまざまな依存症状、また精神的に自立できない
成人の娘や息子の話題が一般にも聞こえるようになりました。

それは、自分を後回しにして家族や他者のために尽くす
これまでは良き妻、良き母とされてきたロールタイプ

子どもが巣立ち、家族それぞれの役割が変化を遂げた後に
ボランティアやペットの世話など、誰かの役に立つ仕事
得られないと空の巣症候群に陥る世話焼き依存の人です。

言い換えると
誰かに必要とされることに(自分の存在価値を)依存
するようになってしまった人。

この人たちのデフォルトは、今はよく知られるようになった
自己無価値感。つまり相手に奉仕しないと自分は愛されない
認められないという苦しみ、不安感です。

その不安が高じることで、ついには相手の求めていないこと
まで
気を回したり、自己犠牲という媚薬に酔いしれるように
なったりするのです。

人間関係嗜好への依存症の人だといえます。

もともとアルコール依存症関連の言葉が共依存の関係構造の
説明に使われるようになったもので、その世話焼きが相手の
問題や依存を助長したり、その状態を支えてしまう
人のことを
イネーブラーと呼びます。

子育ての場合には、過干渉となることで子どもの意欲の発達や
主体性の獲得などを阻む
ことになりかねません。

なによりありのままの弱くて、未熟で、期待に応えられない
自分ではいけないという自己無価値観がリプリントされます。

他人軸
(による劣等感や罪悪感、及び被害妄想)に左右され
素直な自分を生きられない、操り人形のような自分に苦しむ
ようになることも(実体験)。

他者の期待の中に自分の存在価値を探さなければならない
次の世話焼き依存症予備軍なのです。

『世話好きな人は、単に優しい人なのではない。相手を自分に
依存させ、自分が重要な人物であることを実感したいのだ。』
by アルフレッド・アドラー


これまで、とくに女性に求められてきた役割やあり方の中に
この構造が見え隠れするように感じられてなりません。

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# by dryangle | 2017-03-05 19:39 | ココロの不調 | Comments(0)
~し”づらさ”は、生き”辛さ”
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今回は日常の些細なことに目を向けてみましょう。
それは、何気ないふとした「~しづらさ」です。

言い換えると、気がねや遠慮、気後れ、ためらい
そして、とまどい、根拠のない後ろめたさ…
人によってさまざまに異なるでしょうが

例えば、かつての私なら

自分の意見を言いづらい
人前で泣きづらい
フェミニンなものを選びづらい
ある価格以上のものを買いづらい
大皿の料理に手を伸ばしづらい
誰か(家族)がいるとリラックスしづらい
誰かがいるとバスルームを使いづらい
他者に依頼や要求をしづらい
欲しいものを手に入れづらい
重要な人に話しかけづらい
承認がないと物事を先に進めづらい
自分だけで好きなことをしづらい
それらの不自由さを自分で認めづらい

ほんの小さなことから大問題まで、たくさんあるある!
皆さんはいかがでしょうか?
これらを誰か(や自分)のための「やさしさや気づかい」
なのだと、綺麗ごとにすり替えることも
常識や理屈で正当化することもできますが
自分の気持ちは、決してそうではないことを
苦しいような窮屈さを知っている。

それは自分の心の中にある、恐れる誰かの目に見咎められ
射すくめられた時の反応です。

叩かれ慣れた子が、傍らの人が髪をかき上げようと手を
持ち上げるだけでビクッとするという類の条件反射

次の展開で、身体や心の痛みを受けるのではないかという
予期不安ともいえます。

叩かれる、怒鳴られる、咎められる、嘲られる、笑われる
叱られる、嫌みを言われる、不愉快になられる、卑下される

通常、ここまではハッキリと意識にのぼりませんし
実際には大方あり得ない、ナンセンスな場合も多いです。

大元のエピソードの記憶自体は、忘れ去れられ(埋め込まれ)
てしまっているので、のちに状況に合理的な感情として自ら
整理をすることができないまま
にいるのです。
これが「しつけ(内在化)」の手段として使われてきました。

察しの良い方はすでに気づいていらっしゃると思いますが

この~し”づらさ”の多さ・強さ
そのまま生き辛さの度合い」
なのです。

もしそれが自分にとって不都合な反応であるのだとしたら

その都度気づいて、(結果としてどうふるまうかは別にして
意識して自分で選択することができれば、緩めることができます。

ひとづつ丁寧に結び目をほどくように
気づいて、緩めて、ほどいて
ほんの少しづづでも、気楽に
生きやすくなっていってみてはどうでしょうか?

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# by dryangle | 2017-02-24 14:39 | ココロのカラクリ | Comments(0)
精神的依存からの卒業(共生関係を見直すプロセス)
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こちらで何度も話題にしてきた共依存という心に原因のある問題と
その言葉はかなり定着してきたように思います
以前の話題では心理的癒着という概念でお話しました)。

別な視点・言葉を使って共生関係とも言われますが、この見方で
考えてみると良くも悪くもこの関係性はそこここに見て取れます。

かねてから無意識のつながりの根拠とされている一つに、関係の
ある二人、もしくはグループが同一個人のようにふるまうという
事象があります。

一人が他者(相手)の主体が権限を持つはずの感情や思考、行為
などを自分ごとのように介入・決定・操作してしてしまう

これは親子関係の初期(子どもの自我が未分化の時期)において
当前のことなのですが、いつまでも子どもの自我・主体を切り離す
(尊重する)ことのないまま、人格が未分化のまま*に、主従関係
が常態になってしまうことで起こります。

直接的なやり取りだけでなく、顔色や空気を読むといった、非言語
コミュニケーションによっても意識の奥に構築されていきます。

不幸な場合*に、そのコントロールと不本意が葛藤することで起こる
神経症的な不安反応罪悪感や恐れ、癇癪や怒り、ショックや落ち込みなど。
親の威圧や発作的な暴力、苦労や奉仕アピールといった支配バリエーションによる
)に
揺さぶられ、ふり回され、結果として屈服してはその反応を強化し
(強迫的になっていき)ます。いずれ精神を病む可能性も高いです。
分離不安症状とも、精神分析でいう固着点への退行症状とも重なるように感じています。

「された」側は自分の感情や思考、行為を代行されてしまうことで
主体である自分(やその気持ち)がわからなくなる
この存在不安の穴埋めの(自己愛の不満を満たす)ため、強迫的に
自分や他人をコントロールする(面倒をみること、みられることに
依存する)相手を作り出すという連鎖が起こります。

つまり相補的に成り立つという意味での共生関係

たとえ親や当事者がいなくなっても、依存プログラム*がそのまま
削除されず(内面化して)残るために、同様の他者とも似たような
関係を繰り返しやすいのです。

ここで本来の自分を育てなおすという発想が生まれます。

(幼児のままでいる役割、もしくは内面化した親の役割に)
乗っ取られたままの自分を、自分で育て、自分として開放する。

心理的離乳や精神的自立というのは、親子関係(つまりは面倒をみる
・みられる役割)を卒業する
ということなのです。

卒業したうえで、思いやりによって必要な時に支え合えるのが成熟

自分の依存性、幼児性(愛情飢餓感、承認欲求や不安や孤独感が強い)
に気がついた(外側から見ることができた)時にこそ、自分解放の
プロセスのスタート。

個人的には、もっと早く苦しい依存プログラムから脱出したかったと
思うのです。
…いや、今でも時々
条件がそろうとつい「乗っ取られる」自分がいますが007.gif

*
母子カプセルとも呼ばれる。双方にとって居心地の良い場合も。
*これが日本文化として良い意味で「うまく」機能していたという考えもあります。
*ある分野ではンナーペアレンツ、インナーマザーの概念。

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# by dryangle | 2017-01-16 15:36 | ココロのカラクリ | Comments(1)
親からの宅配便(愛という名の脅迫状)
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新年初のトピックです。今年もどうぞヨロシク!

時節柄、話題としても見聞きすることが増える
ズバリ「いらない贈り(送り)物」。
時には、処分に困る物、ゴミまがいの物まである
個人的にもずっと悩まされてきたこの仕送り問題

仕送り-生活や勉学を助けるため、金や品物を送ってやること。
またその金品。

問題となるのはそれが、思いやりとは真逆の

こちらの求めることや欲しい物ではなく
したいことを、したい時に
送りたい物を送りたい時に
こちらの都合や、気持ちを完全無視して
送りつけられる

文字通り、気の重くなるお荷物だからなのです。

「困る、いらない」と言えない心の弱さにつけ込み
たとえ勇気を出して訴えてみても、一方的な正当化の
屁理屈で却下されます。

余った物や捨てられない物の不用品処理係にされている
場合すらあります。

罪悪感など負の気持ちを転嫁されたり、さらには感謝や
見返りを要求されるなど、こちら側の気持ちが一方的に
搾取されている
のです。

「受け取るのが孝行」「感謝の気持ちがない」
「心が狭い」「親の気持ちをわかってやれ」とか
こちらの気持ちを理解しない世間も追い詰めます。

以前の記事にエモーショナルブラックメールについて
書かせていただきましたが、自分の側の条件反応に
気づくため
にも、新しい受け取り(解釈の仕)方の
ヒントになるある側面についてのお話です。

それは「ペットのエサやり」との共通性。

ペットに、その適量ではなく(自分の)食べさせたいだけ
エサやオヤツを与える人っていますよね。
「カワイイ、カワイイ」って。そしてむやみに太らせる。
ペットは動きづらくなり、ストレスもたまるでしょうし
いずれ循環器系の病気などで苦しむんです。

「カワイイから、可哀そうだから」とエサを与える一方で
相手主体の、その影響や行く末にはまるで関心がない

見返りは、自己満足

…個人的に、これは強迫への「はからい*」に近いものだと
考えるようになりました。

弱きもの(自分より下位と認識したもの)に対して
自分自身の飢餓感や恐れ、脆弱さなどを投影してしまい
(強い不安にかられ決めた通りに干渉、自分の優位性や効力感を確認するために)
そのように反応してしまう強迫行為だと理解してみる。

他者への過剰な、異常な、干渉は強迫行為
(精神分析的には、甘えなどを抑圧した反動形成といえるかも知れません
供依存のイネーブリングもこの構造だと思います)

そう考えることで、こちら側も負の条件反応につながる
認識とは異なる外側の視点で解釈することができるのでは
ないでしょうか?

その人が押しつけて(またその代償に要求して)くる物は
その人が幼い時にひたすらに望んで得られなかったもの
かも知れません。

本人はそれを愛と信じて疑わない、愛=執着、依存と
いうなら、確かにその通りのものだといえるでしょう。

が、親の愛と信じたまま自分に飲み込ませ続けると

心という循環器系の病気に苦しみ、身動きのとれなくなる
肥満ペットと同様の末路が待ちかまえているのです。

その荷物は、ダイレクトメール同様に受け流してみる。
自分の心のあり方を、相手のアクションと切り離せることが
大切な心の独り立ちなのです。

*「とらわれ」と「はからい」は神経症や強迫性障害における森田療法の
キーワードです。「とらわれ」を依存と解釈してみると意味深いです。

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# by dryangle | 2017-01-12 13:56 | 親子の関係 | Comments(0)
引き寄せ合う関係
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「類は友を呼ぶ」ではないですが、人にはみな個性があり
趣味や気の合う合わないによってそれぞれの関係の距離が
近づいたりも遠のいたりもしますよね。

いわば心のアレルギー反応のように現れ、こちらでも度々
話題にする負の気持ちである「劣等感・罪悪感・被害意識
という心のプログラム。

これにも磁石の±のように引き寄せ合う関係があるように
思います。
劣等感の匂いは優越感を示したい相手を引き寄せ、罪悪感
の匂いは正しさを振りかざしたい人、被害者意識の匂いは
責めたい人や偽善の人を集める誘蛾灯のようかと感じます。

磁石と異なるのは、同類が反転して寄ってくるところです。
劣等感を持つ者同士では、いずれどちらかが優越感を示す
ようになり、罪悪感を持つ者同士は一方が正しい人になり
被害意識を持つ同士には責める側が現れてきます。

反転するのは、負のエネルギーの強さの優位な側
(多分そうだと感じる)

重複して持つものでもありますから、順列組み合わせは無限。

さらには。ふさわしい相手がいない時、起こることをネタに
自分自身が自分を軽蔑し嘲り、正しさで縛り責め苛む役割へ
転じたり
もします。甚だしきはそのネタをひき起こすことも。

まったくもって主観に基づいた話で恐縮なのですが、心して
観ていると、けっこう当てはまるように実感します。

もし自分の中に
怒りっぽさや、落ちこみやすさ、傷つきやすさ、心のクセ
傾向性を自覚したら。

そんな気持ちにさせられる原因や自分の正当性を探す前に
それが「劣等感・罪悪感・被害意識」の、何れかによるもの
ではないか?と自問してみてください。
自動反応(スィッチオン)的な心の動きなのではないか?
確かめてみてください。

それがその通りだと知るだけで、引き寄せ合う負の関係や
出来事、それを体現する相手との縁が切れるかと思います。

磁石と違って、すべてがマイナス。
マイナス同士が引き寄せ合い、反転してもなおマイナス。
そんな働きのようです。

あえて言ってみれば、プラス性というのは「自分の意志で
近づいたりも、離れたりも、できることや関係でしょうね。

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# by dryangle | 2016-12-18 20:58 | ココロのカラクリ | Comments(0)
新説?「合わせ鏡の法則」
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
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問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
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心の話題では、よく「鏡の法則」なるものを耳に(目に)します。

自分に起こることや問題は、外界や他者という「鏡を通して観る
自分の内面の投影」であるという原則から説明されます。

私ずっと、なぜかこれに未消化な違和感を抱いてきました。

私の方だって鏡なんじゃないの?

だから簡単には、主体となって意志通りに自分を動かせない。
むしろ自分の方が反映(リフレクション)なのではないか?と
実感することがほとんどだったんです。

ある日、偶然ビデオフィードバックの映像を眺めていたところ
インフィニティフィードバック(無限に映し合う合わせ鏡構造)
という言葉がアタマに浮かんで、もしかしたら?と考えました。

「合わせ鏡」なんじゃないか?って。

だからこそ、ポジにしろネガにしろ関係性によってスパイラル
起こってくるのではないか?と。

自分だって鏡なのだから、自分に映る像を自分では変えられない

…じゃぁ?どうしろっていうのよ?

その構造に気がつけば、笑っちゃうくらい単純なことなのですが。

ただ自他の鏡に展開する映像ばかりにフォーカスするのではなく
向き合った合わせ鏡を、いったん外側から見る視点を持つことで

じつは、自分の鏡の向きを変えられることを忘れていた!
ということに気がつくと思います。
そこにこそ、深層の意志や意識のチカラが強く働いていた。

それを忘れ去って、鏡の向きを慣性のまま固着させてしまうことが
執着や依存ともいえるような現象なのかな?と。
自我も、カルマも、防衛機制も、観念も、人生脚本も、強迫も
その慣性のことではないの?と。
自分勝手にチマチマと腑に落ちてきます。

素敵な像を映し出したままならいいのですけれどね。

その向きへの志向性が鏡の傾向性にもなるように思います。
文字通りに。

「今」幸せになる。

幸せな環境が幸せな人を作るのではなく
幸せな人が幸せな環境を得る。

人は他人を救えない。

そんな先人たちの言葉も真実味を帯びてくるのではないでしょうか?

明るいこと、やさしいこと、楽しいこと、嬉しいこと、素敵なことに
心の向きを換えてみませんか?

それができるのは、今ここ、この瞬間、この私の意識だけ。

知る方に伺いたいのですが、Oshoやマイケル・J・ローズのいう「反応と応答の違い」や
ゲリー・ボーネルの「リアクションとレスポンスの違い」にも通じるでしょうか?


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# by dryangle | 2016-12-10 10:22 | ココロと思想 | Comments(0)
屈折した承認欲求(承認依存)
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悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
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承認欲求というと通常、褒めてほしい、認めてほしい、評価してほしい
といった類の気持ちだと考えますよね。

もちろんそれは心の健康な人にもあるもので、ヤル気の素にもなります。

ところが、安全欲求と同じレベルで他者の承認が自分の存在理由の
大前提
とまでになってしまうと、時に狂ったように意固地になって
相手・他者のアテンション(注目)を得ようとしてしまうのです。

「カマッテ欲しい」の屈折バージョン

謝って欲しい、感謝して欲しい、悪いと思ってほしい、従って欲しい
大変だと思って欲しい、肯定して欲しい、可哀想だと思って欲しい
叱って(責めて)欲しい、許して欲しい
不幸だと認定して欲しい⁉︎
命令(指示)して欲しい、チヤホヤして欲しい、自分を立ててほしい
目を離さずにいて欲しい、羨ましがって欲しい…キリがありませんが。

それらはつまり、すべて私の価値を認めて欲しいの変形なのです。
これらは養育者とのコミュニケーションパターンが滲み出ます。

ちなみに、私の親もどうでもいいことで怒り狂う時には必ず
「他人は叱ってくれないんだからね。ありがたく思え」と言っていましたっけ。
私には誰にでも自分がけっして悪くなくても謝るクセがありました。

そのパターンが刺激される状況に陥ると、スイッチが入ったように
(妄想の脳内上映が始まり)それを要求する言動に走ってしまいます

感情的脅迫と呼ばれるような、恩着せがましさ、自慢や自己顕示
犠牲や虐げられてるアピール、忙しさや頑張ってるアピール
嫌みや皮肉に嘲笑、マウンティング、さらには号泣や恫喝…
といった振る舞いはド定番です。

罪悪感や劣等感に被害者意識を刺激
し、押しつけのコントロールを
「あなた(誰か)のために」とすり替えるのはもはや常套句

すべて物乞いならぬ気持ち乞い。

ただでさえ希薄な自分の存在価値を確認する裏づけの気持ち乞いです
から、そのエネルギーといったら並大抵ではありません。

「心のエネルギー泥棒」といわれる人もこのタイプです。

同じプログラムを持たない人には、しつこい、ウザイ、クドイと思われ
離れていかれる一方で、反対にそれを持つ同士の間には持ちつ持たれつ
の依存関係
が生まれやすいのです。

自分の中に、相手の中に、それを発見したら
不毛で消耗する関係を断つチャンスです。

自分が自分で根拠もなく、ありのまま、そのまま価値があると思える。

そのように自分の側が変わるだけで、存在価値を奪い合うのではなく
互いに気持ちよく認め合える間柄に人間関係も変わっていきます


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# by dryangle | 2016-12-04 20:44 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り