金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
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生き方感覚
言葉は、成長の過程で周囲や親から学び
たいていの場合、苦もなく使えるようになります。

そして当たり前にそれを使って暮らしています。

成長期を過ぎてから、第二言語(外国語)を
習得することの難しさは誰もが想像できますよね?

なぜなら、言葉はたんに語彙を記憶し文法を
理解すれば使いこなせるというものではなく
体験による有形無形さまざまな情報が複合的な
基盤となって成り立つものだからです。

ある言葉を使いこなす基盤を得るためには
人が成長するまでの情報が必要だといっても
いいのかも知れません。

ワタシ達の感情や行動を左右する観念や感覚
つまり心のクセ(傾向性)もそれと似ています

ワタシ達は、これまでに習得した生き方感覚
駆使して今を暮らしているのです。

成長過程で、自分を肯定しながらチャレンジしていく
感覚を、親や周囲から学びとることができた人は
シアワセですよね。

でもその反対だったら?

自分の言葉が通用しない時
自分の言葉では暮らしにくい時
どうするか?

通用する新しい言葉を学ぶ努力をする。
自分の言葉を使うことを周囲に強要する。
周囲の人とできるだけ関わらずに暮らす。


生き方感覚についても
それによって暮らしにくいと感じた際に
ヒトが取る方法は似ているのではないでしょうか?

言葉が通じても、気持ちが通じ合わない時に

アナタならどうするでしょうか?
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# by dryangle | 2007-09-27 14:45 | ココロのカラクリ | Comments(0)
恐れと尊敬・似て非なる関係
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


尊敬という気持ち。
それは大切にする気持ちです。

尊ぶは対象の価値を認めて大切にする意
敬うは、対象を高位のもの、上位のものとして礼をつくす意
―大辞泉

大切にされたい≒尊敬されたい

これが満たされなかった時、多くの人が
相手や社会にとっての自分の価値を上げることで
それが得られると信じて努力をします。

時に、別な方法で自分の価値を上げようと
する人がいます。

子供に対するお父さんやお母さん
大人に対する若い人たち
生徒に対する先生          …の中に

怖い口調や表現、アピールで相手を威嚇する人がいます。

「恐れ入りました」という言葉に表れるように
恐れは服従であり、自分を下に位置づけることが
尊敬の概念と、よく似ています。

尊敬されたい、大切にされたいという気持ちから
怖さを利用してそれを得ようとすることがあるようです。

自分(の主張)を通すために、相手を恐れさせて
尊敬を強要したりもします。

真の意味での尊敬の感覚を学ぶには誰かが他の人を
尊重・尊敬する姿を見ること、そして自分も尊重され
大切にされた体験を積むこと
が必要ではないでしょうか?

尊重されたいと欲して相手を脅すことを、学(真似)び
習慣化している人がかなりいるように感じます。
尊敬や思いやりは、恐れによって習得するものではない

とワタシは考えています。
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# by dryangle | 2007-09-25 18:49 | ココロのカラクリ | Comments(0)
アナタの家庭は君主制?共和制?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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躾やルール(規則)に対する考え方は
家庭によってさまざまです。
それは(親や家長の)何が正しいかという
観念や感覚の違いに他なりません。

これをさまざまな国の思想や制度の違いに当てはめて
考えてみると案外面白かったりします。

専制君主制
立憲君主制
寡頭共和制
民主共和制


親(の一方)を君主、子供(と親のもう一方)を国民だと
考えてみてください。

国民が未熟(もしくは愚民?)である場合、賢者による
専制政治や、はじめにルールありきの立憲政治
国の安定を約束するものかもしれません。

これを家庭に当てはめた場合、親が賢者であるか?
そのルールは妥当か?といった内省は
その安定に必要不可欠です。

子供が成長してきて、その権利を主張し始めた時に
どのようなスタイルに移行するか(しないか?)が
大きな課題
となります。

参政権を与えずに、国民に不満がたまれば
内戦や革命が起こることもありますし
その末に独立していくこともあるでしょう。
また独裁者が制圧し、縛りつけてしまうこともあります。

紛争(家庭内の暴力・トラブル)を起こしたり、独立(結婚)
した先でも、また専制君主に君臨する人・される人々は
もれなく圧政に苦しんだ経験を持つ
ように思います。

これは国家レベルも家庭レベルも同様ではないでしょうか。

家庭の中で独裁者が圧制を布(し)いてはいませんか?
アナタの家庭の思想について、ぜひ一度考えてみてください。
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# by dryangle | 2007-09-23 14:38 | ココロと思想 | Comments(0)
「~させる」という言葉。許容?それとも使役?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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日本語の子育ての話に接する時
~させる」の意味の曖昧さに悩むことがあります。

(子供に)
学校に行かせる
遊びに行かせる
習い事をさせる
勉強をさせる
宿題をさせる
キャンプに行かせる
料理をさせる
家の手伝いをさせる
犬の散歩に行かせる
ごはんを食べさせる
スポーツをさせる
お風呂に入れさせる
ノビノビさせる
留守番をさせる
一人で外出させる

子育てにおいては、誰の意志によるかという
点は大きな鍵となります。
子どもが自分の意志(意欲)で選択し
成功したり失敗したりする経験がそのまま
生きるチカラを育むのですから。

当然、こちら側の意志によるさせる」ばかりでは
意志(意欲)のない受身、相手の要求に応じることに
慣れきってしまうでしょう。
これがいい子・良い人なのでしょうか?

ワタシ自身は、意識に上るこの「~させる」という
言葉を検証して自戒してきました。

ワタシ(親)の意志なのか?子供の意志なのか?
どちらを大切にしたいのか?

言葉と同様にこの部分を曖昧にしてしまってはいませんか?

~させなきゃ!」と思った時
ぜひハッキリと意識して区別してみてください。


させる
[動サ下一]さ・す[サ下二]
1 人にある行為をするようにし向ける。「勉強を―・せる」
2 するにまかせる。することを許す。「好きなように―・せる」
(大辞泉)
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# by dryangle | 2007-09-13 10:55 | 子育て・教育 | Comments(2)
心の標準化?
2002年に、日本の小中学校で道徳の副教材として
配布されたこころのノートが議論を呼んでいたこと
を知りました。

自分にとっての価値ある人生とは何なのか?
このような問題には、もちろん正解などはなく
標準的な考え方を受け容れればそれでOK
というものではない
という考え方がある一方で

同じ組織の人たちが 同じ理想や理念を
心に標準化すること 、理解や共感できることが
組織の持続と成長のために最も大切なこと

考える向きもあります。

学校においては、もっと強く子どもたちに
正しい考え方を受け容れさせていくべきだという
考え方が強くなってきているようです。

個人を優先する視点と、集団を優先する視点と
視点が違えば、正しい考え方も違う
これはしごく当然のこと。

とはいえ、多くの人が問題や物事に対して
指標や正しさ・常識といった普遍のモノサシを求め
さ迷っているのが現実です。
自分の信念を他の人に押しつける人もいますね。

標準化されたあり方や押しつけられたあり方に
無理に自分や他の人の心を従わせようとして
心が病んで(傷つけられて)しまう人がいます。

そういった心の傷みに近づき、ふれるたびに
そしてその人なり(他の評価に頼らず)に 
自分の価値を自覚した笑顔に接するたびに

心のあり方に標準や正解はない
と痛感させられる日々です。

…あ、ワタシ達が正解のない問題に向き合うという
教育を受けてこなかったのは確かかも知れません^^;
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# by dryangle | 2007-09-12 12:00 | ココロと思想 | Comments(7)
誰かの苦しい気持ちに届くように。
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


アナタは、自分の身に起こる出来事や関わる周囲の人々
そして自分の運命というものを憎んでいませんか?

ワタシはそうでした。
運命を憎み「こんなに尽くしているのだからラクにして」と
運命を脅迫していましたっけ。

憎まれ、脅されたら、相手を愛せないのは
運命の側も一緒のようです。

しかも運命(とワタシ達が呼ぶもの)は、
自らの意志を持たないのですから。

意志を持つ自分・こちら側が変わり
運命(それがどんなに過酷でも)に微笑みかけ
愛そうとしない限り
「できない」とあきらめ続ける限り

運命もまた「変われない・できない」という答えを
その人に返し続けるのです。

心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。


ところが、心というモノを手足を動かすように
自在に操るのはなかなか難しいもの。

けれども心こそ、コントロールの仕方を学ばずに
突進したら命に関わるのです。

いったんギアをニュートラルに戻すことに
目を向けてみませんか?

一緒に…
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# by dryangle | 2007-08-31 18:52 | ココロと思想 | Comments(0)
自分への要求
誰かに甘えられない。他人や自分を責める気持ちが起こる。
いい加減なことや楽しむこと、休むことに罪悪感を感じる。
したいことをするのに、代償が必要だと考えてしまう。

なにかにつけ
こうでなければいけない・こうしなければいけないような
窮屈な気持ちになる。

また自分への要求の強さは、他の人への期待や要求の強さと
正比例します。(美徳や美意識は、あくまで自覚するもの
であり、他者に期待や要求をするものではありません。)

自分の評価の基準が、自分や周囲を不愉快にさせてはいませんか?
この基準や価値感は、心の中にセットされたプログラム。
ある条件に反応して、無意識に起動する仕組みになっています。

その頑張りから得たいものは、ズバリ自己肯定感
(いわゆる自分に自信ってヤツですね)


もともと今そのままの自分の価値が、認められ、受け入れられ
大切にされ、やさしくされ、許され、包まれる穏やかな安心感
誰もが求めているのです。

それが与えられずに、こうであったらと条件ヅケされていくうちに
心の中にそれが観念(というプログラム)となって固定します。
これらは日々の繰り返しによって強化され、より頑なな
コダワリになっていきます。

そして成果によって得られる優越感を、自己肯定感だと勘違い
して追い求めるようになるのです。
(優越感は、比べるという対照依存の感覚です)

もちろん、肝心の自己肯定感も、条件ヅケされ、強化されていく
観念に他なりません。

さらに無条件に、自分以外の誰かを、認め、受け入れ、
大切にし、やさしくし、許し、包むというプログラム

至っては、ほとんど普及しないまま^^;

こんな状況で、条件ヅケや評価基準ばかりが厳しくなっていくと…?

多くの人のココロが機能不全になってしまうのは
当然のように思えませんか?
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# by dryangle | 2007-08-28 10:19 | ココロの不調 | Comments(2)
ハッピーは自分の中に築くもの。
「愛と犠牲」の話題に関連して、しぼんだまさんという方から
コメントをいただきました。
そのしぼんだまさんが気づきや前向きな勇気を得ることのできた
ある女性からのアドヴァイスが、本当にとても素敵なお話なので
ぜひ紹介させていただきたいと思います。

私も2度危機があって、夫婦でカウンセリングにかかったの。
最初は子供が小さい時が最初だったわ。
夫は仕事でイライラして私に八つ当たりにしてた。
よく東洋の人って子供のためにとか家族のためにと言って
犠牲を払ってるでしょう。
本人がハッピーにならないで、子供をハッピーにするなんて
理論は成り立たないの。
夫は妻をハッピーにする。妻は夫をハッピーにする。
2人で歩み寄って行かなきゃ。
そしてそれを見て子供はハッピーになる。そして家族になるのよ。
あなたが今離婚しないのは子供のため。
自分の人生もハートも犠牲を払っているんです。
私はハッピーじゃないけど、子供のために家庭に留まっている。

なんて思い続けたら、改善のスピードが遅くなるし、何も変化しないかもよ。
旦那が意地悪なことを言ったら離れるの。
彼がトリックをしかけてきたら、そのトリックをしないように言うのよ。
彼が努力を放棄したら別れるだけの価値はあります。
決して子供のために私は家庭にとどまるなんて思ってはだめ。
私もハッピーになりたい。そして彼にもハッピーになってもらいたい。
そう思い続けて。


このお話は、とても大切なことを教えてくれているように思います。

問題は結婚生活を維持するか、否か?ではなく
シアワセを築く選択をするかどうか?だということではないでしょうか?

ひたすらに耐える(犠牲になる)ことで結婚生活を維持する
夫婦(親)を見て育つ子供は、それが過酷なものであるほどに
自分の将来の結婚生活に夢を見いだすことができなくなります。
その結果、結婚自体を望まなくなったり、また
うまくいかないのなら、お互いのために別れるべき
という考え方が生まれてきます。

それもそれでヨサソウなものですが、どちらにしてもその未来には
家族がシアワセに暮らしていく方法を見つけ出せないままの
子供達が再び育っていく、という運命の伝承が存在します。

暮らしや家族のスタイルは多様であってよいと考えますが

犠牲ではなくシアワセを築く決意をし、前向きに歩むヒト
そしてその姿から学ぶことのできるヒトが
シアワセに暮らしていく方法
得ることができるのではないでしょうか?


I'd like to give a HUGE THANK YOU toしぼんだまさん.
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# by dryangle | 2007-08-18 18:54 | パートナーとの関係 | Comments(1)
愛と犠牲(2)
(前回からの続きです)

人の心にダイレクトに作用するものは、表面の行為の種類ではなく
その心のあり方なのではないでしょうか?

は相手の幸福を願い、相手を癒そうと努めること。
そのためのコミットメントは本人は苦痛を伴いません。
むしろ与えることによって喜びや満足というエネルギーを還元します。

ところが、愛を伴わない犠牲は明らかに抵抗や苦痛を伴います。
意に反していたり、心に余裕のないままに差し出し・持っていかれる痛みです
結果として、こちら側が得るものへの思惑が外れると憎しみをも生み出します。

相手へと差し出す行為の目に見える部分が同じであっても
その関係の成り行きは全く違ったものになっていくのです。


犠牲によって支えられた関係は、やがて必ずなんらかの歪みが起こり
破綻へと向かうものではないでしょうか?

前述の話であれば、木の幸・不幸も、さらにはちびっこのそれも
ストーリーの結末は、木の真意によって変わってしまうように思うのです。

あなたと周囲の人との関係は
愛に支えられていますか?それとも犠牲に支えられていますか?

*便宜上、という言葉を多く使わせていただいていますが
慈愛charityといった意味合いを意図しています。
また犠牲については、我慢という言葉に置き換えてみても
いいかも知れませんね。
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# by dryangle | 2007-08-10 03:32 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
愛と犠牲(1)
米国の絵本作家シェル・シルヴァスタイン(Shel Silverstein)の 
おおきな木(The Giving Tree)という話をご存知ですか?

一本のりんごの木は、かわいいちびっこと仲良しでした。
ちびっこは木と遊び、木が大好きで、だから木もとてもうれしかったのです。
時は流れ、ちびっこは大きくなり、いつしか木に会いに来なくなりました。
ある日、成長した彼が木のところへやってきます。
木は昔のように遊んでおいきと言いますが、彼は言います。

かいものが してみたい。だから おかねが ほしいんだ。
おこづかいを くれるかい?


木は困りましたが、りんごの実をすべて与えます。
大人になった彼は家を欲しがり、木はその枝を与えます。
やがて年老いた彼は船を欲しがり、木はついにその幹を与え
切り株になってしまうのです。


木は、心から喜んですべてを彼に与えたのでしょうか?

このような問いかけに、日米の子供の感想に差異があった
という記事をどこかで読んだ記憶があります。

アメリカの子供達の多くが、その行為を

木の本望だった

と答えたのに対して、日本の子供達には

不本意ながら、彼のために仕方なく応じた

という感想が多かったらしいのです。
(出典を思い出せません。すみません^^;)

もちろん、どちらかの解釈が正答というものではありません。
そう感じた当人にとって、感じるそのままが真実なのではないでしょうか。

木は本当に幸せだったのでしょうか?
木が彼にしてあげたことは、彼のためになったのでしょうか?


ところが、この問いかけには

それが木の本望であったか、不本意な行為であったかによって
結果が反転する


とワタシは考えるのです…

(続きは次回に)
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# by dryangle | 2007-08-10 03:15 | 周囲の人との関係 | Comments(7)

Illustration by ふわふわ。り