金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
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「犠牲」の役回り(1)
愛されたい、大切にされたい、やさしくされたい
認められたい、幸せになりたい


このような言葉にどんな感情がわきますか?

素直に「ああ、その通り」と感じる人。
あまりピンとこない人。
なにを甘いコト言っているんだと感じる人。
暖かい気持ちを分けてあげたいと願う人。

違う感覚を持って暮らしていても、自分の存在の価値を
求めていることにはなんら変わりがないのではないでしょうか?

この純粋な欲求に対して、生い立ちからの経験
誰か(ナニカ)と関わる中でいつの間にか

痛みや恐れ・悲しみ・憎しみ

といった傷心の記憶が刻まれます。
そしてその質や程度は個々人によってさまざまです。

それらが疼くのをカバーするために、意識はそれを
打ち消したり、隠したり、罪悪感や自己嫌悪、そして
理屈(正しさ)によって押さえつけたり。

まるで玉ねぎのように、何層にもそのカバーが
でき上がるのですが、時に怒りによって膿みを噴出させる人や
求めるものを得られないままの空洞つまり孤独の痛み
誰かを軽んじ、蔑み、脅す、優越という快感
埋めている人もいます。

まるで八つ当たりかうっぷん晴らしをしているかのように…

さらには、その対象として自らを提供する犠牲者となり
我慢をし尽くすということで孤独の痛み
埋める人までいるのです。

(次回に続きます)
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# by dryangle | 2007-10-26 10:17 | ココロのカラクリ | Comments(0)
心の独り立ち
経済(お金の使い方)と異性関係(恋愛&セックス)
これには、個々人の感覚の違いがつぶさにあらわれるように思います。

法律・宗教・道徳・一般常識・社会通念・モラル
家の方針・親の方針…などなど
古来から人はさまざまに、その心と行動を規制するルールを
作ってきました。

そして新たに育つ世代に、そのルールを観念としてしつけます。
時にそれは意識的であったり、無意識であったり。

現代はある程度の範囲については、心まで厳しく規制されることなく
個々人の感覚に委ねられる社会が増えてきましたよね。
それにつれ、物事に対する観念や感覚の幅も人によって多様化
してきました。

ところが。
人によっては、いまだに心まで厳しく規制されているのです。

その根っこが、自分の意志によるコントロールでないとすれば
ある物事に心の内で怖れや不安、罪悪感を抱き、自分にそれを許せない
(または強いる)観念や感覚を持ち続けているのではないでしょうか?
そのような状態を繰り返して生きることは、苦しいに違いありません。
また、その観念による縛りのない人に対して怒りや嫉妬を覚える
こともあるのではないでしょうか?

心から楽しいということがない
ささいな出来事にふれる度にイライラする
度をこす・ハメを外すと不安になる
自分や誰かに、許せないと思うことが多い。

そんなことはありませんか?

心の中はその人の自由な世界

たとえある一定のルールでは好ましいといえないことを考え、想像したとしても
(社会にその概念が存在して、それを知る機会があったということの証明です)
それを自分や他の人に許してあげてもいいように思います。

道徳にしても不道徳にしても、他の人の心まで縛ろうとしたり要求したり
することで、対立や悲劇が起きているのではないでしょうか?

想いは自由

…ただし行動についてはそうとも言い切れませんね。

社会的な規制や縛りが緩んだ時に、その人がどこまで周囲に配慮し、
どう行動するかの選択に、その人となりが如実に現れるのです。

自分の中に培った観念や感覚を知り、それだけにコダワルことなく
自分のため、誰かのために、より良い観念や感覚、そして行動を
自分の意志で、選択できることが独り立ちした精神なのだと
いえるように思います。
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# by dryangle | 2007-10-21 16:55 | ココロと思想 | Comments(0)
人生の午後を生きる
このブログを読まれる方の中心は
(多分)子育て世代の女性でしょうか。

心の世界に関心のある方は、ユングの
人生の正午(the meridian of his arc of life)
という言葉を聞いた覚えがあるかも知れません。

精神医・心理学者のC.G.ユングは

人生の正午(40歳あたり)を境とする人生の
前半と後半はその様相がだいぶ異なり

それはあたかも正午をはさんで
日の光と影の方向が逆転することにも似ている


と述べています。

今まで日の当たらなかった部分に光が当たり始め
反対にこれまで当たっていた部分が影を帯びてくる…

それは自己の内面的欲求を深めることであり
(真の)個性化の過程と位置づけたのです。

つまりワタシ達の精神は、なおも発達をし続け
人生の後半には、まさに自分を生きていくのだと
いえるのではないでしょうか。

たしかに正午までは心身ともにあわただしく
自分の内面について考える余裕などなかなかない
ように思います。

そして正午をむかえる頃に、起こる問題などをキッカケに
あらためて自分自身(の心)に向き合う必要性に
迫られるのではないでしょうか?

ワタシ自身もまさにその必要性から
暑っ苦しい昼になりそうですが。^^;
新たな自分のベースを築いている最中のような
気がしています。

午後にはお茶でも飲みながら
自分を満喫するように過ごしていけたらなぁ…
と願いながら。



*追記*
思いがけないほど多くの方が読んでくださっているようです。
ワタシの気持ちの、稚拙なカケラを受けとってくださり
本当にどうもありがとう。

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# by dryangle | 2007-10-10 10:47 | ココロと思想 | Comments(2)
生き方感覚
言葉は、成長の過程で周囲や親から学び
たいていの場合、苦もなく使えるようになります。

そして当たり前にそれを使って暮らしています。

成長期を過ぎてから、第二言語(外国語)を
習得することの難しさは誰もが想像できますよね?

なぜなら、言葉はたんに語彙を記憶し文法を
理解すれば使いこなせるというものではなく
体験による有形無形さまざまな情報が複合的な
基盤となって成り立つものだからです。

ある言葉を使いこなす基盤を得るためには
人が成長するまでの情報が必要だといっても
いいのかも知れません。

ワタシ達の感情や行動を左右する観念や感覚
つまり心のクセ(傾向性)もそれと似ています

ワタシ達は、これまでに習得した生き方感覚
駆使して今を暮らしているのです。

成長過程で、自分を肯定しながらチャレンジしていく
感覚を、親や周囲から学びとることができた人は
シアワセですよね。

でもその反対だったら?

自分の言葉が通用しない時
自分の言葉では暮らしにくい時
どうするか?

通用する新しい言葉を学ぶ努力をする。
自分の言葉を使うことを周囲に強要する。
周囲の人とできるだけ関わらずに暮らす。


生き方感覚についても
それによって暮らしにくいと感じた際に
ヒトが取る方法は似ているのではないでしょうか?

言葉が通じても、気持ちが通じ合わない時に

アナタならどうするでしょうか?
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# by dryangle | 2007-09-27 14:45 | ココロのカラクリ | Comments(0)
恐れと尊敬・似て非なる関係
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
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尊敬という気持ち。
それは大切にする気持ちです。

尊ぶは対象の価値を認めて大切にする意
敬うは、対象を高位のもの、上位のものとして礼をつくす意
―大辞泉

大切にされたい≒尊敬されたい

これが満たされなかった時、多くの人が
相手や社会にとっての自分の価値を上げることで
それが得られると信じて努力をします。

時に、別な方法で自分の価値を上げようと
する人がいます。

子供に対するお父さんやお母さん
大人に対する若い人たち
生徒に対する先生          …の中に

怖い口調や表現、アピールで相手を威嚇する人がいます。

「恐れ入りました」という言葉に表れるように
恐れは服従であり、自分を下に位置づけることが
尊敬の概念と、よく似ています。

尊敬されたい、大切にされたいという気持ちから
怖さを利用してそれを得ようとすることがあるようです。

自分(の主張)を通すために、相手を恐れさせて
尊敬を強要したりもします。

真の意味での尊敬の感覚を学ぶには誰かが他の人を
尊重・尊敬する姿を見ること、そして自分も尊重され
大切にされた体験を積むこと
が必要ではないでしょうか?

尊重されたいと欲して相手を脅すことを、学(真似)び
習慣化している人がかなりいるように感じます。
尊敬や思いやりは、恐れによって習得するものではない

とワタシは考えています。
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# by dryangle | 2007-09-25 18:49 | ココロのカラクリ | Comments(0)
アナタの家庭は君主制?共和制?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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躾やルール(規則)に対する考え方は
家庭によってさまざまです。
それは(親や家長の)何が正しいかという
観念や感覚の違いに他なりません。

これをさまざまな国の思想や制度の違いに当てはめて
考えてみると案外面白かったりします。

専制君主制
立憲君主制
寡頭共和制
民主共和制


親(の一方)を君主、子供(と親のもう一方)を国民だと
考えてみてください。

国民が未熟(もしくは愚民?)である場合、賢者による
専制政治や、はじめにルールありきの立憲政治
国の安定を約束するものかもしれません。

これを家庭に当てはめた場合、親が賢者であるか?
そのルールは妥当か?といった内省は
その安定に必要不可欠です。

子供が成長してきて、その権利を主張し始めた時に
どのようなスタイルに移行するか(しないか?)が
大きな課題
となります。

参政権を与えずに、国民に不満がたまれば
内戦や革命が起こることもありますし
その末に独立していくこともあるでしょう。
また独裁者が制圧し、縛りつけてしまうこともあります。

紛争(家庭内の暴力・トラブル)を起こしたり、独立(結婚)
した先でも、また専制君主に君臨する人・される人々は
もれなく圧政に苦しんだ経験を持つ
ように思います。

これは国家レベルも家庭レベルも同様ではないでしょうか。

家庭の中で独裁者が圧制を布(し)いてはいませんか?
アナタの家庭の思想について、ぜひ一度考えてみてください。
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# by dryangle | 2007-09-23 14:38 | ココロと思想 | Comments(0)
「~させる」という言葉。許容?それとも使役?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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日本語の子育ての話に接する時
~させる」の意味の曖昧さに悩むことがあります。

(子供に)
学校に行かせる
遊びに行かせる
習い事をさせる
勉強をさせる
宿題をさせる
キャンプに行かせる
料理をさせる
家の手伝いをさせる
犬の散歩に行かせる
ごはんを食べさせる
スポーツをさせる
お風呂に入れさせる
ノビノビさせる
留守番をさせる
一人で外出させる

子育てにおいては、誰の意志によるかという
点は大きな鍵となります。
子どもが自分の意志(意欲)で選択し
成功したり失敗したりする経験がそのまま
生きるチカラを育むのですから。

当然、こちら側の意志によるさせる」ばかりでは
意志(意欲)のない受身、相手の要求に応じることに
慣れきってしまうでしょう。
これがいい子・良い人なのでしょうか?

ワタシ自身は、意識に上るこの「~させる」という
言葉を検証して自戒してきました。

ワタシ(親)の意志なのか?子供の意志なのか?
どちらを大切にしたいのか?

言葉と同様にこの部分を曖昧にしてしまってはいませんか?

~させなきゃ!」と思った時
ぜひハッキリと意識して区別してみてください。


させる
[動サ下一]さ・す[サ下二]
1 人にある行為をするようにし向ける。「勉強を―・せる」
2 するにまかせる。することを許す。「好きなように―・せる」
(大辞泉)
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# by dryangle | 2007-09-13 10:55 | 子育て・教育 | Comments(2)
心の標準化?
2002年に、日本の小中学校で道徳の副教材として
配布されたこころのノートが議論を呼んでいたこと
を知りました。

自分にとっての価値ある人生とは何なのか?
このような問題には、もちろん正解などはなく
標準的な考え方を受け容れればそれでOK
というものではない
という考え方がある一方で

同じ組織の人たちが 同じ理想や理念を
心に標準化すること 、理解や共感できることが
組織の持続と成長のために最も大切なこと

考える向きもあります。

学校においては、もっと強く子どもたちに
正しい考え方を受け容れさせていくべきだという
考え方が強くなってきているようです。

個人を優先する視点と、集団を優先する視点と
視点が違えば、正しい考え方も違う
これはしごく当然のこと。

とはいえ、多くの人が問題や物事に対して
指標や正しさ・常識といった普遍のモノサシを求め
さ迷っているのが現実です。
自分の信念を他の人に押しつける人もいますね。

標準化されたあり方や押しつけられたあり方に
無理に自分や他の人の心を従わせようとして
心が病んで(傷つけられて)しまう人がいます。

そういった心の傷みに近づき、ふれるたびに
そしてその人なり(他の評価に頼らず)に 
自分の価値を自覚した笑顔に接するたびに

心のあり方に標準や正解はない
と痛感させられる日々です。

…あ、ワタシ達が正解のない問題に向き合うという
教育を受けてこなかったのは確かかも知れません^^;
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# by dryangle | 2007-09-12 12:00 | ココロと思想 | Comments(7)
誰かの苦しい気持ちに届くように。
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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アナタは、自分の身に起こる出来事や関わる周囲の人々
そして自分の運命というものを憎んでいませんか?

ワタシはそうでした。
運命を憎み「こんなに尽くしているのだからラクにして」と
運命を脅迫していましたっけ。

憎まれ、脅されたら、相手を愛せないのは
運命の側も一緒のようです。

しかも運命(とワタシ達が呼ぶもの)は、
自らの意志を持たないのですから。

意志を持つ自分・こちら側が変わり
運命(それがどんなに過酷でも)に微笑みかけ
愛そうとしない限り
「できない」とあきらめ続ける限り

運命もまた「変われない・できない」という答えを
その人に返し続けるのです。

心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。


ところが、心というモノを手足を動かすように
自在に操るのはなかなか難しいもの。

けれども心こそ、コントロールの仕方を学ばずに
突進したら命に関わるのです。

いったんギアをニュートラルに戻すことに
目を向けてみませんか?

一緒に…
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# by dryangle | 2007-08-31 18:52 | ココロと思想 | Comments(0)
自分への要求
誰かに甘えられない。他人や自分を責める気持ちが起こる。
いい加減なことや楽しむこと、休むことに罪悪感を感じる。
したいことをするのに、代償が必要だと考えてしまう。

なにかにつけ
こうでなければいけない・こうしなければいけないような
窮屈な気持ちになる。

また自分への要求の強さは、他の人への期待や要求の強さと
正比例します。(美徳や美意識は、あくまで自覚するもの
であり、他者に期待や要求をするものではありません。)

自分の評価の基準が、自分や周囲を不愉快にさせてはいませんか?
この基準や価値感は、心の中にセットされたプログラム。
ある条件に反応して、無意識に起動する仕組みになっています。

その頑張りから得たいものは、ズバリ自己肯定感
(いわゆる自分に自信ってヤツですね)


もともと今そのままの自分の価値が、認められ、受け入れられ
大切にされ、やさしくされ、許され、包まれる穏やかな安心感
誰もが求めているのです。

それが与えられずに、こうであったらと条件ヅケされていくうちに
心の中にそれが観念(というプログラム)となって固定します。
これらは日々の繰り返しによって強化され、より頑なな
コダワリになっていきます。

そして成果によって得られる優越感を、自己肯定感だと勘違い
して追い求めるようになるのです。
(優越感は、比べるという対照依存の感覚です)

もちろん、肝心の自己肯定感も、条件ヅケされ、強化されていく
観念に他なりません。

さらに無条件に、自分以外の誰かを、認め、受け入れ、
大切にし、やさしくし、許し、包むというプログラム

至っては、ほとんど普及しないまま^^;

こんな状況で、条件ヅケや評価基準ばかりが厳しくなっていくと…?

多くの人のココロが機能不全になってしまうのは
当然のように思えませんか?
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# by dryangle | 2007-08-28 10:19 | ココロの不調 | Comments(2)

Illustration by ふわふわ。り