金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
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自分と誰かの気持ちを支えられますか?
まだまだ肉体的な飢餓に直面する人々が絶えない現在。
それを満たした人々さえ、さらなる経済(物質)的な豊かさを求める
欲求に悩まされる世界にワタシ達は暮らしています。

欲求には際限がない、とはよく言いますが、ココロの豊かさについても
同様に考えてみると理解しやすいように思います。

マズローの欲求の五段階説はご存知の方も多いかと思いますが
(満たされて次へと欲求の段階が上がっていくというもの)

生理的欲求
安全の欲求
親和の欲求
自我の欲求
自己実現の欲求

これはすべて、当然ですが「求める」心理です。
自己実現が叶うまで、ヒトは求め続けるものなのでしょうか?

ここでは自立という視点でこれらの欲求に目を向けてみましょう。
親和の欲求からは、精神的な充実を得る欲求といえそうですが
自己という認識を確立する「自我の欲求」が叶った時には
その自立を果たしたといえるのではないでしょうか?

ココロの自立とはどんなもの?

ここで「経済(物質)的な自立」がどのようなものであるか
今一度ふり返ってみてください。
生きる糧を自らの力で得ることができ、誰かに求め(依存し)ない
ということですよね?

心も、その安定のための糧を「誰かに求め(依存し)ない」
ということが、精神的自立といえるのではないでしょうか?

愛して欲しい・認めて欲しい・やさしくして欲しい
守って欲しい・受け入れて欲しい・こうして欲しい・ああして欲しい

これまで「くれない症候群」を中心に、満たされなさや、自分の心の安定・
自信、そしてシアワセの根拠を誰かに求め(依存す)る心理について
たびたびふれてきましたが、これらに満たされたことのない段階は

精神的自立を果たしていないとはいえないでしょうか? 

自我を確立せずに、自己実現を叶えようとするがために
不安・不満のタネが尽きないように思います。
経済的に自立していない子供が、億万長者でないことを
嘆くのと、似ているのかも知れませんね。

自分を支え、誰かを支えることができるヒト

この点で自立については、経済(物質)的にも、精神的にも
同じことがいえるように思います。

現在は、精神的にはまだ自立の段階まで満たされていない
ヒトが多いといえるのではないでしょうか?
ココロの貧困時代はまだ去っていないようです。

自立できない人を責めるということではありません。
弱い人だっているでしょう。成長途中の人もいます。

とはいえ、人々が寄りかかり合う関係から、支え合う関係に変った時
世界は変わるような気がしませんか?

心が繁栄する社会が実現することを願ってやみません。
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# by dryangle | 2007-05-22 15:38 | ココロと思想 | Comments(0)
ココロのゴミ処理法
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
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きっと誰もが愚痴をこぼしたくなる時があるのではないでしょうか?

愚痴は心に沈殿するモヤモヤ・ムカムカ・ワサワサした
気分を吐き出す行為だと思います。

理屈や解決法が欲しいわけではなく、この不安にも似た
モヤモヤを捨て去りたいだけなのですよね。

スッキリして安心したいそんなところではないでしょうか?
聞く相手に一緒に、そのモヤモヤを分担してもらい、慰めて安心させて
(処理して)もらいたいと望んでいるのだと思います。

ところがこれも現実のゴミと同様に、捨て場所や方法を選ばないと
トラブルの種となることが多いのも事実だとはいえないでしょうか?

多くのヒトが、その心のゴミ処理能力が「イッパイイッパイ」か、さらには
処理しきれない状態で、他の人のゴミを分担してあげる余裕がない
というのが実態なのだと感じています。
苦しまぎれに誰かに背負わせてしまうことで、相手がキャパを超えてしまったり
なかには防御的に反応して受けとることを拒む人がいるのも当然だと思います。

男性は、このゴミ処理を合理的に解決しようというノウハウ志向が強いよう
ですが、実際に「溜まる」ことについては男女差がないように考えます。

そこで場所(相手や相手のコンディション)と方法(話し方、伝え方)を選ぶ 
ということが大切になってくるのだと思います。
出来事と自分の感情とのつながりを把握しておくなどゴミを分類しておくと
さらにスムーズに助けを得ることができるのではないでしょうか。

誰かの協力を求める前に、自分でモヤモヤを減らす方法もあります。
すでに誰もが試していることかも知れませんが
体を動かしたり、趣味に打ち込んだり、映画や本・音楽など芸術に親しむ
などの行為がモヤモヤを消すためには効果的ですし、心の栄養にもなりますので
意識して取り組んでみることをおススメします。

心の余裕は「心のゴミ処理能力の大きさ」といえるのかも知れませんね。
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# by dryangle | 2007-05-21 12:07 | ココロの不調 | Comments(0)
「羨ましさ」の裏側
多分誰もが思い当たる気持ち、羨ましさ
時にその感情がふくらみ、それを想い起こさせる人や物事に接することを
拒むまでになります。

それは誰かと無意識に競争して味わう敗北感の痛みに耐えられなくなるから。

自分の価値と誰かの価値を比べて負けを感じ、自分の価値が低く思えるの
ではないでしょうか。
そして、自分の負け責める気持ちが心の中に起きてくる。
自分を責め、その誰かの弱点を探して責め
これはもう不快感極まりないものですよね^^;

これもじつは愛されたい・認められたい・肯定されたい・やさしくされたい
裏返しの気持ちです。

これまでの経験から他人と対等、もしくは優越しなければ愛されない
いうことを学んでしまった苦しみだといえるように思います。
そしてすべて成果で比較しているあまりにイキイキと自分を生きる魅力
(これがもっとも愛されるファクターなのだと感じますが)を自ら放棄して
しまいがちです。

この不快な循環から脱するには、ほんの少し精神力がいるのですが
まず自分の中の競争心気づくことではないかと思います。
現実には、その誰か(ナニカ)の存在の影響力に自分の感情がふり回されて
いるのですから、この競争から降りてしまおう!と意識するだけで
ずいぶん解放されるのではないでしょうか?

誰かと比べずに自分の価値を認めていく努力が必要かも知れません。
これがなかなか難しいのですけれども。

素直に誰かの優れた部分を認められるようになった時
自分のヨサにも気づくことができるのです。
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# by dryangle | 2007-04-27 18:49 | ココロのカラクリ | Comments(6)
愛を知ることは言語を学ぶことに似ている?
愛情(発情ではない)や思いやりといった言葉は誰もが知っています。

ただ言葉の意味や内容を知っていても、その能力
持っていないヒトが、じつは多くいるのではないでしょうか?

自分にヒトを愛せる、思いやれる能力があるか?
この機会に、ぜひ一度考えてみてください。

誰かから愛情思いやりを受け取ったという経験や実感がありますか?
自分よりも相手の心情を守りたいという気持ちや行動がわき起こりますか?

愛する能力は、まるで言語能力と同様に意味を理解できるだけでは
充分だとはいえません。しかも、両者に共通していえることは

その能力のあるヒトに伝授してもらわなければ、育まれない

ということです。

心のふれ合い、友情、愛、思いやり、感謝…などといった言葉や情景に
喜びや暖かい気持ちではなく、シニカルな感情や嫌悪感・重荷に似た気持ち
がわいてしまうとしたら。
他人どころか、自分を幸福にする能力に欠けてしまっているかも知れません。

けっしてその人のせいではなく、学ぶチャンスがなかっただけのこと。
そして、それに気がつくことがチャンスの扉を開きます。

無知の知を知るということは、やはり重要ではないでしょうか?

愛の能力が母国語のように備わっている人がウラヤマシイ今日この頃です。
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# by dryangle | 2007-04-23 19:17 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「怒らないしつけ」について③
さらに続きです。

言葉だけを聞くと抵抗を感じるようなしつけ無用論を提唱されている
平井信義氏は、その著書の中で

思いやりや我慢の心は、感情的に叱ることではなく
親が手本となることによって育むことができる
と述べ

・思いやりの心・自発性・社会性・知識をバランスよく育む
という理念を紹介しています。

その氏自身も叱ら(怒ら)ないこと*放縦(ほうしょう)にさせることは
まったく意味の違うことであると先に明らかにされています。
子供への接し方の提案ついては著書に書かれていますが、
ワタシ自身もとくに幼児期までのアタッチメント(愛情・愛着)形成を優先した
子供との関わり方については氏の考え方が大変参考になりました。

人格を育む土壌には愛情という肥料が欠かせないということだと思います。

成長の速度は個々に違いますし、お子さんそれぞれの個性もありますから
大人(親)の側がその都度、接し方を模索することが大切なのではないでしょうか?

以上の話を含めた意味で、ワタシ自身について言えば
怒る(叱る)親でもあり、怒らない(叱らない)親だともいえます。

母親となった時に子供との関係で胸の内に決めたことがあります。

子供を支配しない、子供に仕えない

怒る(叱る)・怒らない(叱らない)という表面的な部分に固執してしまうと
本質を見失うことがあるように思います。

*放縦(ほうしょう)=何の規律もなく勝手にしたいことをすること。また、そのさま。
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# by dryangle | 2007-04-18 13:03 | 子育て・教育 | Comments(4)
「怒らないしつけ」について②
前回からの続きです…

意欲を持ってチャレンジしたら失敗してしまった。この時の親の反応の
違いはその子供の意欲や失敗についての価値観を決定します。
親の側が結果のみについて、静かに不快の表現や毅然とした態度を
見せれば、子供は新たに別の結果へと再チャレンジしますが、(感情的に)
分別なく怒ればその行動自体を忌むようになります。
体罰はさらにそれを強化することになります。

物事の善悪を知るどころか、怖れによって行動を規制するだけ
というパターンにつながりかねません。

命に関わるような危険に関わることを危ないと教えるためには?と
思われるかも知れませんが、この時期に命に関わるような危険から
子どもを守るのは大人の役目ではないでしょうか?
またマナーを教えるにあたっては、子ども自身が大人のようなふるまい
興味を持ち始めた時、それがマナーを学ぶに足る成熟を知らせる合図。
なんとか寛容に待ってあげたいものです。

親の側が焦り、せかし、強引にすれば、子供もそのまま学び、応えます。
応えきれないことに感情的に行き詰まり、問題行動をさらにエスカレート
させることもあります。
親子の葛藤が堂々巡りになっているケースも多く目にしました。

しつけは経験による情動と動機の結びつけですから、もともと感情との
結びつきはあって当然だといえます。
感情とともに深く刻み込んだものは、感情的に反応してしまうという
無意識の領域での条件反射ともいえることであり、親自身がそれを持つ場合
無意識の領域での反射の感情的な怒ると理性的な叱るを現実の場面で
意識し区別していくのはかなりの努力が必要でしょう。

怖れによる縛りから、理性によって自分を律することへのしつけのあり方の転換
今まさに怒らない育児が提唱されているのは、この意味における親の側の努力
が必要
ということだとワタシ自身は理解しています。
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# by dryangle | 2007-04-18 12:40 | 子育て・教育 | Comments(0)
「怒らないしつけ」について①
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
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育児の話題において、つねに議論の的になる怒らないしつけ

まずは怒ることについてのそれぞれ解釈や感覚の違いに
目を向けてみる必要がありそうです。

親の側のさまざまな反応を、しつけの名のもとに怒ると一からげに
表現されていますが、その中には文字通り怒り(いかり)という感情を
たんに爆発させている
こと(親の側のかんしゃく)もあれば、冷静に
たしなめたり、タイムアウトの方法などを駆使することも怒る
(最近はこれを叱るという言葉で区別するようですが)に含まれています。

この二つをハッキリと区別した上で、ワタシとしては
前者はしつけではなく(勝者の決まった)パワーストラグルであり
後者はしつけのテクニックと呼べるものだと考えています。

まずしつけは、この世の(とくに親の)道理や価値観を子供の中に
観念として再生産
するものです。
それが本当にリーズナブルで必要なものかどうか?
親の側もその観念を検証するくらいに謙虚な態度が必要だと思います。

もちろん、時には感情的になって反応してしまうこともあるでしょう。
たとえ感情的に責めてしまっても、親がそれを反省する姿勢さえあれば
子供にもその反省する姿勢が伝わって(刻まれて)いくのだと思います。

ただ、とくに気にかけておきたいことは…

しつけの理由で、もっとも大切だとされる善悪の区別ですが
(人間関係などの)抽象的な事柄について、それを理解できるのは
脳や精神の発達からいっても一般的には小学校中学年の年齢に及ぶ頃です。

赤ちゃんから幼児期にかけて脳は内側部分から発達し、周囲の事柄と情動
(感情)を結びつけていく基本部分の作業をものすごいスピードで行っていきます。
この頃が好奇心旺盛な時期でもあることは、経験的に知られる通りでして
本人は意欲的にその作業を行っていきます。

この時期に親(周囲)から与えられたメッセージは
この世からのメッセージだといえるほどに重要なのです。
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# by dryangle | 2007-04-18 12:11 | 子育て・教育 | Comments(0)
自分と誰かの「ヨワサ」を許せますか?
多くの心理カウンセリングやスピリチュアル関係の情報の中に
許し手放しという言葉を見つけます。

この精神的境地を自分なりにずっと模索してきましたが
まだまだこれといった実感を得ないままでいました。

注意してみると、ヒトが自分自身や誰かとの関係で苦しむ時
そこには必ず責める気持ちが起こっています。

たとえば頑張れ、強くなれ、うまくやれ、勝ち残れ、負けるなという
メッセージを刻み込まれた心は弱さや失敗を許せなくなります

自分や誰かの中にそれを見つけると、許せないような感情が
自然にわきあがってくるのです。

どうしてやさしくしてあげられなかったのだろう?
どうして憎まれ口やイヤミばかり口から出てしまうのだろう?

そんな風に後悔することはありませんか?

人々の心の中で「ヨワサや失敗」が、癒したり、励ましてあげるという
対象から、憎み、許せないモノへとなってきているように感じます。
加速度的に。

自分自身からそのメッセージを変えてみませんか?
そのままでもいい、そういう時だってある、負けたってダイジョウブ

自分に、誰かにそう語りかけることができた時、なにかを許すこということは
そのままで(変わらなくて)も、自分の心は安定していられる
ことだと気がつきます。

それまで抵抗を感じてきた物事に、たとえその物事の方が変化しなくても
大きな影響を受けることなく、自分の心が安定していられるようになること。

これが許し手放しの境地ではないか?と思うようになりました。

立ち向かうのに勇気が必要なのは、物事よりもそれぞれの心に刻まれた
許せなさのような気がします。
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# by dryangle | 2007-04-05 23:01 | ココロのカラクリ | Comments(0)
気持ちを要求する気持ち
親子関係について考えるために、ネットでいろいろ検索していたところ
こんなお悩み相談の記事が目にとまりました。

個人的に驚いたのは、そこに寄せられた返答の中に
親に感謝するのは当たり前
礼節がない、恩知らず、人の道に反する
…などと、
辛らつな言葉で同調する意見が多かったことです
(ベストアンサーにも選ばれていますね)。

気持ちを表す行為(儀礼)を教えなかったからだとも
指摘されていますが

その実は、この娘さんの心中は感謝の気持ちが湧くほどに
満たされていなかったように感じます。

表す以前の気持ちがなくても、行為(儀礼)があれば満足
なのでしょうか?

人は行為(儀礼)を教えれば、行為(儀礼)のみを学ぶものです。
教える側にその気持ちがない限り、相手に気持ちは育まれません
このお母さんご自身が、人に物は贈っても気持ちを贈ったことがない
のかも知れませんね。

前に書かせていただいた恩着せ・要求(脅迫?)パターンの一つだと
感じられますが、娘に気持ち(物?)を要求するほどに
その心は寂しく飢えているように思います。

どちらが先に気がついて、真に相手の気持ちを満たすことが
できるのでしょうか?

感謝の気持ち」は、満たされて相手も満たしたいと願うこと。
(気持ちを)要求すること」の対極にある精神的境地だということを…

誰かに気持ち(その代償としてのカタチ)を要求してはいませんか?
自分の中にないからこそ、求めたくなるのです。
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# by dryangle | 2007-04-04 01:15 | 親子の関係 | Comments(0)
読み逃げ禁止!?の心の奥
今日、こんな記事が目にとまりました。

ワタシも好んで興味ある話題のBLOGを読ませていただきますし
コメントを残すこともキライではないです(わりと交流好き^^)。
MIXIは、グループのメンバーが訪問履歴(足あと)を残していく
システムとはいえ、コメントなどのカキコミを残さないことが失礼
という発想には、正直大変驚きました。

してくれ症候群?の言葉がアタマをかすめましたが
その症状の代表的なものである恩着せ要求(脅迫?)パターン
(これも勝手な名づけなのですが^^;)なのではないでしょうか?

自分の(精神的)欲求を満たす責任を相手に負わせようとする
という自己愛性格の典型的な傾向性のように感じましたが
「失礼」という、さも道義に背くような言い分で自分側の
要求を正当化している(つまり脅迫している)に過ぎません。

誰もが自分の行動を自己決定する独立した人格を持つ
ということが、多分感覚的に理解できないのではないでしょうか?
独立した人格を持つ個人にナニカを求める場合には、本来
依頼・お願いパターン
になりそうなものです。

悲しいことに、このような人々は、まずそもそも自分自身が
自分の行動を自己決定する独立した人格を持つ
という自信や自覚を得ていないようにも思います。
それを育む機会や権利を奪われてきた結果なのかも知れません。

真の自己決定による行動は、それだけで自分を満足させるものです。
それが叶わないために、他の人に自分のしたことをアピールし
見返りを要求する
というような気持ちになるのではないでしょうか?

世間には、この心理が絡み合った社交辞令があふれていますよね。
この恩着せ・要求(脅迫?)パターンに、必死に応えようとして
精神を消耗している人もいます。

疲れる人間関係ですね~(〃´o`)=3

自分の心が望んでいることを正直に選択できる人は
他の人の選択にも寛容になれるでしょうし
その自分で自分の心を満たすことのできる人こそが
他の人の心を満たすための行為を自発的にできるのだと思います。

気持ちを要求し合うのではなく、満たし合う流れ
なんとか向かないものでしょうか?

あ、そこのアナタ。読み逃げしないでくださいね(^|0|^) オーイ!!
冗談ですって…(^∇^)

ご参考までに→神経症的要求
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# by dryangle | 2007-03-22 14:20 | 周囲の人との関係 | Comments(2)

Illustration by ふわふわ。り