金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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「怒らないしつけ」について②
前回からの続きです…

意欲を持ってチャレンジしたら失敗してしまった。この時の親の反応の
違いはその子供の意欲や失敗についての価値観を決定します。
親の側が結果のみについて、静かに不快の表現や毅然とした態度を
見せれば、子供は新たに別の結果へと再チャレンジしますが、(感情的に)
分別なく怒ればその行動自体を忌むようになります。
体罰はさらにそれを強化することになります。

物事の善悪を知るどころか、怖れによって行動を規制するだけ
というパターンにつながりかねません。

命に関わるような危険に関わることを危ないと教えるためには?と
思われるかも知れませんが、この時期に命に関わるような危険から
子どもを守るのは大人の役目ではないでしょうか?
またマナーを教えるにあたっては、子ども自身が大人のようなふるまい
興味を持ち始めた時、それがマナーを学ぶに足る成熟を知らせる合図。
なんとか寛容に待ってあげたいものです。

親の側が焦り、せかし、強引にすれば、子供もそのまま学び、応えます。
応えきれないことに感情的に行き詰まり、問題行動をさらにエスカレート
させることもあります。
親子の葛藤が堂々巡りになっているケースも多く目にしました。

しつけは経験による情動と動機の結びつけですから、もともと感情との
結びつきはあって当然だといえます。
感情とともに深く刻み込んだものは、感情的に反応してしまうという
無意識の領域での条件反射ともいえることであり、親自身がそれを持つ場合
無意識の領域での反射の感情的な怒ると理性的な叱るを現実の場面で
意識し区別していくのはかなりの努力が必要でしょう。

怖れによる縛りから、理性によって自分を律することへのしつけのあり方の転換
今まさに怒らない育児が提唱されているのは、この意味における親の側の努力
が必要
ということだとワタシ自身は理解しています。
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# by dryangle | 2007-04-18 12:40 | 子育て・教育 | Comments(0)
「怒らないしつけ」について①
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
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育児の話題において、つねに議論の的になる怒らないしつけ

まずは怒ることについてのそれぞれ解釈や感覚の違いに
目を向けてみる必要がありそうです。

親の側のさまざまな反応を、しつけの名のもとに怒ると一からげに
表現されていますが、その中には文字通り怒り(いかり)という感情を
たんに爆発させている
こと(親の側のかんしゃく)もあれば、冷静に
たしなめたり、タイムアウトの方法などを駆使することも怒る
(最近はこれを叱るという言葉で区別するようですが)に含まれています。

この二つをハッキリと区別した上で、ワタシとしては
前者はしつけではなく(勝者の決まった)パワーストラグルであり
後者はしつけのテクニックと呼べるものだと考えています。

まずしつけは、この世の(とくに親の)道理や価値観を子供の中に
観念として再生産
するものです。
それが本当にリーズナブルで必要なものかどうか?
親の側もその観念を検証するくらいに謙虚な態度が必要だと思います。

もちろん、時には感情的になって反応してしまうこともあるでしょう。
たとえ感情的に責めてしまっても、親がそれを反省する姿勢さえあれば
子供にもその反省する姿勢が伝わって(刻まれて)いくのだと思います。

ただ、とくに気にかけておきたいことは…

しつけの理由で、もっとも大切だとされる善悪の区別ですが
(人間関係などの)抽象的な事柄について、それを理解できるのは
脳や精神の発達からいっても一般的には小学校中学年の年齢に及ぶ頃です。

赤ちゃんから幼児期にかけて脳は内側部分から発達し、周囲の事柄と情動
(感情)を結びつけていく基本部分の作業をものすごいスピードで行っていきます。
この頃が好奇心旺盛な時期でもあることは、経験的に知られる通りでして
本人は意欲的にその作業を行っていきます。

この時期に親(周囲)から与えられたメッセージは
この世からのメッセージだといえるほどに重要なのです。
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# by dryangle | 2007-04-18 12:11 | 子育て・教育 | Comments(0)
自分と誰かの「ヨワサ」を許せますか?
多くの心理カウンセリングやスピリチュアル関係の情報の中に
許し手放しという言葉を見つけます。

この精神的境地を自分なりにずっと模索してきましたが
まだまだこれといった実感を得ないままでいました。

注意してみると、ヒトが自分自身や誰かとの関係で苦しむ時
そこには必ず責める気持ちが起こっています。

たとえば頑張れ、強くなれ、うまくやれ、勝ち残れ、負けるなという
メッセージを刻み込まれた心は弱さや失敗を許せなくなります

自分や誰かの中にそれを見つけると、許せないような感情が
自然にわきあがってくるのです。

どうしてやさしくしてあげられなかったのだろう?
どうして憎まれ口やイヤミばかり口から出てしまうのだろう?

そんな風に後悔することはありませんか?

人々の心の中で「ヨワサや失敗」が、癒したり、励ましてあげるという
対象から、憎み、許せないモノへとなってきているように感じます。
加速度的に。

自分自身からそのメッセージを変えてみませんか?
そのままでもいい、そういう時だってある、負けたってダイジョウブ

自分に、誰かにそう語りかけることができた時、なにかを許すこということは
そのままで(変わらなくて)も、自分の心は安定していられる
ことだと気がつきます。

それまで抵抗を感じてきた物事に、たとえその物事の方が変化しなくても
大きな影響を受けることなく、自分の心が安定していられるようになること。

これが許し手放しの境地ではないか?と思うようになりました。

立ち向かうのに勇気が必要なのは、物事よりもそれぞれの心に刻まれた
許せなさのような気がします。
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# by dryangle | 2007-04-05 23:01 | ココロのカラクリ | Comments(0)
気持ちを要求する気持ち
親子関係について考えるために、ネットでいろいろ検索していたところ
こんなお悩み相談の記事が目にとまりました。

個人的に驚いたのは、そこに寄せられた返答の中に
親に感謝するのは当たり前
礼節がない、恩知らず、人の道に反する
…などと、
辛らつな言葉で同調する意見が多かったことです
(ベストアンサーにも選ばれていますね)。

気持ちを表す行為(儀礼)を教えなかったからだとも
指摘されていますが

その実は、この娘さんの心中は感謝の気持ちが湧くほどに
満たされていなかったように感じます。

表す以前の気持ちがなくても、行為(儀礼)があれば満足
なのでしょうか?

人は行為(儀礼)を教えれば、行為(儀礼)のみを学ぶものです。
教える側にその気持ちがない限り、相手に気持ちは育まれません
このお母さんご自身が、人に物は贈っても気持ちを贈ったことがない
のかも知れませんね。

前に書かせていただいた恩着せ・要求(脅迫?)パターンの一つだと
感じられますが、娘に気持ち(物?)を要求するほどに
その心は寂しく飢えているように思います。

どちらが先に気がついて、真に相手の気持ちを満たすことが
できるのでしょうか?

感謝の気持ち」は、満たされて相手も満たしたいと願うこと。
(気持ちを)要求すること」の対極にある精神的境地だということを…

誰かに気持ち(その代償としてのカタチ)を要求してはいませんか?
自分の中にないからこそ、求めたくなるのです。
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# by dryangle | 2007-04-04 01:15 | 親子の関係 | Comments(0)
読み逃げ禁止!?の心の奥
今日、こんな記事が目にとまりました。

ワタシも好んで興味ある話題のBLOGを読ませていただきますし
コメントを残すこともキライではないです(わりと交流好き^^)。
MIXIは、グループのメンバーが訪問履歴(足あと)を残していく
システムとはいえ、コメントなどのカキコミを残さないことが失礼
という発想には、正直大変驚きました。

してくれ症候群?の言葉がアタマをかすめましたが
その症状の代表的なものである恩着せ要求(脅迫?)パターン
(これも勝手な名づけなのですが^^;)なのではないでしょうか?

自分の(精神的)欲求を満たす責任を相手に負わせようとする
という自己愛性格の典型的な傾向性のように感じましたが
「失礼」という、さも道義に背くような言い分で自分側の
要求を正当化している(つまり脅迫している)に過ぎません。

誰もが自分の行動を自己決定する独立した人格を持つ
ということが、多分感覚的に理解できないのではないでしょうか?
独立した人格を持つ個人にナニカを求める場合には、本来
依頼・お願いパターン
になりそうなものです。

悲しいことに、このような人々は、まずそもそも自分自身が
自分の行動を自己決定する独立した人格を持つ
という自信や自覚を得ていないようにも思います。
それを育む機会や権利を奪われてきた結果なのかも知れません。

真の自己決定による行動は、それだけで自分を満足させるものです。
それが叶わないために、他の人に自分のしたことをアピールし
見返りを要求する
というような気持ちになるのではないでしょうか?

世間には、この心理が絡み合った社交辞令があふれていますよね。
この恩着せ・要求(脅迫?)パターンに、必死に応えようとして
精神を消耗している人もいます。

疲れる人間関係ですね~(〃´o`)=3

自分の心が望んでいることを正直に選択できる人は
他の人の選択にも寛容になれるでしょうし
その自分で自分の心を満たすことのできる人こそが
他の人の心を満たすための行為を自発的にできるのだと思います。

気持ちを要求し合うのではなく、満たし合う流れ
なんとか向かないものでしょうか?

あ、そこのアナタ。読み逃げしないでくださいね(^|0|^) オーイ!!
冗談ですって…(^∇^)

ご参考までに→神経症的要求
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# by dryangle | 2007-03-22 14:20 | 周囲の人との関係 | Comments(2)
「泣かないで」より「泣いてもいいんだよ」
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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興味があって、話題のストレスホルモンcortisol(コルチゾール)について
いろいろと情報を集めています。

(ここから…コムズカシイ話は読み飛ばしてください)

これはストレス時に、脳下垂体の副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の分泌を受けて
副腎皮質から分泌されるホルモンですが、ともに分泌されるカテコールアミンの
働きを補助する作用を持ち、ストレスへの態勢を整えるものだそうです。

このコルチゾールの分泌が過剰だったり効き過ぎると、他のホルモンとの
バランスが崩れさまざまな弊害が出てくるとのこと。
自律神経の調子を狂わせたり、免疫力を低下させたり、女性のPMSや
生理痛とも関連が深いようです。

また記憶と感情に関連する領域である脳の海馬(hippocampus)の
細胞を殺す
ということが動物実験で明らかになっており
この海馬の損傷によって、以降も不安をより強め、ストレスの兆候を長引かせる
のではないか?と考えられているそうです。

(ここまで…コムズカシイ話は読み飛ばしてください)

うつ病の人はこのコルチゾール濃度が高く(コルチゾール濃度が高いと気分が重い)
このホルモンがうつや不安障害などと関連していることも明らかになってきました。
このホルモンの過剰分泌が、意欲を失わせるといえそうですね。

ところで、コルチゾールについての研究の中でウイリアム.H.フレイ2世博士
という方が、感情的に流される涙にはコルチゾールを排出する働きがある
ことをつきとめました。

多くの人が泣いた後はスッキリするということを経験的に知っていますが
涙には精神的なストレスを解消する役割があるのだということです。

例によってひっくり返してみると、涙でストレスを発散できないと害になる
ということではないでしょうか?

一般に女性の方が泣きやすいと言われていますが、涙を見せないように
泣くのを我慢することを躾けられる文化背景が日本にはあります。

これを読んでいるアナタも
泣きたいのをこらえた経験がたくさんあるのではないでしょうか?

これからは意地を張らずに、なるべく泣くことを自分に許してあげてくださいね。
イザという時のために泣ける環境(場所)を探しておいてみたり
気持ちがモヤモヤしている時には、感動的な映画や本などを準備して
積極的に泣くこともいいかも知れません。

これは涙で洗い流す心のお掃除法だといえるように思います。
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# by dryangle | 2007-03-20 15:49 | ココロの不調 | Comments(2)
心の関係を見つめる時に…
自戒を込めて、ワタシが第三者として人の心の関係を見つめる時に
心がけていることを書き留めてみたいと思います。

それはjudgeにならないということです。

心の世界では、善悪や正邪・正誤などの観念がその人の心の座標
によって大きくズレたり、時には反転することさえあります。

問題のどちらの言い分がリーズナブルであるか?を、第三者の視点や一般論で
評価できたとしても、問題を生み出す心の原因癒すことにはつながりません。

時にはそれらの意見が、本人の気づきを妨げる結果になりかねないこともあります。

そのために、訴えている問題の裏に隠されたその人の本心と、その反応(行動)
の目的
を探すように努めています。
それを具体的に言葉にして、こういうことではないでしょうか?と問うだけです。

その一つ一つから、その人がああ、そうかと思えることで
(もちろん、的外れなこともあるでしょうが)、これまでに認識しなかった
なにかに気づくことを促すように。
そして今の方向性を修正しようと気づくことも、その人の心の癒しとエクササイズ
になるではないかと思います。

また感情的に異論・反論が込み上げるというような、心の抵抗に気づくことでさえ
その心に現状を変化させるための風穴が開くことには違いないように思います。

人に他人は救えない

ワタシはこの言葉に戒められ、そして救われもした経験があります。
誰かが自分の心を救おうと挑むお手伝いができたらいいなぁ…と思っています。
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# by dryangle | 2007-03-19 22:13 | ココロと思想 | Comments(0)
離れたほうがイイ関係?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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人と人との心の衝突の中で、関係を絶ちたくなることがありますね。
多くはパワーゲームに陥ってしまった関係なのだといえそうです。

先の「してくれ症候群」に関連する話ですが、してもらうために関係を
得たはずの相手から期待通りに得られないものを、要求し合う戦い
だといえなくはないでしょうか?

またそのパワーゲームでは、要求が叶わないことを自覚した側が
一方的にその関係を絶ちたくなることもしばしばあるようです。

今の時代、無理に関係に縛られる必要はないと思いますし
もちろん、一方からのパワーゲーム(というより制圧ですね^^;)によって
他方が精神的にひどく消耗している状況だとすれば
その人は、その関係から離れることが大切だと思います。

ところが、お互いに拮抗したパワーゲームである場合、この悲劇に気づき
その戦場から降りて、新たな関係のあり方を模索することでその関係が
好転・成長していくこともあるのではないでしょうか?

今の関係を離れてみても、また別の相手とパワーゲームの関係を繰り返し
人と心の衝突が絶えないのはなぜ?と嘆く人がいます。

誰かを制圧して思い通りに事を運んでも、人からの暖かい情だけは
得られることなく、さらにそのチカラをエスカレートさせる人がいます。

この心のパワーゲームには勝者はないと、つくづく思うのです。
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# by dryangle | 2007-03-19 09:56 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
体罰は"効果的"なのです。
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●追記● Jan. 22 '13
ここ最近「体罰」というキーワードで検索されて、この記事を
読まれる方が多いようです。
体罰を苦にした高校生の自死という悲しい出来事が世間を
騒がせていますが、いわゆる体育会系的な指導について
あらためて考えてみました。…→読む


しつけのために子供を叩くか、叩かないか賛否両論ですね。

価値観の違いという二極論にして片づけてしまう前に
ぜひ、しっかりと検証してみてください。

とくに、言葉による理解やコミュニケーションが未熟なお子さんの場合
その行動をコントロールする手段としての体罰は非常に効果的です。

叩くしつけ肯定派の方々が口を揃えておっしゃることは
口で言ってもわからないから、体に覚えさせるということですが

まさしくその通り!罰(痛み)を受ける恐れによって
行動を規制させることが他人をコントロールする最も効果的な方法
だと誰もが経験的に知っているのです。

この点で、その時の結果だけを見れば体罰が子どものしつけに有効
だという言い分は間違っていないのです。

成長してから「あのとき親に叩かれて(力による規制が)よかった」と
言える人は全般的には親子の関係が円滑であり、現在その人が
幸福な状態であるからだといえます。
もしくは、親や自分の行為を強迫的に肯定しようと
観念にすり込まれている
か…

専門家の間では、前者は非常に幸運な例外とされています。

多くの場合において、叩かれたことは、恐怖と、屈辱と、怒りと、そして
「自分が悪かった」という自己否定の習慣が感情とともに刻み込まれます。
とくに長期記憶の成立しない年齢では、その後にその事柄をふり返って
それが親の愛情による行為なのだという意味づけを行うことができません。

後になって、自己肯定感が得られないことによって精神の不調を訴える
こととなる原因ではないか?と考えられているのです。
これは体罰に限らず、言葉でひどく責める場合も同様ですね。

また、しつけや怒りの表現としての肉体的(&精神的)罰を受け手としても
また自らが行い手としても容認させられるという側面があります
(これが前述の観念へのすり込みです)。
将来、DVの加害者や被害者となってしまう精神的背景につながりかねません。

想像ですが、叩くしつけ肯定派の方は、ほぼ例外なく叩かれて育った
のではないでしょうか?

戦争やテロなど、大きな規模で起こる悲劇的な暴力までも
感覚的に容認できるヒトがいることも理解できるような気がします。

この世界から暴力を絶やすには、個々の家庭内においても
非暴力主義が実現されることが、重要なのではないでしょうか?

ガンジー並の精神力が必要かも知れませんが…(〃´o`)=3

罰を怖れる(怒られるから)という動機ではなく、自らの意志に
よって行動を律する
ことのできる子供に、そして人間に
育っていって欲しいと思います。
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# by dryangle | 2007-03-15 10:28 | 子育て・教育 | Comments(9)
命名"してくれ症候群"…愛に飢える主症状
(誰それが)あれをしてくれない、これをしてくれないと、枚挙にいとまのない人がいます。
悩みの相談や愚痴聴きに応じると、ほとんどがこのパターンだったりして^^;

そして、ワタシ自身も、イライラしたり、落ち込んだり、孤独に感じたりする時に
この(誰それが)あれをしてくれない、これをしてくれないという気持ちを
自分の心の中に見つけます。

こんな気持ちの状態を、以前から個人的にしてくれ症候群と名づけていたのですが
最近、これに似た言葉を見つけました。

かつて流行ったというくれない族
自分と他者との関係で「してもらう」ことに価値基準を置く人を指すそうです。

もう少しワタシ的な考えをつけ加えさせていただけば
「してもらう」ために「してあげる」ということも同様なのではないでしょうか?

例えば「誰かのために」したことであっても、相手に期待した成果や反応が
なかった時に不満になってしまうというのは、その成果や反応を相手から
「(して)もらう」ためのしてくれ症候群からの行動だといえそうです。

心理学的には、最近よく耳にしますが自己愛不全傾向と言われています。
赤ちゃんの認識のまま、母親の役割である「してくれる人」
他人に求めるということなのだそう。

成長とともに、母親の「してくれたこと」愛情に裏付けられた得がたいものだと知り
してくれなかったことより、してくれたことの方を強く意識するという転換期が訪れます。

ここに母親からの、そして大人としての精神的巣立ちがあるのではないでしょうか。

ところが、そもそも「してもらえなかった」場合や、また肝心の「してあげる」動機が
純粋な愛情ではなく、してくれ症候群によるものであったら?

世間には、肉体的には成長したわが子に「してあげ続ける」親も多く見受けられます。
これは、その動機がしてくれ症候群によるものであったために止め時を知らないままの
状態なのではないでしょうか?

そのような場合、得ることの喜びが満ちることはなく、感謝の気持ちはわかずに
してくれ症候群は再生産されていくように思います。

これは要求されずに受け取ることのできる、いわばに満たされていない飢餓症状
なのではないかと思う今日この頃です。
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# by dryangle | 2007-03-13 12:46 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り