金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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心の話題では、よく「鏡の法則」なるものを耳に(目に)します。

自分に起こることや問題は、外界や他者という「鏡を通して観る
自分の内面の投影」であるという原則から説明されます。

私ずっと、なぜかこれに未消化な違和感を抱いてきました。

私の方だって鏡なんじゃないの?

だから簡単には、主体となって意志通りに自分を動かせない。
むしろ自分の方が反映(リフレクション)なのではないか?と
実感することがほとんどだったんです。

ある日、偶然ビデオフィードバックの映像を眺めていたところ
インフィニティフィードバック(無限に映し合う合わせ鏡構造)
という言葉がアタマに浮かんで、もしかしたら?と考えました。

「合わせ鏡」なんじゃないか?って。

だからこそ、ポジにしろネガにしろ関係性によってスパイラル
起こってくるのではないか?と。

自分だって鏡なのだから、自分に映る像を自分では変えられない

…じゃぁ?どうしろっていうのよ?

その構造に気がつけば、笑っちゃうくらい単純なことなのですが。

ただ自他の鏡に展開する映像ばかりにフォーカスするのではなく
向き合った合わせ鏡を、いったん外側から見る視点を持つことで

じつは、自分の鏡の向きを変えられることを忘れていた!
ということに気がつくと思います。
そこにこそ、深層の意志や意識のチカラが強く働いていた。

それを忘れ去って、鏡の向きを慣性のまま固着させてしまうことが
執着や依存ともいえるような現象なのかな?と。
自我も、カルマも、防衛機制も、観念も、人生脚本も、強迫も
その慣性のことではないの?と。
自分勝手にチマチマと腑に落ちてきます。

素敵な像を映し出したままならいいのですけれどね。

その向きへの志向性が鏡の傾向性にもなるように思います。
文字通りに。

「今」幸せになる。

幸せな環境が幸せな人を作るのではなく
幸せな人が幸せな環境を得る。

人は他人を救えない。

そんな先人たちの言葉も真実味を帯びてくるのではないでしょうか?

明るいこと、やさしいこと、楽しいこと、嬉しいこと、素敵なことに
心の向きを換えてみませんか?

それができるのは、今ここ、この瞬間、この私の意識だけ。

知る方に伺いたいのですが、Oshoやマイケル・J・ローズのいう「反応と応答の違い」や
ゲリー・ボーネルの「リアクションとレスポンスの違い」にも通じるでしょうか?


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# by dryangle | 2016-12-10 10:22 | ココロと思想 | Comments(0)
屈折した承認欲求(承認依存)
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承認欲求というと通常、褒めてほしい、認めてほしい、評価してほしい
といった類の気持ちだと考えますよね。

もちろんそれは心の健康な人にもあるもので、ヤル気の素にもなります。

ところが、安全欲求と同じレベルで他者の承認が自分の存在理由の
大前提
とまでになってしまうと、時に狂ったように意固地になって
相手・他者のアテンション(注目)を得ようとしてしまうのです。

「カマッテ欲しい」の屈折バージョン

謝って欲しい、感謝して欲しい、悪いと思ってほしい、従って欲しい
大変だと思って欲しい、肯定して欲しい、可哀想だと思って欲しい
叱って(責めて)欲しい、許して欲しい
不幸だと認定して欲しい⁉︎
命令(指示)して欲しい、チヤホヤして欲しい、自分を立ててほしい
目を離さずにいて欲しい、羨ましがって欲しい…キリがありませんが。

それらはつまり、すべて私の価値を認めて欲しいの変形なのです。
これらは養育者とのコミュニケーションパターンが滲み出ます。

ちなみに、私の親もどうでもいいことで怒り狂う時には必ず
「他人は叱ってくれないんだからね。ありがたく思え」と言っていましたっけ。
私には誰にでも自分がけっして悪くなくても謝るクセがありました。

そのパターンが刺激される状況に陥ると、スイッチが入ったように
(妄想の脳内上映が始まり)それを要求する言動に走ってしまいます

感情的脅迫と呼ばれるような、恩着せがましさ、自慢や自己顕示
犠牲や虐げられてるアピール、忙しさや頑張ってるアピール
嫌みや皮肉に嘲笑、マウンティング、さらには号泣や恫喝…
といった振る舞いはド定番です。

罪悪感や劣等感に被害者意識を刺激
し、押しつけのコントロールを
「あなた(誰か)のために」とすり替えるのはもはや常套句

すべて物乞いならぬ気持ち乞い。

ただでさえ希薄な自分の存在価値を確認する裏づけの気持ち乞いです
から、そのエネルギーといったら並大抵ではありません。

「心のエネルギー泥棒」といわれる人もこのタイプです。

同じプログラムを持たない人には、しつこい、ウザイ、クドイと思われ
離れていかれる一方で、反対にそれを持つ同士の間には持ちつ持たれつ
の依存関係
が生まれやすいのです。

自分の中に、相手の中に、それを発見したら
不毛で消耗する関係を断つチャンスです。

自分が自分で根拠もなく、ありのまま、そのまま価値があると思える。

そのように自分の側が変わるだけで、存在価値を奪い合うのではなく
互いに気持ちよく認め合える間柄に人間関係も変わっていきます


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# by dryangle | 2016-12-04 20:44 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「ごちそう」アディクション?
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前回の話題のオマケ、というかたんなる思いつき話です。

前述のコへレトの言葉からの抜粋。

あなたの王はわらべであって、その君たちが朝から、ごちそう
を食べる国よ、あなたはわざわいだ。
あなたの王は自主の子であって、その君たちが酔うためでなく
力を得るために、適当な時にごちそうを食べる国よ、あなたは
さいわいだ。(第10章:16,17)

眺めていたら、今度は「ごちそう」にひっかかりました。

この「ごちそう」を報酬系のホルモン(脳内物質)と解釈したら
なんだかとっても面白いのではないかと。

憑りつかれたように、ひたすらになにかを得ようとして
不足を追い回している時、あなたは不幸だ。

本意に従って、自己に酔うためにではなく力を得るために
適時ふさわしい努力をして成果を得る時、あなたは幸せだ。

そんな風に読んでみたら、じつに妙ではないでしょうか?
言葉遊びのようで、お叱りを受けそうな気もしますが…

快感となるホルモンはもちろんのこと、達成や承認という条件が
前提とプログラムされれば、ある意味で努力や困難、問題もまた
依存対象
となり得ます。
また快感自体よりも、前回お話ししたような「求愛行動」として
条件づけられているのかも知れません。

自らを不幸だと思っていたり、不安や不満に煩わされているのなら
なにかに固執(執着)している、その感覚基準そのものが、世間や
誰かに背負わされたものだという可能性はないですか?

不幸も、貧乏性もまた「ごちそう」アディクションかも知れません。
一度深く検証してみるのもアリかと思います。

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# by dryangle | 2016-11-29 12:08 | ココロと思想 | Comments(0)
他人軸…の根っこは親への求愛行動?
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暗い時間が長くなるこの季節は巣ごもりしたくなります。
自然と読書の時間が増えるのですが、この頃は宗教や哲学
分野の世界観を人の心の世界に翻して解釈してみる*ことに
面白さを見い出しています。

仏教にはもともと哲学や心理学ともいえそうなディテールが
あります。
渇愛によって生じる苦からの解放を目指すための方法論
である仏教。
その渇愛(愛、執着)はつねに満たされぬ想い(不満足)
であり根本の欲ともされます。
バッサリとハショると「まずはその法則(縁起)を見抜けよ」
という話(如実知見)が基本となります。

以前どこかで、動機の(とくに他者や集団の理不尽なルール
要求や期待に自分を抑えて従う)根底には親への求愛行動
あるのではないか?という話を見かけ、その言葉がやけに心
に突き刺さり頭に廻っていました。仏教の渇愛という言葉と
親から周囲の人、社会へと拡大した重要他者を軸としてその
価値基準や承認に反応・行動してしまうのはある種求愛行動
ではないのか?との考えのイメージが符合したのです。

永遠に満たされることがなく
それが苦(悩)を生み出していく。

いや、ホント、マジで。

そういえば、昔とにかく知識のために「読み倒した」聖書で
異質(今思えば仏教的?)な香りのする文章があったことを
思い出し、探し出してみました。

以下は旧約聖書、コへレトの言葉(伝道の書)から抜粋です。

あなたの王はわらべであって、その君たちが朝から、ごちそう
を食べる国よ、あなたはわざわいだ。
あなたの王は自主の子であって、その君たちが酔うためでなく
力を得るために、適当な時にごちそうを食べる国よ、あなたは
さいわいだ。(第10章:16,17)

この「国」を自身、「王」を自分の心を司るものだと解釈したら
どうでしょう?

ちなみにわらべという言葉のヘブライ語には、あやつり人形や
奴隷の意味もあるそうで、懐柔されている王によって国の災い
が起こるように、懐柔されている心によって自分の世界の苦悩
も起こるのだと考えてみると興味深く感じます。

自主は言葉通りの意味の他に、知恵や神を畏れる心という意味
らしいのですが、自分という存在の奥底の意識やその本心だと
読みとってみるとさらに意味深ではないでしょうか?

今よく耳にするようになった自分軸という感覚。

むやみに探すよりも、他者(やその価値基準)の承認を求める
ものでないかどうか?
を見極め、削っていくと見えてくるかも
知れませんね。

そこには状況や成果に左右されない、今この私の揺らがぬ満足
がありそうです。

…あなたのその「やさしさ」も求愛行動ではないですか?

*
あくまで素人のごく個人的な浅知恵による解釈に過ぎません。

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# by dryangle | 2016-11-26 15:05 | ココロと思想 | Comments(0)
意識のつながり(しがらみ)
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最近、脳のミラーニューロンや網様体賦活系の働きなどに
関する話がなにげなく目に入り読み漁っていたのですが

例えばユングの集合的無意識や共同幻想といった形而上の
意識のつながりや枠組み、階層の存在が脳の働きにおいても
説明できる日が近いのではないかと感じてきました。

電波系はともかく、ビッグデータの解析からはそれぞれの
意識というデバイスが、見えない次元で情報のやり取りを
しているのではないか?
そして今ではインターネットの普及によって、地球規模の
ネットワークを形成しているのではないか?という仮説も
あります。

誰もが、親子や家族といった濃い関係はもちろん所属する
文化や集団にも性格があり、暗黙の制約を実感しますよね。

appleのデバイスならOSはiosというような生来的な制約は
あるでしょうが、OSをインストールすれば基本同じような
働きができるようになります。

母体の中にいる時から、ハードの組み立てと同時に基本OS
(母親のそれと似た)のインストールも始まる
と考えれば
業(カルマ)と呼ばれるものの受け渡しの説明も漠然とは
想像できるように思うのです。

思考はもとより感情的な反応といえば、OSが後天的に自己
プログラミングするセンサー&アラートシステム
と考えると
ちょっと面白いです。私たちはそれを「自分」と感じている。

なにを言いたいかといえば、国や地域、文化や言語の違い
によってその性質やムード(気?)が一変するということ。

生まれてからずっと家や土地、地域、国、言語などそれぞれの
レベルでモノカルチャーから出たことのない場合はなかなか
わかりづらい(理屈だけで理解しにくい)感覚です。

いわゆる価値観、正義や悪といった根源の尺度さえも真反対に
なったりします。

これがつながりとなって、互いの仲間意識や誇りを生むことを
否定するものではありませんが、そのために個々人が個人的な
自由を制約
されたり、さらには外集団に対する排他性や好戦性
を強めるというしがらみとなっている場合も少なくありません。

ある考え方やあり方、行動に、許さなさ後ろめたさを感じる
としたら、必ず誰かの(集団)によるしがらみが存在します

ぜひ一度、自分という意識を意識してみませんか?

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# by dryangle | 2016-10-31 14:16 | ココロと社会 | Comments(0)
心の条件反応(暗示による解離?)
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これほど心についての知識を求め集めても、運動の能力と同様に
理解することと、実際に「自分の心を解き放つ」能力を得ることは
ベツモノです。

心の内でラスボスと呼ぶ親類からの連絡や荷物が届くと、動揺し
しばらくは憑りつかれたように心ここに在らずの状態になったり
落ちこんだりする反応
は、長らく家族が不思議がるほどでした。

最近、じつは敬遠してきた催眠療法の関係の書物に手を出すように
なったのですが、これまでトリガー(心の地雷)や自動反応などと
表現してきた現象を、暗示や催眠による解離という用語での発想で
考えてみると大変興味深く、また何かが解けたような気がしました。

ベイトソン*については機会をあらためますが、ダブルバインド*
解離をひき起こす暗示かけになるという構造が、前述の連絡や荷物
の件と符合し、恐ろしくピンとくるのです。

ほぼ例外なくこちらの望んでいない形式やモノを受けとるパターン。
それらの「アナタのために(受け取らないという選択はない)」と
いう言外に「恩返ししろ、面倒を見ろ」というメタメッセージが
仕込まれ(拘束されると認識し)ているがゆえに、それを受け取る
ことに、吐き気を催すまでの抵抗を感じていたのだと実感しました。

現実には相手にそこまでの大意のない場合でも、こちら側にすでに
そのような暗示(メタメッセージ)が入って
しまっている。
だからこそ、別の人からのまったくの好意による助けや贈り物さえ
受け取ることに抵抗を感じてきたのだと納得です。

そういう視点で見てみると、建前と本音の文化背景のある日本では
ダブルバインドによる無意識レベルの支配が横行しやすいともいえ
自動反応制御の人間育成がされているといえるのかも知れません。

トラウマというほどに大ごとではありませんし、障害というほどに
影響するものではないかも知れませんが、素直に従うことができず
自分自身の本音が干渉するとなると(程度の差こそあれ)ある種の
スプリットを生んでしまうといえるのかも知れません。

さまざまに入れ込まれた暗示が、本人の意志や楽しみ・喜びを阻み
生きづらさや、時に発作的な思考や感情に結びついているようにも
感じられます。

今後さらに、知識や情報を仕入れ考えてみたい分野ではありますが

やはり心の中でラスボスを怪物に仕上げてしまったのは、他ならぬ
自分自身の心の仕組みなのだといえそうです。

~解離とは?~
おおまかには、一定の記憶や思考が通常の意識から切り離されること。
個々の体験の要素がほつれる「統合性の喪失」。
ヒステリーや神経症状の原因とされる。フロイトの抑圧(水平の壁)に対して
垂直の壁とも呼ばれている。スプリッティング。
ジャネ (Janet,P)のdésagrégationとdissociation、精神分析における防衛機制
メラニークラインのいうsplitting(自分ではなく対象を分ける)、病的か否か?
概念と言語によって語義やニュアンスがさまざまに変わる。


*
Gregory Bateson 米国の人類学者。統合失調症患者のコミュニケーションを研究
ダブルバインドという概念を普及する。
 
*
二重拘束の意。ベイトソンによる定義とは別の概念が広まっているが、表面的な
メッセージとメタメッセージが矛盾するコミュニケーション状況に置かれること。

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# by dryangle | 2016-10-16 17:56 | ココロのカラクリ | Comments(0)
その人の中に誰を見ているの?
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今回は少し流れを換えて、基本に立ち返ってみようと思います。

…というのも、人間関係のトラブルに関するお話を伺う際には
必ずといっていいほどに「相手に対するバイアス(偏り)」が
感じられます。
第三者だからこそ感じるのですが、ご本人にとってはその像は
絶対の真実であり、突き崩すことは容易ではありません。
当人が気づくしかないのですが、心理学的な概念の普及はその
一助になるかと思います。

アタマの中で、過去の記憶にある関係性とエピソードを再現
自分が傷つかないように条件反射的にふるまってしまうのです。
このために相手を誤解したり負の影響を与えてしまうことも。

第一に。これはよく知られていますが、相手の態度や行為の中に
親を重ねて見てしまうことがあります。
それによって相手を好意的に感じられるということはまず少なく
どちらかというと相手に威圧感、口うるささ、怖さ、監視の視線
などを強く感じストレスとなります。

過敏になるとある種(いわゆる)神経症に近づいてしまいますが
ここでは深追いせずに、一般的には子どもの自分のあり方を再演
してしまいます。自動反応的に
自分の親(養育者)との関係において、反抗的であった人はつい
反抗してしまうでしょうし、委縮してしまいなにも言えなかった
人はやはり言いたいことを飲み込んでしまうでしょう。
泣いてみる、甘えてみる、イジケてみる…^^;

実際の相手を見間違い、新たな現実でほど良い関係を築くことを
阻む原因にもなっています。

そして第二に。こちらの方が実感しづらいこともあるようですが
自分を守るためその優位性を保とうと、相手の中に子どもである
自分を重ねて見る
ことがあります。実際にどうであるのかは別に
相手の弱さ、拙さ、欠点などがやたらと目についてしまいます。

この際になんと自分が再演するのは元々自分に対する親のあり方
なのです。自動反応的に。
自分の親に責められた人は相手を責めます。同様に怒鳴られた人
はつい声を上げるでしょうし、嘲笑された人は相手を嘲笑します。
実態とは関係なく、相手を無能、弱者、未熟者として扱うことも。

相手との関係を悪くするばかりか、その長所や能力を委縮させて
しまいかねません


パートナーの中に、我が子の中に、上司や同僚、部下の中に…

ついつい誰か(過去の重要他者ー親や養育者、先生や指導者)の
あり方を映し出し、お互いに自動反応的に関係をこじらせている

そんな状況が顕わになっている場合が少なくないのです。

またニュースで見かける傷害事件などでは、見知らぬ相手との間
でも突発的に起きていると想像します。

それらのパターンを自覚し、意識的になること。まずは自分から
相手のそれが垣間見えた時には、土俵から降りること
(自分が先にそのパターンを見抜くと、相手も覚めることが多い)

相手につい負の感情が強く沸いた時にこそ、その人に過去の誰か
との関係を重ねてないか?
を自問してみてくださいね。

(さらに興味や関心のある方は投影や、投影性同一視、投影同一化などの
キーワードを調べてみてください^^)

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# by dryangle | 2016-10-11 15:49 | ココロのカラクリ | Comments(0)
他縄自縛を解く(振動を止める)
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以前の話題の続きといえるような内容です。

先日のこと。家人がスポーツの試合を見ていて、応援している
チームの雲行きが怪しくなってきた時に

「自分が見ていると、負けてしまうような気がする」

といってチャンネルを換えていました。

「ハラハラして見ていられない」というのならともかく(これが図星?)
なぜ「自分が見ていると」と考えるのだろう?と興味を持ちました。

思い起こせば、私の親(養父)も、絶対的なチャンネル権を持ち
見ている野球の試合で贔屓のチームが負けそうになってくると
すぐ不機嫌になり、いきなりスイッチを消したりしていました。
負けが決まれば、次の日までも大荒れで家族に八つ当たりです。

ここで自己同化という言葉がアタマをよぎりましたが、それ以前に
対象を自分と結びつけて考えているという共通性に気づきました。

それに対して、自分の感情の反応とも関連づけられている

応援している相手が成功した喜びを自分ごとのように味わうのは
ワクワク楽しいかもしれませんが、その逆となると本人ばかりか
周囲のストレスにもなりかねませんよね。

また物事の成り行きばかりでなく、他者の機嫌や感情の状態
(表面的には言葉や態度に)自分の感情を支配されてしまう
ことがあります。
劣等感や罪悪感、被害・被責妄想といったネガティブな想いが
自動的に反応するのです。それを無理に否定することによって
次にはわき上がる怒り、それを押し殺した果ての恐れや不安
キレたりパニックになったり、制御不能の感情発作へと進行します
(各種依存症や強迫などいわゆる神経症もその回避と想像します)。

結果、不本意な行動を余儀なくされることもあるでしょう。
その経過によってさらに強化されていく条件反応

この関連(条件)付けは成長過程で形成されていくものですが
心が追い詰められてしまうまでには、もう一つ理由があります。

その関連づけを自分の意志で絶つ権限や能力を持てないまま
されてしまっているということです。

多くの場合、自分の気持ちや意志を否定や無視され続けたり
叱責や嘲り、条件付きの愛情や評価といった賞罰によって
望むあり方を強制(干渉)され続けたという背景があります
(↑※の人によって)。

他人軸や他人中心とも呼ばれますが、相手の言い分や機嫌に
自分の感情や思考、行為の選択まで主導権を明け渡している
状態です。
キツイ言い方ですが、悲しくも自分の心の支配権を売り物に
して
生き抜くことを学んでしまったのです(→※の人)。

心の共振現象のカラクリも、共振しないためのアイデアの糸口
もこの辺りにあるように思います。

それについては丁寧にじっくり考えていきたいところですが
まずはシンプルなことから。
こちら側の振動数を換えるとか、ヤヤコシイことはさておき
振動を止める。そのためには

自分と関連させない
(まずは関連づけに気づく視点を持つ)。
普段から自分の本心や直感と対話し、その選択を優先する。

という方向性で自分の心の解放(逆条件づけ?)を意識して
いくことが、癒しにつながると考えています。

もちろん容易ではないことですが、とっさに振動を止める
スィッチ
となる言葉を用意しておくといいかも知れませんね。

子どもが幼い頃、二言目には口から出ていた「Who cares?」

「だから、どうしたっていうの?(そんなのカンケーネー)」

今はちょっとした神言葉にさえ思えます。

ネガティブな感情に心を揺さぶられそうになったら、心の中で
つぶやいてみてください。お試しアレ^^

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# by dryangle | 2016-09-29 22:57 | ココロのカラクリ | Comments(1)
したいことにチャレンジ!の落とし穴
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
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前回、「してはいけないこと」について書きましたが
今回は「したいこと」についての話にふれてみたいと思います。

…というのも

心の話でよく出回っている、今の自分を変える(自己変革)のために
「思いきってしたいことをやる」系の話。
大筋はともかく、発展形に違和感を感じるものも多々見受けられます。

まず基本の考えとして、人は自分に許せないものは他人にも許せない
怒りや不満、不安といった許せなさを感じた時に、そこにある自分を
縛る観念
、つまり無意識に自分に禁じたり、強いたりしている物事が
あると気づくことの大切さがあります。

ここで飛躍というのか、そのあとのチャレンジとしてよくあるのが

①相手のあり方をを許す。
②相手と同じあり方を自分もする(自分にも許す)。

この②が、自分の「したくてもできないこと」と混同されチャレンジ
のファクターとなってしまうことの危険性です。

というのは、相手のそれ自体も「したくてしていること」ではなく
劣等感を根に持つ優越感や正義、体裁といった自分を守ろうとする
防御反応である場合が多いのです。

つまり「苦し紛れ(の埋め合わせ)」。

誰かの同じ種類のそれと出会うと、対抗するために上に書いたような
許せなさのような抵抗感(怒りや不満、不安)が触発される
のです。

その際に、内省してチャレンジとして相手のあり方と同様にあろう
とすると、そのことが許せるようになり気にならなくなる可能性も
あり得ますが、縛りが解けないまま不必要に自分を苦しめることに
なる危険性も高いのです。

たとえば、パートナーに浮気されたり、誰かに不当に扱われた。
傷ついた。悲しかった。凹んだ。アタマにきた。苦しんだ。

そこに自分を苦しめる感じ方や考え方があるのは確かなのですが

それを癒すために、許せるために、楽になるために
気にならなくなるために、幸せになるために

自分も浮気にチャレンジ! 誰かを不当に扱ってみよう!
(そもそも「大切な人を殺されたら、自分にも殺すことを許していい」という
ような屁理屈とも混同されやすい)

…ではないということです。

そこに触発される自分の劣等感や自己卑下、自己嫌悪や無力感を
見抜き、そこから自分を解き放つ
ことこそが変容と癒しなのです。
それによって素直な本心からの自己実現を叶えるために。

それは自分の喜びのために本当にしたかったことですか?

バンジーのごとく何かチャレンジをするのなら、その大前提を自分に
問いかけてみてください。
劣等感が根にある優越感や正義、体裁という防御壁を作ることが
目的であったり、それを強化するものではけっしてないこと
つまり埋め合わせではないことを見きわめて

「本当にしたいこと」にチャレンジしてくださいね。

許せなくて頭にくるけど、なんだか羨ましい。
誰かに対して自分勝手(自由)だなと思うこと。
自分も「そうしてみたいのにできない」こと。
その辺りが着目点です(^_-)

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# by dryangle | 2016-09-15 13:59 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「ルールだから」?!に愕然!
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悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
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ルールだから、傷つけないの?殺さないの?
違法だから罰せられるから、罪を犯さないものなの?


ブログを使わせていただいてなんなのですが…
管理のついでに見かけた Exciteニュースの記事
少年犯罪を犯す子の共通点」に驚愕!しました。

7歳の子がバッタの足をちぎって遊んでいたら何て言う?
という、親への問いかけと指針があったのですが

A: ダメなことだと自分で気づくまで見守る
B: 「パパも子どものころはよくやったよ」と理解を示す
C: 殴ってでもダメなことだと教える

選択肢からしてどうかと思うのですが
その正解が なんと C !!

「社会のルールや規範を身につけさせる」
「殴るかどうかは別で、行動を制止するのが重要」
とのこと。

一見リーズナブルに感じられる答えのようですが
本当にそれだけでいいのでしょうか?

文中にあるように、たしかに社会の規範やルールを学ぶことが
必要になる年齢ではあります。

その前段階として情操教育である、それは自分と一緒の大切な命
であること、私たち人間は常に他の生き物の命を得ることにより
命をつないでいる現実を、その有難さと喜びを、伝える重要性が
抜け落ちて
ないでしょうか?

ちなみに、私はイナゴの佃煮を作るために手足をもぎるのを
手伝った記憶があります^^;


次にあった「バッタはダメで、お花を切るのはなんでいいの?」
という問いへのバッタとお花の命の価値観にも唸ってしまった。

曰く「綺麗なお花は取って飾ってあげれば喜ぶ人がいるかも
しれないけど、バッタの足をちぎっても誰も喜ばないでしょ」

…誰も喜ばないから?

これらが本当に犯罪への抑止力になっていくのだと、考えられて
いるのでしょうか?

むしろ子どもの動機や理由を一切無視して、大人側の正当性のみで
威圧的な叱責や(体)罰を受けることへの不満の怒りの蓄積の方が
恐ろしいように感じます。

決してルール自体を否定するわけではありませんが、それ以前に
どうか人としての心の成長に眼差しを向けることを優先して欲しい。
社会にそのルールが存在することの本質を考えられるように。

自分や他者の気持ちや命に対する情操が先立ってこそ
「してはならないこと」を、主体的に自分に禁ずることが
できるのだと考えるのです。

どうにも心の(必要)ない世界のように感じてやるせなくなりました。

…みなさんはどうお考えですか?

私は犯罪の一因は養育者などによる心の通わない「闇(病み?)教育」にあると考えます。
『闇(病み?)教育』はあったのか?

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# by dryangle | 2016-09-13 14:31 | ココロと社会 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り