金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
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ココロが渇いていませんか?
明らかな精神・肉体的な暴力によって傷ついた子供時代を
経たヒトは心が飢えています。

そしてもう一つ、表面はそれほど悲惨な状況には見えないとはいえ
他者と信頼し合うことや暖かいコミュニケーションを学び、育む
チャンスを得ることがなかったり、不足してきたヒトは心が乾いています。

他の人々が互いに共感し合う様子や、親密な関係を築いているのを見て
自分のふる舞い方に悩んだり、取り残されたような気分になるのは
また、いつもどこか傍観者のような心持ちがしているのは
自分が素直に感じたことを認められたり、気持ちを分かち合ってもらった
という体験が不足しているからだと考えます。

ワタシも、かつては乾ききって凍りついた心を抱えていました。
嬉しいことや楽しいことはもちろん、周囲が涙するような場面にも
動かない心に、自分は冷たい人間だと思い込んでいました。

仕方がないんです。

これも他の全ての感覚と同様、周囲の環境によって
養われるものなのですから。
愛情や思いやり(共感能力)・やさしさも一種のスキルであると
つくづく感じます。

そして、それらを通して他の人と交流する心地ヨサを知らないという
渇きを心が訴えているのではないでしょうか?

身近な親から、それらを学ぶことができなかったことは悔やまれますが
彼らを恨んだり、許しに努める、といったことから少し発想を換えてみませんか?

今から、自分の心に「自分で」それを育む努力をしてみることです。

辛い時、悲しい時に、気持ちを打ち明け(誰かに本心を見せることに
大きな抵抗があるかも知れません。
最初は演技でも(フリでも^^;)抱きしめてもらう。
相手が吐露した心情を、そのまま言葉にして声をかけてみる
(痛いんだね、悔しいよね。アタマにきてるね~!…などなど)。
些細なことに感動した時に、大切な人を抱きしめてみることから
始めるのもいいかも知れません。

こういった体験を積み重ね、少しづつ育んでいくことなのでは
ないでしょうか?

愛や思いやりを語る人はたくさんいるけれど、実際にそれらを
他の人の心に植えつけることのできる人はなかなかいません。

自分で種を探し、心に埋めて、自分で育むという課題を
背負っているような気さえします。

いつか、この渇きが癒されますように。
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# by dryangle | 2006-12-01 11:20 | 親子の関係 | Comments(0)
「意味づけ」の生き物 …人間
最近、流行りのスピリチュアル。その中に貫かれている思想は

「人生に起こることにはすべて意味がある」

という考え方です。

これに伴って、生まれ変りといった輪廻転生などの話題が
豊富に出回ってきましたが、私たち日本人にはかなり馴染みのある
死生観ではあるのですよね。

インドでは、バラモン教(古代ヒンドゥー教)を土壌にして
仏教(ブッダの教え)が起こったのですが、のちのヒンドゥー教にも色濃い
「輪廻転生(生死が、解脱のない限り永遠にくりかえされる」の思想の影響を
受けざるを得ませんでした(ちなみにヒンドゥー教では、ブッダも神々の一人)。

これがそのまま、小乗仏教(実際にはブッダの行った修行を行う教え)社会の
在家信者による「後生のために功徳を積むというあり方」につながっています。

じつは、ブッダ自身は死語の世界や輪廻転生について、具体的に
説かなかったという通説があります。

ワタシは、ブッダはすでに既存の言葉(通常の人の概念)を超越した世界観を
得ていたのかも知れない…と勝手に想像していますが、龍樹の『空論』など
後世の弟子や僧の解釈によって時空を越えた次元の思想へと変遷していきます。

ご存知の通り、大乗仏教は北伝し中国を経て日本に及びます。

その一部である浄土教は、日本では「念仏によって西方極楽浄土へ往生すること
をねがう」という意味づけがなされ、これが「死後のイメージ」と結びついた
ために(そしてその教えは広く流行しました)、日本人に「生まれ変り(輪廻転生)」
の観念が根付いていることはなんの不思議もないのですよね。

これに対して仏教の中には、わざわざ「現世往生・現世成仏」などという言葉が
生まれ、成仏(解脱)は「(過去・現在・来)世」にこだわるものではない
と説かれていくのですが…。

と、信者でもないのに延々と説明してしまいました^^;

ワタシ個人は、仏教の中の、絶対の価値さえも否定してしまう「空」という
概念をとても気に入っています。

物事になんらかの価値があるとすれば、それは人間の意識が創造したもの。

つまり「意味づけ」ですよね。人間にはそういった能力があるのだと思います。
この「意味づけ」は、生まれてこの方得てきた観念や思想・価値観によって
無意識的・意識的に行われるものですが、これが反対にヒトを縛って苦しめる
こともあり得ます。

これが、普段つらつらと考えている「心のあり様」と妙に符合するので
興味深い限りです。

各信仰の教えから流行のスピリチュアルまで、それぞれの人が、その思想や
世界観によって、自分の人生に「意味づけ」をしていきます。

これによって癒されたり、救われたりする、つまり「心の拠所」となり得ることが
それらの思想や世界観の本来の存在意義なのではないでしょうか?
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# by dryangle | 2006-11-28 15:51 | ココロと思想 | Comments(0)
大人の「赤ちゃん(コドモ)がえり」
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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身近な人にココロ(ついにはカラダ)を傷つけられる。
そんな経験に耐えていませんか?

ここでは、どのように考え、対処していくかの「ヒント」を少々。

昨今、モラハラ・DV・虐待などの言葉を当たり前のように
耳にするようになってきました。

ワタシは、これらの性格(見捨てられ不安)の傾向や
引き起こすトラブルについて「大人の赤ちゃんがえり」と
イメージしてみると理解しやすいような気がしています。

つまり「ボク(ワタシ)を一番愛して」という
大人の駄々こね

大人ですから、その癇癪による脅し文句(嫌みや嘲笑、
否定や無視といった攻撃も含めて)や暴力ともなると
相手には、かなりのダメージを与えることになります。

また恋愛や結婚のパートナーには、無意識にその駄々こねに
「甘んじてくれそうな」タイプを相手として選んでいる
場合が多く、自己評価が低く、これもまた無意識に
「強く頼りになる人(支配者)」を求めている人と
ペアになっている状態が共依存と呼ばれています。

ここまで読まれて、DVという言葉がアタマをかすめるに
違いありません。
もはや支配ともいえる圧倒的なチカラで心身にシリアスな
影響を及ぼす懸念がある場合には、その関係の清算も含め
早急に対応策を考えることが必要です。

また絶対的な「弱き者」を、そのような性格の人から早急に
引き離すことが悲劇を防ぐことに他ならないのです。

ただ、トラブルがある程度のレベルに限られ、もし幸いにも
こちら側がまだまだ精神的に健康であるのならば、相手の
「赤ちゃん(コドモ)がえり」を防いだり、ケアしようとする
意識を持つことで、改善が可能な場合もあります。

そのポイントはただ一つ「安心させてあげること」。
これに尽きるようです。

子育てのプロセスでも「なにがあってもアナタの理解者・味方がいる」
というメッセージを伝えて続けていくこと、心の中にそういった
安心感を築くことの重要性が指摘されています。

これは「心の安全基地」や「セルフ・エスティーム」「自己愛」などと
いろいろな言葉で表現されていますが、そういったモノ(安心感)の
発達不全がAC(アダルトチャイルド/アダルトチルドレン)と呼ばれる
状態だとワタシは解釈しています。

相手がどんなことに大きな不安を覚えているのか。
どんな状況で、「ボク(ワタシ)を優先させて」という
駄々こねを引き起こすのか、その傾向を探ることが
最初の一歩です。

日頃から、「安心感」をフォローするような
コミュニケーションやスキンシップを心がけてみてください。
また「駄々こね」の時にも、理屈で説得しようとせずに
「その不安は理解できる(共感)」「ダイジョウブ(愛している)」
という有言無言のメッセージを送ってあげてください。
(幼児や反抗期のコドモ相手のようですが^^;
…こちら側がオトナである必要がありますね)

激変は無理かもしれませんが、少しづつ相手の心情も
変化していくように思います(個人的な実体験です)。

その方の心の状態の程度にもよりますが、シリアスな場合には
カウンセラーやパートナーのサポートを得た本人自身による
自分の「育てなおし」に効果があるようです。

7年余後の記事愛情の科学もぜひお読みください^^
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# by dryangle | 2006-11-20 16:00 | パートナーとの関係 | Comments(2)
ココロの幅寄せ体験
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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引き続き、人間関係の話を少々。

意外と多いのが、その場に必要のない批判や嫌味で応じてしまうこと(人)。
誰でも、ファクターによっては同じ反応をしているかも知れません。

これは当人が、ネガティブな反応によって自分の「ささやかな自尊」を
守っていることの表れだと思います。
それを認めてしまうことで、自分が自分を責めて(劣等感を刺激して)
しまうのを、なんとか防ごうとしているのではないでしょうか?
嫉妬は自分自身をも苦しめるものですから。

このような方との「付き合い方」ですが、その批判などにウッカリ「同意」してしまうと
廻りめぐって、良好な人間関係に亀裂を及ぼしかねませんよね。
とはいえ「否定」してしまうと、センシティブなこの種の人をこれもまたウッカリ
傷つけてしまい、悪意を持たれかねません。難しい…^^;

なので、ここはあくまで「中立・自分」に徹することに気をつけるといいように
思います。具体的には「へ~そうなんだ?」「そう思ったんだ?」「なるほどね」
などなど、認めるでも否定するでもない良い具合の受け応えをいくつも用意
できるといいですよね。

ところで。

こういった人間関係のお悩みに対しての、最近の王道は
「(適当な)距離をおく」といったポイントに集約されてきています。

これが必要な場合ももちろんあるのですが、用心や疑心暗鬼のためか
最初から「距離をおく」お付き合いが普通になってきました。
それはたしかに無難ではあるのですが、それによって「親しさ・親密」を
共有するような深い交流の経験が少なくなくなってきます。

昨今言われる「人間付き合い(関係)の希薄化」ってところでしょうか?
「ウマクやっているけどちょっと孤独」という人も増えているように思います。

多少のイザコザ・ドタバタ騒ぎによって、怒りや泣き笑いを共有してこそ
互いの心は近づくものなのかも知れませんね。
心の底ではそれを求めている人が多いのでは?と時々感じたりします。

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# by dryangle | 2006-10-17 19:47 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
「ココロの幅寄せ」と「干渉」~表裏一体の危険性
人間関係はココロの交流。

これには相性という「相対性」の問題が存在します。

誰かの心に近づくアプローチと干渉の違い。
キチンと理解できていますか?

自分も相手も心の境界がオープンであり、しかも「自分の領域をきちんと守る」
ことのできる人の場合、他の人の意見などを真摯に、またさらりと軽く受けとめ
お互いに親近感を共有する楽しい関係になれるのではないでしょうか?

ところが心の境界に壁を築いている人は、それを「侵入」としてひどく嫌います。

壁の厚さは、その領域が不安定で弱いものであることの証拠です。
他人の他愛ない「自分の意見」を、「介入と」感じとることで
ひどく不愉快に、腹立たしく、そして不安になってしまうのです。

その種の言葉によって、心の中に「強制される・従わなければならない」と
いったプレッシャーを自動的に再生してしまうのではないでしょうか。

それは、その心の領域があくまで「自分の権限」である、という自信に
乏しいことだといえるような気がします。

とくに「したいこと」よりも「しなければならない(義務感)」ことを
中心に物事を考える傾向のある人、「自分だけがシアワセになっては
いけない(罪悪感)」などの気持ちが強い人は、いまだに自分の心の領域が
他人(多くの場合親のプログラムですが)に支配されており、その壁も厚い
傾向があります(親しさを「装ったりする」ので、見抜きづらいですが)。

このような人の心にウッカリ分け入ってしまうと、跳ね返されるのがオチ^^;
距離をとられたり、絶縁されてしまうこともあり得ますよね。

なので、相手の権限を最大限に尊重するような「話し方のコツ」が
必要かも知れません。

こちらが何の気なく意見を述べただけで、それ(が自分の考えと違うこと)を
非難・批判・反対と自動的に受けとる人がいます。
自分の心の領域の不安な人です。そういう方には、なるべく先に意見を言って
もらうようにし(後からだと、合わせるために本心と逆のことも言ったりします)、
それに充分共感し、受けとめた後に、こちらの意見も主張式ではなく
折り合いをつけるような話し方にする、など。

時勢を反映しているのかも知れませんが、お互いに心の壁が強固になってきて
いるような気がします。
それぞれ「自分の領域をきちんと守る」「他人の領域を支配しない」ことが
できるようになれば、ココロの交流をもっと楽めるようになると思っています。
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# by dryangle | 2006-09-20 10:33 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
アナタの周りにもいませんか?
たとえば、誰かの成功や調子のイイ様子が話題に上った時に

「へ~ スゴイ!素晴らしいね~!」

素直に褒め言葉を言うヒトがいます。

「私には○×だから、あり得ないわ」

ちょっと言い訳めいたこと、さらには嫌味や批判を言うヒトがいます。

後ろのケースでは、その話の内容によってその人の
「自尊心」が傷つけられています。

ある種の話に対して、自分が攻撃されたという脅威を感じ
自動的に反応する「自己防衛」のカタチです。

多くの人には些細な内容が、「心が傷だらけ」の人にとっては
その傷の痛みにふれる「攻撃」だと感じてしまうようです。

そして自分の心を守るために、無意識に筋違いともいえる
攻撃を、周囲に仕掛けてしまうのです。

「自分なんて」という劣等感を表明する言葉に変わって
聞き苦しい言い訳、さらには他人の批判・悪口・罵詈雑言。

そういう人こそ他者との関係をより必要としたりします。

こういった自動的な反応をしてしまう時、その人は
「相手が自分を承認してくれるかどうか」に依存しているのです。

そのような人の心が、最小限の安定を得るためには
(その人にとっての)みんなが自分を認めてくれていることが
必要なのです。

自分で自分を肯定できないゆえに、誰かからの「肯定してもらえる」
言葉を渇望しているのでしょうね。

それを求めるパターンが、相手を「攻撃」することなのですから
大抵は叶うことなく、ますます不満を溜めていく結果になりそうです。

考えてみたら、「愚痴」も同じようなメカニズムかも知れません。

包容力のある人に共感してもらえれば、気持ちは癒されるのでしょうが
相手かまわずブチまけると…

お互いに「自己防衛」のために攻撃し合うことから、ケンカが始まります。
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# by dryangle | 2006-08-08 19:30 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
他人に関心のない人
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誰かと会話のチャンスがある時に、こちら側から積極的に自分を
アピールすることを控えて、相手の話を聞くように心がけてみます。

すると相手にこちらへの関心(質問や聞く姿勢など)が、ほぼない
ばかりか、さっさと相手側の話にすり替えられてしまうパターンの多いこと!

こちらから積極的に話そうとすれば、一応内容を聞いてはくれるのですが
それよりも「私の話を聞いて!私に関心を持って!私を評価して!」という
オーラが伝わってきて圧倒されそうになります。

グループでの会話の場合には、自分にメリットのない話が続くと
待ちきれずに不愉快そうな表情をする人も。
他人のウワサや批判には、さも関心大アリと聞き耳を立てるのに。

ワタシ(筆者)の話などには、まったく関心も興味もないご様子(^∇^)なのは
ともかく、多くの人々に「自分に関心を持って欲しい」欲求が募っている
ような印象を持ちました。その裏側となる一方で
(良い意味での)他人に対する関心がなくなってきているのではないか?
と思わせられることしきりです。

余談ですが、誰かが自分の思い出話などで懐かしんでくれるということは
「関心を持たれている」だけでなく「愛されている」「大切にされている」という
を感じることができ、一種の喜びにつながるのかも知れませんね。

ワタシにはワケあって、その種の思い出話をしてくれるような
親や親戚が皆無。

かつて主人の両親に、主人の子供時代の話をとうとうと聞かされること
(彼らには楽しみに違いないのですが)が苦痛になったことがありました。
どうしても怒りに似た感情がムクムクともたげてきてしまって。
これが自分が求めても得ることのできない親の愛情に対する嫉妬
なのだと気がつくまでに、あまり時間はかかりませんでしたが。

愛情飢餓は、負のエネルギーを生むものだとつくづく思います。
「関心を持って欲しい」は、きっと「愛されたい」「大切にされたい」ということ。

現状は求める側が異常に多いということなのでしょうか。

アドラー心理学で知られるアルフレッド・アドラーは

『他人のことに関心を持たない人は苦難の人生を歩まねばならず、
他人に対しても大きな迷惑をかける。
人間のあらゆる失敗は、そういう人達の間から生まれる。』


と述べていますが

関心を持って欲しい ≒ 愛されたい」と置き換えてみると

他人のことに関心を持たない人 ≒ 愛することをしない人

となり、妙に含蓄のある言葉に思えてくるから不思議です。

(10年後のこの記事もどうぞ→自分にしか感心のない人~自己執着~ )
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# by dryangle | 2006-08-07 19:30 | 周囲の人との関係 | Comments(2)
「自責」というアディクション
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人間は「自己肯定感」を求める存在なのだと思います。

愛されたい、認められたい、大切にされたい、褒められたい…

社会(人との関わり)の中で生きることが、サガである人間にとって
それはもう本能にも似た欲求なのではないでしょうか?

不運にも、「ありのままの自分」を肯定してもらえた経験が少なく
「自分自身が、歓喜し、楽しむことが幸福」だというメッセージを得ることもなく
ご自分を肯定する方法が「周囲の期待(価値尺度)に応えること」になってしまった
人がいます(とりもなおさず以前のワタシです)。

周囲の人にしても「他の人を積極的に肯定する」ことのできる人が
なかなか少ない世の中で、どんなに素晴らしい努力と成果を達成しても
自分を肯定できない本能的な苦しみという重荷を背負い続けます。

…そして、その原因すらも全て自身で背負おうとしたりします。

古い昔に、太宰治の「人間失格」を読んで
自分の心情を言い当てられているような気がしましたっけ。
まさに「生きていてごめんなさい」の気持ちでいっぱいでした。

彼の人生のてん末もワタシの気持ちを暗澹とさせたものですが、
今現在は人の心のカラクリについて、少しは明らかになっていることも多く
その分「希望」も多くなっていると思っています。

「自分で自分を責める」ことも「感傷」も。精神を病む「心の癖」の一種です。
「内省すること」と「責めること」の本質が違うことにぜひ気づいてみませんか?

成長の過程で、心が乾き、飢え、傷ついたことがいくつもあったことでしょう。

その怒りや憎しみは本来相手に向いて然るべきものですが、周囲の大人は周到に
それをこちら側の未熟さや不完全という理由へと向けさせてしまったのです。
「自分の不完全さを嫌悪する、憎む」という大きな悲劇を架してしまったのです。

自分にやさしくなれない限りは、もちろん他の人にもやさしくはなれません。
そのために、つい「自分に怒り、他人にも怒っている」という気持ちに
なりがちではないでしょうか。
これではとても「自分の心が喜び、相手も喜ぶ」シアワセからは遠い状況ですよね。

慟哭しているご自身の心を救うことができるのは、他ならぬ本人でしかあり得ません。

そろそろ「自分を喜ばせる」ことに、力を注いでみてはどうでしょうか?

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# by dryangle | 2006-08-06 00:23 | ココロのカラクリ | Comments(1)
愛することができますか?
西洋では、ギリシャ時代より愛を「エロス」と「アガペー」に分けて考えてきました。
プラトンの哲学から、キルケゴール、フロイトなどとその意義や分類が変遷していますが
現在では、エロスは「男女間に象徴される恋(性)愛」、アガペーは「利他の愛(慈悲)」
と大方では解釈されているようです。

またある本ではシンプルに、エロスは「求める愛」・アガペーは「与える愛」と
説明されていましたっけ。

生物学的な根拠からも男女の恋(性)愛の持続期間は数年である、
という説が話題になって久しい昨今、互い(もしくは一方)のエロスが失われてしまった
場合にその後の関係をどうするのか?
これが長い結婚(夫婦)生活において、大きなターニングポイントになることは
間違いがなさそうです。

学生時代に課題で、エーリッヒ・フロムの「The Art of Loving(愛するということ)」
という本を読んだことがありました。
「愛は技術であり、その習得には努力と知識、そして鍛錬が必要である」という
内容は当時のワタシには目からウロコでしたっけ。
きっとこの愛は高い精神活動(アガペー)を指すのでしょうが、ワタシレベルとしては
「愛すること」が、たんなる「感情(受動)」ではなく「意志(能動)」となり得ることを
認識する大きなキッカケになったような気がします。

「自己肯定と他者への共感をあわせ持つ成熟した人間にならなければ、愛を成立させられない」
というメッセージは、今も心に響いています。

エロスが永遠に消えないことは理想であり、それを復活・持続させるべく努力するという
方向性も素晴らしいと思いますが、新たな関係のあり方を模索していくという道も
あるのではないでしょうか?
それは個々のカップルの選択によるものであり、まさに結婚生活の実内容なのだと感じます。

どちらにしても、「意志による能動的な愛」に成長させることができるかどうか?
が大切なのだといえそうですよね。

一方的に自分や相手の気持ちをコントロールしようとするよりも、思いやりを持ちつつ
率直な気持ちをぶつけ合って拓けてくる道を進んだほうが、結婚生活が「共同事業」
であるという本懐も叶うのではないかな?と個人的には考えています。
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# by dryangle | 2006-08-05 19:30 | パートナーとの関係 | Comments(0)
愛に飢える人々
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・自己愛不全

「子を持って知る親の恩」とは、よく使われる諺ですが

ワタシの場合は

子を持って知る「(我が)親の愛情のなさ」でした。

親の側には「こんなにもしてあげた」という言い分が
あるのでしょうが、これと「無条件に愛すること」とは
残念ながら全く意味が違うもののようです。

…以下に、ある精神科医の言葉を拝借します。

「人間は誰でも自分自身が執筆する物語の中に生きています。
親の側には自分の物語の中で、精一杯子どもを愛してきたという
ストーリーが成立しています。しかし、子どもの物語の中では、
愛されていないというストーリーが進行していて、
二つのストーリーは段々ズレてしまうのです。

こうしたズレが生じるのは
親の愛が『自分自身の欲望』だからです。

親の側のストーリーには、勉強ができる子、親の言うことを
よく聞く子といった条件が付いています。子どもからすると、
親の期待に応えなければ自分は愛されないと思うわけです。」
(太文字は後から)

…ついには応え続けても真の愛情を感じないままに
やさしさや暖かさを求めて周囲の期待に応え続けようと、自らを蝕む
生きづらい人となってしまう悲劇が待っていたりもします。

自分に正当な評価を与えることすら怖じるような
自己評価の低い人。

その反動で自分の成果を押し売りし
他人に評価を要求する人。

健全な自己愛の発達につまづいてしまった
結果なのではないでしょうか?

・世代連鎖を絶つ

ワタシには
「じつは自分も親同様に冷たい人間なのではないか?」
という恐れに愕然とした時期がありました。

そんな時には
「やさしい人はどうするだろう?暖かい人はどうするだろう?」
「自分は親にどう接して欲しかったのだろう?」と想像して
そうふる舞うようにしてきました。

自分がそうすることで、そうできる人(愛情ある人)が実在する
ことにも気づき、その人々から学ぶことによって
大きな癒しのエネルギーを得たような気がします。

ここまできて、親もまた暖かさや、やさしさに満たされることなく
育った(人生を送った)愛に飢えるヒトだったのだと
ごく自然に同情・共感できるようになりました。

許し癒しになるか?

経験上ですが、許しとはそのような「(自分の)心をほどく
プロセスそのものだと感じています。
許そうと、決心した瞬間に叶うものではありません。

数々の美談も出回っているようですが、現実には相手(親)の態度が
劇的に変わり、関係が良い方向に転じるということは、極めて稀な
奇跡
だと個人的には考えています。

肝心なのは、親に訴えて愛情を引き出す(親を変える)ことではなく
愛情に飢えた自分の心が癒されることなのですよね。

対決すべき相手は、実際の親(のあり方)ではなく
自分の心の中に棲む親(の人格とそれに応えようとする)プログラム


まだまだ怒りに似た感情がすべて消えたわけではないのですが
許しといえる心境に、少しは近づいたような気がしています。

そういった心境は、自分の飢えが満たされたという状態で
初めて訪れるものなのではないでしょうか?
親孝行といった美徳も、自分(の精神)が満たされ
(つまり成長し)てこそ成せるものだと思います。

そもそも持っていないモノは与えられないのですから。

※内容が重複しますが、こちら6年後のワタシの書いた
「親」という幻想
8年近く後の」記事「愛情の科学もぜひどうぞ^^

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# by dryangle | 2006-08-04 19:30 | 親子の関係 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り