金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
初めていらした方へ… dryangleについて

●過去記事のタイトル別一覧表●

"自分"に疲れていません?
by dryangle
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
Carpe Diem
自分を生きることに
疲れてしまったら…
心のプログラムのバグを
探してみましょう。


NEW!!
ご意見・ご感想・心の荷卸し等々はこちらにどうぞ


生きづらさのセルフヘルプ

by Exite (サークル)

dryangle*心のゴミの処分場
↑心の傷の膿と向き合い
処分しませんか?
(要メンバー登録)



メインサイトです。
dryangleでは…
特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど、多分野から心のメンテナンスに役立つ情報を集めています。


↓アメブロ姉妹ブログ
やわらかこころ塾
作業用ページ(非公開)

イラスト by ふわふわ。り
ブログパーツ
記事ランキング
カテゴリ
最新の記事
最新のコメント
外部リンク
親なるものへの依存症状
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


時に私達を悩ませ、苦しめる
罪悪感、劣等感、被害/敗者/損の意識、恥、自己嫌悪などの
自己処罰の感情

親の延長線上となる、世間や社会の慣習、ルール、権威、宗教
はては境遇や運命に依存(執着)させられ、それらに従わないと

自分の存在(価値)が脅かされる刷り込まれた反応です。
それはそのまま、不安や恐れ、怒り、焦りなどの不快感情。

それに従うことで、利益や許可、承認といった愛に代わるもの
得られるとも信じ込まされています。

誰かの価値観に添い遂げることへの強迫的な欲求

無条件の肯定や愛を与えず※そういった条件づけを行なうことで
従順かつ支配やコントロールを受けやすい人となりかねません。

社会正義のために是とされることが多いですが、複雑に発達した
構造にがんじがらめになり、欺瞞や無気力の人を生むのです。

さらには屈辱や暴力、ネグレクトなどによって卑屈にされた場合
自分や他者を責め苛む気持ちや発作的な感情爆発の根になります。
これらが自他の心身への傷害や不幸な犯罪の背景にあるかといえます。

親、家族、友人、先輩、先生、上役、成果、世間、社会
運命、人生の意味…

漠然と肥大した上位他者からの承認への
渇望とそれを得られないがための存在不安

なにかへの強迫的な欲求の罠にはまり、それが高じるが故の
物質依存に行動依存、関係(共)依存。
本質の苦しみから逃れようとするためにすり替えられる対象。

すべてが親なるものへの依存症の様相に思え、切なくてなりません。

アタッチメントやセーフティベースといった親密他者への信頼感の構築を
イメージしています。


癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

# by dryangle | 2016-02-18 14:46 | ココロのカラクリ | Comments(0)
ぶりかえす感情の発作
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


虐待や犯罪、事故などの当事者が事後によく言うのが

カッとなって、憑りつかれたように、我を忘れて、腹が立って思わず
これだけは許せず、たまらずについ…

怒りばかりでなく、過剰な恐怖。思考やイメージまでもが誘発する
不安や憤り、焦り、心配。

一時(いっとき)自分が乗っ取られてしまったかのような
感覚を経験されたことのある方も多いのではないでしょうか?

些細な出来事どころか、なにげなく頭の中に浮かんだことすらが
トリガー(発端)となってわき起こる感情、それにエネルギーを
供給するかのような思考やイメージ、そして体調。
負のパターンの繰り返し。ニワトリが先か、卵が先か。

これまでこのブログでは、それによって起こりさらに次の根となる
トラブルや心の不調を防ぐために、そのカラクリに気づこう
その真実に少しでも近づこうとヒントを探してきました。

認知心理学ではスキーマと呼ばれる、自身の経験から構築された
自分オリジナルの生きるためのルールに、なにかが障って起こる
いわば警鐘といえる反応です。
弱い自己像、自分の弱さを守るための。

これまで一番厳しかった、嫌だった、苦しかった
相手や状況を、
今この現実に目の前の相手や状況に
重ねてしまう
心の働き。

だからこそ個々の温度差は大きく、他人から見ると「なぜそこまで?」
というほど、なにかに憤り、怒り、怯え、固執し、苦しみます。

深層心理のトラウマやインナーペアレンツ&チャイルドといった概念
脳機能、またホリスティックの生理的な習性

負のカラクリの材料となるような心理的な経験を考えてまいりましたが
最近はそれ以前に共通する土壌があるように思えてなりません。

以前どこかで「被虐待者の話し方には、相手の主観を無視するという
特徴がある」という話題を目にしたのですが、私も幼い時に親に対して
漠然と似たような思いを抱いていました。

この人は自分の気持ちにしか関心がない。
他人にも気持ちがあるとわからないんだろうな。


その土壌とは、誰かと安心して気持ちを交わしたこと、共有したことがない。
ひらたく言えば、人と心が通うという経験がないということです。

心を開くと痛い目に遭う、そんな洗脳体験ともいえる中で得た習性が
心を閉じることである(体裁を作り守る)人。
それによってなんとかうまく自分を保っている人もいます。
私もそうでした。

閉めっぱなしにすることによって澱んで充満したガスは行き場を失い
噴き出す。
まだ噴き出していません?^^; …病んでいませんか?

内容が繰り返しばかりで恐縮ですが、そのカラクリを強化しないために

その想いへの執着・カラクリを理解すること
(具体的には、負の感情の記憶の洗い出しや内観など)。
それが自分の感情の発作なのだと知り、その気配に気づくこと。

個人的には、中和剤というか普段小さなものから自分ルールを破ってみたり
こまめに自分なりの幸福感をイメージする(ドラマや音楽も使えます^^)、
具体的には「イケナイ、こうすべき、申し訳ない、心配で」と、普段自分に強制したり
逆に遠慮してしまうことを敢えて許してみる。さらには自分の「弱さ、ダサさ、性悪さ」を
思いきってさらけ出してみる。イイコ、イイヒトにならない方を選ぶ。


最も勇気のいることですが、互いに本音(自分の弱さ)を見せることのできる
相手を探し得ることが、心地よい風を運び入れてくれるのだと思います。

防御壁のない軽やかな自分を生きているうちに味わいたい。

多様な視点ともに、そして時には固着した視点からのシフトチェンジを
これからも試みていきたいと思います。


癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

# by dryangle | 2016-01-19 12:50 | ココロの不調 | Comments(0)
自分へのウソを見抜く
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


日本の有名なカウンセラーさんのブログにあった
・大人になりたくてなれてしまった人
・大人になりたくてなれなかった人

という話題を興味深く読ませていただきました。
前者・後者の性質やそれが故の苦しみ、解決法など。
(リンクを貼ってもいいのかな?^^;検索で探せます)

勝手ながら、前者・後者の「もどき」と「本物」の違いを
イメージするには
・子どもでいたくていられなかった人
・子どもでいたくていられてしまった人

をつけ加えて考えると、わかりやすいように思います。

つまり、「本物」は
・大人になりたくてなることができた人
・子どもでいたくていることができた人

といえるかと思います。

それは個性であり、自分自身も周囲にも受け容れられる
ありのままの自分という理想(目標?)ともいえます。

もどき」には、「なりたくて・いたくて」の部分に
自分の本意ではなかったというウソがありそうです。
・(本当は)子どもでいたいのに
大人になってしまった/子どもでいられなかった
・(本当は)大人になりたいのに
子どもでいてしまった/大人になれなかった


誰か(おもに親)からの強制であるにしろ、周囲のプレッシャーや
期待によって自らが選び取っているにしろ
本意のままにいる私、(私にとっての)本意のままにいる他人
不本意に従わない私、(私にとっての)不本意に従わない他人

が許せません。ムカつきます。苦しめられます。

つまり、このウソがもどきの苦しみや悩みを生んでいる
といえそうです(また強制されたウソほど認めるには抵抗が強い)

だからネガティヴな気持ちは、自分のウソが暴かれるチャンス
自分の本意を見つけるキッカケになり得るのです。

本物のなりたい・いたい」は、自分を尊重するという気持ちですから
ないものねだりや自他への許せなさを生むはずがないのですね。
それらは強迫的な「頑張り」プログラム発動の動かぬ証拠。

もちろん!?私も大ウソつきで自己去勢していました!

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

# by dryangle | 2016-01-13 15:21 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自己犠牲的もしくは強迫的頑張りの「どうして?」
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


あけましておめでとうございます!
スローペースですが、今年もいろいろ綴っていきたいと思います。
ご感想などいただければ嬉しい限りです。


…それでは、早速前回からの続きです。

~アメ的操作(支配)法の毒。アメは自分をムチ打つ道具に代わる~

以前「褒めて育てる」という言葉がお題目のように流行りましたよね。

それまでの「叱って育てる」ムチ教育による弊害への反動なの
でしょうが、対になる極端にはやはり注意が必要だと感じます。

ムチが子どもを強迫的に従わせるしつけの手段だとしたら
アメは子どもを依存的に従わせるしつけの手段になりかねません。
(報酬性の刺激は腹側被蓋野を経由して側坐核という場所に伝わります。
ここはアルコールや麻薬なども働く場所なのです。)


いい子のパターンにありがちですが、高評価などのアメをもらい続ける
ことに加えて、それ「だけ」しか喜ばれないという条件づけが加わると
それ「だけ」しか、自分の存在価値がない(認められない)と思い込む
ようになります。

すると評価を得られない自分を自分が許せなくなるのです。

この場合、自らが強迫的に、世のため、人のため、親や家族のため
役に立つように、喜ばせるように…をアピールした行動をとることが
一義となります(がゆえに評価の権限のない他者には無関心)

結局は自分で自分をムチ打つという苦しみに帰結するのです。

お気づきでしょうか?ムチもアメも主導権を持つ者(の価値観)中心の
それに従わせるための操作法に他なりません。
つまり同じコイン(従順をしつける目的)の表と裏なのです。

自分の存在価値への無条件の信頼、根拠のない安心感があれば

それが手段としてではなく心からの感謝や喜び、祝福を受けた
それを意欲をもって行うという自発的な動機となりえます。

それが手段としてではなく心からの痛みや悲しみ、苦しみを知る
それを避けるため、助けるために動くという自発的な動機となりえます。

そのためには、無条件に大切にされるという大前提が必要。

教育が、個々人にとって「その主体性を獲得するための援助」となる
ものであって欲しいとそれこそ心から思うのです。

純粋に自発的な意欲や行動、ありのままの自分でいられることの
自由。そこに人の最善や幸福があるのではないでしょうか?

習慣性を持たせその断ち切りを阻害する機能を持つ。
これを含むドーパミン神経系は意欲を司る一方で不安を司る神経系でもある。

このブログで使う「主体」や「主体性」という言葉は、あくまで個人の尊重であり
集団カテゴリや全体主義にすり替えた思想とは明確に区別したいと思います。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

# by dryangle | 2016-01-05 17:00 | ココロのカラクリ | Comments(0)
DV・モラハラの「どうして?」
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


~人々の無意識に根づくムチ式他者操作(支配)法~

DV(家庭内暴力)やモラハラ(精神的な暴力)について
普段なにげなく話題にのぼる時、わりと耳にするのが

「どうして言い(やり)返さないんだろうね?」
「どうして逃げないんだろうね?」
「どうして誰かに(助けてと)相談しないんだろうね?」

ということです。

それが当たり前だと言えることが、どれほど幸福なのか
当人は気づいていないのだろうなぁ…と思ったりします。

DVやモラハラの当事者には、正反対の当たり前によって
それらがあり得ない選択肢になっているのです。

これには、加害者と被害者双方に刷り込まれた上下関係、
礼儀や気遣いといった美徳とは真逆の、むしろ弱肉強食と
いえるおぞましい支配と服従の構造があります。
(むしろ美徳や正当性という隠れ蓑をそれと認識している場合が多い)

いったんこの構造が人間関係世界の当たり前となった人は
互いがその囲いの中にいると認識し合った対象者との関係に
おいて
、その共通の感覚により力関係の序列が決定されます。
関係が強く深くなることによって、当事者間に起こる摩擦や衝突の
被害者になるか、加害者になるかが決まるのです。
(フェアな関係は互いの利を模索したり、妥協し合ったりします)

DVもモラハラもいじめも、コントローリングも我が家のルールも
内輪の関係性の中で維持されようとするのはそのためです。

その構造の根っこには、アイデンティティの共有/同化をしている
重要他者(相手)に対し
他者(相手)を満足させなければならない」と


不安(相手の過度な不安や恐れの反応)や
恐れ(相手の怒りや嫌み、体罰や恫喝、言葉の暴力)によって
訓練させられた条件反応となっています。

嫌だと感じる、ノーと言う、抵抗する、自分を優先(大切に)する
という自己尊重の感覚去勢されてしまっているのです。

また新しい人々との出会いの中にあっても、この囲いの同類は
互いに関係を結びやすい
ことが習性だといえます。
(囲いの外の他者に対しては、他人行儀で、慇懃で、低姿勢で人当たりが良かったり
もしますが、ひとたび囲いの内と認識し引き入れると豹変します)


親や親類による支配や暴力・モラハラの中に育った私自身も
温かいホームドラマの場面や周囲の人の一家団欒の話などを
作り物もしくは別世界の出来事と認識していましたが、そうでない
家庭環境にいる時間が長くなった現在、当たり前が逆転して
かつての家庭環境の異常さを認識できるようになりました。

社会の人間関係にあっても、この囲いの匂いや気配を感じる
自ら距離を置くことで、自然にトラブルを避けているように感じます。
初めの頃はその度、怖れや罪悪感に苦しめられていましたが^^;

親子や夫婦関係といった家庭環境だけではなく、教育現場や職場
あらゆる場所で、社会で、明に暗にこのような自己尊重の去勢
意識的にも無意識的にも行われています。
また他者の服従や従順を育む方法として、最近はムチだけでなく
まるで理想的にも見えるアメも多用されてきています
(自己尊重感を利用され不足感に支配されるアメ式についてはまた別の機会に…)

それぞれの囲いの中の上下関係の勝ち組になることだけが
恐れや不足感から逃れる方法なのでしょうか?
はたしてそれが幸福と呼べるのでしょうか?

「どうして?」と真に問える人々、そしてその構造を理解し
ブレイクスルーのできる人々がまた一人増えていくことによって
新しい世界を切り開くことができるように思います。

ワタシも、そしてどうかアナタも。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

# by dryangle | 2015-12-21 15:28 | ココロのカラクリ | Comments(0)
服装とアイデンティティー
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


違和感と抵抗感

身体と心の性が一致しない人が、身体通りの服装を強いられる時に
感じるのがこれらの感情。

私は身体と心の性は一致しているですが、多分同様の共感できそうな
違和感と抵抗感を感じてきました。

それは、制服とフォーマルウェア、そして(漠然とした言葉ですが)
オシャレ。とくに日本において。

例えば、お子さんの重要な場面に評判のイトー〇ーカドーにあるような
婦人フォーマルスーツ。冠婚葬祭すべてに使えそうな便利な礼服。
どうしても嫌いヽ(´o`;(注意:個人的な感想です)

どうしてこんなにも強い負の感情を持つのか、考えてみたのも
ごく最近ですが、自分が自分に持つアイデンティティーと一致しないから
というシンプルな理由が思い当たり脱力しました。

子どもの頃から、それらは人間関係の中で管理と従順、主張や比較
(対抗)と同調(守備)の道具
であるのだと認識してしまったからかも
知れません。

少なくとも装うことへの楽しみや喜びというものが、女性にしては
かなり少ない方だと思います。
まずは各々の場面や周囲の人をリスペクトして、浮かないように
気を使うだけ。

が。人生を折り返し、最近はそれすらも苦痛に感じるようになりました。

適応ストレスを実感するということは、それと異なる自分というものを
実感する
ようになったということでしょうか。
服装による自己表現の欲求の方はあまりなかったはずなのに^_^;

ユングの夢分析では、服装はペルソナ(仮面・偽りの自己)を表すことが
知られています。
社会の中で服装は自分を装う必要不可欠なツールだったのですね。
服を装うとはよく言ったものだと思います。

自分を偽らない服装でリラックスしていたいですね。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

# by dryangle | 2015-12-02 10:25 | ココロと社会 | Comments(0)
不安や心配=依存(執着)の症状
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


パートナーを得た。母親になった。
その都度、なぜか不安や心配が増しました。

それも自分で対処や対策のできる範疇を超え
どうにもできないことに対して。

自分でもちょっと過剰かな?と感じ始めた
ある時

「心配しても、しなくても
なにか起きる時は起きるものよ」

という言葉にハッとさせられました。

そうだ。たしかに役にたたない感情だ!

その瞬間、交流分析のラケット感情の特色の1つとされる
「無意識に他人を操作しようとする企みがある」
という言葉に考えがリンクしたのです。

あ、もしかして?
誰もハッピーにしないこの嫌な気持ちは…?

パートナーや子どもに過度に依存している証拠⁉︎

それが相手の健康や安全のためであるにしても
その理由に自分を介在させたい、管理したいと
いう気持ち。
自分もそう気遣われたいという気持ち。
そんな本心に気づきました。

親との関係で思い出したこともあります。
私を不安にさせ、私が心配すると満足する親の顔

私が選んでしまっている馴染んだ感情生活。

本当の気持ちは「自分が助けられないと悲しい
もしくは「相手(や自分)が頼りない恐れや怒り」でした。

また「自分を守らなければ」という投影もあるでしょうか。

もとはといえば、親に関係した感情だった。
(過剰な感情的反応の土台の多くは親に対するものなのかも)

いや、現実に多くのことは天に任せるしかない^_^;

もし不安になり過ぎ、心配し過ぎだと感じたら
その対象に過度に依存し過ぎていないか、どうか
一度疑っててみてはいかがでしょうか?

すぐさまその嫌な反応が消えるわけではありませんが
そういうものだと理解することで、少しはその不快と
距離を置くことができるはず^_^

関連したこちらの記事もどうぞ^_^

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

# by dryangle | 2015-11-06 21:48 | 親子の関係 | Comments(0)
ニートという言葉 ~一億総上から目線?~
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


今さら感はありますが、日本ではニートという言葉がよく使われます。

「お隣のお子さん、イイ大学出たのにニートになっちゃったんですって!」

察するに、なんとなく蔑称めいた語感があるような。

大元はイギリスの労働政策における、ある報告書からでてきた言葉で
教育、雇用、職業訓練に参加していない
(not in education, employment or training)
の頭文字を並べたものらしい。

じつは、その言葉には最初から違和感がありました。

(今現在)教育を受けてない、雇用されてない、職業訓練も受けてない
そういった言葉がどうにも、管理的な上から目線によるものだし。

もとは政府の労働政策かぁ、そりゃそうだよね!

…いやいや。

気になったのは、そんな言葉を日本にウケウリするという感覚ばかりでは
なく、その感覚が、言葉が、一般の人々に定着し多用されるようになった
ということです。

いや、違う。

もとからある感覚に名前を与えられ便利に使えるようになったのかも。

考えてみれば、周囲の自由業者(一応芸術家とかラベルを貼られている)は
ある意味みんな立派にニートだ(笑)

受けてないし、されてない。

でも自らの意志で学び、磨き、創り、行動しています。
もちろん自分の意欲により選択したからか、スランプや行き詰まりさえも
なんというか堂々として^^;
協力する人々も別段批判的ではないように感じます。

とはいえ、実際には就業や社会参加への意欲のない人々や引きこもりもいて
本人やその家族の苦悩がネット社会でおびただしく吐露されています。

意欲がない=意欲が枯れてしまった=自発性が去勢されてしまった

政府や国家という文字通りのお上はもとより、人々の心中に埋め込まれた
社会や世間という上からのコントロール目線が殺してしまったのではないか?

そんな考えが頭をよぎりました。

なかには意欲がないどころか、恐怖まで感じるようになってしまった人も。
それは個々人の上から目線が、相互に下位への恐怖を植えつけ勤勉にさせる
文化的な無意識プログラムが原因なのかも知れません
(集合意識の役立たず淘汰システム?)。
今頑張れている人の多くも、それに鼓舞され、強迫的につき動かされている?
とまで考えてしまうのは、かなり穿ち過ぎではあるのかも知れませんが。

個人としての問題は、ニートであることではなく自分で選ぶことのできない
させられる・しなければ感による圧迫と、それに対する抵抗によって
動けなくなってしまっていることではないでしょうか?

上(他者)からのコントロール目線によって行われるもの、こと。
それを見抜き脱することが、自分の感性と意思で選び、動くための
スタートライン。

参政権や少年法適用などの年齢が引き下げられるという流れの一方で
自分が自分を生きるスタートラインは遠ざかっているような気がします。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

# by dryangle | 2015-11-05 16:04 | ココロと社会 | Comments(0)
存在の承認
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


副題:受け容れられなかったことを受け容れる。
副副題:受け容れられないこと自体を受け容れる。

我が家には長年連れ添っている愛猫がいます。
高齢になってきた今でも、毎日ゴロゴロと喉を鳴らしてはすり寄ってきます。
これみよがしに目のつく場所で、仰向けに転がっていることもしばしば。
これは「カマッテ~!」と甘えている親愛のポーズらしいのですが
その度にアタマの中で繰り返しつぶやくのが

猫でさえ、カマッテ欲しいと甘えるもの
いわんや人をや。オヤオヤ…


というフレーズです。

重たい話をしたいわけではないのですが、私には幼い時に無邪気に
親に甘えたり、またそれを受けとめてもらったという記憶がありません。
それどころか、親のぬくもりの記憶が…それすら記憶の底となる昔から
何度辿ってみても、背中に負ぶわれたことくらいしかないのです。

なんとか命までをも奪われることなく、身は成長することができましたが
生活環境が落ち着いてからこそ、離れてなお心を縛り続ける重く苦しい
親の枷を自覚させられることになりました。

今は愛情飢餓だの、承認欲求だの、attention seekingだの、欲求不満を
表す言葉には困りませんが、その存在自体を認めてもらえなかったり
否定されてきたり、支配されてきたり
した人は、相手(他者や状況)との
関係において、もはやとっくに欲求を通り超え、条件反射ともいえる
理不尽なラケット感情*や、それによって無意識につき動かされるような
強迫的な補償行為、または防衛・自虐・攻撃的な反応に苦しみます。
(たとえば、言い訳、ごまかし、模範アピール、調子よさ、ひ弱さ、ワルさ、駄々こね、イヤイヤ
被害者ぶる、逃げる、過剰な批判、落ち込む、卑下る、嫌み、かんしゃく…)

それら自体に加え、疲弊による精神の不調やその果てにすがるモノへの
依存により、さらに周囲の人を苦しめることになります。
それが負の連鎖

存在を認められるということは、とりもなおさずその場その時のありのままの
自分の気持ちを認め、受け容れてもらえる、共感してもらえるということ。

ナニをしたとかしないとか、言ったとか、身体の動きや出る言葉ではなく
抽象的ですがもっといえば、その
眼差しの彼方の存在、その素直な息づかいを認められているか
どうか。

誰かと心が通じる、つながるという感覚

自分はそこにいた。いろいろな欲求や正直な気持ちがあった。

受け容れてもらえなかった。

ということを、「自らが、認め受け容れることが癒しの山場」だと
いえるように思います。
それは自分の本心を見つけ出し、表現できるようになること。

本当は誰に対して?

悲しいのではないですか?
恐ろしいのではないですか?
起こっているのではないですか?
喜んでいるのではないですか?

それ以前に、心を通わせ、くつろいで、その場、その時
その人といたい(いたかった)のではないのですか?

まずは受け容れられない相手を、そして自分を、自分が受け容れる。

そして自分の気持ちや誰かの気持ちと、通じる、つながるという感覚
をコツコツ築き上げていくことです。

本当の自分自身も、周囲にいる他の人も
対決するのではなく、その本心に向き合い
心が通った時に互いに存在(の承認を)します。


陳腐な言葉なのですが、互いに心が開いていないとそれは叶いません
そう、眼差しの奥の扉を開かないと。

リラックスしていきましょう。
お腹を見せてひっくり返っている猫のように。
それを愛おしく撫でてあげるかのように。

*交流分析の用語。
親の承認(愛情)を得る手段として、本物の感情を封じて置き換えられた
条件反射的な代用感情「ニセの感情」
不安・焦り・イライラ・劣等感・優越感・罪悪感・羞恥心・被(もしくは加)害意識
気に障る、気に入らない、許せなさ、など


癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

# by dryangle | 2015-10-25 17:00 | 親子の関係 | Comments(0)
存在の承認(余談)
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


先の記事はいつにも増して個人的な感覚で書き綴ってしまいました。

物ごころつく頃から感じていた、そして今も時折感じる違和感を
なんとか表現してみたくて。

いませんか?

人を、自分を、他人を、まるで物のように認識し、扱う人
関わり合いといえば指図と干渉、他者評価と自分アピール
しかしない
人、心の内が見えない、見せない人

自分がそこにいないような気分にさせられる

…心が通じ合わない人

子どもの頃、親の眼差しの扉が開いていないこと
自分のそれを見ていないこと

それが、罵声や暴力による痛みを上回る
恐怖と孤独をもたらしました。

(もちろん当時は理解できていませんでしたが)

ずっと思っていたのは
この人たちには自分しか見えていないんだな。
他人が活きる心を持った存在だということが
きっと感じられないんだな…ということ。

なぜなら、自分(の心)を殺しちゃってるから
時々発作のように一方的に感情を噴き出させるしかできない。

それからも、どうしてこんなにも多くの人は

見た目とか、名目や所属とか。なにをした(してる)人とか
そんなところしか見ようとしないんだろう?

でも、それらを大切にするべきなんだろうな
自分も努力しなくちゃな…などと思いながら

大人になったある時期、気がつき愕然とするまで
しっかり自分もそういう人になっていました(!)

今でも出会います。そういう人。
今でも時々反射的に自分を演じてしまいます。
ワタシも^^;

日本では、それがむしろ人と関わる文化的な背景を
持っているんじゃないかとすら思えるくらい。

けっこうそうでない人もいるんです。
オープンで自分に正直な人。
かえって近寄りがたいこともありますが。

多分、ですが。
子どもと動物には好かれるんだって人
きっとその眼差しの奥、心の扉が開いているんだと思います(笑)

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。
非公開コメントも大歓迎です!
非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので
ご希望の方は別にご連絡先を^^ 

[PR]

# by dryangle | 2015-10-25 17:00 | 親子の関係 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り