金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
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これまで心の傷や痛み、苦しみにフォーカスしてきました、が。

それらを生み出し(感じさせ)ているものが自分の心のカラクリ
なのだとすれば、喜びや楽しみを生むのもまた自分の心なのだと
実感するようになりました。

外側の現象に「なにが自分の幸せか?」を探すのではなく
自分の心に「幸せを感じる感覚能力」を持たないことには
なにを得ても満足できない自分のままでいることになると。

たとえ外側の条件への欲求や強迫を一時的に満たしても
つかの間の喜びや安心を得ることはできますが、同時に
またそれを失う怖れや不安も抱くことになります。

それが運命と心揺さぶられること自体を否定こそしませんが
一段上の視点で安定を求めることはできないものだろうか?と
考えていた時に、ふと目についたのが「フロー理論」です。

これはセリグマンのポジティブ心理学の系列とされていますが
ミハイ・チンクトミハイが提唱したもので、フロー(ざっくりいうと
「やりたいことに没頭している」)状態にあることが主観的な
幸福状態
を生み、さらには創造性をも生むという理論です。

詳しい説明は著書など他に譲るとして、起こりくる物事の解釈や
とらえ方ではなく心の状態・在り方にフォーカスすることにより
理想の状態を志向するという考え方に共感しました。

個人的な考えを付け加えれば、元々人の心の本質は今にある流れであり
フローを阻害するもの(執着や観念、思考や感情による習性的な抵抗)
に気づき意識することによって、それを流れの障害物とさせないことが
フロー状態に入る条件の実践の効果を上回るように思います
まさに自我であり、没頭=無我?ともいえそうです)。

心のフロー状態によって、困難を自分に相応の課題なのだと受けとめ
やりがいを見出し没頭し、結果事態を好転させることのできる可能性。

それ自体が現象の変化を創造と翻訳しようとする人の営み

心はけっしてどこかに流れていく水ではなく「流れそのもの」。
流れが滞ると、淀み、停滞するのは、人も水も同様なのです。
清流を保つ意識が必要なのかも知れません。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
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# by dryangle | 2015-09-17 15:00 | ココロのカラクリ | Comments(0)
他者依存~精神の寄生~
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これまでも自分軸や主体性についての話題を試みてきましたが
「自分で決められない」「言いなりになってしまう」側だけが
他者依存ではないことにハタと気づきました。

これをハッキリさせ、気づき、自覚しないことには始まりません。
共依存のもう一方、依存関係を結び、依存させる側のお話です。

表向きはしっかりしていて、自分の意見や決断力もありそうに
見えるもう一方の側の人々。

が、他者に対する支配・コントロール・干渉・献身・期待によって
自己満足を得たり、空虚な自分の埋め合わせをするという他者に
寄生し拠り所とする本質
は、やはり他者依存に他なりません

ブログやSNSでも、満足を読み手のフィードバックに頼るばかりか
それを要求するまでになるというのは依存(関係を求める)体質と
いえます。既読スルーが気になりすぎるのも疑ってみてください。


謝罪や弁解、お説教に挨拶や贈り物といったコミュニケーションさえ
「自分の気の済むために」している人はすべて他者依存です。
見方を変えれば、自分の内なる(子どもや親の)声の要求を満たす
ためともいえるのかも知れませんが。

また相手やその時々によって、依存させる/させられるの立場が交代する
こともままあります。これも同じコインのウラオモテ。

自分の価値観や意志で自分が望むように
選択し、受けとる。

自分の価値観や意志で自分が望むように
選択し、相手に受け取らせる

後者もれっきとした他者依存なのです。

親子関係において、発達初期は親子が自分(自我)を共有しているのは
必要であり当たり前です(この段階から不安定なケースもあります )が
子どものそれが芽生えた時に、それを尊重して分離していけるか
大きな課題となります。

親がこの点につまづき大人になったもの同士が、互いの必要性から親子の
役割を演じることで共依存のパートナー関係が生まれることになります。
また世代連鎖をすることで精神的な負荷が重くなり、ことに相手を満足
させる側(一方的に精神の寄生を受ける側)の精神の侵食の病態

重い心身の病から、果ては自傷/死、他者への事件を引き起こすのでは
ないでしょうか?
自己愛の障害といわれる特徴と重なります。

個人的な経験からいえるのですが、相手に対して過剰な心配をする
いうのも、無力で怯えた自分を相手に投影することから干渉するという
他者依存の一種のように感じられます。

もしくは相手が主体を生きようとする分離への禁断症状かも知れません。
発作的ともいえる心配、不安、寂しさ、怒り、落ち込み、許せなさ
まるでそれがないと生きていられないというような恐怖感

これも経験上ですが、自分が主体を取り戻そうとする時もこの禁断症状に苦しみますT_T
その典型といえる無実の罪悪感は自分への許せなさです。
だからこそ自ら脱し難く、相手が変わっても関係性は繰り返されるのです。


パートナーに対し、子どもに対し、思い当たることはありませんか?

どんな依存症もそこから脱するための第一歩は、自分がそうであると
認識し、自覚する
ことから。

子離れの時期が近づく私自身も子ども依存症の兆候を自覚した時には
ガクゼン!!としましたっけ^_^;
自分の考えや感覚、正しさまで疑うようになりました。

文化的にも生育環境的にも、他者中心・他者依存の傾向が強い自分を
自覚しておかなければと痛感します。

自分は(他者依存せずに)どうしたいのか。
相手は(他者依存せずに)どうしたいのか。

他の誰かや何かに、精神的に寄生することのないように
つねに自分の内に問いかけ続けなければ。

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# by dryangle | 2015-07-24 01:07 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
幸福にまさかの不快反応!?
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個人的な体験から考えたことを見切り発車で書きます^^;

過去に軽度の強迫神経症や不安障害を自覚していましたが
この点に気づいて、ずいぶん気が楽になったように思います。

大人になると誰しも、それまでの体験や感情の記憶によって
それと意識しないでいても(つまりは無意識に)、新しいこと
難しいこと、異なること、変化すること
などに抵抗を感じます。
つまり自分の当たり前や慣れていないことを不快に思うわけです。

この抵抗が、まだ弱いうちは「面倒くさい」、強くなると不安から
心配、衝動的な怖れにまで感じられてきます。

それが習慣化して物事に過敏になってくると、年がら年中
面倒や心配の種が尽きず、心が疲れ果ててしまいます

これって心の生活習慣病ともいえる状態。

ここまではアリキタリの話なのですが、個人的に気づいてからは
楽になったキッカケというのは「なにを怖れているのか?」を
反転させたこと
によるものでした。

たとえば、パッと浮かぶ例ですと

「大切な人を失うのが怖い」

(これがその時に認識している考えであり、不安という感情の
反応を引き起こします。)

それを反転させると「大切な人を得るのが怖い」または
「大切な人が居続けるのが怖い」など(他にもあるかな?)
となります。

この時ストン!ときたのです。
怖れていたのは、じつはそっちの方だった!のだと。

なぜなら、自分の生育環境で恒常的であったことが
(心の通う)大切な人がいないこと。大切な人を失うということ。
悲しくも、それに慣れ、順応してきたのですね。

失う怖れや不安という反応は、目の前の人や物事に対する
ものではなく、自分の慣れや順応を変化させることへの抵抗

なのかも知れない?

ちょっとカッコつけて言えば、恒常性による変化への抵抗
なのでは?と思ったとたんに腑に落ちたのです。
ホメオスタシス(変化に対し抵抗し現状を維持しようとする力)

ワタシは安心やのほほん、喜びや楽しみを怖れていたのだと。

なぜって?それは慣れてないから(爆)

目からウロコでした。
しかも、その時こそまさに安全で、安心して、のほほんと、喜んだり
楽しんだりしていてもいい状態
なのだと気づきました。

もちろん習性ですから、すぐさま変わるわけではありませんが
「安穏喜楽」を(陳腐な自作^^;)マジックワードにして気づくように
心がけていったことで、発作的な怖れや不安からは解放されてきました。
また本当に必要な時にはより冷静に対処できるようにもなりました。

これは怒りの感情発作にも効果があるかも知れないと考えます。

相手や自分を信じられない、受け容れられない、理解できない
という恒常性からの激しい抵抗なのだと腑に落としてみては
どうでしょうか?

不仲や不健康、貧乏にどっぷり慣れてしまってはいませんか?

不快を目印にして、安穏や信頼、喜びや楽しみ、いわゆる幸福に
自分を慣らしていくという発想はいかがでしょうか?^^

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# by dryangle | 2015-06-25 14:34 | ココロのカラクリ | Comments(0)
強迫的願望~不安や不満がデフォルト~
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これまでもネガティブモチベーション(負の動機づけ)について
幾度もふれてきました。

おおまかにいえば、それをする(しない)と、困ったことになる
ヒドイ/痛い目に合う、悪いこと/不幸になること(具体的には
暴力、劣等感、恥、疎外感など‥)への恐れや不安が
発想や思考そして行動のベースとなっている
ということです。

物心つかない頃からの養育者や周囲の人の態度や反応によって
また、ありがちなことですがそれらが負の方向への一貫性を持つと
もはや無意識の習性強迫として訓練されていきます。

さらに許せなさや怒りを手段に訓練づけられると、状況に接して
習性の反応として自動的に不安や不快感がわいてくるだけではなく
それに背くことへの許せなさや怒りも習得することになります。
(この発作的な怒りの反応についての説明は前の記事をどうぞ^^)

この問題はその時々の出来事だけにとどまりません。
長いビジョンの展望や選択にも、もちろん大きな影響を及ぼします。
たとえば進学や就職先、恋愛、趣味やレジャー、家族との行事など
生活の全般についても。

客観的には似た生活環境やキャリアを持ちながらも、幸せそうな人と
そうでなさそうな人がいる。

その不思議をよくよく考えてみた時に、明らかに違ったのはその人の
それらを得るためのエネルギーの源になったモチベーションの違い
でした。
夢や創造性・興味や好奇心によって、つまり喜びや満足を得よう
(また他者に与えよう、共有しよう)とするポジティブモチベーション

(正の動機づけ)ベースの人が楽観的でイキイキしているのとは
対照的にそうでない人はいつもなにかに追われピリピリしているのです。

つまり、その人たちが願望と錯覚したものは、強迫的に誰か
(それを内面化した自分自身)に応えるため
のものだったといえます。

これらを区別することは意外にも、じつはとても簡単です。

①そのプロセスと成果の意味、目的と手段が逆転する。
強迫的な願望は成果のみが目的で、手段となるプロセスが我慢や苦行
優位になりがち。充足感を得ることもあるが、迷いが生じやすい。
純粋な願望はプロセス自体に意欲や情熱を感じる。
やることに夢中になり、成果はそれに伴う結果に過ぎない。
(良くも悪くも、双方が途中で逆転することがあります。)

②それが手に入らない、叶わない、失う、手放す、ことになった時
ひどく苦しいか苦しくないか
「ま、仕方ない」と、比較的容易に諦め、方向転換できないのならば
それはきっと強迫的願望とその成果です。

その習性を得る根元の理由が親の愛情や保護への欲求であるために
それが相手や世間の承認に差し替えられてなお、強く執着せざるを
得ません。

その個人なりの純粋な展望や願望を知ることなく、本来の意味での
自己実現への道を絶たれるという悲劇はここから起こるかと思います。
不安や不満を動機に、懸命に努力する人々の構築した社会。

それこそが、発展し成熟した社会が不安で満たされなさの退廃ムード
に陥っている原因なのではないかと感じられてなりません。

あなたの求めるそれはもしかして

純粋な自分の願望ではなく、代理戦争をするための自分を守る盾では
ありませんか?
かつてあきらめたり妥協した物事の中にこそ、本当のあなたを
活かし、表現するものがあるのかも知れません。

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# by dryangle | 2015-06-20 10:00 | ココロと社会 | Comments(0)
新・神経過敏は心のアレルギー反応
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わき起こる感情をコントロールすることはやはり難しいものですが
自分でも不合理だと思えるほどに、不安や怒りなどの負の感情が
衝動的かつ爆発的にわき上がるのは、本人ばかりか周囲にとっても
苦痛になります。

不安障害の一つの症状であるパニック発作が知られてきましたが
個人的には爆発的な怒りも発作的で強迫的なこの種の「パニック」的
な感情
として似ているのではないか?と考えています。

脳科学では、海馬と扁桃体が連携して機能することによって記憶
(エピソード)に条件づけられた情動が起こるといわれています。
問題はこの「条件づけ」だけではなく、様々な理由によって扁桃体が
過敏
になっているということにもあるそうです。

その理由としては

・養育期に不安や恐れ、怒りなどの負の感情を受け容れてもらえず
安心させられたり理解して納得するなどの負の感情への「対処」の
経験が圧倒的に不足し、際限なく負の感情に晒されている。
・同様のエピソードに対する養育者の反応を学習してしまった。
・事件や事故などによる深刻なPTSDがある。
・慢性的なストレス状態
・体調やホルモンバランスの変化
‥‥(厳密にはそれらを因とするストレスホルモンの影響)

扁桃体の興奮を抑えるためには、一般に前頭前野の働きがキー
になるとされています。
自己の分析はこの点において効果があるように思います。

個人的なこのような感情と向き合うコツですが、まずこの負の感情が
目の前の出来事のせいではなく、じつは条件反応的な発作なのだと
理解と認識をしてみること。
またどのようなことに対して発作的な感情がわくのか、その感情を抱く
大元のエピソードはなんだったのか?を考えてみること。

「この感情は、どこから来たのだろう?」

その時々自分に問いかけることも、クールダウンの効果があります。

オキシトシンという脳内ホルモンが扁桃体に取り込まれることにより
過緊張が低減され精神の安定につながるという研究報告があります。
オキシトシンの分泌を促すにはソーシャルグルーミングなど、平たく
言えばスキンシップや心のふれ合いといえる交流の機会を日常生活
の中に増やしていくことが重要かと思います。

またちょっとしたブームでもある瞑想の習慣にも、扁桃体の過剰な
興奮を抑える効果もあるのではないか?と感じています。

条件づけや感情に乗っ取られずに真の自分を生きたいものですよね。

以前の「神経過敏は心のアレルギー反応」の記事はこちら


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# by dryangle | 2015-05-25 16:31 | ココロの不調 | Comments(0)
強迫と依存~ややこしや~
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しょっちゅう悩むことなのですが、日本語で「依存する」という言葉。
心理的な概念として使う場合には、一般的に使われる意味とは異なり
似て非なるさまざまな意味合いが混在しています。

たとえば強迫(obsession)依存(addiction)

どちらも表面上には困った行為を衝動的に起こす(繰り返す)という
ことなのですが、強迫は恐怖感に突き動かされることによって
依存は(なにかの代償や逃避の)欲求を仮に満たすことにハマること
によって起こります。
また双方が複合して悪循環することもよくあります。

もちろん原因も癒しへのアプローチも異なるのですが、この区別が
つかずに核心を掴めずあまり効果が得られないケースも多いのでは
ないでしょうか?

また共依存(codependency)は、相手との関係性への依存を表す
言葉だといえますが、これについてもまた強迫的なもの、依存的なもの、
双方が絡まっているものとさまざまです。

愛情飢餓感による欲求を満たそうとしているのか?虐待や被害への
恐怖感、支配への怒りを自覚することから自分を遠ざけているのか?
そして大抵の場合、いくつもが複雑に絡み合っています。

これらを解くために、専門家によるテクニックやガイドも大切ですが
その実相や核心部分を確信できるのは、本人だけなのです
(シャレてみました^_^;)。

依存行為自体をやめ(させ)ることも大切ですが、コアな原因を自覚
することによって解放された実感を得ることが必要だと感じます。

余談ですが、科学的な根拠に乏しいという理由で共依存の概念を批判/否定する
ムーヴメントもあるようです。
個人的にはアイデンティティ(自己同一性)や他者とのバウンダリーの確立不全の
ある種の様相を言い表す概念として有用かと思います。


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# by dryangle | 2015-05-14 15:19 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「よい子」という誤解
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生きづらさや犯罪など、いわゆる『よい子』の問題が
折につけ取り沙汰されます。

この『よい子』という言葉、「親や大人の言うことをよく聞く」
以外に「勉強ができる」「自主的に行動する」などといった
優等生というステレオタイプのイメージを重ねてしまうことで
「自分は違う」と決めつけていないでしょうか?

心を病む『よい子』タイプというのは、他者の期待や要求に
従順に(強迫的なまでに)応える
という人。

それは親や組織の上位者などの特定他者であったり、世間や社会
という一般他者やその価値観・思想であることもしばしばです。

たとえ親や先生に反発して、家族や学校という集団の枠組みから
自由になったとイキがっても、別の(カルトや闇社会であっても)
関係性において、上位者の命令に無批判に忠実に従うというのは
『よい子』タイプの典型だ
といえるわけです。

(心理学的な概念ですが)それが「内なる他者」として自分の中に
取り込まれることによって、実際の相手がいるわけではなくても
頭の中で想像・想定した相手の期待や要求に従うように振舞う。
無視しようとすると恐れや不安といった負の感情に苛まれます
(実際には罪悪感や劣等感、従うための被害者意識ーしてやった、させられた感
さらにカバーのための誇りや優越感として感じられることも)


それは恐れや痛みという負の感情によって条件づけられた
いわば洗脳によるものという証です。

表面の行為では区別がつきませんが、本来気遣いや心配り
協力、支援は主体として行うもの
もちろん自己満足ではなく相手の意図を尊重して。
そこに喜びや温もり、清々しさが伴うのであれば
真意なのだといえるでしょう。
逆にいえば「そうすべき」「そうしなければ(ならない)」という
類の発想は『よい子』の象徴的な発想であるともいえます。

これに気づいた時に、親や社会に反抗する、拒絶する、悪い子
(毒子)になる、というアンチテーゼは洗脳者や同じ性格の関係
から離脱するという意味では役に立ちますが、それだけでは
自分という主体を確立したことにはなりません
むしろこだわり過ぎると、同じレベルの二元性に隷属させられた
まま、やはり破綻に向かってしまいます。

自分で価値観を選びとり、それによって行動すること。

親や社会のそれと共通することがあっても不思議ではありません。
間逆であるのは、それに従う時、従った時に、消耗するのではなく
チカラ、エネルギーが漲るという重要な一点なのです。

あなたはあなたの『よい子(が成長したよい人、よい親)』の
殻を破れていますか?

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# by dryangle | 2015-04-12 18:56 | ココロと社会 | Comments(0)
心のエネルギー 需要と供給
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人間関係に疲れることってありますよね^_^;

季節柄か、最近は近況報告の連絡をよくいただくのですが
正直たまに「面倒くさいな 〜ヽ(´o`;」と少々負担に感じる
ものがあります。

こちらの近況にまるで(もしくは偏った)関心しかないのは
良しとして、まるで確信犯的に自分の期待や意図した応答など
暗に気持ちを要求してくる。
期待する言葉としてはオメデトウ、ヨカッたね、スゴイね、
大変だったね、頑張ったね等…

自分の本心から自発的に出るときには、なんのひっかかりもないです。
それが操作的なアピールで、形式的な社交辞令など「言わされてる感」が
ある時にそんな気持ちになるのかも知れません。

気持ちは他人に支配されるとそのエネルギーを奪われる。

エナジーヴァンパイアやフレネミー、毒親という言葉もありますが
たまに異常なまで操作的に他者に気持ちを要求する人がいます。

嫌いな人ではないし、いつも言ってることはもっともなのだけれど
なぜだかどうしてか、こちらはどっと疲れる^_^;

それは一方的なエネルギー泥棒に遭っている可能性があるから。

その人は、相手(あなた)にはお構いなし、相手 (あなた)に
とって不必要な
、以下のようなことをアピールをしてきませんか?

富や聡明さ/博識、ラベル(優越)
多忙、充実、努力 (有能さ)
苦労や病気 、愚痴 、我慢(可哀相、大変)
他者批判(正当性)
恩着せ (有用性、効力性)
アドバイス、物やすべき事のおしつけ(有用性)
報告、質問(存在感)
威嚇、暴力、説得力(強さ)
相談、弁解、迷い (頼りなさ)
自己否定、卑下、謙遜、拒絶のふり(いじけ)

それによってあなたがついフィードバックしてしまう以下のような
反応が、その人があなたから引き出したいものなのです。

羨望、尊敬、上位に置く、無抵抗(敵対しない)
賞賛、
同情
味方になる
罪悪感、犠牲
感謝、頼りにする
関心、注目、影響される
服従
引き受ける、許可、決断、助力、安心させる、励まし
自己肯定(否定的肯定法)

そこには、その人が埋め合わせようとしている自己の強い存在不安
あるはずです。それは穴埋めのためのエネルギーに他なりません。

劣等感
無能、無価値感
被害者意識
孤立感
無力感
役立たず感
存在感のなさ
弱さ
背負えなさ、自己決定できなさ
自己否定

(愛情飢餓や自己愛の障害による)基本的不安、存在不安を穴埋め
して束の間の喜びに浸れる側とそうしていられるうちは良いのですが
そのためのエネルギーを他人に強要したり、さらには奪い合うという
構図が人と人の関係を表面的で殺伐としたものにしていきます。

なぜか過敏に反応してしまう、さらにこの構図に巻き込まれてしまい
人間関係に消耗
してしまいがちだという場合、特定の相手とは距離を
置くことがまずは大切ですが

自分の中にも同様に、不安や飢餓感による心のエネルギーの需要と
供給のシステムがある
という重大なカラクリに気づくことが肝心です。

気づき、そのようなやり方で他者からのエネルギーを必要としないことに
よってのみ
、自ら心の内にエネルギーを湧かせることができる
のですから。

また誰かの気持ちを要求するアピールには、心をざわつかせることなく
スルーできるようになると思います^_^

話題の「俺(私)通信」や「リア充/頑張ってる/忙しい アピール」に
マウンティング女子(笑)
その煩わしさも、このカラクリが関係しているのではないでしょうか?

土俵から降りる」、自分の中で静かに決断することで穏やかな
気持ちを取り戻しましょう^_^

自分をネガティヴにアピールすることで他者の「そんなことないよ」という
自分への肯定をひきだす方法


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# by dryangle | 2015-03-30 11:41 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
自分の気持ちがわからない!?
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


偽(負)の意欲

かなり前ですが、誰かにしてもらうことに対して思わず口にする
「ありがとう(感謝)」と「すみません/ごめんなさい(謝罪)」の
メンタリティの違いについて書かせていただきました。
「すみません」と「ありがとう」

「~したい」と「~しなければ」についても、人によっては曖昧にかつ
偏って使われているように思います。
とくに自分のしたいことがわからないという人ほど、「~したい」と
「~しなければ」の区別がつきにくく、曖昧になっている場合が
多いように感じます。

これもまた、このところ綴ってきている真逆の表裏なのだと
気づくことができれば、理解しやすいかも知れません。

その人の目に見える反応、言葉や行動が同じものでも
どんな気持ちがわき起こり、反応(行動)しているのか?
によって心の世界の居心地は真逆のものになり得ます。

自己防御⇔自己実現(表現、決定)

カタイ言葉を使ってしまいましたが^^;、要するにその動機が
自分を守るための自動反応」としての負の感情によるものか
シンプルに「自分を(大切にし)率直に表現」したものであるのか。
わかりづらいので、その時の感覚を例として連ねてみますと…

動機が自己防御(心の有刺鎧)による場合
不安、焦り、怒り、やらされた(犠牲)感、しなければ(義務)感、抵抗感
面倒、正当化、コダワリ、強迫(負の意欲)、他が気になる(勝負)、モヤモヤ
達成した結果 達成感・安堵感が一時的 次にまたかと思う
燃え尽き 疲弊感 未来を憂う

動機が素直な自己実現の場合
意欲、やる気、他を気にしない、満足、コダワラナイ、したいから、気楽
達成した結果 喜び 先に進む 楽天的 失敗も経験


この違いは、これまでに体験から構築された条件反応のような
プログラム(ある意味これも人格といえますが^^;)
物事というより、それに対する反応の仕方の習性です。

価値観が、物事への考え方や評価という認識の部分だとすれば
感覚や感情といった反応の部分だといえます。

自分本来の「したい/したくないこと」が尊重され、許され続けなかった
場合、自分を守るために「しなければ/してはならなかった」ことを
(それはとりもなおさず、親や周囲、世間の「させたい/させたくない」ことを)
あたかも自分の「したい/したくないこと」なのだと、思い込んできて
しまったのが前者だといえます。
そのために「したいこと」と「しなければならない」ことを混同してしまって
区別がつきづらくなっているのです。
実際、双方の気持ちがある比率で混在するのは普通でややこしい限り

自分の気持ちがわからない・したいことがわからない
そりゃ、そうもなるわ~^^;

いったん脇に置いてみる。

そのチャレンジ、その選択。
日常の衣食住から、学ぶこと、働くこと、遊ぶこと、競うこと
受けとること、与えること。

「したいことが本当はしたくない」ことだったり
「したくないことが本当はしたい」ことだったり…

そうすることに、もし気持ちの負荷が否めないとしたら。

そんな時には、もしこのネガティヴな感情が(起こら)なかったら?
自分に問いかけてみてください。…繰り返し、何度も。

そうであっても、その上で、やっぱり「したい/したくない」と出てきた
気持ちを自分が大切にできる習慣を構築していきたいものです。
あくまで個人的な経験ですが、過剰な防御反応を知り、それが不必要だと認識する
ものすごく気が楽になりますよ~!!


「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ。」 
By スナフキン

(笑)
過去記事のこちらもぜひ^^→私、本当はどうしたい?

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# by dryangle | 2015-03-20 17:05 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自己決定⇔自分勝手・ワガママ
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
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ワタシの育った家では、食べ物、持ち物、着る物、すること
すべて親が与えた、許可した通り。
子ども側は「自分の好きに」選ぶことが許されないばかりか
それを求めることすら自分勝手・ワガママでした。

今でもこれを子どもの身分では当たり前と考える人もいれば
成長度合いによっては自己決定能力を養う機会を与えていない
考える人もいます。

挙句、自己決定能力の身についていない人が「自分のない人」と
批判されることもあるのですから勝手なものですよね(爆)

自分を優先(大切に)することと自分勝手の違いは何か?
と悩む人は多いようです。

きっとそれは同じことの裏表

錯視の効果によって、一つのボーダー柄のドレスの色が
青黒に見える人もいれば白金に見える人もいます。(時事ネタ

その人が条件づけられた反応、この場合は価値観や観念によって
感じ方や正しさ、許せなさの基準が異なる
ということです。

とくに個よりも集団のアイデンティティーが重要で、同調圧力の
強い日本の社会では、自分の好みや都合を優先させること自体が
自分勝手・ワガママだとされ、それに反すると非常識・迷惑・KY
という烙印
を押されます。

皆がそれを敵視することで、他者を優先しない(自分を優先する)
ことに後ろめたさや気づかい・遠慮の必要性など、無実の罪悪感
を覚えるように刷り込まれていくのです。

他者を自分の都合のいい(自分の価値観や観念に沿う)ように
操作するために、これに漬け込む人もいます。

自分の都合や、好き/嫌い、したい/したくないを優先することに
後ろめたさを感じるとしたら。
また他者の都合や言い分を優先することに素直な納得や喜びを
感じられないとしたら。
それは相手を思いやっているのではなく、従わせられているから

自分の軸、つまり主体性を生きていない
それがまさしく自分を大切にしていないということ。

自分の都合や、好き/嫌い、したい/したくないを優先して
自己決定することは、けっして自分勝手ではありません

自分を大切にできてこそ、他者を真に思いやり大切にできるのです。
相手の主体性とその自己決定を尊重し、またあくまで自分自身の
自己決定によって
それに助力するということです。

気づかいや遠慮は、主体として能動的に行なうからこその美徳

むしろ他者の主体性や自己決定を尊重しないことが、まさに自分勝手
だといえるのではないでしょうか?

自己決定=自分の生き方や生活についてを自由に決めること。

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# by dryangle | 2015-03-05 10:21 | 周囲の人との関係 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り