金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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"自分"に疲れていません?
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服装とアイデンティティー
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違和感と抵抗感

身体と心の性が一致しない人が、身体通りの服装を強いられる時に
感じるのがこれらの感情。

私は身体と心の性は一致しているですが、多分同様の共感できそうな
違和感と抵抗感を感じてきました。

それは、制服とフォーマルウェア、そして(漠然とした言葉ですが)
オシャレ。とくに日本において。

例えば、お子さんの重要な場面に評判のイトー〇ーカドーにあるような
婦人フォーマルスーツ。冠婚葬祭すべてに使えそうな便利な礼服。
どうしても嫌いヽ(´o`;(注意:個人的な感想です)

どうしてこんなにも強い負の感情を持つのか、考えてみたのも
ごく最近ですが、自分が自分に持つアイデンティティーと一致しないから
というシンプルな理由が思い当たり脱力しました。

子どもの頃から、それらは人間関係の中で管理と従順、主張や比較
(対抗)と同調(守備)の道具
であるのだと認識してしまったからかも
知れません。

少なくとも装うことへの楽しみや喜びというものが、女性にしては
かなり少ない方だと思います。
まずは各々の場面や周囲の人をリスペクトして、浮かないように
気を使うだけ。

が。人生を折り返し、最近はそれすらも苦痛に感じるようになりました。

適応ストレスを実感するということは、それと異なる自分というものを
実感する
ようになったということでしょうか。
服装による自己表現の欲求の方はあまりなかったはずなのに^_^;

ユングの夢分析では、服装はペルソナ(仮面・偽りの自己)を表すことが
知られています。
社会の中で服装は自分を装う必要不可欠なツールだったのですね。
服を装うとはよく言ったものだと思います。

自分を偽らない服装でリラックスしていたいですね。

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# by dryangle | 2015-12-02 10:25 | ココロと社会 | Comments(0)
不安や心配=依存(執着)の症状
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パートナーを得た。母親になった。
その都度、なぜか不安や心配が増しました。

それも自分で対処や対策のできる範疇を超え
どうにもできないことに対して。

自分でもちょっと過剰かな?と感じ始めた
ある時

「心配しても、しなくても
なにか起きる時は起きるものよ」

という言葉にハッとさせられました。

そうだ。たしかに役にたたない感情だ!

その瞬間、交流分析のラケット感情の特色の1つとされる
「無意識に他人を操作しようとする企みがある」
という言葉に考えがリンクしたのです。

あ、もしかして?
誰もハッピーにしないこの嫌な気持ちは…?

パートナーや子どもに過度に依存している証拠⁉︎

それが相手の健康や安全のためであるにしても
その理由に自分を介在させたい、管理したいと
いう気持ち。
自分もそう気遣われたいという気持ち。
そんな本心に気づきました。

親との関係で思い出したこともあります。
私を不安にさせ、私が心配すると満足する親の顔

私が選んでしまっている馴染んだ感情生活。

本当の気持ちは「自分が助けられないと悲しい
もしくは「相手(や自分)が頼りない恐れや怒り」でした。

また「自分を守らなければ」という投影もあるでしょうか。

もとはといえば、親に関係した感情だった。
(過剰な感情的反応の土台の多くは親に対するものなのかも)

いや、現実に多くのことは天に任せるしかない^_^;

もし不安になり過ぎ、心配し過ぎだと感じたら
その対象に過度に依存し過ぎていないか、どうか
一度疑っててみてはいかがでしょうか?

すぐさまその嫌な反応が消えるわけではありませんが
そういうものだと理解することで、少しはその不快と
距離を置くことができるはず^_^

関連したこちらの記事もどうぞ^_^

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# by dryangle | 2015-11-06 21:48 | 親子の関係 | Comments(0)
ニートという言葉 ~一億総上から目線?~
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今さら感はありますが、日本ではニートという言葉がよく使われます。

「お隣のお子さん、イイ大学出たのにニートになっちゃったんですって!」

察するに、なんとなく蔑称めいた語感があるような。

大元はイギリスの労働政策における、ある報告書からでてきた言葉で
教育、雇用、職業訓練に参加していない
(not in education, employment or training)
の頭文字を並べたものらしい。

じつは、その言葉には最初から違和感がありました。

(今現在)教育を受けてない、雇用されてない、職業訓練も受けてない
そういった言葉がどうにも、管理的な上から目線によるものだし。

もとは政府の労働政策かぁ、そりゃそうだよね!

…いやいや。

気になったのは、そんな言葉を日本にウケウリするという感覚ばかりでは
なく、その感覚が、言葉が、一般の人々に定着し多用されるようになった
ということです。

いや、違う。

もとからある感覚に名前を与えられ便利に使えるようになったのかも。

考えてみれば、周囲の自由業者(一応芸術家とかラベルを貼られている)は
ある意味みんな立派にニートだ(笑)

受けてないし、されてない。

でも自らの意志で学び、磨き、創り、行動しています。
もちろん自分の意欲により選択したからか、スランプや行き詰まりさえも
なんというか堂々として^^;
協力する人々も別段批判的ではないように感じます。

とはいえ、実際には就業や社会参加への意欲のない人々や引きこもりもいて
本人やその家族の苦悩がネット社会でおびただしく吐露されています。

意欲がない=意欲が枯れてしまった=自発性が去勢されてしまった

政府や国家という文字通りのお上はもとより、人々の心中に埋め込まれた
社会や世間という上からのコントロール目線が殺してしまったのではないか?

そんな考えが頭をよぎりました。

なかには意欲がないどころか、恐怖まで感じるようになってしまった人も。
それは個々人の上から目線が、相互に下位への恐怖を植えつけ勤勉にさせる
文化的な無意識プログラムが原因なのかも知れません
(集合意識の役立たず淘汰システム?)。
今頑張れている人の多くも、それに鼓舞され、強迫的につき動かされている?
とまで考えてしまうのは、かなり穿ち過ぎではあるのかも知れませんが。

個人としての問題は、ニートであることではなく自分で選ぶことのできない
させられる・しなければ感による圧迫と、それに対する抵抗によって
動けなくなってしまっていることではないでしょうか?

上(他者)からのコントロール目線によって行われるもの、こと。
それを見抜き脱することが、自分の感性と意思で選び、動くための
スタートライン。

参政権や少年法適用などの年齢が引き下げられるという流れの一方で
自分が自分を生きるスタートラインは遠ざかっているような気がします。

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# by dryangle | 2015-11-05 16:04 | ココロと社会 | Comments(0)
存在の承認
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副題:受け容れられなかったことを受け容れる。
副副題:受け容れられないこと自体を受け容れる。

我が家には長年連れ添っている愛猫がいます。
高齢になってきた今でも、毎日ゴロゴロと喉を鳴らしてはすり寄ってきます。
これみよがしに目のつく場所で、仰向けに転がっていることもしばしば。
これは「カマッテ~!」と甘えている親愛のポーズらしいのですが
その度にアタマの中で繰り返しつぶやくのが

猫でさえ、カマッテ欲しいと甘えるもの
いわんや人をや。オヤオヤ…


というフレーズです。

重たい話をしたいわけではないのですが、私には幼い時に無邪気に
親に甘えたり、またそれを受けとめてもらったという記憶がありません。
それどころか、親のぬくもりの記憶が…それすら記憶の底となる昔から
何度辿ってみても、背中に負ぶわれたことくらいしかないのです。

なんとか命までをも奪われることなく、身は成長することができましたが
生活環境が落ち着いてからこそ、離れてなお心を縛り続ける重く苦しい
親の枷を自覚させられることになりました。

今は愛情飢餓だの、承認欲求だの、attention seekingだの、欲求不満を
表す言葉には困りませんが、その存在自体を認めてもらえなかったり
否定されてきたり、支配されてきたり
した人は、相手(他者や状況)との
関係において、もはやとっくに欲求を通り超え、条件反射ともいえる
理不尽なラケット感情*や、それによって無意識につき動かされるような
強迫的な補償行為、または防衛・自虐・攻撃的な反応に苦しみます。
(たとえば、言い訳、ごまかし、模範アピール、調子よさ、ひ弱さ、ワルさ、駄々こね、イヤイヤ
被害者ぶる、逃げる、過剰な批判、落ち込む、卑下る、嫌み、かんしゃく…)

それら自体に加え、疲弊による精神の不調やその果てにすがるモノへの
依存により、さらに周囲の人を苦しめることになります。
それが負の連鎖

存在を認められるということは、とりもなおさずその場その時のありのままの
自分の気持ちを認め、受け容れてもらえる、共感してもらえるということ。

ナニをしたとかしないとか、言ったとか、身体の動きや出る言葉ではなく
抽象的ですがもっといえば、その
眼差しの彼方の存在、その素直な息づかいを認められているか
どうか。

誰かと心が通じる、つながるという感覚

自分はそこにいた。いろいろな欲求や正直な気持ちがあった。

受け容れてもらえなかった。

ということを、「自らが、認め受け容れることが癒しの山場」だと
いえるように思います。
それは自分の本心を見つけ出し、表現できるようになること。

本当は誰に対して?

悲しいのではないですか?
恐ろしいのではないですか?
起こっているのではないですか?
喜んでいるのではないですか?

それ以前に、心を通わせ、くつろいで、その場、その時
その人といたい(いたかった)のではないのですか?

まずは受け容れられない相手を、そして自分を、自分が受け容れる。

そして自分の気持ちや誰かの気持ちと、通じる、つながるという感覚
をコツコツ築き上げていくことです。

本当の自分自身も、周囲にいる他の人も
対決するのではなく、その本心に向き合い
心が通った時に互いに存在(の承認を)します。


陳腐な言葉なのですが、互いに心が開いていないとそれは叶いません
そう、眼差しの奥の扉を開かないと。

リラックスしていきましょう。
お腹を見せてひっくり返っている猫のように。
それを愛おしく撫でてあげるかのように。

*交流分析の用語。
親の承認(愛情)を得る手段として、本物の感情を封じて置き換えられた
条件反射的な代用感情「ニセの感情」
不安・焦り・イライラ・劣等感・優越感・罪悪感・羞恥心・被(もしくは加)害意識
気に障る、気に入らない、許せなさ、など


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# by dryangle | 2015-10-25 17:00 | 親子の関係 | Comments(0)
存在の承認(余談)
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先の記事はいつにも増して個人的な感覚で書き綴ってしまいました。

物ごころつく頃から感じていた、そして今も時折感じる違和感を
なんとか表現してみたくて。

いませんか?

人を、自分を、他人を、まるで物のように認識し、扱う人
関わり合いといえば指図と干渉、他者評価と自分アピール
しかしない
人、心の内が見えない、見せない人

自分がそこにいないような気分にさせられる

…心が通じ合わない人

子どもの頃、親の眼差しの扉が開いていないこと
自分のそれを見ていないこと

それが、罵声や暴力による痛みを上回る
恐怖と孤独をもたらしました。

(もちろん当時は理解できていませんでしたが)

ずっと思っていたのは
この人たちには自分しか見えていないんだな。
他人が活きる心を持った存在だということが
きっと感じられないんだな…ということ。

なぜなら、自分(の心)を殺しちゃってるから
時々発作のように一方的に感情を噴き出させるしかできない。

それからも、どうしてこんなにも多くの人は

見た目とか、名目や所属とか。なにをした(してる)人とか
そんなところしか見ようとしないんだろう?

でも、それらを大切にするべきなんだろうな
自分も努力しなくちゃな…などと思いながら

大人になったある時期、気がつき愕然とするまで
しっかり自分もそういう人になっていました(!)

今でも出会います。そういう人。
今でも時々反射的に自分を演じてしまいます。
ワタシも^^;

日本では、それがむしろ人と関わる文化的な背景を
持っているんじゃないかとすら思えるくらい。

けっこうそうでない人もいるんです。
オープンで自分に正直な人。
かえって近寄りがたいこともありますが。

多分、ですが。
子どもと動物には好かれるんだって人
きっとその眼差しの奥、心の扉が開いているんだと思います(笑)

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# by dryangle | 2015-10-25 17:00 | 親子の関係 | Comments(0)
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ブログメイトに申請くださった方、ありがとうございます!

いつまでも試行というのも、機能の扱い方にずっと不慣れなまま
せっかく申請をくださったのに承認できずに取り下げられた方も
続出し、反省しきりです>_<

そのせいで主目的の書き込みや交流もないまま。
スミマセン(>人<;)

このまま懲りずに試行し続けますので、心の荷下ろしをしたい方
興味や好奇心が動いた方、気長に気楽にご参加くださいね。
不手際のほどはあらかじめご了承を^_^;

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# by dryangle | 2015-10-08 16:48 | お知らせ・その他 | Comments(0)
自分という「ゆらぎ」
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あるキーワードで検索をしたら、このブログの何年も前の記事が
たまたま上位にあったので、つい読み耽ってしまいました。

その時の率直な感想がなんと!

「コイツ誰よ?」…^_^;

たしかにそれを書いたであろう記憶はたどれば出てきます。

皆さんも子どもの頃に描いた絵日記などを見つけて

「こんなこと考えてたんだっけ」
「純粋な発想だったな」

などと感慨に浸ったことはありませんか?

その当時そこに書き留められた自分と、今それを読む自分が
人格的にも、感覚的も必ずしも一致しないですよね。

ある尺度からは、成長したという言い方ができるように
思います。

ただ、それらを統合しようとする意識の働きをあえて外してみると
(自分という一貫性にこだわらずにいると)、多重人格とはいわない
までも自分という格も絶えず変化し、移りゆらぐように感じます。

育ての親が、「確固たる自分を持て」と常に口癖のように
言っていました。
とりあえずカッコでくくってみました(笑)

ラベルや役割、見栄に自分を押し込めて、ずいぶん窮屈そうだった
彼は、相手と状況によって見事に豹変し一貫性を失いました。
…一貫性がないという一貫性はあったのかも知れませんが。

所属集団や、信条、職業、役割、成果といった形をアイデンティティ
として外周に貼りめぐらすことを、否定するものではありませんが
自己同化して固めてしまうことで、本来自由にゆらぐ自分
窮屈になってしまうように感じます。

それは他を見る時も同様で、本来自由にゆらいでいる他者や相手を
決めつけた性分でしか見ない(見えない)ということ。

それこそ、なんだか不自由だよね。

ゆらぐ自分に、合理性だの正当性だので、私である自分という一貫性を
こじつけようとするから、物事がややこしくなるのかも知れません。

今に以前の自分を手放せるというのが、今にあるということ。

カッコに縛られない自由な自分でいたいです^_^

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# by dryangle | 2015-10-08 16:22 | ココロのカラクリ | Comments(0)
人は水、心は流れ
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これまで心の傷や痛み、苦しみにフォーカスしてきました、が。

それらを生み出し(感じさせ)ているものが自分の心のカラクリ
なのだとすれば、喜びや楽しみを生むのもまた自分の心なのだと
実感するようになりました。

外側の現象に「なにが自分の幸せか?」を探すのではなく
自分の心に「幸せを感じる感覚能力」を持たないことには
なにを得ても満足できない自分のままでいることになると。

たとえ外側の条件への欲求や強迫を一時的に満たしても
つかの間の喜びや安心を得ることはできますが、同時に
またそれを失う怖れや不安も抱くことになります。

それが運命と心揺さぶられること自体を否定こそしませんが
一段上の視点で安定を求めることはできないものだろうか?と
考えていた時に、ふと目についたのが「フロー理論」です。

これはセリグマンのポジティブ心理学の系列とされていますが
ミハイ・チンクトミハイが提唱したもので、フロー(ざっくりいうと
「やりたいことに没頭している」)状態にあることが主観的な
幸福状態
を生み、さらには創造性をも生むという理論です。

詳しい説明は著書など他に譲るとして、起こりくる物事の解釈や
とらえ方ではなく心の状態・在り方にフォーカスすることにより
理想の状態を志向するという考え方に共感しました。

個人的な考えを付け加えれば、元々人の心の本質は今にある流れであり
フローを阻害するもの(執着や観念、思考や感情による習性的な抵抗)
に気づき意識することによって、それを流れの障害物とさせないことが
フロー状態に入る条件の実践の効果を上回るように思います
まさに自我であり、没頭=無我?ともいえそうです)。

心のフロー状態によって、困難を自分に相応の課題なのだと受けとめ
やりがいを見出し没頭し、結果事態を好転させることのできる可能性。

それ自体が現象の変化を創造と翻訳しようとする人の営み

心はけっしてどこかに流れていく水ではなく「流れそのもの」。
流れが滞ると、淀み、停滞するのは、人も水も同様なのです。
清流を保つ意識が必要なのかも知れません。

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# by dryangle | 2015-09-17 15:00 | ココロのカラクリ | Comments(0)
他者依存~精神の寄生~
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これまでも自分軸や主体性についての話題を試みてきましたが
「自分で決められない」「言いなりになってしまう」側だけが
他者依存ではないことにハタと気づきました。

これをハッキリさせ、気づき、自覚しないことには始まりません。
共依存のもう一方、依存関係を結び、依存させる側のお話です。

表向きはしっかりしていて、自分の意見や決断力もありそうに
見えるもう一方の側の人々。

が、他者に対する支配・コントロール・干渉・献身・期待によって
自己満足を得たり、空虚な自分の埋め合わせをするという他者に
寄生し拠り所とする本質
は、やはり他者依存に他なりません

ブログやSNSでも、満足を読み手のフィードバックに頼るばかりか
それを要求するまでになるというのは依存(関係を求める)体質と
いえます。既読スルーが気になりすぎるのも疑ってみてください。


謝罪や弁解、お説教に挨拶や贈り物といったコミュニケーションさえ
「自分の気の済むために」している人はすべて他者依存です。
見方を変えれば、自分の内なる(子どもや親の)声の要求を満たす
ためともいえるのかも知れませんが。

また相手やその時々によって、依存させる/させられるの立場が交代する
こともままあります。これも同じコインのウラオモテ。

自分の価値観や意志で自分が望むように
選択し、受けとる。

自分の価値観や意志で自分が望むように
選択し、相手に受け取らせる

後者もれっきとした他者依存なのです。

親子関係において、発達初期は親子が自分(自我)を共有しているのは
必要であり当たり前です(この段階から不安定なケースもあります )が
子どものそれが芽生えた時に、それを尊重して分離していけるか
大きな課題となります。

親がこの点につまづき大人になったもの同士が、互いの必要性から親子の
役割を演じることで共依存のパートナー関係が生まれることになります。
また世代連鎖をすることで精神的な負荷が重くなり、ことに相手を満足
させる側(一方的に精神の寄生を受ける側)の精神の侵食の病態

重い心身の病から、果ては自傷/死、他者への事件を引き起こすのでは
ないでしょうか?
自己愛の障害といわれる特徴と重なります。

個人的な経験からいえるのですが、相手に対して過剰な心配をする
いうのも、無力で怯えた自分を相手に投影することから干渉するという
他者依存の一種のように感じられます。

もしくは相手が主体を生きようとする分離への禁断症状かも知れません。
発作的ともいえる心配、不安、寂しさ、怒り、落ち込み、許せなさ
まるでそれがないと生きていられないというような恐怖感

これも経験上ですが、自分が主体を取り戻そうとする時もこの禁断症状に苦しみますT_T
その典型といえる無実の罪悪感は自分への許せなさです。
だからこそ自ら脱し難く、相手が変わっても関係性は繰り返されるのです。


パートナーに対し、子どもに対し、思い当たることはありませんか?

どんな依存症もそこから脱するための第一歩は、自分がそうであると
認識し、自覚する
ことから。

子離れの時期が近づく私自身も子ども依存症の兆候を自覚した時には
ガクゼン!!としましたっけ^_^;
自分の考えや感覚、正しさまで疑うようになりました。

文化的にも生育環境的にも、他者中心・他者依存の傾向が強い自分を
自覚しておかなければと痛感します。

自分は(他者依存せずに)どうしたいのか。
相手は(他者依存せずに)どうしたいのか。

他の誰かや何かに、精神的に寄生することのないように
つねに自分の内に問いかけ続けなければ。

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# by dryangle | 2015-07-24 01:07 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
幸福にまさかの不快反応!?
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
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個人的な体験から考えたことを見切り発車で書きます^^;

過去に軽度の強迫神経症や不安障害を自覚していましたが
この点に気づいて、ずいぶん気が楽になったように思います。

大人になると誰しも、それまでの体験や感情の記憶によって
それと意識しないでいても(つまりは無意識に)、新しいこと
難しいこと、異なること、変化すること
などに抵抗を感じます。
つまり自分の当たり前や慣れていないことを不快に思うわけです。

この抵抗が、まだ弱いうちは「面倒くさい」、強くなると不安から
心配、衝動的な怖れにまで感じられてきます。

それが習慣化して物事に過敏になってくると、年がら年中
面倒や心配の種が尽きず、心が疲れ果ててしまいます

これって心の生活習慣病ともいえる状態。

ここまではアリキタリの話なのですが、個人的に気づいてからは
楽になったキッカケというのは「なにを怖れているのか?」を
反転させたこと
によるものでした。

たとえば、パッと浮かぶ例ですと

「大切な人を失うのが怖い」

(これがその時に認識している考えであり、不安という感情の
反応を引き起こします。)

それを反転させると「大切な人を得るのが怖い」または
「大切な人が居続けるのが怖い」など(他にもあるかな?)
となります。

この時ストン!ときたのです。
怖れていたのは、じつはそっちの方だった!のだと。

なぜなら、自分の生育環境で恒常的であったことが
(心の通う)大切な人がいないこと。大切な人を失うということ。
悲しくも、それに慣れ、順応してきたのですね。

失う怖れや不安という反応は、目の前の人や物事に対する
ものではなく、自分の慣れや順応を変化させることへの抵抗

なのかも知れない?

ちょっとカッコつけて言えば、恒常性による変化への抵抗
なのでは?と思ったとたんに腑に落ちたのです。
ホメオスタシス(変化に対し抵抗し現状を維持しようとする力)

ワタシは安心やのほほん、喜びや楽しみを怖れていたのだと。

なぜって?それは慣れてないから(爆)

目からウロコでした。
しかも、その時こそまさに安全で、安心して、のほほんと、喜んだり
楽しんだりしていてもいい状態
なのだと気づきました。

もちろん習性ですから、すぐさま変わるわけではありませんが
「安穏喜楽」を(陳腐な自作^^;)マジックワードにして気づくように
心がけていったことで、発作的な怖れや不安からは解放されてきました。
また本当に必要な時にはより冷静に対処できるようにもなりました。

これは怒りの感情発作にも効果があるかも知れないと考えます。

相手や自分を信じられない、受け容れられない、理解できない
という恒常性からの激しい抵抗なのだと腑に落としてみては
どうでしょうか?

不仲や不健康、貧乏にどっぷり慣れてしまってはいませんか?

不快を目印にして、安穏や信頼、喜びや楽しみ、いわゆる幸福に
自分を慣らしていくという発想はいかがでしょうか?^^

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

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# by dryangle | 2015-06-25 14:34 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り