金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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合鍵探しのコツ。あるかもよ^^②
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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前回(イケナイ圧力の心の扉を開ける鍵の話)の続きです。

ちなみに、コツ以前の話なのですが。
ロックされている(縛られている)ことを自覚する、気がつくだけで
その鍵が自分の手に握られていた
ことをいきなり知る場合があります。

開ける選択さえすれば、目から鱗で解放されてしまうことさえあるのです。

記憶を辿ったり埋もれた感情を掘り起こし、それらの現在への無用性を知る。
物事の受けとり方を修正したり、抵抗に向き合うためのメソッドやアクション。
物事を俯瞰し、距離をおくためのアファメーションやマジックワード、そして瞑想。
エンパワメントとしてのお呪い、お守りまで。それに気づかせ、活用させる
ものであれば効果的だといえるのかも知れません。


それら方法論としての鍵を選ぶコツなるものを、以下にあげてみますね。
②巷にある鍵はまず開けるため、解放されるために使う

当たり前のようですが、現実には別の新たなロックへの依存から得るつかの間の
安心や喜びを、癒しや解放とカン違いしている場合もあるのです。
ワタシはこれによって、さらなる多重ロックの虜となりました。

開け閉めの感覚を理解してから、鍵を用いる。

これは自転車に乗るようなモノ、言葉で説明しづらいのが難点です。
最初に迷いや抵抗を感じるけれど、ガチャッと開いたら「な~んだぁ!」
と気が楽にならなければその鍵を疑うか、別の鍵の併用が必要です。

鍵のカタチを意識して吟味すること。

現実にも鍵のカタチが皆同じわけじゃありませんよね^^;
似ているかもしれないけれど、それぞれに違って不思議はありません。

それは自分の心と向き合い、どんな鋳型や痛みの反応があるのか
しっかり見つめる作業になります。ですから、敢えて見つけようとすると
苦痛(怒り、恐れ、迷い、悲しみ、惨めさ、妬み、罪悪感など)が伴います。
↑ココを回避しようと汎用鍵にとびついた場合こそ要注意!
逆にいえば、苦痛のあるところにロックされている壁や扉があるといえます。

鍵を見つける前に、痛みでヘトヘト^^;になることも。そういう場合には
とりあえず「閉めっぱなしでもいいや」とも思えること。

 「どっちでもいい」も含め、鍵の開け閉めの主導権を自分が握ること。

この辺りは最重要で、鍵を用いるのも誰かに委ねず、強制されず、自分で開閉の
選択をする
ことに慣れていく
。それが主体としての自由です。

究極の汎用鍵は「愛」といえるのかも。ただそのカタチは見えない。

手さぐりだけれども、探しているうちに自分の心の奥が共鳴して
かすかに光が差し込み、風が渡ることがあります。
ワタシ個人はそこにロックによるものとはまったく別の喜びを感じます。
そのための鍵こそが、いわゆる愛と呼ばれるものだとしたら
それはたしかに存在すると思えるようになりました。
それはどちらか一方向ではなく、通電のように交流として成り立つモノです。

最後になりますが…念のために。

これらのコツも閉める(縛る)のではなく、開ける(解放)のための
鍵として使ってくださいね!^^

それによって、制約が増えて身動きがとりづらくなるものではなく
気が楽になり、イキイキと自由度が増すと直感的に思えるモノ。
間違えたら、何度でも違う鍵を探してみましょう。

合鍵探しのコツですら、自分の中に見つけるモノなのです。
この記事の内容も、自分の中でガチャガチャいいながら手繰り寄せました^^

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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# by dryangle | 2014-11-26 12:56 | ココロのカラクリ | Comments(0)
合鍵探しのコツ。あるかもよ^^①
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すっかり閉ざして、固まって、ビクともしなくなって、内にこもって
暖かい日差しも届くことなく、新鮮な空気もほとんど入らず
すっかり意欲なく、息が詰まりそうで、苦しく生きる心の扉

それは、イキイキと活きるエネルギーを封じる
(~ しては/~しなくては、~であっては/~でなくては)
イケナイの圧力です。

それをこじ開ける鍵を、それでも現実世界を必死に探し回って
たくさんの人の体験や知識、カウンセリングにマスターとかいう人の
教えを聞いたり、秘伝のマジックワードまで伝授してもらったけど…

たしかにあるのかも知れません。汎用性のある鍵(爆)
カチャッ!とくるものに出会えたりするものもあります。

が、大抵の人の心の鍵は多重ロックシステムになっています。

いくつか順調に開いて希望を得る人もいれば、最初から合わず
鍵の存在すら否定的になる人もいます。

なので、合鍵探しのコツを。

心のロックにもいろいろな形の系統があるようです。
お金系、人間関系(上下、家族、先祖など、ヒエラルキー系)、時間系
褒賞系、行動系、美醜系、キャリア系などの他者承認系
健康系、損得系、喪失系…
名前も順番もあくまで思いつきです!
高度な電子ロックで、いくつもスクランブルしています。
どれも合鍵販売が盛んですよね~!^^;

とくにお金系は、お金への執着から解放されるためというセオリー
によるお布施や献金、お金を手放すメソッドとかいろいろです。

カチャッ!ときて、開けばいいんです!気が楽になれば。

ところで鍵の働きはいうまでもなく縛り(執着)です。

もう少し実感的に言えば、ある価値観やその成果における安心・喜び
それを得るための誇り、崇拝(祟り?)、正(大)義や善、美意識、格式
常識、べき・ねば、服従、思い込み、盲信、ついには強迫(観念)
その維持のためにわき起こる抵抗や拒絶・回避、怒り、恐れや不安に
焦り、恥、悔しさ、嫌悪感、防御、心身のこわばりや痛み…

鍵の目的、それ自体はもともと安全に、安定して生きるため
有益な働きを得るためのものでした。

問題なのは、今現在、この瞬間
そのロックが主体者の自由な選択を奪う有害な働きをしている
場合なのです。

本来、鍵は主体者開け閉めを選ぶためのツールとなり得たはず。
ところが誰かがその人の都合で鍵をセットして、当の主体者を中に
置いて施錠したまま持ち去ってしまったことが問題なのです。
まさしく「こんな部屋イヤだ!」ですよね~(笑)

まぁ~閉じ込められたからこそ、個としての主体を認識する
至ったのではないかと?考えることもありますが…

心の鍵はその流動を自動的に一定の方向に駆り立てたり
反対に押し止める働きをするモノです。自分を縛るイケナイの圧力

「そういうのに縛られてるよね~!」ってアルアル!ですが
当たり前すぎて、自分や他者がロックされていると気がつかないことも。
そんな時こそ「どっちがイケナイの?」の争いとなります。

…話を戻しますね。

お金の鍵にもロックする方向性の違いがあります。

使いすぎる、使えない、溜めこみ過ぎる、溜められない
各々自分のため(意志)だけ、他者(特定/不特定)のため
(意志)だけ、両方OK、両方NG…これも思いつくまま、まだあるかも。

しかも「信じるな!」や「素直に従え!」という別の類の鍵に
スクランブル
されて開かないどころか、さらにそのロックを
強固にする場合も


そうそう、宗教系・思想系にもある別種の代表的な鍵
「信じろ・疑うな」とか「信じるな・疑え」のカタチですよね
どちらも「この教えに従え!」は共通です。

そこで、自分が自由になる合鍵を見つけるためのコツ①として
その鍵がさらなるロックをかける危険性がある。という
事実を知っておくことは必要だと思います。

あ、長くなってしまいました。次回に続きます!

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# by dryangle | 2014-11-21 13:13 | ココロのカラクリ | Comments(0)
意識の中心~他人の目?~
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前回の内容と共通する話です。

過去の経験ですが、物事や行動を選んだり,決めたりする際に
具体的な誰か(複数のことも)が頭に浮かび、その誰かの期待や
ニーズ、そしてその評価をイメージするという一連のパターンが
あるということに気づいた時

一種の強迫観念だと愕然としました。

そして現実ばかりではなく、自分の想像における
誰かの期待や要求が
等身大の自分や自分の気持ちとフィットしない時

迷いとなったり、その件が繰り返し想起されて
(アタマにこびりついてというのでしょうか^^;)
苦しみとなったりします

…ごく些細なことであってさえも。

「誰かの期待に応えようとすること」自体が不健全というわけ
ではありません。

それが常に意識の中心にあり、そうしないと許されないような
恐れに似た自己存在の不安に縛られていることが問題なのです。
ガッカリさせるんじゃないか、嫌われるんじゃないか、傷つけるんじゃないか、
軽蔑されるんじゃないか。といった気持ちも同質です。

このような人の多くは機能不全家庭で育っています。
親の期待や要求を先回りして察したり、それに応え続けないと
不当に責められたり、拒否されたり、心身を傷つけられたりしました

そういった五感による、いわば訓練の結果

自分の意識の中心、いわば主体を誰かの期待や要求に置き
先回りして敏感に感じ取り、応えようとしてしまう。
抗おうとすると、体感からの不安や恐怖に怯えてしまう。
これが具体的な物事で強化され、回避行動を生むと強迫性障害といえるかも知れません。

だから、自分の本来の欲求や気持ちを、自分自身で抑え込み
感じない、意識しないように
してしまうのです。

このような人は自分の気持ちを、他者に落ち着いて率直に伝える
ことに不慣れです。堰がきれた時にはぶつけてしまいがちです。
そして対象がぶつけやすい弱き子どもである時、世代連鎖
生まれるのです。

話が広がってしまいましたが^^;

以前「自分軸/他人軸」についてふれましたが、意識の中心(軸や主体)
自分に取り戻すことが大切だと、今なお強く感じます。

もし誰かが自分(やそのラベル)を評価、もしくは批評するイメージが
アタマに浮かんだら…その度に

不安だけど。
「アナタの評価(批判?)はもういりません。ありがとう。」
宣言してみてください。
さらには「もうこの不安は不必要」だと、根拠なく認めてみてください。

まずは想像する相手の、それに同化した自分の
期待をジャンジャン裏切ってみましょう!
そしてシンプルに今、自分がどうありたいか?を意識してみてください。
けっして他の誰かのあり方に依存しないように^^

安心も、喜びも、楽しみも…そしてシアワセも。
それを与えて感じることのできるのは、自分自身しかいないのです。

 「子育て」、「団欒」、「地域との関わり」といった一般的に存在すべきとされる機能
またそれぞれの人格が尊重され、家族の「安全基地」としての機能が健全に機能していない家庭。


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# by dryangle | 2014-11-12 14:10 | ココロのカラクリ | Comments(0)
張り合い?それとも重荷?
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困難な出来事に遭遇した時、人によって
まったく対照的な反応をすることがあります。

家族の存在が張り合いになる人と
その存在が重荷になる人がいます。

それは受け入れようとはりきる人と
反射的に逃げよう・拒もうとする人。

課題ととらえようとするか、問題だと苦しもうとするか
出来事についてではなく、気持ちの方向性です。

どちらが正しいということではけっしてありません。

ただ後者は、他人の期待や必要性のみに反応するばかりで
自分の期待や必要性を満たしてもらった経験(実感)が
ましてや、自分で自分自身を満たすことができたという
経験が乏しい
という傾向性があるように思います。

不幸なことに、その人の周囲の他人はどれだけ応えても
満たされ、喜んでくれるようなことはなかったのです。

それがいつのまにか、慣れ性になってしまうことで
自分の方から他人の期待や必要性を敏感に感じ取り
時にはでっちあげてまで、背負おうとします。

けれど、苦しいばかりでいつまでも光明が見えない。
なぜなら自分の存在価値をそこに置いてしまったから。
そこ←「他人の期待や要求、必要性に応えること」を代入

満たされ、安心や喜びを受けとった経験の多い人は
相手の安心や喜びのために取り組もうとするため
それが張り合い・ヤリガイとなることも多いようです。
評価が目的ではなく、すること自体が喜びなのですから。

もし生活に張り合いがなく、重荷にばかり感じているならば
他人の期待や必要性に縛られ過ぎていないか?
自分の自分自身への期待や必要性は一体なんなのか?
一度チェックしてみてください^^

他人の期待や必要性を、あくまで他人事として
俯瞰してみる勇気を持ってみてはどうでしょうか?

本来、他人の期待や必要性を満たすということは
愛という能動的な選択なのです。
逆に受動的で強迫的なのが、奴隷根性ということなのでしょうね^^;

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# by dryangle | 2014-11-08 10:00 | ココロのカラクリ | Comments(0)
連鎖反応の実体験
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我が子に恋愛の話を打ち明けられた時
ふと、昔の記憶が蘇りました。

自分も同じように、少し照れながら
身内に打ち明けた時

「どうでもいいから、処女でいなさいよ。
アンタの嫁入り道具はそれしか
ないんだから!」

今、この瞬間もそう。
なんともモヤモヤした不快感に
覆われます。

人生のイベントで
普通(?)なら、喜びを分かち合うことや
自分自身の楽しみ、節目の慶事にさえ
場違いな不快感がわき起こり
とまどう
ことがあります。
当然、マイナーな出来事に及んでは
過剰な恐れと不安でパニック寸前 T_T

具体的な記憶を思い出せるならまだしも
ほとんどは負の感情だけの反応です。
自分で理解できない理不尽なまでの感情

毎日、延々と起こりくる些細なことも
人生のほとんどの出来事に対して。

そのカラクリを見抜いて、ともに喜んだり
時に励ましたり、楽観するようにしたり
(自分自身にも)反応を換えることを
なるべく心がけてはきましたが

敏感な相手に感じとられて、同じように
不快な出来事として記憶に残り、いずれ
負の反応を呼び起こさないか、不安に
思うことがあります。

誰かの不愉快に出会ってしまった時
本来それに傷つく必要はありません。
その人の評価を間に受けることはないです。

不快な痛みを刻んでしまうのは、きっと
自分が「自分は価値がない、運がない」と
そのまま受け入れてしまうから。
無垢な子どもならなおさらです。

あの人の反応も、不快な記憶や価値観の
蓄積
から出ていたのでしょうが…

その蓄積に耐え、他の人や次世代に対して
その場限りの荷下ろしをしないように
反応をその都度意識して、転換させて
生きていくことは、まるで修行のようです(爆)

が!少しでもその連鎖に気づき、理解し
向き合える人が増えていくように
チマチマ綴っていきたいと思います。

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# by dryangle | 2014-10-22 15:58 | ココロのカラクリ | Comments(0)
人まかせは謙虚ではなく他人軸
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●誰の価値観を生きるか?

考え方や行動の基準を、自分の価値観や単純な欲求におくことを
自分軸といいます。

これに対して、おもに周囲の状況や世間の価値観/評価、また
他人の意見などに従って決めることを他人軸といいます。
いえ、「決める」というのならばそれもやはり自分軸であり
正確には他者に従って「決まる」のが他人軸といえます。

後者は、日本の文化(とくに女性)では美徳ともされてきましたが
最近は他文化に習い自分軸をしっかり持つ人も増えたことで
個人の内でも、人づきあいにおいても摩擦が起きています。

●本人の意思決定は不要?不作法?

文化的背景もさることながら、他人軸につけ込みコントロールする人
の存在が、過剰に他人軸に生きる人を生みだし続けます。

たとえばそのようなタイプの人を親に持つと、子どもの意志は尊重されず
子どもは親の価値観を投影する、つまりコントロールの対象になります。
自分の意志で自己決定する経験を積むことのできない、当然のことながら
他人軸を生きる人に成長することになります。
過度になると、自分の意志や要求(依頼)を禁じ続けられることによって
それ自体に引け目や罪悪感を持つようにさえなるのです。

本人には自覚もないのですが、この種の人は自分の側に求めることが
ある時には、他者の主導権によって、他者が決断したようにという
体裁を整えることに必死になります。

だって本人の中では自己主張したり、他者に要求(依頼)すること
してはいけないことなのですから。

それが自分と他人の軸のバランスのとれた人にとっては、やたらに
「(他)人まかせ、遠慮がちなのに操作的、本音がわからない」など
付き合い辛いメンドウな人と感じられます。
奮闘しているからこそ、クドクドしつこかったり、重たかったり。

かつての自分もそうだったのだろうと、痛いくらい実感します(爆)

●他人軸は本人もシンドイからこそ

他者や世間の価値観に合わせて生きていくことは、現代はそれが多様化
していることもあり、混乱と苦悩がつきまといます。

それはするべき、しなくてはならないこと(ベキ・ネバ)中心の生き方であり
したいことを押し殺す生き方でもあります。

この歪みを蓄積する人が、(親などから学ぶ形で)同じような自己決定
できない人をコントロールする自己効力感を知ってしまうことで
その成果が喜びとなるようなコントローリングな(他人の意志を
操作しようとする)人
に変貌することになります。

他者への配慮ではなく
自己保全の他者コントロールのために他人軸を使う。


それが他の人を圧迫したり、次世代(子ども)への再構築を行うことに
なるのです。
もしかしたら、これこそが文化なのかも知れませんが^^;

●理想かも知れないけど

とはいえ、個人的は自分軸をふりかざすようなパワーゲームの世界を
欲しているわけではありません。

真に日本文化の美徳といえる(願う?)謙虚さは
互いが自分の意志によって、他者を尊重し協調しようとすること

そのために自分の他人軸偏重と向き合う勇気や、自分軸を吟味する
理性を持ちたいなと思います。

主体的にね^^

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# by dryangle | 2014-10-17 10:01 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
捨てたらゴメン(^人^)
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見知らぬ人やフォーマルな場で人と接する時
その場、その人向けの自分を作っている自分に

違和感を感じることはありませんか?

リラックスしている時でさえ、友人や家族にも
無意識に自分を作っているように思います。

じゃ、一人の時は?

時々ふと、こうして心について考えている自分を
保とうとしているんじゃないか?
などと思ったりします。

ワケあり家庭に育った自分
心に傷を持つ自分
さまざまな強迫観念を持つ自分
かつての親族関係に悩む自分
回復しようとしている自分
同じ痛みを持つ人と関り合いたい自分

そういう自分でいる時間が減ってきたことに
最近ハッ!と気がつきました。

そんなキャラを、もはやアイデンティティとして
再生し、持ち続けようとしているのは自分?

もしかしたら…

忘れてたように、こうした話題を綴るサイトやブログを
見向きもしなくなることが、ワタシの、私達の
心の回復なのではないのだろうか?と。

もしうっかり、一連のサイトやブログを捨てて
(放置して)しまったら

ゴメンなさい(^人^)

とはいえ、問題や関心を持つ方々が訪れてくださる限り
今後もあれこれ向き合っていくつもりです^_^

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# by dryangle | 2014-10-13 11:39 | ココロと思想 | Comments(0)
大したことない私的死生観
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PCや携帯を、自分的には不具合なく長く大事に使っていても
あっという間にソフトが進化し、必要な処理能力やメモリが増え
ついにはアップデートのキャパが追い付かずに新機種への
買い替えを余儀なくされる
ことってありますよね。

そんな時には、私たちの心身の存在も似ているのかも知れないと
つくづく思わされます。

観念や価値観もなるべくアップデートしていかないと、時代に合わずに
動き(生き?)づらくなったりしますし。

それって自分の枠を認識し、つねにその外側へと
意識を押し広げていけるということと同様なのかもしれません。
だとしたら、きっとその可能性は無限。

とはいえ、ハード(身体)の方は時間とともに古くなる一方で(爆)
大事に上手に使っていても、いずれアップデートの不可能な
限界がやってくる


そんな時、なんの抵抗もなく真っ先に新機種に乗り換える人と
今使っているモノへの愛着、もしくは些事の面倒もあってか
なかなか気が進まない人がいます。

正直、ワタシは後者なのですが^^;
ちなみに「決めたら、速攻!」という一面もアリ…

とりあえずOSやソフトの新機能にはなんとかついていって活用
していますが、ハードの衰えを実感させられる今日この頃^^;

「ついてけないかも…」という焦りも感じます。
あ、それは人生の変化の話かな?

そんな風に、IT世界のハード・OS・実用ソフトの概念をリアルな
世界と対比してみると面白くはありますね。

ハードが肉体、CPUは、メモリは記憶、OSは初期環境で、プログラム(ソフト)は思考、感情の働き
そしてそれらを駆使して行う仕事が行為や体験であり、さらには
その積み重ねがその個人の人格や人生と呼ばれるようになる。

では、そもそもITに位置するモノとは?
(神か?宇宙か?概念として認識できないものか?)

うーん…

アップデートも新機種への交換も抵抗があるほど
面倒で苦しむ
ってのは、たしかに心理/真理。

その時が来たら、スパッと新機種に乗り換えたいと思います!
(いや、無理かも?^^;)

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# by dryangle | 2014-09-24 14:33 | ココロと思想 | Comments(0)
受けとりたくない~拒絶反応のそのワケ
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求めているモノを与えられると感謝の気持ちがわきます。
求めていないモノを押しつけられると怒りの気持ちがわきます。

どちらにしても、もし
引き換えになにかを要求されるとしたら…
それは苦痛以外のなにものでもありません。


他ならぬ私事でもありますが、親や親せきなどからの荷物(贈り物)を
負担に感じ、受けとることのストレスを抱える人が少なくないようです。

たとえ欲しかったモノでもなんとなく気が重いという場合
たんに目の前にあるモノの問題ではないかも知れません

それは、その人とこれまで築かれた関係にあります。
何かを(して)くれるというその人の行動のパターンが

・支配(コントロール)のための手段
・自己(の価値観における)満足
・自分を評価、感謝して欲しいという気持ちの要求
・自分を気にして欲しい、見捨てないで欲しいという存在の主張
・「してあげなければ」という独りよがりの責任感や罪悪感
・好意の示し方や求め方の方法をそれしか知らない。

いずれにしても。

こちら側ではなくその人自身の気持ちのためだということを
経験上から熟知していると同時に、代償の必要性の重圧を感じる
それはそのままこちら側の気持ちの負担に他なりません。

してもらった物事の物理的な質量以上に重荷になってしまう。

その人がそもそも自分の気持ちだけにしか関心がなく
こちら側の気持ちは眼中にないということに、悲しみや憤りを
覚えてきたことを再確認し、こらえるエネルギーも必要です。

「押しつけられること全般」に対するアレルギー、拒絶反応に
至ってしまった
人にとっては苦痛以外のなにものでもありません。

その反応に苦しむこと自体が、その人のために仕組まれた
感情のパターンなのですから。

不幸にも、その人を想起させる別の人が(して)くれた物事にも同じように
過剰反応することがあります。
大元のその人のそれに反応するように、義両親・義親族・友人知人などの
他意のない親切を素直に受けとることのできない苦しみ。

受けとるか否か? ―問題はそこにはありません。

道義的な是非を自他に問うことで、さらに苦しんでいる話も耳にします。
まずは関係のパターンを探り、腑に落すことが大切だと思います。

べつに気持ち(やその代償)を返さなくたっていい。
喜びのやりとりならば、気持ちの負荷は無縁なはず。

その物事自体は、どっちだっていいと気楽にいられることが
リラックスした健全な関係なのです^^

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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# by dryangle | 2014-09-18 13:14 | ココロのカラクリ | Comments(0)
感情と向き合うコツ
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


まるでニワトリと卵はどちらが先?の例え話のように…

わき起こる感情と認知や思考のパターンとの関係は
どちらがどちらを引き起こすのか?思うことがあります。

元々なにかしらの感情(の根)があってそれを顕在化させる
ために合理的な解釈や考えを後付けする
のではないか?
そんな風に感じることが多々あるように思うのです。

それらの感情を根ごと掘り起こす手法がいくつかありますが
セドナメソッドを活用する方も多いのではないでしょうか?

原初的な欲求に基づいて感情を探っていくという方法は
それはそれでかなりの効果が期待できると思います。

その上で、なお行き詰まり(わだかまった感情)を感じる場合の
個人的に効果のあったコツがあります。

欲求を強迫観念という言葉に翻訳する。

安全欲求→『自分を守らなきゃ』という強迫観念
制御欲求→『ちゃんとやらなきゃ』という強迫観念
承認欲求→『(要求に)応えなきゃ』という強迫観念
分離/同一化の欲求→『一人でやらなきゃ/属さなくちゃ』という強迫観念

そんな風に言葉を変え捉え直してみると、自分を縛っているモノや
それに対する感情的なワダカマリを探り当てやすいように思います。

「ああ、そうだよなぁ~」と、ピン!と腑に落とすことができれば
周辺に埋もれている負の記憶や感情にふり回されることが
だんだんと減ってきます(セドナメソッドでは「解放」と呼ばれます)。

モヤモヤ、イライラ、しょんぼり、ビクビク、ドキドキ…
負の感情に支配されている時

自分の心の中で、どんな気持ち(強迫観念)に縛られているか
じっくり探し当ててみてください^^

過去記事承認欲求?それとも承認強迫?もぜひ!

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# by dryangle | 2014-09-09 09:38 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り