金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
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"自分"に疲れていません?
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自分の気持ちがわからない!?
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悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
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偽(負)の意欲

かなり前ですが、誰かにしてもらうことに対して思わず口にする
「ありがとう(感謝)」と「すみません/ごめんなさい(謝罪)」の
メンタリティの違いについて書かせていただきました。
「すみません」と「ありがとう」

「~したい」と「~しなければ」についても、人によっては曖昧にかつ
偏って使われているように思います。
とくに自分のしたいことがわからないという人ほど、「~したい」と
「~しなければ」の区別がつきにくく、曖昧になっている場合が
多いように感じます。

これもまた、このところ綴ってきている真逆の表裏なのだと
気づくことができれば、理解しやすいかも知れません。

その人の目に見える反応、言葉や行動が同じものでも
どんな気持ちがわき起こり、反応(行動)しているのか?
によって心の世界の居心地は真逆のものになり得ます。

自己防御⇔自己実現(表現、決定)

カタイ言葉を使ってしまいましたが^^;、要するにその動機が
自分を守るための自動反応」としての負の感情によるものか
シンプルに「自分を(大切にし)率直に表現」したものであるのか。
わかりづらいので、その時の感覚を例として連ねてみますと…

動機が自己防御(心の有刺鎧)による場合
不安、焦り、怒り、やらされた(犠牲)感、しなければ(義務)感、抵抗感
面倒、正当化、コダワリ、強迫(負の意欲)、他が気になる(勝負)、モヤモヤ
達成した結果 達成感・安堵感が一時的 次にまたかと思う
燃え尽き 疲弊感 未来を憂う

動機が素直な自己実現の場合
意欲、やる気、他を気にしない、満足、コダワラナイ、したいから、気楽
達成した結果 喜び 先に進む 楽天的 失敗も経験


この違いは、これまでに体験から構築された条件反応のような
プログラム(ある意味これも人格といえますが^^;)
物事というより、それに対する反応の仕方の習性です。

価値観が、物事への考え方や評価という認識の部分だとすれば
感覚や感情といった反応の部分だといえます。

自分本来の「したい/したくないこと」が尊重され、許され続けなかった
場合、自分を守るために「しなければ/してはならなかった」ことを
(それはとりもなおさず、親や周囲、世間の「させたい/させたくない」ことを)
あたかも自分の「したい/したくないこと」なのだと、思い込んできて
しまったのが前者だといえます。
そのために「したいこと」と「しなければならない」ことを混同してしまって
区別がつきづらくなっているのです。
実際、双方の気持ちがある比率で混在するのは普通でややこしい限り

自分の気持ちがわからない・したいことがわからない
そりゃ、そうもなるわ~^^;

いったん脇に置いてみる。

そのチャレンジ、その選択。
日常の衣食住から、学ぶこと、働くこと、遊ぶこと、競うこと
受けとること、与えること。

「したいことが本当はしたくない」ことだったり
「したくないことが本当はしたい」ことだったり…

そうすることに、もし気持ちの負荷が否めないとしたら。

そんな時には、もしこのネガティヴな感情が(起こら)なかったら?
自分に問いかけてみてください。…繰り返し、何度も。

そうであっても、その上で、やっぱり「したい/したくない」と出てきた
気持ちを自分が大切にできる習慣を構築していきたいものです。
あくまで個人的な経験ですが、過剰な防御反応を知り、それが不必要だと認識する
ものすごく気が楽になりますよ~!!


「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ。」 
By スナフキン

(笑)
過去記事のこちらもぜひ^^→私、本当はどうしたい?

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
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# by dryangle | 2015-03-20 17:05 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自己決定⇔自分勝手・ワガママ
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ワタシの育った家では、食べ物、持ち物、着る物、すること
すべて親が与えた、許可した通り。
子ども側は「自分の好きに」選ぶことが許されないばかりか
それを求めることすら自分勝手・ワガママでした。

今でもこれを子どもの身分では当たり前と考える人もいれば
成長度合いによっては自己決定能力を養う機会を与えていない
考える人もいます。

挙句、自己決定能力の身についていない人が「自分のない人」と
批判されることもあるのですから勝手なものですよね(爆)

自分を優先(大切に)することと自分勝手の違いは何か?
と悩む人は多いようです。

きっとそれは同じことの裏表

錯視の効果によって、一つのボーダー柄のドレスの色が
青黒に見える人もいれば白金に見える人もいます。(時事ネタ

その人が条件づけられた反応、この場合は価値観や観念によって
感じ方や正しさ、許せなさの基準が異なる
ということです。

とくに個よりも集団のアイデンティティーが重要で、同調圧力の
強い日本の社会では、自分の好みや都合を優先させること自体が
自分勝手・ワガママだとされ、それに反すると非常識・迷惑・KY
という烙印
を押されます。

皆がそれを敵視することで、他者を優先しない(自分を優先する)
ことに後ろめたさや気づかい・遠慮の必要性など、無実の罪悪感
を覚えるように刷り込まれていくのです。

他者を自分の都合のいい(自分の価値観や観念に沿う)ように
操作するために、これに漬け込む人もいます。

自分の都合や、好き/嫌い、したい/したくないを優先することに
後ろめたさを感じるとしたら。
また他者の都合や言い分を優先することに素直な納得や喜びを
感じられないとしたら。
それは相手を思いやっているのではなく、従わせられているから

自分の軸、つまり主体性を生きていない
それがまさしく自分を大切にしていないということ。

自分の都合や、好き/嫌い、したい/したくないを優先して
自己決定することは、けっして自分勝手ではありません

自分を大切にできてこそ、他者を真に思いやり大切にできるのです。
相手の主体性とその自己決定を尊重し、またあくまで自分自身の
自己決定によって
それに助力するということです。

気づかいや遠慮は、主体として能動的に行なうからこその美徳

むしろ他者の主体性や自己決定を尊重しないことが、まさに自分勝手
だといえるのではないでしょうか?

自己決定=自分の生き方や生活についてを自由に決めること。

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# by dryangle | 2015-03-05 10:21 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
真逆の世界
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自分らしくあることと
自分を守ろうとすることは
同じ働きの別の側面です。

一方はその存在を肯定する働きであり
もう一方は否定し押さえつけながらも
存在し続けようとする働きです。

一方は積極性、受容性
もう一方は消極性、抵抗性

一方は喜びや満足感が伴い
もう一方は痛みや苦しみが伴います。

一方は他者の異なるそれを尊重しようとし
もう一方は他者の異なるそれに脅かされ
拒絶したり、奪ったり、攻撃しようとします。

一方は愛に裏づけられた眼差しであり
もう一方は恐れに裏づけられた眼差しです。

あなたがどのような眼差しを向けられて育って
きたかによって、見方や感じ方が逆転します。

大抵の人はこの世界を教えてくれた
その人と同じ側にいることでしょう。

あなたをとりまく世界は、きっと
あなたが影響を受けた親や大人と
同じ顔、同じ性質
をしています。

現実の世界が異なるのではなく
それを見る眼差しの違いによります。

どちらの自分でも、どちらの世界でも
本来なら選択することができます。

それが自分という存在の力。

オマケ話ですが、話題のドレスの色の見え方も興味深いですね。
色の恒常性という背景の光の色に合わせ経験や記憶を元に色を判断する
脳内の補正による錯視がカラクリだそうです。
ちなみに、どうしても白と金色にしか見えません^_^;


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# by dryangle | 2015-02-28 16:30 | ココロのカラクリ | Comments(0)
真逆の真実
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「してもらったことに感謝している」

その昔、親を思いやるつもりでそう口に出してみた時に
自分を裏切ったような激しい嘘臭さと違和感を感じました。

「してもらうこと」が、申し訳なさや罪悪感といった重荷
でしかない
のであれば、感謝という言葉が嬉しさや喜びを
伴わない空々しいものであるのは、今思えば無理もありません。

そんな自分に悩み、苦しみ、考え、自らが親となって、さらに
また自分の反応に苦しみ、ようやく理解したことがあります。

大元は、親の側が「与える(してあげる)ことの喜び」を知らず
そうすることが、真逆である義務感や不安、など怒りや恐れを
触発する苦痛に感じられてしまうことが原因だったのです。

与える(してあげる)行為自体に喜びを感じられないがために
相手に「感謝されること」や成果を求め、自分を満たそうとする。

それが「してやった」という気持ちや、自己満足の押しつけ
恩着せがましさ、見返りや責任の要求として行われることによって
子どもに得る(してもらう)喜びを禁じてしまうのです。

親を喜ばせない罪悪感や、得るに値しない無価値な存在という
自己像を持ったまま、その子どもが成長して、いずれまた
与える(してあげる)喜びを知らない、それをすることに
負担や不安、苦痛を感じてしまう親となっていきます。

なにをしてもらった (してあげた)のか?よりも
どんな気持ちでしてもらった(してあげた)のか?


得ること(してもらう)ことと与える(してあげる)ことは
感謝という同じ喜びの別の側面

またそれが一体の喜びであればこそ
与える∝得る(比例)

そうでなければ
与える∝1/得る(反比例)

求め合うばかりか、奪い合うことへとエスカレートしていく
世相を感じずにはいられません。

エーリッヒ・フロムを読まれた方なら、生産的/非生産的性格
という言葉を思い起こすのではないでしょうか。

愛する、感謝する、喜ぶ、幸せを感じる、満足する、安心する
といったものは、同じ質感を持っているのだとつくづく思います。

そのなさ愛の不在の実情なのかもしれません。

もしもあなたが慢性的な不安や不満を抱えているとしたら…

それはとりもなおさず、本当の意味での「感謝する」喜びを、
得る(してもらう)ことの喜びを、知らないままにいるのかも
知れません。
得た(今ある)物事に対して感謝や喜びも感じられないのでは
ないでしょうか?
そしてきっと与える(してあげる)ことの喜びも知らないまま
なのかも知れません。

残念ながら、それは親や周囲の人が知らなかったから
知れなかっただけ。気づけなかっただけ。

いつからでも、自分で知ること、気づくこと
伝えることができるのです。

勇気を持って、義務感や不安、負担や苦痛とは別の場所にある
得ることの真の喜び、そして与える喜びを探り当ててみませんか?

すべてお得としか感じられない世界 へ(爆)

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# by dryangle | 2015-02-24 18:26 | ココロの不調 | Comments(0)
『闇(病み?)教育』はあったのか?②
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人は、それが罪やいけないことだと教えられないから
自分や他人を傷つけ、命を脅かすわけではありません。

子どもとしての調和と人格の統一を傷つけられず
両親に保護され、尊重され、欺かれることなく育った
子どもは、青年期もその後も…(中略)…人生を楽しみ
他人や自分を傷つけたり、殺したりしようなどという
気持ちになることはありません。

『魂の殺人』の著者、アリス・ミラーの言葉です。

青少年期の挫折をキッカケに、意欲を失うばかりか
人間性までを損ね、ついには猟奇的といえるような
犯罪に至ってしまったといえる事件が、繰り返され
気がかりでなりません。

共通して「教育熱心」とされる親によって、いったい
どのような教育を受けてきたのでしょうか?

ふと教育虐待という言葉が頭をかすめます。
あきらかに利己的な暴力という様相でないがために
実際には蔓延している危惧感を覚えます。

「子どものために」のその接し方が、独善的であったり
本人の主体性の芽を摘む結果となっていないでしょうか?

理想的な鍛錬ではあっても、それが己の動機や意志でなく
他者の意図により行うものであれば究極の逆効果。

愛情飢餓と言ってしまうと、大袈裟に聞こえますが
現実には、養育者(後には他者)と自分の素直な想いや気持ち
(単純に喜怒哀楽)を共有することで心を通わせ合うという
(とくに幼少期の)経験に加え、成果ではなく存在自体を
望まれていると実感する
ことにより、情緒と自己肯定感が
育まれます。

ところが、大人の側の理由によって知育や技能習得が優先され
心の交流がなおざりになってはいないでしょうか?

ましてや、そこに感情的な圧力や支配、否定、無視、皮肉
威嚇、体罰、暴力といったネガティヴな力を用いることが
常態になってはいないでしょうか?

ひどい目に合わされた子どもが犯罪者にも精神病者にも
ならないで済むためには、少なくとも誰か一人
子どもではなくその子の周りの人間の方がおかしいのだと
はっきりわかってくれる人に出会う必要があります。

アリス・ミラー

自分を苦しめるこの世界や他者のあり方がけっして普遍では
ないこと、自分が存在すること自体の喜びを知るチャンスを
誰もが探し当てられることを願ってやみません。

以下は「闇(病み?)教育」と青少年の猟奇的な犯罪
教育虐待に関連したこれまでの記事です。
ヒトラーの親子関係と「魂の殺人」
『闇(病み?)教育』はあったのか?
教育虐待


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# by dryangle | 2015-02-11 11:00 | 親子の関係 | Comments(0)
手放し、受け容れ続ける。
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新年のご挨拶もしないままに、2月になってしまいました^^;
まだまだ続行するつもりですので、よろしくお願いします!

いきなりですが …

手放さない限り、失い続ける。

最近こんな言葉を目にして頭から離れません。

たしかに、失う自分という自己像を握りしめている限り
現実をすべてそのように、つまり自分はなにかを失うものだと
認識/解釈してしまうということ。

また反対に、受け容れない限り、縛られ続ける。
ということも実感します。

手放しと受け容れは、じつは同じ性質のものだといえます。
古来より諦めるという表現もありますが、ざっくり言えば

いいよ。それは(誰それは/その事は)それで。

感情的に反応せずに放っておくことができるか、どうか?が
鍵となるように思います。

もちろん、心が強く抵抗します。
それこそが苦の正体ともいえます。

その怒りや悲しみ、寂しさ、恐れといった痛みの根っこには
劣等感や罪悪感、被害意識
(得ることができない、失う、見捨てられる、など)に
当てはまるものがあるのではないでしょうか?

その感情の痛みを、じっくり感じてみる。
誰かの声や、なにかのエピソードが思い浮かぶかもしれません。

もしその反応(痛み)がなかったら?そもそもその根っこが
今はもう、たんにリアルな思い込みに過ぎなかったら?

「この反応を、とりあえず試しに脇に置いてみよう…」
そう思うことができる頃には

すべて何も手に入れたり、失ったりしているものはなく
そのようなイメージに正負の価値を与え、決めた反応をする
主体こそが自分だということに気がつきます。

ほんの一瞬ね(笑)

だから、続ける。たんたんと今年も^^

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# by dryangle | 2015-02-05 21:24 | ココロのカラクリ | Comments(0)
感情的に感情を悪者にしないで。
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一昔前の人たちは、「感情を理性でコントロールできる」ことが
人としてあるべき最善だと言います。
ワタシも、それこそ頭では素直にその通りだろうと考えていました。

このコントロールの意味は抑制というよりも、むしろ封じることであると
されているようにさえ思います。
それによって他者を刺激することなく、社会的なトラブルを減らせる
考えられていたのでしょうか?
昨今では、さも理性的に冷酷なことが行われているようにさえ
思うのですが。

それはさておいて、個人的に子どもの頃から本来自然にあるもの
モノによっては悪者扱いされることにかなりの違和感がありました。

そこで自分なりに思いついた感情についてのイメージがあります。
今回はそれをご披露しようというお話です^^

それは感情は人生(ドラマ)の味つけをする調味料だということ。

基本の感情は4つといわれていますが、さしづめ、喜びは甘さ
悲しみはしょっぱさ、怒りは辛さや苦さ、恐れは酸っぱさや辛さ、
といった
ところでしょうか(テキトーな発想です^^;)。
調味料よろしく身体に循環しその機能にも作用します。

記憶や経験、知識は材料
理性(頭による働き)は調理です。

心の働きは、記憶や経験、知識(材料)を使って、そこから感情
(調味料)も作り出し、蓄え、ともに調理(行動や意味づけ)をして
その人オリジナルの料理(人生ドラマ)を作りだすこと。

調味料を使わないという選択もあり得ますが、心の働きの性質により
調味料も盛んに作られストックされていきます。
これとは対照的に、現代では材料は貪欲にかき集められます。

ジャンジャン調理して食べないと腐るよ(笑)

でも、使い方を間違えると料理が台無しになるのが調味料
不味いモノをさんざん食べすぎたせいか、いっそのこと使うな!という
教えが蔓延し始めました。

それはそれで良さそうなものですが…

人生ドラマがまったく味気のないモノになってしまっていることが
目立ってきました。
さらに悪いことには、溜まった調味料が腐って、爆発し、まったく不本意に
料理にぶちまけちゃって台無しにしてしまっています。

これはもう、そろそろパラダイムシフトの出番ではないでしょうかね?

材料同様に、調味料を、材料とのコンビネーションを活かす
そこにこそ、理性を、調理のテクニックを存分に駆使しては
どうでしょうか?

そのためには、まず調味料の味をしっかり知らなくてはなりません
しっかり本来の味を味わい尽くしてこそ知ることができるのです。


味覚と同様に、大人や人によっては多少の手間ひまがかかるでしょうが
そうすることで、調理が安心して楽しめる作業になることでしょう。

行い手は、もちろん自分のクリアな意識^_^

クリスマスのメインディッシュはなんですか?
さぁて、美味しい料理をしっかり堪能しましょうね。

みなさん、メリークリスマス!
そして、良いお正月をお迎えください^^

…で、来る年もまたヨロシクお願いします。

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# by dryangle | 2014-12-25 14:04 | ココロと思想 | Comments(0)
『偽りの感情』を見抜く
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前回無実の罪悪感について考えさせていただきましたが
「無実なのになぜ?」と思ったとたん、ラケット感情という言葉が
突然連想されました。

これは交流分析(TA)で用いられる概念で、本来の気持ちを抑圧する
二次的な感情
とされています。

別のいわゆる一次(primary)・二次感情(secondary emotion)の考え方は
今では認知行動療法をはじめEFT、NLPなどさまざまな分野で用いられています。 
感情のフタとも呼ばれる二次感情ですが、多くの療法においては怒りとその
コントロール(アンガ―マネージメント)がメインとなっているようです。


交流分析においては、本来の感情は過去の時点で抑圧されており
代わりに習得した代用感情であるラケット(脅迫)感情が起こるとされます。
親などとの不健全なコミュニケーションによってその感情に、ストローク
(承認や報酬、関心)を与えられることで身に着き
パターン化したものです。

シンプルにいえば、その時の本当の気持ちを全否定して
誰かの「それについては、こう感じろ。そうすれば注目してあげる
に、求め従うことで形成されたものだといえます。

―私の(気持ちの)存在を認めて欲しい―

ラケット感情として起こり得る感情はさまざまです。

怒り、劣等感、優越感(喜び!)、罪悪感、憂うつ、イライラ、見捨てられ感、恐怖
絶望感、虚無感、混乱、傷心、がっかり、悲しみ、孤独感、無力感、緊張感
焦燥感、同情心、義務感、使命感、敗北感、後悔、恥、羨やましさ、意固地
不安、心配、嫌悪感、とまどい、反抗心、潔白感、傷心、競争心、恨み、恋しさ
自己陶酔、拒絶感、猜疑心、疲労感…


それらの二次的な感情に、なぜことさらケアが必要かというのは
それ自体が不快な感情であったり、他者とのトラブルにつながるだけ
ではなく、それは習得した反応であるため、感じ切ってもその場で
消化するということがなく
、さらには繰り返すごとにより強い反応
なって表れるからです。しかもゲームとして繰り返したがる^^;

それには他の療法における二次感情に関連した一次感情の扱いと同様
自分のパターンとなっているラケット感情を知り、本来の感情に置き換える
作業が必要となります。

抑圧されていると考えられる本来的な感情については
基本感情である怒り、恐れ、悲しみ、喜びの4つであるとされています。
 
(歪んだ接し方にふれて)喜びですらラケット感情によって封じられている
場合も多分にあると考えています。

理不尽な負の感情に苦しむようであれば、それがラケット感情、もしくは
二次感情とみなして、自分の本当の感情に気づくことが大切だと思います。

前回の無実の罪悪感などの苦しみについては、その奥底に埋もれている
自分が喜ぶことや、相手のコントロールに対する怒り、自分の気持ちへの
関心のなさに対する悲しみ、拒絶される恐れなど、自分の真実の感情
気づいてあげることが大切なのだとあらためて考えました。

アダルトチャイルドの考え方は、その本心やそこからの思考をAC、ラケット感情や
そこからの思考をペアレントとしてイメージしてみると理解しやすいかと思います。
ホ・オポノポノなどは真の気持ちに向けるアファメーションだといえますね^^


交流分析の用語。

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# by dryangle | 2014-12-10 14:02 | ココロのカラクリ | Comments(1)
思いやりの真実
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無実の罪悪感(False/Unreasonable Guilt)という言葉をご存知ですか?

●けっして悪いことをしているわけではないはずなのに
自分のために、とくに自分の「楽しみや喜び」のために
自分の気持ちや労力、時間、お金などを使うことに


つまりは ―「親()のために」使わないことに―
は、いずれ別の重要(上位の)他者、伴侶、上司、子ども、組織やグループなど
に入れ替わります。親という言葉でピンとこなければ、差し替えてみてください。


親()を裏切っているような、ガッカリさせるような、良くないような
「自分だけが」というような、申し訳ないような、不安や罪悪感を感じる

●大人ながら、自分の行動を自分で(勝手に?)決定することに
後ろめたさを感じたり、(の)許可や承諾がないと不安になる。

●親()のために、なにかを、しては/しなくてはイケナイような
気持ち
になる。

相手の言外の心情まで察して重たい気分になってしまうのは
心に「内面化された親の声」がプログラミングされているから。

これまで親()や周囲の大人から
あなたのために、こんな状況(や嫌な気持ち)にさせられる」という
パターンでコントロールさ(躾ら)れてきた自動反応なのだといえます。

またいつしか相手の「要求に応えること」が、思いやりや気配りという
概念にすり替えられ
、自分に強要し、圧迫することになっている。
思いやりや気配りが喜びなら、心の負担にはなりませんよね^^
これによって動かされ続けることで、鬱状態になったり、ついには
犠牲になった感や被害者意識の元になっていくのかも?と考えたりもします。


その感じ方に不快感を覚えるならば、いよいよそのコントロールから
「精神的に自立しよう」とする反動の証なのだといえそうです。
感情や反応、行動を自分で選択できるのが成熟したということ。

互いに精神的な支配を受けないという意味で、他者と距離を置くこと
のできる時期にきたのかも知れませんね。

・自分を喜ばせることは悪いことではない。
・誰か()を喜ばせなくてもいい。
・誰か()の不満は本人にしか満たせない。
・私事の選択や決定に誰か()の許可や承諾は不必要
決定を実行するためには理解や了解は必要なことも^^)

人との交流に関しても、それが喜びや楽しみが本質にあるものかどうか?
とその都度自分に問いかけてみる。
また互いにとってそうあるように選び、決めていく

思いやりの本質は罪悪感や正しさ、義務感ではなく、自分が主体的に
(けっして自己満足ではなく)相手を想いやる喜びや楽しみ、つまりは
やさしさなのだと考えます。

人や家族とのつながりが「しがらみではなく信頼に」変わっていきますように^^

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

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# by dryangle | 2014-12-02 13:17 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
合鍵探しのコツ。あるかもよ^^②
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
●過去記事のタイトル別一覧●


前回(イケナイ圧力の心の扉を開ける鍵の話)の続きです。

ちなみに、コツ以前の話なのですが。
ロックされている(縛られている)ことを自覚する、気がつくだけで
その鍵が自分の手に握られていた
ことをいきなり知る場合があります。

開ける選択さえすれば、目から鱗で解放されてしまうことさえあるのです。

記憶を辿ったり埋もれた感情を掘り起こし、それらの現在への無用性を知る。
物事の受けとり方を修正したり、抵抗に向き合うためのメソッドやアクション。
物事を俯瞰し、距離をおくためのアファメーションやマジックワード、そして瞑想。
エンパワメントとしてのお呪い、お守りまで。それに気づかせ、活用させる
ものであれば効果的だといえるのかも知れません。


それら方法論としての鍵を選ぶコツなるものを、以下にあげてみますね。
②巷にある鍵はまず開けるため、解放されるために使う

当たり前のようですが、現実には別の新たなロックへの依存から得るつかの間の
安心や喜びを、癒しや解放とカン違いしている場合もあるのです。
ワタシはこれによって、さらなる多重ロックの虜となりました。

開け閉めの感覚を理解してから、鍵を用いる。

これは自転車に乗るようなモノ、言葉で説明しづらいのが難点です。
最初に迷いや抵抗を感じるけれど、ガチャッと開いたら「な~んだぁ!」
と気が楽にならなければその鍵を疑うか、別の鍵の併用が必要です。

鍵のカタチを意識して吟味すること。

現実にも鍵のカタチが皆同じわけじゃありませんよね^^;
似ているかもしれないけれど、それぞれに違って不思議はありません。

それは自分の心と向き合い、どんな鋳型や痛みの反応があるのか
しっかり見つめる作業になります。ですから、敢えて見つけようとすると
苦痛(怒り、恐れ、迷い、悲しみ、惨めさ、妬み、罪悪感など)が伴います。
↑ココを回避しようと汎用鍵にとびついた場合こそ要注意!
逆にいえば、苦痛のあるところにロックされている壁や扉があるといえます。

鍵を見つける前に、痛みでヘトヘト^^;になることも。そういう場合には
とりあえず「閉めっぱなしでもいいや」とも思えること。

 「どっちでもいい」も含め、鍵の開け閉めの主導権を自分が握ること。

この辺りは最重要で、鍵を用いるのも誰かに委ねず、強制されず、自分で開閉の
選択をする
ことに慣れていく
。それが主体としての自由です。

究極の汎用鍵は「愛」といえるのかも。ただそのカタチは見えない。

手さぐりだけれども、探しているうちに自分の心の奥が共鳴して
かすかに光が差し込み、風が渡ることがあります。
ワタシ個人はそこにロックによるものとはまったく別の喜びを感じます。
そのための鍵こそが、いわゆる愛と呼ばれるものだとしたら
それはたしかに存在すると思えるようになりました。
それはどちらか一方向ではなく、通電のように交流として成り立つモノです。

最後になりますが…念のために。

これらのコツも閉める(縛る)のではなく、開ける(解放)のための
鍵として使ってくださいね!^^

それによって、制約が増えて身動きがとりづらくなるものではなく
気が楽になり、イキイキと自由度が増すと直感的に思えるモノ。
間違えたら、何度でも違う鍵を探してみましょう。

合鍵探しのコツですら、自分の中に見つけるモノなのです。
この記事の内容も、自分の中でガチャガチャいいながら手繰り寄せました^^

心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!
対立ではなく共生の役に立ちますように^^

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# by dryangle | 2014-11-26 12:56 | ココロのカラクリ | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り