金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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強迫的願望~不安や不満がデフォルト~
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
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これまでもネガティブモチベーション(負の動機づけ)について
幾度もふれてきました。

おおまかにいえば、それをする(しない)と、困ったことになる
ヒドイ/痛い目に合う、悪いこと/不幸になること(具体的には
暴力、劣等感、恥、疎外感など‥)への恐れや不安が
発想や思考そして行動のベースとなっている
ということです。

物心つかない頃からの養育者や周囲の人の態度や反応によって
また、ありがちなことですがそれらが負の方向への一貫性を持つと
もはや無意識の習性強迫として訓練されていきます。

さらに許せなさや怒りを手段に訓練づけられると、状況に接して
習性の反応として自動的に不安や不快感がわいてくるだけではなく
それに背くことへの許せなさや怒りも習得することになります。
(この発作的な怒りの反応についての説明は前の記事をどうぞ^^)

この問題はその時々の出来事だけにとどまりません。
長いビジョンの展望や選択にも、もちろん大きな影響を及ぼします。
たとえば進学や就職先、恋愛、趣味やレジャー、家族との行事など
生活の全般についても。

客観的には似た生活環境やキャリアを持ちながらも、幸せそうな人と
そうでなさそうな人がいる。

その不思議をよくよく考えてみた時に、明らかに違ったのはその人の
それらを得るためのエネルギーの源になったモチベーションの違い
でした。
夢や創造性・興味や好奇心によって、つまり喜びや満足を得よう
(また他者に与えよう、共有しよう)とするポジティブモチベーション

(正の動機づけ)ベースの人が楽観的でイキイキしているのとは
対照的にそうでない人はいつもなにかに追われピリピリしているのです。

つまり、その人たちが願望と錯覚したものは、強迫的に誰か
(それを内面化した自分自身)に応えるため
のものだったといえます。

これらを区別することは意外にも、じつはとても簡単です。

①そのプロセスと成果の意味、目的と手段が逆転する。
強迫的な願望は成果のみが目的で、手段となるプロセスが我慢や苦行
優位になりがち。充足感を得ることもあるが、迷いが生じやすい。
純粋な願望はプロセス自体に意欲や情熱を感じる。
やることに夢中になり、成果はそれに伴う結果に過ぎない。
(良くも悪くも、双方が途中で逆転することがあります。)

②それが手に入らない、叶わない、失う、手放す、ことになった時
ひどく苦しいか苦しくないか
「ま、仕方ない」と、比較的容易に諦め、方向転換できないのならば
それはきっと強迫的願望とその成果です。

その習性を得る根元の理由が親の愛情や保護への欲求であるために
それが相手や世間の承認に差し替えられてなお、強く執着せざるを
得ません。

その個人なりの純粋な展望や願望を知ることなく、本来の意味での
自己実現への道を絶たれるという悲劇はここから起こるかと思います。
不安や不満を動機に、懸命に努力する人々の構築した社会。

それこそが、発展し成熟した社会が不安で満たされなさの退廃ムード
に陥っている原因なのではないかと感じられてなりません。

あなたの求めるそれはもしかして

純粋な自分の願望ではなく、代理戦争をするための自分を守る盾では
ありませんか?
かつてあきらめたり妥協した物事の中にこそ、本当のあなたを
活かし、表現するものがあるのかも知れません。

癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。
対立ではなく相互理解のために。

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# by dryangle | 2015-06-20 10:00 | ココロと社会 | Comments(0)
新・神経過敏は心のアレルギー反応
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わき起こる感情をコントロールすることはやはり難しいものですが
自分でも不合理だと思えるほどに、不安や怒りなどの負の感情が
衝動的かつ爆発的にわき上がるのは、本人ばかりか周囲にとっても
苦痛になります。

不安障害の一つの症状であるパニック発作が知られてきましたが
個人的には爆発的な怒りも発作的で強迫的なこの種の「パニック」的
な感情
として似ているのではないか?と考えています。

脳科学では、海馬と扁桃体が連携して機能することによって記憶
(エピソード)に条件づけられた情動が起こるといわれています。
問題はこの「条件づけ」だけではなく、様々な理由によって扁桃体が
過敏
になっているということにもあるそうです。

その理由としては

・養育期に不安や恐れ、怒りなどの負の感情を受け容れてもらえず
安心させられたり理解して納得するなどの負の感情への「対処」の
経験が圧倒的に不足し、際限なく負の感情に晒されている。
・同様のエピソードに対する養育者の反応を学習してしまった。
・事件や事故などによる深刻なPTSDがある。
・慢性的なストレス状態
・体調やホルモンバランスの変化
‥‥(厳密にはそれらを因とするストレスホルモンの影響)

扁桃体の興奮を抑えるためには、一般に前頭前野の働きがキー
になるとされています。
自己の分析はこの点において効果があるように思います。

個人的なこのような感情と向き合うコツですが、まずこの負の感情が
目の前の出来事のせいではなく、じつは条件反応的な発作なのだと
理解と認識をしてみること。
またどのようなことに対して発作的な感情がわくのか、その感情を抱く
大元のエピソードはなんだったのか?を考えてみること。

「この感情は、どこから来たのだろう?」

その時々自分に問いかけることも、クールダウンの効果があります。

オキシトシンという脳内ホルモンが扁桃体に取り込まれることにより
過緊張が低減され精神の安定につながるという研究報告があります。
オキシトシンの分泌を促すにはソーシャルグルーミングなど、平たく
言えばスキンシップや心のふれ合いといえる交流の機会を日常生活
の中に増やしていくことが重要かと思います。

またちょっとしたブームでもある瞑想の習慣にも、扁桃体の過剰な
興奮を抑える効果もあるのではないか?と感じています。

条件づけや感情に乗っ取られずに真の自分を生きたいものですよね。

以前の「神経過敏は心のアレルギー反応」の記事はこちら


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# by dryangle | 2015-05-25 16:31 | ココロの不調 | Comments(0)
強迫と依存~ややこしや~
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しょっちゅう悩むことなのですが、日本語で「依存する」という言葉。
心理的な概念として使う場合には、一般的に使われる意味とは異なり
似て非なるさまざまな意味合いが混在しています。

たとえば強迫(obsession)依存(addiction)

どちらも表面上には困った行為を衝動的に起こす(繰り返す)という
ことなのですが、強迫は恐怖感に突き動かされることによって
依存は(なにかの代償や逃避の)欲求を仮に満たすことにハマること
によって起こります。
また双方が複合して悪循環することもよくあります。

もちろん原因も癒しへのアプローチも異なるのですが、この区別が
つかずに核心を掴めずあまり効果が得られないケースも多いのでは
ないでしょうか?

また共依存(codependency)は、相手との関係性への依存を表す
言葉だといえますが、これについてもまた強迫的なもの、依存的なもの、
双方が絡まっているものとさまざまです。

愛情飢餓感による欲求を満たそうとしているのか?虐待や被害への
恐怖感、支配への怒りを自覚することから自分を遠ざけているのか?
そして大抵の場合、いくつもが複雑に絡み合っています。

これらを解くために、専門家によるテクニックやガイドも大切ですが
その実相や核心部分を確信できるのは、本人だけなのです
(シャレてみました^_^;)。

依存行為自体をやめ(させ)ることも大切ですが、コアな原因を自覚
することによって解放された実感を得ることが必要だと感じます。

余談ですが、科学的な根拠に乏しいという理由で共依存の概念を批判/否定する
ムーヴメントもあるようです。
個人的にはアイデンティティ(自己同一性)や他者とのバウンダリーの確立不全の
ある種の様相を言い表す概念として有用かと思います。


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# by dryangle | 2015-05-14 15:19 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「よい子」という誤解
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生きづらさや犯罪など、いわゆる『よい子』の問題が
折につけ取り沙汰されます。

この『よい子』という言葉、「親や大人の言うことをよく聞く」
以外に「勉強ができる」「自主的に行動する」などといった
優等生というステレオタイプのイメージを重ねてしまうことで
「自分は違う」と決めつけていないでしょうか?

心を病む『よい子』タイプというのは、他者の期待や要求に
従順に(強迫的なまでに)応える
という人。

それは親や組織の上位者などの特定他者であったり、世間や社会
という一般他者やその価値観・思想であることもしばしばです。

たとえ親や先生に反発して、家族や学校という集団の枠組みから
自由になったとイキがっても、別の(カルトや闇社会であっても)
関係性において、上位者の命令に無批判に忠実に従うというのは
『よい子』タイプの典型だ
といえるわけです。

(心理学的な概念ですが)それが「内なる他者」として自分の中に
取り込まれることによって、実際の相手がいるわけではなくても
頭の中で想像・想定した相手の期待や要求に従うように振舞う。
無視しようとすると恐れや不安といった負の感情に苛まれます
(実際には罪悪感や劣等感、従うための被害者意識ーしてやった、させられた感
さらにカバーのための誇りや優越感として感じられることも)


それは恐れや痛みという負の感情によって条件づけられた
いわば洗脳によるものという証です。

表面の行為では区別がつきませんが、本来気遣いや心配り
協力、支援は主体として行うもの
もちろん自己満足ではなく相手の意図を尊重して。
そこに喜びや温もり、清々しさが伴うのであれば
真意なのだといえるでしょう。
逆にいえば「そうすべき」「そうしなければ(ならない)」という
類の発想は『よい子』の象徴的な発想であるともいえます。

これに気づいた時に、親や社会に反抗する、拒絶する、悪い子
(毒子)になる、というアンチテーゼは洗脳者や同じ性格の関係
から離脱するという意味では役に立ちますが、それだけでは
自分という主体を確立したことにはなりません
むしろこだわり過ぎると、同じレベルの二元性に隷属させられた
まま、やはり破綻に向かってしまいます。

自分で価値観を選びとり、それによって行動すること。

親や社会のそれと共通することがあっても不思議ではありません。
間逆であるのは、それに従う時、従った時に、消耗するのではなく
チカラ、エネルギーが漲るという重要な一点なのです。

あなたはあなたの『よい子(が成長したよい人、よい親)』の
殻を破れていますか?

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# by dryangle | 2015-04-12 18:56 | ココロと社会 | Comments(0)
心のエネルギー 需要と供給
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人間関係に疲れることってありますよね^_^;

季節柄か、最近は近況報告の連絡をよくいただくのですが
正直たまに「面倒くさいな 〜ヽ(´o`;」と少々負担に感じる
ものがあります。

こちらの近況にまるで(もしくは偏った)関心しかないのは
良しとして、まるで確信犯的に自分の期待や意図した応答など
暗に気持ちを要求してくる。
期待する言葉としてはオメデトウ、ヨカッたね、スゴイね、
大変だったね、頑張ったね等…

自分の本心から自発的に出るときには、なんのひっかかりもないです。
それが操作的なアピールで、形式的な社交辞令など「言わされてる感」が
ある時にそんな気持ちになるのかも知れません。

気持ちは他人に支配されるとそのエネルギーを奪われる。

エナジーヴァンパイアやフレネミー、毒親という言葉もありますが
たまに異常なまで操作的に他者に気持ちを要求する人がいます。

嫌いな人ではないし、いつも言ってることはもっともなのだけれど
なぜだかどうしてか、こちらはどっと疲れる^_^;

それは一方的なエネルギー泥棒に遭っている可能性があるから。

その人は、相手(あなた)にはお構いなし、相手 (あなた)に
とって不必要な
、以下のようなことをアピールをしてきませんか?

富や聡明さ/博識、ラベル(優越)
多忙、充実、努力 (有能さ)
苦労や病気 、愚痴 、我慢(可哀相、大変)
他者批判(正当性)
恩着せ (有用性、効力性)
アドバイス、物やすべき事のおしつけ(有用性)
報告、質問(存在感)
威嚇、暴力、説得力(強さ)
相談、弁解、迷い (頼りなさ)
自己否定、卑下、謙遜、拒絶のふり(いじけ)

それによってあなたがついフィードバックしてしまう以下のような
反応が、その人があなたから引き出したいものなのです。

羨望、尊敬、上位に置く、無抵抗(敵対しない)
賞賛、
同情
味方になる
罪悪感、犠牲
感謝、頼りにする
関心、注目、影響される
服従
引き受ける、許可、決断、助力、安心させる、励まし
自己肯定(否定的肯定法)

そこには、その人が埋め合わせようとしている自己の強い存在不安
あるはずです。それは穴埋めのためのエネルギーに他なりません。

劣等感
無能、無価値感
被害者意識
孤立感
無力感
役立たず感
存在感のなさ
弱さ
背負えなさ、自己決定できなさ
自己否定

(愛情飢餓や自己愛の障害による)基本的不安、存在不安を穴埋め
して束の間の喜びに浸れる側とそうしていられるうちは良いのですが
そのためのエネルギーを他人に強要したり、さらには奪い合うという
構図が人と人の関係を表面的で殺伐としたものにしていきます。

なぜか過敏に反応してしまう、さらにこの構図に巻き込まれてしまい
人間関係に消耗
してしまいがちだという場合、特定の相手とは距離を
置くことがまずは大切ですが

自分の中にも同様に、不安や飢餓感による心のエネルギーの需要と
供給のシステムがある
という重大なカラクリに気づくことが肝心です。

気づき、そのようなやり方で他者からのエネルギーを必要としないことに
よってのみ
、自ら心の内にエネルギーを湧かせることができる
のですから。

また誰かの気持ちを要求するアピールには、心をざわつかせることなく
スルーできるようになると思います^_^

話題の「俺(私)通信」や「リア充/頑張ってる/忙しい アピール」に
マウンティング女子(笑)
その煩わしさも、このカラクリが関係しているのではないでしょうか?

土俵から降りる」、自分の中で静かに決断することで穏やかな
気持ちを取り戻しましょう^_^

自分をネガティヴにアピールすることで他者の「そんなことないよ」という
自分への肯定をひきだす方法


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# by dryangle | 2015-03-30 11:41 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
自分の気持ちがわからない!?
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偽(負)の意欲

かなり前ですが、誰かにしてもらうことに対して思わず口にする
「ありがとう(感謝)」と「すみません/ごめんなさい(謝罪)」の
メンタリティの違いについて書かせていただきました。
「すみません」と「ありがとう」

「~したい」と「~しなければ」についても、人によっては曖昧にかつ
偏って使われているように思います。
とくに自分のしたいことがわからないという人ほど、「~したい」と
「~しなければ」の区別がつきにくく、曖昧になっている場合が
多いように感じます。

これもまた、このところ綴ってきている真逆の表裏なのだと
気づくことができれば、理解しやすいかも知れません。

その人の目に見える反応、言葉や行動が同じものでも
どんな気持ちがわき起こり、反応(行動)しているのか?
によって心の世界の居心地は真逆のものになり得ます。

自己防御⇔自己実現(表現、決定)

カタイ言葉を使ってしまいましたが^^;、要するにその動機が
自分を守るための自動反応」としての負の感情によるものか
シンプルに「自分を(大切にし)率直に表現」したものであるのか。
わかりづらいので、その時の感覚を例として連ねてみますと…

動機が自己防御(心の有刺鎧)による場合
不安、焦り、怒り、やらされた(犠牲)感、しなければ(義務)感、抵抗感
面倒、正当化、コダワリ、強迫(負の意欲)、他が気になる(勝負)、モヤモヤ
達成した結果 達成感・安堵感が一時的 次にまたかと思う
燃え尽き 疲弊感 未来を憂う

動機が素直な自己実現の場合
意欲、やる気、他を気にしない、満足、コダワラナイ、したいから、気楽
達成した結果 喜び 先に進む 楽天的 失敗も経験


この違いは、これまでに体験から構築された条件反応のような
プログラム(ある意味これも人格といえますが^^;)
物事というより、それに対する反応の仕方の習性です。

価値観が、物事への考え方や評価という認識の部分だとすれば
感覚や感情といった反応の部分だといえます。

自分本来の「したい/したくないこと」が尊重され、許され続けなかった
場合、自分を守るために「しなければ/してはならなかった」ことを
(それはとりもなおさず、親や周囲、世間の「させたい/させたくない」ことを)
あたかも自分の「したい/したくないこと」なのだと、思い込んできて
しまったのが前者だといえます。
そのために「したいこと」と「しなければならない」ことを混同してしまって
区別がつきづらくなっているのです。
実際、双方の気持ちがある比率で混在するのは普通でややこしい限り

自分の気持ちがわからない・したいことがわからない
そりゃ、そうもなるわ~^^;

いったん脇に置いてみる。

そのチャレンジ、その選択。
日常の衣食住から、学ぶこと、働くこと、遊ぶこと、競うこと
受けとること、与えること。

「したいことが本当はしたくない」ことだったり
「したくないことが本当はしたい」ことだったり…

そうすることに、もし気持ちの負荷が否めないとしたら。

そんな時には、もしこのネガティヴな感情が(起こら)なかったら?
自分に問いかけてみてください。…繰り返し、何度も。

そうであっても、その上で、やっぱり「したい/したくない」と出てきた
気持ちを自分が大切にできる習慣を構築していきたいものです。
あくまで個人的な経験ですが、過剰な防御反応を知り、それが不必要だと認識する
ものすごく気が楽になりますよ~!!


「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ。」 
By スナフキン

(笑)
過去記事のこちらもぜひ^^→私、本当はどうしたい?

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# by dryangle | 2015-03-20 17:05 | ココロのカラクリ | Comments(0)
自己決定⇔自分勝手・ワガママ
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ワタシの育った家では、食べ物、持ち物、着る物、すること
すべて親が与えた、許可した通り。
子ども側は「自分の好きに」選ぶことが許されないばかりか
それを求めることすら自分勝手・ワガママでした。

今でもこれを子どもの身分では当たり前と考える人もいれば
成長度合いによっては自己決定能力を養う機会を与えていない
考える人もいます。

挙句、自己決定能力の身についていない人が「自分のない人」と
批判されることもあるのですから勝手なものですよね(爆)

自分を優先(大切に)することと自分勝手の違いは何か?
と悩む人は多いようです。

きっとそれは同じことの裏表

錯視の効果によって、一つのボーダー柄のドレスの色が
青黒に見える人もいれば白金に見える人もいます。(時事ネタ

その人が条件づけられた反応、この場合は価値観や観念によって
感じ方や正しさ、許せなさの基準が異なる
ということです。

とくに個よりも集団のアイデンティティーが重要で、同調圧力の
強い日本の社会では、自分の好みや都合を優先させること自体が
自分勝手・ワガママだとされ、それに反すると非常識・迷惑・KY
という烙印
を押されます。

皆がそれを敵視することで、他者を優先しない(自分を優先する)
ことに後ろめたさや気づかい・遠慮の必要性など、無実の罪悪感
を覚えるように刷り込まれていくのです。

他者を自分の都合のいい(自分の価値観や観念に沿う)ように
操作するために、これに漬け込む人もいます。

自分の都合や、好き/嫌い、したい/したくないを優先することに
後ろめたさを感じるとしたら。
また他者の都合や言い分を優先することに素直な納得や喜びを
感じられないとしたら。
それは相手を思いやっているのではなく、従わせられているから

自分の軸、つまり主体性を生きていない
それがまさしく自分を大切にしていないということ。

自分の都合や、好き/嫌い、したい/したくないを優先して
自己決定することは、けっして自分勝手ではありません

自分を大切にできてこそ、他者を真に思いやり大切にできるのです。
相手の主体性とその自己決定を尊重し、またあくまで自分自身の
自己決定によって
それに助力するということです。

気づかいや遠慮は、主体として能動的に行なうからこその美徳

むしろ他者の主体性や自己決定を尊重しないことが、まさに自分勝手
だといえるのではないでしょうか?

自己決定=自分の生き方や生活についてを自由に決めること。

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# by dryangle | 2015-03-05 10:21 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
真逆の世界
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自分らしくあることと
自分を守ろうとすることは
同じ働きの別の側面です。

一方はその存在を肯定する働きであり
もう一方は否定し押さえつけながらも
存在し続けようとする働きです。

一方は積極性、受容性
もう一方は消極性、抵抗性

一方は喜びや満足感が伴い
もう一方は痛みや苦しみが伴います。

一方は他者の異なるそれを尊重しようとし
もう一方は他者の異なるそれに脅かされ
拒絶したり、奪ったり、攻撃しようとします。

一方は愛に裏づけられた眼差しであり
もう一方は恐れに裏づけられた眼差しです。

あなたがどのような眼差しを向けられて育って
きたかによって、見方や感じ方が逆転します。

大抵の人はこの世界を教えてくれた
その人と同じ側にいることでしょう。

あなたをとりまく世界は、きっと
あなたが影響を受けた親や大人と
同じ顔、同じ性質
をしています。

現実の世界が異なるのではなく
それを見る眼差しの違いによります。

どちらの自分でも、どちらの世界でも
本来なら選択することができます。

それが自分という存在の力。

オマケ話ですが、話題のドレスの色の見え方も興味深いですね。
色の恒常性という背景の光の色に合わせ経験や記憶を元に色を判断する
脳内の補正による錯視がカラクリだそうです。
ちなみに、どうしても白と金色にしか見えません^_^;


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# by dryangle | 2015-02-28 16:30 | ココロのカラクリ | Comments(0)
真逆の真実
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。
悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ
問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ること
が基本のスタンスです。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について
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「してもらったことに感謝している」

その昔、親を思いやるつもりでそう口に出してみた時に
自分を裏切ったような激しい嘘臭さと違和感を感じました。

「してもらうこと」が、申し訳なさや罪悪感といった重荷
でしかない
のであれば、感謝という言葉が嬉しさや喜びを
伴わない空々しいものであるのは、今思えば無理もありません。

そんな自分に悩み、苦しみ、考え、自らが親となって、さらに
また自分の反応に苦しみ、ようやく理解したことがあります。

大元は、親の側が「与える(してあげる)ことの喜び」を知らず
そうすることが、真逆である義務感や不安、など怒りや恐れを
触発する苦痛に感じられてしまうことが原因だったのです。

与える(してあげる)行為自体に喜びを感じられないがために
相手に「感謝されること」や成果を求め、自分を満たそうとする。

それが「してやった」という気持ちや、自己満足の押しつけ
恩着せがましさ、見返りや責任の要求として行われることによって
子どもに得る(してもらう)喜びを禁じてしまうのです。

親を喜ばせない罪悪感や、得るに値しない無価値な存在という
自己像を持ったまま、その子どもが成長して、いずれまた
与える(してあげる)喜びを知らない、それをすることに
負担や不安、苦痛を感じてしまう親となっていきます。

なにをしてもらった (してあげた)のか?よりも
どんな気持ちでしてもらった(してあげた)のか?


得ること(してもらう)ことと与える(してあげる)ことは
感謝という同じ喜びの別の側面

またそれが一体の喜びであればこそ
与える∝得る(比例)

そうでなければ
与える∝1/得る(反比例)

求め合うばかりか、奪い合うことへとエスカレートしていく
世相を感じずにはいられません。

エーリッヒ・フロムを読まれた方なら、生産的/非生産的性格
という言葉を思い起こすのではないでしょうか。

愛する、感謝する、喜ぶ、幸せを感じる、満足する、安心する
といったものは、同じ質感を持っているのだとつくづく思います。

そのなさ愛の不在の実情なのかもしれません。

もしもあなたが慢性的な不安や不満を抱えているとしたら…

それはとりもなおさず、本当の意味での「感謝する」喜びを、
得る(してもらう)ことの喜びを、知らないままにいるのかも
知れません。
得た(今ある)物事に対して感謝や喜びも感じられないのでは
ないでしょうか?
そしてきっと与える(してあげる)ことの喜びも知らないまま
なのかも知れません。

残念ながら、それは親や周囲の人が知らなかったから
知れなかっただけ。気づけなかっただけ。

いつからでも、自分で知ること、気づくこと
伝えることができるのです。

勇気を持って、義務感や不安、負担や苦痛とは別の場所にある
得ることの真の喜び、そして与える喜びを探り当ててみませんか?

すべてお得としか感じられない世界 へ(爆)

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# by dryangle | 2015-02-24 18:26 | ココロの不調 | Comments(0)
『闇(病み?)教育』はあったのか?②
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
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人は、それが罪やいけないことだと教えられないから
自分や他人を傷つけ、命を脅かすわけではありません。

子どもとしての調和と人格の統一を傷つけられず
両親に保護され、尊重され、欺かれることなく育った
子どもは、青年期もその後も…(中略)…人生を楽しみ
他人や自分を傷つけたり、殺したりしようなどという
気持ちになることはありません。

『魂の殺人』の著者、アリス・ミラーの言葉です。

青少年期の挫折をキッカケに、意欲を失うばかりか
人間性までを損ね、ついには猟奇的といえるような
犯罪に至ってしまったといえる事件が、繰り返され
気がかりでなりません。

共通して「教育熱心」とされる親によって、いったい
どのような教育を受けてきたのでしょうか?

ふと教育虐待という言葉が頭をかすめます。
あきらかに利己的な暴力という様相でないがために
実際には蔓延している危惧感を覚えます。

「子どものために」のその接し方が、独善的であったり
本人の主体性の芽を摘む結果となっていないでしょうか?

理想的な鍛錬ではあっても、それが己の動機や意志でなく
他者の意図により行うものであれば究極の逆効果。

愛情飢餓と言ってしまうと、大袈裟に聞こえますが
現実には、養育者(後には他者)と自分の素直な想いや気持ち
(単純に喜怒哀楽)を共有することで心を通わせ合うという
(とくに幼少期の)経験に加え、成果ではなく存在自体を
望まれていると実感する
ことにより、情緒と自己肯定感が
育まれます。

ところが、大人の側の理由によって知育や技能習得が優先され
心の交流がなおざりになってはいないでしょうか?

ましてや、そこに感情的な圧力や支配、否定、無視、皮肉
威嚇、体罰、暴力といったネガティヴな力を用いることが
常態になってはいないでしょうか?

ひどい目に合わされた子どもが犯罪者にも精神病者にも
ならないで済むためには、少なくとも誰か一人
子どもではなくその子の周りの人間の方がおかしいのだと
はっきりわかってくれる人に出会う必要があります。

アリス・ミラー

自分を苦しめるこの世界や他者のあり方がけっして普遍では
ないこと、自分が存在すること自体の喜びを知るチャンスを
誰もが探し当てられることを願ってやみません。

以下は「闇(病み?)教育」と青少年の猟奇的な犯罪
教育虐待に関連したこれまでの記事です。
ヒトラーの親子関係と「魂の殺人」
『闇(病み?)教育』はあったのか?
教育虐待


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# by dryangle | 2015-02-11 11:00 | 親子の関係 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り