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自分を生きることに
疲れてしまったら… 心のプログラムのバグを ともに探してみましょう。 ●こちらのブログでは… 特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど、多分野から心のメンテナンスに役立つ情報を私的な想いとともに発信しています。 ↓さらにくわしく dryangleとblog金魚迷惑について ↓アメブロ姉妹ブログ やわらかこころ塾 作業用ページ(非公開) イラスト by ふわふわ。り ブログパーツ
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心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど 多分野から心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。 初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について ●過去記事のタイトル別一覧● 困難な出来事に遭遇した時、人によって まったく対照的な反応をすることがあります。 家族の存在が張り合いになる人と その存在が重荷になる人がいます。 それは受け入れようとはりきる人と 反射的に逃げよう・拒もうとする人。 課題ととらえようとするか、問題だと苦しもうとするか 出来事についてではなく、気持ちの方向性です。 どちらが正しいということではけっしてありません。 ただ後者は、他人の期待や必要性のみに反応するばかりで 自分の期待や必要性を満たしてもらった経験(実感)が ましてや、自分で自分自身を満たすことができたという 経験が乏しいという傾向性があるように思います。 不幸なことに、その人の周囲の他人はどれだけ応えても 満たされ、喜んでくれるようなことはなかったのです。 それがいつのまにか、慣れ性になってしまうことで 自分の方から他人の期待や必要性を敏感に感じ取り 時にはでっちあげてまで、背負おうとします。 けれど、苦しいばかりでいつまでも光明が見えない。 なぜなら自分の存在価値をそこに置いてしまったから。 そこ←「他人の期待や要求、必要性に応えること」を代入 満たされ、安心や喜びを受けとった経験の多い人は 相手の安心や喜びのために取り組もうとするため それが張り合い・ヤリガイとなることも多いようです。 評価が目的ではなく、すること自体が喜びなのですから。 もし生活に張り合いがなく、重荷にばかり感じているならば 他人の期待や必要性に縛られ過ぎていないか? 自分の自分自身への期待や必要性は一体なんなのか? 一度チェックしてみてください^^ 他人の期待や必要性を、あくまで他人事として 俯瞰してみる勇気を持ってみてはどうでしょうか? 本来、他人の期待や必要性を満たすということは 愛という能動的な選択なのです。 逆に受動的で強迫的なのが、奴隷根性ということなのでしょうね^^; ~心理学は癒しのツールであり、非難のための根拠ではありません!~ 対立ではなく共生の役に立ちますように^^ コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です! 非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので ご希望の方は別にご連絡先を^^
by dryangle
| 2014-11-08 10:00
| ココロのカラクリ
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