ごあいさつ
自分を生きることに
疲れてしまったら… 心のプログラムのバグを ともに探してみましょう。 ●こちらのブログでは… 特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど、多分野から心のメンテナンスに役立つ情報を私的な想いとともに発信しています。 ↓さらにくわしく dryangleとblog金魚迷惑について ↓アメブロ姉妹ブログ やわらかこころ塾 作業用ページ(非公開) イラスト by ふわふわ。り ブログパーツ
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こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から心の癒しとメンテナンスに役立ちそうな話題を集めています。 悩みや苦しみの対象を操作しようとするのではなく、自分の感じ方・考え方・反応の仕方を見つめ 問題(とすること)から解放されることで、心の安定を得ることが基本のスタンスです。 初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について ●過去記事のタイトル別一覧● 自分にしか関心のない人。 言い換えれば、意識の焦点が自分にしか向いていない人。 あらゆることを自分と関連づけてでしか考えられない人。 外界をそのまま「自分の世界観」と同一視している人。 それは傷ついた人であり、苦しみの人です。 最近は「自己愛」という言葉が一般にも使われ、その問題だと されていますが、この愛という言葉を「執着」と替えてみる方が 的確でより理解しやすいように思います (実際に仏教で説かれる愛は執着のことであり煩悩です)。 それは心の発達段階において、不幸にもありのままの自分を その存在価値を、認めてくれる人に出会えなかった人です。 条件や成果なしには自分は承認されないという自己の存在基盤の 弱さへの不安につねに怯え、自分を意識し続け、弱さを補償する 物事(認められる、感謝される、褒められる、注目される、特別になる、など)による 自己満足や優越感など偽の安心感を得ることに固執してしまう。 そのために、自分の価値をアピールし、受け容れられることこそ 生存戦略であり、至上命題となっているのです。 自分の価値がディスカウントされる他人の言動に過敏に反応し 自責指向の人は自らを責め苛み、他責指向の人は(逆)恨みや 攻撃の心情を抱きます。 もちろん愛情飢餓の一つの弊害であるともいえますが それよりも以前に、存在の承認を受けられないことによって
健全な自(我)意識を成長させ、しっかり獲得することができず 人間関係の基礎となる「自分があって他者のそれもある」という 自他の関係の土台が未熟であるのだといえるように思います。 さらにもう一つ。 その脆弱な自分が恐怖や屈辱に晒された経験による、自己の 過剰防御もまた、自分への執着といえます。 再びそのような目に遭わないように、自他の言動やあり様を 抜け目なく検閲し、外界や他者を妄想することで恐怖します。 どちらも経験と感性の程度問題であり、人によってその程度も さまざまです。誰もが「人間だもの」と共感できるレベルから 「ちょっと困った人」 ついには破綻して「他者を脅かす人」*まで。 心の基本構造としては共通するものがあるように思います。 (また最近は、自分の妄想世界やそれの通じ合う人間関係のみに 閉じこもりがちな人も増えているような印象があります。 苦しみがあるのかないのか、単純に良し悪しは決められませんが そのようなコミュニケーション生活が成り立つ社会になっていると いえるように感じます。) 負の習性のカラクリを見破り、内面化した反応のパターンから 主導権を取り戻すために、自らを条件や根拠なしに自己承認 していくことによって その苦しみから抜け出す扉を開くことは充分に可能です。 …自分が、気づくことさえできれば。 *自分の内なる世界での自己が限界を超えたり破綻すると 現実の自分や他者、外界を破滅させようとする。 困った人以上の方は、昨今では「自己愛性パーソナリティ障害」 (もしくは「境界性」)と定義や診断をされることも。 '19 8.12 一部加筆修正しました。 ~癒しのツールになりますように^^批判の根拠にしないでくださいね。~ 対立ではなく相互理解のために。 コメント(下の Commentsをクリック)を承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。 よろしくご理解ください。 非公開コメントも大歓迎です! 非公開の左欄にチェックをお忘れなく!その場合は返信をつけられませんので ご希望の方は別にご連絡先を^^
by dryangle
| 2016-05-24 12:40
| ココロのカラクリ
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Comments(5)
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at 2016-07-25 10:35
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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カメ
at 2017-03-07 05:10
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自己の世界観を超越して世界を見ることなどあなたは可能ですか?仏教を本当に理解してますか??執着は悪いもの、欲望は煩悩で悪いもの、これらは仏教が大衆的に歪曲されて理解されていったもので本物のお釈迦様やインド哲学の教えとは違うものですよ?多くの間違った情報が蔓延して実際は人を助けるどころか多くの人を否定しているのが今のネットの現状です。こちらのサイトも残念ながら全てとは言いませんが大分あなたの個人的な主観、世界観が反映されているようです。あなたの欲求の核にあるものはなんですか?本当に人を助けることですか?今一度自問してるみることをオススメします。
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dryangle at 2017-03-07 09:31
カメさん 初めまして^^
「私」が自己の世界観を超越して世界を見るのは不可能かと思います^^; またけっして執着や欲望を悪いものとは思っていません。 しかしながら、それらが壮絶な苦を生むものだと「私」は実感しています。 インド哲学や初期仏教だけではなく、その後の変遷を含めて「仏教」として 知識を得てしまったために誤解や混同もあるかと思いますが、いずれにしろ 一つの視点を定めない限り、真の客観は難しいのではないでしょうか? こちらでは「様々な視点から」と私個人の主観の入ることを予め前置きして いますので、その点はご了承いただきたいと思います。 ただ中立であることをつねに意識しているつもりではいます。 ちなみに私はかつてある仏教系の信仰を持っていましたが、偶然巡り合った 「人に他人は救えない」という言葉に衝撃を受け、特定の思想や信仰に偏らず 自分の「私」を見つめる作業を始めました。 そこに「私」の欲求があるとすれば、堂々巡りの迷宮になることも覚悟して。 この機会にあらためて自問したいと思います。 カメさんもぜひ、こちらを読まれる方々がそれぞれに探す光の糸口となる 思想のエッセンスを書き置いていっていただけると嬉しいです^^ ご指摘をありがとうございました。どうぞまた、ご意見を寄せてください。 dryangle
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dryangle at 2017-03-07 10:19
補足です。
>外界をそのまま「自分の世界観」と同一視している人。 この部分についていえば、焦点は「同一視」です。 「他人のそれ(世界観)は自分とは違うだろう」という感覚が身についた人は 自他の関係性において発想や感覚に多様性があり、意識によって自分の行為の 選択肢が得やすいです。 「認知の偏向、修正」と呼ばれるカテゴリーの話題です。 dryangle
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at 2018-08-19 10:01
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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