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自分を生きることに
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ヒトは意識的・無意識的に自分の役割を選び演じている
という話を耳にしたことはありませんか? 良い人・役にたつ人・学歴や社会的地位の高い人・ハンサムな人・稼ぐ人 優等生・勤勉な人・やさしい人・頼りがいのある人・良妻賢母・愛嬌のある人 頼りない(守ってあげたくなるような)人・尽くす人・他人をたてる人 言いなりの人… 誰もが自分の価値を認められるために これまでの経験によって得た、さまざまな役割を演じる努力をしています。 とはいえ、役割によって自分の価値を認められようと (または誰かの価値を認めようと)し始めると しだいに"こうあるべきだ"という観念が強くなっていきます。 そのために愛する・愛されるということまでが ≒役割を評価する(される)こと へとすり替わってしまっている人も多いのではないでしょうか? 皮肉なことに、ヒトの心はその役割が評価されることで、ある種の満足や 安心感を得ることはあっても、自分自身が愛されているという実感や喜び を得ることは難しいようです。 なぜなら役割は自他の期待値であって、ありのままの自己自身ではない ことを本人が一番よく知っているから。 役割が当人にとって仮面(表面)である人ほど、その仮面(表面)の方が 愛されることへの疑問や不満に耐えられなくなるように思います。 その役割を満たさない自分をも肯定され・尊重され・受け入れられる時 ヒトは愛されていると感じることができるのではないでしょうか? 愛を定義することは不可能なのかも知れませんが 相手の役割ではなく、その人そのものを肯定し・尊重し・受け入れたいと 心から願った時に、愛することの真実を知るように思います。 そのためには、相手の演じている役割のその奥を見つめる視点を得る ことが必要だと感じます。
by dryangle
| 2007-07-28 21:14
| ココロのカラクリ
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