ごあいさつ
自分を生きることに
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米国の絵本作家シェル・シルヴァスタイン(Shel Silverstein)の
おおきな木(The Giving Tree)という話をご存知ですか? 一本のりんごの木は、かわいいちびっこと仲良しでした。 ちびっこは木と遊び、木が大好きで、だから木もとてもうれしかったのです。 時は流れ、ちびっこは大きくなり、いつしか木に会いに来なくなりました。 ある日、成長した彼が木のところへやってきます。 木は昔のように遊んでおいきと言いますが、彼は言います。 かいものが してみたい。だから おかねが ほしいんだ。 おこづかいを くれるかい? 木は困りましたが、りんごの実をすべて与えます。 大人になった彼は家を欲しがり、木はその枝を与えます。 やがて年老いた彼は船を欲しがり、木はついにその幹を与え 切り株になってしまうのです。 木は、心から喜んですべてを彼に与えたのでしょうか? このような問いかけに、日米の子供の感想に差異があった という記事をどこかで読んだ記憶があります。 アメリカの子供達の多くが、その行為を 木の本望だった と答えたのに対して、日本の子供達には 不本意ながら、彼のために仕方なく応じた という感想が多かったらしいのです。 (出典を思い出せません。すみません^^;) もちろん、どちらかの解釈が正答というものではありません。 そう感じた当人にとって、感じるそのままが真実なのではないでしょうか。 木は本当に幸せだったのでしょうか? 木が彼にしてあげたことは、彼のためになったのでしょうか? ところが、この問いかけには それが木の本望であったか、不本意な行為であったかによって 結果が反転する とワタシは考えるのです… (続きは次回に)
by dryangle
| 2007-08-10 03:15
| 周囲の人との関係
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Comments(7)
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ハル@jp
at 2007-08-16 09:05
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お久しぶりです。帰国したハルです。これからは、HNをハル@jpとさせて下さい。さて、"おおきな木"は、英語版を買いました。私も読むたびに涙する一人です。私は、与える事は木の本望ではあったと考えますが、彼が最後まで、「感じない、気付かない」ところが、やけに哀しくて、泣けてしまうのだと思います。親子に例えるなら、子供に自分(木)が持っている深い愛を伝承できなかった哀しみの様なものに泣けてしまうのです。自分の持っているものを、与えるだけ与えて、それで自分は本望なのだけれど、「幸せを喜ぶ力」を育ててあげられなかった、そういう事もあるんだな、というような、ちょっと辛い哀しみを私は感じます。
いろいろな読み方ができる本なのでしょうね。
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ハルさん、お久しぶりです。またお立ち寄りくださってありがとう^^
ご帰国されたのですね。日本での生活の勘が戻るまでに、しばらく時間がかかるかと思いますが、早く慣れることができますように。 お子さんも、新しい環境にスムーズに馴染めるといいですね。 "おおきな木"については、ワタシもつい教訓みたいなものを読み取ろうとしてしまうのですが、おっしゃるように「いろいろな読み方ができる本」なのだろうと思います。 それでも老人になって木の元に戻る彼の心の中に、記されてはいない"木への想い"がきっとあるはずだ、と思いたいのはワタシだけでしょうか? もしくは彼はその人生の中で、家族や周囲の人々には惜しみなく"与えることのできる"人であったがゆえに、"遠慮なく受けとること"もできたのかも知れない?…などと、深読みしてしまったり。 実際には「与えること」だけではなく、「受け取ること」のムズカシサも存在するように思います。
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しぼんだま
at 2007-08-18 15:25
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Dryangleさん、初めまして。某主婦向けサイトではよく投稿をお見かけしますし、ためになる心の整理の仕方のヒントを沢山書かれていまして、とても参考にさせられています。
私が夫婦関係に悩んでいた投稿にもコメント頂いた経緯がありまして、当時(といってもごく最近ですね^^)はお世話になりました。 日本人的思考が海外暮らしで消えつつあるように思えるこの頃だったんですが、私の最近の夫との関係から「犠牲を払って、辛いけど我慢して、それが家族のため」と思う癖があったことに気付きました。まず私がハッピーであろうと思います。
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しぼんだま
at 2007-08-18 15:30
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1回の文字数が限られているので続きを書きます。私が責めるのを辞めた途端に夫の態度も変わりました。北風と太陽の話ではありませんが、私自身が「私は不幸。こんな犠牲を払って」と責め続けていたので、夫どころか子供も不機嫌でした。もちろん夫、私どちらにも非はありますが、私が夫の前進を阻んでいたのも事実です。日本ならではの良い発想、思考は沢山ありますが、減点法的な見方は負の部分ですね。拙い文章での投稿、お許しください。(なんかこんな表現も日本的ですかね?^^)
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dryangle at 2007-08-18 19:17
しぼんだまさん、ようこそおいでくださいました!
かの掲示板では、しぼんだまさんの聡明さが表れるレスや前向きなチャレンジに心を打たれました。しぼんだまさんの心の変化がご家族に映し出されてきたのですね。次にはご主人やお子さんの変化が、しぼんだまさんの心を元気づけ、またしぼんだまさんがさらに穏やかに接することができる…といった良い循環を得ることができますように^^。好ましい展開を応援しています。 そうそう、しぼんだまさんが書き込んでくださった、ある女性からのアドヴァイスのお話にもとても感動しましたっけ。 ぜひ思い出せるようにストックしておきたいのですが、さしつかえなければ、こちらに記載してもよろしいでしょうか? たしかに日本語で発想すると、ネガティブな慣用句がアタマに浮かぶようになっているような気がします。お互いココロに元気がわく言葉をかけ合いたいものですね。
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しぼんだま
at 2007-08-19 00:02
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そのある女性の言葉、引用、参照されて結構ですよ^^。実はその日にいつものカウンセラーに会っていたのですが、カウンセラーよりもその女性の言葉の方が私の心に響きました。あんなにストレートに幸せが何処から始まるか教えてくださった人はいません。本人の「犠牲を払っている」とか「なんか不満で仕方ない」という気持ちの上に幸福は成り立たないという発見をしました。・・・・・どれもこれも、夫が気付いて歩み寄って来なくてはこのような発見も起きなかったのですから私もいつまでも自分を哀れんでいないで歩み寄りたいと思います。
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dryangle at 2007-08-19 10:48
しぼんだまさん、アリガトウ。
ご主人(この慣用語も抵抗があったらゴメンナサイ)も、しぼんだまさんから"気づき"を得られたのかも知れませんね。寄せては返す波のように今後も目の前に壁が立ちはだかることもあるでしょうが、こういった原点に立ち返ることができるのは強みに違いありません。 周囲に良い影響・波動を起こしていくそんな方々を心から尊敬します^^
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