金魚迷惑

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~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
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自分の「エゴ」に気づいていますか?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
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一般的にエゴ利己主義(エゴイズム)の意味に直結しがちですが
哲学や精神分析学では、意識の中心である自我を指す言葉です。

今この瞬間、考えや想いをめぐらしている意識自体が自我なのですから
もちろん熟知しているように思いがちですが、実際のところこれまでの経験で
培った観念や感覚によって自動制御されているのではないでしょうか?

またその自動制御を外してコントロールすることの難しさを認識して
いる人は案外少ないのかも知れません。

この自我は、その人の人格そのものともいえそうですが
他の人のそれと接する時に、さまざまなパターンを生み出します。

この自我は、その人自身であるための存在テリトリーです。
まず、生まれたばかりの赤ちゃんは(母)親と人格(存在テリトリー)を
共有していると考えられています。
自己の人格を築く発達の段階で、さまざまな葛藤(反抗期など)を経ながら
親の人格との分離をはかって独立していくものなのでしょうね。

この親(周囲の大人)の影響力が強すぎると、その後の子供の
人格の独立運動が挫折してしまうこともあります。
これによって自己の存在テリトリー(自己存在の意義やその感覚)を
得られない、もしくは失うことが、生きることへの無気力を生み出す
最大の原因のように感じます。

一方で、エゴは言葉を換えれば、自分の心というとらわれ
ということもできそうです。

自分の強い想いが、相手の存在テリトリーを脅かしてしまう。
愛情と信じて(その美名のもとに)、そのような過ちを犯してしまう
ことがままあるのではないでしょうか?

私なりの、このエゴと愛情との違いに気づくシンプルな方法があります。

その方法はそれは誰の気持ちを満足させるためのものなのか?
つねに自問することです。

その度に、多くが自分の側のエゴを…つまり不安や不満・期待を
満足させようとしていることなのだと気づかされています。

自分のエゴではなく、純粋に相手の気持ちを満たそうと考えると
気持ちの負担喜びへと変わります。

表面は同じに見えても与えること・受けとること
押しつけること・奪うこと違いは結果にでるのです。
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# by dryangle | 2007-12-10 13:56 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
愛情表現?それとも受動攻撃?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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相手のして欲しいことではなく、自分のしたいことをしてあげる人。
それにたいして感謝の気持ちを要求する人。

恩着せがましさというのも、その内の一つかといえますが
これによって罪悪感自分への注目といった
ある一定の感情を相手に要求している人は、自分の内に
不安な心を抱えているといわれています。

相手が自分に感謝をしてくれたり、申し訳ない、そんなにしてくれて
悪いなどといった気持ちが返ってこないと充実感が得られず、不満、
そして不安な気持ちになるのだそうです。

つまり自分の満たされなさを埋めるために、相手になにかを
してあげているのだといえます。

それは自分が注目されたい、つまり自分の価値を認めて欲しい
ということへの渇望とその欲求不満の表れなのではないかと思います。
それによって自分の価値のなさ、もしくは相手から見捨てられてしまう
こと
からの不安をやわらげようとしているのではないでしょうか?

そして…
それを愛情と呼ぶ(信じる)人が世間にはたくさんいるように思います。

心の世界では、これを依存や心理的しがみつき、境界線の侵害などなど
さまざまな概念で説明されていますが、親離れ・子離れには必ず
この種の問題がついて回るように感じています。

親の側の、大人となった子供に対していつまでも権威を保ちたいという
気持ちは子供と対等になることへの怖れでもあるのかも知れません。
ついには、感情的になって脅迫するというような駄々コネレベル
子供の気持ちを要求してくる人もいます。

ワタシ自身も経験したことですが、子供の側にとっての親離れ・自立
このような親の感情にふり回されないようになることだと思います。

親(相手)の行為や発言に、憤慨したり、罪悪感を覚えたり、
不愉快になったり、悲しくなったり、淋しくなったり、落ち込んだり。

それこそが相手の思惑にはまってしまっているということ
なのではないでしょうか?

その都度、親(相手)も不安なんだ・認めてもらいたいんだな~
共感するように心がけてみるといいかも知れません。

DSM(アメリカ精神医学会による分類)にはないものですが、
ICD(WHOによる疾病分類)の中に受動-攻撃性(否定的)
Passive-Aggressive (negativistic)と呼ばれる
※人格障害 (personality disorder) の項目があります。

この受動-攻撃性という言葉の意味について、日本語では
被害者のふりをして他人を非難するというように説明されたり
していますが、実感をなかなかつかみ損ねていました。
今回書かせていただいた(恩をきせて)相手に気持ちを強要する
というあたりは、まさにこのことではないかと感じ始めています。

心を要求される重たさに苦しくなっていませんか?

愛情とは、相手の安心や自信、そして幸福感を願うものなのです。

人格障害とは、人格が著しく偏ることによって社会生活に何らかの
 破綻をきたす障害のこと。
 これを精神疾患とするかどうかにはいまだ議論があり、 また本人は
 自分のパーソナリティが障害だとは感じていない場合が多い。

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# by dryangle | 2007-11-28 14:53 | 親子の関係 | Comments(6)
ヤマアラシになっていませんか?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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ヤマアラシのジレンマという言葉をご存知ですか?

寒空にいる2匹のヤマアラシがお互いに身を寄せ合って
暖め合いたいけれど、互いの針が刺さるので近づけないという
ドイツの哲学者ショーペンハウアーの寓話から生まれた

自己の自立相手との一体感という
2つの欲求によるジレンマを比喩した言葉です。

心を突き刺すような攻撃の言葉を投げつけてしまう。
自分の不満な点を執拗に責めてしまう。
相手のあり方が気が障り、挑戦的に対抗してしまう。

またはそうされてしまう。そんな経験はありませんか?

攻撃には、その人なりに追い詰められてしまった
理由が存在するように思います。
これまでの人間関係や経験から学んだ対応のパターンだと
考えてみてくださいね。

心理学の分野に対抗依存という概念があるのですが
これは相手から孤立することで自分の心を守ろうとする
心の働きです。

自分の心を守るために、相手と感情的な交流をすることへの
欲求を絶ち、親密な関係からひきこもり、時に相手を責めたり、怒ったり
傷つけるという挑発的な言動へと傾いてしまうことだと説明されています。

まったく個人的ですが、ひきこもり状態の人をアルマジロ症候群、
攻撃状態の人をヤマアラシ症候群と名づけて呼んでいます。

相手の攻撃によってこれ以上自分の心が傷つかないための
対抗手段のような気がしてなりません。

うっかりすると、周囲の人間関係で、さらには家庭の中で、この相互攻撃
繰り返したり、互いに心の交流を絶つという悲劇が起こります。
相手もまた自分と同じく怖れを抱え、弱い自分を隠し、守るために攻撃
(または心を閉ざして)しているのだという構造に気づき、自分の側から変える
という転換点を選ばない限り、たいていの関係は悪い状態で停滞し
いつかは破綻へと向かいます。

そんな構造に気がついたら、自分が相手に求めるもの、期待する姿を
(やさしくして欲しい、受けとめて欲しい、理解して欲しいなどでしょうか)
ぜひ自分から差し出すようにしてみてください。

え?どうしてこっちが?本来ムコウが~すべきじゃない?だってムコウが!
…etc

その難しさに気づく時、相手側の気持ち、そして自分自身の同じような
心のあり方を理解する糸口が見つかるように思います。

ヤマアラシ・アルマジロの武装解除

それらが相手との関係を改善するキーワードなのではないでしょうか?

余談ですが、アルマジロという名前はスペイン語で
武装したものを意味する armado に由来するそうです。
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# by dryangle | 2007-11-13 12:55 | 周囲の人との関係 | Comments(0)
「犠牲」の役回り(2)
(前回からの続きです)

皮肉にもこのパターンは、相手や自分の心を真の意味で
満たすことができないままに苦しく行き詰っていきます。

そのまま人生を乗り切ってしまうことも多々あり
さらに他の人にも影響し、受け継がせてしまうことも
めずらしくありません。

ある意味、関わる全ての人が犠牲者だと
いえるのかも知れません。
不幸な人間関係の周辺には、この犠牲者
集まっているように思います。

自分の中のネガティヴな感情に気がついた時
そういった問題が奥底に隠されていることを知らせてくれて
いるのではないでしょうか?

問題の本質にきちんと向き合った時に
それを解決(心の分野では癒すという言葉が使われます)し
自分を生きる糸口を得るように思います。

こんなにも頑張っているのに…

そんな言葉が思わず浮かんできたら。

環境や条件など、今の状況を変えるにあたって
まずは自分の心のあり方を変える努力をしてみませんか?

自分が変われないとあきらめ続ける限り
状況もまた変われないという答えを
その人に返し続けるのです。

愛する人、大切にする人、やさしくする人
認める人、幸せになる人


が存在しなければ、誰一人満たされることなどあり得ないのです。
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# by dryangle | 2007-10-26 10:18 | ココロのカラクリ | Comments(0)
「犠牲」の役回り(1)
愛されたい、大切にされたい、やさしくされたい
認められたい、幸せになりたい


このような言葉にどんな感情がわきますか?

素直に「ああ、その通り」と感じる人。
あまりピンとこない人。
なにを甘いコト言っているんだと感じる人。
暖かい気持ちを分けてあげたいと願う人。

違う感覚を持って暮らしていても、自分の存在の価値を
求めていることにはなんら変わりがないのではないでしょうか?

この純粋な欲求に対して、生い立ちからの経験
誰か(ナニカ)と関わる中でいつの間にか

痛みや恐れ・悲しみ・憎しみ

といった傷心の記憶が刻まれます。
そしてその質や程度は個々人によってさまざまです。

それらが疼くのをカバーするために、意識はそれを
打ち消したり、隠したり、罪悪感や自己嫌悪、そして
理屈(正しさ)によって押さえつけたり。

まるで玉ねぎのように、何層にもそのカバーが
でき上がるのですが、時に怒りによって膿みを噴出させる人や
求めるものを得られないままの空洞つまり孤独の痛み
誰かを軽んじ、蔑み、脅す、優越という快感
埋めている人もいます。

まるで八つ当たりかうっぷん晴らしをしているかのように…

さらには、その対象として自らを提供する犠牲者となり
我慢をし尽くすということで孤独の痛み
埋める人までいるのです。

(次回に続きます)
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# by dryangle | 2007-10-26 10:17 | ココロのカラクリ | Comments(0)
心の独り立ち
経済(お金の使い方)と異性関係(恋愛&セックス)
これには、個々人の感覚の違いがつぶさにあらわれるように思います。

法律・宗教・道徳・一般常識・社会通念・モラル
家の方針・親の方針…などなど
古来から人はさまざまに、その心と行動を規制するルールを
作ってきました。

そして新たに育つ世代に、そのルールを観念としてしつけます。
時にそれは意識的であったり、無意識であったり。

現代はある程度の範囲については、心まで厳しく規制されることなく
個々人の感覚に委ねられる社会が増えてきましたよね。
それにつれ、物事に対する観念や感覚の幅も人によって多様化
してきました。

ところが。
人によっては、いまだに心まで厳しく規制されているのです。

その根っこが、自分の意志によるコントロールでないとすれば
ある物事に心の内で怖れや不安、罪悪感を抱き、自分にそれを許せない
(または強いる)観念や感覚を持ち続けているのではないでしょうか?
そのような状態を繰り返して生きることは、苦しいに違いありません。
また、その観念による縛りのない人に対して怒りや嫉妬を覚える
こともあるのではないでしょうか?

心から楽しいということがない
ささいな出来事にふれる度にイライラする
度をこす・ハメを外すと不安になる
自分や誰かに、許せないと思うことが多い。

そんなことはありませんか?

心の中はその人の自由な世界

たとえある一定のルールでは好ましいといえないことを考え、想像したとしても
(社会にその概念が存在して、それを知る機会があったということの証明です)
それを自分や他の人に許してあげてもいいように思います。

道徳にしても不道徳にしても、他の人の心まで縛ろうとしたり要求したり
することで、対立や悲劇が起きているのではないでしょうか?

想いは自由

…ただし行動についてはそうとも言い切れませんね。

社会的な規制や縛りが緩んだ時に、その人がどこまで周囲に配慮し、
どう行動するかの選択に、その人となりが如実に現れるのです。

自分の中に培った観念や感覚を知り、それだけにコダワルことなく
自分のため、誰かのために、より良い観念や感覚、そして行動を
自分の意志で、選択できることが独り立ちした精神なのだと
いえるように思います。
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# by dryangle | 2007-10-21 16:55 | ココロと思想 | Comments(0)
人生の午後を生きる
このブログを読まれる方の中心は
(多分)子育て世代の女性でしょうか。

心の世界に関心のある方は、ユングの
人生の正午(the meridian of his arc of life)
という言葉を聞いた覚えがあるかも知れません。

精神医・心理学者のC.G.ユングは

人生の正午(40歳あたり)を境とする人生の
前半と後半はその様相がだいぶ異なり

それはあたかも正午をはさんで
日の光と影の方向が逆転することにも似ている


と述べています。

今まで日の当たらなかった部分に光が当たり始め
反対にこれまで当たっていた部分が影を帯びてくる…

それは自己の内面的欲求を深めることであり
(真の)個性化の過程と位置づけたのです。

つまりワタシ達の精神は、なおも発達をし続け
人生の後半には、まさに自分を生きていくのだと
いえるのではないでしょうか。

たしかに正午までは心身ともにあわただしく
自分の内面について考える余裕などなかなかない
ように思います。

そして正午をむかえる頃に、起こる問題などをキッカケに
あらためて自分自身(の心)に向き合う必要性に
迫られるのではないでしょうか?

ワタシ自身もまさにその必要性から
暑っ苦しい昼になりそうですが。^^;
新たな自分のベースを築いている最中のような
気がしています。

午後にはお茶でも飲みながら
自分を満喫するように過ごしていけたらなぁ…
と願いながら。



*追記*
思いがけないほど多くの方が読んでくださっているようです。
ワタシの気持ちの、稚拙なカケラを受けとってくださり
本当にどうもありがとう。

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# by dryangle | 2007-10-10 10:47 | ココロと思想 | Comments(2)
生き方感覚
言葉は、成長の過程で周囲や親から学び
たいていの場合、苦もなく使えるようになります。

そして当たり前にそれを使って暮らしています。

成長期を過ぎてから、第二言語(外国語)を
習得することの難しさは誰もが想像できますよね?

なぜなら、言葉はたんに語彙を記憶し文法を
理解すれば使いこなせるというものではなく
体験による有形無形さまざまな情報が複合的な
基盤となって成り立つものだからです。

ある言葉を使いこなす基盤を得るためには
人が成長するまでの情報が必要だといっても
いいのかも知れません。

ワタシ達の感情や行動を左右する観念や感覚
つまり心のクセ(傾向性)もそれと似ています

ワタシ達は、これまでに習得した生き方感覚
駆使して今を暮らしているのです。

成長過程で、自分を肯定しながらチャレンジしていく
感覚を、親や周囲から学びとることができた人は
シアワセですよね。

でもその反対だったら?

自分の言葉が通用しない時
自分の言葉では暮らしにくい時
どうするか?

通用する新しい言葉を学ぶ努力をする。
自分の言葉を使うことを周囲に強要する。
周囲の人とできるだけ関わらずに暮らす。


生き方感覚についても
それによって暮らしにくいと感じた際に
ヒトが取る方法は似ているのではないでしょうか?

言葉が通じても、気持ちが通じ合わない時に

アナタならどうするでしょうか?
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# by dryangle | 2007-09-27 14:45 | ココロのカラクリ | Comments(0)
恐れと尊敬・似て非なる関係
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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尊敬という気持ち。
それは大切にする気持ちです。

尊ぶは対象の価値を認めて大切にする意
敬うは、対象を高位のもの、上位のものとして礼をつくす意
―大辞泉

大切にされたい≒尊敬されたい

これが満たされなかった時、多くの人が
相手や社会にとっての自分の価値を上げることで
それが得られると信じて努力をします。

時に、別な方法で自分の価値を上げようと
する人がいます。

子供に対するお父さんやお母さん
大人に対する若い人たち
生徒に対する先生          …の中に

怖い口調や表現、アピールで相手を威嚇する人がいます。

「恐れ入りました」という言葉に表れるように
恐れは服従であり、自分を下に位置づけることが
尊敬の概念と、よく似ています。

尊敬されたい、大切にされたいという気持ちから
怖さを利用してそれを得ようとすることがあるようです。

自分(の主張)を通すために、相手を恐れさせて
尊敬を強要したりもします。

真の意味での尊敬の感覚を学ぶには誰かが他の人を
尊重・尊敬する姿を見ること、そして自分も尊重され
大切にされた体験を積むこと
が必要ではないでしょうか?

尊重されたいと欲して相手を脅すことを、学(真似)び
習慣化している人がかなりいるように感じます。
尊敬や思いやりは、恐れによって習得するものではない

とワタシは考えています。
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# by dryangle | 2007-09-25 18:49 | ココロのカラクリ | Comments(0)
アナタの家庭は君主制?共和制?
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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躾やルール(規則)に対する考え方は
家庭によってさまざまです。
それは(親や家長の)何が正しいかという
観念や感覚の違いに他なりません。

これをさまざまな国の思想や制度の違いに当てはめて
考えてみると案外面白かったりします。

専制君主制
立憲君主制
寡頭共和制
民主共和制


親(の一方)を君主、子供(と親のもう一方)を国民だと
考えてみてください。

国民が未熟(もしくは愚民?)である場合、賢者による
専制政治や、はじめにルールありきの立憲政治
国の安定を約束するものかもしれません。

これを家庭に当てはめた場合、親が賢者であるか?
そのルールは妥当か?といった内省は
その安定に必要不可欠です。

子供が成長してきて、その権利を主張し始めた時に
どのようなスタイルに移行するか(しないか?)が
大きな課題
となります。

参政権を与えずに、国民に不満がたまれば
内戦や革命が起こることもありますし
その末に独立していくこともあるでしょう。
また独裁者が制圧し、縛りつけてしまうこともあります。

紛争(家庭内の暴力・トラブル)を起こしたり、独立(結婚)
した先でも、また専制君主に君臨する人・される人々は
もれなく圧政に苦しんだ経験を持つ
ように思います。

これは国家レベルも家庭レベルも同様ではないでしょうか。

家庭の中で独裁者が圧制を布(し)いてはいませんか?
アナタの家庭の思想について、ぜひ一度考えてみてください。
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# by dryangle | 2007-09-23 14:38 | ココロと思想 | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り