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金魚迷惑

★☆★不定期更新★☆★
Since2006


~外側からしか見ることのできない自分を閉じ込めている檻~

人間は、これこそが自分自身だと思っているものを守ろうとして壁をめぐらす。
そしてある日、その壁の内側に閉じ込められ、出られなくなってしまうのだ。

ロバート・フィッシャー『ナイト』より
Men are not prisoners of fate, but only prisoners of their own minds.
ーFranklin D. Roosevelt
The significant problems we face cannot be solved at the same level of thinking
we were at when we created them.
-Albert Einstein


気づいてみる。意識してみる。何かが変わり始める。
流れをイイ方向へと転換するターニングポイントを一緒に探しませんか?
初めていらした方へ… dryangleについて

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"自分"に疲れていません?
by dryangle
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ごあいさつ
自分を生きることに
疲れてしまったら…
心のプログラムのバグを
ともに探してみましょう。


こちらのブログでは…
特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど、多分野から心のメンテナンスに役立つ情報を私的な想いとともに発信しています。
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いつも拙い記事を読んでくださりありがとうございます。

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アップデートを怠っていました^^;

わざわざ目を通してくださる方が多いようで
ご不便をおかけしたかと思います。

あらためて見ると記事もかなりの数になってきました。
内容がわかりづらかったり、抽象的に過ぎたりと
あまり進歩の跡が見られませんが、今後もボチボチと
思うことを綴ってまいりたいと思います。

心とその問題に関する分野が日の目を浴びた昨今
理解が進む一方で、そのケアのあり方に玉石混合の
混乱が増えてきたように感じています。

今後も、なるべく偏ることなく情報を集めて、なるべく
偏らない視点で考えていくつもりです。

メールでの個人的なご相談のみならず、コメント欄への
オープンなご意見・ご質問、ちょっとした感想なども
大歓迎です^^

お互いが日常に吹き込む新鮮な風になれますように…

コメントを承認制にいたしました。送信してもすぐに反映されません。
よろしくご理解ください。

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# by dryangle | 2013-07-02 16:40 | お知らせ・その他 | Trackback | Comments(0)
親殺し・子殺し
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
こちらでは、特定の療法や理論,思想にこだわらず、心理学・精神医学・カウンセリングなど
多分野から
心の癒しとメンテナンスに役立つ情報を集めています。
初めていらした方へ…dryangleとブログ金魚迷惑について


またまた刺激的なタイトルですみません^^;
あくまで精神的な意味においてのということで。

それが叶わぬ果ての果てに、現実に及ぶこともありますが
本当に必要なことは自分を生かすことなのだと
親も、また(成長した)子の側も気づくことが大切ではないかと
あらためて思います。

誰かのあり方に自分の満足や幸不幸、安心感
その時々の感情までもが大きく左右される。
これはその相手に精神的に依存しているといえます。

もちろん程度問題だといえますが、親子/近親関係においては
それが顕著に表れます。

またそれが他者との関係性に映し出されていくのです。

どちらの側も相手の精神にパラサイトしている限りは
支配(もしくは犠牲)による奉仕(もしくはそれを得ること)を
愛(善、もしくは親孝行)だと勘違い
します。

そういった関係を強いられてきた心が、それと気づかずに
誰かの嫉妬や搾取を恐れてダメダメな自分、不幸なまま
でいることを選んでいることさえあるのです。

それもある意味で、大元は親への忠誠といえるのかも知れません。

もちろん意識の奥底ではその違和感を溜めこんで
膨らませていきます。

関係の上位者は怒りや愚痴、不満、暴言、暴力の人となり
下位者としては、我慢、無気力、鬱、悲しみの人となります
(相手との関係や状況によって異なる気持ちが現れます)。

誰かの精神にパラサイトしているということは、とりもなおさず
その誰かに自分の精神がパラサイトされているということ。

これに気づくことによってその拘束力を無効にすることが
互いに自分の内なる親殺し子殺しになるといえるのでは
ないでしょうか?

ただし、子の側は親殺しのためにエネルギーを使う一方で
親の側はそれを阻むことにエネルギーを使う傾向性がある

かと思います。

より経験や力のある(親や大人の)側がそれに気づくことが
できれば、スムーズに太い絆、信頼関係へと成長するはず。

自分の中の相手を殺すことは、相手を解放すること
それはそのまま=自分を解放すること。
それこそが自分を生かすことなのです。

自分と相手殺しから
自分と相手の成長へ

そんな親殺し・子殺しのプロセスを同じ自分が
子として、親として乗り越えることが大切だと
今さらながら痛感しています。

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# by dryangle | 2013-06-10 12:51 | 親子の関係 | Trackback | Comments(0)
殺してしまった自分
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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ちょっとショッキングなタイトルですが…^^;

お子さんの「育てにくさ」、特定の家族や身近な人への「嫌悪感」

日々の些細な出来事で積もるこれらの感情がストレスになり
トラブルを生み、周囲の関係をこじらせていくことがあります。

相手のあり方の批判ではなく、自分側の感じ方に注目して
みることで、心に目の前の問題からある程度の距離を置き
互いの心や身体を痛めつけることを防ぐことができそうです。

相手やそのあり方に怒りや嫌悪感、「許せなさ」がわき起こる
理由としてまず理解しやすいのが、それが直接負の経験として
記憶されている場合です。

過去、誰か・何かの「そういう行動、そういう態度、そういうあり方」に
親や重要な人物が嫌悪/不快感を示したことが記憶されています。

反対に嫌な人にまつわる「そういう行動、そういう態度、そういうあり方」が
嫌悪(感を連想する)カテゴリーの中に記憶されていることもあります。

少しわかりにくいのが、そのような記憶によっていつの間にか
それらの出来事自体を自分自身にも禁じている
(もしくは逆のあり方を課している)ことです。
向き合うこと自体が面倒なこと、避けたいことだと感じます。

それをわざわざ禁じる/課するというエネルギーが必要だということは
自分の中にそれに反するかも知れない自分が存在していて
それを自分が殺してしまっているということ。

誰かや何かのあり方に刺激され、殺したはずの自分が悲鳴を上げる
これが気に障る、許せなさの正体です。

たんなる怒りの他に、恨みや嫉妬に似た感情が混じるかも知れません。
この傷みが、ある意味自分のコダワリや呪縛になっているのです。

これを解き放つには、その時々たんにそれと気づいていること。

これが私には許されなかったことなんだよなぁ
これこそ私が自分自身に許せないことなんだぁ
そりゃぁ腹も立つわ…のように
(かつてマンガを規制されたことが、わが子に対してはゲームを
嫌悪するというような置き換えによる差異はあるようです)

自分の内で理解し、真正面から見据えているということです。
無視をし続けると、鬱や無感情につながることも^^;

その反応を心から差し引き、今現在の問題とその相手の心情
(相手の感じ方や主観)を率直に受け入れる
ことで、双方の
気持ちが通い
、納得や合意につながりやすくなるように思います。

相手の側でも同じようなカラクリが作動しているはずですが
どちらか、誰かが気づくことによって、相手の反応との干渉も
静まりやすくなります。

それがあまり気にならない、大したことではない、気楽に取り組める
(放っておける)
というのが、誰かと互いに心を開いて通わせ合える

ニュートラルな心の状態

あらゆることに対して、そうあるようにできることが心の平安
それはある意味で殺してしまった自分を救うことなのかも知れません。

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# by dryangle | 2013-05-23 14:19 | ココロのカラクリ | Trackback | Comments(0)
「とらえ方」の多軸構造
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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「自分の軸がブレナイ」というような言葉を
よく耳にします。

軸というのは、座標軸の軸
あるものの中心となる要

考え方の軸は価値観や信念
感じ方の軸は観念

…といったところでしょうか?

個人的な価値観や信念、観念が
その人の軸だといえるかと思います。

オオゲサですが、その軸がその人にとっての
この世の真実を決定しているともいえます。

ところが、よくよく考えてみると
これこそ自分の軸だと思い込んでいるものが
もとは他人(から得た)の軸だということに
気がつくことも多いかと思います。

ブレナイのは良いことかも知れませんが

やたらと一般論でモノを言いたがる人は
どちらかというと他人(世間)軸を生きる人

主観(これも多分もとは誰かの軸)ばかりの人は
どちらかというと自分軸を生きる人

そのどちらかが良い、悪いでもなく
また時と場合(時間軸)によっても変わるもの。

ある政治家の発言が物議を醸しているようですが
その固執する軸が、x軸「日本と他国」y軸「不当な侮辱」の
平面座標だとしたら、反応する側の軸が「女性蔑視・人権」だったり
「性のあり方」だったり、「公式発言の仕方(物の言い方)」だったり…

議論が噛み合い、互いの向上につながるものではなく
不毛なパワーゲームであることは明らかですよね。

これは家族や、身近な人との交流においても
とってもありがち^^;

世界には、その人、その集団の真実が存在しています。

いろいろな軸を理解することによって、目には見えない
世界の広さを知ることができるかと思うのです。

そしてその世界を共有し合うことも…

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# by dryangle | 2013-05-20 08:30 | ココロと思想 | Trackback | Comments(0)
手放すって 「問題にしないこと」
心の不調や問題には、いわゆる「生きづらさ」から精神疾患までのスペクトラムがあります。
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これまでずっと意識をすることについて
ふれてきました。

今回の内容は、一見あたかも矛盾するかのようで
うまくお伝えできるといいのですが…

問題(と感じられるもの)を自分の内側と外側とに
分けてみると、混乱が少なくなるように思います。

自分の心の内と
外側といえる自分や周囲のあり方と

外側の問題は意識を向けるほどに
自分の考え方、感じ方をより強化し、固執し
大きくなっていき(いくように感じ)ます

だからこそ、意識の目を内側に向けることで
そこから目を反らし、かつ考え方や感じ方が
自分というクセであるという気づきを
得ることで新たな選択の可能性を開きます。

ところが、自分の内面と向き合うつもりでいたのが
ついどうしても外側(※とくに自分のあり方の)問題に
意識が集中し、それを変容しようと理由や原因を考え
固執することにすり替わっていってしまう場合があります。

さらには、そういう自分を確定・強化してしまう。

※この辺りがトリッキーなのですが、外への働きかけ
「自分のあり方」も外側の問題なのです。

じつは、これはこれでパターン化している人も^^;

もちろん他の人や状況のあり方に対しても同様ですが

知らぬが仏という言葉が示すように
出来事の事実そのもののあり方ではなく
自分の受けとり方(考え方や感じ方、それに伴う
身体の反応)が、とりもなおさず苦悩の本質です。

そのあり方がさしたる 「問題にならない」(ようになる)
過度に心の負担にならないこと。

これが一種の手放し、癒し、解放の成果になるかと思います。

そのためには、敢えて(外側の問題に)意識を向け過ぎない

とりわけ煮詰まった時こそ、とくに外側において
自分が喜んだり、安らげるものに意識の目を向ける

闇ではなく、光の方向に顔を向ける。

とは、そういうことではないだろうかと思うのです。

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# by dryangle | 2013-04-30 10:30 | ココロのカラクリ | Trackback | Comments(0)

Illustration by ふわふわ。り